Ten Nights of Dreams

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第一第一だいいち 1st night


こんなゆめ dream見たた saw; had (a dream)

腕組をして腕組うでぐみをして fold one's arms in front of one枕元枕元まくらもと by (someone's) pillow; by (someone's) bedside坐ってすわって sit; be seatedいると、仰向仰向あおむき looking up; (resting) on one's back寝たた be resting; be lying downおんな womanが、静かなしずかな quiet; soft (voice)こえ voiceでもう死にますにます die; pass away云うう said。女は長いながい longかみ hairまくら pillow敷いていて spread輪郭輪郭りんかく outline; contour柔らかなやわらかな soft; tender瓜実顔瓜実うりざねがお oval faceをそのなか middle; midst横たえてよこたえて lay down (on)いる。真白な真白まっしろな pure whiteほお cheeksそこ depths温かいあたたかい warm bloodいろ colorほどよくほどよく moderately; to just the proper degree差してして tinge; flush (with color)くちびる lipsの色は無論無論むろん (as a matter) of course赤いあかい red。とうてい死にそうには見えないえない didn't appear (to be ...)。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然判然はっきり clearly云った。自分自分じぶん oneself; I確にたしかに assuredly; without doubtこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、とうえ aboveから覗き込むのぞむ look into (someone's face)ようにして聞いていて ask; inquire見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりとぱっちりと widely; brightly eyes開けたけた opened大きなおおきな largeうるおい moisture; dampnessのある眼で、長いまつげ eyelashes; lashes包まれたつつまれた be wrapped (in)中は、ただ一面に一面いちめん all over (a single surface)真黒真黒まっくろ pitch blackであった。その真黒なひとみ pupilsおく interior; depthsに、自分の姿姿すがた shape; form鮮にあざやかに clearly; distinctly浮かんでかんで float; be reflectedいる。

自分自分じぶん oneself; I透き徹るとおる be transparentほど深くふかく deep見えるえる appearこの黒眼黒眼くろめ black eyes; ebony eyes色沢色沢つや gloss; luster眺めてながめて gaze (at)、これでも死ぬぬ die; pass awayのかと思ったおもった wondered。それで、ねんごろにねんごろに carefullyまくら pillowそば side; proximityくち mouth付けてけて brought near (to); positioned、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫大丈夫だいじょうぶ safe; secure; all rightだろうね、とまた聞き返したかえした asked again。するとおんな woman黒いくろい black; ebony eyes眠そうにねむそうに in a weary manner睜たみはった opened wide (eyes)まま、やっぱり静かなしずかな quiet; soft (voice)こえ voiceで、でも、死ぬんですもの、仕方がない仕方しかたがない can't be avoidedわと云ったった said

じゃ、私のわたしの myかお face見えるえる be visibleかいと一心に一心いっしんに intently; earnestly聞くく ask; inquireと、見えるかいって、そら、そこに、写ってうつって be reflectedるじゃありませんかと、にこりと笑ってにこりとわらって smile gently; break into a smile見せた。自分自分じぶん oneself; I黙ってだまって remain silent、顔をまくら pillowから離したはなした separated from; withdrew腕組をしながら腕組うでぐみをしながら folding one's arms in front of one、どうしても死ぬぬ die; pass awayのかなと思ったおもった wondered

しばらくして、おんな womanがまたこう云ったった said

死んだらんだら when (I) die埋めて下さいめてください please bury (me)大きなおおきな large真珠貝真珠貝しんじゅがい pearl oyster shellあな hole掘ってって dig。そうしててん the heavensから落ちて来るちてる fall down; come fallingほし star破片破片かけ splinter; fragment墓標墓標はかじるし grave marker置いて下さいいてください please place。そうして墓のそば side; vicinity待ってって waitいて下さい。また逢いに来ますいにます come to see (a person)から」

自分自分じぶん oneself; Iは、いつ逢いに来るいにる come to see (a person)かねと聞いたいた asked

日が出るる the sun will riseでしょう。それから日が沈むしずむ the sun will setでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤いあかい red日がひがし eastから西西にし westへ、東から西へと落ちて行くちてく go downうちに、――あなた、待ってって waitいられますか」

自分は黙ってだまって remaining silent首肯いた首肯うなずいた nodded assentおんな woman静かなしずかな quiet調子調子ちょうし tone (of voice)一段一段いちだん one step; one stage張り上げてげて raise; lift up (one's voice)

百年百年ひゃくねん a hundred years待っていて下さい」と思い切ったおもった resolute; decisiveこえ voice云ったった said

「百年、私のわたしの myはか graveの傍に坐ってすわって sit待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

自分はただ待っていると答えたこたえた answered。すると、黒いくろい black; ebonyひとみ pupilsのなかに鮮にあざやかに clearly; distinctly見えたえた was visible自分の姿姿すがた shape; formが、ぼうっと崩れて来たくずれてた broke apart; disintegrated静かなしずかな still; quietみず water動いてうごいて move写るうつる be reflectedかげ form; image乱したみだした stirred; disruptedように、流れ出したながした began to flowと思ったら、女の eyesぱちりとぱちりと like a shutter閉じたじた closed長いながい longまつげ eyelashes; lashesあいだ midstからなみだ tearほお cheek垂れたれた dropped (onto)。――もう死んでいたんでいた be dead; be gone

自分自分じぶん oneself; Iはそれからにわ garden; yard下りてりて go down (to)真珠貝真珠貝しんじゅがい pearl oyster shellあな hole掘ったった dug。真珠貝は大きなおおきな large滑かななめらかな smoothふち edge鋭どいするどい sharpかい shellであった。つち dirt; earthをすくうたびに、貝のうら reverse; back sideつき moonひかり light; (moon) beams差してして shine (on); strikeきらきらした。湿った湿しめった moist土のにおい smellもした。穴はしばらくして掘れた。おんな womanをそのなか middle入れたれた put into。そうして柔らかいやわらかい soft土を、うえ aboveからそっと掛けたけた covered。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

それからほし star破片破片かけ splinter; fragment落ちたちた fellのを拾って来てひろってて went and picked up; went and gatheredかろくかろく lightly (= かるく)土の上へ乗せたせた set; placed (onto)。星の破片は丸かったまるかった was round。長いあいだ interval (of time)大空大空おおぞら big sky; heavensを落ちている period (of time)に、かど corners; edges取れてれて be taken off; be worn off滑かなめらか smoothになったんだろうと思ったおもった thought; realized抱き上げてげて pick up; take in one's arms土の上へ置くく set; placeうちに、自分のむね chest hands; arms少しすこし a little; a bit暖くなったあたたかくなった grew warm

自分自分じぶん oneself; Iこけ mossうえ top of坐ったすわった sat down。これから百年百年ひゃくねん a hundred yearsあいだ period (of time)こうして待ってって waitいるんだなと考えながらかんがえながら thinking; considering腕組をして腕組うでぐみをして fold one's arms in front of one丸いまるい round墓石墓石はかいし gravestone眺めてながめて gaze atいた。そのうちに、おんな woman云った通りったとおり exactly as (she) said sunひがし eastから出たた appeared; rose (into view)大きなおおきな large赤いあかい red日であった。それがまた女の云った通り、やがて西西にし west落ちたちた dropped; descended。赤いまんまでのっと落ちて行ったちてった went down一つひとつ oneと自分は勘定した勘定かんじょうした counted

しばらくするとまた唐紅の唐紅からくれないの crimson天道天道てんとう the sunのそりとのそりと heavily上って来たのぼってた rose; came up。そうして黙ってだまって in silence沈んでしずんで sink; go downしまった。二つふたつ twoとまた勘定した。

自分はこう云う風にこうふうに in this manner一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たた saw; watched分らないわからない don't know。勘定しても、勘定しても、しつくせないしつくせない can't manage; can't keep up (with something)ほど赤い日があたま headうえ above通り越して行ったとおしてった passed by; went past。それでも百年がまだ来ないまだない not yet arrive。しまいには、苔の生えたえた grew (on)丸いいし stoneを眺めて、自分は女に欺されただまされた be deceivedのではなかろうかと思い出したおもした began to wonder

すると石の下からしたから from below斜にはすに obliquely; at an angle自分の自分じぶんの one's ownほう direction向いていて turning (toward)青いあおい greenくき stem; stalk伸びて来たびてた extended; stretched (toward one)見るる watch period (of time)長くなってながくなって lengthenedちょうど自分のむね chestのあたりまで来て留まったまった stopped。と思うと、すらりとすらりと smoothly; easily揺ぐゆらぐ sway茎のいただき crown; tipに、心持心持こころもち slightly; a shadeくび neck傾けてかたぶけて incline; tiltいた細長い細長ほそながい slender一輪一輪いちりん single (flower)つぼみ (flower) budが、ふっくらとふっくらと amply; generouslyはなびら flower petals (usually 花弁はなびら)開いたひらいた opened真白な真白まっしろな pure white百合百合ゆり lily鼻の先はなさき tip of one's nose骨に徹えるほねこたえる penetrate to the bone; penetrate to one's coreほど匂ったにおった was fragrant。そこへ遥の上はるかうえ far aboveから、ぽたりとぽたりと with impact; thicklyつゆ dew; dewdrops落ちたちた fellので、はな flowerは自分の重みおもみ weightでふらふらと動いたうごいた moved; shook。自分はくび neck; headまえ forward出してして put forth冷たいつめたい cold露の滴るしたたる drip; trickle (from)白いしろい white花弁花弁はなびら flower petal接吻接吻せっぷん kissした。自分が百合からかお face離すはなす withdraw拍子に拍子ひょうしに at the moment of ...思わずおもわず instinctively; reflexively遠いとおい far away; distantそら skyを見たら、あかつき dawn; morningほし starがたった一つひとつ one; single (star)瞬いてまたたいて twinkle; flickerいた。

「百年はもう来ていたんだな」とこのとき time; moment始めてはじめて for the first time気がついたがついた realized

第二第二だいに 2nd night


こんなゆめ dream見たた saw; had (a dream)

和尚和尚おしょう (Buddhist) head priestしつ room退がって退がって withdraw from廊下伝いに廊下ろうかづたいに following the corridor自分の自分じぶんの one's own; my own部屋部屋へや room帰るかえる return (to)行灯行灯あんどう papered lanternがぼんやり点ってともって be lit; be burningいる。片膝片膝かたひざ one knee座蒲団座蒲団ざぶとん seating cushionうえ top of突いていて push into灯心灯心とうしん (lamp) wick掻き立てたてた stir up; stokeとき、はな flowerのような丁子丁子ちょうじ clove (clove-like piece of wick)がぱたりと朱塗朱塗しゅぬり red-lacqueredだい table; stand落ちたちた fell同時に同時どうじに at the same time部屋がぱっと明かるくなったかるくなった became bright

ふすま fusuma (sliding screen with single covered surface, often decorated) painting蕪村蕪村ぶそん Buson (Edo period poet and painter; 1716-1784)ふで brushである。黒いくろい black; darkやなぎ willow (tree)濃くく thick; dark薄くうすく thin; light遠近遠近おちこち far and near; (visual) perspectiveとかいて、寒むそうなむそうな looking cold漁夫漁夫ぎょふ fishermanかさ (bamboo) hat傾けてかたぶけて lean; tilt (usually かたむけて)土手土手どて berm; embankmentの上を通るとおる pass (over); walk alongとこ alcove (short for とこ)には海中文殊海中文殊かいちゅうもんじゅ Monju Bosatsu (Buddhist deity of wisdom) riding over the sea on a cloudじく (painting) scroll懸ってかかって be hung; be displayed (on a wall)いる。焚き残したのこした unburned; charred線香線香せんこう incense暗いくらい darkほう direction; areaでいまだに臭ってにおって smell (of something)いる。広いひろい large; expansiveてら templeだから森閑として森閑しんかんとして still; silent人気人気ひとけ sign of life; human presenceがない。黒いくろい black天井天井てんじょう ceiling差すす be projected (onto)丸行灯丸行灯まるあんどう round lantern丸いまるい roundかげ shape; formが、仰向く仰向あおむく look upward途端途端とたん moment; instant生きてるきてる be alive; be animateように見えたえた appear

立膝をした立膝たてひざをした with one knee drawn upまま、左の手ひだり left hand座蒲団座蒲団ざぶとん seating cushion捲ってめくって peel back; peel upみぎ right (hand)差し込んでんで insert; thrust into見るる (try and) seeと、思ったおもった expectedところ placeに、ちゃんとあった。あれば安心安心あんしん reassurance; peace of mindだから、蒲団蒲団ふとん cushionをもとのごとく直してなおして fix; straighten、そのうえ topどっかりどっかり heavily; with a thud坐ったすわった sat down

お前まえ you (condescending)さむらい samuraiである。侍なら悟れぬさとれぬ can't attain enlightenmentはずはなかろうと和尚和尚おしょう (Buddhist) head priest云ったった said。そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前御前おまえ you (condescending)は侍ではあるまいと言った。人間人間にんげん humanityくず dregsじゃと言った。ははあ怒ったおこった become angryなと云って笑ったわらった laughed口惜しければ口惜くやしければ be bothered; be chagrined悟った証拠証拠しょうこ evidence持って来いってい bring; produceと云ってぷいとぷいと quickly; abruptlyむこう away; the other directionをむいた。怪しからんしからん impertinent

隣のとなりの next door; adjacent広間広間ひろま hallとこ alcove (short for とこ)据えてえて set; fix (into position)ある置時計置時計おきどけい table clockつぎ nextとき hour打つつ strike; chime (clock)までには、きっと悟ってさとって attain enlightenment見せるせる show; demonstrate。悟ったうえ on top of; in addition toで、今夜今夜こんや this eveningまた入室する入室にゅうしつする enter a room; enter the priest's room to be tested (Buddhism)。そうして和尚のくび neck; headと悟りと引替引替ひきかえ exchange; tradeにしてやる。悟らなければ、和尚のいのち life取れないれない cannot take。どうしても悟らなければならない。自分自分じぶん oneself; Iは侍である。

もし悟れなければ自刃自刃じじん suicide by swordする。さむらい samurai辱しめられてはずかしめられて be shamed生きてきて liveいる訳には行かないわけにはかない it won't do to ...; one can't ...綺麗に綺麗きれいに cleanly死んでんで dieしまう。

こう考えたかんがえた reasoned; consideredとき time、自分の handはまた思わずおもわず reflexively布団布団ふとん cushionした underside這入った這入はいった entered; reached into。そうして朱鞘朱鞘しゅざや red-lacquered sword sheath短刀短刀たんとう short sword; dagger引き摺り出したした dragged out; drew forth。ぐっとつか hilt; haft握ってにぎって grasp; grip赤いあかい redさや sheath向へ払ったらむこうはらったら cast away冷たいつめたい cold blade一度に一度いちどに at once; at the same time暗いくらい dark部屋部屋へや room光ったひかった glistened凄いすごい terrible; dreadfulものが手元手元てもと grip; handleから、すうすうとすうすうと with a hissing sound逃げて行くげてく escapeように思われるようにおもわれる it seemed that ...。そうして、ことごとくことごとく fully; entirely切先切先きっさき point; tip (of a blade)集まってあつまって gathered; concentrated殺気殺気さっき murderous intent; thirst for blood一点一点いってん a single point籠めてめて put into; enclose inいる。自分自分じぶん oneself; Iはこの鋭いするどい sharp刃が、無念にも無念むねんにも to one's chagrin; to one's dismay針の頭はりあたま head of a pin; head of a tackのように縮められてちぢめられて shrink; shorten九寸五分九寸くすん五分ごぶ daggerさき tip来てて come (to)やむをえずやむをえず unavoidably尖ってとがって sharp; taperedるのを見てて see; look atたちまちたちまち suddenly; at onceぐさりとぐさりと with a thrust; plunging intoやりたくなった。身体身体からだ body blood右のみぎの right (side)手首手首てくび wristほう direction流れて来てながれてて flowed into、握っているつか hilt; haftにちゃにちゃするにちゃにちゃする be sticky; be slimyくちびる lips顫えたふるえた trembled

短刀短刀たんとう short sword; daggerさや sheath収めておさめて put away (in)右脇右脇みぎわき (one's) right side引きつけてきつけて keep close at handおいて、それから全伽を組んだ全伽ぜんがんだ assumed the lotus position (for meditation)。――趙州趙州じょうしゅう Jōshū Jūshin (Chinese Zen master; 778–897)曰くいわく according to ... nothingnessと。無とはなん whatだ。糞坊主め糞坊主くそぼうずめ Damn that priest; Damn him (Jōshū) anywayはがみをしたはがみをした ground one's teeth (in anger)

奥歯奥歯おくば molars; back teeth強くつよく strongly; tightly咬み締めためた clenched (teeth)ので、はな nose; nostrilsから熱いあつい hotいき breath荒くあらく coarsely; unevenly出るる emerge; come forthこめかみこめかみ temples (part of the body)釣ってって cramp up (= って)痛いいたい be painful eyes普通普通ふつう usual倍もばいも double; twice as much大きく開けておおきくけて opened wideやった。

懸物懸物かけもの hanging picture (scroll)見えるえる be visible行灯行灯あんどう papered lanternが見える。たたみ tatami (mats)が見える。和尚和尚おしょう (Buddhist) head priest薬缶頭薬缶頭やかんあたま bald head (lit: head like a copper kettle)ありありとありありと distinctly; vividly見える。鰐口鰐口わにぐち big mouth (lit: alligator mouth)開いていて open嘲笑った嘲笑あざわらった sneered at; ridiculedこえ voiceまで聞えるきこえる could hear怪しからんしからん impertinent; insolent坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならんくびにしなくてはならん have to take his head悟ってさとって attain enlightenmentやる。無だ、無だとした tongue base; root念じたねんじた chanted (an invocation)。無だと云うう say; invokeのにやっぱり線香線香せんこう incenseにおい smell; scentがした。何だ線香のくせに。

自分自分じぶん oneself; Iはいきなり拳骨拳骨げんこつ fist固めてかためて tighten自分のあたま headをいやと云うほど擲ったなぐった beat; struck。そうして奥歯奥歯おくば molars; back teethをぎりぎりと噛んだんだ bite; grind両腋両腋りょうわき both armpits; under one's armsからあせ sweat出るる emerge; come forth背中背中せなか back; spineぼう staff; rodのようになった。膝の接目ひざ接目つぎめ knee joints急にきゅうに suddenly痛くなったいたくなった began to ache。膝が折れたれた snap; fractureってどうあるものかと思ったおもった thought; decided。けれども痛い。苦しいくるしい intolerable; agonizing nothingnessはなかなか出て来ないない did not appear; did not arrive。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つはらつ became angry無念になる無念むねんになる grew resentful非常に非常ひじょうに exceedingly口惜しくなる口惜くやしくなる felt vexed (by failure)なみだ tearsがほろほろ出る。ひと思にひとおもいに resolutely; once and for all body巨巌巨巌おおいわ giant boulder; large rockうえ top ofにぶつけて、ほね bonesにく fleshもめちゃめちゃに砕いてくだいて smash; break (into pieces)しまいたくなる。

それでも我慢して我慢がまんして persevere; exercise self controlじっと坐ってすわって sitいた。堪えがたいえがたい intolerable; unbearableほど切ないせつない oppressive; heartrendingものをむね breast; bosom盛れてれて put into; fill with忍んでしのんで endureいた。その切ないものが身体中身体中からだじゅう throughout one's body筋肉筋肉きんにく muscle; sinewした below; beneathから持上げて持上もちあげて lift up毛穴毛穴けあな pores (of the skin)からそと outward吹き出ようよう break out吹き出ようと焦るあせる be impatientけれども、どこも一面一面いちめん the whole surface塞がってふさがって be blocked; be clogged、まるで出口出口でぐち exit; way outがないような残刻残刻ざんこく cruelty (usually 残酷ざんこく)極まるきわまる the height of; the extreme of状態状態じょうたい condition; stateであった。

そのうちに頭が変になったあたまへんになった lost one's mind; came unhinged行灯行灯あんどう papered lantern蕪村蕪村ぶそん Buson (Edo period poet and painter; 1716-1784) paintingも、たたみ tatami (mats)も、違棚違棚ちがいだな staggered shelves有って無いってい there but not thereような、無くって有るように見えたえた appearedと云ってって even so; nevertheless nothingnessはちっとも現前しない現前げんぜんしない did not appear。ただ好加減に好加減いいかげんに halfheartedly; perfunctorily坐っていたようである。ところへ忽然忽然こつぜん suddenly; abruptlyとなり neighboring座敷座敷ざしき hall時計時計とけい clockがチーンと鳴り始めたはじめた began to chime

はっと思ったはっとおもった was caught by surprise右の手みぎ right handをすぐ短刀短刀たんとう short sword; daggerにかけた。時計が二つ目ふた second one; (for the) second timeをチーンと打ったった struck; chimed

第三第三だいさん 3rd night


こんなゆめ dream見たた saw; had (a dream)

六つむっつ six (years old)になる子供子供こども child負っておぶって carry (a baby or child) on one's backる。たしかに自分の自分じぶんの one's own; my own childである。ただ不思議な不思議ふしぎな strange; curiousこと fact; matter; affairにはいつの間にかいつのにか before one knows it眼が潰れてつぶれて be blind青坊主青坊主あおぼうず person with a shaved headになっている。自分自分じぶん oneself; I御前の御前おまえの your眼はいつ潰れたのかいと聞くく askと、なにむかし long agoからさと答えたこたえた answeredこえ voiceは子供の声に相違ない相違そういない without a doubtが、言葉つき言葉ことばつき diction; manner of speakingはまるで大人大人おとな adultである。しかも対等対等たいとう on even terms; not deferentialだ。

左右左右さゆう left and right; both sides青田青田あおた green rice paddiesである。みち path; way細いほそい narrowさぎ snowy heron; egretかげ shape; form時々時々ときどき sometimes; on occasionやみ the dark; darkness差すす shine; flash

田圃田圃たんぼ paddies; rice fieldsへかかったね」と背中背中せなか back (body)云ったった said; remarked

「どうして解るわかる understand; know」とかお face後ろへうしろへ toward the rear; behind振り向けるける turn (to look) backようにして聞いたら、

「だって鷺が鳴くく cry; call (birds)じゃないか」と答えた。

すると鷺がはたして二声二声ふたこえ two cries; two callsほど鳴いた。

自分は我子我子わがこ one's own childながら少しすこし a little; a bit怖くなったこわくなった became fearful。こんなものを背負って背負しょって carry on one's back; be saddled withいては、この先このさき after this; from nowどうなるか分らないわからない don't know; can't tell。どこか打遣ゃる打遣うっちゃる cast away; abandonところ placeはなかろうかと向うむこう the distance; ahead見るる look (toward)闇の中やみなか in the darkness大きなおおきな large; thickもり woodsが見えた。あすこならばと考え出すかんがす conclude; settle on途端途端とたん moment; instantに、背中で、

「ふふん」と云う声がした。

なに what笑うわらう laugh (about)んだ」

子供子供こども child返事返事へんじ answerをしなかった。ただ

御父さん御父おとっさん father重いかいおもいかい am I heavy」と聞いたいた asked

「重かあない」と答えると

今にいまに soon重くなるよ」と云った。

自分自分じぶん oneself; I黙ってだまって in silence; without speakingもり woods目標目標めじるし sign; landmarkあるいて行ったあるいてった walked on fieldsなか middle; midstみち path; way不規則に不規則ふきそくに irregularlyうねってうねって wind; meanderなかなか思うようにおもうように as one hopes出られないられない couldn't emerge from。しばらくすると二股二股ふたまた fork; branch (road)になった。自分は股の根また base of the fork; junction point立ってって stand; stop、ちょっと休んだやすんだ rested

いし stone立ってるってる stand; be erectedはずだがな」と小僧小僧こぞう youngster云ったった said

なるほど八寸角八寸角はっすんかく 8 sun (about 24 cm; about 10 inches) squareの石がこし waist; hipsほどの高さたかさ heightに立っている。おもて frontには左りひだり left日ヶ窪くぼ Higakubo (place name)みぎ right堀田原堀田原ほったはら Hottahara (place name)とある。やみ darknessだのに赤いあかい red characters; letters明かにあきらかに clearly; distinctly見えたえた were visible。赤い字は井守井守いもり fire belly newtはら bellyのようないろ colorであった。

「左が好いい good; a better choiceだろう」と小僧小僧こぞう youngster命令した命令めいれいした directed; instructed。左を見るとさっきの森が闇の影やみかげ shadow of darknessを、高いたかい high; loftyそら skyから自分らの自分じぶんらの ourあたま headsうえ above抛げかけてげかけて throw overいた。自分はちょっと躊躇した躊躇ちゅうちょした hesitated

遠慮しないでもいい遠慮えんりょしないでもいい there's no need to hesitate; don't be afraid」と小僧がまた云ったった spoke。自分は仕方なしに仕方しかたなしに having no choice; left with no choiceもり woodsほう direction歩き出したあるした set off walking腹の中でははらなかでは privately; to myself、よく盲目盲目めくら blind personのくせに何でもなんでも anything and everything知ってって know; be aware ofるなと考えながらかんがえながら think; consider一筋道一筋道ひとすじみち straight path (with no turnoffs)を森へ近づいてくるちかづいてくる draw nearと、背中背中せなか back (body)で、「どうも盲目は不自由不自由ふじゆ impairment; hindranceでいけないね」と云った。

「だから負っておぶって carry (a baby or child) on one's backやるからいいじゃないか」

負ぶって貰ってぶってもらって have you carry meすまないが、どうもひと people馬鹿にされて馬鹿ばかにされて be played for a fool; be taken advantage ofいけない。おや parentにまで馬鹿にされるからいけない」

何だかなんだか somehowいや unpleasant; disagreeableになった。早くはやく soon; quickly森へ行って捨てててて discard; abandonしまおうと思っておもって think (to do something)急いだいそいだ hurried

「もう少しすこし a little; a bit行くく go (on)解るわかる understand。――ちょうどこんなばん evening; nightだったな」と背中で独言独言ひとりごと talking to oneselfのように云っている。

なに whatが」と際どいきわどい tense; betraying (one's) uneaseこえ voice出してして put forth (voice)聞いたいた asked

「何がって、知ってって know; be aware ofるじゃないか」と子供子供こども child嘲けるあざける deride; mockように答えたこたえた answered。すると何だか知ってるような気がし出したがしした began to feel; began to realize。けれども判然と判然はっきりと clearly; with certainty分らないわからない didn't know。ただこんな晩であったように思えるおもえる it seemed that ...。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変大変たいへん awful; dreadfulだから、分らないうちに早くはやく quickly; soon捨てててて discard; abandonしまって、安心しなくってはならない安心あんしんしなくってはならない must remove the source of one's fearように思える。自分自分じぶん oneself; Iはますますあし legs; feet; pace (of walking)早めたはやめた hastened; hurried

あめ rainはさっきから降ってって fall; come down (rain)いる。みち path; wayはだんだん暗くなるくらくなる grow dark。ほとんど夢中である夢中むちゅうである be desperate; be frantic。ただ背中背中せなか back (body)小さいちいさい small小僧小僧こぞう youngsterがくっついていて、その小僧が自分の自分じぶんの one's own過去過去かこ past現在現在げんざい present未来未来みらい futureをことごとく照しててらして shed light on; make clear寸分の寸分すんぶんの (not) in the least事実事実じじつ truth; reality洩らさないらさない doesn't let escapeかがみ mirrorのように光ってひかって sparkle; shineいる。しかもそれが自分の childである。そうして盲目盲目めくら blind personである。自分はたまらなくなった。

「ここだ、ここだ。ちょうどそのすぎ cedar (tree) rootsところ placeだ」

雨のなか middle; midstで小僧のこえ voice判然判然はっきり clearly; distinctly聞えたきこえた could be heard。自分は覚えずおぼえず unconsciously; unknowingly留ったとまった stoppedいつしかいつしか before one knows it森 woodsの中へ這入って這入はいって enterいた。一間一間いっけん 1 ken (about 1.8 meters; about 2 yards)ばかりさき ahead; in frontにある黒いくろい dark; blackものはたしかに小僧の云う通りとおり just as (someone) said杉の tree見えたえた appeared (to be)

御父さん御父おとっさん father、その杉の根の処だったね」

「うん、そうだ」と思わずおもわず without thinking答えてこたえて answeredしまった。

文化五年文化ぶんか五年ごねん 5th year of Bunka (1808)辰年辰年たつどし year of the dragonだろう」

なるほど文化五年辰年らしく思われた。

御前御前おまえ you (condescending)がおれを殺したころした killed; murderedのはいま now; the presentからちょうど百年百年ひゃくねん a hundred yearsまえ before; earlierだね」

自分はこの言葉言葉ことば wordsを聞くや否やいなや as soon as ...、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇のやみの darkばん evening; nightに、この杉の根で、一人一人ひとり one (person)の盲目を殺したと云う自覚自覚じかく awareness; self-knowledgeが、忽然として忽然こつぜんとして suddenly頭の中あたまなか in one's head; in one's mind起ったおこった awoke; arose。おれは人殺人殺ひとごろし murdererであったんだなと始めてはじめて for the first time気がついたがついた realized途端途端とたん moment; instantに、背中の child急にきゅうに suddenlyいし stone地蔵地蔵じぞう Jizō (bodhisattva - guardian of children)のように重くなったおもくなった grew heavy

第四第四だいよん 4th night


広いひろい wide; spacious土間土間どま earthen floor room; area without flooring真中真中まんなか center涼み台すずだい bench or table in a cool placeのようなものを据えてえて install; fix into position、その周囲周囲まわり perimeter小さいちいさい small床几床几しょうぎ stools並べてならべて line up; place (in order)ある。台は黒光り黒光くろびかり black luster光ってひかって shine; glistenいる。片隅片隅かたすみ one cornerには四角な四角しかくな squareぜん dining trayまえ front of; before (one)置いていて set; place爺さんじいさん old man一人で一人ひとりで by oneselfさけ saké飲んでんで drinkいる。さかな side dish (served with saké)煮しめしめ vegetables boiled hard with soyらしい。

爺さんは酒の加減加減かげん extent; influenceでなかなか赤くなってあかくなって be flushed; be red-facedいる。その上そのうえ on top of that; furthermore顔中顔中かおじゅう all over one's faceつやつやしてしわ wrinkleと云うほどうほど that could be called ...のものはどこにも見当らないどこにも見当みあたらない was nowhere to be found。ただ白いしろい whiteひげ beardありたけありたけ to the greatest extent possible生やしてやして growいるから年寄年寄としより aged; elderlyと云うこと factだけはわかる。自分自分じぶん oneself; I子供ながら子供こどもながら though a child、この爺さんのとし ageはいくつなんだろうと思ったおもった wondered。ところへうら (out) backかけひ water pipe; spout; tapから手桶手桶ておけ wooden bucketみず water汲んで来たんでた had gone to draw (water)神さんかみさん wife; proprietressが、前垂前垂まえだれ apron hands拭きながらきながら wipe

御爺さん御爺おじいさん old man (used here as form of address)はいくつかね」と聞いたいた asked。爺さんは頬張った頬張ほおばった mouth full of煮〆煮〆にしめ vegetables boiled hard with soy呑み込んでんで swallowed

「いくつか忘れたわすれた have forgotten; don't rememberよ」と澄ましてまして be unconcerned; be indifferentいた。神さんは拭いた手を、細いほそい narrowおび sashあいだ midst; within挟んではさんで insert (into)横からよこから from the side爺さんの顔を見てて look at立ってって standいた。爺さんは茶碗茶碗ちゃわん tea cup; rice bowlのような大きなおおきな largeもので酒をぐいと飲んで、そうして、ふうと長いながい long; drawn outいき breathを白い髯の間から吹き出したした blew out; expelled。すると神さんが、

「御爺さんのうち house; homeはどこかね」と聞いた。爺さんは長い息を途中で途中とちゅうで in the middle切ってって cut (short)

臍の奥へそおく behind the navel (= in the womb)だよ」と云った。神さんは手を細い帯の間に突込んだ突込つっこんだ stuffed intoまま、

「どこへ行くく go (to); depart (to)かね」とまた聞いた。すると爺さんが、また茶碗のような大きなもので熱いあつい hot酒をぐいと飲んで前のような息をふうと吹いて、

「あっちへ行くよ」と云った。

真直真直まっすぐ straightaway; directlyかい」と神さんが聞いたとき time; moment、ふうと吹いた息が、障子障子しょうじ shōji通り越してとおして pass through; pass beyondやなぎ willow (tree)した beneath抜けてけて traverse; cross河原河原かわら riverbed; riversideほう directionへ真直に行った。

爺さんじいさん old manおもて front; out front出たた came out (to)自分自分じぶん oneself; Iあと afterから出た。爺さんのこし waist小さいちいさい small瓢箪瓢箪ひょうたん (bottle) gourdぶら下がってぶらがって be suspended from; be tied toいる。かた shoulderから四角な四角しかくな squareはこ box腋の下わきした under one's arm釣るしてるして hang; suspendいる。浅黄浅黄あさぎ light blue (= 浅葱あさぎ)股引股引ももひき close-fitting trousers穿いて穿いて wear (lower body)、浅黄の袖無し袖無そでなし sleeveless shirt着てて wearいる。足袋足袋たび toe socks (worn with sandals)だけが黄色い黄色きいろい yellow何だかなんだか somehowかわ skin; hide; pelt作ったつくった made (from)足袋のように見えたえた appeared (to be)

爺さんが真直に真直まっすぐに straightaway; directlyやなぎ willow treeの下まで来たた came (to)。柳の下に子供子供こども children三四人三四人さんよにん three or four (people)いた。爺さんは笑いながらわらいながら smiling; laughing腰から浅黄の手拭手拭てぬぐい (hand) towel; handkerchief出したした took out; produced。それを肝心綯肝心綯かんじんより twisted paper stringのように細長く細長ほそながく long and slender綯ったった twisted。そうして地面地面じびた ground; earth; clearing (= べた)真中真中まんなか middle; center置いたいた set; placed。それから手拭の周囲周囲まわり outside perimeterに、大きなおおきな large丸いまるい round ring; circle描いたいた drew; sketched。しまいに肩にかけた箱のなか insideから真鍮真鍮しんちゅう brass製らえたこしらえた be made from飴屋飴屋あめや candy maker; candy sellerふえ whistleを出した。

今にいまに soon; at any momentその手拭がへび snakeになるから、見てて watchおろう。見ておろう」と繰返して云った繰返くりかえしてった repeated

子供は一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with all one's effort; with one's all手拭を見ていた。自分も見ていた。

「見ておろう、見ておろう、好いかいか okay?」と云いながら爺さんが笛を吹いていて blew、輪のうえ top of; surface ofをぐるぐる廻り出したまわした began to circle。自分は手拭ばかり見ていた。けれども手拭はいっこう動かなかったうごかなかった didn't move

爺さんは笛をぴいぴい吹いた。そうして輪の上を何遍も何遍なんべんも many times; repeatedly廻った。草鞋草鞋わらじ straw sandals爪立てる爪立つまだてる walk on tiptoeように、抜足抜足ぬきあし stealthy footsteps; light treadをするように、手拭に遠慮をする遠慮えんりょをする show deferenceように、廻った。怖そうこわそう frightfulにも見えた。面白そう面白おもしろそう amusingにもあった。

やがて爺さんじいさん old manふえ whistleをぴたりとやめた。そうして、かた shoulder掛けたけた hung; suspendedはこ boxくち opening; flap開けてけて opened手拭手拭てぬぐい (hand) towel; handkerchiefくび neckを、ちょいと撮んでつまんで pinch; hold; pick up、ぽっと放り込んだほうんだ threw into

「こうしておくと、箱のなか insideへび snakeになる。今にいまに soon; at any moment見せてせて showやる。今に見せてやる」と云いながらいながら saying、爺さんが真直に真直まっすぐに straightaway; directly歩き出したあるした set off walkingやなぎ willow treeした beneath抜けてけて pass through細いほそい narrowみち pathを真直に下りて行ったりてった descended自分自分じぶん oneself; Iは蛇が見たいから、細いみち pathをどこまでも追いて行ったいてった followed after。爺さんは時々時々ときどき occasionally; from time to time「今になる」と云ったり、「蛇になる」と云ったりして歩いて行く。しまいには、

「今になる、蛇になる、

きっとなる、笛が鳴るる sound; trill (whistle)、」

唄いながらうたいながら singing; reciting、とうとうかわ riverきし (river) bank出たた arrived (at)はし bridgeふね boatもないから、ここで休んでやすんで pause; rest箱の中の蛇を見せるだろうと思っておもって thoughtいると、爺さんはざぶざぶ河の中へ這入り出した這入はいした started into始めはじめ at firstひざ kneesくらいの深さふかさ depthであったが、だんだんこし waistから、むね chestほう directionまでみず water浸ってつかって be immersed (in)見えなくなる。それでも爺さんは

「深くなる、よる evening; nightになる、

真直になる」

と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうしてひげ beardかお faceあたま head頭巾頭巾ずきん kerchief; bandanaもまるで見えなくなってしまった。

自分は爺さんが向岸向岸むこうぎし opposite bank上がったがった emerge; come outとき time; occasionに、蛇を見せるだろうと思って、あし reedsの鳴るところ place; location立ってって stand、たった一人一人ひとり alone; by oneselfいつまでも待ってって waitいた。けれども爺さんは、とうとう上がって来なかったがってなかった didn't emerge

第五第五だいご 5th night


こんなゆめ dream見たた saw; had (a dream)

何でもなんでも at any rate; in any caseよほど古いふるい ancient; long agoこと matter; happeningで、神代神代かみよ age of the gods; mythological age近いちかい close; near (to)むかし long ago; former times思われるおもわれる seemed to beが、自分自分じぶん oneself; Iいくさ battle; (military) campaignをして運悪く運悪うんわるく unfortunately; regretfully敗北た敗北まけた was defeated (usually けた)ために、生擒生擒いけどり captured aliveになって、てき enemy大将大将たいしょう (military) generalまえ front of引き据えられたえられた brought forth and presented

そのころ time; ageひと peopleはみんな背が高かったたかかった were tall。そうして、みんな長いながい longひげ beard生やしてやして growいた。かわ leatherおび belt締めてめて tie; fasten; wear (belt)、それへぼう rod; staffのようなつるぎ sword; saber釣るしてるして hang; suspendいた。ゆみ bow藤蔓藤蔓ふじづる wisteria vine太いふとい thickのをそのまま用いたもちいた utilizedように見えたえた appeared; seemed that ...うるし lacquer塗ってって apply (lacquer; varnish)なければ磨きみがき polishもかけてない。極めてきわめて extremely素樸な素樸そぼくな simple; crudeものであった。

敵の大将は、弓の真中真中まんなか middle; center右の手みぎ right hand握ってにぎって hold; grip、その弓をくさ grassうえ surface; top of突いていて prop up on; press against酒甕酒甕さかがめ saké jug伏せたせた laid down; put on its sideようなものの上に腰をかけてこしをかけて sit (on something)いた。そのかお face見るる look atと、はな noseの上で、左右左右さゆう left and right; both sidesまゆ eyebrowsが太く接続って接続つながって be joined togetherいる。その頃髪剃髪剃かみそり razorと云うものうもの such a thing as ...無論無論むろん of courseなかった。

自分はとりこ captive; prisonerだから、腰をかける訳に行かないわけかない it was not allowed that ...。草の上に胡坐をかいて胡坐あぐらをかいて sit crossleggedいた。あし feetには大きなおおきな large藁沓藁沓わらぐつ straw boots穿いて穿いて wear (lower body)いた。この時代時代じだい time; ageの藁沓は深いふかい deep; high (boots)ものであった。立つつ stand up膝頭膝頭ひざがしら knee capまで来たた came (up to)。そのはし edgeところ place; areaわら straw少しすこし a little; a bit編残して編残あみのこして left unbraided; left unwovenふさ tuft; tasselのように下げてげて turn down歩くあるく walkとばらばら動くうごく move; jump (around)ようにして、飾りかざり decoration; ornamentとしていた。

大将は篝火篝火かがりび bonfire; campfireで自分の顔を見て、死ぬぬ die生きるきる liveかと聞いたいた asked。これはその頃の習慣習慣しゅうかん customで、捕虜捕虜とりこ captive; prisonerにはだれでも一応一応いちおう once; as a formalityはこう聞いたものである。生きると答えるこたえる answer; respond降参降参こうさん surrender; capitulationした意味意味いみ meaningで、死ぬと云うと屈服屈服くっぷく submissionしないと云う事になる。自分は一言一言ひとこと in a word; simply死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うむこう away; aside抛げてげて pushed; tossed (aside)こし waistに釣るした棒のようなけん swordをするりと抜きかけたきかけた drew out。それへかぜ wind; breeze靡いたなびいた flutter; wave篝火が横からよこから from the side吹きつけたきつけた blew against。自分は右の手をかえで maple (leaf)のように開いてひらいて open upたなごころ palmを大将のほう direction向けてけて turn (something) towards eyesの上へ差し上げたげた held up; raised待てて waitと云う相図相図あいず sign; signalである。大将は太い剣をかちゃりとさや scabbard収めたおさめた replaced; put away

そのころ time; ageでもこい love; romanceはあった。自分自分じぶん oneself; I死ぬぬ dieまえ before一目一目ひとめ look; glimpse思うおもう think of; keep in one's mindおんな woman逢いたいいたい want to see云ったった said; stated大将大将たいしょう (military) general night開けてけて open (night into dawn)とり cock鳴くく crowまでなら待つつ waitと云った。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならないばなければならない must call; must summon。鶏が鳴いても女が来なければなければ if (she) doesn't come、自分は逢わずに殺されてころされて be put to deathしまう。

大将は腰をかけたこしをかけた sat (on something)まま、篝火篝火かがりび bonfire; campfire眺めてながめて gaze atいる。自分は大きなおおきな big藁沓藁沓わらぐつ straw boots組み合わしたわした crossed; intertwinedまま、くさ grassうえ surface; top ofで女を待っている。夜はだんだん更けるける advance; grow late

時々時々ときどき occasionally篝火が崩れるくずれる shift; settle (fire)おと soundがする。崩れるたびに狼狽えた狼狽うろたえた be flustered; lose one's composureようにほのお flamesが大将になだれかかるなだれかかる surge toward真黒な真黒まっくろな pure black; jet blackまゆ eyebrowsした below; beneathで、大将の eyesがぴかぴかと光ってひかって shine; glistenいる。すると誰やらだれやら someone来てて came; appeared新しいあたらしい new; freshえだ branch; bowをたくさん fireなか middle; midst抛げ込んでんで throw into; toss into行くく go (on one's way)。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴るる sing; roar暗闇暗闇くらやみ darkness弾き返すはじかえす repel; drive backような勇ましいいさましい courageous; valiant音であった。

このとき time; moment女は、うら (out) backなら (Japanese) oak tree繋いでつないで tie; secureある、白いしろい whiteうま horse引き出したした led outたてがみ mane三度三度さんど three times撫でてでて stroke; caress高いたかい high; tall backひらりとひらりと lightly; quickly飛び乗ったった jumped ontoくら saddleもないあぶみ stirrupsもない裸馬裸馬はだかうま unsaddled horseであった。長くながく long白いあし legsで、太腹太腹ふとばら belly; flanks蹴るる kickと、馬はいっさんにいっさんに at full speed駆け出したした took off galloping。誰かが篝りかがり brazier継ぎ足したした added toので、遠くのとおくの distantそら sky薄明るく薄明うすあかるく faintly illuminated見えるえる appeared。馬はこの明るいものを目懸けて目懸めがけて aim at; set sight onやみ darknessの中を飛んで来るんでる come flying (through)はな noseから火の柱はしら pillars of flameのようないき breath二本二本にほん two (pillars)出してして put forth; expel飛んで来る。それでも女は細いほそい slender足でしきりなしに馬のはら bellyを蹴っている。馬はひづめ hoovesの音がちゅう in the airで鳴るほど早くはやく quickly; fast飛んで来る。女のかみ hair吹流し吹流ふきながし pennant; streamerのように闇の中に tail; train曳いたいた drag; trail。それでもまだかがり brazierのあるところ placeまで来られないられない can't reach; can't arrive (at)

すると真闇な真闇まっくらな pitch darkみち road; pathはた vicinity; proximityで、たちまちこけこっこうという鶏のこえ voice; callがした。女は body空様に空様そらざまに arching backward; looking up両手両手りょうて both hands握ったにぎった gripped; grasped手綱手綱たづな reinsをうんと控えたひかえた moderated; eased up on。馬は前足前足まえあし front legsの蹄を堅いかたい hardいわ rock; stoneの上に発矢と発矢はっしと with a quick thrust刻み込んだきざんだ cut into; chiseled into

こけこっこうとにわとり cockがまた一声一声ひとこえ cry鳴いた。

女はあっと云って、緊めためた pulled tight手綱を一度に一度いちどに at once緩めたゆるめた released; relaxed。馬は諸膝諸膝もろひざ both knees折るる bent。乗ったひと personと共にともに together with真向真向まとも directly in frontまえ forwardのめったのめった tumbled forward。岩のした below; beneath深いふかい deepふち abyss; steep canyonであった。

蹄のあと marks; remainsはいまだに岩の上に残ってのこって be left behindいる。鶏の鳴く真似真似まね imitation; mimicryをしたものは天探女天探女あまのじゃく Amanojaku (goddess appearing in Japan's "Records of Ancient Matters")である。この蹄のあと marks; remainsの岩に刻みつけられている間、天探女は自分のかたき sworn enemy; nemesisである。

第六第六だいろく 6th night


運慶運慶うんけい Unkei (Kamakura Period sculptor; around 1150 - 1223)護国寺護国寺ごこくじ Gokokuji (temple in Tōkyō's Bunkyō ward)山門山門さんもん main temple gate仁王仁王におう Niō (either of two Buddhist guardians; often placed at temple entrances)刻んできざんで carveいると云うう saying that ...評判評判ひょうばん talk; rumorだから、散歩ながら散歩さんぽながら while walking; while strolling行って見るってる go and seeと、自分自分じぶん oneselfよりさき beforeにもう大勢大勢おおぜい crowd; great number of people集まってあつまって gather、しきりに下馬評下馬評げばひょう (amateur) critique; commentaryをやっていた。

山門のまえ front of五六間五六間ごろっけん 5 or 6 ken (about 10 meters; about 10 yards)ところ place; locationには、大きなおおきな large赤松赤松あかまつ Japanese red pineがあって、そのみき (tree) trunk斜めにななめに at an angle山門のいらか tiled roof隠してかくして hide; conceal遠いとおい distant; far away青空青空あおぞら blue skyまで伸びてびて extend (to); stretch (toward)いる。松のみどり greenery朱塗の朱塗しゅぬりの red-lacquered門が互いにたがいに mutually照り合ってうつって suit; match (each other)みごとに見えるみごとにえる look splendid; look wonderfulその上そのうえ on top of that; furthermore松の位地位地いち position (usually 位置いち)好いい good; agreeable。門のひだり left (side)はし edge眼障眼障めざわり eyesore; offensive to the eyeにならないように、斜にはすに diagonally; at an angle切って行ってってって cut acrossうえ aboveになるほどはば width広くひろく widely; broadly屋根屋根やね roofまで突出して突出つきだして protrude; stick out (toward)いるのが何となくなんとなく somehow古風古風こふう in the ancient styleである。鎌倉時代鎌倉かまくら時代じだい Kamakura period (1185-1333)とも思われるおもわれる seems like ...; has the feeling of ...

ところが見ているものは、みんな自分と同じくおなじく same; similar明治明治めいじ Meiji era (1868-1912)人間人間にんげん personsである。そのうち middle; midstでも車夫車夫しゃふ rickshaw driver; cart man一番一番いちばん most多いおおい numerous辻待辻待つじまち waiting to be hired; waiting for a fareをして退屈退屈たいくつ idle time; tediumだから立ってって stand (around)いるに相違ない相違そういない no doubt ...

「大きなもんだなあ」と云っている。

「人間を拵えるこしらえる make; produceよりもよっぽど骨が折れるほねれる difficult; requiring great effortだろう」とも云っている。

そうかと思うと、「へえ仁王だね。いま now; the presentでも仁王を彫るる carveのかね。へえそうかね。私ゃわっしゃ as for me (= わたしは)また仁王はみんな古いふるい old; ancientのばかりかと思ってた」と云ったおとこ fellowがある。

「どうも強そうつよそう strong looking; imposingですね。なんだってえますぜ。むかし long agoからだれ whoが強いって、仁王ほど強いひと personage; character無いい there isn't ...って云いますぜ。何でも日本武尊日本やまと武尊だけのみこと Yamato Takeru (legendary prince of the Yamato dynasty; 72-114; possible word play in Sōseki's rendering of the name)よりも強いんだってえからね」と話しかけたはなしかけた began talking; engaged (others) in conversation男もある。この男は尻を端折ってしり端折はしょって tuck up one's skirt in the back帽子帽子ぼうし hat; cap被らずかぶらず without wearingにいた。よほど無教育な無教育むきょういくな uneducated男と見える。

運慶は見物人見物人けんぶつにん onlookers評判評判ひょうばん chatter; gossipには委細委細いさい detail; particulars頓着なく頓着とんじゃくなく paying no heed to; with no concern forのみ chiselつち mallet動かしてうごかして move; wieldいる。いっこう振り向きき turning around; looking over one's shoulderもしない。高いたかい high所に乗ってって mount; climb up into、仁王のかお faceあたり region; vicinityをしきりに彫り抜いて行くいてく proceed to carve out

運慶はあたま head小さいちいさい small烏帽子烏帽子えぼし black-lacquered headgearのようなものを乗せてせて put in place; wear (on one's head)素袍素袍すおう suō (ceremonial dress of lower-class samurai)だか何だかわからない大きなそで sleeves背中で背中せなかで at one's back; behind one's back括ってくくって fasten; secureいる。その様子様子ようす appearanceがいかにも古くさいふるくさい outdated; old fashioned。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないいがれない be incongruous with; be mismatched toようである。自分はどうして今時分今時分いまじぶん at this time; in this day and ageまで運慶が生きてきて be aliveいるのかなと思った。どうも不思議な不思議ふしぎな odd; curiousこと matterがあるものだと考えながらかんがえながら consider、やはり立って見ていた。

しかし運慶運慶うんけい Unkei (Kamakura Period sculptor; around 1150 - 1223)ほう sideでは不思議不思議ふしぎ odd; curiousとも奇体奇体きたい strangeともとんと感じ得ないとんとかんない not feeling in the least様子様子ようす air; appearance一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with utmost effort; giving one's all彫ってって carveいる。仰向いて仰向あおむいて looking upこの態度態度たいど manner; behavior眺めてながめて view; gaze atいた一人一人ひとり one (person)若いわかい youngおとこ manが、自分の自分じぶんの one's own (my own)方を振り向いていて turned toward

「さすがは運慶だな。眼中眼中がんちゅう consideration我々我々われわれ usなしだ。天下天下てんか the whole world (lit: beneath heaven)英雄英雄えいゆう heroesはただ仁王仁王におう Niō (either of two Buddhist guardians; often placed at temple entrances)我れれ meとあるのみと云うう say; state態度だ。天晴れ天晴あっぱれ splendid; brilliantだ」と云って賞め出したした began to praise

自分はこの言葉言葉ことば words面白い面白おもしろい of interest思ったおもった thought; considered。それでちょっと若い男の方を見るる look atと、若い男は、すかさずすかさず without pausing

「あののみ chiselつち mallet使い方使つかかた way of using; technique (with)を見たまえ。大自在大自在だいじざい complete freedom; great unhinderedness (term from Buddhism)妙境妙境みょうきょう wonderful place達してたっして reach; arrive (at)いる」と云った。

運慶はいま now; at present太いふとい thickまゆ eyebrows一寸一寸いっすん 1 sun (about 3 cm; about 1.2 inches)高さたかさ heightよこ sideways彫り抜いていて carve out、鑿の tooth; bladeたて vertical (direction)返すかえす returnや否やいなや as soon as斜すにすに at an angleうえ aboveから槌を打ち下したおろした brought down (hammer)堅いかたい hard woodひと刻みひときざみ one notch; one cut削ってけずって shave; plane; whittle厚いあつい thick木屑木屑きくず wood chipが槌のこえ voice; soundに応じておうじて in response to; in compliance with飛んだんだ flew (off)と思ったら、小鼻小鼻こばな wings of the noseおっ開いたおっぴらいた opened outward怒り鼻いかばな flared nostrils側面側面そくめん flank; lateral surfaceがたちまち浮き上がって来たがってた came floating up; surfaced。そのとう blade入れ方かた way of engagingがいかにも無遠慮無遠慮ぶえんりょ bold; assertiveであった。そうして少しもすこしも (not) in the least疑念疑念ぎねん doubt挾んでおらんさしはさんでおらん didn't harbor; didn't entertainように見えた。

「よくああ無造作無造作むぞうさ readily; with easeに鑿を使って、思うようなまみえ eyebrowsや鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心した感心かんしんした was impressed; was awestruckから独言のように独言ひとりごとのように as if (talking) to oneself言ったった said; remarked。するとさっきの若い男が、

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るつくる make; createんじゃない。あの通りあのとおり exactly like thatの眉や鼻が木のなか inside; within埋ってうまって lie buriedいるのを、鑿と槌のちから force; power掘り出すす carve outまでだ。まるでつち earth; dirtの中からいし stoneを掘り出すようなものだからけっして間違う間違まちがう err; go wrongはずはない」と云った。

自分はこのとき time; occasion始めてはじめて for the first time彫刻彫刻ちょうこく carvingとはそんなものかと思い出したおもした thought of; connected (in one's mind)。はたしてそうなら誰にでもだれにでも anyoneできること action; undertakingだと思い出した。それで急にきゅうに suddenly自分も仁王が彫ってみたくなったから見物見物けんぶつ watching; looking onをやめてさっそくうち home帰ったかえった returned (to)

道具箱道具箱どうぐばこ tool boxから鑿と金槌金槌かなづち hammer持ち出してして took outうら back (of the house)出てて go out (to)見るる lookと、せんだっての暴風暴風あらし storm倒れたたおれた toppled; fell downかし oakを、まき firewoodにするつもりで、木挽木挽こびき saw man; sawyer挽かせたかせた had cut up手頃な手頃てごろな at hand; convenientやつ specimenが、たくさん積んでんで be piledあった。

自分は一番一番いちばん number one; most大きいおおきい big; largeのを選んでえらんで chose; selected勢いよくいきおいよく enthusiastically; with vigor彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった見当みあたらなかった didn't show; didn't materialize。その次のつぎの next oneにも運悪く運悪うんわるく unfortunately掘り当てるてる discover by carving事ができなかった。三番目の三番目さんばんめの third oneにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端かたぱし one end; one sideから彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵してかくして hide; concealいるのはなかった。ついに明治明治めいじ Meiji era (1868-1912)の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟ったさとった realized; concluded。それで運慶が今日今日こんにち this day; the presentまで生きてきて be aliveいる理由理由りゆ reasonもほぼ解ったわかった understood

第七第七だいなな 7th night


何でもなんでも somehow; it seems that大きなおおきな largeふね boat; ship乗ってって be on boardいる。

この船が毎日毎日まいにち every day毎夜毎夜まいよ every nightすこしの絶間絶間たえま break; pauseなく黒いくろい blackけぶり smoke吐いていて expel; belchなみ waves切ってって cut (through)進んで行くすすんでく advance; move forward凄じいすさまじい tremendous; dreadfulおと sound; noiseである。けれどもどこへ行くく go (to)んだか分らないわからない don't know; can't tell。ただなみ wavesそこ bottom; depthsから焼火箸焼火箸やけひばし burning-hot tongs; red-hot fire ironのような太陽太陽たいよう sun出るる appear。それが高いたかい tall; high帆柱帆柱ほばしら mast真上真上まうえ just above; exactly overheadまで来てて come (to); advance (to)しばらく挂ってかかって be suspended; hangいるかと思うとかとおもうと just as it seems that ...いつの間にかいつのにか before one knows it大きな船を追い越してして overtake; passさき aheadへ行ってしまう。そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行くしずんでく go sinking (into)。そのたんびに蒼いあおい blue波が遠くのとおくの distant向うむこう beyond; far sideで、蘇枋蘇枋すおう sappanwood; brezel wood (reddish brown wood - native to SE Asia)いろ color沸き返るかえる boil up; seethe。すると船は凄じい音を立てててて raise upそのあと tracks; marks追かけて行くおっかけてく follow after; pursue。けれども決してけっして by (no) means追つかない。

あるとき time; occasion自分自分じぶん oneself; Iは、船の男ふねおとこ crewman捕まえてつらまえて got hold of; engaged聞いて見たいてた inquired

「この船は西西にし westへ行くんですか」

船の男は怪訝な怪訝けげんな distrusting; suspiciousかお face; (facial) expressionをして、しばらく自分を見ていたが、やがて、

「なぜ」と問い返したかえした asked in return

落ちて行くちてく go down; set sunを追かけるようだから」

船の男はからからと笑ったからからとわらった laughed loudly。そうして向うのほう directionへ行ってしまった。

「西へ行く日の、はて limit; extremityひがし eastか。それは本真本真ほんま truth; realityか。東出る日の、御里御里おさと place of originは西か。それも本真か。 one's body; oneselfは波のうえ above; on top of戢枕戢枕かじまくら rudder for a pillow流せながせ float; set adrift流せ」と囃してはやして banter; mockいる。へさき bow (of a ship)へ行って見たら、水夫水夫すいふ sailors; seamen大勢大勢おおぜい large group; many people寄ってって come together太いふとい thick帆綱帆綱ほづな halyard (rope used to hoist a sail)手繰って手繰たぐって pull in (a rope)いた。

自分は大変大変たいへん terribly心細くなった心細こころぼそくなった became discouraged; felt forlorn。いつおか land; shore上がれるがれる can climb up (onto)こと act; factか分らない。そうしてどこへ行くのだか知れないれない not know; have no idea。ただ黒い煙を吐いて波を切って行く事だけはたしかである。その波はすこぶる広いひろい vast; expansiveものであった。際限もなく際限さいげんもなく unbounded; without limits蒼く見える。時にはむらさき purple; violetにもなった。ただ船の動くうごく move (through)周囲周囲まわり surroundingsだけはいつでも真白真白まっしろ solid white; pure whiteあわ foam; froth吹いていて blow; emit; spoutいた。自分は大変心細かった。こんな船にいるよりいっそ身を投げてげて throw; hurl死んでんで die; perishしまおうかと思った。

乗合乗合のりあい fellow passengersはたくさんいた。たいていは異人異人いじん foreigner; Westernerのようであった。しかしいろいろなかお faces; facial featuresをしていた。そら sky曇ってくもって be cloudy; be overcastふね ship揺れたれた swayed; rockedとき time; occasion一人一人ひとり one (person)おんな womanてすり railing倚りかかってりかかって lean (on)、しきりに泣いていて cry; weepいた。 eyes拭くく wipe手巾手巾ハンケチ handkerchiefいろ color白くしろく white見えたえた look; appear。しかし身体身体からだ bodyには更紗更紗さらさ printed cotton; calicoのような洋服洋服ようふく Western dress; Western-style clothing着てて wearいた。この女を見た時に、悲しいかなしい sad; sorrowfulのは自分自分じぶん oneself; meばかりではないのだと気がついたがついた realized; became aware

あるばん evening; night甲板甲板かんぱん deck (of a ship)うえ top of出てて come out (onto)、一人でほし stars眺めてながめて gaze (at)いたら、一人の異人が来てて came; approached天文学天文学てんもんがく astronomy知ってるってる know aboutかと尋ねたたずねた asked; inquired。自分はつまらないから死のうのう die; take one's own lifeとさえ思っておもって think about; considerいる。天文学などを知る必要必要ひつよう necessityがない。黙ってだまって remain silentいた。するとその異人が金牛宮金牛宮きんぎゅうきゅう Taurus (zodiac)いただき crown; pinnacleにある七星七星しちせい Big Dipper (seven stars)はなし talk (of)をして聞かせたかせた told about。そうして星もうみ seaもみんなかみ God作ったつくった made; createdものだと云ったった said; stated最後に最後さいごに finally自分に神を信仰する信仰しんこうする believe in; have faith inかと尋ねた。自分は空を見て黙っていた。

ある a certain ...; one ...時サローンに這入ったら這入はいったら went into派手な派手はでな lavish; showy衣裳衣裳いしょう dress; attireを着た若いわかい young女が向うむきむこうむき facing the other directionになって、洋琴洋琴ピアノ piano弾いていて play (stringed instrument)いた。そのそば side; next to背の高いたかい tall立派な立派りっぱな splendid; handsomeおとこ man立ってって stand唱歌唱歌しょうか song唄ってうたって singいる。そのくち mouth大変大変たいへん terribly大きくおおきく big; large見えた。けれども二人二人ふたり two (people)は二人以外以外いがい outside of; apart fromこと facts; thingsにはまるで頓着していない頓着とんじゃくしていない have no concern for; have no awareness of様子様子ようす appearanceであった。船に乗っている事さえ忘れてわすれて forget; remove from one's mindいるようであった。

自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した決心けっしんした resolved (to do something)。それである晩、あたりにひと peopleのいない時分時分じぶん time; hour思い切っておもって resolutely; decisively海のなか middle飛び込んだんだ jumped into。ところが――自分のあし feetが甲板を離れてはなれて be separated from、船とえん connection切れたれた was cut off; was at an endその刹那刹那せつな instantに、急にきゅうに suddenlyいのち life惜しくしく precious; dearなった。こころ heartそこ bottom; depthsからよせばよかったと思った。けれども、もう遅いおそい too late。自分は厭でも応でもいやでもおうでも like it or not海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に容易よういに easilyみず water着かないかない didn't reach; didn't arrive (at)。しかし捕まえるつかまえる take hold of; grab ontoものがないから、しだいしだいに水に近づいて来るちかづいてる approach; draw near to。いくら足を縮めてちぢめて shrink; draw inも近づいて来る。水の色は黒かったくろかった was black

そのうち船は例の通りれいとおり as before; as always黒いくろい blackけぶり smoke吐いていて expel; belch通り過ぎてとおぎて passed on; moved awayしまった。自分はどこへ行くく go (to)んだか判らないわからない don't know船でも、やっぱり乗っているほう alternative; choiceがよかったと始めてはじめて for the first time悟りながらさとりながら realize; comprehend、しかもその悟りを利用する利用りようする make use of事ができずに、無限の無限むげんの limitless; infinite後悔後悔こうかい regret恐怖恐怖きょうふ fearとを抱いていだいて embrace; harbor黒いなみ wavesの方へ静かにしずかに quietly落ちて行ったちてった fell down (toward); dropped (into)

第八第八だいはち 8th night


床屋床屋とこや barber shop敷居敷居しきい threshold跨いだらまたいだら step over; step across白いしろい white着物着物きもの kimono; outfit着てて wearかたまっていた三四人三四人さんよにん three or four people; several peopleが、一度に一度いちどに at once; in unisonいらっしゃいと云ったった said; called out

真中真中まんなか middle; center立ってって stand見廻す見廻みまわす look around; surveyと、四角な四角しかくな square部屋部屋へや roomである。まど window二方二方にほう two directions; two sides開いていて be opened in残るのこる remaining二方にかがみ mirrors懸ってかかって be hung; be suspendedいる。鏡のかず number勘定したら勘定かんじょうしたら take a count of六つむっつ six (items)あった。

自分自分じぶん oneself; Iその一つそのひとつ one of themまえ front of来てて came (to)腰をおろしたこしをおろした sat down。すると御尻御尻おしり backside; behind (body)がぶくりと云った。よほど坐り心地すわ心地ごこち feeling from sitting (in)好くできたくできた well-crafted椅子椅子いす chairである。鏡には自分のかお face立派に立派りっぱに splendidly; finely映ったうつった was reflected。顔のうしろ behind; in back ofには窓が見えたえた was visible。それから帳場格子帳場格子ちょうばごうし counting room lattice work斜にはすに obliquely; at an angle見えた。格子格子こうし lattice workなか insideにはひと person(s)がいなかった。窓のそと outside通るとおる pass by往来往来おうらい coming and goingの人のこし waistからうえ aboveがよく見えた。

庄太郎庄太郎しょうたろう Shōtarō (name)おんな woman連れてれて lead通る。庄太郎はいつの間にかいつのにか at some point (in time)パナマの帽子パナマの帽子ぼうし Panama hat買ってって buy被ってかぶって wear (on one's head)いる。女もいつの間に拵らえたこしらえた managed (to get)ものやら。ちょっと解らないわからない didn't know双方双方そうほう both partiesとも得意得意とくい proud; feeling triumphantのようであった。よく女の顔を見ようと思うおもう think (to do something)うちに通り過ぎてとおぎて passed by; were goneしまった。

豆腐屋豆腐屋とうふや tōfu vendor喇叭喇叭らっぱ horn; bugle吹いていて blow; sound (horn or bugle)通った。喇叭をくち mouthあてがってあてがって apply to; hold toいるんで、頬ぺたほっぺた cheeksはち bee螫されたされた be stung byように膨れてふくれて swell upいた。膨れたまんまで通り越したとおした passed byものだから、気がかりがかり concern; worryでたまらない。生涯生涯しょうがい one's lifetime; for life蜂に螫されているように思う。

芸者芸者げいしゃ geisha出たた appeared。まだ御化粧御化粧おつくり makeupをしていない。島田の根島田しまだ shimada knot (formal hair style)緩んでゆるんで be loose; be unravelled何だかなんだか somehowあたま head締りがないしまりがない seem unkempt; look disheveled。顔も寝ぼけてぼけて half asleepいる。色沢色沢いろつや (skin) color気の毒どく pitiable; wretchedなほど悪いわるい poor; inferior。それで御辞儀御辞儀おじぎ bow; gesture in greetingをして、どうも何とかですと云ったが、相手相手あいて the other partyはどうしても鏡の中へ出て来ないない didn't appear

すると白いしろい white着物着物きもの kimono; outfit着たた wore; was wearing大きなおおきな largeおとこ manが、自分自分じぶん oneself; I後ろうしろ behind; in back of来てて come (to); arrive (at)はさみ scissors; shearsくし comb持ってって hold; have自分のあたま head; hair眺め出したながした looked over; surveyed。自分は薄いうすい thin; sparseひげ mustache捩ってひねって twist、どうだろう物になるものになる come to something; be worthwhileだろうかと尋ねたたずねた inquired。白い男は、何にも云わずににもわずに without saying anything; without a word handに持った琥珀色の琥珀色こはくいろの amber (colored)櫛で軽くかるく lightly自分の頭を叩いたたたいた tapped

「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」と自分は白い男に聞いたいた asked。白い男はやはり何も答えずになにこたえずに without answering、ちゃきちゃきと鋏を鳴らし始めたらしはじめた let ring

かがみ mirror映るうつる be reflectedかげ shape; form一つひとつ one (thing)残らずのこらず without missing見るる watch; observeつもりで眼を睜ってみはって keep one's eyes peeledいたが、鋏の鳴るたんびに黒いくろい black hair飛んで来るんでる come flyingので、恐ろしくおそろしく frightfulなって、やがて眼を閉じたじた closed。すると白い男が、こう云ったった asked

旦那旦那だんな master; boss (used here as polite form of address)おもて out front金魚売金魚売きんぎょうり goldfish seller御覧なすった御覧ごらんなすった saw; noticed (honorific)か」

自分は見ないない didn't see; didn't noticeと云った。白い男はそれぎりで、しきりと鋏を鳴らしていた。すると突然突然とつぜん suddenly大きなこえ voice危険危険あぶねえ watch it!; look out!と云ったものがある。はっと眼を開けるける openと、白い男のそで sleeveした below; beneath自転車自転車じてんしゃ bicycle wheelが見えた。人力人力じんりき rickshaw (short for 人力車じんりきしゃ)梶棒梶棒かじぼう shafts (of a rickshaw)が見えた。と思うおもう realized; notedと、白い男が両手両手りょうて both handsで自分の頭を押えておさえて grasp; clampうんとよこ sideways向けたけた turned; directed (toward)。自転車と人力車はまるで見えなくなった。鋏のおと soundがちゃきちゃきする。

やがて、白い男は自分の横へ廻ってまわって came around (to)みみ earところ place; area刈り始めたはじめた began to trim。毛がまえ frontほう directionへ飛ばなくなったから、安心して安心あんしんして without worry眼を開けた。粟餅粟餅あわもち millet mochi (like rice cake, but made with glutinous millet)や、餅やあ、餅や、と云う声がすぐ、そこでする。小さいちいさい smallきね malletをわざとうす mortarへあてて、拍子を取って拍子ひょうしって keeping a rhythm餅を搗いていて pound (rice)いる。粟餅屋粟餅屋あわもちや millet mochi vendor子供子供こども childとき time; periodに見たばかりだから、ちょっと様子様子ようす situation; appearanceが見たい。けれども粟餅屋はけっして鏡のなか inside; within出て来ないない didn't appear。ただ餅を搗く音だけする。

自分自分じぶん oneself; Iはあるたけの視力視力しりょく visual powersかがみ mirrorかど edge覗き込むのぞむ peer intoようにして見たた looked; watched。すると帳場格子帳場格子ちょうばごうし counting room lattice workのうちに、いつの間にかいつのにか before one knows it一人一人ひとり one (person)おんな woman坐ってすわって sitいる。色の浅黒いいろ浅黒あさぐろい dark-complexioned眉毛眉毛まみえ eyebrows濃いい thick大柄な大柄おおがらな of large build; heavyset女で、かみ hair銀杏返し銀杏返いちょうがえし hairstyle from late Edo period (parted in front and tied behind in circular fashion)結ってって do up; fasten (hair)黒繻子黒繻子くろじゅす black satin半襟半襟はんえり (replaceable) neckpiece (for a kimono)のかかった素袷素袷すあわせ simple lined kimonoで、立膝立膝たてひざ sitting with one knee drawn upのまま、さつ bills; bank notes勘定勘定かんじょう countingをしている。札は十円札十円札じゅうえんさつ 10-yen billsらしい。女は長いながい longまつげ eyelashes伏せてせて turn down; cast downward薄いうすい thinくちびる lips結んでむすんで close tightly; purse (lips)一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with utmost effort、札のかず number; quantity読んでんで countいるが、その読み方かた manner of countingがいかにも早いはやい quick; rapid。しかも札の数はどこまで行ってって proceed; progress尽きるきる run out; come to an end様子様子ようす sign; indicationがない。ひざ lapうえ top of乗ってって rest onいるのはたかだか百枚百枚ひゃくまい a hundred (layers)ぐらいだが、その百枚がいつまで勘定しても百枚である。

自分は茫然として茫然ぼうぜんとして blankly; vacantlyこの女のかお faceと十円札を見つめていた。すると耳の元みみもと close to one's ear白いしろい (dressed in) whiteおとこ man大きな声おおきなこえ loud voiceで「洗いましょうあらいましょう (I'll) wash (your hair)」と云ったった stated; announced。ちょうどうまいおり chance; opportunityだから、椅子椅子いす chairから立ち上がるがる stand up (from)や否やいなや as soon as ...、帳場格子のほう directionふり返ってふりかえって turn back; turn around見た。けれども格子格子こうし latticeのうちには女も札も何にも見えなかったにもえなかった couldn't see anything

だい bill; account払ってはらって pay; settle (account)おもて out front出るる come out (to)と、門口門口かどぐち door; entrance左側左側ひだりがわ left sideに、小判小判こばん small oval gold coinなりなり form; shapeおけ bucket; basin五ついつつ five (things)ばかり並べてならべて be lined up; be set out (in a row)あって、そのなか inside赤いあかい red金魚金魚きんぎょ goldfishや、斑入の斑入ふいりの spotted; mottled金魚や、痩せたせた slender金魚や、肥ったふとった plump金魚がたくさん入れてれて put intoあった。そうして金魚売金魚売きんぎょうり goldfish sellerがそのうしろ behind; back sideにいた。金魚売は自分のまえ front ofに並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて頬杖ほおづえいて supporting one's chin in one's palms、じっとしている。騒がしいさわがしい noisy; boisterous往来往来おうらい road活動活動かつどう activityにはほとんど心を留めていないこころめていない pay no heed to。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めてながめて look on; gaze atいた。けれども自分が眺めているあいだ interval (of time)、金魚売はちっとも動かなかったうごかなかった didn't move; didn't stir

第九第九だいきゅう 9th night


世の中なか society; the world何となくなんとなく somehow; in some mannerざわつき始めたざわつきはじめた was becoming restless; was becoming unsettled今にもいまにも at any moment戦争戦争いくさ war起りそうおこりそう be imminent; be about to erupt見えるえる seems; appears (that)焼け出されたされた driven (out) by flames裸馬裸馬はだかうま unsaddled horse; unbridled horseが、夜昼となく夜昼よるひるとなく day and night; at all times屋敷屋敷やしき residence; estate周囲周囲まわり edge; perimeter暴れ廻るまわる run amok; rampageと、それを夜昼となく足軽共足軽共あしがるども foot soldiers犇きながらひしめきながら with a great clamor追かけておっかけて pursue; chase afterいるような心持心持こころもち atmosphere; moodがする。それでいていえ houseのうちは森として静かしんとしてしずか still and quietである。

家には若いわかい youngはは mother三つみっつ three (years old; two years old by Western counting)になる子供子供こども childがいる。ちち fatherはどこかへ行ったった went (off to)。父がどこかへ行ったのは、つき moon出ていないていない is not visible; does not appear夜中夜中よなか middle of the nightであった。とこ beddingうえ top of草鞋草鞋わらじ straw sandals穿いて穿いて put on (one's feet)黒いくろい black頭巾頭巾ずきん kerchief; bandana被ってかぶって put on; cover (one's head)勝手口勝手口かってぐち kitchen door; service entranceから出て行った。そのとき time; occasion母の持ってって carry; holdいた雪洞雪洞ぼんぼり paper-covered lantern light; lamp暗い闇くらやみ thick darkness; black of night細長く細長ほそながく in a narrow band射してして shone生垣生垣いけがき hedge手前手前てまえ near sideにある古いふるい oldひのき hinoki; Japanese cypress照らしたらした illuminated

父はそれきり帰って来なかったかえってなかった didn't return。母は毎日毎日まいにち every day三つになる子供に「御父様御父様おとうさま your fatherは」と聞いていて askいる。子供は何とも云わなかったなんともわなかった didn't say anything。しばらくしてから「あっち」と答えるこたえる answeredようになった。母が「いつ御帰り御帰おかえり coming come」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑ってわらって smileいた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉言葉ことば words何遍となく何遍なんべんとなく any number of times; over and over繰返して繰返くりかえして repeat教えたおしえた taught; instructed。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々時々ときどき sometimes; occasionallyは「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答えること case; instanceもあった。

よる eveningになって、四隣四隣あたり surroundings; vicinity静まるしずまる fall quietと、母はおび (kimono) sash締め直してなおして re-tighten; straighten鮫鞘鮫鞘さめざや sharkskin sheath短刀短刀たんとう short sword; daggerを帯のあいだ midst; within差してして insert; put into、子供を細帯細帯ほそおび narrow sash背中背中せなか back (part of the body)背負って背負しょって carry on one's back、そっと潜りくぐり side door; side gateから出て行くく go out; leave。母はいつでも草履草履ぞうり Japanese sandalsを穿いていた。子供はこの草履のおと soundを聞きながら母の背中で寝てしまうてしまう fall asleep事もあった。

土塀土塀つちべい earthen wall続いてつづいて continue; be unbrokenいる屋敷町屋敷町やしきちょう residential area西西にし west下ってくだって descend (toward)だらだら坂だらだらざか gentle slope降り尽くすくす follow all the way downと、大きなおおきな large銀杏銀杏いちょう gingko (tree)がある。この銀杏を目標目標めじるし signpost; landmarkみぎ right (side)切れるれる turn (toward)と、一丁一丁いっちょう 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)ばかりおく interior; withinいし stone鳥居鳥居とりい torii (Shinto shrine gate)がある。片側片側かたがわ one side田圃田圃たんぼ rice fieldsで、片側は熊笹熊笹くまざさ bamboo grassばかりのなか middle; midstを鳥居まで来てて come (to)、それを潜り抜けるくぐける pass throughと、暗いすぎ cedar木立木立こだち stand of trees; groveになる。それから二十間二十間にじゅっけん 20 ken (about 35 meters; about 40 yards)ばかり敷石伝いに敷石伝しきいしづたいに over paving stones突き当るあたる come to the end ofと、古いふるい old; ancient拝殿拝殿はいでん front shrine; hall of worship階段階段かいだん stepsした bottom ofに出る。鼠色鼠色ねずみいろ gray (lit: mouse color)洗い出されたあらされた washed out; faded; weathered賽銭箱賽銭箱さいせんばこ offertory boxの上に、大きなすず bellひも cord; ropeぶら下がってぶらがって hang down昼間昼間ひるま daytime見ると、その鈴のそば side; proximity八幡宮八幡宮はちまんぐう Hachimangū (shrine dedicated to the god of archery and war)と云うがく tablet; plaque懸ってかかって be posted; be placedいる。八の字はち the character for Hachiが、はと dove二羽二羽にわ two (birds)向いあったむかいあった face each otherような書体書体しょたい calligraphic style; stylized writingにできているのが面白い面白おもしろい noteworthy; of interest。そのほかにもいろいろの額がある。たいていは家中家中かちゅう clansman; retainerのものの射抜いた射抜いぬいた shot through; pierced金的金的きんてき gold target (small gold foil circle; smallest target in Japanese archery)を、射抜いたものの名前名前なまえ name添えたえた accompany; be together withのが多いおおい most common。たまには太刀太刀たち sword納めたおさめた be dedicated to; pay tribute toのもある。

鳥居鳥居とりい torii (Shinto shrine gate)潜るくぐる pass underすぎ cedarこずえ treetopsでいつでもふくろう owl鳴いていて call; hoot (owl)いる。そうして、冷飯草履冷飯ひやめし草履ぞうり worn sandals; tattered sandalsおと soundがぴちゃぴちゃする。それが拝殿拝殿はいでん front shrine; hall of worshipまえ front ofでやむと、はは motherはまずすず bell鳴らしてらして ringおいて、すぐにしゃがんで柏手を打つ柏手かしわでつ clap one's hands together in prayer。たいていはこのとき time; moment梟が急にきゅうに suddenly鳴かなくなる。それから母は一心不乱に一心いっしん不乱ふらんに wholeheartedly; intentlyおっと husband無事無事ぶじ safety祈るいのる pray for。母の考えかんがえ thoughts; manner of thinkingでは、夫がさむらい samuraiであるから、弓矢弓矢ゆみや bow and arrow; archeryかみ god八幡八幡はちまん Hachiman (god of archery and war)へ、こうやって是非ない是非ぜひない urgent; born of necessityがん prayer; petitionをかけたら、よもやよもや surely; certainly聴かれぬ道理はなかろうかれぬ道理どうりはなかろう there's no reason (it) should not be heard一図に一図いちずに intently; earnestly思いつめておもいつめて feel passionately about; be consumed withいる。

子供子供こども childはよくこの鈴の tone; ring (of a bell)眼を覚ましてまして wake up四辺四辺あたり surroundings見るる look at; take in真暗真暗まっくら total darknessだものだから、急に背中背中せなか back (part of the body)泣き出すす start to cryこと instance; occasionがある。その時母は口の内でくちなかで quietly; softly何かなにか something祈りながら、背を振ってって swaying one's back; rocking one's backあやそうとするあやそうとする try to pacify (a crying child)。すると旨くうまく successfully泣きやむ事もある。またますます烈しくはげしく intensely泣き立てるてる cry out; bawl事もある。いずれにしても母は容易に容易よういに easily; readily立たないたない stand up; straighten up (from prayer posture)

一通り一通ひととおり once over; once through夫の身の上うえ welfareを祈ってしまうと、今度今度こんど next細帯細帯ほそおび narrow sash解いていて loosen、背中の child摺りおろすりおろす let slip downように、背中からまえ front side廻してまわして bring around (to)両手両手りょうて both hands抱きながらきながら hold; embrace拝殿を上って行ってのぼってって ascend to、「好い子 good childだから、少しの間すこしの for a while待ってって waitおいでよ」ときっと自分の自分じぶんの one's ownほお cheekを子供の頬へ擦りつけるりつける brush against。そうして細帯を長くしてながくして unwind、子供を縛ってしばって tie (to)おいて、その片端片端かたはし other endを拝殿の欄干欄干らんかん balustrade括りつけるくくりつける fasten (to)。それから段々段々だんだん steps下りて来てりてて descend二十間二十間にじゅっけん 20 ken (about 35 meters; about 40 yards)敷石敷石しきいし paving stones往ったり来たりったりたり traverse御百度を踏む御百度おひゃくどむ walk back and forth between entrance and worship hall, a hundred times, offering a prayer each time

拝殿に括りつけられた子は、暗闇暗闇くらやみ darknessなか midstで、細帯のたけ lengthのゆるす限りかぎり to the extent that ...広縁広縁ひろえん broad verandaうえ surface這い廻ってまわって crawl aroundいる。そう云うそうう these kinds of時は母にとって、はなはだ楽ならくな easy; comfortableよる eveningである。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でないでない feel anxious。御百度のあし gait; pace非常に非常ひじょうに exceedingly早くはやく quick; hurriedなる。大変大変たいへん very much; greatly息が切れるいきれる be short of breath仕方のない仕方しかたのない have no other choice時は、中途で中途ちゅうとで halfway; midway (through)拝殿へ上って来てのぼってて ascend (to)、いろいろすかしてすかして coax; cajoleおいて、また御百度を踏み直すなおす start over事もある。

こう云う風にこうふうに in this manner幾晩となく幾晩いくばんとなく countless nights母が気を揉んでんで fret; grow anxious夜の目も寝ずにずに through sleepless nights心配していた心配しんぱいしていた worried over; worried aboutちち fatherは、とくのむかし long ago浪士のために浪士ろうしのために at the hand of a rōnin (lordless samurai)殺されてころされて was killedいたのである。

こんな悲いかなしい sorrowful (usually かなしい)はなし story; taleを、ゆめ dreamの中で母から聞いたいた heard (from)

第十第十だいじゅう 10th night


庄太郎庄太郎しょうたろう Shōtarō (name)おんな woman攫われてさらわれて be led away; be lured awayから七日目七日目なのかめ seventh dayばん eveningふらりとふらりと unexpectedly; without notice帰って来てかえってて returned; came back急にきゅうに immediately熱が出てねつて developed a fever; became feverishどっとどっと all of a sudden床に就いてとこいて take to one's bedいると云ってって say; tellけん Ken (name)さんが知らせに来たらせにた came to notify; came to report

庄太郎は町内一町内一ちょうないいち number one about town好男子好男子こうだんし handsome manで、至極至極しごく quite; exceedingly善良な善良ぜんりょうな good; virtuous正直者正直者しょうじきもの honest manである。ただ一つひとつ one (thing)道楽道楽どうらく pastime; favorite amusementがある。パナマの帽子パナマの帽子ぼうし Panama hat被ってかぶって wear (on one's head)夕方夕方ゆうがた evening; duskになると水菓子屋水菓子屋みずがしや fruit market店先店先みせさき storefront; shopfront腰をかけてこしをかけて sit down (on something)往来往来おうらい coming and going; passing byの女のかお faces眺めてながめて gaze atいる。そうしてしきりにしきりに intently; keenly感心して感心かんしんして admireいる。そのほかにはこれと云うほどの特色特色とくしょく idiosyncrasyもない。

あまり女が通らないとおらない not pass by; not be aboutとき timesは、往来を見ないでないで without watching水菓子水菓子みずがし fruitを見ている。水菓子にはいろいろある。水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesや、林檎林檎りんご applesや、枇杷枇杷びわ loquatsや、バナナを綺麗に綺麗きれいに nicely; beautifullyかご basket盛ってって fill up; heap、すぐ見舞物見舞物みやげもの gift; present持って行けるってける can be taken (as)ように二列二列にれつ two rows並べてならべて line up; set outある。庄太郎はこの籠を見ては綺麗だと云っている。商売商売しょうばい business; tradeをするなら水菓子屋に限るかぎる can only be ...; has to be ...と云っている。そのくせ自分自分じぶん oneselfはパナマの帽子を被ってぶらぶら遊んでぶらぶらあそんで loll about; idle one's timeいる。

このいろ colorがいいと云って、夏蜜柑夏蜜柑なつみかん summer mandarinなどを品評する品評ひんぴょうする rate; evaluate; assessこと instancesもある。けれども、かつてかつて (never) yet; (never) beforeぜに coin; money出してして take out水菓子を買ったった bought事がない。ただでは無論無論むろん of course食わないわない doesn't eat。色ばかり賞めてめて praise; speak well ofいる。

ある夕方一人一人ひとり one (person)の女が、不意に不意ふいに suddenly; unexpectedly店先に立ったった appeared; stopped身分のある身分みぶんのある of social standing; of import人と見えて立派な立派りっぱな fine; splendid服装服装ふくそう dress; clothingをしている。その着物着物きもの kimonoの色がひどく庄太郎の気に入ったった met with one's favor; was to one's likingその上そのうえ on top of that; furthermore庄太郎は大変大変たいへん terribly; to a great degree女の顔に感心してしまった。そこで大事な大事だいじな dear to one; prizedパナマの帽子を脱ってって take off; remove丁寧に丁寧ていねいに politely; gallantly挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationをしたら、女は籠詰籠詰かごづめ packaged in a basket一番一番いちばん number one; most大きいおおきい largeのを指してして point to、これを下さいください please (give me)と云うんで、庄太郎はすぐその籠を取ってって take; pick up渡したわたした handed; passed over。すると女はそれをちょっと提げてげて hold; carry見て、大変重いおもい heavy事と云った。

庄太郎は元来元来がんらい essentially; by nature閑人閑人ひまじん man of leisureの上に、すこぶる気作な気作きさくな open-hearted; good-naturedおとこ manだから、ではお宅たく your house; your home (honorific)まで持って参りましょうってまいりましょう shall I carry; shall I bringと云って、女といっしょに水菓子屋を出た。それぎり帰って来なかったかえってなかった didn't come back

いかないかな however much ...庄太郎でも、あんまり呑気過ぎる呑気過のんきすぎる too reckless; too heedless只事只事ただごと trivial matter; ordinary occurrenceじゃ無かろうじゃかろう couldn't be; is hard to imagine asと云って、親類親類しんるい family; relations友達友達ともだち friends騒ぎ出してさわして be up in arms; raise the alarmいると、七日目の晩になって、ふらりと帰って来た。そこで大勢大勢おおぜい many people; a large crowd寄ってたかってってたかって gathered togetherしょう Shō (short for Shōtarō)さんどこへ行ってって go off (to)いたんだいと聞くく ask; inquireと、庄太郎は電車電車でんしゃ (electric) train乗ってって board; get onやま mountainsへ行ったんだと答えたこたえた answered

何でもなんでも at any rateよほど長いながい long電車電車でんしゃ (electric) train (ride)に違いないちがいない there's no doubt ...庄太郎庄太郎しょうたろう Shōtarō (name)云うう tell; conveyところによると、電車を下りるりる descend from; get off (a train)とすぐとはら prairie; grassland出たた came out (onto)そうである。非常に非常ひじょうに extremely広いひろい wide; vast原で、どこを見廻して見廻みまわして look around; survey青いあおい greenくさ grassばかり生えてえて growいた。おんな womanといっしょに草のうえ top of歩いて行くあるいてく walk; go on footと、急にきゅうに suddenly絶壁絶壁きりぎし precipice; cliff天辺天辺てっぺん top ofへ出た。そのとき time; occasion女が庄太郎に、ここから飛び込んで御覧なさいんで御覧ごらんなさい try jumping (from)と云った。そこ bottom覗いてのぞいて look down into見ると、切岸切岸きりぎし cliffは見えるが底は見えない。庄太郎はまたパナマの帽子パナマの帽子ぼうし Panama hat脱いでいで take off; remove再三再三さいさん time and again; repeatedly辞退した辞退じたいした declined。すると女が、もし思い切っておもって boldly; decisively飛び込まなければ、ぶた pig舐められますめられます be licked好うござんすかうござんすか is that preferable; is that your choice聞いたいた asked。庄太郎は豚と雲右衛門雲右衛門くもえもん Tōchūken Kumoemon (1873-1916; rōkyoku recitalist whose performances aroused nationalist sentiment during the Russo-Japanese War)大嫌大嫌だいきらい abhorrence (to something); extreme dislikeだった。けれども命には易えられないいのちにはえられない wouldn't lose one's life (over a matter); wouldn't trade one's life (for something)思っておもって thought; decided、やっぱり飛び込むのを見合せて見合みあわせて postpone; deferいた。ところへ豚が一匹一匹いっぴき one (animal)鼻を鳴らしてはならして snorting; grunting来たた came; approached。庄太郎は仕方なしに仕方しかたなしに having no other recourse持ってって hold; carryいた細いほそい slender檳榔樹檳榔樹びんろうじゅ betel palm洋杖洋杖ステッキ walking stick; caneで、豚の鼻頭鼻頭はなづら muzzle; snout打ったった struck。豚はぐうと云いながら、ころりところりと easily; without effort引っ繰り返ってかえって topple over; tumble、絶壁のした below落ちて行ったちてった went falling down。庄太郎はほっと一と息接いでほっといきいで breathe a sigh of reliefいるとまた一匹の豚が大きなおおきな big; largeはな snoutを庄太郎に擦りつけに来たりつけにた came to rub against。庄太郎はやむをえずやむをえず of necessity; having no other choiceまた洋杖を振り上げたげた raised overhead; swung overhead。豚はぐうと鳴いてまた真逆様に真逆様まっさかさまに upside down; head over hoovesあな hole; voidの底へ転げ込んだころんだ tumbled into。するとまた一匹あらわれた。この時庄太郎はふと気がついてがついて take notice; realize向うこう the distanceを見ると、はるか far off青草原青草原あおくさばら green prairie尽きるきる come to an end; fade awayあたり regionから幾万匹か幾万匹いくまんびきか some tens of thousands (of animals)数え切れぬかぞれぬ innumerable; endless豚が、むれ herdをなして一直線に一直線いっちょくせんに straightaway; directly、この絶壁の上に立ってって standいる庄太郎を目懸けて目懸めがけて heading toward鼻を鳴らしてくる。庄太郎はしん one's coreから恐縮した恐縮きょうしゅくした was terrified; was gripped by fear。けれども仕方がないから、近寄ってくる近寄ちかよってくる approach豚の鼻頭を、一つ一つひとひとつ one by one丁寧に丁寧ていねいに with a light touch檳榔樹の洋杖で打っていた。不思議な不思議ふしぎな curious; strangeこと fact; thingに洋杖が鼻へ触りさわり touch; contactさえすれば豚はころりとたに valley; creviceの底へ落ちて行く。覗いて見ると底の見えない絶壁を、逆ささかさ upside downになった豚が行列して行列ぎょうれつして lined up; in procession落ちて行く。自分自分じぶん oneselfがこのくらい多くのおおくの numerous豚を谷へ落したかと思うと、庄太郎は我ながら怖くなったわれながらこわくなった shudder (in fear) at one's own doings。けれども豚は続々続々ぞくぞく one after another; incessantlyくる。黒雲黒雲こくうん black cloudあし legsが生えて、青草青草あおくさ green grass踏み分けるける push one's way throughような勢いいきおい energy; vigor無尽蔵無尽蔵むじんぞう endless supplyに鼻を鳴らしてくる。

庄太郎は必死必死ひっし desperationゆう bravery; courageふるってふるって exercise; wield、豚の鼻頭を七日七日なのか seven days六晩六晩むばん six nights叩いたたたいた struck; beat。けれども、とうとう精根精根せいこん energy; vitalityが尽きて、 hands蒟蒻蒟蒻こんにゃく konnyaku (jelly)のように弱ってよわって weaken、しまいに豚に舐められてしまった。そうして絶壁の上へ倒れたたおれた collapsed

けん Ken (name)さんは、庄太郎のはなし storyをここまでして、だからあんまり女を見るのは善くないくない not goodよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいもらいたい want to get; want to haveと云っていた。

庄太郎は助かるまいたすかるまい likely won't pull through; is unlikely to make it。パナマは健さんのものだろう。