裏裏 back (side)から回って回って come around (from)ばあさんに聞く聞く ask; inquireと、ばあさんが小さな小さな small; quiet (voice)声声 voiceで、与次郎与次郎 Yojirō (name)さんはきのうからお帰りなさらないお帰りなさらない didn't return; didn't come homeと言う言う say; communicate。三四郎三四郎 Sanshirō (name)は勝手口勝手口 kitchen door; service entranceに立って立って stand (in)考えた考えた thought; considered。ばあさんは気をきかして気をきかして exercise tact; employ good sense、まあおはいりなさい。先生先生 professorは書斎書斎 studyにおいでですからと言いながら、手手 handsを休めずに休めずに without resting、膳椀膳椀 dishesを洗って洗って washいる。今今 (just) now晩食晩食 evening meal; dinnerがすんだばかりのところらしい。
三四郎は茶の間茶の間 tea room; hearth roomを通り抜けて通り抜けて pass through、廊下伝いに廊下伝いに along the corridor書斎の入口入口 entranceまで来た来た came (to)。戸戸 doorがあいている。中中 inside; withinから「おい」と人人 a personを呼ぶ呼ぶ call to声がする。三四郎は敷居敷居 thresholdのうちへはいった。先生は机机 deskに向かって向かって face; be turned (toward)いる。机の上上 top ofには何何 whatがあるかわからない。高い高い tall; extended背背 backが研究研究 workを隠して隠して hide; block from viewいる。三四郎は入口に近く近く close (to)すわって、
「やあ、与次郎かと思ったら思ったら thought、君君 youですか、失敬した失敬した pardon; sorry (about that)」と言って、席を立った席を立った rose from (his) chair。机の上には筆筆 brushと紙紙 paperがある。先生は何か書いて書いて write; composeいた。与次郎の話にの話に according to ...、うちの先生は時々時々 sometimes; occasionally何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者者 personsが読んで読んで readもちっともわからない。生きて生きて be alive; be livingいるうちに、大著述大著述 great work; master treatiseにでもまとめられれば結構結構 fine; splendidだが、あれで死んで死んで die; pass awayしまっちゃあ、反古反古 wastepaperがたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息して嘆息して sigh; lamentいたことがある。三四郎は広田広田 (Professor) Hirotaの机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した思い出した remembered; recalled。
「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事用事 business; affairs; matters of importanceでもありません」
「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に急に quickly片づける片づける take care of; finishたちたち quality; natureのものをやっていたんじゃない」
三四郎はちょっと挨拶挨拶 reply; responseができなかった。しかし腹のうちでは腹のうちでは down inside; to oneself、この人のような気分気分 mood; temperamentになれたら、勉強も楽に楽に comfortably; with easeできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。
「じつは佐々木佐々木 Sasaki (Yojirō's family name)君君 (suffix of familiarity for males)のところへ来たんですが、いなかったものですから……」
「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して漂泊して wander; roam困る困る be cause for concern」
「気楽気楽 easygoing; carefreeならいいけれども。与次郎与次郎 Yojirō (name)のは気楽なのじゃない。気が移るの気が移るの freewheeling; fickleで――たとえば田田 rice fieldの中中 middleを流れて流れて flow (through)いる小川小川 small river; streamのようなものと思って思って think of (as); considerいれば間違いはない間違いはない would not be a mistake; would be accurate。浅くて浅くて shallow狭い狭い narrow。しかし水水 waterだけはしじゅうしじゅう continuously (= 始終)変って変って change; be in transitionいる。だから、する事事 matters; affairsが、ちっとも締まりがない締まりがない are not brought to conclusion。縁日縁日 temple festivalへひやかしひやかし window shopping; browsingになど行く行く goと、急に急に suddenly思い出した思い出した rememberedように、先生先生 Professor松松 (dwarf) pineを一鉢一鉢 one potお買いなさいお買いなさい please buyなんて妙な妙な curious; oddことを言う言う say; bring up。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って値切って bargain; negotiate the price down買ってしまう。その代りその代り on the one hand縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く安く at a low price買える。そうかと思うと、夏夏 summerになってみんなが家家 houseを留守留守 absence; being away (from home)にするときなんか、松を座敷座敷 living room; parlorへ入れた入れた put into; place inまんま雨戸雨戸 storm doorsをたてて錠をおろして錠をおろして lock upしまう。帰って帰って return (home)みると、松が温気温気 heat; sultry airでむれてむれて molderまっ赤まっ赤 bright redになっている。万事万事 all thingsそういうふうでまことに困る困る be troubled; be at one's wits' end」
実実 the truthをいうと三四郎三四郎 Sanshirō (name)はこのあいだ与次郎に二十円二十円 twenty yen貸した貸した loaned。二週間二週間 two weeks後後 later; henceには文芸時評文芸時評 Literary Review (magazine)社社 companyから原稿料原稿料 payment for a manuscriptが取れる取れる will receiveはずだから、それまで立替えて立替えて front; advance (money to someone)くれろと言う。事理事理 reasonを聞いて聞いて ask; inquireみると、気の毒気の毒 unfortunate; pitiableであったから、国国 home country; one's native placeから送って送って sent; remittedきたばかりの為替為替 money orderを五円五円 five yen引いて引いて subtract; take out、余り余り the rest; the remainderはことごとくことごとく all; in its entirety貸してしまった。まだ返す返す return; pay back期限期限 term; periodではないが、広田の話話 talk; storyを聞いてみると少々少々 a bit; somewhat心配心配 worry; concernになる。しかし先生にそんな事は打ち明けられない打ち明けられない cannot divulgeから、反対に反対に conversely、
「でも佐々木佐々木 Sasaki (Yojirō's family name)君君 (suffix of familiarity for males)は、大いに大いに greatly先生に敬服して敬服して have admiration (for); hold in high esteem、陰陰 background; behind the scenesでは先生のためになかなか尽力尽力 efforts; endeavorしています」と言うと、先生はまじめになって、
「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる偉大なる great; mighty暗闇暗闇 darkness; void」その他その他 (and) othersすべて広田先生広田先生 Professor Hirotaに関する関する concerning与次郎の所為所為 activities; doingsは、先生に話してはならないと、当人当人 the person in questionから封じられて封じられて be sworn to silenceいる。やりかけた途中途中 in the middle ofでそんな事が知れる知れる become known; come to lightと先生にしかられるにきまってるから黙って黙って keep silentいるべきだという。話していい時時 time; occasionにはおれが話すと明言して明言して state clearlyいるんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてそらして avert; turn away (from)しまった。
三四郎三四郎 Sanshirō (name)が広田広田 (Professor) Hirotaの家家 houseへ来る来る come (to); visitにはいろいろな意味意味 meaning; senseがある。一つ一つ one (thing)は、この人人 personの生活生活 life; lifestyleその他その他 and other thingsが普通普通 ordinary; usualのものと変っている変っている be different。ことに自分の自分の one's own性情性情 nature; dispositionとはまったく容れない容れない not consistent with; not compatible withようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心好奇心 curiosityから参考参考 reference; consultationのため研究研究 study; investigationに来る。次次 nextにこの人の前前 before; front ofに出る出る appearとのん気のん気 at ease; carefreeになる。世の中世の中 society; the worldの競争競争 competitionがあまり苦苦 concern; source of anxietyにならない。野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんも広田先生広田先生 Professor Hirotaと同じく同じく in the same manner世外世外 aloofness; detachmentの趣趣 tenor; appearanceはあるが、世外の功名心功名心 ambition; aspirationのために、流俗流俗 conventional; mainstreamの嗜欲嗜欲 appetite for; fondness ofを遠ざけて遠ざけて keep away from; abstain fromいるかのように思われる思われる it seemed that。だから野々宮さんを相手相手 companion; the other partyに二人ぎり二人ぎり two (people) aloneで話して話して talk; converseいると、自分自分 oneselfもはやく一人前の一人前の competent; fully capable仕事仕事 workをして、学海学海 academic world; learned circlesに貢献しなくては済まない貢献しなくては済まない must contribute to; must make one's markような気気 feelingが起こる起こる arise; occur。いらついてたまらないいらついてたまらない be nerve-wracked。そこへゆくと広田先生は太平太平 peace; tranquilityである。先生は高等学校高等学校 high school (equivalent to modern-day college)でただ語学語学 foreign language studyを教える教える teachだけで、ほかになんの芸芸 skill; accomplishmentもない――といっては失礼失礼 discourtesyだが、ほかになんらの研究も公けにしない公けにしない not disclose; not make public。しかも泰然と泰然と calmly; self-possessed取り澄まして取り澄まして look contentいる。そこに、こののん気の源源 source; originは伏在して伏在して lie concealedいるのだろうと思う。三四郎は近ごろ近ごろ recently女女 young ladyにとらわれたとらわれた be captured by; be slave to。恋人恋人 sweetheartにとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでさげすんで despise; look down onいいんだか、よすべきよすべき should stop; should desistだか、続けべき続けべき should continueだかわけのわからないとらわれ方とらわれ方 manner of captivationである。三四郎はいまいましくいまいましく vexed; confoundedなった。そういう時時 times; occasionsは広田さんにかぎる。三十分三十分 thirty minutesほど先生と相対して相対して keep company withいると心持ち心持ち feeling; moodが悠揚悠揚 calm; composedになる。女の一人一人 one (person)や二人どうなってもかまわないと思う。実実 truthをいうと、三四郎が今夜今夜 this evening出かけてきたのは七分方七分方 for the most part; by and large (lit: seven tenths)この意味である。
「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろ近ごろ recent timesの青年青年 youthは我々我々 we; us時代時代 age; (time) periodの青年と違って違って different (from)自我自我 self; egoの意識意識 consciousness; awarenessが強すぎて強すぎて too strongいけない。我々の書生書生 studentをしているころには、する事なす事一としてする事なす事一として in everything (we) did他他 others; other peopleを離れたことはなかった。すべてが、君君 sovereign; rulerとか、親親 parentsとか、国国 region; countryとか、社会社会 society; communityとか、みんな他本位本位 standard; principle; basisであった。それを一口に一口に in a word; in shortいうと教育教育 educationを受ける受ける receiveものがことごとくことごとく one and all偽善家偽善家 hypocriteであった。その偽善偽善 hypocrisyが社会の変化変化 change; transformationで、とうとう張り通せなくなった張り通せなくなった became unsustainable結果結果 (as a) result (of)、漸々漸々 gradually; by degrees自己自己 self; oneself本位を思想思想 thought; ideology行為行為 acts; conductの上上 top ofに輸入する輸入する import; introduceと、今度今度 this timeは我意識我意識 self awarenessが非常に非常に exceedingly発展しすぎて発展しすぎて overdevelopしまった。昔昔 former timesの偽善家に対してに対して in contrast to、今今 now; the presentは露悪家露悪家 raw agent; non-pretender; self-professed deviantばかりの状態状態 circumstances; situationにある。――君君 you (used here as form of address)、露悪家という言葉言葉 word; term; expressionを聞いたことがありますか」
「いいえ」
「今ぼくが即席に即席に on the spot; off the cuff作った作った created; came up with言葉だ。君もその露悪家の一人一人 one member――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎与次郎 Yojirō (name)のごときにいたるとその最たる最たる quintessential; conspicuousものだ。あの君の知ってる知ってる be acquainted with里見里見 Satomi (Mineko's family name)という女女 young ladyがあるでしょう。あれも一種一種 one type (of)の露悪家で、それから野々宮の妹妹 younger sisterね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い面白い interesting; intriguing。昔は殿様殿様 feudal lordと親父親父 one's father; one's bossだけが露悪家ですんでいたが、今日今日 today; the presentでは各自各自 each individual同等同等 equalの権利権利 rights; privilegeで露悪家になりたがる。もっとも悪い悪い bad; unfavorable事でもなんでもない。臭い臭い smelly; stinkingものの蓋蓋 lidをとれば肥桶肥桶 night-soil bucket; manure bucketで、見事な見事な splendid; magnificent形式形式 form; appearanceをはぐとたいていは露悪露悪 exposing the ugly sideになるのは知れ切って知れ切って is common knowledge; is widely knownいる。形式だけ見事だって面倒面倒 trouble; botherなばかりだから、みんな節約して節約して save (effort); economize木地木地 unfinished woodだけで用を足して用を足して accomplish a taskいる。はなはだ痛快痛快 thrilling; exhilaratingである。天醜爛漫天醜爛漫 candid ugliness (word play on 天真爛漫 = simplicity; innocence)としている。ところがこの爛漫爛漫 full bloom; full gloryが度度 degree; extentを越す越す exceedと、露悪家同志同志 comrades; kindred soulsがお互いにお互いに mutually; with respect to each other不便不便 incommodiousnessを感じて感じて feel; perceiveくる。その不便がだんだん高じて高じて heighten; intensify極端極端 extremeに達した達した reached; progressed to時利他主義利他主義 altruismがまた復活する復活する be revived; return。それがまた形式に流れて流れて tend toward腐敗する腐敗する be corrupted; become rottenとまた利己主義利己主義 egoismに帰参する帰参する revert to。つまり際限際限 limits; boundsはない。我々はそういうふうにして暮らして暮らして live; pass one's daysゆくものと思えば思えば think of; consider (as)さしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する進歩する progress; advance。英国英国 Englandを見たまえ見たまえ take a look as。この両主義両主義 both principlesが昔からうまく平衡平衡 balance; equilibriumがとれている。だから動かない動かない doesn't move; goes nowhere。だから進歩しない。イブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)も出なければ出なければ does not appear; does not ariseニイチェニイチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche (German philosopher; 1844–1900)も出ない。気の毒な気の毒な unfortunate; pitiableものだ。自分自分 oneselfだけは得意得意 proud; self-satisfiedのようだが、はたから見れば堅くなって堅くなって become stiff; become rigid、化石化石 fossilization; petrifactionしかかっている。……」
三四郎三四郎 Sanshirō (name)は内心内心 inwardly; to oneself感心した感心した felt admiration; was impressedようなものの、話話 conversationがそれてそれて wander; go astrayとんだとんだ unexpectedところへ曲がって曲がって turn (toward)、曲がりなりに太くなってゆく太くなってゆく gain breadthので、少し少し a little; a bit驚いて驚いて be surprisedいた。すると広田広田 (Professor) Hirotaさんもようやく気がついた気がついた took notice; realized。
「形式形式 form; appearanceだけは親切にかなってかなって meet the criteria ofいる。しかし親切自身自身 itselfが目的目的 objectiveでない場合」
「そんな場合があるでしょうか」
「君、元日元日 New Year's Dayにおめでとうおめでとう (wishing you) happiness; successと言われて、じっさいおめでたい気気 feelingがしますか」
「そりゃ……」
「しないだろう。それと同じくそれと同じく in the same way腹腹 bellyをかかえて笑う笑う laughだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人一人 one (person)だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目にお役目に perfunctorily; from a mere sense of duty親切をしてくれるのがある。ぼくが学校学校 schoolで教師教師 instructorをしているようなものでね。実際の実際の actual目的目的 goal; objectiveは衣食衣食 food and clothing; one's livelihoodにあるんだから、生徒生徒 studentsから見たら見たら look at; seeさだめてさだめて surely; no doubt不愉快だろう。これに反してこれに反して conversely; on the other hand与次郎与次郎 Yojirō (name)のごときは露悪党露悪党 the deviant factionsの領袖領袖 leader; chiefだけに、たびたびぼくに迷惑をかけて迷惑をかけて annoy; cause trouble for、始末におえぬ始末におえぬ unmanageable; incorrigibleいたずら者いたずら者 troublemakerだが、悪気悪気 ill will; evil intentがない。可愛らしい可愛らしい charming; endearingところがある。ちょうどアメリカ人アメリカ人 Americansの金銭金銭 moneyに対して露骨な露骨な frank; openのと一般一般 generally the same (as)だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為行為 doings; conductほど正直な正直な honest; candidものはなくって、正直ほど厭味のない厭味のない unaffected; pleasingものはないんだから、万事万事 all things正直に出られない出られない cannot approach; cannot engageような我々時代我々時代 our generation; my generationの、こむずかしい教育教育 educationを受けた受けた receivedものはみんな気障気障 affected; pretentiousだ」
ここまでの理屈理屈 logic; reasoning; argumentは三四郎三四郎 Sanshirō (name)にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下目下 at present痛切な痛切な acute; poignant問題問題 problem; difficultyは、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に実際に actually; in fact交渉交渉 connection; interactionのある、ある格段な格段な particular; special相手相手 companion; other partyが、正直正直 forthright; sincereか正直でないかを知りたい知りたい want to know; need to knowのである。三四郎は腹の中で腹の中で inwardly; to oneself美禰子美禰子 Mineko (name)の自分自分 oneselfに対するに対する with respect to; in relation to素振素振 behavior; bearingをもう一ぺんもう一ぺん one more time考えて考えて consider; think overみた。ところが気障気障 affected; pretentiousか気障でないかほとんど判断判断 judgment; discernmentができない。三四郎は自分の感受性感受性 sensibility; receptivityが人一倍人一倍 more than others; especially鈍い鈍い dull; obtuseのではなかろうかと疑いだした疑いだした began to question (whether ...)。
「うん、まだある。この二十世紀二十世紀 twentieth centuryになってから妙な妙な odd; curiousのが流行る流行る be prevalent; become common。利他本位利他本位 altruistic principlesの内容内容 matter; substanceを利己本位利己本位 egoistic principlesでみたすみたす satisfy; fulfillというむずかしいやり口やり口 method; meansなんだが、君君 you (used here a form of address)そんな人人 personに出会った出会った encounteredですか」
「どんなのです」
「ほかの言葉言葉 words; expressionでいうと、偽善偽善 hypocrisyを行う行う carry outに露悪露悪 exposing the ugly side; open deviancyをもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方説明し方 way of explainingが悪い悪い no good; inadequateようだ。――昔昔 earlier timesの偽善家偽善家 hypocriteはね、なんでも人によく思われたい思われたい be regarded; be thought of (as)が先に立つ先に立つ first and foremostんでしょう。ところがその反対反対 opposite; converseで、人の感触感触 sensibilityを害する害する disturb; offendために、わざわざ偽善をやる。横横 side; sidewaysから見て見て look at; viewも縦縦 up and downから見ても、相手には偽善としか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ち心持ち feeling; impressionがする。そこで本人本人 the person in questionの目的目的 objectiveは達せられる達せられる be achieved。偽善を偽善そのままで先方先方 the other partyに通用させよう通用させよう apply; put to use (on)とする正直なところが露悪家露悪家 self-professed deviantの特色特色 idiosyncrasyで、しかも表面上表面上 on the surfaceの行為言語行為言語 words and deedsはあくまでも善善 virtuous; benevolentに違いないに違いない are without doubt ...から、――そら、二位一体二位一体 two in one (play on 三位一体 = Trinity)というようなことになる。この方法方法 methodを巧妙に巧妙に cleverly; deftly用いる用いる use; apply者者 personsが近来近来 recently; of lateだいぶふえてきたようだ。きわめて神経神経 nerves; sensitivityの鋭敏鋭敏 sharp; keenになった文明文明 cultured人種人種 type (of person)が、もっとも優美に優美に elegantly; with grace露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ血を出さなければ without spilling blood人が殺せない殺せない can't killというのはずいぶん野蛮な野蛮な barbaric話話 talkだからな君、だんだん流行らなくなる」
広田先生広田先生 Professor Hirotaの話し方話し方 manner of speakingは、ちょうど案内者案内者 guideが古戦場古戦場 ancient battlefieldを説明する説明する explainようなもので、実際実際 realityを遠くから遠くから from a distanceながめた地位地位 positionにみずからを置いて置いて set; placeいる。それがすこぶる楽天の楽天の sanguine趣趣 tenor; tendency towardがある。あたかも教場教場 classroomで講義講義 lectureを聞く聞く hear; listen toと一般一般 generally the same (as)の感感 feeling; impressionを起こさせる起こさせる give rise to。しかし三四郎三四郎 Sanshirō (name)にはこたえた。念頭念頭 one's mindに美禰子美禰子 Mineko (name)という女女 young ladyがあって、この理論理論 theoryをすぐ適用できる適用できる can applyからである。三四郎は頭頭 head; mindの中中 insideにこの標準標準 standardを置いて、美禰子のすべてを測って測って measure; assessみた。しかし測り切れない測り切れない cannot manage to assessところがたいへんある。先生先生 professorは口を閉じて口を閉じて stop speaking、例のごとく例のごとく as usual; as is one's habit鼻鼻 nose; nostrilsから哲学の哲学の philosophical煙煙 smokeを吐き始めた吐き始めた began to expel。
ところへ玄関玄関 entrance hall; entrywayに足音足音 sound of footstepsがした。案内も乞わずに乞わずに without soliciting; without requesting廊下伝い廊下伝い along the corridorにはいって来るはいって来る come in; enter。たちまち与次郎与次郎 Yojirō (name)が書斎書斎 studyの入口入口 entrance; doorwayにすわって、
「原口原口 Haraguchi (name)さんがおいでになりました」と言う言う said; announced。ただ今帰りましたただ今帰りました I'm homeという挨拶挨拶 greeting; salutationを省いて省いて dispense withいる。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいなぞんざいな rough; slapdash目礼目礼 nod (in greeting); acknowledgementをしたばかりですぐに出ていった出ていった went out; left。
与次郎と敷居敷居 thresholdぎわですれ違ってすれ違って pass (in opposite directions); brush by、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式フランス式 French (style)の髭髭 mustacheをはやして、頭を五分刈五分刈 close-cropped (haircut)にした、脂肪の多い脂肪の多い corpulent; portly男男 manである。野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんより年年 years; ageが二つ三つ二つ三つ two or three上上 older (in age)に見える見える appear (to be)。広田先生よりずっときれいな和服和服 Japanese clothes; Japanese-style dressを着て着て wearいる。
「やあ、しばらく。今今 now; the presentまで佐々木佐々木 Sasaki (Yojirō's family name)が家家 one's homeへ来ていてね。いっしょに飯飯 dinnerを食ったり食ったり eat何か何か somethingして――それから、とうとう引っ張り出されて引っ張り出されて be dragged along……」とだいぶ楽天的な楽天的な cheerful; happy-go-lucky口調口調 tone (of voice)である。そばにいるとしぜん陽気陽気 in fine spirits; upliftedになるような声声 voiceを出す出す put forth。三四郎は原口という名前名前 nameを聞いた時時 time; momentから、おおかたあの画工画工 painter; artistだろうと思って思って thought; assumedいた。それにしても与次郎は交際家交際家 society manだ。たいていな先輩先輩 superior; alumnusとはみんな知合い知合い acquaintanceになっているからえらいと感心して感心して be impressed堅くなった堅くなった showed reserve。三四郎は年長者年長者 senior; elderの前前 front ofへ出る出る appearと堅くなる。九州流九州流 Kyūshū styleの教育教育 education; upbringingを受けた受けた received結果結果 consequence ofだと自分自分 oneselfでは解釈して解釈して interpret; construeいる。
やがて主人主人 master (of the house)が原口原口 Haraguchi (name)に紹介紹介 introductionしてくれる。三四郎三四郎 Sanshirō (name)は丁寧に丁寧に politely; respectfully頭を下げた頭を下げた bowed。向こう向こう the other partyは軽く軽く lightly会釈した会釈した nodded。三四郎はそれから黙って黙って remain silent二人二人 two (people)の談話談話 talk; conversationを承って承って hear; listen toいた。
原口さんはまず用談用談 business matterから片づける片づける take care ofと言って言って say; state、近いうち近いうち shortly; soonに会会 gathering; partyをするから出てくれ出てくれ please come; please take partと頼んで頼んで requestいる。会員会員 membersと名のつく名のつく be renownedほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知通知 notice; inviteを出す出す send out (to)ものは、文学者文学者 writersとか芸術家芸術家 artistsとか、大学大学 universityの教授教授 professorsとか、わずかな人数人数 number of peopleにかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合い知り合い acquaintanceのあいだだから、形式形式 formalityはまったく不必要不必要 unnecessaryである。目的目的 objective; purposeはただおおぜい寄って寄って come together晩餐晩餐 dinnerを食う食う eat。それから文芸文芸 art and literature上上 concerning ...有益な有益な beneficial; worthwhile談話を交換する交換する exchange。そんなものである。
広田先生広田先生 Professor Hirotaは一口一口 in a word; simply「出よう出よう (I'll) attend」と言った。用事用事 businessはそれで済んで済んで be concludedしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後後 afterの原口さんと広田先生の会話会話 conversationがすこぶるおもしろかった。
広田先生が「君君 you近ごろ近ごろ recently何何 whatをしているかね」と原口さんに聞く聞く ask; inquireと、原口さんがこんな事こんな事 as followsを言う。
「やっぱり一中節一中節 itchūbushi (style of doleful narrative singing, often accompanied by shamisen)を稽古して稽古して practiceいる。もう五つ五つ five (things)ほど上げた上げた (chalked) up; mastered。花紅葉吉原八景花紅葉吉原八景 'Flowers and Fall Colors - Eight Yoshiwara Scenes'だの、小稲半兵衛唐崎心中小稲半兵衛唐崎心中 'Lovers Suicide of Koina and Hanbei at Karasaki'だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少し少し a little; a bitやってみないか。もっともありゃ、あまり大きな大きな big; loud (voice)声声 voiceを出しちゃいけないんだってね。本来本来 originally; historicallyが四畳半四畳半 four and a half mat (about 7 sq meters; about 80 sq ft)の座敷座敷 parlorにかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回し節回し melody; intonationがあれでなかなか込み入って込み入って intricate; complicatedいるんで、どうしてもうまくいかん。こんだこんだ next time; another time (= 今度)一つ一つ one (thing)やるから聞いてくれたまえ」
「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓鼓 tsuzumi (hourglass drum whose tension can be adjusted while playing)が打って打って strike; beat; play (drum)みたくってね。なぜだか鼓の音音 soundを聞いて聞いて listen toいると、まったく二十世紀二十世紀 twentieth centuryの気気 feeling; impressionがしなくなるからいい。どうして今今 now; the presentの世世 generation; ageにああ間が抜けて間が抜けて unsophisticated; guilelessいられるだろうと思う思う consider; ponderと、それだけでたいへんな薬薬 medicineになる。いくらぼくがのん気のん気 easygoing; carefreeでも、鼓の音のような絵絵 drawing; paintingはとてもかけないから」
「かこうともしないんじゃないか」
「かけないんだもの。今の東京東京 Tōkyōにいる者に悠揚な悠揚な calm; composed; serene絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあいだ大学大学 universityの運動会運動会 athletic competition; field dayへ行って行って go (to)、里見と野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんの妹のカリカチュアーカリカチュアー caricatureをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられて逃げられて be evaded; let get awayしまった。こんだこんだ next time; another time (= 今度)一つ一つ one (thing); once本当の肖像画肖像画 portraitをかいて展覧会展覧会 show; exhibitionにでも出そう出そう put out; displayかと思って」
「里見里見 Satomi (Mineko's family name)の妹妹 younger sisterの。どうも普通の普通の ordinary; typical日本日本 Japanの女女 womanの顔顔 faceは歌麿歌麿 Kitagawa Utamaro (woodblock print artist in ukiyo-e genre; 1753-1806)式式 styleや何か何か something; some such thingばかりで、西洋西洋 West; Occidentの画布画布 (painting) canvasにはうつりが悪くって悪くって no good; unsatisfactoryいけないが、あの女や野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんはいい。両方ともに両方ともに both (of them)絵絵 paintingになる。あの女が団扇団扇 (round) fanをかざして、木立木立 grove of trees; stand of treesをうしろに、明るい明るい light; bright方方 directionを向いて向いて turn toward; faceいるところを等身等身 life sizeに写して写して depict; reproduceみようかしらと思って思って think (to do)いる。西洋の扇扇 folding fanは厭味厭味 in bad taste; garishでいけないが、日本の団扇は新しくって新しくって fresh; novelおもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁嫁 brideにでもいかれようものなら、そうこっちの自由自由 liberty; as one wishesにいかなくなるかもしれないから」
三四郎三四郎 Sanshirō (name)は多大な多大な a great deal of興味興味 interestをもって原口原口 Haraguchi (name)の話話 talkを聞いて聞いて listen toいた。ことに美禰子美禰子 Mineko (name)が団扇をかざしている構図構図 compositionは非常な非常な unusual; extraordinary感動感動 emotion; passionを三四郎に与えた与えた aroused; evoked。不思議の不思議の mysterious; mystical因縁因縁 bond; connectionが二人二人 two (people)の間間 betweenに存在して存在して existいるのではないかと思うほどであった。すると広田先生広田先生 Professor Hirotaが、「そんな図図 image; view; sceneはそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な無遠慮な straight; blunt事事 matter; thingを言いだした言いだした voiced。
「でも当人当人 the person in questionの希望希望 wish; preferenceなんだもの。団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙妙 superb; excellentでしょうと言って承知した承知した agreedのさ。なに、悪い図どり図どり plan; layoutではないよ。かきようにもよるが」
「あんまり美しく美しく attractivelyかくと、結婚結婚 marriageの申込み申込み overture; proposalが多く多く many; numerousなって困る困る be in trouble; be in a bindぜ」
「ハハハじゃ中中 medium; averageぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期時期 time; seasonだね。どうだろう、どこかいい口口 opening; prospectはないだろうか。里見にも頼まれて頼まれて be requestedいるんだが」
「原口原口 Haraguchiさんは洋行する洋行する overseas travel; travel abroad時時 time; occasionにはたいへんな気込み気込み enthusiasm; zealで、わざわざ鰹節鰹節 dried bonito (usually 鰹節)を買い込んで買い込んで buy up; stock up on、これでパリーの下宿下宿 lodgingsに籠城する籠城する hole up; confine oneselfなんて大いばり大いばり bluster; braggingだったが、パリーへ着く着く arriveやいなや、たちまち豹変した豹変した changed one's spots; changed one's tuneそうですねって笑う笑う tease; banterんだから始末がわるい始末がわるい hard to handle; hard to deal with。おおかた兄兄 older brotherからでも聞いた聞いた heardんだろう」
「あの女女 young ladyは自分自分 oneselfの行きたい行きたい want to go所所 placeでなくっちゃ行きっこない。勧めたって勧めたって recommend; proposeだめだ。好きな好きな favored; loved人人 personがあるまで独身独身 single; unmarriedで置く置く leave beがいい」
「まったく西洋流西洋流 Western style; like in the Occidentだね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」
それから二人二人 two (people)の間間 betweenに長い長い lengthy絵画絵画 painting談談 discussionがあった。三四郎三四郎 Sanshirō (name)は広田先生広田先生 Professor Hirotaの西洋西洋 the West; the Occidentの画工画工 painter; artistの名名 namesをたくさん知って知って know of; be familiar withいるのに驚いた驚いた was surprised。帰る帰る return; head homeとき勝手口勝手口 kitchen door; service entranceで下駄下駄 (wooden) clogsを捜して捜して look forいると、先生が梯子段梯子段 staircaseの下下 bottomへ来て来て come (to)「おい佐々木佐々木 Sasaki (Yojirō's family name)ちょっと降りて来い降りて来い come down」と言って言って summon; callいた。
戸外戸外 outsideは寒い寒い cold。空空 sky; heavensは高く高く to the heights晴れて晴れて be clear、どこから露露 dewが降る降る fall; descend (precipitation)かと思う思う wonderくらいである。手手 handsが着物着物 kimonoにさわると、さわった所所 place; areaだけがひやりとする。人通り人通り pedestrian trafficの少ない少ない few; light (traffic)小路小路 lanes; alleywaysを二、三度二、三度 several times折れたり折れたり turn曲がったり曲がったり round (a curve or corner)してゆくうちに、突然突然 suddenly辻占屋辻占屋 sidewalk fortune-tellerに会った会った met; encountered。大きな大きな large丸い丸い round提灯提灯 (paper-covered) lanternをつけて、腰腰 waistから下をまっ赤まっ赤 vivid redにしている。三四郎は辻占辻占 fortuneが買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣杉垣 cedar hedgeに羽織羽織 haori (Japanese formal coat)の肩肩 shoulderが触れる触れる touch; brush againstほどに、赤い提灯をよけて通した通した let pass by。しばらくして、暗い暗い dark; dimly-lit所をはすにはすに diagonally; at an angle抜ける抜ける cut throughと、追分追分 Oiwake (place name)の通り通り avenue; broad streetへ出た出た emerged (onto)。角角 cornerに蕎麦屋蕎麦屋 soba shopがある。三四郎は今度今度 this timeは思い切って思い切って resolutely; decisively暖簾暖簾 shop curtainをくぐったくぐった ducked through。少し少し a little; a bit酒酒 sakéを飲む飲む drinkためである。
お前お前 youは子供子供 childの時時 timeから度胸度胸 courage; nervesがなくっていけない。度胸の悪い悪い poor; inferiorのはたいへんな損損 disadvantageで、試験試験 exam; testの時なぞにはどのくらい困る困る face difficultyかしれない。興津興津 Okitsu (family name)の高高 Taka (name)さんは、あんなに学問学問 scholarship; learningができて、中学校中学校 middle schoolの先生先生 teacherをしているが、検定検定 qualification; certification試験を受ける受ける take (a test)たびに、からだがふるえて、うまく答案答案 examination paperができないんで、気の毒気の毒 unfortunate; pitiableなことにいまだに月給月給 (monthly) salaryが上がらずに上がらずに without an increaseいる。友だち友だち friend; acquaintanceの医学士医学士 doctor of medicineとかに頼んで頼んで requestふるえのとまる丸薬丸薬 pillをこしらえてもらって、試験前に飲んで飲んで swallow; take (medicine)出た出た appeared (at); took part inがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生平生 usual; ordinaryから持薬持薬 regular medication; daily medicationに度胸のすわる薬薬 medicineを東京東京 Tōkyōの医者医者 doctorにこしらえてもらって飲んでみろ。直らない直らない not get better; not improveこともなかろうというのである。