Sanshirō - Chapter 3

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学年学年がくねん school year九月九月くがつ September十一日十一日じゅういちにち 11th (day of the month)始まったはじまった began三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)正直に正直しょうじきに dutifully; faithfully午前午前ごぜん morning十時半十時半じゅうじはん 10:30ごろ学校学校がっこう school行ってって go (to)みたが、玄関玄関げんかん entry hallまえ front of掲示場掲示場けいじばん bulletin board講義講義こうぎ lecture時間割り時間割じかんわり scheduleがあるばかりで学生学生がくせい students一人一人ひとり one (person)もいない。自分自分じぶん oneself聞くく hear; listen toべきぶん part; portionだけを手帳手帳てちょう notebook書きとめてきとめて write down、それから事務室事務室じむしつ office寄ったらったら stopped by、さすがに事務員事務員じむいん office staffだけは出てて appear; be presentいた。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると言ってって said; answeredいる。すましたすました indifferent; nonchalantものである。でも、どの部屋部屋へや room見てて look atも講義がないようですがと尋ねるたずねる ask (about); inquireと、それは先生先生せんせい teachers; professorsがいないからだと答えたこたえた answered。三四郎はなるほどと思っておもって thought; realized事務室を出た。うら back (side)回ってまわって circle around (to)大きなおおきな largeけやき keyaki tree; zelkovaした beneathから高い空たかそら clear skyをのぞいたら、普通の普通ふつうの usual; ordinary空よりも明らかあきらか vivid; distinctに見えた。熊笹熊笹くまざさ a striped bamboo grassなか middle; midst水ぎわみずぎわ water's edgeへおりて、例のれいの the aforementioned椎の木しい chinquapin oakところ place; spotまで来てて arrived (at)、またしゃがんだ。あのおんな woman; young ladyもう一ぺんもういっぺん once more; one more time通ればとおれば pass byいいくらいに考えてかんがえて thought; consideredたびたびたびたび frequently; repeatedlyおか hill; riseうえ top ofをながめたが、丘の上には人影人影ひとかげ human form; human presenceもしなかった。三四郎はそれが当然当然とうぜん natural; a matter of courseだと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲午砲どん midday gun; noon gun鳴ったった rang out; soundedんで驚いておどろいて be surprised; be startled下宿下宿げしゅく lodgings; dormitory帰ったかえった returned (home)

翌日翌日よくじつ the next dayしょう exactly at ...八時八時はちじ 8:00に学校へ行った。正門正門せいもん main gateをはいると、とっつきの大通り大通おおどおり broad avenue; boulevard左右左右さゆう both sides; left and right植えてえて plant; cultivateある銀杏銀杏いちょう ginkgo (tree)並木並木なみき line of trees; roadside trees目についたについた caught one's attention。銀杏が向こうこう beyond; aheadほう direction尽きるきる come to an endあたりから、だらだら坂だらだらざか gentle slope下がってがって descend、正門のきわに立ったった stood三四郎から見ると、さか slopeの向こうにある理科大学理科りか大学だいがく college of science二階二階にかい second floor一部一部いちぶ part (of)しか出ていない。その屋根屋根やね roofのうしろに朝日朝日あさひ morning sun受けたけた received上野上野うえの Ueno (place name)もり forest; woods遠くとおく in the distance輝いてかがやいて glistenいる。 sun正面正面しょうめん face on; (from) the frontにある。三四郎はこの奥行奥行おくゆき depthのある景色景色けしき view; scenery愉快愉快ゆかい pleasure; exhilaration感じたかんじた felt; experienced

銀杏銀杏いちょう ginkgo (tree)並木並木なみき line of trees; roadside treesこちら側こちらがわ this side; this end尽きるきる come to an end右手右手みぎて right hand (side)には法文科大学法文科大学ほうぶんかだいがく college of law and literatureがある。左手左手ひだりて left hand (side)には少しすこし somewhat; a bitさがって博物博物はくぶつ natural history教室教室きょうしつ classroomsがある。建築建築けんちく architecture; buildings双方双方そうほう bothともに同じおなじ the same; similarで、細長い細長ほそながい long and narrowまど windowsうえ aboveに、三角三角さんかく triangleにとがった屋根屋根やね roof突き出してして poke out; thrust outいる。その三角のふち edge; border当るあたる touch; engage赤煉瓦赤煉瓦あかれんが red brick黒いくろい black屋根のつぎめのところ place; location細いほそい narrowいし stone直線直線ちょくせん straight lineでできている。そうしてその石のいろ colorが少し青味青味あおみ blue tint帯びてびて be tinged with、すぐした belowにくるはでな赤煉瓦に一種の一種いっしゅの a sort of; a type ofおもむき elegance; charm添えてえて add to; embellish (with)いる。そうしてこの長いながい long窓と、高いたかい tall三角がよこ sideways; side to sideにいくつも続いてつづいて continue; be in successionいる。三四郎はこのあいだ野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)せつ opinion; remark聞いていて hear; listen toから以来以来いらい since ...急にきゅうに suddenlyこの建物建物たてもの buildingsありがたく思ってありがたくおもって have an appreciation forいたが、けさは、この意見意見いけん opinion; ideaが野々宮君の意見でなくって、初手から初手しょてから from the beginning自分の自分じぶんの one's own持説持説とくせつ original thinking; novel ideaであるような feeling; impressionがしだした。ことに博物室が法文科と一直線一直線いっちょくせん single straight line並んでいないならんでいない not be alignedで、少しおく interior引っ込んでんで withdrawいるところが不規則不規則ふきそく irregular; asymmetricalみょう odd; curiousだと思った。こんど野々宮君に会ったらったら see (a person); meet自分の発明発明はつめい contrivance; discoveryとしてこの説を持ち出そうそう bring up (in conversation)考えたかんがえた planned (to do something)

法文科の右のはずれはずれ extremity; tip (of)から半町半町はんちょう half a chō (about 50 meters; about 60 yards)ほどまえ before; in front ofへ突き出している図書館図書館としょかん libraryにも感服した感服かんぷくした was impressed (by)。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤いかべ wallにつけて、大きなおおきな large棕櫚の木棕櫚しゅろ palm tree五、六本六本ろっぽん five or six (trees)植えたえた plantedところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学工科大学こうかだいがく college of engineering封建時代封建時代ほうけんじかい feudal period西洋西洋せいよう Westernお城しろ castle; fortressから割り出したした be derived from; be based onように見えたえた appearedまっ四角まっ四角しかく perfect squareにできあがっている。窓も四角四角しかく squareである。ただ四すみすみ four corners入口入口いりぐち entrance丸いまるい rounded; curved。これはやぐら turret; tower形取った形取かたどった imitated; be modeled onんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうたおれそう looking unstableでない。なんだか背の低いせいひくい short; squat相撲取り相撲取すもうとり sumō wrestler似てて resembleいる。

三四郎は見渡す見渡みわたす survey; look out overかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らないはいらない out of sight; unseen建物がたくさんあることを勘定に入れて勘定かんじょうれて take into account; consider、どことなく雄大雄大ゆうだい grandeur; greatness感じかんじ feeling; impression起こしたこした aroused; brought about。「学問の府学問がくもん seat of learning; center of learningはこうなくってはならない。こういう構えかまえ structure; arrangementがあればこそ研究研究けんきゅう studies; researchもできる。えらいものだ」――三四郎は大学者大学者だいがくしゃ prominent scholar; man of eruditionになったような心持ち心持こころもち feeling; air (of)がした。

けれども教室教室きょうしつ classroomへはいってみたら、かね bell鳴ってって ring; sound先生先生せんせい professor; instructor来なかったなかった did not come; did not showその代りそのかわり on the other hand学生学生がくせい students出て来ないない didn't show up次のつぎの next時間時間じかん hourもそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして癇癪かんしゃくこして irritated; frustrated教場教場きょうじょう classroom出たた left; departed (from)。そうして念のためにねんのために for the sake of checkingいけ pond周囲周囲まわり circumference; edge二へんへん twiceばかり回ってまわって circle; walk around下宿下宿げしゅく dormitory帰ったかえった returned (to)

それからやく about十日十日とうか ten daysばかりたってから、ようやく講義講義こうぎ lectures始まったはじまった began三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)がはじめて教室教室きょうしつ classroomへはいって、ほかの学生学生がくせい studentsといっしょに先生先生せんせい professor; instructor来るる come; arriveのを待ってって wait forいたとき time; occasion心持ち心持こころもち feelingはじつに殊勝な殊勝しゅしょうな sacred; reverentものであった。神主神主かんぬし Shintō priest装束装束しょうぞく dress; attire着けてけて wear; put on、これから祭典祭典さいてん ritual; riteでも行なおうおこなおう conduct; performとするまぎわには、こういう気分気分きぶん feelingがするだろうと、三四郎は自分自分じぶん oneselfで自分の了見了見りょうけん thoughts; notions推定した推定すいていした inferred; surmised。じっさい学問学問がくもん learning; scholarship威厳威厳いげん dignity; majesty打たれたたれた be hit by; be impacted byに違いないちがいない no doubt ...。それのみならず、先生がベルが鳴ってって ring; sound十五分十五分じゅうごふん fifteen minutes立ってって pass; elapse (time)出て来ないない didn't appear; didn't show upのでますます予期予期よき expectation; anticipationから生ずるしょうずる occur; come about敬畏敬畏けいい respect; esteem (usually 敬意けいい)ねん sense; feeling増したした increased。そのうち人品のいい人品じんぴんのいい good-looking; handsomeおじいさんの西洋人西洋人せいようじん Westerner doorをあけてはいってきて、流暢な流暢りゅうちょうな smooth; fluent英語英語えいご Englishで講義を始めた。三四郎はその時 answeranswerアンサー  という wordはアングロ・サクソン languageand-swaruand-swaruアンド・スワル  から出たんだということを覚えたおぼえた learned。それからスコットスコット Sir Walter Scott (Scottish author; 1771 - 1832)通ったかよった attended小学校小学校しょうがっこう elementary school; primary schoolむら village nameを覚えた。いずれも大切に大切たいせつに carefully筆記帳筆記帳ひっきちょう notebookにしるしておいた。そのつぎ nextには文学論文学論ぶんがくろん literary theoryの講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板黒板ボールド (black)boardをながめていたが、黒板のうえ on書いていて writeある GeschehenGeschehenゲシェーヘン (German - event; happening) という字と NachbildNachbildナハビルド (German - imitation; afterimage) という字を見てて look at、はあドイツ語かと言ってって say; remark笑いながらわらいながら smiling; grinningさっさと消してして eraseしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対するたいする with respect to敬意敬意けいい respect; regard少しすこし a little; a bit失ったうしなった lostように感じたかんじた felt。先生は、それから古来古来こらい from ancient times文学者文学者ぶんがくしゃ men of letters; literatiが文学に対して下したくだした bestowed (on); handed down (to)定義定義ていぎ definitionをおよそ二十二十にじゅう twentyばかり並べたならべた enumerated; listed up。三四郎はこれも大事に手帳手帳てちょう notebook筆記して筆記ひっきして record; take note ofおいた。午後午後ごご afternoon大教室大教室だいきょうしつ large lecture hallに出た。その教室には約七、八十人しち八十人はちじゅうにん 70 or 80 peopleほどの聴講者聴講者ちょうこうしゃ listeners; attendeesがいた。したがって先生も演説演説えんぜつ (public) speech; oration口調口調くちょう tone; manner of speakingであった。砲声砲声ほうせい sound of cannon fire一発一発いっぱつ one shot浦賀浦賀うらが Uraga (defensive outpost on Edo Bay when Commodore Perry arrived in 1853)ゆめ dreams破ってやぶって destroy; ruinという冒頭冒頭ぼうとう beginning; opening (statement)あったから、三四郎はおもしろがって聞いていて listenいると、しまいにはドイツの哲学者哲学者てつがくしゃ philosopherの名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなったしにくくなった became difficult to follow; became difficult to understandつくえ deskの上を見ると、落第落第らくだい (academic) failureという字がみごとに彫ってって carveある。よほど暇に任せてひままかせて devoting significant time (to something)仕上げた仕上しあげた finished; craftedものとみえて、堅いかたい hardかし oakいた board; woodをきれいに切り込んだんだ cut intoてぎわてぎわ skill; workmanship素人素人しろうと amateurとは思われないおもわれない cannot be regarded as ...深刻の深刻しんこくの seriousできである。隣のとなりの neighboring; adjacentおとこ fellow感心に感心かんしんに admirably; laudably根気よく根気こんきよく persistently; industriously筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くからとおくから from a distance先生の似顔似顔にがお likeness; portraitポンチポンチ caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)にかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎のほう direction出してして held out見せた。 drawingはうまくできているが、そばに久方久方ひさかた sky; moon (reference to tanka poetry style)雲井雲井くもい beyond the clouds; Imperial courtそら sky子規子規ほととぎす cuckoo (reference to Masaoka Shiki 正岡まさおか子規しき)と書いてあるのは、なんのことだか判じかねたはんじかねた could not make sense of

講義講義こうぎ lectures終っておわって conclude; be finishedから、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はなんとなく疲労した疲労ひろうした fatigued; worn outような気味気味きみ touch of; shade of (feelings)で、二階二階にかい second floorまど windowから頬杖を突いて頬杖ほおづえいて rest one's chin (or cheek) on one's hands正門内正門内せいもんない inside the main gateにわ garden; yard見おろしておろして look down on; view from aboveいた。ただ大きなおおきな largeまつ pine (tree)さくら cherry (tree); sakura植えてえて plant; growそのあいだに砂利砂利じゃり stones; gravel敷いたいた spread広いひろい wideみち path; walkwayをつけたばかりであるが、手を入れすぎてれすぎて overwork; apply excessive effortいないだけに、見ていて心持ち心持こころもち feeling; impressionがいい。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)はなし tale; storyによるとここはむかし former times; long agoはこうきれいではなかった。野々宮君の先生先生せんせい professor; instructorのなんとかいうひと person; individualが、学生学生がくせい student時分時分じぶん time; periodうま horse乗ってって ride (on)、ここを乗り回すまわす ride aroundうち、馬がいうことを聞かないでかないで without listening (to); without heeding意地を悪く意地いじわるく spitefully; with an ill temperわざと treeした below; beneath通るとおる pass throughので、帽子帽子ぼうし hat; capが松のえだ branch引っかかるっかかる get caught (on)下駄下駄げた (wooden) clog prop; supportあぶみ stirrupsにはさまる。先生はたいへん困ってこまって be troubled; be distressedいると、正門まえ in front of喜多床喜多床きたどこ Kitadoko (name of Tōkyō barbershop founded in 1871)という髪結床髪結床かみゆいどこ hair salon; barber shop職人職人しょくにん artisans; journeymenがおおぜい出てきててきて came out; emerged、おもしろがって笑っていたわらっていた laughedそうである。その時分には有志の者有志ゆうしもの volunteers; boosters醵金して醵金きょきんして contribute money (towards); raise funds (for)構内構内こうない within the grounds; on campusうまや stable; (horse) barnをこしらえて、三頭三頭さんとう three head (horses)の馬と、馬の先生とを飼ってって keep; provide forおいた。ところが先生がたいへんな酒飲み酒飲さけのみ drinker; drunkardで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白いしろい white馬を売ってって sold飲んでんで drank (away the proceeds)しまった。それはナポレオン三世ナポレオン三世さんせい Napoleon III時代時代じだい age; period老馬老馬ろうば old horseであったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気なのんな lax; easy-going時代もあったものだと考えてかんがえて think; considerいると、さっきポンチ絵ポンチ caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)をかいたおとこ fellow来てて came; appeared

大学大学だいがく universityの講義はつまらんなあ」と言ったった said; remarked。三四郎はいいかげんな返事返事へんじ answer; responseをした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断判断はんだん judgmentができないのである。しかしこのとき timeからこの男と口をきくくちをきく converse; talkようになった。

その dayはなんとなく気が鬱してうっして feel down; feel blue、おもしろくなかったので、いけ pond周囲周囲まわり perimeter回るまわる circle; walk aroundことは見合わせて見合みあわせて put off; forgoうち home帰ったかえった returned (to)晩食後晩食後ばんしょくご after dinner筆記筆記ひっき notes繰り返してかえして once again; in review読んでんで readみたが、べつに愉快愉快ゆかい cheerfulにも不愉快不愉快ふゆかい unhappyにもならなかった。はは mother言文一致言文一致げんぶんいっち colloquial style (of writing)手紙手紙てがみ letter書いたいた wrote。――学校学校がっこう school始まったはじまった has started。これから毎日毎日まいにち every day出るる attend。学校はたいへん広いひろい expansive; spaciousいい場所場所ばしょ place; settingで、建物建物たてもの buildingsもたいへん美しいうつくしい handsome; elegantまん中まんなか center; middleに池がある。池の周囲を散歩する散歩さんぽする walk; strollのが楽しみたのしみ pleasant; enjoyableだ。電車電車でんしゃ electric trainsには近ごろちかごろ recentlyようやく乗り馴れたれた became accustomed to riding何かなにか something買ってって buyあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年今年ことし this yearこめ rice (crop)はいまに価が出るる improve in value; fetch a higher priceから、売らずにらずに without sellingおくほうがとく advantageousだろう。三輪田三輪田みわた Miwata (family name)お光みつ Omitsu (name)さんにはあまり愛想よく愛想あいそよく warmly; intimatelyしないほうがよかろう。東京東京とうきょう Tōkyōへ来てみると人はいくらでもいる。男も多いおおい many; numerousおんな women; young ladiesも多い。というようなこと things; mattersごたごたごたごた (in) disorder; (in) a jumble並べたならべた laid out; set forthものであった。

手紙手紙てがみ letter書いていて wrote英語英語えいご Englishほん bookろく sixしち sevenページ読んだらんだら readいやになった。こんな本を一冊一冊いっさつ one volume (book)ぐらい読んでもだめだと思いだしたおもいだした began to think床を取ってとこって take out (prepare) bedding寝るる sleepことにしたが、寝つかれない。不眠症不眠症ふみんしょう insomniaになったらはやく病院病院びょういん hospital; doctor行ってって go (to)見てて look at; checkもらおうなどと考えてかんがえて considerいるうちに寝てしまった。

あくる日あくる the next day; the following day例刻例刻れいこく usual hour学校学校がっこう universityへ行って講義講義こうぎ lectures聞いたいた heard; listened to。講義のあいだに今年今年ことし this year卒業生卒業生そつぎょうせい graduatesがどこそこへいくらで売れたれた were in demand (for)というはなし talk耳にしたみみにした heard (about); learned。だれとだれがまだ残ってのこって remain; be leftいて、それがある官立学校官立学校かんりつがっこう government school地位地位ちい position競争して競争きょうそうして compete; vie forいるうわさ gossip; hearsayだなどと話しているもの person; fellowがあった。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)漠然と漠然ばくぜんと vaguely未来未来みらい future遠くからとおくから from a distance眼前眼前がんぜん before one's eyes押し寄せるせる advance on; bear down onようなにぶい圧迫圧迫あっぱく oppression感じたかんじた feltが、それはすぐ忘れてわすれて forgetしまった。むしろ昇之助昇之助しょうのすけ Shōnosuke (name)がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下廊下ろうか hallway熊本出熊本出くまもとで from Kumamoto同級生同級生どうきゅうせい classmateをつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席寄席よせ storytellers' house; vaudeville theater出るる appearむすめ girl; young woman義太夫義太夫ぎだゆう style of chanted narration (after Takemoto Gidayū)だと教えておしえて teach; informくれた。それから寄席の看板看板かんばん signboard; placardはこんなもので、本郷本郷ほんごう Hongō (part of Tōkyō)のどこにあるということまで言って聞かせたってかせた toldうえ、今度の今度こんどの this; next土曜土曜どよう Saturdayにいっしょに行こうと誘ってさそって inviteくれた。よく知ってるってる know (of); be informed (about)思ったらおもったら thought、このおとこ fellowはゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。

昼飯昼飯ひるめし lunch食いい eat下宿下宿げしゅく dormitory; lodgings帰ろうかえろう returnと思ったら、きのうポンチ絵ポンチ caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)をかいた男が来てて showed up; appeared、おいおいと言いながら、本郷の通りとおり avenue; main street淀見軒淀見軒よどみけん Yodomiken (shop in Hongō with restaurant in rear)というところ place引っ張って行ってってって took to; dragged along toライスカレーライスカレー curry riceを食わした。淀見軒という所はみせ store; shop果物果物くだもの fruit売ってって sellいる。新しいあたらしい new普請普請ふしん building; constructionであった。ポンチ絵をかいた男はこの建築建築けんちく building; architectureおもて front side; façade指さしてゆびさして point to; point out、これがヌーボー式ヌーボーしき art nouveaux styleだと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟ったさとった became aware of; became cognizant of帰り道かえみち return trip; (on) the way home青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)教わったおそわった was informed (about); was shown。やはり大学生大学生だいがくせい university studentsのよく行く所だそうである。赤門赤門あかもん Red Gateをはいって、二人二人ふたり two (people)いけ pond周囲周囲まわり perimeter散歩した散歩さんぽした walked。そのとき time; occasionポンチ絵の男は、死んだんだ deceased; passed away小泉八雲小泉こいずみ八雲やくも Koizumi (family name) Yakumo (given name); Japanese name of Lafcadio Hearn (1850-1904)先生先生せんせい professor; instructor教員控室教員控室きょういんひかえしつ faculty loungeへはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回ってまわって circle; go around歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたらたずねたら asked; inquired

「そりゃあたりまえださ。第一第一だいいち first of all; to begin with彼らかれら they (faculty members)の講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人一人ひとり one person; a single oneもいやしない」と手ひどいひどい harsh; scathingことを平気で平気へいきで calmly; casually言ったには三四郎も驚いたおどろいた be surprised; be taken aback。この男は佐々木与次郎佐々木ささき与次郎よじろう Sasaki (family name) Yojirō (given name)といって、専門学校専門せんもん学校がっこう college; specialty school卒業して卒業そつぎょうして graduated、今年また選科選科せんか elective studiesへはいったのだそうだ。東片町東片町ひがしかたまち Higashikatamachi (place name)五番地五番地ごばんち Gobanchi (street address)広田広田ひろた Hirota (family name)といううち house; residenceにいるから、遊びに来いあそびにい come and visitと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校高等こうとう学校がっこう high school (equivalent to modern-day college)の先生の家だと答えたこたえた answered

それから当分のあいだ当分とうぶんのあいだ for a while三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)毎日毎日まいにち every day学校学校がっこう the university通ってかよって go to律義に律義りちぎに loyally, faithfully講義講義こうぎ lectures聞いたいた listened to; attended (lectures)必修課目必修課目ひっしゅうかもく required subject以外以外いがい outside of; other thanのものへも時々時々ときどき sometimes; occasionally出席して出席しゅっせきして attend; sit in onみた。それでも、まだもの足りないものりない unsatisfactory; lacking in some sense。そこでついには専攻課目専攻課目せんこうかもく specialized subject; one's area of studyにまるで縁故縁故えんこ relation; connectionのないものまでへもおりおりは顔を出したかおした put in an appearance。しかしたいていは二度二度にど two times三度三度さんど three timesでやめてしまった。一か月いっげつ one month続いたつづいた continued; lastedのは少しもなかったすこしもなかった not even a little; not even one。それでも平均平均へいきん on average一週一週いっしゅう one weekやく about四十四十よんじゅう forty時間時間じかん hoursほどになる。いかな勤勉な勤勉きんべんな studious; diligent三四郎にも四十時間はちと多すぎるおおすぎる too much。三四郎はたえず一種の一種いっしゅの a kind of; a sort of圧迫圧迫あっぱく pressure感じてかんじて feltいた。しかるにしかるに however; neverthelessもの足りない。三四郎は楽しまなくなったたのしまなくなった lost enthusiasm; lost one's drive

ある日ある one day佐々木与次郎佐々木ささき与次郎よじろう Sasaki (family name) Yojirō (given name)会ってって met; ran intoそのはなし story; talk (of)をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くしてまるくして be wide-eyed (with astonishment)、「ばかばか」と言ったった said; remarkedが、「下宿屋下宿屋げしゅくや dormitory; lodgingsのまずいめし food; meal一日一日いちにち one day十ぺんじゅっぺん ten times食ったらったら eatもの足りるようになるか考えてかんがえて consider; think aboutみろ」といきなり警句警句けいく witticism; wisecrackでもって三四郎をどやしつけたどやしつけた drubbed; beat。三四郎はすぐさますぐさま at once; immediately (= すぐ)恐れ入っておそって yield (to); give in (to)、「どうしたらよかろう」と相談をかけた相談そうだんをかけた asked for advice; sought counsel

電車電車でんしゃ (electric) train乗るる rideがいい」と与次郎が言った。三四郎は何かなにか some (kind of)寓意寓意ぐうい hidden meaning; implicationでもあることと思っておもって think、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案思案しあん thought; consideration浮かばないかばない didn't come to mindので、

本当の本当ほんとうの real; actual電車か」と聞き直したなおした asked anew; asked again。そのとき time; moment与次郎はげらげら笑ってげらげらわらって laughed loudly

「電車に乗って、東京東京とうきょう Tōkyō十五、六ぺん十五じゅうごろっぺん fifteen or sixteen times乗り回してまわして ride aroundいるうちにはおのずからおのずから naturally; as a matter of courseもの足りるようになるさ」と言う。

「なぜ」

「なぜって、そう、生きてるきてる be alive; be activeあたま head; intellectを、死んだんだ dead; lifeless講義で封じ込めちゃふうめちゃ confine; imprison助からないたすからない can't flourish; can't surviveそと outside出てて go out (to)かぜ wind; (fresh) air入れるれる put intoさ。その上にそのうえに on top of thatもの足りる工夫工夫くふう means; measuresはいくらでもあるが、まあ電車が一番一番いちばん number one; foremost初歩初歩しょほ first stepでかつもっとも軽便軽便けいべん convenient; expedientだ」

その day夕方夕方ゆうがた evening与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)拉してらっして drag along; bring (a person) with四丁目四丁目よんちょうめ Yonchōme (fourth sub-district)から電車電車でんしゃ (electric) train乗ってって ride新橋新橋しんばし Shinbashi (place name)行ってって went (to)、新橋からまた引き返してかえして return; double back日本橋日本橋にほんばし Nihonbashi (place name)来てて come (to); arrive (at、そこで降りてりて get off; disembark

「どうだ」と聞いたいた asked; inquired

つぎ next大通り大通おおどおり main streetから細いほそい narrow横町横町よこちょう side street; back alley曲がってがって turned (onto)平の家ひら Hiranoya (name of a restaurant)という看板看板かんばん sign; placardのある料理屋料理屋りょうりや restaurant; eatery上がってがって entered (up into)晩飯晩飯ばんめし dinner食ってって eatさけ saké (rice wine)飲んだんだ drank。そこの下女下女げじょ serving girlsはみんな京都弁京都弁きょうとべん Kyōto dialect使う使つかう use。はなはだ纏綿して纏綿てんめんして be attentiveいる。おもて (out) front出たた appeared; came out (to)与次郎は赤い顔あかかお red face (from drinking)をして、また

「どうだ」と聞いた。

次に本場の本場ほんばの genuine; authentic寄席寄席よせ storytellers' house; vaudeville theater連れて行ってやるれてってやる take (someone somewhere)言ってって say; state、また細い横町へはいって、木原店木原店きはらだな Kiharadana (name of a theater)という寄席を上がった。ここで小さんさん Yanagiya Kosan (柳家やなぎやさん) the 3rd generation; 1856-1930という落語家落語家はなしか professional storyteller聞いたいた heard; listened to十時過ぎ十時過じゅうじすぎ after ten (o'clock)通りとおり streetへ出た与次郎は、また

「どうだ」と聞いた。

三四郎は物足りた物足ものたりた refreshed; reinvigoratedとは答えなかったこたえなかった didn't answer that ...; couldn't say that ...。しかしまんざらまんざら (not) fully; (not) altogetherもの足りないものりない unsatisfactory; lacking in some sense心持ち心持こころもち feelingもしなかった。すると与次郎は大いにおおいに greatly小さんろん discussion; discourse始めたはじめた began

小さんは天才天才てんさい geniusである。あんな芸術家芸術家げいじゅつか artistはめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うおもう thinkから安っぽいやすっぽい insignificant; commonplace感じかんじ impressionがして、はなはだ気の毒どく too bad; unfortunateだ。じつはかれ himとき time; age同じゅうしておなじゅうして share; have in common (= 同じくする)生きているきている be alive我々我々われわれ we; usはたいへんなしあわせである。いま now; the presentから少しすこし a little; a bitまえに生まれてまれて be bornも小さんは聞けない。少しおくれても同様同様どうよう same situationだ。――円遊円遊えんゆう En'yū (storyteller; 1849-1907)もうまい。しかし小さんとはおもむき manner; style違ってちがって differentいる。円遊のふんしたふんした portray; play the role of太鼓持太鼓持たいこもち jester; buffoonは、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れたはなれた be set apart from太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずるえんずる perform; enact人物人物じんぶつ character; personaから円遊を隠せばかくせば hide; obscure、人物がまるで消滅して消滅しょうめつして disappear; cease to existしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に活発溌地かっぱつはっちに vivaciously; energetically躍動躍動やくどう lively motionするばかりだ。そこがえらい。

与次郎はこんなことを言って、また

「どうだ」と聞いた。じつ truthをいうと三四郎には小さんの味わいあじわい experience; appreciationがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎のせつ opinion; point of view当否当否とうひ right or wrong; suitability判定判定はんてい judgment; decisionしにくい。しかしその比較比較ひかく comparisonのほとんど文学的文学的ぶんがくてき literaryといいうるほどに要領を得た要領ようりょうた relevant; sensible; on pointには感服した感服かんぷくした was impressed (by)

高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)まえ front of別れるわかれる parted (ways); said goodbye時、三四郎は、

「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べたれいべた expressed (his) thanks。すると与次郎は、

「これからさきは図書館図書館としょかん libraryでなくっちゃもの足りない」と言って片町片町かたまち Katamachi (place name)ほう directionへ曲がってしまった。この一言一言ひとこと one word; single remarkで三四郎ははじめて図書館にはいることを知ったった became aware of; occurred to one to ...

その翌日翌日よくじつ next dayから三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)四十四十よんじゅう forty時間時間じかん hours講義講義こうぎ lecturesをほとんど半分半分はんぶん half減らしてらして reducedしまった。そうして図書館図書館としょかん libraryにはいった。広くひろく wide; spacious長くながく long; expansive天井天井てんじょう ceiling高くたかく high左右左右さゆう left and rightまど windowsのたくさんある建物建物たてもの buildingであった。書庫書庫しょこ library stack room入口しか見えない入口いりぐちしかえない only the entrance was visible。こっちの正面正面しょうめん front sideからのぞくとおく interiorには、書物書物しょもつ books; publicationsがいくらでも備えつけてそなえつけて furnish with; provision withあるように思われるおもわれる appear to be; seem to be立ってって stand見てて look; watchいると、書庫のなか insideから、厚いあつい thick; voluminousほん book; tome二、三冊三冊さんさつ two or three volumes (books)かかえて、出口出口でぐち exit来てて come (to); arrive (at)ひだり left折れてれて turn (toward)行くく go; proceedもの people; personsがある。職員職員しょくいん faculty閲覧室閲覧室えつらんしつ reading roomへ行くひと people; individualsである。なかには必要の必要ひつようの needed; required本を書棚書棚しょだな bookshelvesからとりおろして、胸いっぱいむねいっぱい chest-widthにひろげて、立ちながら調べて調しらべて check; look up (information)いる人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階二階にかい second floor上がってがって ascend (to)、それから三階三階さんがい third floorへ上がって、本郷本郷ほんごう Hongō (place name)より高いところ placeで、生きたものきたもの living thing; living being近づけずにちかづけずに without approaching; without being near (to)かみ paperのにおいをかぎながら、――読んでんで readみたい。けれどもなに whatを読むかにいたっては、べつにはっきりした考えかんがえ idea; thoughtがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。

三四郎は一年生一年生いちねんせい first-year student; freshmanだから書庫へはいる権利権利けんり privilege; permissionがない。しかたなしに、大きなおおきな large箱入りの箱入はこいりの cased; boxed札目録札目録ふだもくろく card catalogueを、こごんでこごんで stoop; bend over一枚一枚一枚一枚いちまいいちまい one (card) by one (card)調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しいあたらしい new本の name出てて appearくる。しまいにかた shoulders痛くなったいたくなった became sore; started to ache顔を上げてかおげて lift one's gaze中休み中休なかやすみ rest; breakに、館内館内かんない inside of a building見回す見回みまわす look around; surveyと、さすがに図書館だけあって静かなしずかな quiet; stillものである。しかも人がたくさんいる。そうして向こうこう far sideのはずれにいる人のあたま head黒くくろく black; dark見える。目口目口めくち eyes and mouthははっきりしない。高い窓のそと outsideから所々に所々ところどころに here and there; in places treesが見える。そら sky少しすこし a little; a bit見える。遠くからとおくから from a distance; from far awayまち town; cityおと soundsがする。三四郎は立ちながら、学者学者がくしゃ scholar; academic生活生活せいかつ lifeは静かで深いふかい deep; profoundものだと考えた。それでその dayはそのまま帰ったかえった returned (home)

つぎ next day空想空想くうそう idle fancy; daydreamをやめて、はいるとさっそくほん book借りたりた borrowed。しかし借りそくなったので、すぐ返したかえした returned。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかっためなかった wasn't able to readからまた返した。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はこういうふうにして毎日毎日まいにち each day本を八、九冊はち九冊くさつ eight or nine (books)ずつは必ずかならず without fail借りた。もっとももっとも in fact; indeedたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたおどろいた be surprised; be impressedのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度一度いちど once目を通してとおして look through; readいるという事実事実じじつ fact; truth発見した発見はっけんした discovered; realizedとき time; momentであった。それは書中書中しょちゅう within the pagesここかしこに見えるえる appear; be visible鉛筆鉛筆えんぴつ pencilのあとでたしかである。ある時三四郎は念のためねんのため for good measure; for the sake of checkingアフラ・ベーンアフラ・ベーン Aphra Behn (English female literary writer; 1640-1689)という作家作家さっか author; writer小説小説しょうせつ novelを借りてみた。あけるまでは、よもやよもや surely (not); (not) possibly思ったおもった thoughtが、見るとやはり鉛筆で丁寧に丁寧ていねいに carefully; respectfullyしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへまど windowそと outside楽隊楽隊がくたい marching band; brass band通ったとおった passed byんで、つい散歩散歩さんぽ walk; stroll出るる go out inclinationになって、通りへ出て、とうとう青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)へはいった。

はいってみるときゃく patrons; customers二組二組ふたくみ two groupsあって、いずれも学生学生がくせい studentsであったが、向こうこう far sideのすみにたった一人一人ひとり single person; solitary person離れてはなれて separated; set apartちゃ tea飲んでいたんでいた was drinkingおとこ manがある。三四郎がふとその横顔横顔よこがお (facial) profileを見ると、どうも上京上京じょうきょう traveling (up) to Tōkyōせつ time; occasion汽車汽車きしゃ (steam) trainなか inside; on board水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesをたくさん食ったった ateひと personのようである。向こうは気がつかないがつかない took no notice。茶を一口一口ひとくち one sip; one mouthful飲んでは煙草煙草たばこ tobacco; cigarette一吸い一吸ひとすい one puffすって、たいへんゆっくり構えてかまえて assume a posture; take on an attitudeいる。きょうは白地白地しろじ white (base) fabric浴衣浴衣ゆかた summer kimonoをやめて、背広背広せびろ suit着てて wearいる。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線光線こうせん light beam圧力圧力あつりょく pressure野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)より白シャツだけがましなくらいなものである。三四郎は様子様子ようす situation; doingsを見ているうちにたしかに水蜜桃だと物色した物色ぶっしょくした identified; picked out (from among a large number)大学大学だいがく university講義講義こうぎ lectures聞いていて listen to; attend (lectures)から以来以来いらい since ...、汽車の中でこの男の話したはなした said; spokeことがなんだか急にきゅうに suddenly意義意義いぎ import; significanceのあるように思われだしたおもわれだした begin to feel that ...ところなので、三四郎はそばへ行ってって go (to)挨拶挨拶あいさつ greeting; acknowledgementをしようかと思った。けれども先方先方せんぽう the other party正面正面しょうめん straight aheadを見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがないしようがない there was no opening (for engagement)

三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然突然とつぜん abruptlyコップにある葡萄酒葡萄酒ぶどうしゅ wine飲み干してして drank upおもて (out) front飛び出したした ran out。そうして図書館図書館としょかん library帰ったかえった returned (to)

その day葡萄酒葡萄酒ぶどうしゅ wine景気景気けいき mood; effectと、一種一種いっしゅ one type; one sort精神作用精神作用せいしんさよう mental action; mental activityとで、例になくれいになく without precedent; like never beforeおもしろい勉強勉強べんきょう studies; workができたので、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)大いにおおいに greatlyうれしく思ったうれしくおもった was happy; felt energized二時間二時間にじかん two hoursほど読書三昧に入った読書三昧どくしょざんまいはいった was absorbed in reading; was buried in (his) booksのち、ようやく気がついてがついて realized; noticed、そろそろ帰るかえる return (home)したくをしながら、いっしょに借りたりた borrowed書物書物しょもつ books; volumesのうち、まだあけてみなかった最後最後さいご last; final一冊一冊いっさつ one (book; volume)何気なく何気なにげなく casually; without much thought引っぺがしてっぺがして flip open; throw openみると、ほん book見返し見返みかえし inside coverのあいたところ space; areaに、乱暴に乱暴らんぼうに roughly; with hasteも、鉛筆鉛筆えんぴつ pencilでいっぱい何かなにか something書いてあるいてある had been written

ヘーゲルヘーゲル Hegel (German philosopher; 1770-1831)ベルリン大学ベルリン大学だいがく University of Berlin哲学哲学てつがく philosophy講じたるこうじたる lecture (on)とき time; occasion、ヘーゲルに毫もごうも (not) in the least哲学を売るる peddle; push thought; intentionなし。彼のかれの his講義講義こうぎ lecturesしん truth説くく explain; make clearの講義にあらず、真を体せるていせる embody; personify (= たいする)ひと personの講義なり。した tongue; wordsの講義にあらず、こころ heart; soulの講義なり。真と人と合してごうして join; bring together醇化醇化じゅんか purification一致一致いっち unificationせる時、その説くところ、言うう say; professところは、講義のための講義にあらずして、みち path; wayのための講義となる。哲学の講義はここに至っていたって arriving at ...; achieving ...はじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭舌頭ぜっとう tip of the tongue転ずるてんずる revolve (about)ものは、死したるしっしたる dead; lifelessすみ (black) inkをもって、死したるかみ paperうえ top of; surface ofに、むなしき筆記筆記ひっき notes残すのこす leave behindにすぎず。なんの意義意義いぎ import; significanceかこれあらん。…… I; myselfいま now; at present試験試験しけん test; examのため、すなわちパンのために、恨みうらみ resentment; spiteをのみなみだ tearsをのんでこのしょ book; writing読むむ read岑々たる岑々しんしんたる ache; throb (with pain)かしら headをおさえて未来永劫未来永劫みらいえいごう forever; forevermoreに試験制度制度せいど system呪詛する呪詛じゅそする curseことを記憶せよ記憶きおくせよ bear in mind; take note of

とある。署名署名しょめい signatureはむろんない。三四郎は覚えずおぼえず unwittingly微笑した微笑びしょした smiled; grinned。けれどもどこか啓発された啓発けいはつされた be enlightened; be edifiedような feelingがした。哲学ばかりじゃない、文学文学ぶんがく literatureもこのとおりだろうと考えながらかんがえながら consider; conclude、ページをはぐるはぐる turn (a page)と、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きなきな well regarded; much admiredおとこ fellowとみえる。

ヘーゲルヘーゲル Hegel (German philosopher; 1770-1831)講義講義こうぎ lecture聞かんとしてかんとして to hear (= くために)四方四方しほう all (four) directionsよりベルリンに集まれるあつまれる gathered学生学生がくせい studentsは、この講義を衣食衣食いしょく food and clothing; one's livelihood means; resource利用せんと利用りようせんと to use野心野心やしん ambition; sinister intentionをもって集まれるにあらず。ただ哲人哲人てつじん sage; philosopherヘーゲルなるものありて、講壇講壇こうだん rostrum; (lecture) platformうえ top ofに、無上無上むじょう greatest; highest (lit: nothing higher)普遍普遍ふへん universal; omnipresentしん truth伝うるつたうる teach; professと聞いて、向上求道向上求道こうじょうぐどう seeking ultimate truth; striving for enlightenmentねん idea; thought切なるせつなる be earnest; be ardentがため、壇下に壇下だんかに in attendance (lit: below the platform)、わが不穏底の不穏底ふおんていの restless; disquieting疑義疑義ぎぎ doubt; uncertainty解釈せんと解釈かいしゃくせんと to construe; to elucidate欲したるよくしたる wish for; desire清浄心清浄心しょうじょうしん pure heart; spotless heart発現発現はつげん expression; manifestationにほかならず。このゆえに彼らかれら theyはヘーゲルを聞いて、彼らの未来未来みらい future決定しえたり決定けつじょうしえたり able to decide; able to determine自己の自己じこの one's own運命運命うんめい fate; destiny改造しえたり改造かいぞうしえたり able to transform; able to alterのっぺらぼうにのっぺらぼうに indifferently; dispassionately講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業卒業そつぎょう graduate去るる leave; depart from公らきみら you (usually きみら)日本の日本にほんの Japanese大学生大学生だいがくせい university students同じおなじ sameこと thing思うおもう think; considerは、天下の天下てんかの the greatest (under Heaven)己惚れ己惚うぬぼれ conceit; vanityなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったる欲張よくばったる avaricious; greedyタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うう say; speakところ、ついに切実なる切実せつじつなる keen; fervent社会社会しゃかい society活気運活気運かっきうん spirited motion; energetic movement関せずかんせず unrelated (to); disassociated (from) deathに至るまでいたるまで until one arrives at ...のっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」

と、のっぺらぼうを二へんへん two times繰り返してかえして repeatいる。三四郎は黙然として黙然もくぜんとして in silence考え込んでかんがんで be absorbed in thoughtいた。すると、うしろからちょいとかた shoulderをたたいたもの personがある。例のれいの none other than ...与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)であった。与次郎を図書館図書館としょかん library見かけるかける see; come acrossのは珍しいめずらしい unusual。彼は講義はだめだが、図書館は大切大切たいせつ importantだと主張する主張しゅちょうする insist; emphasizeおとこ fellowである。けれども主張どおりにはいることも少ないすくない few; seldom男である。

「おい、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)宗八宗八そうはち Sōhachi (name)さんが、きみ you捜していたさがしていた was looking for」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうろう know; be acquainted withとは思いがけなかったから、念のためねんのため to be sure; to confirm理科大学理科りか大学だいがく college of scienceの野々宮さんかと聞き直すなおす ask back (for confirmation)と、うんというこたえ answer; response得たた received。さっそくほん book置いていて set down入口入口いりぐち entrance新聞新聞しんぶん newspaper閲覧する閲覧えつらんする read; peruseところ place; areaまで出て行ったった went out (to)が、野々宮くん (suffix of familiarity for males)がいない。玄関玄関げんかん entrywayまで出てみたがやっぱりいない。石段石段いしだん stone steps降りてりて descend; walk down首を延ばしてくびばして craning one's neckそのへん surroundings; vicinity見回した見回みまわした looked around; surveyed影も形もかげかたちも (no) sign of; (neither) hide nor hair; (lit: neither shadow nor shape)見えない。やむを得ずやむをず having no alternative引き返したかえした went back; returned。もとのせき seat来てて come (to)みると、与次郎が、例のヘーゲルろん discourseをさして、小さなちいさな smallこえ voiceで、

「だいぶ振ってるふるってる eccentric; impassionedむかし old days; former times卒業生卒業生そつぎょうせい graduate; alumnusに違いないちがいない no doubt ...。昔のやつは乱暴乱暴らんぼう wild; unrulyだが、どこかおもしろいところがある。実際実際じっさい in truth; in factこのとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったった found favor; met with one's approvalらしい。三四郎は

「野々宮さんはおらんぜ」と言う。

「さっき入口にいたがな」

何かなにか something; some sort ofよう business; errandがあるようだったか」

「あるようでもあった」

二人二人ふたり two (people)はいっしょに図書館図書館としょかん library出たた left; departed (from)。そのとき time; occasion与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)話したはなした talked; told。――野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)自分の自分じぶんの one's own寄寓して寄寓きぐうして lodge (at someone's residence)いる広田広田ひろた Hirota (name)先生先生せんせい professor; teacherの、もとの弟子弟子でし pupil; discipleでよく来るる come by; visit。たいへんな学問好き学問がくもんき prolific scholarで、研究研究けんきゅう research; (academic) inquiryもだいぶある。そのみち (academic) field; areaひと personなら、西洋人西洋人せいようじん Westernerでもみんな野々宮君の name知っているっている know; be familiar with

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はまた、野々宮君の先生で、むかし long ago; in former times正門正門せいもん main gateない within; inside ofうま horse苦しめられたくるしめられた was tormented; was distressed人の話を思い出しておもして recalled; rememberedあるいはあるいは maybe; perhapsそれが広田先生ではなかろうかと考えだしたかんがえだした began to consider; began to think。与次郎にそのこと matter; affairを話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言ってって say; remark笑ってわらって smile; laughいた。

その翌日翌日よくじつ next dayはちょうど日曜日曜にちよう Sundayなので、学校学校がっこう universityでは野々宮君に会うう see; meetわけにゆかない。しかしきのう自分を捜してさがして look forいたことが気がかりがかり worry; concernになる。さいわいまだ新宅新宅しんたく new house; new residence訪問した訪問ほうもんした visited; called onことがないから、こっちから行ってって go用事用事ようじ business; affairs聞いていて ask (about)きようという inclinationになった。

思い立ったおもった thought (of doing); decided (to do)のはあさ morningであったが、新聞新聞しんぶん newspaper読んでんで readぐずぐずしているうちにひる noonになる。昼飯昼飯ひる lunch (short for 昼飯ひるめし)食べたべた ateから、出かけようとすると、久しぶりにひさしぶりに for the first time in a long while熊本出熊本出くまもとで from Kumamoto友人友人ゆうじん friendが来る。ようやくそれを帰したかえした see (a visitor) offのはかれこれ四時四時よじ four (o'clock)過ぎぎ after; pastである。ちとおそくなったが、予定のとおり予定よていのとおり according to plan; as decided出た。

野々宮のいえ houseはすこぶる遠いとおい far away; distant四、五日前五日前ごにちまえ four or five days earlier大久保大久保おおくぼ Ōkubo (place name)越したした moved (to); relocated。しかし電車電車でんしゃ (electric) train利用利用りよう useすれば、すぐに行かれるかれる can go; can get to。なんでも停車場停車場ステーション station近辺近辺きんぺん vicinity聞いていて heard (that)いるから、捜すに不便はない不便ふべんはない not inconvenient; not difficultじつ truthをいうと三四郎はかの平野家平野家ひらのや Hiranoya (name of a restaurant)行きき traveling to ...以来以来いらい sinceとんだ失敗失敗しっぱい mistakes; blundersをしている。神田神田かんだ Kanda (place name)高等商業学校高等こうとう商業しょうぎょう学校がっこう business collegeへ行くつもりで、本郷本郷ほんごう Hongō (place name)四丁目四丁目よんちょうめ Yonchōme (fourth sub-district)から乗ったった rode; boardedところが、乗り越してして riding too far (past one's station)九段九段くだん Kudan (place name)まで来て、ついでに飯田橋飯田橋いいだばし Iidabashi (place name)まで持ってゆかれてってゆかれて be carried (away to)、そこでようやく外濠線外濠線そとぼりせん Sotobori (train) Line乗り換えてえて transfer (to)御茶の水御茶おちゃみず Ochanomizu (place name)から、神田橋神田橋かんだばし Kandabashi (place name)へ出て、まだ悟らずにさとらずに unawares鎌倉河岸鎌倉河岸かまくらがし Kamakuragashi (place name)数寄屋橋数寄屋橋すきやばし Sukiyabashi (place name)ほう direction向いていて headed (towards)急いでいそいで in haste; hurriedly行ったことがある。それより以来電車はとかくとかく tend towards; be apt to ...ぶっそうなぶっそうな perilous感じかんじ feeling; impressionがしてならないのだが、甲武線甲武線こうぶせん Kōbu (train) Line一筋一筋ひとすじ single line; straight passだと、かねてかねて previously; in advance聞いているから安心して安心あんしんして relax; feel at ease乗った。

大久保大久保おおくぼ Ōkubo停車場停車場ステーション station降りてりて get off (at); disembark仲百人仲百人なかひゃくにん Nakahyakunin (place name)通りとおり street; avenue戸山学校戸山学校とやまがっこう Toyama Academyほう direction行かずにかずに without going (toward)踏切踏切ふみきり crossingからすぐ横へよこへ to the side折れるれる turnと、ほとんど三尺三尺さんしゃく 3 shaku (about 1 meter; about 3 feet)ばかりの細いほそい narrowみち path; laneになる。それを爪先上がり爪先上つまさきあがり uphill (lit: climbing on one's toes)にだらだらと上がると、まばらなまばらな thin; sparse孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooがある。その藪の手前手前てまえ near sideさき far side一軒一軒いっけん one (dwelling; structure)ずつひと person; people住んでんで live (in a place)いる。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)いえ houseはその手前のぶん part; portionであった。小さなちいさな smallもん gateが道の向きき direction; orientationにまるで関係のない関係かんけいのない having no connection (to)ような位置位置いち position; placement筋かいにすじかいに at an angle; askew立ってって stand; be builtいた。はいると、家がまた見当違い見当違けんとうちがい unexpectedところ place; locationにあった。門も入口入口いりぐち entranceもまったくあとからつけたものらしい。

台所台所だいどころ kitchenのわきにりっぱな生垣生垣いけがき hedgeがあって、にわ yard; gardenの方にはかえって仕切り仕切しきり partition; boundaryもなんにもない。ただ大きなおおきな largeはぎ Japanese bush cloverが人の height; statureより高くたかく tall; in height延びてびて grow; extend座敷座敷ざしき (living) room椽側椽側えんがわ veranda少しすこし a bit; somewhat隠してかくして hide; concealいるばかりである。野々宮くん (suffix of familiarity for males)はこの椽側に椅子椅子いす chair持ち出してして bring out (to)、それへ腰を掛けてこしけて sit西洋の西洋せいようの Western雑誌雑誌ざっし magazine; periodical読んでんで readいた。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はいって来たはいってた arrived; enteredのを見てて see; notice

「こっちへ」と言ったった said; called out。まるで理科大学理科りか大学だいがく college of science穴倉穴倉あなぐら cellarなか inside同じおなじ same挨拶挨拶あいさつ greetingである。庭からはいるべきのか、玄関玄関げんかん entrance; entry hallから回るまわる go around (by way of)べきのか、三四郎は少しく躊躇して躊躇ちゅうちょして hesitateいた。するとまた

「こっちへ」と催促する催促さいそくする request; urgeので、思い切っておもって resolutely; decisively庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎書斎しょさい study; libraryで、広さひろさ size八畳八畳はちじょう 8 (tatami) mats (about 13 sq meters; about 140 sq ft)で、わりあいに西洋の書物書物しょもつ books; publicationsがたくさんある。野々宮君は椅子を離れて椅子いすはなれて leave one's chairすわったすわった sat down (on the mats)。三四郎は閑静な閑静かんせいな quiet所だとか、わりあいに御茶の水御茶おちゃみず Ochanomizu (place name)まで早くはやく quickly出られるられる can get out (to)とか、望遠鏡望遠鏡ぼうえんきょう telescope試験試験しけん experimentはどうなりましたとか、――締まりのないまりのない casual; loose当座の当座とうざの stopgap; fillerはなし talk; conversationをやったあと、

「きのうわたし me捜してさがして look forおいでだったそうですが、何かなにか something; some sort of御用御用ごよう business; matter of importanceですか」と聞いたいた asked。すると野々宮君は、少し気の毒そうなどくそうな apologetic; sympatheticかお look; (facial) expressionをして、

「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。

「それでわざわざ来てて come (over)くれたんですか」

「なに、そういうわけでもありません」

「じつはお国くに home region; the countryのおっかさんがね、せがれせがれ sonがいろいろお世話になる世話せわになる receive assistance; be under one's careからと言ってって say; note結構な結構けっこうな fine; splendidものを送っておくって sendくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうれいおう express one's thanks思っておもって thinking to do (something)……」

「はあ、そうですか。何かなにか something送ってきましたか」

「ええ赤いあかい redさかな fish粕漬粕漬かすづけ (fish) pickled in saké leesなんですがね」

「じゃひめいちひめいち himeichi (a small red fish)でしょう」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)つまらんつまらん poor; pettyものを送ったものだと思った。しかし野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)はかのひめいちについていろいろなこと things; facts質問した質問しつもんした asked (about); inquired。三四郎は特にとくに in particular食うう eatとき instance; occasion心得心得こころえ information; instructions説明した説明せつめいした explained粕ごとかずごと lees and all焼いていて roast; broil、いざさら dish; plateへうつすという時に、粕を取らないとらないと if one doesn't removeあじ flavor抜けるける escape; dissipateと言って教えておしえて tell; informやった。

二人二人ふたり two (people)がひめいちについて問答問答もんどう dialogue (lit: questions and answers)をしているうちに、日が暮れたれた the sun went down。三四郎はもう帰ろうかえろう return (home)と思って挨拶挨拶あいさつ formalities; farewellをしかけるところへ、どこからか電報電報でんぽう telegram来たた arrived。野々宮君はふう seal切ってって cut; break (seal)、電報を読んだんだ readが、口のうちでくちのうちで (say) within one's mouth; mutter、「困ったなこまったな uh oh; darn」と言った。

三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入ったった interfering; prying事を聞く inclinationにもならなかったので、ただ、

「何かできましたか」と棒のようにぼうのように dryly (lit: like a stick)聞いた。すると野々宮君は、

「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持ったった held in one's hand電報を、三四郎に見せてせて showくれた。すぐ来てくれとある。

「どこかへおいでになるのですか」

「ええ、いもうと (younger) sisterがこのあいだから病気病気びょうき illnessをして、大学大学だいがく university病院病院びょういん hospitalにはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐさわぐ loose one's cool; get excited気色気色けしき sign; indicationもない。三四郎のほうはかえって驚いたおどろいた be surprised。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それにいけ pond周囲周囲しゅうい perimeter会ったった met; encounteredおんな woman; young lady加えてくわえて add; throw in、それを一どきにいちどきに at onceかき回してかきまわして stir together、驚いている。

「じゃ、よほどお悪いわるい bad; seriousんですな」

「なにそうじゃないんでしょう。じつははは mother看病看病かんびょう attending (to a sick person)行ってって go (to)るんですが、――もし病気のためなら、電車電車でんしゃ (electric) train乗ってって board; ride (on)駆けてけて run; race; dash来たほうが早いはやい quickわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してして move; relocateからまだ一ぺんいっぺん one timeも行かないものだから、きょうの日曜日曜にちよう Sundayには来ると思って待ってって waitでもいたのでしょう、それで」と言ってくび head (lit: neck)横によこに sideways; to the side曲げてげて bend; tilt考えたかんがえた considered; thought over

「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」

「さよう。四、五日五日ごんち four or five days行かないうちにそう急にきゅうに suddenly変るかわる changeわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」

「おいでになるにしくはないしくはない it's best to ...でしょう」

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)行くく goことにした。行くときめたについては、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)頼みたのみ request; favor (to ask)があると言いだしたいだした mentioned万一万一まんいち on the off chance that (lit: in the 1 in 10,000 case)病気病気びょうき illnessのための電報電報でんぽう telegramとすると、今夜今夜こんや this evening帰れないかえれない cannot return。すると留守留守るす house-sitting; caretaking (in one's absence)下女下女げじょ maidservant一人一人ひとり aloneになる。下女が非常に非常ひじょうに exceedingly臆病臆病おくびょう timid; faint of heartで、近所近所きんじょ neighborhoodことのほかことのほか more than expectedぶっそうぶっそう dangerous; unsafeである。来合わせた来合きあわせた happened to come byのがちょうど幸いさいわい opportune; fortuitousだから、あすの課業課業かぎょう school work; lessonsにさしつかえがなければ泊ってとまって spend the nightくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例のれいの that ...佐々木佐々木ささき Sasakiでも頼むはずだったが、いま now; the presentからではとても間に合わないわない be too late。たった一晩一晩ひとばん one nightのことではあるし、病院病院びょういん hospitalへ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係関係かんけい relation; connectionもないひと personに、迷惑をかける迷惑めいわくをかける inconvenience; put (a person) outのはわがまますぎて、しいてしいて by force; insistingとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢に流暢りゅうちょうに eloquently; smoothlyは頼まなかったが、相手相手あいて the other partyの三四郎が、そう流暢に頼まれる必要必要ひつよう necessityのないおとこ fellowだから、すぐ承知して承知しょうちして agree; acceptしまった。

下女が御飯御飯ごはん dinnerはというのを、「食わないわない will not eat」と言ったまま、三四郎に「失敬失敬しっけい rudeness; impolitenessだが、きみ you一人で、あとで食ってください」と夕飯夕飯ゆうはん dinnerまで置き去りり leaving behindにして、出てて leave; departいった。行ったと思ったら暗いくらい darkはぎ Japanese bush cloverあいだ (from) between; throughから大きなおおきな big; loudこえ voice出してして put forth (voice)

「ぼくの書斎書斎しょさい study; libraryにあるほん booksはなんでも読んでんで readいいです。別にべつに particularlyおもしろいものもないが、何かなにか something御覧なさい御覧ごらんなさい take a look小説小説しょうせつ novels少しすこし a fewはある」

と言ったまま消えてえて disappearなくなった。椽側椽側えんがわ verandaまで見送って見送みおくって see (a person) off三四郎が礼を述べたれいべた said 'thanks'時は、三坪三坪みつぼ 3 tsubo (about 10 sq meters; about 100 sq ft)ほどな孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooたけ bamboo (stalks)が、まばらなだけに一本一本いっぽん one (stalk)ずつまだ見えた。

まもなく三四郎は八畳敷八畳敷はちじょうしき 8-mat room (about 13 sq meters; about 140 sq ft)の書斎のまん中まんなか middle小さいちいさい smallぜん (dining) tray控えてひかえて have; hold (close to oneself)晩飯晩飯ばんめし dinnerを食った。膳のうえ top (of); surfaceを見ると、主人主人しゅじん master (referring here to Nonomiya)言葉にたがわず言葉ことばにたがわず as stated; as ordered、かのひめいちがついている。久しぶりひさしぶり for the first time in a long while故郷故郷ふるさと home town; home regionかおり smell; aromaをかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕給仕きゅうじ service; waiting (on someone)に出た下女のかお faceを見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻目鼻めはな eyes and nose; (facial) features であった。

めし dinner済むむ be finished; be over下女下女げじょ maidservant台所台所だいどころ kitchen下がるがる withdraw (to)三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)一人一人ひとり aloneになる。一人になっておちつくと、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)いもうと younger sisterこと matter; situation急にきゅうに suddenly心配心配しんぱい worry; concernになってきた。危篤危篤きとく grave illnessなような feeling; sense (of something)がする。野々宮君の駆けつけ方けつけかた manner of setting out; manner of goingがおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見たた sawおんな woman; young ladyのような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺんいっぺん one time、女の顔つきかおつき facial features目つきつき eyesと、服装服装ふくそう clothing; dressとを、あのとき time; occasionあのままに、繰り返してかえして return to; reflect on、それを病院病院びょういん hospital寝台寝台ねだい bedうえ top of乗せてせて set (onto); place (onto)、そのそばに野々宮君を立たしてたして (cause to) stand二、三さん two or three; several会話会話かいわ conversation; (verbal) exchangeをさせたが、あに elder brotherではもの足らないものらない inadequate; lacking (usually ものりない)ので、いつのまにか、自分自分じぶん oneself代理代理だいり substituteになって、いろいろ親切に親切しんせつに kindly; compassionately介抱介抱かいほう tending to; looking afterしていた。ところへ汽車汽車きしゃ (steam) trainがごうと鳴ってって roar; rumble孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooのすぐした below通ったとおった passed through根太根太ねだ (floor) joistsのぐあいか、土質土質どしつ soil condition; soil qualityのせいか座敷座敷ざしき living room少しすこし a little; a bit震えるふるえる shake; trembleようである。

三四郎は看病看病かんびょう attending (to a sick person)をやめて、座敷を見回した見回みまわした looked aroundいかさまいかさま for sure; without doubt古いふるい old建物建物たてもの building; construction思われておもわれて seemed (to be); looked (to be)はしら pillars; beamsさび patinaがある。その代りそのかわり on the other hand唐紙唐紙からかみ papered shōji (唐紙障子からかみしょうじ)立てつけてつけ fitting; alignment悪いわるい poor; compromised天井天井てんじょう ceilingまっ黒まっくろ pitch blackだ。ランプばかりが当世に当世とうせいに in a modern fashion光ってひかって shine; glowいる。野々宮君のような新式の新式しんしきの new-style; modern学者学者がくしゃ scholar; academicが、もの好きにものきに on a whim; out of curiosityこんなうち house借りてりて borrow封建時代封建ほうけん時代じだい feudal times孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooを見て暮らすらす live; pass one's daysのと同格同格どうかく two of a kind (with)である。もの好きならば当人当人とうにん the person in question随意随意ずいい option; choiceだが、もし必要必要ひつよう necessityにせまられて、郊外郊外こうがい suburbs; outskirtsにみずからを放逐した放逐ほうちくした turned out; expelledとすると、はなはだ気の毒どく pitiableである。聞くところによるとくところによると according to rumor、あれだけの学者で、月につきに per monthたった五十五円五十五円ごじゅうごえん 55 yenしか、大学大学だいがく universityからもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校私立しりつ学校がっこう private school教えにゆくおしえにゆく go to teach (at)のだろう。それで妹に入院されて入院にゅういんされて be hospitalizedはたまるまい。大久保大久保おおくぼ Ōkubo (place name)越したした moved; relocatedのも、あるいはそんな経済上の経済上けいざいじょうの economicつごうかもしれない。……

宵の口よいくち early eveningではあるが、場所場所ばしょ place; locationが場所だけにしんとしている。にわ yard; gardenさき edgesむし insects soundがする。ひとりですわっていると、さみしいあき fall; autumn初めはじめ beginningである。そのとき moment; time遠いとおい distantところ place; localeでだれか、

「ああああ、もう少しすこし a little; a bit while; interval (of time)だ」

言うう say; utterこえ voiceがした。方角方角ほうがく directionいえ house裏手裏手うらて back sideのようにも思えるおもえる seemed (to be)が、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分けるける discern (through listening)ひま time; leisureもないうちに済んでんで be finished; be doneしまった。けれども三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)みみ earsには明らかにあきらかに clearly; certainlyこの一句一句いっく single phraseが、すべてに捨てられたてられた be cast away; be abandonedひと person; individualの、すべてから返事返事へんじ answer; response予期しない予期よきしない not expect; not anticipate真実の真実しんじつの genuine; authentic独白独白ひとりごと talking to oneself (usually 独白どくはく)と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった気味きみわるくなった began to feel uneasy。ところへまた汽車汽車きしゃ (steam) trainが遠くから響いて来たひびいてた began to resound; began to reverberate。その音が次第に次第しだいに gradually近づいてちかづいて drew near孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ stand of bambooした below通るとおる pass through時には、前のまえの previous列車列車れっしゃ trainよりもばい twice (as much)高い音たかおと high-pitched sound立てててて raise; make (sound)過ぎ去ったった went on its way; continued on its way座敷座敷ざしき living room微震微震びしん reverberationsがやむまでは茫然として茫然ぼうぜんとして be in a daze; be mentally numbいた三四郎は、石火石火せっか spark (from striking flint)のごとく、さっきの嘆声嘆声たんせい sighいま (just) nowの列車の響きとを、一種一種いっしゅ one type因果因果いんが cause and effect; causal relationship結びつけたむすびつけた tied together; connected。そうして、ぎくんと飛び上がったがった jumped up; bolted upright。その因果は恐るべきおそるべき dreadful; terribleものである。

三四郎はこの時じっと座に着いていて be sitting; remain seatedいることのきわめて困難な困難こんなんな difficultのを発見した発見はっけんした discovered; found背筋背筋せすじ spinal columnから足の裏あしうら bottoms of one's feetまでが疑惧疑惧ぎぐ apprehension; unease刺激刺激しげき stimulationむずむずするむずむずする feel itchy; be tingly立ってって stand up; get up便所便所べんじょ toilet行ったった went (to)まど windowからそと outsideをのぞくと、一面一面いちめん one layer; a blanket of ...星月夜星月夜ほしづきよ starry nightで、土手土手どて embankment下の汽車道汽車道きしゃみち train tracks死んだようにんだように deathly静かしずか quietである。それでも竹格子竹格子たけごうし bamboo latticeのあいだからはな nose出すす stick out (from)くらいにして、暗いくらい dark; dim所をながめていた。

すると停車場停車場ステーション stationほう directionから提灯提灯ちょうちん lanternをつけたおとこ menがレールのうえ top of伝ってつたって walk along; followこっちへ来る。話し声はなこえ (talking) voices判じるはんじる judge (by)三、四人さん四人よにん three or four menらしい。提灯のかげ form; light (from something)踏切踏切ふみきり crossingから土手下へ隠れてかくれて be hidden (from view)、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉言葉ことば words手に取るようにるように as if close enough to touch聞こえたこえた were audible; could be heard

「もう少し先だ」

足音足音あしおと sound of footsteps向こうこう ahead; beyondへ遠のいて行くく go; proceed。三四郎は庭先庭先にわさき inner garden (bordering on the veranda)回ってまわって circle around (to)下駄下駄げた wooden sandals突っ掛けたけた slipped on (slippers or sandals)まま孟宗藪の所から、一間余一間余いっけんあまり about 1 ken (about 2 yards; about 2 meters)の土手を這い降りてりて scrambled down、提灯のあとを追っかけて行ったっかけてった followed after

五、六間六間ろっけん 5 or 6 ken (about 10 meters; about 12 yards)行くか行かないうちに、また一人一人ひとり one person土手から飛び降りたりた jumped down; dropped downもの personがある。――

轢死轢死れきし death on impact (by train or car)じゃないですか」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)何かなにか something答えようこたえよう respond (with)としたが、ちょっとこえ voice出なかったなかった didn't come out; didn't materialize。そのうち黒い男くろおとこ dark figure (of a man)行き過ぎたぎた went on (ahead)。これは野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)おく interior (further down the lane)住んでんで live; resideいるいえ house主人主人あるじ head (of a household)だろうと、後をつけながらあとをつけながら while following after考えたかんがえた surmised半町半町はんちょう half a chō (about 50 meters; about 60 yards)ほどくると提灯提灯ちょうちん lanterns留まってまって be stopped; come to a haltいる。ひと people; menも留まっている。人は lightかざしたかざした held up (over one's head)まま黙っているだまっている be silent。三四郎は無言で無言むごんで silently; without a word灯のした beneath見たた looked at。下には死骸死骸しがい body; (human) remains半分半分はんぶん halfある。汽車汽車きしゃ (steam) trainみぎ rightかた shoulderからちち breastの下をこし waist; hipsうえ aboveまでみごとに引きちぎってきちぎって tear off; wrench off斜掛けの斜掛はすかけの (cut) at an angleどう trunk; torso置き去りにしてりにして leaving behind; leaving in its wake行ったった went (on)のである。かお face無傷無傷むきず unhurt; undamagedである。若いわかい youngおんな woman; young ladyだ。

三四郎はそのとき time; moment心持ち心持こころもち feeling; impressionをいまだに覚えておぼえて rememberいる。すぐ帰ろうかえろう return (home)として、踵をめぐらしかけたきびすをめぐらしかけた started to return; made ready to go (lit: turned one's heels)が、足がすくんであしがすくんで feel weak in the kneesほとんど動けなかったうごけなかった couldn't move土手土手どて embankment這い上がってがって crawled up; clambered up座敷座敷ざしき living roomへもどったら、動悸動悸どうき palpitation; pulsation打ち出したした begin to beat; begin to throbみず waterをもらおうと思っておもって think (to do something)下女下女げじょ maidservant呼ぶぶ call (for someone)と、下女はさいわいになんにも知らないらない not know; be unawareらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出したさわした broke into a commotion。三四郎は主人が帰ったんだなと覚ったさとった realized; became aware of。やがて土手の下ががやがやするがやがやする buzz; hum (with noise)。それが済むむ end; be overとまた静かしずか quietになる。ほとんど堪え難いがたい unbearable; unendurableほどの静かさであった。

三四郎の目の前まえ before one's eyesには、ありありとありありと distinctly; vividlyさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言ったちから energy; vigorのない声と、その二つふたつ two (things)の奥に潜んでひそんで be hidden in; lie withinおるべきはずの無残な無残むざんな cruel; merciless運命運命うんめい fate; destinyとを、継ぎ合わしてわして join together; put together考えてみると、人生人生じんせい (human) lifeという丈夫そうな丈夫じょうぶそうな seemingly robust; hearty-lookingいのち (mortal) life rootsが、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇暗闇くらやみ darkness浮き出してして float (off)ゆきそうに思われるおもわれる seems (to be)。三四郎は欲も得もいらないよくとくもいらない forget all other considerations; having no concern for love or moneyほどこわかった。ただごうというごうという with a roar; with a rumble一瞬間一瞬間いっしゅんかん single instantである。そのまえまではたしかに生きていたきていた was aliveに違いないちがいない it's certain that ...

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はこのとき time; momentふと汽車汽車きしゃ (steam) train水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesをくれたおとこ manが、あぶないあぶない、気をつけないとをつけないと if one isn't carefulあぶない、と言ったった saidことを思い出したおもした remembered; called to mind。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分自分じぶん oneselfはあぶなくない地位地位ちい position; status立ってって stand; be situatedいれば、あんな男にもなれるだろう。世の中なか society; the worldにいて、世の中を傍観して傍観ぼうかんして looking on; watching from the wingsいるひと personはここに面白味面白味おもしろみ interest; fascination (with)があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいいぐあい manner of eatingから、青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)ちゃ tea飲んでんで drink煙草煙草たばこ tobacco; cigarette吸いい smoke (tobacco)、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面正面しょうめん straight ahead見てて look; watchいた様子様子ようす appearance; mannerは、まさにこのしゅ type; kind人物人物じんぶつ character; personageである。――批評家批評家ひひょうか critic; commentatorである。――三四郎は妙なみょうな odd; unusual意味意味いみ meaning; nuanceに批評家という word使って使つかって use; applyみた。使ってみて自分でうまいと感心した感心かんしんした was impressed (with)のみならずのみならず furthermore; moreover自分も批評家として、未来未来みらい future存在しよう存在そんざいしよう exist; live (one's life)かとまで考えだしたかんがえだした began to consider; began to think。あのすごい死顔死顔しにがお face of a dead personを見るとこんな feeling起こるこる arise; be stirred up

三四郎は部屋部屋へや roomのすみにあるテーブルと、テーブルのまえ front ofにある椅子椅子いす chairと、椅子のよこ next toにある本箱本箱ほんばこ bookcaseと、その本箱のなか inside行儀よく行儀ぎょうぎよく carefully; neatly並べてならべて line up; put in orderある洋書洋書ようしょ Western books見回して見回みまわして survey; look over、この静かなしずかな quiet; still書斎書斎しょさい library主人主人あるじ owner; masterは、あの批評家と同じくおなじく similarly (to)無事で無事ぶじで without incident; in safety幸福幸福こうふく happiness; well-beingであると思ったおもった thought。――光線光線こうせん light beam圧力圧力あつりょく pressure研究する研究けんきゅうする study; researchために、おんな woman; young lady轢死轢死れきし death on impact (by train or car)させることはあるまい。主人のいもうと younger sister病気病気びょうき ill; unwellである。けれどもあに older brother作ったつくった made; brought about病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへとあたま head; thoughts移ってゆくうつってゆく move on to; transition toうちに、十一時十一時じゅういちじ eleven (o'clock)になった。中野行中野行なかのゆき for Nakano (train)電車電車でんしゃ (electric) trainはもう来ないない run (train); arrive。あるいは病気が悪いわるい serious; graveので帰らないかえらない won't returnのかしらと、また心配心配しんぱい worry; concernになる。ところへ野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)から電報電報でんぽう telegram来たた came; arrived。妹無事、あすあさ morning帰るとあった。

安心して安心あんしんして be reassuredとこ bedにはいったが、三四郎のゆめ dreamはすこぶる危険危険きけん dangerous; perilousであった。――轢死を企てたきわてた planned; plotted女は、野々宮に関係関係かんけい connection; relationshipのある女で、野々宮はそれと知ってって know (of); be aware (of)いえ house帰って来ないかえってない not return (to)。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けたけた applied; sent (telegram)。妹無事とあるのは偽りいつわり fabrication; deceptionで、今夜今夜こんや this evening轢死のあった時刻時刻じこく time; hourに妹も死んでしまったんでしまった died。そうしてその妹はすなわち三四郎がいけ pondはた edge会ったった met; encountered女である。……

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)あくる日あくる the next day例になくれいになく unusually; contrary to habit早くはやく early起きたきた woke up

寝つけないつけない not used to sleepingところ placeに寝たとこ bedのあとをながめて、煙草煙草たばこ cigarette一本一本いっぽん one (cigarette)のんだが、ゆうべのこと matter; affairは、すべてゆめ dreamのようである。椽側椽側えんがわ veranda出てて go out (onto)低いひくい lowひさし eavesそと outside (of)にあるそら sky仰ぐあおぐ look up atと、きょうはいい天気天気てんき weatherだ。世界世界せかい the worldいま now; the present朗らかほがらか bright; cheerfulになったばかりのいろ colorをしている。めし breakfast済ましてまして finishちゃ tea飲んでんで drink、椽側に椅子椅子いす chair持ち出してして take out (onto)新聞新聞しんぶん newspaper読んでんで readいると、約束どおり約束やくそくどおり as promised野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)帰って来たかえってた came back; returned

昨夜昨夜さくや last night、そこに轢死轢死れきし death on impact (by train or car)があったそうですね」と言うう said停車場停車場ステーション station何かなにか something聞いたいた heardものらしい。三四郎は自分の自分じぶんの one's own経験経験けいけん experience残らずのこらず in full; holding nothing back話したはなした told; related

「それは珍しいめずらしい unusualめったに会えないめったにえない rarely encounteredことだ。ぼくもいえ house; homeにおればよかった。死骸死骸しがい body; remainsはもう片づけたろうかたづけたろう probably disposed of; probably cleaned upな。行ってって go見られないられない can't see; won't be able to seeだろうな」

「もうだめでしょう」と一口一口ひとくち one word; in short答えたこたえた answeredが、野々宮君ののん気なのんな easygoing; carefreeのには驚いたおどろいた be surprised; be taken aback。三四郎はこの無神経無神経むしんけい indifference; callousnessをまったくよる nighttimeひる daytime差別差別さべつ distinctionから起こるこる arise (from); be brought about (by)ものと断定した断定だんていした concluded光線光線こうせん light beam圧力圧力あつりょく pressure試験する試験しけんする measure; testひと person性癖性癖せいへき disposition; propensityが、こういう場合場合ばあい circumstanceにも、同じおなじ same態度態度たいど manner; behavior表われてあらわれて appear; become apparentくるのだとはまるで気がつかなかったがつかなかった didn't realize年が若いとしわかい be youngからだろう。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はなし talk; conversation転じててんじて shift; alter (the course of)病人病人びょうにん sick person; patientのことを尋ねたたずねた inquired (about)野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)返事返事へんじ answer; responseによると、はたして自分の自分じぶんの one's own推測推測すいそく guess; conjectureどおり病人に異状異状いじょう change (in condition)はなかった。ただ五、六日六日ろくんち five or six days以来以来いらい since ...行ってって goやらなかったものだから、それを物足りなく物足ものたりなく unsatisfactory; inadequate思っておもって thought; considered退屈紛れに退屈紛たいくつまぎれに to pass the time; to alleviate one's boredomあに older brother釣り寄せたせた beckoned; luredのである。きょうは日曜日曜にちよう Sundayだのに来てて come (to visit)くれないのはひどいと言ってって say怒っておこって be cross; be irritatedいたそうである。それで野々宮君はいもうと younger sisterをばかだと言っている。本当に本当ほんとうに really; in truthばかだと思っているらしい。この忙しいいそがしい busyものに大切な大切たいせつな valuable時間時間じかん time浪費させる浪費ろうひさせる cause to waste; force to squanderのは foolishnessだというのである。けれども三四郎にはその意味意味いみ argument; point (of view)がほとんどわからなかった。わざわざ電報電報でんぽう telegram掛けてけて send (telegram)まで会いたがるいたがる want to see (someone)妹なら、日曜の一晩一晩ひとばん one evening二晩二晩ふたばん two eveningsをつぶしたって惜しくはないしくはない one should not begrudge ...はずである。そういうひと personに会って過ごすごす spend (time)時間が、本当の時間で、穴倉穴倉あなぐら basement; cellar光線光線こうせん light beam試験試験しけん experimentをして暮らすらす live (one's life)月日月日つきひ days (lit: months and days)はむしろ人生人生じんせい life; human life遠いとおい distant (from)閑生涯閑生涯かんしょうがい leisurely existenceというべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強勉強べんきょう studies妨害妨害ぼうがい disturbance; interruptionをされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたかんじた feltが、そのとき time; moment轢死轢死れきし death on impact (by train or car)こと matter; affair忘れてわすれて forgetいた。

野々宮君は昨夜昨夜さくや the previous nightよく寝られなかったられなかった couldn't sleep; wasn't able to sleepものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわいひる noonから早稲田早稲田わせだ Waseda (place name)学校学校がっこう school行くく go (to) dayで、大学大学だいがく universityのほうは休みやすみ day offだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きてきて be up; be awakeいたんですか」と三四郎が聞くく askと、じつは偶然偶然ぐうぜん by chance高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)教わったおそわった was taught byもとの先生先生せんせい teacher; professor広田広田ひろた Hirota (name)という人が妹の見舞い見舞みまい visit; inquiry (to check after a person's health)に来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車電車でんしゃ (electric) trainの時間に遅れておくれて be late (for)、つい泊るとまる stay over; spend the nightことにした。広田のうち houseへ泊るべきのを、また妹がだだをこねてだだをこねて be fretful; raise a fuss、ぜひ病院病院びょういん hospitalに泊れと言って聞かないから、やむをえず狭いせまい confined; crampedところ placeへ寝たら、なんだか苦しくってくるしくって uncomfortable寝つかれなかった。どうも妹は愚物愚物ぐぶつ fool; dunceだ。とまた妹を攻撃する攻撃こうげきする attack; criticize。三四郎はおかしくなった。少しすこし a little; a bit妹のために弁護しよう弁護べんごしよう defend; argue on someone's behalfかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。

その代りそのかわり instead; rather広田広田ひろた Hirota (name)さんの事こと concerning ...聞いたいた asked (about)三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は広田さんの名前名前なまえ nameをこれで三、四へんさんへん three or four times耳にしているみみにしている had heard。そうして、水蜜桃水蜜桃すいみつとう peaches先生先生せんせい teacher; professor青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)の先生に、ひそかに広田さんの nameをつけている。それから正門内正門内せいもんない inside the main gate (of the university)意地の悪い意地いじわるい ill-tempered; mean-spiritedうま horse苦しめられてくるしめられて be tormented; be put in a bind喜多床喜多床きたどこ Kitadoko (name of Tōkyō barbershop founded in 1871)職人職人しょくにん artisans; journeymen笑われたわらわれた be laughed atのもやはり広田先生にしてある。ところがいま now; the present (time)承ってうけたまわって be told; be informedみると、馬のけん incidentははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ずかならず certainly; positively同先生同先生どうせんせい the same teacher; the same professorに違いないちがいない no doubt that ...決めためた decided; concluded考えるかんがえる consider; think aboutと、少しすこし a little; a bit無理無理むり unlikely; far-fetchedのようでもある。

帰るかえる return; leave (for home)とき timeに、ついでだから、午前中午前中ごぜんちゅう during the morning; before noon届けてとどけて deliverもらいたいと言ってって sayあわせ a lined kimono一枚一枚いちまい one (counter for thin objects)病院病院びょういん hospitalまで頼まれたたのまれた was requested。三四郎は大いにおおいに very much; greatlyうれしかった。

三四郎は新しいあたらしい new四角な四角しかくな square; four-cornered帽子帽子ぼうし hat; capをかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるける can go (to)のがちょっと得意得意とくい triumph; point of prideである。さえざえしい顔さえざえしいかお cheerful lookをして野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)うち house出たた left; departed (from)

御茶の水御茶おちゃみず Ochanomizu (place name)電車電車でんしゃ (electric) train降りてりて descend from; get off (a train)、すぐくるま rickshaw乗ったった boarded; got into (car)。いつもの三四郎に似合わぬ似合にあわぬ not suit; not be becoming to所作所作しょさ conduct; behaviorである。威勢よく威勢いせいよく with energy; with a flair赤門赤門あかもん Red Gate引き込ませたませた had (the rickshaw driver) pull through時、法文科法文科ほうぶんか (college of) law and literatureのベルが鳴り出したした began to ring; rang out。いつもならノートとインキ壺インキつぼ ink jar持ってって hold; carry八番八番はちばん No 8教室教室きょうしつ classroom; lecture hallにはいる時分時分じぶん time; hourである。一、二時間いち二時間にじかん one or two hours講義講義こうぎ lectureぐらい聞きそくなってきそくなって miss (hearing); fail to attend (lecture)もかまわないという feelingで、まっすぐに青山青山あおやま Aoyama (name)内科内科ないか (institute for) internal medicine玄関玄関げんかん entrywayまで乗りつけた。

上がり口がりぐち entranceおく interiorへ、二つ目のふたの secondかど cornerみぎ right切れてれて turn (toward)突当たり突当つきあたり end (of the hall)ひだり left曲がるがる turn東側東側ひがしがわ east side部屋部屋へや roomだと教わったおそわった be instructed; be toldとおり歩いてあるいて walk行くと、はたしてあった。黒塗り黒塗くろぬり painted in blackふだ card; labelに野々宮よし子よし Yoshiko (name)仮名仮名かな kana書いていて write戸口戸口とぐち door掛けてけて hang; suspendある。三四郎はこの名前を読んだんだ readまま、しばらく戸口のところ place; locationたたずんでたたずんで idle; loiterいた。いなか物いなかもの country boyだからノックするなぞという気の利いたいた clever; prudentこと act; actionはやらない。「このなか insideにいるひと personが、野々宮君のいもうと younger sisterで、よし子というおんな woman; young ladyである」

三四郎はこう思っておもって think; consider立ってって standいた。 doorをあけてかお face見たくたく wanting to seeもあるし、見て失望する失望しつぼうする be disappointedのがいやでもある。自分の自分じぶんの one's own頭の中あたまなか mind; thoughts往来する往来おうらいする come and go; move about女の顔は、どうも野々宮宗八宗八そうはち Sōhachi (name)さんに似ていないていない bear no resemblance toのだから困るこまる be worried

うしろから看護婦看護婦かんごふ nurse草履草履ぞうり straw sandalsおと soundをたてて近づいて来たちかづいてた approached; drew near三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)思い切っておもって with resolve door半分半分はんぶん halfwayほどあけた。そうしてなか insideにいるおんな woman; young ladyかお face見合わせた見合みあわせた exchanged glances。(片手片手かたて one handにハンドルをもったまま)

 eyes大きなおおきな largeはな nose細いほそい narrowくちびる lips薄いうすい thin鉢が開いたはちひらいた wide and flat思うおもう think (of as)くらいに、ひたい forehead広くってひろくって wide; broad顎がこけたあごがこけた with a drooping jaw女であった。造作造作ぞうさく facial featuresはそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちかおだち looks; featuresから出るる emanate (from)、このとき time; momentにひらめいた咄嗟咄嗟とっさ moment; instant表情表情ひょうじょう expression生まれてまれて in one's lifeはじめて見た。青白い青白あおじろい pale; pallid額のうしろに、自然のままに自然しぜんのままに in its natural stateたれた濃いい thickかみ hairが、かた shouldersまで見える。それへ東窓東窓ひがしまど east windowをもれる朝日朝日あさひ morning lightひかり raysが、うしろからさすので、髪と日光日光 sunlight; sun's rays (usually 日光にっこう)触れ合うう come in contact; touch each otherさかい border; boundaryのところが菫色菫色すみれいろ violet color燃えてえて burn生きたきた livingつきかさ halo; corona (usually 月暈つきがさ)しょってしょって carry; supportる。それでいて、顔も額もはなはだ暗いくらい in darkness; shaded。暗くて青白い。そのなかに遠いとおい distant心持ち心持こころもち feelingのする目がある。高いたかい high; loftyくも cloudsそら skyおく interior; depthsにいて容易に容易よういに easily; readily動かないうごかない don't move。けれども動かずにもいられない。ただなだれるなだれる descend; slide downように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。

三四郎はこの表情のうちにものういものうい languid; listless憂鬱憂鬱ゆううつ melancholyと、隠さざるかくさざる apparent; not to be hidden快活快活かいかつ cheerfulness; lightheartednessとの統一統一とういつ unityを見いだした。その統一の感じかんじ feeling; impressionは三四郎にとって、最ももっとも most尊きとうとき precious; exalted人生人生じんせい human life; existence一片一片いっぺん piece (of); aspect (of)である。そうして一大一大いちだい one large ...; a great ...発見発見はっけん discoveryである。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸のかげ shadow; shelter ofから半分部屋部屋へや roomの中に差し出したした stretched out; extendedままこの刹那刹那せつな moment; instantかん feeling自らみずから oneself放下し去った放下ほうげった give up to; abandon to

「おはいりなさい」

女は三四郎を待ち設けたもうけた expected; was watching forように言うう spoke。その調子調子ちょうし tone (voice)には初対面初対面しょたいめん first meeting; initial introductionの女には見いだすことのできない、安らかなやすらかな comfortable; relaxed音色音色ねいろ tone; timbreがあった。純粋の純粋じゅんすいの pure; innocent子供子供こども childか、あらゆる男児男児だんじ boys接しつくしたせっしつくした had extensive contact; had extensive interaction婦人婦人ふじん ladyでなければ、こうは出られないこうはられない couldn't engage with (a person) soなれなれしいなれなれしい familiar; overfamiliarのとは違うちがう different初めからはじめから from the beginning; from the start古いふるい old知り合いい acquaintanceなのである。同時に同時どうじに at the same time女は肉の豊かでないにくゆたかでない thin (lit: not of ample flesh)ほお cheeksを動かしてにこりと笑ったにこりとわらった smiled。青白いうちに、なつかしい暖かみあたたかみ warmthができた。三四郎のあし legs; feetはしぜんと部屋のうち insideへはいった。その時青年青年せいねん young manあたま head; mindのうちには遠い故郷故郷こきょう home town; native regionにあるはは motherの影がひらめいた。

 doorのうしろへ回ってまわって step around (to)、はじめて正面正面しょうめん straight ahead; forward向いたいた facedとき time; moment五十五十ごじゅう fifty (years of age)あまりの婦人婦人ふじん lady三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)挨拶挨拶あいさつ greetingをした。この婦人は三四郎のからだがまだとびら doorかげ shadow; shelter of出ないない not be emerged (from)まえから席を立ってせきって rise from one's seat待ってって waitいたものとみえる。

小川小川おがわ Ogawa (Sanshirō's family name)さんですか」と向こうこう the other partyから尋ねてたずねて inquiredくれた。かお face野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)似てて resembleいる。むすめ daughterにも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれたたのまれた requested; entrusted風呂敷包み風呂敷包ふろしきづつみ bundle wrapped with a furoshiki (carrying cloth)出すす take out; presentと、受け取ってって receive; take possession of礼を述べてれいべて express one's thanks

「どうぞ」と言いながら椅子椅子いす chairをすすめたまま、自分自分じぶん oneself寝台寝台ベッド bed向こう側こうがわ other side; far sideへ回った。

寝台のうえ top of敷いたいた laid out; spread out蒲団蒲団ふとん futon; quilted mattress見るる look atまっ白まっしろ pure whiteである。上へ掛けるける spreadものもまっ白である。それを半分半分はんぶん halfほど斜にはすに at an angleはぐってはぐって turned downすそ skirt; edgeのほうが厚くあつく thick見えるところを、よけるように、おんな young ladyまど window背にしてにして turning one's back toward腰をかけたこしをかけた sat; was seatedあし feetゆか floor届かないとどかない didn't reach hands編針編針あみばり knitting needles持ってって hold; haveいる。毛糸毛糸けいと yarnのたまが寝台のした below; beneath転がったころがった rolled。女の手から長いながい long赤いあかい redいと yarn; string筋を引いてすじいて drawing a lineいる。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してして retrieveやろうかと思ったおもった thought (of doing)、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着無頓着むとんじゃく indifferent; unconcernedでいるので控えたひかえた refrained

おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜昨夜さくや last night; the previous nightの礼を述べる。お忙しいいそがしい busyところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んであそんで be idle; have time on one's handsいますからと言う。二人二人ふたり two (people)はなし talk; conversationをしているあいだ、よし子よし Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)黙ってだまって remain quietいた。二人の話が切れたれた ended; broke off時、突然突然とつぜん suddenly; abruptly

「ゆうべの轢死轢死れきし death on impact (by train or car)御覧になって御覧ごらんになって see; witness」と聞いたいた asked。見ると部屋部屋へや roomのすみに新聞新聞しんぶん newspaperがある。三四郎が、

「ええ」と言う。

「こわかったでしょう」と言いながら、少しすこし a little; a bitくび head; neck横によこに to the side曲げてげて bent; inclined、三四郎を見た。あに older brotherに似て首の長いながい long女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずにこたえずに without replying、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問質問しつもん questionがあまり単純な単純たんじゅんな simpleので、答に窮したきゅうした be hard pressed; be at a lossのである。半分は答えるのを忘れたわすれた forgotのである。女は気がついたがついた noticed; realizedとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い青白あおじろい pale; pallidほお cheeksおく interior; depthsを少し赤くしたあかくした reddened (blushed)。三四郎はもう帰るかえる return; take one's leaveべき時間時間じかん timeだと考えたかんがえた decided

挨拶挨拶あいさつ formalities; regardsをして、部屋部屋へや room出てて left; departed (from)玄関玄関げんかん entrance; entryway正面正面しょうめん forward; straight ahead来てて came (to)向こうこう beyond; the far end見るる look (to)と、長いながい long廊下廊下ろうか hallwayのはずれが四角四角しかく square切れてれて cut (into); divided (into)、ぱっと明るくあかるく brightおもて out frontみどり green映るうつる reflect; be projected上がり口がりくち entranceに、いけ pondおんな young lady立ってって standいる。はっと驚いたおどろいた be surprised三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)あし feet; legsは、さっそく歩調歩調ほちょう pace (of walking); gait狂いくるい confusion; disorderができた。そのとき time; moment透明な透明とうめいな transparent空気空気くうき air画布画布カンバス (oil painting) canvasなか middle暗くくらく darkly描かれたえがかれた painted; drawn女のかげ shadow; silhouette一足一足ひとあし one stepまえ forward動いたうごいた moved。三四郎も誘われたさそわれた summoned; beckonedように前へ動いた。二人二人ふたり two (people)一筋道一筋道ひとすじみち single straight pathの廊下のどこかですれ違わねばならぬすれちがわねばならぬ must pass (each other)運命運命うんめい fate; destinyをもって互いにたがいに mutually近づいて来たちかづいてた approached; drew nearer。すると女が振り返ったかえった looked back; turned back。明るい表の空気の中には、初秋初秋はつあき early autumnの緑が浮いていて floatいるばかりである。振り返った女の eyes; lookに応じておうじて in response to; in reaction to、四角の中に、現われたあらわれた appearedものもなければ、これを待ち受けてけて expect; wait forいたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢姿勢しせい posture; stance服装服装ふくそう dress; clothing頭の中あたまなか one's mind入れたれた put into

着物着物きもの kimonoいろ colorはなんという nameかわからない。大学大学だいがく universityいけ pondみず waterへ、曇ったくもった cloudy; overcast常磐木常磐木ときわぎ evergreen (tree)の影が映る時のようである。それはあざやかなしま stripesが、うえ topからした bottom貫いてつらぬいて run through; pierceいる。そうしてその縞が貫きながら波を打ってなみって ripple; form a wave、互いに寄ったりったり draw near離れたりはなれたり move apart; separate重なってかさなって overlap; double up太くなったりふとくなったり thicken割れてれて split apart二筋二筋ふたすじ two linesになったりする。不規則不規則ふきそく irregularだけれども乱れないみだれない not in disorder。上から三分一三分一さんぶいち one thirdのところを、広いひろい wideおび belt; sashよこ sideways仕切った仕切しきった cut; partitioned。帯の感じかんじ feeling; impressionには暖かみあたたかみ warmthがある。 yellow含んでふくんで includeいるためだろう。

うしろを振り向いた時、みぎ right (side)かた shoulderが、あとへ引けてけて withdrew; reversedひだり left (side) handこし waist; hips添ったった accompany; stay byまままえ forward出たた advanced。ハンケチを持ってって hold; carryいる。そのハンケチのゆび fingers余ったあまった be in excess; be left overところが、さらりとさらりと smoothly; sleekly開いてひらいて open; unfoldいる。きぬ silkのためだろう。――腰から下は正しいただしい straight; correct姿勢にある。

女はやがてもとのとおりに向き直ったなおった turned back (around); corrected one's orientation目を伏せてせて with eyes cast downward二足二足ふたあし two steps; several stepsばかり三四郎に近づいた時、突然突然とつぜん suddenlyくび neck; head少しすこし a little; a bitうしろに引いて、まともにおとこ man (here: Sanshirō)見たた looked at二重瞼二重瞼ふたえまぶた double eyelid切長の切長きれながの tapered (outer corners of the eye)おちついた恰好恰好かっこう shape; form; appearanceである。目立って目立めだって be conspicuous; stand out黒いくろい black眉毛眉毛まゆげ eyebrowsの下に生きてきて be aliveいる。同時に同時どうじに at the same timeきれいな teethがあらわれた。この歯とこの顔色顔色かおいろ facial complexionとは三四郎にとって忘るべからざるわすれるべからざる unforgettable対照対照たいしょう contrast; comparisonであった。

きょうは白いしろい whiteものを薄くうすく thinly; lightly塗ってって paint; apply (makeup)いる。けれども本来の本来ほんらいの original; natural ground; base (color)隠すかくす hide; concealほどに無趣味無趣味むしゅみ lacking in refinementではなかった。こまやかなこまやかな tender; fineにく fleshが、ほどよくほどよく judiciously; to the proper degree色づいていろづいて be colored強いつよい strong; intense日光日光 sunlight; sun's raysめげないめげない not succumb toように見えるえる appearうえ top ofを、きわめて薄く粉が吹いていて be dusted with powderいる。てらてらてらてら lustrously; glossily照るひかる shineかお faceではない。

肉はほお cheekといわずあご jawといわずきちりときちりと nicely; perfectly (= きっちりと)締まってまって be firm; be tautいる。ほね bones; frameの上に余ったあまった excessものはたんとたんと a lot; very much (= たくさん)ないくらいである。それでいて、顔全体全体ぜんたい as a whole; overall柔かいやわらかい soft; tender。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われるおもわれる it seemed that ...奥行きの長い奥行おくゆきのながい having depth感じかんじ feeling; impression起こさせるこさせる stir; evoke顔である。

おんな young lady腰をかがめたこしをかがめた bowed (lit: bent at the waist)三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)知らぬらぬ unknown; unfamiliarひと personれい salutationをされて驚いたおどろいた be surprisedというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなたくみな skillful; artfulのに驚いた。腰から上が、かぜ wind; breeze乗るる ride (on)かみ paperのようにふわりとふわりと softly; lightlyまえ forward落ちたちた fell; dropped。しかも早いはやい simple; quick。それで、ある角度角度かくど angleまで来てて arrive (at)苦もなくもなく without difficultyはっきりととまった。むろん習ってならって be taught覚えたおぼえた learnedものではない。

「ちょっと伺いますうかがいます ask; inquireが……」と言うう say; speakこえ voice白いしろい white teethのあいだから出たた came forth (from)きりりとしてきりりとして be tight; be crispいる。しかし鷹揚鷹揚おうよう large-hearted; generousである。ただなつ summerさかりさかり the height (of)しい chinquapin oak acornsがなっているかとひと a person聞きそうきそう askには思われなかった。三四郎はそんなこと fact; matter気のつくのつく take notice (of)余裕余裕よゆう composure; marginはない。

「はあ」と言って立ち止まったまった came to a stop

十五号室十五じゅうご号室ごうしつ room number 15はどのへん area; vicinityになりましょう」

十五号は三四郎がいま now; just now出て来たた came out (of)部屋部屋へや roomである。

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんの部屋ですか」

今度今度こんど this timeは女のほうが「はあ」と言う。

「野々宮さんの部屋はね、そのかど corner曲がってがって turn (a corner)突き当ってあたって at the end、またひだり leftへ曲がって、二番目二番目にばんめ the second (one)右側右側みぎがわ right sideです」

「その角を……」と言いながら女は細いほそい slenderゆび fingerを前へ出した。

「ええ、ついそのさき aheadの角です」

「どうもありがとう」

おんな young lady行き過ぎたぎた passed by; proceeded on (one's way)三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)立ったままったまま standing; fixed in place、女の後姿後姿うしろすがた retreating figure見守って見守みまもって look afterいる。女はかど corner来たた came (to); arrived (at)曲がろうがろう turn (a corner)とするとたんに振り返ったかえった looked back。三四郎は赤面する赤面せきめんする blush; become self-consciousばかりに狼狽した狼狽ろうばいした be flustered; be panicked。女はにこりと笑ってにこりとわらって grinned; smiled、この角ですかというようなあいずをかお face; facial expressionでした。三四郎は思わずおもわず reflexivelyうなずいた。女のかげ figure; form右へ切れてみぎれて turned to the right白いしろい whiteかべ wallsなか within; among隠れたかくれた was hidden (from view)

三四郎はぶらりとぶらりと aimlessly玄関玄関げんかん entryway出たた departed; left (from)医科大学生医科いか大学生だいがくせい medical student間違えて間違まちがえて mistake (for)部屋部屋へや room番号番号ばんごう number聞いたいた asked (about)のかしらんと思って、五、六歩六歩ろっぽ five or six stepsあるいたが、急にきゅうに suddenly気がついたがついた realized。女に十五号十五号じゅうごごう number 15を聞かれたとき time; occasionもう一ぺんもういっぺん one more timeよし子よし Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)の部屋へあともどりをして、案内すれば案内あんないすれば guide; show (the way)よかった。残念な残念ざんねんな regrettableことをした。

三四郎はいまさらとって帰すとってかえす hurry back; retrace one's steps勇気勇気ゆうき courage出なかったなかった was not forthcoming。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度今度こんど this timeはぴたりととまった。三四郎の頭の中あたまなか inside one's head; (in) one's mindに、女の結んでむすんで tie (up)いたリボンのいろ color映ったうつった be reflected; be imaged。そのリボンの色もしつ materials; textureも、たしかに野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)兼安兼安かねやす Kaneyasu (place name)買ったった boughtものと同じおなじ same (as)であると考え出したかんがした noticed; realized時、三四郎は急にあし legs; feet重くなったおもくなった became heavy; felt heavy図書館図書館としょかん libraryよこ beside; next toのたくるようにのたくるように sluggishly; ploddingly正門正門せいもん main gateほう direction; vicinity (of)へ出ると、どこから来たた came (from)与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)突然突然とつぜん suddenly声をかけたこえをかけた called out (to someone)

「おいなぜ休んだやすんだ skipped (lecture)。きょうはイタリー人イタリーじん Italian (person)がマカロニーをいかにして食うう eatかという講義講義こうぎ lectureを聞いた」と言いながらいながら saying、そばへ寄って来てってて came up (to); drew near (to)三四郎のかた shoulderをたたいた。

二人二人ふたり two (people)少しすこし a little; a bitいっしょに歩いたあるいた walked。正門のそばへ来た時、三四郎は、

きみ you (used here as form of address)、今ごろでも薄いうすい thinリボンをかけるものかな。あれは極暑極暑ごくしょ extreme heat; hottest days of the yearに限るかぎる be limited toんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、

〇〇教授〇〇まるまる教授きょうじゅ Professor so-and-soに聞くがいい。なんでも知ってるってる know (of; about)おとこ manだから」と言って取り合わなかったわなかった didn't take up; sidestepped

正門のところ place; locationで三四郎はぐあいが悪いぐあいがわるい not feeling wellからきょうは学校学校がっこう school; classesを休むと言い出したした declared; announced。与次郎はいっしょについて来て損をしたそんをした suffered a loss; wasted one's timeといわぬばかりに教室教室きょうしつ classroomsの方へ帰って行ったかえってった went back (to)