Kokoro - Sensei's Testament - 47-56

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四十七四十七よんじゅうしち (part) 47

わたくし I; meはそのまま二、三日三日さんにち two or three days過ごしましたごしました passed; spent (time)。その二、三日のあいだ interval; spanに対するたいする with respect to; regarding絶えざるえざる constant; without respite不安不安ふあん uneasiness; anxiousnessが私のむね breast; bosom重くしていたおもくしていた made heavy; weighed downのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかなんとか somehow; in some wayしなければ、かれ he; him済まないまない be unacceptable; be unpardonable (to)思ったおもった thought; consideredのです。その上そのうえ on top of that; furthermore奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)調子調子ちょうし mood; mannerや、お嬢さんじょうさん daughter; young lady態度態度たいど attitude; behaviorが、始終始終しじゅう continually; incessantly私を突ッつくッつく poke at; nudgeように刺戟する刺戟しげきする provoke; prod; encourageのですから、私はなお辛かったつらかった uncomfortable; difficultのです。どこか男らしいおとこらしい manly; masculine気性気性きしょう disposition; temperament具えたそなえた possessed; was endowed with奥さんは、いつ私のこと matter; affair食卓食卓しょくたく dining tableでKに素ぱ抜かないとも限りませんすっかないともかぎりません could not be counted on not to reveal; could very well disclose。それ以来以来いらい sinceことに目立つ目立めだつ stand out; be conspicuousように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作挙止きょし動作どうさ bearing and behaviorも、Kのこころ heart; mind曇らすくもらす encloud; darken不審不審ふしん doubt; suspicionたね seedならないとは断言できませんならないとは断言だんげんできません cannot rule out。私は何とかして、私とこの家族家族かぞく familyとの間に成り立ったった took shape; formed新しいあたらしい new関係関係かんけい relationshipを、Kに知らせなければならないらせなければならない have to notify; have to inform位置位置いち situation; positionに立ちました。しかし倫理的に倫理的りんりてきに ethically; morally弱点弱点じゃくてん weakness; flaw; shortcomingをもっていると、自分自分じぶん oneselfで自分を認めてみとめて recognize; acknowledgeいる私には、それがまた至難至難しなん utmost difficulty; next to impossibleの事のように感ぜられたかんぜられた felt; perceived (as)のです。

私は仕方がない仕方しかたがない have no other recourse; see no alternativeから、奥さんに頼んでたのんで ask; requestKに改めてあらためて at another time; on a fresh occasionそういってもらおうかと考えましたかんがえました considered; contemplated無論無論むろん of course私のいないとき time; occasionにです。しかしありのままありのまま as is; in plain truth告げられてげられて have told; have disclosedは、直接直接ちょくせつ direct間接間接かんせつ indirect区別区別くべつ distinctionがあるだけで、面目のない面目めんぼくのない without honor; shamefulのに変りかわり change; alteration; differenceはありません。といって、拵え事こしらごと concocted story; fabrication話してはなして tell; relate; conveyもらおうとすれば、奥さんからその理由理由りゆう reason; rationale詰問される詰問きつもんされる be pressed for answersに極っていますきまっています is a given that ...。もし奥さんにすべての事情事情じじょう circumstances; state of affairs打ち明けてけて reveal; disclose頼むとすれば、私は好んでこのんで willfully; deliberately自分の弱点を自分の愛人愛人あいじん loved one; beloved; dearestとその母親母親ははおや motherまえ front of曝け出さなければなりませんさらさなければなりません have to expose; be compelled to air真面目な真面目まじめな serious; earnest私には、それが私の未来未来みらい future; days to come信用信用しんよう credibility関するかんする affect; concernとしか思われなかったのです。結婚する結婚けっこんする marry; wed前から恋人恋人こいびと cherished oneの信用を失ううしなう lose; forfeitのは、たとい一分厘一分厘いちぶりん a bit; one iotaでも、私には堪え切れないれない intolerable; unacceptable不幸不幸ふこう misfortune; disasterのように見えましたえました appeared; seemed

要するにようするに in short私は正直な正直しょうじきな honest; uprightみち path; way歩くあるく walkつもりで、つい足を滑らしたあしすべらした lost one's footing; slipped馬鹿もの馬鹿ばかもの fool; wretchでした。もしくは狡猾な狡猾こうかつな cunning; dodgy; deceptive男でした。そうしてそこに気のついてのついて be aware; realizeいるものは、いま now; the presentのところただてん heavenと私の心だけだったのです。しかし立ち直ってなおって regain one's footing; recoverもう一歩もう一歩いっぽ one more step; one step further前へ踏み出そうとするそうとする move forward; advanceには、今滑った事をぜひとも周囲の周囲しゅういの nearby; closeひと peopleに知られなければならない窮境窮境きゅうきょう tight spot; predicament陥ったおちいった fallen (into)のです。私はあくまで滑った事を隠したがりましたかくしたがりました wished to hide; sought to conceal同時に同時どうじに at the same time、どうしても前へ出ずにはまえずには without moving forwardいられなかったのです。私はこの間に挟まってはさまって be stuck in; be caught inまた立ち竦みましたすくみました was unable to move; was paralyzed

五、六日六日ろくにち five or six days経ったった passed; elapsedのち after奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)突然突然とつぜん suddenly; abruptlyわたくし I; me向ってむかって turn toward、Kにあのこと matter; affair話したはなした told; talked ofかと聞くく ask; inquireのです。私はまだ話さないと答えましたこたえました answered; responded。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰るなじる scold; rebukeのです。私はこの問いい queryまえ front of; face of固くなりましたかたくなりました became rigid; stiffened。そのとき time; moment奥さんが私を驚かしたおどろかした surprised; shocked言葉言葉ことば wordsを、私はいま now; the presentでも忘れずにわすれずに without forgetting覚えていますおぼえています remember

道理で道理どうりで no wonderわたし I; me (feminine; archaic character usage)が話したら変なへんな odd; strangeかお face; (facial) expressionをしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生平生へいぜい ordinarily; all the timeあんなに親しくしているしたしくしている be close (to someone)間柄間柄あいだがら relation; termsだのに、黙ってだまって in silence知らんらん not knowing; not letting on顔をしているのは」

私はKがその時何かなにか somethingいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段別段べつだん in particular何にもなんにも (no)thingいわないと答えました。しかし私は進んですすんで advance; press; pursueもっと細かいこまかい fine; detailed事を尋ねずにたずねずに without inquiringはいられませんでした。奥さんは固よりもとより of course何も隠すわけ reason; rationaleがありません。大したたいした important; significant話もないがといいながら、一々一々いちいち in detail; without omissionKの様子様子ようす state of affairs; manner語って聞かせてくれましたかたってかせてくれました conveyed (to me)

奥さんのいうところを綜合して綜合そうごうして piece together; synthesize考えてかんがえて considerみると、Kはこの最後の最後さいごの final打撃打撃だげき blow; strikeを、最ももっとも extremely; entirely落ち付いたいた calm; steady; composed驚きをもって迎えたむかえた greeted; embracedらしいのです。Kはお嬢さんじょうさん daughter; young ladyと私との間にあいだに between ...結ばれたむすばれた was tied; was concluded新しいあたらしい new関係関係かんけい relationship; connectionについて、最初最初さいしょ at firstはそうですかとただ一口一口ひとくち one word; single expressionいっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んでよろこんで be happy; be glad下さいください please ...」と述べたべた state; express時、かれ he; himははじめて奥さんの顔を見てて look at微笑微笑びしょう smile洩らしながららしながら let loose; allow、「おめでとうございます」といったまま席を立ったせきった got up; rose (to leave)そうです。そうして茶の間ちゃ tea room; hearth room障子障子しょうじ shōji開けるける open前に、また奥さんを振り返ってかえって turn back toward、「結婚結婚けっこん marriage; weddingはいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いいわい congratulatory gift上げたいげたい want to giveが、私はかね moneyがないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に坐っていたすわっていた was seated私は、その話を聞いてむね breast; bosom塞るふさがる be choked; be constrictedような苦しさくるしさ pain; anguish覚えましたおぼえました experienced; felt

四十八四十八よんじゅうはち (part) 48

勘定して勘定かんじょうして count; figure; reckon見るる try (and see)奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)がKにはなし talk; conversationをしてからもう二日二日ふつか two days余りあまり more thanになります。そのかん interval (of time)Kはわたくし I; meに対してたいして with respect to; regarding少しもすこしも (not) in the least以前以前いぜん before; prior異なったことなった different; altered様子様子ようす look; appearanceを見せなかったので、私は全くまったく utterly; entirelyそれに気が付かずにかずに without realizing; unawaresいたのです。かれ he; him超然とした超然ちょうぜんとした detached; distant態度態度たいど manner; behaviorはたとい外観外観がいかん exterior; façadeだけにもせよ、敬服敬服けいふく admiration; respect値すべきあたいすべき (surely) worthy of; meritingだと私は考えましたかんがえました considered; thought。彼と私をあたま head; mindなか inside; within並べてみるならべてみる line up; set side by sideと、彼のほう alternative (of two choices)遥かにはるかに by far立派立派りっぱ splendid; fine; worthyに見えました。「おれは策略策略さくりゃく scheming; tactics勝ってって win; prevail人間人間にんげん human being; personとしては負けたけた lost; suffered defeatのだ」という感じかんじ feeling; impressionが私のむね breast; bosom渦巻いて渦巻うずまいて swirl; eddy; surge起りましたおこりました arose; came about。私はそのとき time; momentさぞKが軽蔑して軽蔑けいべつして despise; look down onいること situation; state of affairsだろうと思っておもって think; consider一人で一人ひとりで alone; by oneselfかお face赧らめましたあからめました reddened。しかし今更今更いまさら now (finally); at this pointKのまえ front of出てて appear恥を掻かせられるはじかせられる be shamedのは、私の自尊心自尊心じそんしん self-esteem; prideにとって大いなおおいな considerable; great苦痛苦痛くつう (point of) pain; bitternessでした。

私が進もうすすもう advance; move forward止そうそう halt; desistかと考えて、ともかくも翌日翌日あくるひ next day; following dayまで待とうとう wait決心した決心けっしんした decided; resolvedのは土曜土曜どよう Saturdayばん eveningでした。ところがその晩に、Kは自殺して自殺じさつして commit suicide; take one's own life死んでしまったんでしまった died; passed awayのです。私はいま now; the presentでもその光景光景こうけい scene; spectacle; sight思い出すおもす remember; recall慄然とします慄然ぞっとします shudder; tremble。いつも東枕東枕ひがしまくら east(facing) pillow (thought to give energy and preserve youth)寝るる sleep私が、その晩に限ってかぎって limited to; only偶然偶然ぐうぜん for some reason; by chance西枕西枕にしまくら west(facing) pillow (associated with lack of initiative, lethargy, or shortening of life)とこ bedding敷いたいた spread out; laid outのも、何かのあにかの some sort of因縁因縁いんねん connectionかも知れませんかもれません it may be that ...。私は枕元枕元まくらもと pillow side; bedsideから吹き込むむ blow in寒いさむい coldかぜ breeze; draftでふと眼を覚ましたました wokeのです。見ると、いつも立て切ってあるってある be closed tight; be shutKと私のへや roomsとの仕切仕切しきり partitionふすま fusuma (sliding door)が、この間このあいだ a while back; the other dayの晩と同じおなじ the sameくらい開いていますいています be open。けれどもこの間のように、Kの黒いくろい dark姿姿すがた figure; formはそこには立っていませんっていません not standing。私は暗示暗示あんじ hint; suggestion受けたけた receivedひと personのように、床のうえ top ofひじ elbows突いていて prop (oneself) up with起き上がりながらがりながら stir (from sleep)屹ときっと surely; without delayKの室を覗きましたのぞきました looked in on洋燈洋燈ランプ lamp暗くくらく darkly; dimly点っているともっている be burning; be litのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団掛蒲団かけぶとん bed cover; quilt跳返された跳返はねかえされた pushed back; tossed asideようにすそ bottom edge; foot (of the bed)の方に重なり合ってかさなりって piled up; gathered upいるのです。そうしてK自身自身じしん himself向うむきにむこうむきに facing the other direction突ッ伏しているしている lie prostrate; lie face downのです。

私はおいといって声を掛けましたこえけました called out to。しかし何のなんの (no) form of答えこたえ answer; responseもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びましたびました called; addressed。それでもKの身体身体からだ body些ともちっとも (not) in the least; (not) even a little動きませんうごきません not move; not stir。私はすぐ起き上ってあがって get up; rise (to one's feet)敷居際敷居際しきいぎわ thresholdまで行きましたきました proceeded; went。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈のひかり light見廻してみました見廻みまわしてみました surveyed

その時私の受けた第一の第一だいいちの first; initial感じは、Kから突然突然とつぜん suddenly; abruptlyこい (romantic) love自白自白じはく confession聞かされたかされた was subjected to; heard時のそれとほぼ同じでした。私の eyesは彼の室の中を一目一目ひとめ one glance見るや否やいなや as soon as ...、あたかも硝子硝子ガラス glass作ったつくった made; constructed (of)義眼義眼ぎがん artificial eyeのように、動く能力能力のうりょく ability; capacity失いましたうしないました lost。私は棒立ち棒立ぼうだち standing bolt upright立ち竦みましたすくみました was unable to move; was paralyzed; was petrified。それが疾風疾風しっぷう gale; gust (of wind)のごとく私を通過した通過つうかした passed throughあとで、私はまたああ失策った失策しまった all gone wrong; can't beと思いました。もう取り返しが付かないかえしがかない can never be undoneという黒い光が、私の未来未来みらい future; days to come貫いてつらぬいて pierce; penetrate一瞬間一瞬間いっしゅんかん one moment; a single instantに私の横たわるよこたわる lie ahead; stretch out before全生涯全生涯ぜんしょうがい whole life; entire existence物凄く物凄ものすごく terribly; frightfully照らしましたらしました shone on; threw light on。そうして私はがたがたがたがた shakily; unsteadily顫え出したふるした began to shudder; began to trembleのです。

それでもわたくし I; meはついに私を忘れるわすれる forget事ができませんでしたことができませんでした was not able to ...。私はすぐつくえ deskうえ top of置いてあるいてある had been placed手紙手紙てがみ letter眼を着けましたけました caught sight of; noticed。それは予期通り予期よきどおり as anticipated; as expected私の nameあて addressed toになっていました。私は夢中で夢中むちゅうで frantically; feverishlyふう seal; wrapping; binding切りましたりました cut; broke。しかしなか inside; withinには私の予期したような事は何にもなんにも (no)thing書いてありませんでしたいてありませんでした had not been written; wasn't written。私は私に取ってって to ...; for ...どんなに辛いつらい bitter; difficult文句文句もんく words; expressionsがその中に書き列ねてつらねて list up (in writing); enumerateあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)お嬢さんじょうさん daughter; young lady眼に触れたられたら catch the attention of; be seen by、どんなに軽蔑される軽蔑けいべつされる be despised; be disdainedかも知れないかもれない it might be that ...という恐怖恐怖きょうふ fear; dreadがあったのです。私はちょっと眼を通したとおした looked overだけで、まず助かったたすかった was saved; escaped (from harm)思いましたおもいました thought。(固よりもとより of course世間体の上世間体せけんていうえ in the eyes of societyだけで助かったのですが、その世間体がこの場合場合ばあい circumstance; situation、私にとっては非常な非常ひじょうな extreme; utmost重大重大じゅうだい weighty; important事件事件じけん affair; matter見えたえた appeared; seemedのです。)

手紙の内容内容ないよう contents簡単簡単かんたん simple; briefでした。そうしてむしろ抽象的抽象的ちゅうしょうてき abstractでした。自分自分じぶん oneself薄志弱行薄志はくし弱行じゃっこう infirm of purpose and lacking in decision到底到底とうてい by (no) means; in (no) sense行先行先ゆくさき where one is going; one's future望みのぞみ hope; prospectがないから、自殺する自殺じさつする commit suicide; take one's own lifeというだけなのです。それからいま now; the presentまで私に世話世話せわ care; assistance; looking afterになったれい thanksが、ごくあっさりとしたあっさりとした simple; plain文句でそのあと after付け加えてありましたくわえてありました had been added。世話ついでに死後死後しご after one's death片付方片付方かたづけかた (manner of) settlement; putting in order頼みたいたのみたい would like to requestという言葉言葉ことば wordsもありました。奥さんに迷惑を掛けて迷惑めいわくけて cause trouble (for); inconvenience済まんまん inexcusable; unjustifiable; unpardonableから宜しくよろしく please; by all means詫をしてくれわびをしてくれ apologize (on my behalf)という sentence; text; passageもありました。国元国元くにもと hometown; native placeへは私から知らせてらせて notify; informもらいたいという依頼依頼いらい requestもありました。必要な必要ひつような necessary; needed事はみんな一口ずつ一口ひとくちずつ a few words each書いてある中にお嬢さんの名前名前なまえ nameだけはどこにも見えません。私はしまいまで読んでんで read、すぐKがわざと回避した回避かいひした avoidedのだという事に気が付きましたきました noticed; realized。しかし私のもっとも痛切に痛切つうせつに keenly; acutely感じたかんじた feltのは、最後最後さいご end; lastすみ (black) ink余りあまり extra書き添えたえた added (in writing); postscriptedらしく見える、もっと早くはやく soon死ぬぬ dieべきだのになぜ今まで生きてきて live; existいたのだろうという意味意味いみ meaningの文句でした。

私は顫えるふるえる shake; tremble handsで、手紙を巻き収めておさめて rolled back up再びふたたび once again封の中へ入れましたれました put into。私はわざとそれを皆なみんな all; others; everyone眼に着くく catch one's eye; be noticeableように、元の通りもととおり just as before机の上に置きましたきました set; placed。そうして振り返ってかえって turn around; look backふすま fusuma (sliding door)迸ってほとばしって gush out; spout; break forthいる血潮血潮ちしお tide of blood; flow of blood始めてはじめて for the first time見たのです。

四十九四十九よんじゅうく (part) 49

わたくし I; me突然突然とつぜん suddenly; instinctivelyKのあたま head抱えるかかえる hold; support; embraceように両手両手りょうて both hands少しすこし a little; a bit持ち上げましたげました lifted; raised。私はKの死顔死顔しにがお face in death一目一目ひとめ one look見たかったたかった wanted to seeのです。しかし俯伏し俯伏うつぶし face downになっているかれ he; himかお faceを、こうしてした below; beneathから覗き込んだのぞんだ looked into; peered intoとき time; moment、私はすぐその hands放してはなして withdrewしまいました。慄としたぞっとした was frightened; felt terrifedばかりではないのです。彼の頭が非常に非常ひじょうに extremely重たくおもたく heavy; weighty感ぜられたかんぜられた felt; seemedのです。私はうえ aboveからいま now; just now触ったさわった touched冷たいつめたい coldみみ earsと、平生平生へいぜい usual; ordinary変らないかわらない unchanged五分刈の五分刈ごぶがりの close-cropped濃いい thick; coarse髪の毛かみ hair少時少時しばらく for a while; for a short time眺めてながめて view; gaze atいました。私は少しも泣くく cry; weep inclinationにはなれませんでした。私はただ恐ろしかったおそろしかった was frightened; was filled with terrorのです。そうしてその恐ろしさは、 eyesまえ before; in front of光景光景こうけい scene; spectacle; sight官能官能かんのう the senses刺激して刺激しげきして stimulate; provoke起るおこる happen; come about単調な単調たんちょうな simple; rudimentary恐ろしさばかりではありません。私は忽然と忽然こつぜんと unexpectedly; all of a sudden冷たくなったこの友達友達ともだち friendによって暗示された暗示あんじされた was hinted; was suggested運命運命うんめい fate; destinyの恐ろしさを深くふかく deeply; profoundly感じたのです。

私は何の分別もなくなん分別ふんべつもなく not having the wit to do otherwiseまた私のへや room帰りましたかえりました returned (to)。そうして八畳八畳はちじょう 8 mats (about 13 sq meters; about 140 sq ft)なか inside; withinをぐるぐる廻り始めましたまわはじめました began to circle; began to pace。私の頭は無意味でも無意味むいみでも even if for no purpose当分当分とうぶん for a while; for a timeそうして動いていろうごいていろ moveと私に命令する命令めいれいする order; commandのです。私はどうかしなければならないと思いましたおもいました thought; concluded同時に同時どうじに at the same timeもうどうする事もできないどうすることもできない nothing can be doneのだと思いました。座敷座敷ざしき roomの中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。おり cageの中へ入れられたれられた be put intoくま bearのような態度態度たいど manner; behaviorで。

私は時々時々ときどき from time to timeおく interior行ってって go (to)奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)起そうおこそう wake upという気になります。けれどもおんな woman; ladyにこの恐ろしい有様有様ありさま state of affairs; conditionを見せては悪いわるい ill advised; not rightという心持心持こころもち feelingがすぐ私を遮りますさえぎります hinder; obstruct。奥さんはとにかく、お嬢さんじょうさん daughter; young lady驚かすおどろかす startle; shock; frighten事は、とてもできないという強いつよい absolute; sure意志意志いし determinationが私を抑えつけますおさえつけます hold back; restrain。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。

私はそのあいだ interval (of time)自分の自分じぶんの one's own室の洋燈洋燈ランプ lamp点けましたけました lighted; lit。それから時計時計とけい clock折々折々おりおり occasionally; from time to time見ました。その時の時計ほど埒の明かないらちかない make little headway; fail to progress遅いおそい slow; sluggishものはありませんでした。私の起きた時間時間じかん hour; timeは、正確に正確せいかくに exactly; with certainty分らないわからない don't know; can't sayのですけれども、もう夜明夜明よあけ daybreak; dawn間もなかったもなかった was close (to)事だけは明らかあきらか clear; sure; certainです。ぐるぐる廻りながら、その夜明を待ち焦れたこがれた waited anxiously for私は、永久永久えいきゅう eternity; perpetuity暗いくらい darkよる night続くつづく continue; lastのではなかろうかという思いに悩まされましたなやまされました was afflicted; was tormented (by)

我々我々われわれ we; us七時七時しちじ seven (o'clock)まえ before; prior to起きるきる wake up習慣習慣しゅうかん custom; habitでした。学校学校がっこう school; classes八時八時はちじ eight (o'clock)始まるはじまる begin; startこと cases; instances多いおおい numerous; often; frequentので、それでないと授業授業じゅぎょう class; lessons間に合わないわない not be in time; be late (for)のです。下女下女げじょ maidservantはその関係関係かんけい relation; effect六時頃六時ろくじごろ around six (o'clock)に起きるわけ circumstance; situationになっていました。しかしその dayわたくし I; meが下女を起しに行ったった went (to)のはまだ六時前でした。すると奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)今日今日きょう today日曜日曜にちよう Sundayだといって注意して注意ちゅういして advise; cautionくれました。奥さんは私の足音足音あしおと (sound of) footsteps眼を覚ましたました wokeのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私のへや roomまで来てくれてくれ come with頼みましたたのみました asked; requested。奥さんは寝巻寝巻ねまき nightgownうえ top of不断着不断着ふだんぎ ordinary clothes; everyday clothes羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)引っ掛けてけて pull on; throw on、私のあと after跟いて来ましたいてました followed。私は室へはいるや否やいなや as soon as ...いま now; this timeまで開いていたいていた was open仕切り仕切しきり partitionふすま fusuma (sliding door)をすぐ立て切りましたりました closed; shut。そうして奥さんに飛んだんだ awful; terribleこと act; happeningができたと小声小声こごえ low voice; whisper告げましたげました told; informed。奥さんはなん whatだと聞きましたきました asked。私はあご chin隣のとなりの neighboring; next; adjoining室を指すす motion toward; indicateようにして、「驚いちゃいけませんおどろいちゃいけません don't be shocked; prepare yourself; brace yourself」といいました。奥さんは蒼いあおい paleかお face; complexionをしました。「奥さん、Kは自殺しました自殺じさつしました killed himself; took his own life」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦まった居竦いすくまった was frozen in placeように、私の顔を見てて looked at; regarded黙っていましただまっていました remained silent。そのとき time; moment私は突然突然とつぜん suddenly; impulsively奥さんの前へ手を突いていて place both hands on the ground (in expression of apology)頭を下げましたあたまげました lowered one's head (in deference or apology)。「済みませんみません I'm sorry; forgive me。私が悪かったわるかった am to blame; am at faultのです。あなたにもお嬢さんじょうさん daughter; young ladyにも済まない事になりました」と詫まりましたあやまりました apologized。私は奥さんと向い合うむかう faceまで、そんな言葉言葉ことば words口にするくちにする vocalize; utter intentionはまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に不意ふいに suddenly; unexpectedly我とも知らずわれともらず forgetting oneself; in spite of oneselfそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫びなければいられなくなったびなければいられなくなった felt compelled to apologizeのだと思って下さいください please ...。つまり私の自然自然しぜん nature; (natural) impulse平生平生へいぜい usual; ordinary; everydayの私を出し抜いていて outwit; outmaneuverふらふらとふらふらと before one knows what one is doing懺悔の懺悔ざんげの repentance; confession; penitenceくち (spoken) words開かしたかした revealed; divulgedのです。奥さんがそんな深いふかい deep; profound意味意味いみ meaningに、私の言葉を解釈しなかった解釈かいしゃくしなかった didn't interpret; didn't take (as)のは私にとって幸いさいわい fortunateでした。蒼い顔をしながら、「不慮不慮ふりょ unforeseen; unanticipated出来事出来事できごと incident; happening; turn of eventsなら仕方がない仕方しかたがない can't be helpedじゃありませんか」と慰めるなぐさめる console; comfortようにいってくれました。しかしその顔には驚きと怖れおそれ fear; anxiety; concernとが、彫り付けられたけられた had been carved; had been engraved (into)ように、硬くかたく firmly; rigidly筋肉筋肉すじにく muscles; sinews攫んでつかんで grip; seizeいました。

五十五十ごじゅう (part) 50

わたくし I; me奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)気の毒でしたどくでした felt pity (toward); felt bad (for)けれども、また立ってって stand up; riseいま now; just now閉めためた closedばかりの唐紙唐紙からかみ papered door (short for 唐紙からかみ障子しょうじ)開けましたけました opened。そのとき timeKの洋燈洋燈ランプ lampあぶら oil尽きたきた was exhausted; had run out見えてえて appearへや roomなか insideはほとんど真暗真暗まっくら pitch darkでした。私は引き返してかえして retrace one's steps; return自分の自分じぶんの one's own洋燈を hand持ったった held; tookまま、入口入口いりぐち entranceに立って奥さんを顧みましたかえりみました looked back at。奥さんは私の後ろうしろ in back of; behindから隠れるかくれる conceal oneselfようにして、四畳四畳よじょう four-mat (room)の中を覗き込みましたのぞみました peered into。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸雨戸あまど storm shutters; outer shuttersを開けてくれと私にいいました。

それからあと afterの奥さんの態度態度たいど manner; behaviorは、さすがに軍人軍人ぐんじん military man; soldier未亡人未亡人びぼうじん widowだけあってだけあって befitting of要領を得ていました要領ようりょうていました was on point; was up to task。私は医者医者いしゃ doctor; physicianところ place; residenceへも行きましたきました went (to)。また警察警察けいさつ policeへも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて命令めいれいされて be instructed; be told行ったのです。奥さんはそうした手続手続てつづき formalities; procedures; processes済むむ be finished; concludeまで、誰もだれも (no) oneKの部屋部屋へや roomへは入れませんでしたれませんでした didn't allow in

Kは小さなちいさな smallナイフナイフ knife頸動脈頸動脈けいどうみゃく carotid artery; artery in the neck切ってって cut; sever一息に一息ひといきに in one breath; instantly死んでしまったんでしまった diedのです。外にほかに other (than that); otherwiseきず woundらしいものは何にもなんにも (no)thingありませんでした。私がゆめ dream; tranceのような薄暗い薄暗うすぐらい dim; dark lamp light; flame見たた saw唐紙の血潮血潮ちしお tide of blood; flow of bloodは、かれ he; him頸筋頸筋くびすじ neck; side of the neckから一度に一度いちどに all at once迸ったほとばしった gushed out; spoutedものと知れましたれました came to understand; learned。私は日中日中にっちゅう during the day; daytimeひかり light明らかにあきらかに with clarityそのあと remains; traces再びふたたび once again眺めましたながめました viewed; looked on。そうして人間人間にんげん human being blood勢いいきおい energy; force; vigorというものの劇しいはげしい extreme; intenseのに驚きましたおどろきました was surprised; was impressed

奥さんと私はできるだけの手際手際てぎわ deftness; handiwork工夫工夫くふう devising; figuring out; improvising用いてもちいて use; apply、Kの室を掃除しました掃除そうじしました cleaned。彼の血潮の大部分大部分だいぶぶん greater partは、幸いさいわい fortunately彼の蒲団蒲団ふとん futon; bedding吸収されて吸収きゅうしゅうされて be absorbed; be soaked upしまったので、たたみ tatami (mats)はそれほど汚れないでよごれないで without being stained; without being blemished済みましたから、後始末後始末あとしまつ cleaning upはまだらく easy; simpleでした。二人二人ふたり two (people); the two of usは彼の死骸死骸しがい (dead) body; remainsを私の室に入れて、不断の通り不断ふだんとおり as usual; as always寝ているている be asleep; be at restてい appearance; condition; state横にしましたよこにしました laid out。私はそれから彼の実家実家じっか parental home電報電報でんぽう telegram打ちち send (a telegram)出たた went out; departedのです。

私が帰ったかえった returned時は、Kの枕元枕元まくらもと pillow side; bedsideにもう線香線香せんこう incenseが立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭い仏臭ほとけくさい having the air of Buddhism; otherworldlyけむり smoke; fumesはな nose撲たれたたれた be hit with私は、その烟の中に坐っているすわっている be seatedおんな women二人を認めましたみとめました noticed; observed。私がお嬢さんじょうさん daughter; young ladyかお faceを見たのは、昨夜来昨夜来さくやらい since the prior eveningこの時が始めてはじめて the first timeでした。お嬢さんは泣いていて cry; weepいました。奥さんも眼を赤くしていましたあかくしていました had red eyes (from crying)事件事件じけん incident起っておこって happened; occurredからそれまで泣くこと act; action忘れてわすれて forget; put out of one's mindいた私は、その時ようやく悲しいかなしい sad; melancholy気分気分きぶん feeling; mood誘われるさそわれる be lured; be induced (to)事ができたのです。私のむね breast; bosomはその悲しさのために、どのくらい寛ろいだくつろいだ found comfort; was put at easeか知れません。苦痛苦痛くつう pain; anguish恐怖恐怖きょうふ fear; terrorでぐいと握り締められたにぎめられた was gripped and held fast (by)私のこころ heart; soulに、一滴一滴いってき one dropうるおい moisture与えてくれたあたえてくれた gave; imparted (to)ものは、その時の悲しさでした。

わたくし I; me黙ってだまって in silence; without speaking二人二人ふたり two (people)そば proximity; vicinity坐ってすわって sit down; seat oneselfいました。奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は私にも線香線香せんこう incense上げてやれげてやれ give; offer (for someone)といいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんじょうさん daughter; young ladyは私には何ともなんとも (no)thingいいません。たまに奥さんと一口一口ひとくち one word; single word二口二口ふたくち few words; a couple of words言葉言葉ことば phrase; expression; remark換わすわす exchangeこと instance; caseがありましたが、それは当座の当座とうざの immediate; present用事用事ようじ business; affair; taskについてのみでした。お嬢さんにはKの生前生前せいぜん during one's lifetimeについて語るかたる talk about; speak ofほどの余裕余裕よゆう margin; leeway; allowanceがまだ出て来なかったなかった wasn't forthcoming; wasn't availableのです。私はそれでも昨夜昨夜ゆうべ the prior evening物凄い物凄ものすごい terrible; frightful有様有様ありさま state of affairs; condition見せずにせずに without showing; without exposing済んでんで finish; concludeまだよかったと心のうちでこころのうちで to oneself思いましたおもいました thought; considered若いわかい young; youthful美しいうつくしい beautifulひと person; individual恐ろしいおそろしい dreadful; terrifyingものを見せると、折角の折角せっかくの rare; special; precious美しさが、そのために破壊されて破壊はかいされて be destroyed; be lostしまいそうで私は怖かったこわかった was afraid; was worried; was concernedのです。私の恐ろしさが私の髪の毛かみ hair (on one's head)末端末端まったん ends; extremitiesまで来たとき time; momentですら、私はその考えかんがえ thought; idea度外度外どがい out of consideration置いていて put; place行動する行動こうどうする act; behave事はできませんでした。私には綺麗な綺麗きれいな pretty; exquisite; lovelyはな flowerつみ sin; faultもないのに妄りにみだりに arbitrarily; without reason鞭うつむちうつ whip; put the rod to同じおなじ the sameような不快不快ふかい unpleasantness; offensivenessがそのうちに籠っていたこもっていた was filled; was ripeのです。

国元国元くにもと hometown; native placeからKのちち fatherあに older brother出て来たた appeared; arrived時、私はKの遺骨遺骨いこつ remains; ashes (of the deceased)をどこへ埋めるめる bury; interかについて自分の自分じぶんの one's own意見意見いけん opinion; thought; idea述べましたべました mentioned; expressed。私はかれ he; himの生前に雑司ヶ谷雑司ヶ谷ぞうしがや Zōshigaya (place name)近辺近辺きんぺん environs; vicinityをよくいっしょに散歩した散歩さんぽした walked; strolled事があります。Kにはそこが大変大変たいへん very much; greatly気に入っていたっていた met with one's liking; found favor with oneのです。それで私は笑談半分に笑談じょうだん半分はんぶんに half-jokingly、そんなに好きき to one's likingなら死んだらんだら (when one) dies; passes awayここへ埋めてやろうと約束した約束やくそくした promised; pledged覚えおぼえ memory; recollectionがあるのです。私もいま nowその約束通り約束やくそくどおり as promised; as pledgedKを雑司ヶ谷へ葬ったほうむった burried; interredところで、どのくらいの功徳功徳くどく virtuous deed; meritorious actになるものかとは思いました。けれども私は私の生きているきている be alive; live and breath限りかぎり limit; extent、Kのはか gravesiteまえ front of跪いてひざまずいて kneel月々月々つきづき every month; each month私の懺悔懺悔ざんげ repentance; confession; penitence新たにあらたに newly; anewしたかったのです。今まで構い付けなかったかまけなかった hadn't been concerned with; hadn't played a role inKを、私が万事万事ばんじ all things世話をして来た世話せわをしてた took care of; looked afterという義理義理ぎり debt of gratitude; sense of obligationもあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いていて listen to; acceptくれました。

五十一五十一ごじゅういち (part) 51

「Kの葬式葬式そうしき funeral帰り路にかえみちに on the way backわたくし I; meはその友人友人ゆうじん friend一人一人ひとり one (person)から、Kがどうして自殺した自殺じさつした killed himself; took his own lifeのだろうという質問質問しつもん question受けましたけました received事件事件じけん incident; affairがあって以来以来いらい from the time of; since私はもう何度となく何度なんどとなく any number of times; on numerous occasionsこの質問で苦しめられていたくるしめられていた was tormented byのです。奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)お嬢さんじょうさん daughter; young ladyも、くに country; one's native placeから出て来たた came up; arrivedKの父兄父兄ふけい father and (older) brotherも、通知通知つうち notice出したした sent out (to)知り合いい acquaintancesも、かれ he; himとは何の縁故縁故えんこ relation; connection; affinityもない新聞新聞しんぶん newspaper記者記者きしゃ reporterまでも、必ずかならず invariably; without fail同様の同様どうようの the same sort of質問を私に掛けないけない not pose (a question)こと case; instanceはなかったのです。私の良心良心りょうしん conscienceはそのたびにちくちく刺されるちくちくされる be prickedように痛みましたいたみました ached; was pained。そうして私はこの質問のうら undersurface; reverse sideに、早くはやく soon; without delayお前まえ you殺したころした killed; murdered白状して白状はくじょうして confess; admitしまえというこえ voicesを聞いたのです。

私の答えこたえ reply; response誰に対してもだれたいしても to whomever; to any and all同じおなじ the sameでした。私はただ彼の私あて addressed to書き残したのこした left behind (in writing)手紙手紙てがみ letter繰り返すかえす repeatだけで、外にほかに other (than that); otherwise一口も一口ひとくちも (not) one word; (not) a single word附け加えるくわえる add事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いい question; inquiryを掛けて、同じ答えを得たた attained; securedKの友人は、ふところ pocketから一枚一枚いちまい one (counter for flat objects)の新聞を出して私に見せましたせました showed; presented。私は歩きながらあるきながら while walkingその友人によって指し示されたしめされた was pointed out; was indicated箇所箇所かしょ place; point; passage読みましたみました read。それにはKが父兄から勘当された勘当かんどうされた was disowned結果結果けっか result; consequence厭世的な厭世的えんせいてきな world-weary; misanthropic考えかんがえ thoughts; notions起しておこして bring about; lead to自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳んでたたんで fold友人の handに帰しました。友人はこの外にもKが気が狂ってくるって go mad; lose one's sanity自殺したと書いた新聞があるといって教えておしえて tell; informくれました。忙しいいそがしい busy; occupiedので、ほとんど新聞を読むひま time; leisureがなかった私は、まるでそうした方面方面ほうめん area; sphere知識知識ちしき knowledge; information欠いていましたいていました was lacking in; was deficient inが、腹の中でははらなかでは to oneself; inwardly始終始終しじゅう always; constantly気にかかっていたにかかっていた weighed on one's mind; gave cause for concernところでした。私は何よりもなによりも more than anythingうち house; homeのものの迷惑迷惑めいわく trouble; agitation; aggravationになるような記事記事きじ articleの出るのを恐れたおそれた fearedのです。ことに名前名前なまえ nameだけにせよお嬢さんが引合い引合ひきあい reference; mentionに出たら堪らないたまらない be intolerable; be unbearable思っていたおもっていた thought of; considered (as)のです。私はその友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の自分じぶんの one's own eyes着いたいた arrived at; reachedのは、ただその二種二種にしゅ two types; two sortsぎりだと答えました。

わたくし I; meいま now; the presentおるいえ house; home引っ越したした moved; relocated (to)のはそれから間もなくもなく soon; shortlyでした。奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)お嬢さんじょうさん daughter; young lady前のまえの former; previousところ place; residenceにいるのを厭がりますいやがります be averse to; dislikeし、私もその evening; night記憶記憶きおく memory毎晩毎晩まいばん each night; every night繰り返すかえす repeat; reliveのが苦痛苦痛くつう pain; hardshipだったので、相談相談そうだん discussion; consultationうえ top of; basis of移るうつる moveこと act; action極めためた decided (on)のです。

移って二カ月二カ月にかげつ two monthsほどしてから私は無事に無事ぶじに without incident; quietly大学大学だいがく university卒業しました卒業そつぎょうしました graduated (from)。卒業して半年半年はんとし half a year経たないたない not pass; not elapseうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました結婚けっこんしました married外側外側そとがわ exterior; the outsideから見ればれば see; view万事万事ばんじ all things予期通り予期よきどおり as anticipated; according to plan運んだはこんだ proceeded; progressedのですから、目出度目出度めでたい happy; auspicious; joyousといわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福幸福こうふく happiness; contentmentらしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒いくろい darkかげ shadow随いていて accompany; followいました。私はこの幸福が最後に最後さいごに finally; in the end私を悲しいかなしい sad; sorrowful運命運命うんめい destiny; fate連れて行くれてく lead (to)導火線導火線どうかせん fuse; powder trainではなかろうかと思いましたおもいました thought; wondered

結婚したとき timeお嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、さい wifeといいます。――妻が、なに what思い出したおもした called to mindのか、二人で二人ふたりで (two people) togetherKの墓参り墓参はかまいり visit to a graveをしようといい出しましたいいしました suggested; proposed。私は意味もなく意味いみもなく without appeal to reason; reflexivelyただぎょっとしましたぎょっとしました was surprised; was caught off guard。どうしてそんな事を急にきゅうに all of the sudden思い立ったおもった thought up; got the idea to doのかと聞きましたきました asked。妻は二人揃ってそろって togetherお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶよろこぶ be glad; be pleasedだろうというのです。私は何事も何事なにごとも (no)thing at all知らないらない not know妻のかお faceしけじけしけじけ fixedly; intently眺めてながめて gaze atいましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われてわれて be asked; be questioned始めてはじめて for the first time気が付きましたきました realized; became aware

私は妻の望み通りのぞどおり as desired二人連れ立ってって going together雑司ヶ谷雑司ヶ谷ぞうしがや Zōshigaya (place name)へ行きました。私は新しいあたらしい newKのはか grave; gravesiteみず waterをかけて洗ってあらって wash; cleanseやりました。妻はその前へ線香線香せんこう incenseはな flowers立てましたてました set up; put in place。二人は頭を下げてあたまげて bow one's head; lower one's head合掌合掌がっしょう pressing one's hands together in prayerしました。妻は定めてさだめて surely; certainly私といっしょになった顛末顛末てんまつ circumstances; details; account述べてべて express; mentionKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中ではらなかで deep down; inwardly、ただ自分自分じぶん oneself悪かったわるかった to blame; at faultと繰り返すだけでした。

その時妻はKの墓を撫でてでて brush gently; pass one's hand overみて立派立派りっぱ fine; splendidだと評してひょうして assess; comment onいました。その墓は大したたいした great; worthy; significantものではないのですけれども、私が自分で石屋石屋いしや stone dealer行ってって go (to)見立てたりした見立みたてたりした selected; picked out因縁因縁いんねん connection; originがあるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面地面じめん earth's surface; groundした below; beneath埋められたうずめられた was buriedKの新しい白骨白骨はっこつ skeleton; bonesとを思い比べておもくらべて place together in one's mind、運命の冷罵冷罵れいば mockery; derision感ぜずにはかんぜずには without feeling; without perceivingいられなかったのです。私はそれ以後それ以後いご thereafter決してけっして by (no) means; absolutely (not)妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。

五十二五十二ごじゅうに (part) 52

わたくし I; me亡友亡友ぼうゆう deceased friendに対するたいする with respect to; regardingこうした感じかんじ feelingはいつまでも続きましたつづきました continued; persisted実はじつは actually; in fact私も初めはじめ the start; the beginningからそれを恐れていたおそれていた had fearedのです。年来年来ねんらい for some years希望希望きぼう desire; wishであった結婚結婚けっこん marriageすら、不安不安ふあん anxiety; uneasinessのうちにしき ceremony挙げたげた conducted; held (a ceremony)といえばいえないこと case; circumstanceもないでしょう。しかし自分自分じぶん oneselfで自分のさき future; days to come見えないえない cannot be seen人間人間にんげん human beingの事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持心持こころもち feeling; mood; disposition一転して一転いってんして turn around; redirect新しいあたらしい new; fresh生涯生涯しょうがい lifetime; course of one's life入るはいる enter (into)端緒端緒いとくち start; beginningになるかも知れないかもれない it might be that ...とも思ったおもった thought; reasonedのです。ところがいよいよおっと husbandとして朝夕朝夕あさゆう morning and evening; from morning to nightさい wife顔を合せてかおあわせて meet; see; come face to face withみると、私の果敢ない果敢はかない fleeting; ephemeral希望希望きぼう hope; aspiration手厳しい手厳てきびしい severe; harsh現実現実げんじつ reality; actualityのために脆くももろくも without resistance; easily破壊されて破壊はかいされて be laid to waste; be ruinedしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然卒然そつぜん suddenly; without warningKに脅かされるおびやかされる be threatened; be startled; be unsettledのです。つまり妻が中間中間ちゅうかん middle; midway立ってって stand、Kと私をどこまでも結び付けてむすけて tie together; bind離さないはなさない not let go; not releaseようにするのです。妻のどこにも不足不足ふそく shortfall; deficiencyを感じない私は、ただこの一点一点いってん one point; single facetにおいて彼女彼女かのじょ she; her遠ざけたがりましたとおざけたがりました wished to distance oneself from; wanted to push away。するとおんな woman; femaleむね breast; bosomにはすぐそれが映りますうつります be reflected; be mirrored; be projected。映るけれども、理由理由りゆう reason解らないわからない not understand; not knowのです。私は時々時々ときどき sometimes; at times妻からなぜそんなに考えてかんがえて think; consider; reasonいるのだとか、何かなにか something気に入らないらない offputting; displeasing事があるのだろうとかいう詰問詰問きつもん pointed questioning; interrogation受けましたけました received; was the recipient of笑ってわらって smile; laugh済ませるませる finish; bring to an endとき timesはそれで差支えない差支さしつかえない is fine; is okayのですが、時によると、妻のかん temper; irritation高じて来ますこうじてます come to a head; reach its peak。しまいには「あなたは私を嫌ってきらって hate; dislikeいらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠してかくして hide; concealいらっしゃる事があるに違いないちがいない no doubt ...; I'm sure ...」とかいう怨言怨言えんげん protest; grievance; reproach聞かなくてはなりませんかなくてはなりません had to listen to; was forced to hear。私はそのたびに苦しみましたくるしみました suffered

私は一層一層いっそ all the more (usually 一層いっそう)思い切っておもって resolutely; boldlyありのままありのまま the truth; the facts as they standを妻に打ち明けようけよう divulge; reveal; confideとした事が何度も何度なんども any number of times; numerous occasionsあります。しかしいざという間際間際まぎわ verge of; moment of; point ofになると自分以外以外いがい apart from; outside ofのあるちから power; force不意に不意ふいに suddenly; abruptly来てて come; arrive私を抑え付けるおさける suppress; hold down; hold backのです。私を理解して理解りかいして understand; knowくれるあなたの事だから、説明する説明せつめいする explain必要必要ひつよう necessity; needもあるまいと思いますが、話すはなす tell; relateべきすじ logic; storylineだから話しておきます。その時分時分じぶん time; periodの私は妻に対して己れおのれ oneself飾るかざる decorate; adorn; embellish intention; inclinationはまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じようなおなじような the same manner of善良な善良ぜんりょうな good; virtuous; dutifulこころ heart; soulで、妻のまえ front of懺悔懺悔ざんげ repentance; confession; penitence言葉言葉ことば words並べたならならべたなら set out; enumerate、妻は嬉し涙うれなみだ tears of joyをこぼしても私のつみ sins; indiscretions許してゆるして forgive; pardon; tolerateくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害利害りがい advantages and disadvantages; interest打算打算ださん calculationがあるはずはありません。私はただ妻の記憶記憶きおく memory; remembrance暗黒な暗黒あんこくな dark一点を印するいんする stamp; impress; leave (a mark)忍びなかったしのびなかった couldn't bearから打ち明けなかったのです。純白な純白じゅんぱくな pure whiteものに一雫一雫ひとしずく one drop; a single drop印気印気インキ inkでも容赦なく容赦ようしゃなく ruthlessly; mercilessly振り掛けるける sprinkle overのは、私にとって大変な大変たいへんな terrible; tremendous苦痛苦痛くつう pain; bitterness; distressだったのだと解釈して解釈かいしゃくして understand; interpret (as)下さいください please ...

一年一年いちねん one year経ってって pass; elapseもKを忘れるわすれる forget; put out of one's mind事のできなかったことのできなかった was unable to ...わたくし I; meこころ heart; mind; soul常につねに always; at all times; constantly不安不安ふあん uneasy; on edgeでした。私はこの不安を駆逐する駆逐くちくする drive away; expel; banishために書物書物しょもつ books; writings溺れようおぼれよう drown; indulge; immerse (in)力めましたつとめました strove; endeavored。私は猛烈な猛烈もうれつな intense; passionateいきおい force; vigor; spiritをもって勉強し始めた勉強べんきょうはじめた engaged in studyのです。そうしてその結果結果けっか results; outcome; fruits世の中なか society; the world公にするおおやけにする make public; publish; present day来るる come; arriveのを待ちましたちました waited for; awaited。けれども無理に無理むりに forcibly; under compulsion; contrary to one's nature目的目的もくてき objective; aim拵えてこしらえて manufacture; concoct、無理にその目的の達せられるたっせられる be realized; be reached日を待つのはうそ lie; charade; façadeですから不愉快不愉快ふゆかい unsatisfying; unfulfillingです。私はどうしても書物のなかに心を埋めてうずめて buryいられなくなりました。私はまた腕組みをして腕組うでぐみをして (sit with) folded arms世の中を眺めだしたながめだした started watching; began to regardのです。

さい (my) wifeはそれを今日今日こんにち today; this day; for now困らないこまらない have no worriesから心に弛みたるみ slack; looseness; ease出るる come out; appearのだと観察して観察かんさつして view; regard (as)いたようでした。妻のいえ house; householdにも親子親子おやこ parent and child二人二人ふたり two (people)ぐらいは坐っていてすわっていて stay set in place; keep on as one isどうかこうか暮して行けるくらしてける can live; are able to get by; can manage財産財産ざいさん assets; wealth; meansがある上にうえに on top of; in addition to、私も職業職業しょくぎょう occupation; livelihood求めないでもとめないで without seeking; without pursuing差支え差支さしつかえ hindrance; impedimentのない境遇境遇きょうぐう circumstancesにいたのですから、そう思われるおもわれる be thought of as; seemのももっとももっとも reasonable; naturalです。私も幾分か幾分いくぶんか somewhat; to some extentスポイルされたスポイルされた was spoiled; had grown complacent; had indulged oneself気味気味きみ tendency; propensityがありましょう。しかし私の動かなくなったうごかなくなった stopped moving; grew inactive原因原因げんいん cause; source; root主なおもな chief; main; principalものは、全くまったく utterly; entirelyそこにはなかったのです。叔父叔父おじ uncle欺かれたあざむかれた was deceived当時当時とうじ at that time; in those daysの私は、ひと (other) people頼みにならないたのみにならない can't be depended on事をつくづくとつくづくと deeply; intently感じたかんじた feltには相違ありませんには相違そういありません there's no doubt that ...が、他を悪くわるく evil; sinful; flawed取るる take (as)だけあってだけあって being the case that ...自分自分じぶん oneselfはまだ確かなたしかな trustworthy; reliable feelingがしていました。世間世間せけん society; the worldはどうあろうともこのおれ I; me立派な立派りっぱな splendid; fine; upstanding人間人間にんげん human being; personだという信念信念しんねん belief; faith; convictionがどこかにあったのです。それがKのために美事に美事みごとに utterly; completely破壊されてしまって破壊はかいされてしまって was destroyed; was wiped away、自分もあの叔父と同じおなじ the same人間だと意識した意識いしきした became aware; realizedとき time; moment、私は急にきゅうに suddenlyふらふらしましたふらふらしました staggered; reeled。他に愛想を尽かした愛想あいそかした grew disenchanted with; lost faith in私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

五十三五十三ごじゅうさん (part) 53

書物書物しょもつ booksなか within; among自分自分じぶん oneself生埋めにする生埋いきうめにする bury alive事のできなかったことのできなかった was unable toわたくし I; meは、さけ saké; alcohol; drinkたましい soul; spirit浸してひたして steep; immerse己れおのれ oneself忘れようわすれよう forget試みたこころみた tried; attempted時期時期じき period; phaseもあります。私は酒が好きき to one's likingだとはいいません。けれども飲めば飲めるめばめる can drink (if one wishes to)たち nature; temperamentでしたから、ただりょう volume; quantity頼みにたのみに relying onこころ heart; soul盛り潰そうつぶそう drink into submission力めたつとめた endeavored; workedのです。この浅薄な浅薄せんぱくな shallow; superficial方便方便ほうべん expedient; meansはしばらくするうちに私をなお厭世的厭世的えんせいてき world-weary; misanthropicにしました。私は爛酔爛酔らんすい dead drunkenness (usually 乱酔らんすい)真最中真最中まっさいちゅう midst; height ofにふと自分の位置位置いち situation気が付くく notice; realize; become awareのです。自分はわざとこんな真似真似まね behavior; conductして己れを偽っていつわって delude; deceiveいる愚物愚物ぐぶつ fool; idiot; assだという事に気が付くのです。すると身振い身振みぶるい tremble; shudderと共にともに together with eyesも心も醒めてめて wake; come to one's sensesしまいます。時にはときには at times; sometimesいくら飲んでもこうした仮装仮装かそう masquerade; charade; deception状態状態じょうたい condition; stateにさえ入り込めないではいめないで unable to enter into; unable to engage inむやみに沈んで行くしずんでく sink down; feel low; become depressed場合場合ばあい case; instance出て来ますます arise; occurその上そのうえ on top of that; furthermore技巧技巧ぎこう technique; finesse愉快愉快ゆかい pleasure; delight; cheer買ったった bought; purchasedあと afterには、きっと沈鬱な沈鬱ちんうつな melancholic; gloomy反動反動はんどう reaction; repercussion; backlashがあるのです。私は自分の最ももっとも most of all愛してあいして love; cherishいるさい wifeとその母親母親ははおや motherに、いつでもそこを見せなければならなかったせなければならなかった had to show; couldn't help but let seeのです。しかも彼らかれら they; themは彼らに自然な自然しぜんな natural立場立場たちば standpoint; positionから私を解釈して解釈かいしゃくして explain; interpret; understand掛りますかかります deal with; handle

妻のはは mother時々時々ときどき sometimes; at times気拙い気拙きまずい unpleasant; displeased事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠してかくして conceal; hideいました。しかし自分は自分で、単独に単独たんどくに independently; separately私を責めなければ気が済まなかっためなければ気が済まなかった couldn't refrain from reproachingらしいのです。責めるといっても、決してけっして by (no) means強いつよい strong; harsh言葉言葉ことば wordsではありません。妻から何かなにか somethingいわれたために、私が激したげきした became agitated; got worked upためし case; instance; exampleはほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないらない not to one's likingのか遠慮なく遠慮えんりょなく without reservation; frankly; honestlyいってくれと頼みましたたのみました asked; entreated。それから私の未来未来みらい futureのために酒を止めろめろ stop; quit忠告しました忠告ちゅうこくしました cautioned; advised。ある時は泣いていて cry; weep; sob「あなたはこの頃このごろ these days; lately; recently人間人間にんげん person; (personal) character違ったちがった altered; changed」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きてきて be alive; liveいたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないそうかもれない that may be the case; maybe so答えたこたえた answered; replied事がありましたが、私の答えた意味意味いみ meaningと、妻の了解した了解りょうかいした understood意味とは全くまったく completely; entirely違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったかなしかった felt sadness; was filled with sorrowのです。それでも私は妻に何事も何事なにごとも (nothing) whatsoever説明する説明せつめいする explain inclinationにはなれませんでした。

わたくし I; me時々時々ときどき sometimes; on occasionさい (my) wife詫まりましたあやまりました apologized。それは多くおおく in large quantity; abundantlyさけ saké酔ってって get drunk; become intoxicated; become inebriated遅くおそく late帰ったかえった returned home翌日翌日あくるひ next day; following dayあさ morningでした。妻は笑いましたわらいました smiled; laughed。あるいは黙っていましただまっていました remained silent。たまにぽろぽろとなみだ tears落すおとす let fall; shedこと case; instanceもありました。私はどっちにしても自分自分じぶん oneself不愉快不愉快ふゆかい unsatisfied; unfulfilled堪らなかったたまらなかった was unbearable; was intolerableのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じおなじ the same事になるのです。私はしまいに酒を止めましためました quit; stopped; ceased。妻の忠告忠告ちゅうこく caution; adviceで止めたというより、自分でいや disagreeable; unpleasantになったから止めたといったほう alternative (of two choices)適当適当てきとう proper; appropriateでしょう。

酒は止めたけれども、何もなにも (no)thingする inclinationにはなりません。仕方がない仕方しかたがない have no other recourseから書物書物しょもつ books読みますみます read; peruse。しかし読めば読んだなりで、打ち遣って置きますってきます lay aside; abandon without care。私は妻から何のためになんのために for what purpose; to what end勉強する勉強べんきょうする studyのかという質問質問しつもん questionをたびたび受けましたけました received。私はただ苦笑して苦笑くしょうして smile wryly; produce a strained laughいました。しかし腹の底でははらそこでは deep down; inwardly世の中なか the world; societyで自分が最ももっとも most信愛して信愛しんあいして love and trustいるたった一人一人ひとり one (person)人間人間にんげん human being; personすら、自分を理解していない理解りかいしていない not understandのかと思うおもう think; reflect onと、悲しかったかなしかった was sad; was sorrowfulのです。理解させる手段手段しゅだん means; measureがあるのに、理解させる勇気勇気ゆうき courage; nerve出せないせない can't bring forth; can't produceのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞寂寞せきばく lonely; desolateでした。どこからも切り離されてはなされて cut loose; separated; detached世の中にたった一人住んでんで live; dwell; abideいるような気のした事もよくありました。

同時に同時どうじに at the same time私はKの死因死因しいん cause of one's death繰り返し繰り返しかえかえし again and again; over and over考えたかんがえた considered; thought aboutのです。その当座その当座とうざ for a timeあたま head; mindがただこい (romantic) love一字一字いちじ single word支配されていた支配しはいされていた was dominated (by); was consumed (with)せいでもありましょうが、私の観察観察かんさつ observationはむしろ簡単簡単かんたん simpleでしかも直線的直線的ちょくせんてき straightforwardでした。Kは正しくまさしく surely; without a doubt失恋失恋しつれん disappointment in love; a broken heartのために死んだんだ diedものとすぐ極めてめて decide; concludeしまったのです。しかし段々段々だんだん gradually; little by little落ち付いたいた calmed down; composed気分気分きぶん feeling; moodで、同じ現象現象げんしょう happening; course of events向ってむかって turn toward; look toみると、そう容易く容易たやすく easily解決解決かいけつ settlement; resolution着かないかない not be arrived at; not be reachedように思われて来ましたおもわれてました started to seem現実現実げんじつ reality; actuality理想理想りそう ideal衝突衝突しょうとつ clash; conflict、――それでもまだ不充分不充分ふじゅうぶん insufficient; inadequate; lackingでした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくってさむしくって lonesome; solitary (usually さびしくって)仕方がなくなった結果結果けっか result; consequence急にきゅうに abruptly; swiftly所決した所決しょけつした decided; made up one's mind (usually 処決しょけつした)のではなかろうかと疑い出しましたうたがしました began to suspect。そうしてまた慄としたぞっとした shuddered (with horror)のです。私もKの歩いたあるいた walked; covered; traversedみち path; wayを、Kと同じように辿って辿たどって follow; pursueいるのだという予覚予覚よかく foreboding; premonitionが、折々折々おりおり from time to time; at timesかぜ breeze; draftのように私のむね breast; bosom横過り始めた横過よこぎはじめた began to pass across; began to frequentからです。

五十四五十四ごじゅうし (part) 54

その内そのうち by and by; after some timeさい (my) wifeはは mother病気になりました病気びょうきになりました fell ill医者医者いしゃ doctor見せるせる show; present; have look at到底到底とうてい absolutely癒らないなおらない won't recover; cannot be savedという診断診断しんだん diagnosisでした。わたくし I; meちから strength; ability及ぶおよぶ reach; extendかぎり懇切に懇切こんせつに kindly; obligingly看護看護かんご nursing; caregivingをしてやりました。これは病人病人びょうにん sick person; patient; invalid自身自身じしん herselfのためでもありますし、また愛するあいする love; cherish妻のためでもありましたが、もっと大きなもっとおおきな larger; greater意味意味いみ meaning; significanceからいうと、ついに人間人間にんげん humankind; humanityのためでした。私はそれまでにも何かなにか somethingしたくって堪らなかったしたくってたまらなかった had longed to doのだけれども、何もする事ができないことができない unable to ...のでやむをえず懐手をして懐手ふところでをして (stand idle) with hands in pocketsいたに違いありませんちがいありません there's no doubt that ...世間世間せけん society; the world切り離されたはなされた was cut off; was separated (from)私が、始めてはじめて for the first time自分自分じぶん oneself; one's ownから手を出してして reach out one's hand; take the initiative幾分でも幾分いくぶんでも even a little; to some small extent善いい good; right; virtuous事をしたという自覚自覚じかく self-awareness得たた gainedのはこのとき time occasionでした。私は罪滅し罪滅つみほろぼし atonement; expiationとでも名づけなければならないづけなければならない have to call; have to describe as一種の一種いっしゅの a certain kind of気分気分きぶん feeling; mood支配されていた支配しはいされていた was taken over (by); was consumed (with)のです。

母は死にましたにました died; passed away。私と妻はたった二人ぎり二人ふたりぎり two (people) aloneになりました。妻は私に向ってむかって turn toward、これから世の中なか society; the world頼りにするたよりにする rely on; depend onものは一人一人ひとり one (person)しかなくなったといいました。自分自身自分じぶん自身じしん one's own selfさえ頼りにする事のできない私は、妻のかお faceを見て思わずおもわず reflexively; in spite of oneself涙ぐみましたなみだぐみました was moved to tears。そうして妻を不幸な不幸ふこうな unfortunateおんな womanだと思いました。また不幸な女だと口へ出してくちして voice; say out loudもいいました。妻はなぜだと聞きますきます ask。妻には私の意味が解らないわからない not be understood; not come through; not registerのです。私もそれを説明して説明せつめいして explainやる事ができないのです。妻は泣きましたきました cried; wept。私が不断から不断ふだんから usually; ordinarily; alwaysひねくれたひねくれた distorted; crooked; twisted考えかんがえ thinking; ideas; notions彼女彼女かのじょ she; her観察して観察かんさつして view; observeいるために、そんな事もいうようになるのだと恨みましたうらみました reproached

母の亡くなったくなった died; passed awayあと after、私はできるだけ妻を親切に親切しんせつに thoughtfully; with kindness取り扱ってあつかって treatやりました。ただ、当人当人とうにん the person in question愛してあいして love; cherishいたからばかりではありません。私の親切には箇人箇人こじん individual (usually 個人こじん)離れてはなれて separate; apart (from)もっと広いひろい broad; expansive背景背景はいけい background; contextがあったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じおなじ the same意味で、私のこころ heart; mind; soul動いたうごいた moved; actedらしいのです。妻は満足満足まんぞく satisfied; contentらしく見えました。けれどもその満足のうちには、私を理解し得ない理解りかいない can't understand; struggle to graspために起るおこる arise; come aboutぼんやりした稀薄な稀薄きはくな thin; sparseてん speck; fleck; blemishがどこかに含まれてふくまれて be includedいるようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさ物足ものたりなさ inadequacy; insufficiency増すす increase; growとも減るる decrease; shrink気遣い気遣きづかい fear; concernはなかったのです。女には大きな人道人道じんどう humanity立場立場たちば standpoint; positionから来るる come; arrive; emanate愛情愛情あいじょう love; affectionよりも、多少多少たしょう a little; somewhat義理義理ぎり courtesy; obligationをはずれても自分だけに集注される集注しゅうちゅうされる have directed (to)親切を嬉しがるうれしがる enjoy; be pleased by性質性質せいしつ nature; dispositionが、おとこ menよりも強いつよい strong; potent; dominantように思われますから。

さい (my) wifeはあるとき time; occasionおとこ manこころ heart; soulおんな womanの心とはどうしてもぴたりとぴたりと tightly; closely; exactingly一つひとつ one (thing)になれないものだろうかといいました。わたくし I; meはただ若いわかい young時ならなれるだろうと曖昧な曖昧あいまいな vague; evasive返事返事へんじ answer; responseをしておきました。妻は自分の自分じぶんの one's own過去過去かこ past; former days振り返ってかえって think back on眺めてながめて look at; viewいるようでしたが、やがて微かなかすかな faint; indistinct溜息溜息ためいき sigh洩らしましたらしました let leak; let go; released

私のむね breast; bosomにはその時分時分じぶん time; periodから時々時々ときどき sometimes; from time to time恐ろしいおそろしい terrible; dreadful; frighteningかげ shadow; shape; figure閃きましたひらめきました flashed; flickered初めはじめ at firstはそれが偶然偶然ぐうぜん unexpectedlyそと outsideから襲って来るおそってる assail; assaultのです。私は驚きましたおどろきました was surprised; was caught off guard。私はぞっとしましたぞっとしました shuddered (with horror)。しかししばらくしている中にしばらくしているうちに after a while; after some time、私の心がその物凄い物凄ものすごい terrible; frightful閃きに応ずるおうずる meet; respond to; acceptようになりました。しまいには外から来ないない not come; not arriveでも、自分の胸のそこ bottom; depths生れたうまれた was born時から潜んでひそんで lie dormant; lurkいるもののごとくに思われ出して来たおもわれしてた began to seem (as though)のです。私はそうした心持心持こころもち feelingになるたびに、自分のあたま head; mindがどうかしたのではなかろうかと疑ってうたぐって suspect; questionみました。けれども私は医者にも医者いしゃにも by a doctor誰にもだれにも by anyone診てて look at; examine; checkもらう inclination; intentionにはなりませんでした。

私はただ人間人間にんげん human beings; menつみ sins; flawsというものを深くふかく deeply; profoundly感じたかんじた felt; sensedのです。その感じが私をKのはか grave; gravesite毎月毎月まいげつ every month; each month行かせますかせます cause to go; send (to)。その感じが私に妻のはは mother看護看護かんご nursing; caregivingをさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれやさしくしてやれ treat kindlyと私に命じますめいじます order; command。私はその感じのために、知らないらない unknown; unacquainted路傍路傍ろぼう roadside; waysideひと personから鞭うたれたいむちうたれたい wish to be scourgedとまで思ったおもった thought; consideredこと case; instanceもあります、こうした階段階段かいだん stairs; steps段々段々だんだん gradually; bit by bit経過して行く経過けいかしてく progress throughうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すころす kill; do away with; dispense withべきだという考えかんがえ idea; notion起りますおこります arise; come about; occur。私は仕方がない仕方しかたがない have no other recourseから、死んだんだ died気で生きて行こうきてこう continue living; carry on決心しました決心けっしんしました decided; resolved

私がそう決心してから今日今日こんにち this dayまで何年何年なんねん how many yearsになるでしょう。私と妻とは元の通りもととおり as before; as always仲好く仲好なかよく in harmony; free from strife暮して来ましたくらしてました lived; got along。私と妻とは決してけっして by (no) means不幸不幸ふこう unhappy; discontentではありません、幸福幸福こうふく happy; contentでした。しかし私のもっている一点一点いってん one point; single facet、私に取ってって to ...; for ...容易ならん容易よういならん not easily dealt with; not easily resolvedこの一点が、妻には常につねに always; constantly暗黒暗黒あんこく darkness; blackness見えたえた appeared; was seen (as)らしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly気の毒などくな pitiable; unfortunate気がします。

五十五五十五ごじゅうご (part) 55

死んだんだ diedつもりで生きて行こうきてこう continue living; carry on決心した決心けっしんした decided; resolved (to do)わたくし I; meこころ heart; soulは、時々時々ときどき at times; on occasion外界外界がいかい outside world刺戟刺戟しげき stimulus; impetus躍り上がりましたおどがりました sprang up; jumped to life。しかし私がどの方面方面ほうめん direction; sphere; quarterかへ切ってって cut through; make a break出ようよう set out思い立つおもつ think to doや否やいなや as soon as ...恐ろしいおそろしい terrible; dreadful; frighteningちから power; forceがどこからか出て来てて emerge; appear、私の心をぐいと握り締めてにぎめて grasp tightly; seize少しもすこしも (not) in the least動けないうごけない cannot moveようにするのです。そうしてその力が私にお前まえ youなに something; anythingをする資格資格しかく qualification; capacity; rightもないおとこ manだと抑え付けるおさける hold down; suppressようにいって聞かせますかせます tell; inform。すると私はその一言一言いちげん few wordsすぐ immediately; at onceぐたりとぐたりと exhausted; limp; powerless萎れてしおれて wither; wilt; fadeしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうがろう rise upとすると、また締め付けられます。私は teeth食いしばっていしばって grit; clench (one's teeth)何でなんで why; by what rightひと a person邪魔邪魔じゃま obstacle; hindranceをするのかと怒鳴り付けます怒鳴どなけます yell; cry out (in anger)不可思議な不可思議ふかしぎな curious; inexplicable力は冷やかなひややかな chillingこえ voice笑いますわらいます laugh自分自分じぶん oneselfでよく知っているっている know; be awareくせにといいます。私はまたぐたりとなります。

波瀾波瀾はらん ups and downs; vicissitudes曲折曲折きょくせつ twists and turns; complicationsもない単調な単調たんちょうな monotonous; plain; dull生活生活せいかつ life続けて来たつづけてた continued on in; persisted with私の内面内面ないめん inside; interiorには、常につねに always; constantlyこうした苦しいくるしい difficult; agonizing戦争戦争せんそう war; struggleがあったものと思って下さいください please ...さい (my) wife見てて look at; observe歯痒がる歯痒はがゆがる become irritated; be chagrinedまえ before; priorに、私自身自身じしん oneself何層倍何層倍なんぞうばい many times over歯痒い思いを重ねて来たかさねてた piled up; accumulatedか知れないくらいです。私がこの牢屋牢屋ろうや prison; jailうち inside; within凝としてじっとして lie still; remain motionlessいること act; actionがどうしてもできなくなったとき time; occasion、またその牢屋をどうしても突き破るやぶる break through事ができなくなった時、必竟必竟ひっきょう in the end; in the final analysis私にとって一番一番いちばん most楽ならくな comfortable; easy努力努力どりょく effort; exertion遂行できる遂行すいこうできる can perform; can carry outものは自殺自殺じさつ suicideより外によりほかに apart from; other thanないと私は感ずるかんずる feel; senseようになったのです。あなたはなぜといって眼を睜るみはる be taken aback; be shockedかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るる come; arriveその不可思議な恐ろしい力は、私の活動活動かつどう action; initiativeをあらゆる方面で食い留めながらめながら check; hold back deathみち way; pathだけを自由自由じゆう free; clearに私のために開けてけて openおくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上以上いじょう given that ...は、その道を歩いてあるいて walk; tread進まなければすすまなければ (if one) doesn't advance; doesn't progress私には進みようがなくなったのです。

わたくし I; me今日今日こんにち today; this day至るいたる reach; arrive atまですでに二、三度三度さんど two or three times; several times運命運命うんめい destiny; fate導いて行くみちびいてく guide on; lead to最ももっとも most楽ならくな comfortable; easy方向方向ほうこう direction; bearing; way進もうすすもう move forward; advance; progressとしたこと case; instanceがあります。しかし私はいつでもさい wifeこころ heart; soul惹かされましたかされました be drawn; be moved; be touched (by)。そうしてその妻をいっしょに連れて行くれてく take with勇気勇気ゆうき courage; temerity; nerve無論無論むろん of courseないのです。妻にすべてを打ち明けるける divulge; reveal事のできないくらいな私ですから、自分の自分じぶんの one's own運命の犠牲犠牲ぎせい victim (of)として、妻の天寿天寿てんじゅ natural span of one's life奪ううばう take away; stealなどという手荒な手荒てあらな violent; rough所作所作しょさ action; behaviorは、考えてかんがえて consider; think aboutさえ恐ろしかったおそろしかった was frightening; was appallingのです。私に私の宿命宿命しゅくめい fate; lot in lifeがある通りとおり just as ...、妻には妻の廻り合せまわあわせ turn of Fortune's wheel; fate; chances (in life)があります、二人二人ふたり two (people)一束一束ひとたば one bundleにして fire燻べるべる feed; fuel; stoke (a fire)のは、無理無理むり unnatural; unreasonableというてん standpoint; vantage pointから見てて look at; view; observeも、痛ましいいたましい pitiful; tragic極端極端きょくたん extremityとしか私には思えませんでしたおもえませんでした couldn't think (but that)

同時に同時どうじに at the same time私だけがいなくなったあと afterの妻を想像して想像そうぞうして imagine; envisionみるといかにも不憫不憫ふびん wretched; pitiableでした。はは mother死んだんだ died; passed awayとき time; occasion、これから世の中なか society; the world頼りにするたよりにする rely on; depend onものは私より外によりほかに apart from; other thanなくなったといった彼女彼女かのじょ she; her述懐述懐じゅっかい recollectionを、私ははらわた guts; viscera沁み込むむ permeate; penetrateように記憶させられていた記憶きおくさせられていた had impressed on one's memoryのです。私はいつも躊躇しました躊躇ちゅうちょしました hesitated; wavered。妻のかお faceを見て、止してして stop; cease; desistよかったと思う事もありました。そうしてまた凝とじっと motionless; still; restrained竦んですくんで be paralyzed; freezeしまいます。そうして妻から時々時々ときどき sometimes; at times物足りなそうな物足ものたりなそうな (seeming to) view as inadequate; find deficient eyes眺められるながめられる be seen; be viewedのです。

記憶して下さいください please ...。私はこんなふう way; mannerにして生きて来たきてた lived (up to now)のです。始めてはじめて for the first timeあなたに鎌倉鎌倉かまくら Kamakura (place name)会ったった met; encountered時も、あなたといっしょに郊外郊外こうがい environs; outskirts (of a town)散歩した散歩さんぽした walked; strolled; wandered時も、私の気分気分きぶん feeling; sentiment; frame of mind大したたいした significant; noteworthy変りかわり change; differenceはなかったのです。私の後ろうしろ back; behindにはいつでも黒いくろい darkかげ shadow; shape; figure括ッ付いていて adhere to; stay close toいました。私は妻のために、いのち lifetime; lifespan引きずってきずって prolong; drag out世の中を歩いてあるいて walk; tread; traverseいたようなものです。あなたが卒業して卒業そつぎょうして graduateくに country; one's native place帰るかえる return (to)時も同じおなじ the same事でした。九月九月くがつ Septemberになったらまたあなたに会おうと約束した約束やくそくした promised; agreed私は、うそ lie; falsehood; untruth吐いたいた expressed; toldのではありません。全くまったく utterly; completely会う intentionでいたのです。あき fall; autumn去ってって go by; passふゆ winterが来て、その冬が尽きてきて run its course; come to an endも、きっと会うつもりでいたのです。

するとなつ summer暑いあつい hot (weather)盛りさかり height of; peak of明治天皇明治めいじ天皇てんのう Meiji Emperor崩御崩御ほうぎょ death; passing (of an emperor)になりました。その時私は明治の精神精神せいしん spirit; essenceが天皇に始まって天皇に終ったおわった finished; endedような気がしました。最も強くつよく strongly; intensely明治の影響影響えいきょう influence; impact受けたけた received私どもが、その後に生き残ってのこって survive; be left behindいるのは必竟必竟ひっきょう in the end; in the final analysis時勢遅れ時勢じせいおくれ behind the times; obsoleteだという感じかんじ feeling; sense烈しくはげしく furiously; fervently私のむね breast; bosom打ちましたちました beat at; pounded on。私は明白さまに明白あからさまに candidly; openly妻にそういいました。妻は笑ってわらって laugh; grin; smile取り合いませんでしたいませんでした gave no mind toが、なに what; whateverを思ったものか、突然突然とつぜん suddenly; abruptly私に、では殉死殉死じゅんし following one's lord into deathでもしたらよかろうと調戯いました調戯からかいました teased

五十六五十六ごじゅうろく (part) 56

わたくし I; me殉死殉死じゅんし following one's lord into deathという言葉言葉ことば wordをほとんど忘れてわすれて forgetいました。平生平生へいぜい usually; ordinarily使う使つかう use; apply必要必要ひつよう necessity; needのない (combination of) charactersだから、記憶記憶きおく memoriesそこ bottom; depths沈んだしずんだ sunken; submergedまま、腐れかけていたくされかけていた half decayed; partially rotted; corroding awayものと見えますえます appear (as)さい (my) wife笑談笑談じょうだん joke; jest (= 冗談じょうだん)聞いていて hear始めてはじめて for the first time; initiallyそれを思い出したおもした remembered; recalledとき time; moment、私は妻に向ってむかって turn towardもし自分自分じぶん oneselfが殉死するならば、明治明治めいじ Meiji (era)精神精神せいしん spirit; essenceに殉死するつもりだと答えましたこたえました answered; replied。私の答えも無論無論むろん of course笑談に過ぎなかったぎなかった was nothing more thanのですが、私はその時何だかなんだか somehow古いふるい old; antiquated不要な不要ふような unneeded; in disuse言葉に新しいあたらしい new; fresh意義意義いぎ meaning; significance盛り得たた received in abundance; gained in good measureような心持心持こころもち feelingがしたのです。

それからやく roughly; about一カ月一カ月いっかげつ one monthほど経ちましたちました passed; elapsed御大葬御大葬ごたいそう Imperial Funeralよる evening; night私はいつもの通りいつものとおり as always; as usual書斎書斎しょさい study; reading room坐ってすわって sit相図相図あいず sign; signal号砲号砲ごうほう (signal) cannonを聞きました。私にはそれが明治が永久に永久えいきゅうに forever; for all time去ったった went away; left; departed報知報知ほうち news; noticeのごとく聞こえました。後であとで after; later考えるかんがえる consider; think aboutと、それが乃木大将乃木のぎ大将だいしょう General Nogi (committed suicide on day of Meiji Emperor's funeral)の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外号外ごうがい newspaper extra (edition)手にしてにして took in hand; received思わずおもわず reflexively; instinctively妻に殉死だ殉死だといいました。

私は新聞新聞しんぶん newspaperで乃木大将の死ぬぬ dieまえ before; prior書き残してのこして leave behind (in writing)行ったった went; departedものを読みましたみました read西南戦争西南戦争せいなんせんそう Satsuma Rebellion (1877)の時てき opposing sideはた flag; banner; regimental colors奪られてられて had seized以来以来いらい since ...申し訳もうわけ apology; act of atonementのために死のう死のうと思って、つい今日今日こんにち today; this dayまで生きてきて live; abideいたという意味意味いみ meaning; sense; effect sentence; passageを見た時、私は思わずゆび fingers折ってって bend; fold、乃木さんが死ぬ覚悟覚悟かくご resolution; resolveをしながら生きながらえて来たえてた gained; obtained年月年月としつき months and years勘定して勘定かんじょうして count; reckon; figure見ました。西南戦争は明治十年明治めいじ十年じゅうねん 10th year of Meiji (1877)ですから、明治四十五年明治めいじ四十五年よんじゅうごねん 45th year of Meiji (1912)までには三十五年三十五年さんじゅうごねん 35 years距離距離きょり distanceがあります。乃木さんはこの三十五年のあいだ interval (of time)死のう死のうと思って、死ぬ機会機会きかい opportunity; chance待ってって wait for; awaitいたらしいのです。私はそういうひと person; manに取ってって to ...; for ...、生きていた三十五年が苦しいくるしい painful; agonizingか、またかたな dagger; knifeはら abdomen; belly突き立てたてた stab; thrust (into)一刹那一刹那いっせつな moment; instantが苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。

それから二、三日三日さんにち two or three days; several daysして、私はとうとう自殺する自殺じさつする commit suicide; take one's own life決心決心けっしん determination; resolveをしたのです。私に乃木さんの死んだ理由理由りゆう reason; pretext; motiveがよく解らないわからない don't understand; can't fathomように、あなたにも私の自殺するわけ reason; rationale明らかにあきらかに clearly呑み込めないめない (can't) understand; take in; digestかも知れませんかもれません it may be that ...が、もしそうだとすると、それは時勢時勢じせい spirit of the age; zeitgeist推移推移すいい transition; changeから来るる come; occur; arise人間人間にんげん people; individuals相違相違そうい (mutual) differenceだから仕方がありません仕方しかたがありません cannot be helped。あるいは箇人箇人こじん individual (usually 個人こじん)もって生れたもってうまれた be born with; bring into the world性格性格せいかく disposition; natureの相違といったほう alternative (of two choices)確かたしか correct; on the markかも知れません。私は私のできる限りできるかぎり to the best of one's abilityこの不可思議な不可思議ふかしぎな curious; peculiar; anomalous私というものを、あなたに解らせるように、いま now; the presentまでの叙述叙述じょじゅつ depiction; representation; narration己れおのれ oneself尽したつくした exhausted; used up; ran dryつもりです。

わたくし I; meさい wife残して行きますのこしてきます leave behind。私がいなくなっても妻に衣食住衣食住いしょくじゅう necessities of life (clothing, food, and shelter)心配心配しんぱい wories; concernsがないのは仕合せ仕合しあわせ happiness; good fortuneです。私は妻に残酷な残酷ざんこくな harsh; heartless驚怖驚怖きょうふ terror; horror; shock与えるあたえる impart (to)こと act; action好みませんこのみません do not care to; would rather not。私は妻に bloodいろ color見せないでせないで without showing死ぬぬ dieつもりです。妻の知らないらない not know; be unaware interval (of time)に、こっそりこの世この this worldからいなくなるようにします。私は死んだあと afterで、妻から頓死した頓死とんしした died suddenly思われたいおもわれたい want it thought that ...; want it to seem as though ...のです。気が狂ったくるった went mad; lost one's sensesと思われても満足満足まんぞく satisfactoryなのです。

私が死のうと決心して決心けっしんして decide; resolveから、もう十日十日とうか ten days以上以上いじょう more thanになりますが、その大部分大部分だいぶぶん greater part; most partはあなたにこの長いながい long; lengthy自叙伝自叙伝じじょでん personal history; account of one's life一節一節いっせつ paragraphs; passages書き残すのこす leave behind (in writing)ために使用された使用しようされた was put to use (for); was applied (toward)ものと思って下さいください please ...始めはじめ at first; initiallyはあなたに会ってって meet; seeはなし talk; conversationをする intentionでいたのですが、書いてみると、かえってそのほう alternative (of two choices)自分自分じぶん oneself判然判然はっきり clearly; candidly描き出すえがす depict; describe; portray事ができたような心持心持こころもち feelingがして嬉しいうれしい happy; satisfied; pleasedのです。私は酔興酔興すいきょう vagary; whimに書くのではありません。私を生んだんだ gave birth to; brought about; shaped; formed私の過去過去かこ past; historyは、人間人間にんげん human beings; humanity経験経験けいけん experience一部分一部分いちぶぶん one partとして、私より外によりほかに apart from; other than誰もだれも (no) one語り得るかたる able to tell; capable of relatingものはないのですから、それを偽りなくいつわりなく without deception; honestly; truthfully書き残して置くく set; place; leave (for future reference)私の努力努力どりょく effort; exertionは、人間を知る上においてうえにおいて concerning ...; with respect to ...、あなたにとっても、外のひと people; personsにとっても、徒労徒労とろう fruitless effort; labors made in vainではなかろうと思います。渡辺華山渡辺わたなべ華山かざん Watanabe Kazan (Japanese painter; 1793-1841)邯鄲邯鄲かんたん Kantan (name of painting; lit: tree cricket; can refer to faithlessness of fortune - based on Tang period story)という painting描くく paintために、死期死期しき hour of one's death; one's time一週間一週間いっしゅうかん one week繰り延べたべた put off; deferredという話をつい先達て先達せんだって the other day; recently聞きましたきました heardひと (other) peopleから見たら余計な余計よけいな needless; uncalled-for; excessive事のようにも解釈できましょう解釈かいしゃくできましょう take as; regard asが、当人当人とうにん the person in questionにはまた当人相応相応そうおう befitting of要求要求ようきゅう need; desireこころ heart; mind; soulうち inside; withinにあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にたんに merely; simplyあなたに対するたいする with respect to; regarding約束約束やくそく promise; obligation果たすたす meet; realize; fulfillためばかりではありません。半ばなかば half以上は自分自身自分じぶん自身じしん one's own selfの要求に動かされたうごかされた was moved; was motivated; was inspired (by)結果結果けっか result; consequence (of)なのです。

しかし私はいま now; at presentその要求を果たしました。もう何にもなんにも (no)thingする事はありません。この手紙手紙てがみ letterがあなたの hands落ちるちる fall (into)ころ timeには、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかりまえ before; priorから市ヶ谷市ヶ谷いちがや Ichigaya (place name)叔母叔母おば auntところ place; residenceへ行きました。叔母が病気病気びょうき sick; ill手が足りないりない short-handed; requiring helpというから私が勧めてすすめて recommend; suggest; encourageやったのです。私は妻の留守留守るす absence (from home)あいだ interval (of time)に、この長いものの大部分を書きました。時々時々ときどき sometimes; from time to time妻が帰って来るかえってる come back; returnと、私はすぐそれを隠しましたかくしました concealed; hid

私は私の過去を善悪とも善悪ぜんあくとも good and bad togetherに他の参考参考さんこう reference供するきょうする offer; presentつもりです。しかし妻だけはたった一人一人ひとり one person; single person例外例外れいがい exceptionだと承知して承知しょうちして accept; acknowledge下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れおのれ I; meの過去に対してもつ記憶記憶きおく memories; remembranceを、なるべく純白に純白じゅんぱくに in pure white; without blemish; untarnished保存して保存ほぞんして preserve; maintain; protectおいてやりたいのが私の唯一の唯一ゆいいつの only; sole; solitary希望希望きぼう hope; wishなのですから、私が死んだ後でも、妻が生きているきている be alive; be living以上以上いじょう as long as ...は、あなた限りかぎり limited to打ち明けられたけられた was revealed; has been divulged私の秘密秘密ひみつ secretsとして、すべてを腹の中はらなか within one's heart; to oneselfにしまっておいて下さい。」