Ten Nights of Dreams

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第一第一だいいち 1st夜夜や night


こんな夢夢ゆめ dreamを見た見みた saw; had (a dream)

腕組をして腕組うでぐみをして fold one's arms in front of one枕元枕元まくらもと by (someone's) pillow; by (someone's) bedsideに坐って坐すわって sit; be seatedいると、仰向仰向あおむき looking up; (resting) on one's backに寝た寝ねた be resting; be lying down女女おんな womanが、静かな静しずかな quiet; soft (voice)声声こえ voiceでもう死にます死しにます die; pass awayと云う云いう said。女は長い長ながい long髪髪かみ hairを枕枕まくら pillowに敷いて敷しいて spread、輪郭輪郭りんかく outline; contourの柔らかな柔やわらかな soft; tender瓜実顔瓜実うりざね顔がお oval faceをその中中なか middle; midstに横たえて横よこたえて lay down (on)いる。真白な真白まっしろな pure white頬頬ほお cheeksの底底そこ depthsに温かい温あたたかい warm血血ち bloodの色色いろ colorがほどよくほどよく moderately; to just the proper degree差して差さして tinge; flush (with color)、唇唇くちびる lipsの色は無論無論むろん (as a matter) of course赤い赤あかい red。とうてい死にそうには見えない見みえない didn't appear (to be ...)。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然判然はっきり clearly云った。自分自分じぶん oneself; Iも確に確たしかに assuredly; without doubtこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上上うえ aboveから覗き込む覗のぞき込こむ look into (someone's face)ようにして聞いて聞きいて ask; inquire見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりとぱっちりと widely; brightly眼眼め eyesを開けた開あけた opened。大きな大おおきな large潤潤うるおい moisture; dampnessのある眼で、長い睫睫まつげ eyelashes; lashesに包まれた包つつまれた be wrapped (in)中は、ただ一面に一面いちめん all over (a single surface)真黒真黒まっくろ pitch blackであった。その真黒な眸眸ひとみ pupilsの奥奥おく interior; depthsに、自分の姿姿すがた shape; formが鮮に鮮あざやかに clearly; distinctly浮かんで浮うかんで float; be reflectedいる。

自分自分じぶん oneself; Iは透き徹る透すき徹とおる be transparentほど深く深ふかく deep見える見みえる appearこの黒眼黒眼くろめ black eyes; ebony eyesの色沢色沢つや gloss; lusterを眺めて眺ながめて gaze (at)、これでも死ぬ死しぬ die; pass awayのかと思った思おもった wondered。それで、ねんごろにねんごろに carefully枕枕まくら pillowの傍傍そば side; proximityへ口口くち mouthを付けて付つけて brought near (to); positioned、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫大丈夫だいじょうぶ safe; secure; all rightだろうね、とまた聞き返した聞きき返かえした asked again。すると女女おんな womanは黒い黒くろい black; ebony眼眼め eyesを眠そうに眠ねむそうに in a weary manner睜た睜みはった opened wide (eyes)まま、やっぱり静かな静しずかな quiet; soft (voice)声声こえ voiceで、でも、死ぬんですもの、仕方がない仕方しかたがない can't be avoidedわと云った云いった said。

じゃ、私の私わたしの my顔顔かお faceが見える見みえる be visibleかいと一心に一心いっしんに intently; earnestly聞く聞きく ask; inquireと、見えるかいって、そら、そこに、写って写うつって be reflectedるじゃありませんかと、にこりと笑ってにこりと笑わらって smile gently; break into a smile見せた。自分自分じぶん oneself; Iは黙って黙だまって remain silent、顔を枕枕まくら pillowから離した離はなした separated from; withdrew。腕組をしながら腕組うでぐみをしながら folding one's arms in front of one、どうしても死ぬ死しぬ die; pass awayのかなと思った思おもった wondered。

しばらくして、女女おんな womanがまたこう云った云いった said。

「死んだら死しんだら when (I) die、埋めて下さい埋うめて下ください please bury (me)。大きな大おおきな large真珠貝真珠貝しんじゅがい pearl oyster shellで穴穴あな holeを掘って掘ほって dig。そうして天天てん the heavensから落ちて来る落おちて来くる fall down; come falling星星ほし starの破片破片かけ splinter; fragmentを墓標墓標はかじるし grave markerに置いて下さい置おいて下ください please place。そうして墓の傍傍そば side; vicinityに待って待まって waitいて下さい。また逢いに来ます逢あいに来きます come to see (a person)から」

自分自分じぶん oneself; Iは、いつ逢いに来る逢あいに来くる come to see (a person)かねと聞いた聞きいた asked。

「日が出る日ひが出でる the sun will riseでしょう。それから日が沈む日ひが沈しずむ the sun will setでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い赤あかい red日が東東ひがし eastから西西にし westへ、東から西へと落ちて行く落おちて行いく go downうちに、――あなた、待って待まって waitいられますか」

自分は黙って黙だまって remaining silent首肯いた首肯うなずいた nodded assent。女女おんな womanは静かな静しずかな quiet調子調子ちょうし tone (of voice)を一段一段いちだん one step; one stage張り上げて張はり上あげて raise; lift up (one's voice)、

「百年百年ひゃくねん a hundred years待っていて下さい」と思い切った思おもい切きった resolute; decisive声声こえ voiceで云った云いった said。

「百年、私の私わたしの my墓墓はか graveの傍に坐って坐すわって sit待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

自分はただ待っていると答えた答こたえた answered。すると、黒い黒くろい black; ebony眸眸ひとみ pupilsのなかに鮮に鮮あざやかに clearly; distinctly見えた見みえた was visible自分の姿姿すがた shape; formが、ぼうっと崩れて来た崩くずれて来きた broke apart; disintegrated。静かな静しずかな still; quiet水水みず waterが動いて動うごいて move写る写うつる be reflected影影かげ form; imageを乱した乱みだした stirred; disruptedように、流れ出した流ながれ出だした began to flowと思ったら、女の眼眼め eyesがぱちりとぱちりと like a shutter閉じた閉とじた closed。長い長ながい long睫睫まつげ eyelashes; lashesの間間あいだ midstから涙涙なみだ tearが頬頬ほお cheekへ垂れた垂たれた dropped (onto)。――もう死んでいた死しんでいた be dead; be gone。

自分自分じぶん oneself; Iはそれから庭庭にわ garden; yardへ下りて下おりて go down (to)、真珠貝真珠貝しんじゅがい pearl oyster shellで穴穴あな holeを掘った掘ほった dug。真珠貝は大きな大おおきな large滑かな滑なめらかな smooth縁縁ふち edgeの鋭どい鋭するどい sharp貝貝かい shellであった。土土つち dirt; earthをすくうたびに、貝の裏裏うら reverse; back sideに月月つき moonの光光ひかり light; (moon) beamsが差して差さして shine (on); strikeきらきらした。湿った湿しめった moist土の匂匂におい smellもした。穴はしばらくして掘れた。女女おんな womanをその中中なか middleに入れた入いれた put into。そうして柔らかい柔やわらかい soft土を、上上うえ aboveからそっと掛けた掛かけた covered。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

それから星星ほし starの破片破片かけ splinter; fragmentの落ちた落おちた fellのを拾って来て拾ひろって来きて went and picked up; went and gathered、かろくかろく lightly (= かるく)土の上へ乗せた乗のせた set; placed (onto)。星の破片は丸かった丸まるかった was round。長い間間あいだ interval (of time)大空大空おおぞら big sky; heavensを落ちている間間ま period (of time)に、角角かど corners; edgesが取れて取とれて be taken off; be worn off滑か滑なめらか smoothになったんだろうと思った思おもった thought; realized。抱き上げて抱だき上あげて pick up; take in one's arms土の上へ置く置おく set; placeうちに、自分の胸胸むね chestと手手て hands; armsが少し少すこし a little; a bit暖くなった暖あたたかくなった grew warm。

自分自分じぶん oneself; Iは苔苔こけ mossの上上うえ top ofに坐った坐すわった sat down。これから百年百年ひゃくねん a hundred yearsの間間あいだ period (of time)こうして待って待まって waitいるんだなと考えながら考かんがえながら thinking; considering、腕組をして腕組うでぐみをして fold one's arms in front of one、丸い丸まるい round墓石墓石はかいし gravestoneを眺めて眺ながめて gaze atいた。そのうちに、女女おんな womanの云った通り云いった通とおり exactly as (she) said日日ひ sunが東東ひがし eastから出た出でた appeared; rose (into view)。大きな大おおきな large赤い赤あかい red日であった。それがまた女の云った通り、やがて西西にし westへ落ちた落おちた dropped; descended。赤いまんまでのっと落ちて行った落おちて行いった went down。一つ一ひとつ oneと自分は勘定した勘定かんじょうした counted。

しばらくするとまた唐紅の唐紅からくれないの crimson天道天道てんとう the sunがのそりとのそりと heavily上って来た上のぼって来きた rose; came up。そうして黙って黙だまって in silence沈んで沈しずんで sink; go downしまった。二つ二ふたつ twoとまた勘定した。

自分はこう云う風にこう云いう風ふうに in this manner一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見た見みた saw; watchedか分らない分わからない don't know。勘定しても、勘定しても、しつくせないしつくせない can't manage; can't keep up (with something)ほど赤い日が頭頭あたま headの上上うえ aboveを通り越して行った通とおり越こして行いった passed by; went past。それでも百年がまだ来ないまだ来こない not yet arrive。しまいには、苔の生えた生はえた grew (on)丸い石石いし stoneを眺めて、自分は女に欺された欺だまされた be deceivedのではなかろうかと思い出した思おもい出だした began to wonder。

すると石の下から下したから from below斜に斜はすに obliquely; at an angle自分の自分じぶんの one's own方方ほう directionへ向いて向むいて turning (toward)青い青あおい green茎茎くき stem; stalkが伸びて来た伸のびて来きた extended; stretched (toward one)。見る見みる watch間間ま period (of time)に長くなって長ながくなって lengthenedちょうど自分の胸胸むね chestのあたりまで来て留まった留とまった stopped。と思うと、すらりとすらりと smoothly; easily揺ぐ揺ゆらぐ sway茎の頂頂いただき crown; tipに、心持心持こころもち slightly; a shade首首くび neckを傾けて傾かたぶけて incline; tiltいた細長い細長ほそながい slender一輪一輪いちりん single (flower)の蕾蕾つぼみ (flower) budが、ふっくらとふっくらと amply; generously弁弁はなびら flower petals (usually 花弁はなびら)を開いた開ひらいた opened。真白な真白まっしろな pure white百合百合ゆり lilyが鼻の先鼻はなの先さき tip of one's noseで骨に徹える骨ほねに徹こたえる penetrate to the bone; penetrate to one's coreほど匂った匂におった was fragrant。そこへ遥の上遥はるかの上うえ far aboveから、ぽたりとぽたりと with impact; thickly露露つゆ dew; dewdropsが落ちた落おちた fellので、花花はな flowerは自分の重み重おもみ weightでふらふらと動いた動うごいた moved; shook。自分は首首くび neck; headを前前まえ forwardへ出して出だして put forth冷たい冷つめたい cold露の滴る滴したたる drip; trickle (from)、白い白しろい white花弁花弁はなびら flower petalに接吻接吻せっぷん kissした。自分が百合から顔顔かお faceを離す離はなす withdraw拍子に拍子ひょうしに at the moment of ...思わず思おもわず instinctively; reflexively、遠い遠とおい far away; distant空空そら skyを見たら、暁暁あかつき dawn; morningの星星ほし starがたった一つ一ひとつ one; single (star)瞬いて瞬またたいて twinkle; flickerいた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時時とき time; moment始めて始はじめて for the first time気がついた気きがついた realized。

第二第二だいに 2nd夜夜や night


こんな夢夢ゆめ dreamを見た見みた saw; had (a dream)

和尚和尚おしょう (Buddhist) head priestの室室しつ roomを退がって退さがって withdraw from、廊下伝いに廊下ろうか伝づたいに following the corridor自分の自分じぶんの one's own; my own部屋部屋へや roomへ帰る帰かえる return (to)と行灯行灯あんどう papered lanternがぼんやり点って点ともって be lit; be burningいる。片膝片膝かたひざ one kneeを座蒲団座蒲団ざぶとん seating cushionの上上うえ top ofに突いて突ついて push into、灯心灯心とうしん (lamp) wickを掻き立てた掻かき立たてた stir up; stokeとき、花花はな flowerのような丁子丁子ちょうじ clove (clove-like piece of wick)がぱたりと朱塗朱塗しゅぬり red-lacqueredの台台だい table; standに落ちた落おちた fell。同時に同時どうじに at the same time部屋がぱっと明かるくなった明あかるくなった became bright。

襖襖ふすま fusuma (sliding screen with single covered surface, often decorated)の画画え paintingは蕪村蕪村ぶそん Buson (Edo period poet and painter; 1716-1784)の筆筆ふで brushである。黒い黒くろい black; dark柳柳やなぎ willow (tree)を濃く濃こく thick; dark薄く薄うすく thin; light、遠近遠近おちこち far and near; (visual) perspectiveとかいて、寒むそうな寒さむそうな looking cold漁夫漁夫ぎょふ fishermanが笠笠かさ (bamboo) hatを傾けて傾かたぶけて lean; tilt (usually 傾かたむけて)土手土手どて berm; embankmentの上を通る通とおる pass (over); walk along。床床とこ alcove (short for 床とこの間ま)には海中文殊海中文殊かいちゅうもんじゅ Monju Bosatsu (Buddhist deity of wisdom) riding over the sea on a cloudの軸軸じく (painting) scrollが懸って懸かかって be hung; be displayed (on a wall)いる。焚き残した焚たき残のこした unburned; charred線香線香せんこう incenseが暗い暗くらい dark方方ほう direction; areaでいまだに臭って臭におって smell (of something)いる。広い広ひろい large; expansive寺寺てら templeだから森閑として森閑しんかんとして still; silent、人気人気ひとけ sign of life; human presenceがない。黒い黒くろい black天井天井てんじょう ceilingに差す差さす be projected (onto)丸行灯丸行灯まるあんどう round lanternの丸い丸まるい round影影かげ shape; formが、仰向く仰向あおむく look upward途端途端とたん moment; instantに生きてる生いきてる be alive; be animateように見えた見みえた appear。

立膝をした立膝たてひざをした with one knee drawn upまま、左の手左ひだりの手て left handで座蒲団座蒲団ざぶとん seating cushionを捲って捲めくって peel back; peel up、右右みぎ right (hand)を差し込んで差さし込こんで insert; thrust into見る見みる (try and) seeと、思った思おもった expected所所ところ placeに、ちゃんとあった。あれば安心安心あんしん reassurance; peace of mindだから、蒲団蒲団ふとん cushionをもとのごとく直して直なおして fix; straighten、その上上うえ topにどっかりどっかり heavily; with a thud坐った坐すわった sat down。

お前お前まえ you (condescending)は侍侍さむらい samuraiである。侍なら悟れぬ悟さとれぬ can't attain enlightenmentはずはなかろうと和尚和尚おしょう (Buddhist) head priestが云った云いった said。そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前御前おまえ you (condescending)は侍ではあるまいと言った。人間人間にんげん humanityの屑屑くず dregsじゃと言った。ははあ怒った怒おこった become angryなと云って笑った笑わらった laughed。口惜しければ口惜くやしければ be bothered; be chagrined悟った証拠証拠しょうこ evidenceを持って来い持もって来こい bring; produceと云ってぷいとぷいと quickly; abruptly向向むこう away; the other directionをむいた。怪しからん怪けしからん impertinent。

隣の隣となりの next door; adjacent広間広間ひろま hallの床床とこ alcove (short for 床とこの間ま)に据えて据すえて set; fix (into position)ある置時計置時計おきどけい table clockが次次つぎ nextの刻刻とき hourを打つ打うつ strike; chime (clock)までには、きっと悟って悟さとって attain enlightenment見せる見みせる show; demonstrate。悟った上上うえ on top of; in addition toで、今夜今夜こんや this eveningまた入室する入室にゅうしつする enter a room; enter the priest's room to be tested (Buddhism)。そうして和尚の首首くび neck; headと悟りと引替引替ひきかえ exchange; tradeにしてやる。悟らなければ、和尚の命命いのち lifeが取れない取とれない cannot take。どうしても悟らなければならない。自分自分じぶん oneself; Iは侍である。

もし悟れなければ自刃自刃じじん suicide by swordする。侍侍さむらい samuraiが辱しめられて辱はずかしめられて be shamed、生きて生いきて liveいる訳には行かない訳わけには行ゆかない it won't do to ...; one can't ...。綺麗に綺麗きれいに cleanly死んで死しんで dieしまう。

こう考えた考かんがえた reasoned; considered時時とき time、自分の手手て handはまた思わず思おもわず reflexively布団布団ふとん cushionの下下した undersideへ這入った這入はいった entered; reached into。そうして朱鞘朱鞘しゅざや red-lacquered sword sheathの短刀短刀たんとう short sword; daggerを引き摺り出した引ひき摺ずり出だした dragged out; drew forth。ぐっと束束つか hilt; haftを握って握にぎって grasp; grip、赤い赤あかい red鞘鞘さや sheathを向へ払ったら向むこうへ払はらったら cast away、冷たい冷つめたい cold刃刃は bladeが一度に一度いちどに at once; at the same time暗い暗くらい dark部屋部屋へや roomで光った光ひかった glistened。凄い凄すごい terrible; dreadfulものが手元手元てもと grip; handleから、すうすうとすうすうと with a hissing sound逃げて行く逃にげて行いく escapeように思われるように思おもわれる it seemed that ...。そうして、ことごとくことごとく fully; entirely切先切先きっさき point; tip (of a blade)へ集まって集あつまって gathered; concentrated、殺気殺気さっき murderous intent; thirst for bloodを一点一点いってん a single pointに籠めて籠こめて put into; enclose inいる。自分自分じぶん oneself; Iはこの鋭い鋭するどい sharp刃が、無念にも無念むねんにも to one's chagrin; to one's dismay針の頭針はりの頭あたま head of a pin; head of a tackのように縮められて縮ちぢめられて shrink; shorten、九寸五分九寸くすん五分ごぶ daggerの先先さき tipへ来て来きて come (to)やむをえずやむをえず unavoidably尖って尖とがって sharp; taperedるのを見て見みて see; look at、たちまちたちまち suddenly; at onceぐさりとぐさりと with a thrust; plunging intoやりたくなった。身体身体からだ bodyの血血ち bloodが右の右みぎの right (side)手首手首てくび wristの方方ほう directionへ流れて来て流ながれて来きて flowed into、握っている束束つか hilt; haftがにちゃにちゃするにちゃにちゃする be sticky; be slimy。唇唇くちびる lipsが顫えた顫ふるえた trembled。

短刀短刀たんとう short sword; daggerを鞘鞘さや sheathへ収めて収おさめて put away (in)右脇右脇みぎわき (one's) right sideへ引きつけて引ひきつけて keep close at handおいて、それから全伽を組んだ全伽ぜんがを組くんだ assumed the lotus position (for meditation)。――趙州趙州じょうしゅう Jōshū Jūshin (Chinese Zen master; 778–897)曰く曰いわく according to ...無無む nothingnessと。無とは何何なん whatだ。糞坊主め糞坊主くそぼうずめ Damn that priest; Damn him (Jōshū) anywayとはがみをしたはがみをした ground one's teeth (in anger)。

奥歯奥歯おくば molars; back teethを強く強つよく strongly; tightly咬み締めた咬かみ締しめた clenched (teeth)ので、鼻鼻はな nose; nostrilsから熱い熱あつい hot息息いき breathが荒く荒あらく coarsely; unevenly出る出でる emerge; come forth。こめかみこめかみ temples (part of the body)が釣って釣つって cramp up (= 痙つって)痛い痛いたい be painful。眼眼め eyesは普通普通ふつう usualの倍も倍ばいも double; twice as much大きく開けて大おおきく開あけて opened wideやった。

懸物懸物かけもの hanging picture (scroll)が見える見みえる be visible。行灯行灯あんどう papered lanternが見える。畳畳たたみ tatami (mats)が見える。和尚和尚おしょう (Buddhist) head priestの薬缶頭薬缶頭やかんあたま bald head (lit: head like a copper kettle)がありありとありありと distinctly; vividly見える。鰐口鰐口わにぐち big mouth (lit: alligator mouth)を開いて開あいて open嘲笑った嘲笑あざわらった sneered at; ridiculed声声こえ voiceまで聞える聞きこえる could hear。怪しからん怪けしからん impertinent; insolent坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん首くびにしなくてはならん have to take his head。悟って悟さとって attain enlightenmentやる。無だ、無だと舌舌した tongueの根根ね base; rootで念じた念ねんじた chanted (an invocation)。無だと云う云いう say; invokeのにやっぱり線香線香せんこう incenseの香香におい smell; scentがした。何だ線香のくせに。

自分自分じぶん oneself; Iはいきなり拳骨拳骨げんこつ fistを固めて固かためて tighten自分の頭頭あたま headをいやと云うほど擲った擲なぐった beat; struck。そうして奥歯奥歯おくば molars; back teethをぎりぎりと噛んだ噛かんだ bite; grind。両腋両腋りょうわき both armpits; under one's armsから汗汗あせ sweatが出る出でる emerge; come forth。背中背中せなか back; spineが棒棒ぼう staff; rodのようになった。膝の接目膝ひざの接目つぎめ knee jointsが急に急きゅうに suddenly痛くなった痛いたくなった began to ache。膝が折れた折おれた snap; fractureってどうあるものかと思った思おもった thought; decided。けれども痛い。苦しい苦くるしい intolerable; agonizing。無無む nothingnessはなかなか出て来ない出でて来こない did not appear; did not arrive。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つ腹はらが立たつ became angry。無念になる無念むねんになる grew resentful。非常に非常ひじょうに exceedingly口惜しくなる口惜くやしくなる felt vexed (by failure)。涙涙なみだ tearsがほろほろ出る。ひと思にひと思おもいに resolutely; once and for all身身み bodyを巨巌巨巌おおいわ giant boulder; large rockの上上うえ top ofにぶつけて、骨骨ほね bonesも肉肉にく fleshもめちゃめちゃに砕いて砕くだいて smash; break (into pieces)しまいたくなる。

それでも我慢して我慢がまんして persevere; exercise self controlじっと坐って坐すわって sitいた。堪えがたい堪たえがたい intolerable; unbearableほど切ない切せつない oppressive; heartrendingものを胸胸むね breast; bosomに盛れて盛いれて put into; fill with忍んで忍しのんで endureいた。その切ないものが身体中身体中からだじゅう throughout one's bodyの筋肉筋肉きんにく muscle; sinewを下下した below; beneathから持上げて持上もちあげて lift up、毛穴毛穴けあな pores (of the skin)から外外そと outwardへ吹き出よう吹ふき出でよう break out吹き出ようと焦る焦あせる be impatientけれども、どこも一面一面いちめん the whole surfaceに塞がって塞ふさがって be blocked; be clogged、まるで出口出口でぐち exit; way outがないような残刻残刻ざんこく cruelty (usually 残酷ざんこく)極まる極きわまる the height of; the extreme of状態状態じょうたい condition; stateであった。

そのうちに頭が変になった頭あたまが変へんになった lost one's mind; came unhinged。行灯行灯あんどう papered lanternも蕪村蕪村ぶそん Buson (Edo period poet and painter; 1716-1784)の画画え paintingも、畳畳たたみ tatami (mats)も、違棚違棚ちがいだな staggered shelvesも有って無い有あって無ない there but not thereような、無くって有るように見えた見みえた appeared。と云ってと云いって even so; nevertheless無無む nothingnessはちっとも現前しない現前げんぜんしない did not appear。ただ好加減に好加減いいかげんに halfheartedly; perfunctorily坐っていたようである。ところへ忽然忽然こつぜん suddenly; abruptly隣隣となり neighboring座敷座敷ざしき hallの時計時計とけい clockがチーンと鳴り始めた鳴なり始はじめた began to chime。

はっと思ったはっと思おもった was caught by surprise。右の手右みぎの手て right handをすぐ短刀短刀たんとう short sword; daggerにかけた。時計が二つ目二ふたつ目め second one; (for the) second timeをチーンと打った打うった struck; chimed。

第三第三だいさん 3rd夜夜や night


こんな夢夢ゆめ dreamを見た見みた saw; had (a dream)

六つ六むっつ six (years old)になる子供子供こども childを負って負おぶって carry (a baby or child) on one's backる。たしかに自分の自分じぶんの one's own; my own子子こ childである。ただ不思議な不思議ふしぎな strange; curious事事こと fact; matter; affairにはいつの間にかいつの間まにか before one knows it眼が潰れて眼めが潰つぶれて be blind、青坊主青坊主あおぼうず person with a shaved headになっている。自分自分じぶん oneself; Iが御前の御前おまえの your眼はいつ潰れたのかいと聞く聞きく askと、なに昔昔むかし long agoからさと答えた答こたえた answered。声声こえ voiceは子供の声に相違ないに相違そういない without a doubtが、言葉つき言葉ことばつき diction; manner of speakingはまるで大人大人おとな adultである。しかも対等対等たいとう on even terms; not deferentialだ。

左右左右さゆう left and right; both sidesは青田青田あおた green rice paddiesである。路路みち path; wayは細い細ほそい narrow。鷺鷺さぎ snowy heron; egretの影影かげ shape; formが時々時々ときどき sometimes; on occasion闇闇やみ the dark; darknessに差す差さす shine; flash。

「田圃田圃たんぼ paddies; rice fieldsへかかったね」と背中背中せなか back (body)で云った云いった said; remarked。

「どうして解る解わかる understand; know」と顔顔かお faceを後ろへ後うしろへ toward the rear; behind振り向ける振ふり向むける turn (to look) backようにして聞いたら、

「だって鷺が鳴く鳴なく cry; call (birds)じゃないか」と答えた。

すると鷺がはたして二声二声ふたこえ two cries; two callsほど鳴いた。

自分は我子我子わがこ one's own childながら少し少すこし a little; a bit怖くなった怖こわくなった became fearful。こんなものを背負って背負しょって carry on one's back; be saddled withいては、この先この先さき after this; from nowどうなるか分らない分わからない don't know; can't tell。どこか打遣ゃる打遣うっちゃる cast away; abandon所所ところ placeはなかろうかと向う向むこう the distance; aheadを見る見みる look (toward)と闇の中闇やみの中なか in the darknessに大きな大おおきな large; thick森森もり woodsが見えた。あすこならばと考え出す考かんがえ出だす conclude; settle on途端途端とたん moment; instantに、背中で、

「ふふん」と云う声がした。

「何何なに whatを笑う笑わらう laugh (about)んだ」

子供子供こども childは返事返事へんじ answerをしなかった。ただ

「御父さん御父おとっさん father、重いかい重おもいかい am I heavy」と聞いた聞きいた asked。

「重かあない」と答えると

「今に今いまに soon重くなるよ」と云った。

自分自分じぶん oneself; Iは黙って黙だまって in silence; without speaking森森もり woodsを目標目標めじるし sign; landmarkにあるいて行ったあるいて行いった walked on。田田た fieldsの中中なか middle; midstの路路みち path; wayが不規則に不規則ふきそくに irregularlyうねってうねって wind; meanderなかなか思うように思おもうように as one hopes出られない出でられない couldn't emerge from。しばらくすると二股二股ふたまた fork; branch (road)になった。自分は股の根股またの根ね base of the fork; junction pointに立って立たって stand; stop、ちょっと休んだ休やすんだ rested。

「石石いし stoneが立ってる立たってる stand; be erectedはずだがな」と小僧小僧こぞう youngsterが云った云いった said。

なるほど八寸角八寸角はっすんかく 8 sun (about 24 cm; about 10 inches) squareの石が腰腰こし waist; hipsほどの高さ高たかさ heightに立っている。表表おもて frontには左り左ひだり left日ヶ窪日ひヶが窪くぼ Higakubo (place name)、右右みぎ right堀田原堀田原ほったはら Hottahara (place name)とある。闇闇やみ darknessだのに赤い赤あかい red字字じ characters; lettersが明かに明あきらかに clearly; distinctly見えた見みえた were visible。赤い字は井守井守いもり fire belly newtの腹腹はら bellyのような色色いろ colorであった。

「左が好い好いい good; a better choiceだろう」と小僧小僧こぞう youngsterが命令した命令めいれいした directed; instructed。左を見るとさっきの森が闇の影闇やみの影かげ shadow of darknessを、高い高たかい high; lofty空空そら skyから自分らの自分じぶんらの our頭頭あたま headsの上上うえ aboveへ抛げかけて抛なげかけて throw overいた。自分はちょっと躊躇した躊躇ちゅうちょした hesitated。

「遠慮しないでもいい遠慮えんりょしないでもいい there's no need to hesitate; don't be afraid」と小僧がまた云った云いった spoke。自分は仕方なしに仕方しかたなしに having no choice; left with no choice森森もり woodsの方方ほう directionへ歩き出した歩あるき出だした set off walking。腹の中では腹はらの中なかでは privately; to myself、よく盲目盲目めくら blind personのくせに何でも何なんでも anything and everything知って知しって know; be aware ofるなと考えながら考かんがえながら think; consider一筋道一筋道ひとすじみち straight path (with no turnoffs)を森へ近づいてくる近ちかづいてくる draw nearと、背中背中せなか back (body)で、「どうも盲目は不自由不自由ふじゆ impairment; hindranceでいけないね」と云った。

「だから負って負おぶって carry (a baby or child) on one's backやるからいいじゃないか」

「負ぶって貰って負おぶって貰もらって have you carry meすまないが、どうも人人ひと peopleに馬鹿にされて馬鹿ばかにされて be played for a fool; be taken advantage ofいけない。親親おや parentにまで馬鹿にされるからいけない」

何だか何なんだか somehow厭厭いや unpleasant; disagreeableになった。早く早はやく soon; quickly森へ行って捨てて捨すてて discard; abandonしまおうと思って思おもって think (to do something)急いだ急いそいだ hurried。

「もう少し少すこし a little; a bit行く行ゆく go (on)と解る解わかる understand。――ちょうどこんな晩晩ばん evening; nightだったな」と背中で独言独言ひとりごと talking to oneselfのように云っている。

「何何なに whatが」と際どい際きわどい tense; betraying (one's) unease声声こえ voiceを出して出だして put forth (voice)聞いた聞きいた asked。

「何がって、知って知しって know; be aware ofるじゃないか」と子供子供こども childは嘲ける嘲あざける deride; mockように答えた答こたえた answered。すると何だか知ってるような気がし出した気きがし出だした began to feel; began to realize。けれども判然と判然はっきりと clearly; with certaintyは分らない分わからない didn't know。ただこんな晩であったように思える思おもえる it seemed that ...。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変大変たいへん awful; dreadfulだから、分らないうちに早く早はやく quickly; soon捨てて捨すてて discard; abandonしまって、安心しなくってはならない安心あんしんしなくってはならない must remove the source of one's fearように思える。自分自分じぶん oneself; Iはますます足足あし legs; feet; pace (of walking)を早めた早はやめた hastened; hurried。

雨雨あめ rainはさっきから降って降ふって fall; come down (rain)いる。路路みち path; wayはだんだん暗くなる暗くらくなる grow dark。ほとんど夢中である夢中むちゅうである be desperate; be frantic。ただ背中背中せなか back (body)に小さい小ちいさい small小僧小僧こぞう youngsterがくっついていて、その小僧が自分の自分じぶんの one's own過去過去かこ past、現在現在げんざい present、未来未来みらい futureをことごとく照して照てらして shed light on; make clear、寸分の寸分すんぶんの (not) in the least事実事実じじつ truth; realityも洩らさない洩もらさない doesn't let escape鏡鏡かがみ mirrorのように光って光ひかって sparkle; shineいる。しかもそれが自分の子子こ childである。そうして盲目盲目めくら blind personである。自分はたまらなくなった。

「ここだ、ここだ。ちょうどその杉杉すぎ cedar (tree)の根根ね rootsの処処ところ placeだ」

雨の中中なか middle; midstで小僧の声声こえ voiceは判然判然はっきり clearly; distinctly聞えた聞きこえた could be heard。自分は覚えず覚おぼえず unconsciously; unknowingly留った留とまった stopped。いつしかいつしか before one knows it森森 woodsの中へ這入って這入はいって enterいた。一間一間いっけん 1 ken (about 1.8 meters; about 2 yards)ばかり先先さき ahead; in frontにある黒い黒くろい dark; blackものはたしかに小僧の云う通り云いう通とおり just as (someone) said杉の木木き treeと見えた見みえた appeared (to be)。

「御父さん御父おとっさん father、その杉の根の処だったね」

「うん、そうだ」と思わず思おもわず without thinking答えて答こたえて answeredしまった。

「文化五年文化ぶんか五年ごねん 5th year of Bunka (1808)辰年辰年たつどし year of the dragonだろう」

なるほど文化五年辰年らしく思われた。

「御前御前おまえ you (condescending)がおれを殺した殺ころした killed; murderedのは今今いま now; the presentからちょうど百年百年ひゃくねん a hundred years前前まえ before; earlierだね」

自分はこの言葉言葉ことば wordsを聞くや否やや否いなや as soon as ...、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の闇やみの dark晩晩ばん evening; nightに、この杉の根で、一人一人ひとり one (person)の盲目を殺したと云う自覚自覚じかく awareness; self-knowledgeが、忽然として忽然こつぜんとして suddenly頭の中頭あたまの中なか in one's head; in one's mindに起った起おこった awoke; arose。おれは人殺人殺ひとごろし murdererであったんだなと始めて始はじめて for the first time気がついた気きがついた realized途端途端とたん moment; instantに、背中の子子こ childが急に急きゅうに suddenly石石いし stone地蔵地蔵じぞう Jizō (bodhisattva - guardian of children)のように重くなった重おもくなった grew heavy。

第四第四だいよん 4th夜夜や night


広い広ひろい wide; spacious土間土間どま earthen floor room; area without flooringの真中真中まんなか centerに涼み台涼すずみ台だい bench or table in a cool placeのようなものを据えて据すえて install; fix into position、その周囲周囲まわり perimeterに小さい小ちいさい small床几床几しょうぎ stoolsが並べて並ならべて line up; place (in order)ある。台は黒光り黒光くろびかり black lusterに光って光ひかって shine; glistenいる。片隅片隅かたすみ one cornerには四角な四角しかくな square膳膳ぜん dining trayを前前まえ front of; before (one)に置いて置おいて set; place爺さん爺じいさん old manが一人で一人ひとりで by oneself酒酒さけ sakéを飲んで飲のんで drinkいる。肴肴さかな side dish (served with saké)は煮しめ煮にしめ vegetables boiled hard with soyらしい。

爺さんは酒の加減加減かげん extent; influenceでなかなか赤くなって赤あかくなって be flushed; be red-facedいる。その上その上うえ on top of that; furthermore顔中顔中かおじゅう all over one's faceつやつやして皺皺しわ wrinkleと云うほどと云いうほど that could be called ...のものはどこにも見当らないどこにも見当みあたらない was nowhere to be found。ただ白い白しろい white髯髯ひげ beardをありたけありたけ to the greatest extent possible生やして生はやして growいるから年寄年寄としより aged; elderlyと云う事事こと factだけはわかる。自分自分じぶん oneself; Iは子供ながら子供こどもながら though a child、この爺さんの年年とし ageはいくつなんだろうと思った思おもった wondered。ところへ裏裏うら (out) backの筧筧かけひ water pipe; spout; tapから手桶手桶ておけ wooden bucketに水水みず waterを汲んで来た汲くんで来きた had gone to draw (water)神さん神かみさん wife; proprietressが、前垂前垂まえだれ apronで手手て handsを拭きながら拭ふきながら wipe、

「御爺さん御爺おじいさん old man (used here as form of address)はいくつかね」と聞いた聞きいた asked。爺さんは頬張った頬張ほおばった mouth full of煮〆煮〆にしめ vegetables boiled hard with soyを呑み込んで呑のみ込こんで swallowed、

「いくつか忘れた忘わすれた have forgotten; don't rememberよ」と澄まして澄すまして be unconcerned; be indifferentいた。神さんは拭いた手を、細い細ほそい narrow帯帯おび sashの間間あいだ midst; withinに挟んで挟はさんで insert (into)横から横よこから from the side爺さんの顔を見て見みて look at立って立たって standいた。爺さんは茶碗茶碗ちゃわん tea cup; rice bowlのような大きな大おおきな largeもので酒をぐいと飲んで、そうして、ふうと長い長ながい long; drawn out息息いき breathを白い髯の間から吹き出した吹ふき出だした blew out; expelled。すると神さんが、

「御爺さんの家家うち house; homeはどこかね」と聞いた。爺さんは長い息を途中で途中とちゅうで in the middle切って切きって cut (short)、

「臍の奥臍へその奥おく behind the navel (= in the womb)だよ」と云った。神さんは手を細い帯の間に突込んだ突込つっこんだ stuffed intoまま、

「どこへ行く行いく go (to); depart (to)かね」とまた聞いた。すると爺さんが、また茶碗のような大きなもので熱い熱あつい hot酒をぐいと飲んで前のような息をふうと吹いて、

「あっちへ行くよ」と云った。

「真直真直まっすぐ straightaway; directlyかい」と神さんが聞いた時時とき time; moment、ふうと吹いた息が、障子障子しょうじ shōjiを通り越して通とおり越こして pass through; pass beyond柳柳やなぎ willow (tree)の下下した beneathを抜けて抜ぬけて traverse; cross、河原河原かわら riverbed; riversideの方方ほう directionへ真直に行った。

爺さん爺じいさん old manが表表おもて front; out frontへ出た出でた came out (to)。自分自分じぶん oneself; Iも後後あと afterから出た。爺さんの腰腰こし waistに小さい小ちいさい small瓢箪瓢箪ひょうたん (bottle) gourdがぶら下がってぶら下さがって be suspended from; be tied toいる。肩肩かた shoulderから四角な四角しかくな square箱箱はこ boxを腋の下腋わきの下した under one's armへ釣るして釣つるして hang; suspendいる。浅黄浅黄あさぎ light blue (= 浅葱あさぎ)の股引股引ももひき close-fitting trousersを穿いて穿はいて wear (lower body)、浅黄の袖無し袖無そでなし sleeveless shirtを着て着きて wearいる。足袋足袋たび toe socks (worn with sandals)だけが黄色い黄色きいろい yellow。何だか何なんだか somehow皮皮かわ skin; hide; peltで作った作つくった made (from)足袋のように見えた見みえた appeared (to be)。

爺さんが真直に真直まっすぐに straightaway; directly柳柳やなぎ willow treeの下まで来た来きた came (to)。柳の下に子供子供こども childrenが三四人三四人さんよにん three or four (people)いた。爺さんは笑いながら笑わらいながら smiling; laughing腰から浅黄の手拭手拭てぬぐい (hand) towel; handkerchiefを出した出だした took out; produced。それを肝心綯肝心綯かんじんより twisted paper stringのように細長く細長ほそながく long and slender綯った綯よった twisted。そうして地面地面じびた ground; earth; clearing (= 地じべた)の真中真中まんなか middle; centerに置いた置おいた set; placed。それから手拭の周囲周囲まわり outside perimeterに、大きな大おおきな large丸い丸まるい round輪輪わ ring; circleを描いた描かいた drew; sketched。しまいに肩にかけた箱の中中なか insideから真鍮真鍮しんちゅう brassで製らえた製こしらえた be made from飴屋飴屋あめや candy maker; candy sellerの笛笛ふえ whistleを出した。

「今に今いまに soon; at any momentその手拭が蛇蛇へび snakeになるから、見て見みて watchおろう。見ておろう」と繰返して云った繰返くりかえして云いった repeated。

子供は一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with all one's effort; with one's all手拭を見ていた。自分も見ていた。

「見ておろう、見ておろう、好いか好いいか okay?」と云いながら爺さんが笛を吹いて吹ふいて blew、輪の上上うえ top of; surface ofをぐるぐる廻り出した廻まわり出だした began to circle。自分は手拭ばかり見ていた。けれども手拭はいっこう動かなかった動うごかなかった didn't move。

爺さんは笛をぴいぴい吹いた。そうして輪の上を何遍も何遍なんべんも many times; repeatedly廻った。草鞋草鞋わらじ straw sandalsを爪立てる爪立つまだてる walk on tiptoeように、抜足抜足ぬきあし stealthy footsteps; light treadをするように、手拭に遠慮をする遠慮えんりょをする show deferenceように、廻った。怖そう怖こわそう frightfulにも見えた。面白そう面白おもしろそう amusingにもあった。

やがて爺さん爺じいさん old manは笛笛ふえ whistleをぴたりとやめた。そうして、肩肩かた shoulderに掛けた掛かけた hung; suspended箱箱はこ boxの口口くち opening; flapを開けて開あけて opened、手拭手拭てぬぐい (hand) towel; handkerchiefの首首くび neckを、ちょいと撮んで撮つまんで pinch; hold; pick up、ぽっと放り込んだ放ほうり込こんだ threw into。

「こうしておくと、箱の中中なか insideで蛇蛇へび snakeになる。今に今いまに soon; at any moment見せて見みせて showやる。今に見せてやる」と云いながら云いいながら saying、爺さんが真直に真直まっすぐに straightaway; directly歩き出した歩あるき出だした set off walking。柳柳やなぎ willow treeの下下した beneathを抜けて抜ぬけて pass through、細い細ほそい narrow路路みち pathを真直に下りて行った下おりて行いった descended。自分自分じぶん oneself; Iは蛇が見たいから、細い道道みち pathをどこまでも追いて行った追ついて行いった followed after。爺さんは時々時々ときどき occasionally; from time to time「今になる」と云ったり、「蛇になる」と云ったりして歩いて行く。しまいには、

「今になる、蛇になる、

きっとなる、笛が鳴る鳴なる sound; trill (whistle)、」

と唄いながら唄うたいながら singing; reciting、とうとう河河かわ riverの岸岸きし (river) bankへ出た出でた arrived (at)。橋橋はし bridgeも舟舟ふね boatもないから、ここで休んで休やすんで pause; rest箱の中の蛇を見せるだろうと思って思おもって thoughtいると、爺さんはざぶざぶ河の中へ這入り出した這入はいり出だした started into。始め始はじめ at firstは膝膝ひざ kneesくらいの深さ深ふかさ depthであったが、だんだん腰腰こし waistから、胸胸むね chestの方方ほう directionまで水水みず waterに浸って浸つかって be immersed (in)見えなくなる。それでも爺さんは

「深くなる、夜夜よる evening; nightになる、

真直になる」

と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうして髯髯ひげ beardも顔顔かお faceも頭頭あたま headも頭巾頭巾ずきん kerchief; bandanaもまるで見えなくなってしまった。

自分は爺さんが向岸向岸むこうぎし opposite bankへ上がった上あがった emerge; come out時時とき time; occasionに、蛇を見せるだろうと思って、蘆蘆あし reedsの鳴る所所ところ place; locationに立って立たって stand、たった一人一人ひとり alone; by oneselfいつまでも待って待まって waitいた。けれども爺さんは、とうとう上がって来なかった上あがって来こなかった didn't emerge。

第五第五だいご 5th夜夜や night


こんな夢夢ゆめ dreamを見た見みた saw; had (a dream)

何でも何なんでも at any rate; in any caseよほど古い古ふるい ancient; long ago事事こと matter; happeningで、神代神代かみよ age of the gods; mythological ageに近い近ちかい close; near (to)昔昔むかし long ago; former timesと思われる思おもわれる seemed to beが、自分自分じぶん oneself; Iが軍軍いくさ battle; (military) campaignをして運悪く運悪うんわるく unfortunately; regretfully敗北た敗北まけた was defeated (usually 負まけた)ために、生擒生擒いけどり captured aliveになって、敵敵てき enemyの大将大将たいしょう (military) generalの前前まえ front ofに引き据えられた引ひき据すえられた brought forth and presented。

その頃頃ころ time; ageの人人ひと peopleはみんな背が高かった背せが高たかかった were tall。そうして、みんな長い長ながい long髯髯ひげ beardを生やして生はやして growいた。革革かわ leatherの帯帯おび beltを締めて締しめて tie; fasten; wear (belt)、それへ棒棒ぼう rod; staffのような剣剣つるぎ sword; saberを釣るして釣つるして hang; suspendいた。弓弓ゆみ bowは藤蔓藤蔓ふじづる wisteria vineの太い太ふとい thickのをそのまま用いた用もちいた utilizedように見えた見みえた appeared; seemed that ...。漆漆うるし lacquerも塗って塗ぬって apply (lacquer; varnish)なければ磨き磨みがき polishもかけてない。極めて極きわめて extremely素樸な素樸そぼくな simple; crudeものであった。

敵の大将は、弓の真中真中まんなか middle; centerを右の手右みぎの手て right handで握って握にぎって hold; grip、その弓を草草くさ grassの上上うえ surface; top ofへ突いて突ついて prop up on; press against、酒甕酒甕さかがめ saké jugを伏せた伏ふせた laid down; put on its sideようなものの上に腰をかけて腰こしをかけて sit (on something)いた。その顔顔かお faceを見る見みる look atと、鼻鼻はな noseの上で、左右左右さゆう left and right; both sidesの眉眉まゆ eyebrowsが太く接続って接続つながって be joined togetherいる。その頃髪剃髪剃かみそり razorと云うものと云いうもの such a thing as ...は無論無論むろん of courseなかった。

自分は虜虜とりこ captive; prisonerだから、腰をかける訳に行かない訳わけに行ゆかない it was not allowed that ...。草の上に胡坐をかいて胡坐あぐらをかいて sit crossleggedいた。足足あし feetには大きな大おおきな large藁沓藁沓わらぐつ straw bootsを穿いて穿はいて wear (lower body)いた。この時代時代じだい time; ageの藁沓は深い深ふかい deep; high (boots)ものであった。立つ立たつ stand upと膝頭膝頭ひざがしら knee capまで来た来きた came (up to)。その端端はし edgeの所所ところ place; areaは藁藁わら strawを少し少すこし a little; a bit編残して編残あみのこして left unbraided; left unwoven、房房ふさ tuft; tasselのように下げて下さげて turn down、歩く歩あるく walkとばらばら動く動うごく move; jump (around)ようにして、飾り飾かざり decoration; ornamentとしていた。

大将は篝火篝火かがりび bonfire; campfireで自分の顔を見て、死ぬ死しぬ dieか生きる生いきる liveかと聞いた聞きいた asked。これはその頃の習慣習慣しゅうかん customで、捕虜捕虜とりこ captive; prisonerにはだれでも一応一応いちおう once; as a formalityはこう聞いたものである。生きると答える答こたえる answer; respondと降参降参こうさん surrender; capitulationした意味意味いみ meaningで、死ぬと云うと屈服屈服くっぷく submissionしないと云う事になる。自分は一言一言ひとこと in a word; simply死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向う向むこう away; asideへ抛げて抛なげて pushed; tossed (aside)、腰腰こし waistに釣るした棒のような剣剣けん swordをするりと抜きかけた抜ぬきかけた drew out。それへ風風かぜ wind; breezeに靡いた靡なびいた flutter; wave篝火が横から横よこから from the side吹きつけた吹ふきつけた blew against。自分は右の手を楓楓かえで maple (leaf)のように開いて開ひらいて open up、掌掌たなごころ palmを大将の方方ほう directionへ向けて向むけて turn (something) towards、眼眼め eyesの上へ差し上げた差さし上あげた held up; raised。待て待まて waitと云う相図相図あいず sign; signalである。大将は太い剣をかちゃりと鞘鞘さや scabbardに収めた収おさめた replaced; put away。

その頃頃ころ time; ageでも恋恋こい love; romanceはあった。自分自分じぶん oneself; Iは死ぬ死しぬ die前前まえ beforeに一目一目ひとめ look; glimpse思う思おもう think of; keep in one's mind女女おんな womanに逢いたい逢あいたい want to seeと云った云いった said; stated。大将大将たいしょう (military) generalは夜夜よ nightが開けて開あけて open (night into dawn)鶏鶏とり cockが鳴く鳴なく crowまでなら待つ待まつ waitと云った。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない呼よばなければならない must call; must summon。鶏が鳴いても女が来なければ来こなければ if (she) doesn't come、自分は逢わずに殺されて殺ころされて be put to deathしまう。

大将は腰をかけた腰こしをかけた sat (on something)まま、篝火篝火かがりび bonfire; campfireを眺めて眺ながめて gaze atいる。自分は大きな大おおきな big藁沓藁沓わらぐつ straw bootsを組み合わした組くみ合あわした crossed; intertwinedまま、草草くさ grassの上上うえ surface; top ofで女を待っている。夜はだんだん更ける更ふける advance; grow late。

時々時々ときどき occasionally篝火が崩れる崩くずれる shift; settle (fire)音音おと soundがする。崩れるたびに狼狽えた狼狽うろたえた be flustered; lose one's composureように焔焔ほのお flamesが大将になだれかかるなだれかかる surge toward。真黒な真黒まっくろな pure black; jet black眉眉まゆ eyebrowsの下下した below; beneathで、大将の眼眼め eyesがぴかぴかと光って光ひかって shine; glistenいる。すると誰やら誰だれやら someone来て来きて came; appeared、新しい新あたらしい new; fresh枝枝えだ branch; bowをたくさん火火ひ fireの中中なか middle; midstへ抛げ込んで抛なげ込こんで throw into; toss into行く行ゆく go (on one's way)。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る鳴なる sing; roar。暗闇暗闇くらやみ darknessを弾き返す弾はじき返かえす repel; drive backような勇ましい勇いさましい courageous; valiant音であった。

この時時とき time; moment女は、裏裏うら (out) backの楢楢なら (Japanese) oakの木木き treeに繋いで繋つないで tie; secureある、白い白しろい white馬馬うま horseを引き出した引ひき出だした led out。鬣鬣たてがみ maneを三度三度さんど three times撫でて撫なでて stroke; caress高い高たかい high; tall背背せ backにひらりとひらりと lightly; quickly飛び乗った飛とび乗のった jumped onto。鞍鞍くら saddleもない鐙鐙あぶみ stirrupsもない裸馬裸馬はだかうま unsaddled horseであった。長く長ながく long白い足足あし legsで、太腹太腹ふとばら belly; flanksを蹴る蹴ける kickと、馬はいっさんにいっさんに at full speed駆け出した駆かけ出だした took off galloping。誰かが篝り篝かがり brazierを継ぎ足した継つぎ足たした added toので、遠くの遠とおくの distant空空そら skyが薄明るく薄明うすあかるく faintly illuminated見える見みえる appeared。馬はこの明るいものを目懸けて目懸めがけて aim at; set sight on闇闇やみ darknessの中を飛んで来る飛とんで来くる come flying (through)。鼻鼻はな noseから火の柱火ひの柱はしら pillars of flameのような息息いき breathを二本二本にほん two (pillars)出して出だして put forth; expel飛んで来る。それでも女は細い細ほそい slender足でしきりなしに馬の腹腹はら bellyを蹴っている。馬は蹄蹄ひづめ hoovesの音が宙宙ちゅう in the airで鳴るほど早く早はやく quickly; fast飛んで来る。女の髪髪かみ hairは吹流し吹流ふきながし pennant; streamerのように闇の中に尾尾お tail; trainを曳いた曳ひいた drag; trail。それでもまだ篝篝かがり brazierのある所所ところ placeまで来られない来こられない can't reach; can't arrive (at)。

すると真闇な真闇まっくらな pitch dark道道みち road; pathの傍傍はた vicinity; proximityで、たちまちこけこっこうという鶏の声声こえ voice; callがした。女は身身み bodyを空様に空様そらざまに arching backward; looking up、両手両手りょうて both handsに握った握にぎった gripped; grasped手綱手綱たづな reinsをうんと控えた控ひかえた moderated; eased up on。馬は前足前足まえあし front legsの蹄を堅い堅かたい hard岩岩いわ rock; stoneの上に発矢と発矢はっしと with a quick thrust刻み込んだ刻きざみ込こんだ cut into; chiseled into。

こけこっこうと鶏鶏にわとり cockがまた一声一声ひとこえ cry鳴いた。

女はあっと云って、緊めた緊しめた pulled tight手綱を一度に一度いちどに at once緩めた緩ゆるめた released; relaxed。馬は諸膝諸膝もろひざ both kneesを折る折おる bent。乗った人人ひと personと共にと共ともに together with真向真向まとも directly in frontへ前前まえ forwardへのめったのめった tumbled forward。岩の下下した below; beneathは深い深ふかい deep淵淵ふち abyss; steep canyonであった。

蹄の跡跡あと marks; remainsはいまだに岩の上に残って残のこって be left behindいる。鶏の鳴く真似真似まね imitation; mimicryをしたものは天探女天探女あまのじゃく Amanojaku (goddess appearing in Japan's "Records of Ancient Matters")である。この蹄の痕痕あと marks; remainsの岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵敵かたき sworn enemy; nemesisである。

第六第六だいろく 6th夜夜や night


運慶運慶うんけい Unkei (Kamakura Period sculptor; around 1150 - 1223)が護国寺護国寺ごこくじ Gokokuji (temple in Tōkyō's Bunkyō ward)の山門山門さんもん main temple gateで仁王仁王におう Niō (either of two Buddhist guardians; often placed at temple entrances)を刻んで刻きざんで carveいると云うと云いう saying that ...評判評判ひょうばん talk; rumorだから、散歩ながら散歩さんぽながら while walking; while strolling行って見る行いって見みる go and seeと、自分自分じぶん oneselfより先先さき beforeにもう大勢大勢おおぜい crowd; great number of people集まって集あつまって gather、しきりに下馬評下馬評げばひょう (amateur) critique; commentaryをやっていた。

山門の前前まえ front of五六間五六間ごろっけん 5 or 6 ken (about 10 meters; about 10 yards)の所所ところ place; locationには、大きな大おおきな large赤松赤松あかまつ Japanese red pineがあって、その幹幹みき (tree) trunkが斜めに斜ななめに at an angle山門の甍甍いらか tiled roofを隠して隠かくして hide; conceal、遠い遠とおい distant; far away青空青空あおぞら blue skyまで伸びて伸のびて extend (to); stretch (toward)いる。松の緑緑みどり greeneryと朱塗の朱塗しゅぬりの red-lacquered門が互いに互たがいに mutually照り合って照うつり合あって suit; match (each other)みごとに見えるみごとに見みえる look splendid; look wonderful。その上その上うえ on top of that; furthermore松の位地位地いち position (usually 位置いち)が好い好いい good; agreeable。門の左左ひだり left (side)の端端はし edgeを眼障眼障めざわり eyesore; offensive to the eyeにならないように、斜に斜はすに diagonally; at an angle切って行って切きって行いって cut across、上上うえ aboveになるほど幅幅はば widthを広く広ひろく widely; broadly屋根屋根やね roofまで突出して突出つきだして protrude; stick out (toward)いるのが何となく何なんとなく somehow古風古風こふう in the ancient styleである。鎌倉時代鎌倉かまくら時代じだい Kamakura period (1185-1333)とも思われる思おもわれる seems like ...; has the feeling of ...。

ところが見ているものは、みんな自分と同じく同おなじく same; similar、明治明治めいじ Meiji era (1868-1912)の人間人間にんげん personsである。その中中うち middle; midstでも車夫車夫しゃふ rickshaw driver; cart manが一番一番いちばん most多い多おおい numerous。辻待辻待つじまち waiting to be hired; waiting for a fareをして退屈退屈たいくつ idle time; tediumだから立って立たって stand (around)いるに相違ないに相違そういない no doubt ...。

「大きなもんだなあ」と云っている。

「人間を拵える拵こしらえる make; produceよりもよっぽど骨が折れる骨ほねが折おれる difficult; requiring great effortだろう」とも云っている。

そうかと思うと、「へえ仁王だね。今今いま now; the presentでも仁王を彫る彫ほる carveのかね。へえそうかね。私ゃ私わっしゃ as for me (= 私わたしは)また仁王はみんな古い古ふるい old; ancientのばかりかと思ってた」と云った男男おとこ fellowがある。

「どうも強そう強つよそう strong looking; imposingですね。なんだってえますぜ。昔昔むかし long agoから誰誰だれ whoが強いって、仁王ほど強い人人ひと personage; characterあ無い無ない there isn't ...って云いますぜ。何でも日本武尊日本やまと武尊だけのみこと Yamato Takeru (legendary prince of the Yamato dynasty; 72-114; possible word play in Sōseki's rendering of the name)よりも強いんだってえからね」と話しかけた話はなしかけた began talking; engaged (others) in conversation男もある。この男は尻を端折って尻しりを端折はしょって tuck up one's skirt in the back、帽子帽子ぼうし hat; capを被らず被かぶらず without wearingにいた。よほど無教育な無教育むきょういくな uneducated男と見える。

運慶は見物人見物人けんぶつにん onlookersの評判評判ひょうばん chatter; gossipには委細委細いさい detail; particulars頓着なく頓着とんじゃくなく paying no heed to; with no concern for鑿鑿のみ chiselと槌槌つち malletを動かして動うごかして move; wieldいる。いっこう振り向き振ふり向むき turning around; looking over one's shoulderもしない。高い高たかい high所に乗って乗のって mount; climb up into、仁王の顔顔かお faceの辺辺あたり region; vicinityをしきりに彫り抜いて行く彫ほり抜ぬいて行ゆく proceed to carve out。

運慶は頭頭あたま headに小さい小ちいさい small烏帽子烏帽子えぼし black-lacquered headgearのようなものを乗せて乗のせて put in place; wear (on one's head)、素袍素袍すおう suō (ceremonial dress of lower-class samurai)だか何だかわからない大きな袖袖そで sleevesを背中で背中せなかで at one's back; behind one's back括って括くくって fasten; secureいる。その様子様子ようす appearanceがいかにも古くさい古ふるくさい outdated; old fashioned。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れない釣つり合あいが取とれない be incongruous with; be mismatched toようである。自分はどうして今時分今時分いまじぶん at this time; in this day and ageまで運慶が生きて生いきて be aliveいるのかなと思った。どうも不思議な不思議ふしぎな odd; curious事事こと matterがあるものだと考えながら考かんがえながら consider、やはり立って見ていた。

しかし運慶運慶うんけい Unkei (Kamakura Period sculptor; around 1150 - 1223)の方方ほう sideでは不思議不思議ふしぎ odd; curiousとも奇体奇体きたい strangeともとんと感じ得ないとんと感かんじ得えない not feeling in the least様子様子ようす air; appearanceで一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with utmost effort; giving one's all彫って彫ほって carveいる。仰向いて仰向あおむいて looking upこの態度態度たいど manner; behaviorを眺めて眺ながめて view; gaze atいた一人一人ひとり one (person)の若い若わかい young男男おとこ manが、自分の自分じぶんの one's own (my own)方を振り向いて振ふり向むいて turned toward、

「さすがは運慶だな。眼中眼中がんちゅう considerationに我々我々われわれ usなしだ。天下天下てんか the whole world (lit: beneath heaven)の英雄英雄えいゆう heroesはただ仁王仁王におう Niō (either of two Buddhist guardians; often placed at temple entrances)と我れ我われ meとあるのみと云う云いう say; state態度だ。天晴れ天晴あっぱれ splendid; brilliantだ」と云って賞め出した賞ほめ出だした began to praise。

自分はこの言葉言葉ことば wordsを面白い面白おもしろい of interestと思った思おもった thought; considered。それでちょっと若い男の方を見る見みる look atと、若い男は、すかさずすかさず without pausing、

「あの鑿鑿のみ chiselと槌槌つち malletの使い方使つかい方かた way of using; technique (with)を見たまえ。大自在大自在だいじざい complete freedom; great unhinderedness (term from Buddhism)の妙境妙境みょうきょう wonderful placeに達して達たっして reach; arrive (at)いる」と云った。

運慶は今今いま now; at present太い太ふとい thick眉眉まゆ eyebrowsを一寸一寸いっすん 1 sun (about 3 cm; about 1.2 inches)の高さ高たかさ heightに横横よこ sidewaysへ彫り抜いて彫ほり抜ぬいて carve out、鑿の歯歯は tooth; bladeを竪竪たて vertical (direction)に返す返かえす returnや否やや否いなや as soon as斜すに斜はすに at an angle、上上うえ aboveから槌を打ち下した打うち下おろした brought down (hammer)。堅い堅かたい hard木木き woodをひと刻みひと刻きざみ one notch; one cutに削って削けずって shave; plane; whittle、厚い厚あつい thick木屑木屑きくず wood chipが槌の声声こえ voice; soundに応じてに応おうじて in response to; in compliance with飛んだ飛とんだ flew (off)と思ったら、小鼻小鼻こばな wings of the noseのおっ開いたおっ開ぴらいた opened outward怒り鼻怒いかり鼻ばな flared nostrilsの側面側面そくめん flank; lateral surfaceがたちまち浮き上がって来た浮うき上あがって来きた came floating up; surfaced。その刀刀とう bladeの入れ方入いれ方かた way of engagingがいかにも無遠慮無遠慮ぶえんりょ bold; assertiveであった。そうして少しも少すこしも (not) in the least疑念疑念ぎねん doubtを挾んでおらん挾さしはさんでおらん didn't harbor; didn't entertainように見えた。

「よくああ無造作無造作むぞうさ readily; with easeに鑿を使って、思うような眉眉まみえ eyebrowsや鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心した感心かんしんした was impressed; was awestruckから独言のように独言ひとりごとのように as if (talking) to oneself言った言いった said; remarked。するとさっきの若い男が、

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作る作つくる make; createんじゃない。あの通りあの通とおり exactly like thatの眉や鼻が木の中中なか inside; withinに埋って埋うまって lie buriedいるのを、鑿と槌の力力ちから force; powerで掘り出す掘ほり出だす carve outまでだ。まるで土土つち earth; dirtの中から石石いし stoneを掘り出すようなものだからけっして間違う間違まちがう err; go wrongはずはない」と云った。

自分はこの時時とき time; occasion始めて始はじめて for the first time彫刻彫刻ちょうこく carvingとはそんなものかと思い出した思おもい出だした thought of; connected (in one's mind)。はたしてそうなら誰にでも誰だれにでも anyoneできる事事こと action; undertakingだと思い出した。それで急に急きゅうに suddenly自分も仁王が彫ってみたくなったから見物見物けんぶつ watching; looking onをやめてさっそく家家うち homeへ帰った帰かえった returned (to)。

道具箱道具箱どうぐばこ tool boxから鑿と金槌金槌かなづち hammerを持ち出して持もち出だして took out、裏裏うら back (of the house)へ出て出でて go out (to)見る見みる lookと、せんだっての暴風暴風あらし stormで倒れた倒たおれた toppled; fell down樫樫かし oakを、薪薪まき firewoodにするつもりで、木挽木挽こびき saw man; sawyerに挽かせた挽ひかせた had cut up手頃な手頃てごろな at hand; convenient奴奴やつ specimenが、たくさん積んで積つんで be piledあった。

自分は一番一番いちばん number one; most大きい大おおきい big; largeのを選んで選えらんで chose; selected、勢いよく勢いきおいよく enthusiastically; with vigor彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった見当みあたらなかった didn't show; didn't materialize。その次の次つぎの next oneにも運悪く運悪うんわるく unfortunately掘り当てる掘ほり当あてる discover by carving事ができなかった。三番目の三番目さんばんめの third oneにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端片かたっ端ぱし one end; one sideから彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵して蔵かくして hide; concealいるのはなかった。ついに明治明治めいじ Meiji era (1868-1912)の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った悟さとった realized; concluded。それで運慶が今日今日こんにち this day; the presentまで生きて生いきて be aliveいる理由理由りゆ reasonもほぼ解った解わかった understood。

第七第七だいなな 7th夜夜や night


何でも何なんでも somehow; it seems that大きな大おおきな large船船ふね boat; shipに乗って乗のって be on boardいる。

この船が毎日毎日まいにち every day毎夜毎夜まいよ every nightすこしの絶間絶間たえま break; pauseなく黒い黒くろい black煙煙けぶり smokeを吐いて吐はいて expel; belch浪浪なみ wavesを切って切きって cut (through)進んで行く進すすんで行ゆく advance; move forward。凄じい凄すさまじい tremendous; dreadful音音おと sound; noiseである。けれどもどこへ行く行いく go (to)んだか分らない分わからない don't know; can't tell。ただ波波なみ wavesの底底そこ bottom; depthsから焼火箸焼火箸やけひばし burning-hot tongs; red-hot fire ironのような太陽太陽たいよう sunが出る出でる appear。それが高い高たかい tall; high帆柱帆柱ほばしら mastの真上真上まうえ just above; exactly overheadまで来て来きて come (to); advance (to)しばらく挂って挂かかって be suspended; hangいるかと思うとかと思おもうと just as it seems that ...、いつの間にかいつの間まにか before one knows it大きな船を追い越して追おい越こして overtake; pass、先先さき aheadへ行ってしまう。そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く沈しずんで行ゆく go sinking (into)。そのたんびに蒼い蒼あおい blue波が遠くの遠とおくの distant向う向むこう beyond; far sideで、蘇枋蘇枋すおう sappanwood; brezel wood (reddish brown wood - native to SE Asia)の色色いろ colorに沸き返る沸わき返かえる boil up; seethe。すると船は凄じい音を立てて立たてて raise upその跡跡あと tracks; marksを追かけて行く追おっかけて行ゆく follow after; pursue。けれども決して決けっして by (no) means追つかない。

ある時時とき time; occasion自分自分じぶん oneself; Iは、船の男船ふねの男おとこ crewmanを捕まえて捕つらまえて got hold of; engaged聞いて見た聞きいて見みた inquired。

「この船は西西にし westへ行くんですか」

船の男は怪訝な怪訝けげんな distrusting; suspicious顔顔かお face; (facial) expressionをして、しばらく自分を見ていたが、やがて、

「なぜ」と問い返した問とい返かえした asked in return。

「落ちて行く落おちて行いく go down; set日日ひ sunを追かけるようだから」

船の男はからからと笑ったからからと笑わらった laughed loudly。そうして向うの方方ほう directionへ行ってしまった。

「西へ行く日の、果果はて limit; extremityは東東ひがし eastか。それは本真本真ほんま truth; realityか。東出る日の、御里御里おさと place of originは西か。それも本真か。身身み one's body; oneselfは波の上上うえ above; on top of。戢枕戢枕かじまくら rudder for a pillow。流せ流ながせ float; set adrift流せ」と囃して囃はやして banter; mockいる。舳舳へさき bow (of a ship)へ行って見たら、水夫水夫すいふ sailors; seamenが大勢大勢おおぜい large group; many people寄って寄よって come together、太い太ふとい thick帆綱帆綱ほづな halyard (rope used to hoist a sail)を手繰って手繰たぐって pull in (a rope)いた。

自分は大変大変たいへん terribly心細くなった心細こころぼそくなった became discouraged; felt forlorn。いつ陸陸おか land; shoreへ上がれる上あがれる can climb up (onto)事事こと act; factか分らない。そうしてどこへ行くのだか知れない知しれない not know; have no idea。ただ黒い煙を吐いて波を切って行く事だけはたしかである。その波はすこぶる広い広ひろい vast; expansiveものであった。際限もなく際限さいげんもなく unbounded; without limits蒼く見える。時には紫紫むらさき purple; violetにもなった。ただ船の動く動うごく move (through)周囲周囲まわり surroundingsだけはいつでも真白真白まっしろ solid white; pure whiteに泡泡あわ foam; frothを吹いて吹ふいて blow; emit; spoutいた。自分は大変心細かった。こんな船にいるよりいっそ身を投げて投なげて throw; hurl死んで死しんで die; perishしまおうかと思った。

乗合乗合のりあい fellow passengersはたくさんいた。たいていは異人異人いじん foreigner; Westernerのようであった。しかしいろいろな顔顔かお faces; facial featuresをしていた。空空そら skyが曇って曇くもって be cloudy; be overcast船船ふね shipが揺れた揺ゆれた swayed; rocked時時とき time; occasion、一人一人ひとり one (person)の女女おんな womanが欄欄てすり railingに倚りかかって倚よりかかって lean (on)、しきりに泣いて泣ないて cry; weepいた。眼眼め eyesを拭く拭ふく wipe手巾手巾ハンケチ handkerchiefの色色いろ colorが白く白しろく white見えた見みえた look; appear。しかし身体身体からだ bodyには更紗更紗さらさ printed cotton; calicoのような洋服洋服ようふく Western dress; Western-style clothingを着て着きて wearいた。この女を見た時に、悲しい悲かなしい sad; sorrowfulのは自分自分じぶん oneself; meばかりではないのだと気がついた気きがついた realized; became aware。

ある晩晩ばん evening; night甲板甲板かんぱん deck (of a ship)の上上うえ top ofに出て出でて come out (onto)、一人で星星ほし starsを眺めて眺ながめて gaze (at)いたら、一人の異人が来て来きて came; approached、天文学天文学てんもんがく astronomyを知ってる知しってる know aboutかと尋ねた尋たずねた asked; inquired。自分はつまらないから死のう死しのう die; take one's own lifeとさえ思って思おもって think about; considerいる。天文学などを知る必要必要ひつよう necessityがない。黙って黙だまって remain silentいた。するとその異人が金牛宮金牛宮きんぎゅうきゅう Taurus (zodiac)の頂頂いただき crown; pinnacleにある七星七星しちせい Big Dipper (seven stars)の話話はなし talk (of)をして聞かせた聞きかせた told about。そうして星も海海うみ seaもみんな神神かみ Godの作った作つくった made; createdものだと云った云いった said; stated。最後に最後さいごに finally自分に神を信仰する信仰しんこうする believe in; have faith inかと尋ねた。自分は空を見て黙っていた。

或或ある a certain ...; one ...時サローンに這入ったら這入はいったら went into派手な派手はでな lavish; showy衣裳衣裳いしょう dress; attireを着た若い若わかい young女が向うむき向むこうむき facing the other directionになって、洋琴洋琴ピアノ pianoを弾いて弾ひいて play (stringed instrument)いた。その傍傍そば side; next toに背の高い背せの高たかい tall立派な立派りっぱな splendid; handsome男男おとこ manが立って立たって stand、唱歌唱歌しょうか songを唄って唄うたって singいる。その口口くち mouthが大変大変たいへん terribly大きく大おおきく big; large見えた。けれども二人二人ふたり two (people)は二人以外以外いがい outside of; apart fromの事事こと facts; thingsにはまるで頓着していない頓着とんじゃくしていない have no concern for; have no awareness of様子様子ようす appearanceであった。船に乗っている事さえ忘れて忘わすれて forget; remove from one's mindいるようであった。

自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した決心けっしんした resolved (to do something)。それである晩、あたりに人人ひと peopleのいない時分時分じぶん time; hour、思い切って思おもい切きって resolutely; decisively海の中中なか middleへ飛び込んだ飛とび込こんだ jumped into。ところが――自分の足足あし feetが甲板を離れて離はなれて be separated from、船と縁縁えん connectionが切れた切きれた was cut off; was at an endその刹那刹那せつな instantに、急に急きゅうに suddenly命命いのち lifeが惜しく惜おしく precious; dearなった。心心こころ heartの底底そこ bottom; depthsからよせばよかったと思った。けれども、もう遅い遅おそい too late。自分は厭でも応でも厭いやでも応おうでも like it or not海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に容易よういに easily水水みず waterに着かない着つかない didn't reach; didn't arrive (at)。しかし捕まえる捕つかまえる take hold of; grab ontoものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る近ちかづいて来くる approach; draw near to。いくら足を縮めて縮ちぢめて shrink; draw inも近づいて来る。水の色は黒かった黒くろかった was black。

そのうち船は例の通り例れいの通とおり as before; as always黒い黒くろい black煙煙けぶり smokeを吐いて吐はいて expel; belch、通り過ぎて通とおり過すぎて passed on; moved awayしまった。自分はどこへ行く行ゆく go (to)んだか判らない判わからない don't know船でも、やっぱり乗っている方方ほう alternative; choiceがよかったと始めて始はじめて for the first time悟りながら悟さとりながら realize; comprehend、しかもその悟りを利用する利用りようする make use of事ができずに、無限の無限むげんの limitless; infinite後悔後悔こうかい regretと恐怖恐怖きょうふ fearとを抱いて抱いだいて embrace; harbor黒い波波なみ wavesの方へ静かに静しずかに quietly落ちて行った落おちて行いった fell down (toward); dropped (into)。

第八第八だいはち 8th夜夜や night


床屋床屋とこや barber shopの敷居敷居しきい thresholdを跨いだら跨またいだら step over; step across、白い白しろい white着物着物きもの kimono; outfitを着て着きて wearかたまっていた三四人三四人さんよにん three or four people; several peopleが、一度に一度いちどに at once; in unisonいらっしゃいと云った云いった said; called out。

真中真中まんなか middle; centerに立って立たって stand見廻す見廻みまわす look around; surveyと、四角な四角しかくな square部屋部屋へや roomである。窓窓まど windowが二方二方にほう two directions; two sidesに開いて開あいて be opened in、残る残のこる remaining二方に鏡鏡かがみ mirrorsが懸って懸かかって be hung; be suspendedいる。鏡の数数かず numberを勘定したら勘定かんじょうしたら take a count of六つ六むっつ six (items)あった。

自分自分じぶん oneself; Iはその一つその一ひとつ one of themの前前まえ front ofへ来て来きて came (to)腰をおろした腰こしをおろした sat down。すると御尻御尻おしり backside; behind (body)がぶくりと云った。よほど坐り心地坐すわり心地ごこち feeling from sitting (in)が好くできた好よくできた well-crafted椅子椅子いす chairである。鏡には自分の顔顔かお faceが立派に立派りっぱに splendidly; finely映った映うつった was reflected。顔の後後うしろ behind; in back ofには窓が見えた見みえた was visible。それから帳場格子帳場格子ちょうばごうし counting room lattice workが斜に斜はすに obliquely; at an angle見えた。格子格子こうし lattice workの中中なか insideには人人ひと person(s)がいなかった。窓の外外そと outsideを通る通とおる pass by往来往来おうらい coming and goingの人の腰腰こし waistから上上うえ aboveがよく見えた。

庄太郎庄太郎しょうたろう Shōtarō (name)が女女おんな womanを連れて連つれて lead通る。庄太郎はいつの間にかいつの間まにか at some point (in time)パナマの帽子パナマの帽子ぼうし Panama hatを買って買かって buy被って被かぶって wear (on one's head)いる。女もいつの間に拵らえた拵こしらえた managed (to get)ものやら。ちょっと解らない解わからない didn't know。双方双方そうほう both partiesとも得意得意とくい proud; feeling triumphantのようであった。よく女の顔を見ようと思う思おもう think (to do something)うちに通り過ぎて通とおり過すぎて passed by; were goneしまった。

豆腐屋豆腐屋とうふや tōfu vendorが喇叭喇叭らっぱ horn; bugleを吹いて吹ふいて blow; sound (horn or bugle)通った。喇叭を口口くち mouthへあてがってあてがって apply to; hold toいるんで、頬ぺた頬ほっぺた cheeksが蜂蜂はち beeに螫された螫さされた be stung byように膨れて膨ふくれて swell upいた。膨れたまんまで通り越した通とおり越こした passed byものだから、気がかり気きがかり concern; worryでたまらない。生涯生涯しょうがい one's lifetime; for life蜂に螫されているように思う。

芸者芸者げいしゃ geishaが出た出でた appeared。まだ御化粧御化粧おつくり makeupをしていない。島田の根島田しまだの根ね shimada knot (formal hair style)が緩んで緩ゆるんで be loose; be unravelled、何だか何なんだか somehow頭頭あたま headに締りがない締しまりがない seem unkempt; look disheveled。顔も寝ぼけて寝ねぼけて half asleepいる。色沢色沢いろつや (skin) colorが気の毒気きの毒どく pitiable; wretchedなほど悪い悪わるい poor; inferior。それで御辞儀御辞儀おじぎ bow; gesture in greetingをして、どうも何とかですと云ったが、相手相手あいて the other partyはどうしても鏡の中へ出て来ない出でて来こない didn't appear。

すると白い白しろい white着物着物きもの kimono; outfitを着た着きた wore; was wearing大きな大おおきな large男男おとこ manが、自分自分じぶん oneself; Iの後ろ後うしろ behind; in back ofへ来て来きて come (to); arrive (at)、鋏鋏はさみ scissors; shearsと櫛櫛くし combを持って持もって hold; have自分の頭頭あたま head; hairを眺め出した眺ながめ出だした looked over; surveyed。自分は薄い薄うすい thin; sparse髭髭ひげ mustacheを捩って捩ひねって twist、どうだろう物になる物ものになる come to something; be worthwhileだろうかと尋ねた尋たずねた inquired。白い男は、何にも云わずに何なにも云いわずに without saying anything; without a word、手手て handに持った琥珀色の琥珀色こはくいろの amber (colored)櫛で軽く軽かるく lightly自分の頭を叩いた叩たたいた tapped。

「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」と自分は白い男に聞いた聞きいた asked。白い男はやはり何も答えずに何なにも答こたえずに without answering、ちゃきちゃきと鋏を鳴らし始めた鳴ならし始はじめた let ring。

鏡鏡かがみ mirrorに映る映うつる be reflected影影かげ shape; formを一つ一ひとつ one (thing)残らず残のこらず without missing見る見みる watch; observeつもりで眼を睜って眼めを睜みはって keep one's eyes peeledいたが、鋏の鳴るたんびに黒い黒くろい black毛毛け hairが飛んで来る飛とんで来くる come flyingので、恐ろしく恐おそろしく frightfulなって、やがて眼を閉じた閉とじた closed。すると白い男が、こう云った云いった asked。

「旦那旦那だんな master; boss (used here as polite form of address)は表表おもて out frontの金魚売金魚売きんぎょうり goldfish sellerを御覧なすった御覧ごらんなすった saw; noticed (honorific)か」

自分は見ない見みない didn't see; didn't noticeと云った。白い男はそれぎりで、しきりと鋏を鳴らしていた。すると突然突然とつぜん suddenly大きな声声こえ voiceで危険危険あぶねえ watch it!; look out!と云ったものがある。はっと眼を開ける開あける openと、白い男の袖袖そで sleeveの下下した below; beneathに自転車自転車じてんしゃ bicycleの輪輪わ wheelが見えた。人力人力じんりき rickshaw (short for 人力車じんりきしゃ)の梶棒梶棒かじぼう shafts (of a rickshaw)が見えた。と思う思おもう realized; notedと、白い男が両手両手りょうて both handsで自分の頭を押えて押おさえて grasp; clampうんと横横よこ sidewaysへ向けた向むけた turned; directed (toward)。自転車と人力車はまるで見えなくなった。鋏の音音おと soundがちゃきちゃきする。

やがて、白い男は自分の横へ廻って廻まわって came around (to)、耳耳みみ earの所所ところ place; areaを刈り始めた刈かり始はじめた began to trim。毛が前前まえ frontの方方ほう directionへ飛ばなくなったから、安心して安心あんしんして without worry眼を開けた。粟餅粟餅あわもち millet mochi (like rice cake, but made with glutinous millet)や、餅やあ、餅や、と云う声がすぐ、そこでする。小さい小ちいさい small杵杵きね malletをわざと臼臼うす mortarへあてて、拍子を取って拍子ひょうしを取とって keeping a rhythm餅を搗いて搗ついて pound (rice)いる。粟餅屋粟餅屋あわもちや millet mochi vendorは子供子供こども childの時時とき time; periodに見たばかりだから、ちょっと様子様子ようす situation; appearanceが見たい。けれども粟餅屋はけっして鏡の中中なか inside; withinに出て来ない出でて来こない didn't appear。ただ餅を搗く音だけする。

自分自分じぶん oneself; Iはあるたけの視力視力しりょく visual powersで鏡鏡かがみ mirrorの角角かど edgeを覗き込む覗のぞき込こむ peer intoようにして見た見みた looked; watched。すると帳場格子帳場格子ちょうばごうし counting room lattice workのうちに、いつの間にかいつの間まにか before one knows it一人一人ひとり one (person)の女女おんな womanが坐って坐すわって sitいる。色の浅黒い色いろの浅黒あさぐろい dark-complexioned眉毛眉毛まみえ eyebrowsの濃い濃こい thick大柄な大柄おおがらな of large build; heavyset女で、髪髪かみ hairを銀杏返し銀杏返いちょうがえし hairstyle from late Edo period (parted in front and tied behind in circular fashion)に結って結ゆって do up; fasten (hair)、黒繻子黒繻子くろじゅす black satinの半襟半襟はんえり (replaceable) neckpiece (for a kimono)のかかった素袷素袷すあわせ simple lined kimonoで、立膝立膝たてひざ sitting with one knee drawn upのまま、札札さつ bills; bank notesの勘定勘定かんじょう countingをしている。札は十円札十円札じゅうえんさつ 10-yen billsらしい。女は長い長ながい long睫睫まつげ eyelashesを伏せて伏ふせて turn down; cast downward薄い薄うすい thin唇唇くちびる lipsを結んで結むすんで close tightly; purse (lips)一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with utmost effort、札の数数かず number; quantityを読んで読よんで countいるが、その読み方読よみ方かた manner of countingがいかにも早い早はやい quick; rapid。しかも札の数はどこまで行って行いって proceed; progressも尽きる尽つきる run out; come to an end様子様子ようす sign; indicationがない。膝膝ひざ lapの上上うえ top ofに乗って乗のって rest onいるのはたかだか百枚百枚ひゃくまい a hundred (layers)ぐらいだが、その百枚がいつまで勘定しても百枚である。

自分は茫然として茫然ぼうぜんとして blankly; vacantlyこの女の顔顔かお faceと十円札を見つめていた。すると耳の元耳みみの元もと close to one's earで白い白しろい (dressed in) white男男おとこ manが大きな声大おおきな声こえ loud voiceで「洗いましょう洗あらいましょう (I'll) wash (your hair)」と云った云いった stated; announced。ちょうどうまい折折おり chance; opportunityだから、椅子椅子いす chairから立ち上がる立たち上あがる stand up (from)や否やや否いなや as soon as ...、帳場格子の方方ほう directionをふり返ってふり返かえって turn back; turn around見た。けれども格子格子こうし latticeのうちには女も札も何にも見えなかった何なにも見みえなかった couldn't see anything。

代代だい bill; accountを払って払はらって pay; settle (account)表表おもて out frontへ出る出でる come out (to)と、門口門口かどぐち door; entranceの左側左側ひだりがわ left sideに、小判小判こばん small oval gold coinなりなり form; shapeの桶桶おけ bucket; basinが五つ五いつつ five (things)ばかり並べて並ならべて be lined up; be set out (in a row)あって、その中中なか insideに赤い赤あかい red金魚金魚きんぎょ goldfishや、斑入の斑入ふいりの spotted; mottled金魚や、痩せた痩やせた slender金魚や、肥った肥ふとった plump金魚がたくさん入れて入いれて put intoあった。そうして金魚売金魚売きんぎょうり goldfish sellerがその後後うしろ behind; back sideにいた。金魚売は自分の前前まえ front ofに並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて頬杖ほおづえを突ついて supporting one's chin in one's palms、じっとしている。騒がしい騒さわがしい noisy; boisterous往来往来おうらい roadの活動活動かつどう activityにはほとんど心を留めていない心こころを留とめていない pay no heed to。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めて眺ながめて look on; gaze atいた。けれども自分が眺めている間間あいだ interval (of time)、金魚売はちっとも動かなかった動うごかなかった didn't move; didn't stir。

第九第九だいきゅう 9th夜夜や night


世の中世よの中なか society; the worldが何となく何なんとなく somehow; in some mannerざわつき始めたざわつき始はじめた was becoming restless; was becoming unsettled。今にも今いまにも at any moment戦争戦争いくさ warが起りそう起おこりそう be imminent; be about to eruptに見える見みえる seems; appears (that)。焼け出された焼やけ出だされた driven (out) by flames裸馬裸馬はだかうま unsaddled horse; unbridled horseが、夜昼となく夜昼よるひるとなく day and night; at all times、屋敷屋敷やしき residence; estateの周囲周囲まわり edge; perimeterを暴れ廻る暴あれ廻まわる run amok; rampageと、それを夜昼となく足軽共足軽共あしがるども foot soldiersが犇きながら犇ひしめきながら with a great clamor追かけて追おっかけて pursue; chase afterいるような心持心持こころもち atmosphere; moodがする。それでいて家家いえ houseのうちは森として静か森しんとして静しずか still and quietである。

家には若い若わかい young母母はは motherと三つ三みっつ three (years old; two years old by Western counting)になる子供子供こども childがいる。父父ちち fatherはどこかへ行った行いった went (off to)。父がどこかへ行ったのは、月月つき moonの出ていない出でていない is not visible; does not appear夜中夜中よなか middle of the nightであった。床床とこ beddingの上上うえ top ofで草鞋草鞋わらじ straw sandalsを穿いて穿はいて put on (one's feet)、黒い黒くろい black頭巾頭巾ずきん kerchief; bandanaを被って被かぶって put on; cover (one's head)、勝手口勝手口かってぐち kitchen door; service entranceから出て行った。その時時とき time; occasion母の持って持もって carry; holdいた雪洞雪洞ぼんぼり paper-covered lanternの灯灯ひ light; lampが暗い闇暗くらい闇やみ thick darkness; black of nightに細長く細長ほそながく in a narrow band射して射さして shone、生垣生垣いけがき hedgeの手前手前てまえ near sideにある古い古ふるい old檜檜ひのき hinoki; Japanese cypressを照らした照てらした illuminated。

父はそれきり帰って来なかった帰かえって来こなかった didn't return。母は毎日毎日まいにち every day三つになる子供に「御父様御父様おとうさま your fatherは」と聞いて聞きいて askいる。子供は何とも云わなかった何なんとも云いわなかった didn't say anything。しばらくしてから「あっち」と答える答こたえる answeredようになった。母が「いつ御帰り御帰おかえり coming come」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑って笑わらって smileいた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉言葉ことば wordsを何遍となく何遍なんべんとなく any number of times; over and over繰返して繰返くりかえして repeat教えた教おしえた taught; instructed。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々時々ときどき sometimes; occasionallyは「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事事こと case; instanceもあった。

夜夜よる eveningになって、四隣四隣あたり surroundings; vicinityが静まる静しずまる fall quietと、母は帯帯おび (kimono) sashを締め直して締しめ直なおして re-tighten; straighten、鮫鞘鮫鞘さめざや sharkskin sheathの短刀短刀たんとう short sword; daggerを帯の間間あいだ midst; withinへ差して差さして insert; put into、子供を細帯細帯ほそおび narrow sashで背中背中せなか back (part of the body)へ背負って背負しょって carry on one's back、そっと潜り潜くぐり side door; side gateから出て行く出でて行ゆく go out; leave。母はいつでも草履草履ぞうり Japanese sandalsを穿いていた。子供はこの草履の音音おと soundを聞きながら母の背中で寝てしまう寝ねてしまう fall asleep事もあった。

土塀土塀つちべい earthen wallの続いて続つづいて continue; be unbrokenいる屋敷町屋敷町やしきちょう residential areaを西西にし westへ下って下くだって descend (toward)、だらだら坂だらだら坂ざか gentle slopeを降り尽くす降おり尽つくす follow all the way downと、大きな大おおきな large銀杏銀杏いちょう gingko (tree)がある。この銀杏を目標目標めじるし signpost; landmarkに右右みぎ right (side)に切れる切きれる turn (toward)と、一丁一丁いっちょう 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)ばかり奥奥おく interior; withinに石石いし stoneの鳥居鳥居とりい torii (Shinto shrine gate)がある。片側片側かたがわ one sideは田圃田圃たんぼ rice fieldsで、片側は熊笹熊笹くまざさ bamboo grassばかりの中中なか middle; midstを鳥居まで来て来きて come (to)、それを潜り抜ける潜くぐり抜ぬける pass throughと、暗い杉杉すぎ cedarの木立木立こだち stand of trees; groveになる。それから二十間二十間にじゅっけん 20 ken (about 35 meters; about 40 yards)ばかり敷石伝いに敷石伝しきいしづたいに over paving stones突き当る突つき当あたる come to the end ofと、古い古ふるい old; ancient拝殿拝殿はいでん front shrine; hall of worshipの階段階段かいだん stepsの下下した bottom ofに出る。鼠色鼠色ねずみいろ gray (lit: mouse color)に洗い出された洗あらい出だされた washed out; faded; weathered賽銭箱賽銭箱さいせんばこ offertory boxの上に、大きな鈴鈴すず bellの紐紐ひも cord; ropeがぶら下がってぶら下さがって hang down昼間昼間ひるま daytime見ると、その鈴の傍傍そば side; proximityに八幡宮八幡宮はちまんぐう Hachimangū (shrine dedicated to the god of archery and war)と云う額額がく tablet; plaqueが懸って懸かかって be posted; be placedいる。八の字八はちの字じ the character for Hachiが、鳩鳩はと doveが二羽二羽にわ two (birds)向いあった向むかいあった face each otherような書体書体しょたい calligraphic style; stylized writingにできているのが面白い面白おもしろい noteworthy; of interest。そのほかにもいろいろの額がある。たいていは家中家中かちゅう clansman; retainerのものの射抜いた射抜いぬいた shot through; pierced金的金的きんてき gold target (small gold foil circle; smallest target in Japanese archery)を、射抜いたものの名前名前なまえ nameに添えた添そえた accompany; be together withのが多い多おおい most common。たまには太刀太刀たち swordを納めた納おさめた be dedicated to; pay tribute toのもある。

鳥居鳥居とりい torii (Shinto shrine gate)を潜る潜くぐる pass underと杉杉すぎ cedarの梢梢こずえ treetopsでいつでも梟梟ふくろう owlが鳴いて鳴ないて call; hoot (owl)いる。そうして、冷飯草履冷飯ひやめし草履ぞうり worn sandals; tattered sandalsの音音おと soundがぴちゃぴちゃする。それが拝殿拝殿はいでん front shrine; hall of worshipの前前まえ front ofでやむと、母母はは motherはまず鈴鈴すず bellを鳴らして鳴ならして ringおいて、すぐにしゃがんで柏手を打つ柏手かしわでを打うつ clap one's hands together in prayer。たいていはこの時時とき time; moment梟が急に急きゅうに suddenly鳴かなくなる。それから母は一心不乱に一心いっしん不乱ふらんに wholeheartedly; intently夫夫おっと husbandの無事無事ぶじ safetyを祈る祈いのる pray for。母の考え考かんがえ thoughts; manner of thinkingでは、夫が侍侍さむらい samuraiであるから、弓矢弓矢ゆみや bow and arrow; archeryの神神かみ godの八幡八幡はちまん Hachiman (god of archery and war)へ、こうやって是非ない是非ぜひない urgent; born of necessity願願がん prayer; petitionをかけたら、よもやよもや surely; certainly聴かれぬ道理はなかろう聴きかれぬ道理どうりはなかろう there's no reason (it) should not be heardと一図に一図いちずに intently; earnestly思いつめて思おもいつめて feel passionately about; be consumed withいる。

子供子供こども childはよくこの鈴の音音ね tone; ring (of a bell)で眼を覚まして眼めを覚さまして wake up、四辺四辺あたり surroundingsを見る見みる look at; take inと真暗真暗まっくら total darknessだものだから、急に背中背中せなか back (part of the body)で泣き出す泣なき出だす start to cry事事こと instance; occasionがある。その時母は口の内で口くちの内なかで quietly; softly何か何なにか something祈りながら、背を振って背せを振ふって swaying one's back; rocking one's backあやそうとするあやそうとする try to pacify (a crying child)。すると旨く旨うまく successfully泣きやむ事もある。またますます烈しく烈はげしく intensely泣き立てる泣なき立たてる cry out; bawl事もある。いずれにしても母は容易に容易よういに easily; readily立たない立たたない stand up; straighten up (from prayer posture)。

一通り一通ひととおり once over; once through夫の身の上身みの上うえ welfareを祈ってしまうと、今度今度こんど nextは細帯細帯ほそおび narrow sashを解いて解といて loosen、背中の子子こ childを摺りおろす摺ずりおろす let slip downように、背中から前前まえ front sideへ廻して廻まわして bring around (to)、両手両手りょうて both handsに抱きながら抱だきながら hold; embrace拝殿を上って行って上のぼって行いって ascend to、「好い子好いい子こ good childだから、少しの間少すこしの間ま for a while、待って待まって waitおいでよ」ときっと自分の自分じぶんの one's own頬頬ほお cheekを子供の頬へ擦りつける擦すりつける brush against。そうして細帯を長くして長ながくして unwind、子供を縛って縛しばって tie (to)おいて、その片端片端かたはし other endを拝殿の欄干欄干らんかん balustradeに括りつける括くくりつける fasten (to)。それから段々段々だんだん stepsを下りて来て下おりて来きて descend二十間二十間にじゅっけん 20 ken (about 35 meters; about 40 yards)の敷石敷石しきいし paving stonesを往ったり来たり往いったり来きたり traverse御百度を踏む御百度おひゃくどを踏ふむ walk back and forth between entrance and worship hall, a hundred times, offering a prayer each time。

拝殿に括りつけられた子は、暗闇暗闇くらやみ darknessの中中なか midstで、細帯の丈丈たけ lengthのゆるす限り限かぎり to the extent that ...、広縁広縁ひろえん broad verandaの上上うえ surfaceを這い廻って這はい廻まわって crawl aroundいる。そう云うそう云いう these kinds of時は母にとって、はなはだ楽な楽らくな easy; comfortable夜夜よる eveningである。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない気きが気きでない feel anxious。御百度の足足あし gait; paceが非常に非常ひじょうに exceedingly早く早はやく quick; hurriedなる。大変大変たいへん very much; greatly息が切れる息いきが切きれる be short of breath。仕方のない仕方しかたのない have no other choice時は、中途で中途ちゅうとで halfway; midway (through)拝殿へ上って来て上のぼって来きて ascend (to)、いろいろすかしてすかして coax; cajoleおいて、また御百度を踏み直す踏ふみ直なおす start over事もある。

こう云う風にこう云いう風ふうに in this manner、幾晩となく幾晩いくばんとなく countless nights母が気を揉んで気きを揉もんで fret; grow anxious、夜の目も寝ずに夜よの目めも寝ねずに through sleepless nights心配していた心配しんぱいしていた worried over; worried about父父ちち fatherは、とくの昔昔むかし long agoに浪士のために浪士ろうしのために at the hand of a rōnin (lordless samurai)殺されて殺ころされて was killedいたのである。

こんな悲い悲かなしい sorrowful (usually 悲かなしい)話話はなし story; taleを、夢夢ゆめ dreamの中で母から聞いた聞きいた heard (from)。

第十第十だいじゅう 10th夜夜や night


庄太郎庄太郎しょうたろう Shōtarō (name)が女女おんな womanに攫われて攫さらわれて be led away; be lured awayから七日目七日目なのかめ seventh dayの晩晩ばん eveningにふらりとふらりと unexpectedly; without notice帰って来て帰かえって来きて returned; came back、急に急きゅうに immediately熱が出て熱ねつが出でて developed a fever; became feverishどっとどっと all of a sudden、床に就いて床とこに就ついて take to one's bedいると云って云いって say; tell健健けん Ken (name)さんが知らせに来た知しらせに来きた came to notify; came to report。

庄太郎は町内一町内一ちょうないいち number one about townの好男子好男子こうだんし handsome manで、至極至極しごく quite; exceedingly善良な善良ぜんりょうな good; virtuous正直者正直者しょうじきもの honest manである。ただ一つ一ひとつ one (thing)の道楽道楽どうらく pastime; favorite amusementがある。パナマの帽子パナマの帽子ぼうし Panama hatを被って被かぶって wear (on one's head)、夕方夕方ゆうがた evening; duskになると水菓子屋水菓子屋みずがしや fruit marketの店先店先みせさき storefront; shopfrontへ腰をかけて腰こしをかけて sit down (on something)、往来往来おうらい coming and going; passing byの女の顔顔かお facesを眺めて眺ながめて gaze atいる。そうしてしきりにしきりに intently; keenly感心して感心かんしんして admireいる。そのほかにはこれと云うほどの特色特色とくしょく idiosyncrasyもない。

あまり女が通らない通とおらない not pass by; not be about時時とき timesは、往来を見ないで見みないで without watching水菓子水菓子みずがし fruitを見ている。水菓子にはいろいろある。水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesや、林檎林檎りんご applesや、枇杷枇杷びわ loquatsや、バナナを綺麗に綺麗きれいに nicely; beautifully籠籠かご basketに盛って盛もって fill up; heap、すぐ見舞物見舞物みやげもの gift; presentに持って行ける持もって行いける can be taken (as)ように二列二列にれつ two rowsに並べて並ならべて line up; set outある。庄太郎はこの籠を見ては綺麗だと云っている。商売商売しょうばい business; tradeをするなら水菓子屋に限るに限かぎる can only be ...; has to be ...と云っている。そのくせ自分自分じぶん oneselfはパナマの帽子を被ってぶらぶら遊んでぶらぶら遊あそんで loll about; idle one's timeいる。

この色色いろ colorがいいと云って、夏蜜柑夏蜜柑なつみかん summer mandarinなどを品評する品評ひんぴょうする rate; evaluate; assess事事こと instancesもある。けれども、かつてかつて (never) yet; (never) before銭銭ぜに coin; moneyを出して出だして take out水菓子を買った買かった bought事がない。ただでは無論無論むろん of course食わない食くわない doesn't eat。色ばかり賞めて賞ほめて praise; speak well ofいる。

ある夕方一人一人ひとり one (person)の女が、不意に不意ふいに suddenly; unexpectedly店先に立った立たった appeared; stopped。身分のある身分みぶんのある of social standing; of import人と見えて立派な立派りっぱな fine; splendid服装服装ふくそう dress; clothingをしている。その着物着物きもの kimonoの色がひどく庄太郎の気に入った気きに入いった met with one's favor; was to one's liking。その上その上うえ on top of that; furthermore庄太郎は大変大変たいへん terribly; to a great degree女の顔に感心してしまった。そこで大事な大事だいじな dear to one; prizedパナマの帽子を脱って脱とって take off; remove丁寧に丁寧ていねいに politely; gallantly挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationをしたら、女は籠詰籠詰かごづめ packaged in a basketの一番一番いちばん number one; most大きい大おおきい largeのを指して指さして point to、これを下さい下ください please (give me)と云うんで、庄太郎はすぐその籠を取って取とって take; pick up渡した渡わたした handed; passed over。すると女はそれをちょっと提げて提さげて hold; carry見て、大変重い重おもい heavy事と云った。

庄太郎は元来元来がんらい essentially; by nature閑人閑人ひまじん man of leisureの上に、すこぶる気作な気作きさくな open-hearted; good-natured男男おとこ manだから、ではお宅お宅たく your house; your home (honorific)まで持って参りましょう持もって参まいりましょう shall I carry; shall I bringと云って、女といっしょに水菓子屋を出た。それぎり帰って来なかった帰かえって来こなかった didn't come back。

いかないかな however much ...庄太郎でも、あんまり呑気過ぎる呑気過のんきすぎる too reckless; too heedless。只事只事ただごと trivial matter; ordinary occurrenceじゃ無かろうじゃ無なかろう couldn't be; is hard to imagine asと云って、親類親類しんるい family; relationsや友達友達ともだち friendsが騒ぎ出して騒さわぎ出だして be up in arms; raise the alarmいると、七日目の晩になって、ふらりと帰って来た。そこで大勢大勢おおぜい many people; a large crowd寄ってたかって寄よってたかって gathered together、庄庄しょう Shō (short for Shōtarō)さんどこへ行って行いって go off (to)いたんだいと聞く聞きく ask; inquireと、庄太郎は電車電車でんしゃ (electric) trainへ乗って乗のって board; get on山山やま mountainsへ行ったんだと答えた答こたえた answered。

何でも何なんでも at any rateよほど長い長ながい long電車電車でんしゃ (electric) train (ride)に違いないに違ちがいない there's no doubt ...。庄太郎庄太郎しょうたろう Shōtarō (name)の云う云いう tell; conveyところによると、電車を下りる下おりる descend from; get off (a train)とすぐと原原はら prairie; grasslandへ出た出でた came out (onto)そうである。非常に非常ひじょうに extremely広い広ひろい wide; vast原で、どこを見廻して見廻みまわして look around; surveyも青い青あおい green草草くさ grassばかり生えて生はえて growいた。女女おんな womanといっしょに草の上上うえ top ofを歩いて行く歩あるいて行ゆく walk; go on footと、急に急きゅうに suddenly絶壁絶壁きりぎし precipice; cliffの天辺天辺てっぺん top ofへ出た。その時時とき time; occasion女が庄太郎に、ここから飛び込んで御覧なさい飛とび込こんで御覧ごらんなさい try jumping (from)と云った。底底そこ bottomを覗いて覗のぞいて look down into見ると、切岸切岸きりぎし cliffは見えるが底は見えない。庄太郎はまたパナマの帽子パナマの帽子ぼうし Panama hatを脱いで脱ぬいで take off; remove再三再三さいさん time and again; repeatedly辞退した辞退じたいした declined。すると女が、もし思い切って思おもい切きって boldly; decisively飛び込まなければ、豚豚ぶた pigに舐められます舐なめられます be lickedが好うござんすか好ようござんすか is that preferable; is that your choiceと聞いた聞きいた asked。庄太郎は豚と雲右衛門雲右衛門くもえもん Tōchūken Kumoemon (1873-1916; rōkyoku recitalist whose performances aroused nationalist sentiment during the Russo-Japanese War)が大嫌大嫌だいきらい abhorrence (to something); extreme dislikeだった。けれども命には易えられない命いのちには易かえられない wouldn't lose one's life (over a matter); wouldn't trade one's life (for something)と思って思おもって thought; decided、やっぱり飛び込むのを見合せて見合みあわせて postpone; deferいた。ところへ豚が一匹一匹いっぴき one (animal)鼻を鳴らして鼻はなを鳴ならして snorting; grunting来た来きた came; approached。庄太郎は仕方なしに仕方しかたなしに having no other recourse、持って持もって hold; carryいた細い細ほそい slender檳榔樹檳榔樹びんろうじゅ betel palmの洋杖洋杖ステッキ walking stick; caneで、豚の鼻頭鼻頭はなづら muzzle; snoutを打った打ぶった struck。豚はぐうと云いながら、ころりところりと easily; without effort引っ繰り返って引ひっ繰くり返かえって topple over; tumble、絶壁の下下した belowへ落ちて行った落おちて行いった went falling down。庄太郎はほっと一と息接いでほっと一ひと息いき接ついで breathe a sigh of reliefいるとまた一匹の豚が大きな大おおきな big; large鼻鼻はな snoutを庄太郎に擦りつけに来た擦すりつけに来きた came to rub against。庄太郎はやむをえずやむをえず of necessity; having no other choiceまた洋杖を振り上げた振ふり上あげた raised overhead; swung overhead。豚はぐうと鳴いてまた真逆様に真逆様まっさかさまに upside down; head over hooves穴穴あな hole; voidの底へ転げ込んだ転ころげ込こんだ tumbled into。するとまた一匹あらわれた。この時庄太郎はふと気がついて気きがついて take notice; realize、向う向むこう the distanceを見ると、遥遥はるか far offの青草原青草原あおくさばら green prairieの尽きる尽つきる come to an end; fade away辺辺あたり regionから幾万匹か幾万匹いくまんびきか some tens of thousands (of animals)数え切れぬ数かぞえ切きれぬ innumerable; endless豚が、群群むれ herdをなして一直線に一直線いっちょくせんに straightaway; directly、この絶壁の上に立って立たって standいる庄太郎を目懸けて目懸めがけて heading toward鼻を鳴らしてくる。庄太郎は心心しん one's coreから恐縮した恐縮きょうしゅくした was terrified; was gripped by fear。けれども仕方がないから、近寄ってくる近寄ちかよってくる approach豚の鼻頭を、一つ一つ一ひとつ一ひとつ one by one丁寧に丁寧ていねいに with a light touch檳榔樹の洋杖で打っていた。不思議な不思議ふしぎな curious; strange事事こと fact; thingに洋杖が鼻へ触り触さわり touch; contactさえすれば豚はころりと谷谷たに valley; creviceの底へ落ちて行く。覗いて見ると底の見えない絶壁を、逆さ逆さかさ upside downになった豚が行列して行列ぎょうれつして lined up; in procession落ちて行く。自分自分じぶん oneselfがこのくらい多くの多おおくの numerous豚を谷へ落したかと思うと、庄太郎は我ながら怖くなった我われながら怖こわくなった shudder (in fear) at one's own doings。けれども豚は続々続々ぞくぞく one after another; incessantlyくる。黒雲黒雲こくうん black cloudに足足あし legsが生えて、青草青草あおくさ green grassを踏み分ける踏ふみ分わける push one's way throughような勢い勢いきおい energy; vigorで無尽蔵無尽蔵むじんぞう endless supplyに鼻を鳴らしてくる。

庄太郎は必死必死ひっし desperationの勇勇ゆう bravery; courageをふるってふるって exercise; wield、豚の鼻頭を七日七日なのか seven days六晩六晩むばん six nights叩いた叩たたいた struck; beat。けれども、とうとう精根精根せいこん energy; vitalityが尽きて、手手て handsが蒟蒻蒟蒻こんにゃく konnyaku (jelly)のように弱って弱よわって weaken、しまいに豚に舐められてしまった。そうして絶壁の上へ倒れた倒たおれた collapsed。

健健けん Ken (name)さんは、庄太郎の話話はなし storyをここまでして、だからあんまり女を見るのは善くない善よくない not goodよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたい貰もらいたい want to get; want to haveと云っていた。

庄太郎は助かるまい助たすかるまい likely won't pull through; is unlikely to make it。パナマは健さんのものだろう。