ベルが鳴ってって rang講師講師こうし lecturer教室教室きょうしつ classroom; lecture hallから出てて leave; depart (from)いった。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はインキの着いたいた attached to; adhering toペンを振ってって shake、ノートを伏せようせよう lay down; close (notebook)とした。するととなり next to; neighboring (place)にいた与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)声をかけたこえをかけた call (to someone); address

「おいちょっと借せせ lend (usually せ)書き落としたとした didn't write; failed to take note ofところがある」

与次郎は三四郎のノートを引き寄せてせて pulled nearうえ aboveからのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義講義こうぎ lecture筆記する筆記ひっきする take notes (of)のがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強不勉強ふべんきょう inattention to one's studiesではいかん。カントカント Immanuel Kant (German philosopher; 1724–1804)超絶唯心論超絶ちょうぜつ唯心論ゆいしんろん transcendental idealismバークレーバークレー George Berkeley (Anglo-Irish philosopher; 1685–1753)超絶実在論超絶ちょうぜつ実在論じつざいろん transcendental realismにどうだとか言ったった talked; commentedな」

「どうだとか言った」

聞いていて listenいなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

与次郎は自分の自分じぶんの one's ownノートをかかえて立ち上がったがった stood upつくえ desk; (study) tableまえ front of離れながらはなれながら separating (oneself from)、三四郎に、

「おいちょっと来いい come with; follow (me)」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段梯子段はしごだん stairs降りてりて go down; descend玄関玄関げんかん entryway前の草原草原くさはら grassy field; lawn来たた came (to)大きなおおきな big; largeさくら cherry treeがある。二人二人ふたり two (people)はそのした below; beneathにすわった。

ここはなつ summer初めはじめ beginningになると苜蓿苜蓿うまごやし clover一面に一面いちめんに all over (an entire surface)はえる。与次郎が入学入学にゅうがく academic admission願書願書がんしょ application form持ってって hold; carry事務事務じむ business; administrative affairsへ来たとき time; occasionに、この桜の下に二人の学生学生がくせい students寝転んで寝転ねころんで lie down; be sprawled outいた。その一人一人ひとり one (person)が一人に向かってかって turn toward口答試験口答こうとう試験しけん oral examination都々逸都々逸どどいつ popular love song / poetry style in the 7-7-7-5 syllable pattern - late Edo period負けてけて reduce (to)おいてくれると、いくらでも歌ってうたって singみせるがなと言うと、一人が小声小声こごえ quiet voiceで、粋なすいな sophisticated; worldlyさばきさばき judgment; dealings (with)博士博士はかせ professorの前で、こい love; romanceの試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木さくら cherry treeの下が好きになってきになって be fond of、なにかこと businessがあると、三四郎をここへ引っ張り出すす bring out (to)。三四郎はその歴史歴史れきし history; storyを与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡俗謡ぞくよう popular song; folk songで pity's love を訳すやくす translate; interpretはずだと思ったおもった thought。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中懐中かいちゅう one's pocketから、文芸時評文芸ぶんげい時評じひょう Literary Reviewという雑誌雑誌ざっし magazine; periodical出してして took outあけたままの一ページいちページ one page; certain page逆にさかに upside down三四郎のほう directionへ向けた。

「どうだ」と言うう asked見るる look at標題標題ひょうだい title; caption大きなおおきな large活字活字かつじ typefaceで「偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void」とある。した belowには零余子零余子れいよし Reiyoshi (propagule; used here as pen name)雅号雅号がごう alias; pen name使って使つかって useいる。偉大なる暗闇とは与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)がいつでも広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota評するひょうする comment on words; phraseで、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)二、三度三度さんど several times聞かされたかされた had heardものである。しかし零余子はまったく知らんらん unknown nameである。どうだと言われたとき time; momentに、三四郎は、返事返事へんじ answer; responseをする前提として前提ぜんていとして before ...; as a precondition to ...ひとまず与次郎のかお faceを見た。すると与次郎はなんにも言わずになんにもわずに without saying anythingその扁平な扁平へんぺいな flat顔をまえ forward出してして push out; stick outみぎ right (side)人さし指ひとさしゆび index fingerさき tipで、自分の自分じぶんの one's own鼻の頭はなあたま tip of the nose押えておさえて press on; hold downじっとしている。向こうこう a ways off立ってって standいた一人一人ひとり one (person)学生学生がくせい studentが、この様子様子ようす situationを見てにやにや笑い出したにやにやわらした broke into a grin。それに気がついたがついた took notice of与次郎はようやく指を鼻から放したはなした removed

「おれが書いたいた wroteんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟ったさとった understood; comprehended

「ぼくらが菊細工菊細工きくざいく chrysanthemum craftsを見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日三日さんち a few daysまえじゃないか。そうはやく活版活版かっぱん (typeset) printingになってたまるものか。あれは来月来月らいげつ next month出るる come out; be released (in print)。これは、ずっと前に書いたものだ。なに whatを書いたものか標題でわかるだろう」

「広田先生の事こと concerning ...か」

「うん。こうして輿論輿論よろん popular opinion; popular sentiment喚起して喚起かんきして stir up; arouseおいてね。そうして、先生が大学大学だいがく universityへはいれる下地下地したじ groundwork; foundation作るつくる prepare; create……」

「その雑誌雑誌ざっし magazine; periodicalはそんなに勢力勢力せいりょく power; influenceのある雑誌か」

三四郎は雑誌の名前名前なまえ nameさえ知らなかった。

「いや無勢力無勢力むせいりょく of little importだから、じつは困るこまる be troubled」と与次郎は答えたこたえた answered。三四郎は微笑わざるをえなかった微笑わらわざるをえなかった had to laugh

何部何部なんぶ how many (copies)ぐらい売れるれる be soldのか」

与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解して弁解べんかいして defend; justifyいる。

だんだん聞いてみると、与次郎は従来から従来じゅうらいから in the past; up to nowこの雑誌に関係関係かんけい connectionがあって、ひまさえあればほとんど毎号毎号まいごう every issue筆を執ってふでって write (lit: take up the brush)いるが、その代りそのかわり on the other hand雅名雅名がめい nom de plumeも毎号変えるえる changeから、二、三のさんの two or three; several同人同人どうじん comrades; kindred spiritsのほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎はいま now; at presentはじめて与次郎と文壇文壇ぶんだん literary circlesとの交渉交渉こうしょう connection; dealingsを聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯遊戯いたずら sport; mischiefに等しいひとしい bordering on; equivalent to匿名匿名とくめい assumed name用いてもちいて make use of彼のかれの hisいわゆる大論文大論文だいろんぶん grand treatise; master thesisをひそかに公けにしつつあるおおやけにしつつある be about to make publicか、そこが三四郎にはわからなかった。

いくぶんか小遣い取り小遣こづかり side jobのつもりで、やっている仕事仕事しごと workかと不遠慮に不遠慮ぶえんりょに without reserve; directly尋ねたたずねた asked; inquiredとき time; moment与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)目を丸くしたまるくした look (at someone) wide-eyed; give an incredulous look

きみ you九州九州きゅうしゅう Kyūshūのいなかから出たた arrived (from)ばかりだから、中央中央ちゅうおう center; capital cities文壇文壇ぶんだん literary circle趨勢趨勢すうせい tendency; trend知らないらない don't know; be unaware ofために、そんなのん気なのんな careless; thoughtlessことをいうのだろう。いま now; the present思想界思想界しそうかい world of thought; realm of ideas中心中心ちゅうしん center; coreにいて、その動揺動揺どうよう agitation; excitementのはげしいありさまを目撃しながら目撃もくげきしながら witness; observe考えかんがえ thoughts; imaginationのあるもの person知らん顔らんかお feigned ignorance; indifferenceをしていられるものか。じっさい今日今日こんにち the present day文権文権ぶんけん power of the pen; literary prerogativeはまったく我々我々われわれ we; us青年青年せいねん young men handsにあるんだから、一言一言いちごん a single wordでも半句半句はんく a simple phraseでも進んですすんで step forward; take the initiative言えるえる can say; can express (oneself)だけ言わなけりゃそん loss; missed opportunityじゃないか。文壇は急転直下急転きゅうてん直下ちょっか suddenly and precipitately勢いいきおい vigor; spiritめざましいめざましい spectacular; remarkable革命革命かくめい revolution; upheaval受けてけて undergoいる。すべてがことごとく動いてうごいて be in motion; be in turmoil新気運新気運しんきうん new trend; new directionに向かってかって facing; heading towardゆくんだから、取り残されちゃのこされちゃ being left behindたいへんだ。進んで自分自分じぶん oneselfからこの気運をこしらえ上げなくちゃこしらえげなくちゃ must bring about; must create生きてるきてる be alive甲斐甲斐かい worth; useはない。文学文学ぶんがく literature文学って安っぽいやすっぽい cheap; triflingようにいうが、そりゃ大学大学だいがく universityなんかで聞くく hear; be taught文学のことだ。新しいあたらしい new我々のいわゆる文学は、人生人生じんせい human condition; the human experienceそのものの大反射大反射だいはんしゃ great reflectionだ。文学の新気運は日本日本にほん Japan全社会全社会ぜんしゃかい (through) all of society活動活動かつどう action; activity影響影響えいきょう effect; impactしなければならない。また現にげんに actually; in factしつつある。彼らかれら they (society)昼寝をして昼寝ひるねをして nap; doze夢を見てゆめて (have a) dreamいるまに、いつか影響しつつある。恐ろしいおそろしい fearsome; horrificものだ。……」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)黙ってだまって in silence; without speaking聞いていた。少しすこし a little; a bitほらほら hot air; blusteringのような feelingがする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に熱心ねっしんに fervently; with passion吹いていて blow (hot air)いる。すくなくとも当人当人とうにん the person in question; he himselfだけは至極至極しごく very much; extremelyまじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神精神せいしん spirit; intentionでやっているのか。では君は原稿料原稿料げんこうりょう payment for a manuscriptなんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るる take; receiveよ。取れるだけ取る。しかし雑誌雑誌ざっし magazine; publication売れないれない doesn't sellからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫工夫くふう idea; schemeをしないといけない。何かなにか something; some sort ofいい趣向趣向しゅこう thoughts; ideasはないだろうか」と今度今度こんど this timeは三四郎に相談をかけた相談そうだんをかけた engaged in consultationはなし talk; topic of discussion急にきゅうに suddenly実際問題実際問題じっさいもんだい practical problem落ちてちて fall; drop down toしまった。三四郎は妙なみょうな odd; strange心持ち心持こころもち feeling; impressionがする。与次郎は平気平気へいき composed; unconcernedである。ベルが激しくはげしく violently; loudly鳴りだしたりだした began to ring; rang out

「ともかくこの雑誌を一部一部いちぶ one (copy)君にやるから読んでんで readみてくれ。偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; voidというだい titleがおもしろいだろう。この題ならひと people驚くおどろく be impressed; be intriguedにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

二人二人ふたり two (people)玄関玄関げんかん entryway上がってがって entered (up) into教室教室きょうしつ classroom; lecture hallへはいって、つくえ desk; study table着いたいた took (their) places。やがて先生先生せんせい professor来るる arrived。二人とも筆記筆記ひっき note taking始めたはじめた began三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は「偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void」が気にかかるにかかる weigh on one's mindので、ノートのそばに文芸時評文芸時評ぶんげいじひょう Literary Review (magazine)をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないれない not be known (to)ように読みだしたみだした began to read。先生はさいわい近眼近眼きんがん nearsightedである。のみならずのみならず furthermore; moreover自己の自己じこの one's own講義講義こうぎ lectureのうちにぜんぜんぜんぜん completely; thoroughly埋没して埋没まいぼつして be absorbed inいる。三四郎の不心得不心得ふこころえ indiscretion; imprudenceにはまるで関係しない関係かんけいしない took no notice of。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人ですること activity一人で一人ひとりで by oneself兼ねるねる find difficult; be unable to doむりなげい feat; performanceだからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方双方そうほう both (sides)ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)文章文章ぶんしょう writing; composition一句一句いっく one lineだけはっきりあたま head; mindにはいった。

自然自然しぜん nature宝石宝石ほうせき gem; jewel作るつくる make; create幾年幾年いくねん a number of years星霜星霜せいそう years; time費やしたついやした expended; consumedか。またこの宝石が採掘採掘さいくつ digging (for); miningうん fortune; luckにあうまでに、幾年の星霜を静かにしずかに quietly輝やいてかがやいて glitter; sparkleいたか」という line; verseである。そのほか others; rest (of something)不得要領不得ふとく要領ようりょう vague; sketchy終ったおわった ended; finishedその代りそのかわり on the other handこの時間時間じかん hour; (class) periodには stray sheep という words一つひとつ one (time)書かずかず without writingにすんだ。

講義が終るやいなや、与次郎は三四郎に向かってかって turning toward

「どうだ」と聞いたいた asked。じつはまだよく読まないと答えるこたえる respond; answerと、時間の経済経済けいざい economy; efficient use ofを知らないおとこ fellowだといって非難した非難ひなんした criticized; reproached。ぜひ読めという。三四郎はうち home帰ってかえって return (to)ぜひ読むと約束した約束やくそくした promised。やがてひる noonになった。二人は連れ立ってって go togetherもん gate出たた departed (through)

今晩今晩こんばん tonight出席する出席しゅっせきする attend; take partだろうな」と与次郎が西片町西片町にしかたまち Nishikatamachi (place name)へはいる横町横町よこちょう side street; laneかど corner立ち留まったまった came to a stop今夜今夜こんや tonight同級生同級生どうきゅうせい classmates懇親会懇親会こんしんかい social gathering; get-togetherがある。三四郎は忘れていたわすれていた had forgotten。ようやく思い出しておもして recalled行くく go; attendつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれさそってくれ call on (a person)きみ you話すはなす discussこと matterがある」と言うう saidみみ earのうしろへペン軸ペンじく pen barrel; pen shaft (for fountain pens with detachable tips)をはさんでいる。なんとなく得意得意とくい proud; highly self-satisfiedである。三四郎は承知した承知しょうちした agreed (to do something)

下宿下宿げしゅく dormitory; lodgings帰ってかえって return (to) bath (lit: hot water)にはいって、いい心持ち心持こころもち feeling; moodになって上がってがって come up (out of the bath)みると、つくえ desk; study tableうえ top of絵はがきはがき picture postcardがある。小川小川おがわ small river; streamをかいて、くさ grassもじゃもじゃもじゃもじゃ in a scraggly mannerはやして、そのふち edgeひつじ sheep二匹二匹にひき two (animals)寝かしてかして lay down; lay (an animal) on its side、その向こう側こうがわ opposite side大きなおおきな largeおとこ manステッキステッキ walking stick持ってって hold; carry立ってって standいるところを写したうつした depictedものである。男のかお faceがはなはだ獰猛獰猛どうもう fierceness; truculenceにできている。まったく西洋の西洋せいようの Western; occidental picture; paintingにある悪魔悪魔デビル devil模したした copied; modeled afterもので、念のためねんのため for good measure、わきにちゃんとデビルと仮名仮名かな kana振ってって sprinkled aroundある。おもて front side三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)宛名宛名あてな name and addressした belowに、迷える子まよえる lost child (stray sheep)小さく書いたちいさくいた written in small charactersばかりである。三四郎は迷える子の何者何者なにもの who; what kind of personかをすぐ悟ったさとった understood。のみならず、はがきのうら back (side)に、迷える子を二匹書いて、その一匹一匹いっぴき one (animal)あんにあんに implicitly自分自分じぶん oneself見立てて見立みたてて liken (to something)くれたのをはなはだうれしく思ったおもった thought; considered。迷える子のなかには、美禰子美禰子みねこ Mineko (name)のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくおもわく viewpoint; opinionであったとみえる。美禰子の使った使つかった used stray sheep の意味意味いみ meaningがこれでようやくはっきりした。

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)約束した約束やくそくした promised偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void」を読もうもう readと思うが、ちょっと読む inclinationにならない。しきりに絵はがきをながめて考えたかんがえた considered; contemplatedイソップイソップ Aesopにもないような滑稽滑稽こっけい humor; witticism趣味趣味しゅみ taste for; sense ofがある。無邪気無邪気むじゃき innocence; simple-mindednessにもみえる。洒落洒落しゃらく frank; open-heartedでもある。そうしてすべてのもと base (of); underpinningに、三四郎のこころ heart; soul動かすうごかす move; affectあるものがある。

手ぎわぎわ workmanship; quality of executionからいっても敬服敬服けいふく admiration至りいたり utmost limit (of)である。諸事諸事しょじ everything; all aspects明瞭に明瞭めいりょうに clearly; vividlyでき上がってできがって be made; be finishedいる。よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)のかいたかき persimmon tree comparable (work)ではない。――と三四郎には思われた。

しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページさんページ two or three pagesくると、次第に次第しだいに gradually釣り込まれるまれる be hooked; be drawn inように気が乗ってって take interest in; become engaged inきて、知らず知らずのまにらずらずのまに without realizing; before one knows五ページページ five pages六ページろくページ six pages進んですすんで advance; progress、ついに二十七ページ二十七にじゅうななページ 27 pages長論文長論文ちょうろんぶん long piece; lengthy composition苦もなくもなく effortlessly片づけたかたづけた polished off; finished最後最後さいご final; last一句一句いっく sentence; line読了した読了どくりょうした finished readingとき time; moment、はじめてこれでしまいだなと気がついた。 eyes雑誌雑誌ざっし magazine; publicationから離してはなして remove; lift (one's eyes from)、ああ読んだなと思った。

しかし次のつぎの next瞬間瞬間しゅんかん moment; instantに、なに whatを読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにおおいに a great dealかつ盛んにさかんんに enthusiastically読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆技倆ぎりょう ability; talent感服した感服かんぷくした be struck with admiration; be impressed

論文論文ろんぶん essay; composition現今現今げんこん the present day文学者文学者ぶんがくしゃ men of letters; literary scholars攻撃攻撃こうげき attackに始まってはじまって began with ...広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota賛辞賛辞さんじ praise; approbationに終っておわって ended with ...いる。ことに文学文科文学ぶんがく文科ぶんか department of arts and literature西洋人西洋人せいようじん Westerner手痛く手痛ていたく severely; harshly罵倒して罵倒ばとうして disparage; heap abuse onいる。はやく適当の適当てきとうの appropriate; qualified日本人日本人にほんじん Japanese national招聘して招聘しょうへいして call up; summon大学大学だいがく university相当の相当そうとうの becoming of ...講義講義こうぎ lecture開かなくってはひらかなくっては unless one establishes学問学問がくもん scholarship; learning最高最高さいこう the pinnacle of府たるたる represent大学もむかし long ago寺子屋寺子屋てらこや temple primary school (during the Edo period)同然同然どうぜん similar to; on the same level asのありさまになって、煉瓦石煉瓦石れんがせき brick and stoneミイラミイラ mummy選ぶところがないえらぶところがない present no better choice than; be no better thanようになる。もっともひと persons; personnelがなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日十年じゅうねん一日いちじつ with constancy of purpose for ten (long) yearsのごとく高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)教鞭を執って教鞭きょうべんって teach school (lit: take up the whip of education)薄給薄給はっきゅう meager salary無名無名むめい obscurity; anonymity甘んじてあまんじて be content withいる。しかし真正の真正しんせいの genuine; authentic学者学者がくしゃ scholarである。学海学海がっかい the world of knowledge新気運新気運しんきうん new trend; new direction貢献して貢献こうけんして contribute to; further (a cause)、日本の活社会活社会かつしゃかい real world; real life交渉交渉こうしょう connection; affinityのある教授教授きょうじゅ professor担任すべき担任たんにんすべき should be put in charge人物人物じんぶつ personageである。――せんじ詰めるせんじめる boil down (to its essence)とこれだけであるが、そのこれだけが、非常に非常ひじょうに very much; exceedinglyもっともらしいもっともらしい quite sensible; reasonable-sounding口吻口吻こうふん manner of expression燦爛たる燦爛さんらんたる brilliant; resplendent警句警句けいく aphorismsとによって前後前後ぜんご approximately; more or less二十七ページ二十七にじゅうななページ 27 pages延長して延長えんちょうして stretch out (to)いる。

そのなか middle; midstには「禿禿はげ baldness自慢する自慢じまんする take pride inものは老人老人ろうじん old manに限るかぎる be limited to」とか「ヴィーナスヴィーナス Venus (Roman Goddess)なみ wavesから生まれたまれた be born ofが、活眼の活眼かつがんの shrewd; keen gentlemanは大学から生まれない」とか「博士博士はかせ man of learning学界学界がっかい academia名産名産めいさん specialty product (of a place)心得る心得こころえる regard as; take forのは、海月海月くらげ jellyfish田子の浦田子たごうら Tago Bay (in Shizuoka Prefecture; famous for view of Mt Fuji)の名産と考えるかんがえる consider (to be)ようなものだ」とかいろいろおもしろい phrases; passagesがたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのみょうなの odd thing; curious thingは、広田先生を偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; voidにたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈丸行燈まるあんどん round lantern比較して比較ひかくして compare to、たかだかほう surrounding area二尺二尺にしゃく 2 shaku (about 60 cm; about 2 feet)ぐらいのところ place; spaceをぼんやり照らすらす shine on; illuminateにすぎないなどと、自分自分じぶん oneselfが広田から言われたわれた was toldとおりを書いていて writeいる。そうして、丸行燈だの雁首雁首がんくび goose neck (pipe)などはすべて旧時代の旧時代きゅうじだいの old-fashioned; outdated遺物遺物いぶつ relic我々我々われわれ we; us青年青年せいねん young menにはまったく無用無用むよう of no use; unnecessaryであると、このあいだのとおりわざわざ断わってことわって reject; dismissある。

よく考えてみると、与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)の論文には活気活気かっき energy; vigorがある。いかにも自分一人で自分じぶん一人ひとりで all by oneself新日本新日本しんにほん the new Japan代表して代表だいひょうして represent; speak forいるようであるから、読んでんで readいるうちは、ついその feelingになる。けれどもまったく meat (in a broth); substanceがない。根拠地根拠地こんきょち base of operationsのない戦争戦争せんそう warfareのようなものである。のみならず悪くわるく in a negative light解釈する解釈かいしゃくする take in; interpretと、政略的の政略的せいりゃくてきの political意味意味いみ purpose; intentionもあるかもしれない書き方かた style of writingである。いなか者いなかもの country boy三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)にはてっきりてっきり for sure; with certaintyそこと気取る気取けどる sense; get wind ofことはできなかったが、ただ読んだあとで、自分のこころ mind; inner feelings探ってさぐって probe intoみてどこかに不満足不満足ふまんぞく dissatisfaction; discontentがあるように覚えたおぼえた was aware that ...。また美禰子美禰子みねこ Mineko (name)絵はがきはがき picture postcard取ってって take; pick up二匹二匹にひき two (animals)ひつじ sheep例のれいの the aforementioned悪魔悪魔デビル devilをながめだした。するとこっちのほうは万事万事ばんじ all things快感快感かいかん agreeable feelings; pleasant sensationsである。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなったいちじるしくなった became conspicuous。それで論文の事こと concerning ...はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事返事へんじ reply; responseをやろうと思うおもう thought to不幸にして不幸ふこうにして regrettably picture; paintingがかけない。文章文章ぶんしょう writing; compositionにしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する匹敵ひてきする be equal to文句文句もんく words; (written) expressionでなくってはいけない。それは容易に容易よういに easily思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎ四時過よじすぎ past four (o'clock)になった。

はかま man's formal pleated skirt着けてけて put on与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)誘いにさそいに to call on (a person)西片町西片町にしかたまち Nishikatamachi (place name)行くく set out (for)勝手口勝手口かってぐち kitchen door; side doorからはいると、茶の間ちゃ tea room; hearth roomに、広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota小さなちいさな small食卓食卓しょくたく dining table控えてひかえて have (before one)晩食晩食ばんめし dinner食ってって eatいた。そばに与次郎がかしこまってかしこまって with an air of profound respectお給仕給仕きゅうじ server; table helperをしている。

「先生どうですか」と聞いていて askいる。

先生は何かなにか something堅いかたい hard; solid; toughものをほおばったほおばった filled one's cheek withらしい。食卓のうえ top of見るる look atと、袂時計たもと時計どけい pocket watchほどな大きさおおきさ sizeの、赤くってあかくって red黒くってくろくって black焦げたげた charred; scorchedものがとお tenばかりさら plate; dishなか middle並んでならんで be laid out; be arrangedいる。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)座に着いたいた seated himself; took a placeれい greeting; salutationをする。先生は口をもがもがさせるくちをもがもがさせる chew away (on something)

「おいきみ you一つひとつ one (thing)食ってみろ」と与次郎がはし chopsticksで皿のものをつまんで出したした held out; presentedてのひら palm (of one's hand)載せてせて place onみると、馬鹿貝馬鹿貝ばかがい bakagai (tough species of clam)剥身剥身むきみ shellfish removed from the shell干したした driedのをつけ焼にしたつけやきにした broiled with soyのである。

妙なみょうな odd; strangeものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってって boughtきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」

「どこから」

日本橋日本橋にほんばし Nipponbashi (place name)から」

三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文論文ろんぶん essay; composition調子調子ちょうし manner; styleとは少しすこし a little; a bit違うちがう different

「先生、どうです」

「堅いね」

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむとあじ flavor出るる come out; appear

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてつかれて jaw gets tired (lit: teeth get tired)しまう。なんでこんな古風な古風こふうな old-fashioned; antiquatedものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)美禰子美禰子みねこ Mineko (name)さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いないちがいない no doubt ...

「あのおんな young ladyはおちついていて、乱暴乱暴らんぼう wayward; unmanageableだ」と広田が言ったった stated; interjected

「ええ乱暴です。イブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)の女のようなところがある」

「イブセンの女は露骨露骨ろこつ blatant; conspicuousだが、あの女はしん heart; inner thoughtsが乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の普通ふつうの ordinary乱暴とは意味意味いみ meaningが違うが。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)いもうと younger sisterのほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしいおんならしい feminine。妙なものだね」

「里見のは乱暴の内訌内訌ないこう internal discord; inner turmoilですか」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)黙ってだまって in silence; without speaking二人二人ふたり two (people)批評批評ひひょう criticism; commentary聞いていて listen toいた。どっちの批評もふにおちないふにおちない struggle to comprehend; find difficult to accept乱暴乱暴らんぼう wayward; unmanageableという言葉言葉ことば wordが、どうして美禰子美禰子みねこ Mineko (name)の上にうえに in regard to; concerning使える使つかえる can be used; can be applied (to)か、それからが第一第一だいいち first of all不思議不思議ふしぎ strange; curiousであった。

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)はやがて、はかま man's formal pleated skirtをはいて、改まって出て来てあらたまってて reappeared

「ちょっと行ってまいりますってまいります be off (to an outing)」と言うう called out先生先生せんせい professorは黙ってちゃ tea飲んでんで drinkいる。二人はおもて out front出たた came out (to)。表はもう暗いくらい darkもん gate離れてはなれて move away from二、三間三間さんげん 2 or 3 ken (about 5 meters; about 6 yards)来るる come; advanceと、三四郎はすぐ話しかけたはなしかけた addressed (another party); began to talk

「先生は里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)お嬢さんじょうさん daughter; young ladyを乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってなこと thingsをいうひと personだから、とき time場合場合ばあい situation; circumstancesによるとなんでも言う。第一先生がおんな women評するひょうする comment onのが滑稽滑稽こっけい absurd; funnyだ。先生の女における知識知識ちしき knowledgeはおそらくれい zeroだろう。ラッブラッブ loveをしたことがないものに女がわかるものか」

「先生はそれでいいとして、きみ youは先生のせつ opinion; view賛成した賛成さんせいした agreed; supportedじゃないか」

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の現代げんだいの modern女性女性にょしょう womenはみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)人物人物じんぶつ character; figure似てて resembleいると言ったじゃないか」

「言った」

「イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

三四郎はむろん納得しない納得なっとくしない was not convinced; could not agree。しかし追窮もしない追窮ついきゅうもしない didn't press (the matter) further。黙って一間一間いっけん 1 ken (about a meter; about a yard)ばかり歩いたあるいた walked。すると突然突然とつぜん suddenly与次郎がこう言った。

「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。いま now; at present一般の一般いっぱん ordinary; average女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくもいやしくも even to a slight degree新しいあたらしい new; modern空気空気くうき air; atmosphere触れたれた touched; came into contact withおとこ menはみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由自由じゆう free; as one pleases行動行動こうどう conduct; behavior取らないらない don't take up; don't engage inだけだ。腹のなかでははらのなかでは deep down; down insideたいていかぶれてかぶれて react against (something)いる」

「ぼくはあんまり、かぶれてかぶれて react against (something)いない」

「いないとみずから欺いてみずからあざむいて deceiving oneself; fooling oneselfいるのだ。――どんな社会社会しゃかい societyだって陥欠陥欠かんけつ deficiencyのない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息して生息せいそくして live and breathいる動物動物どうぶつ creaturesはどこかに不足不足ふそく discontent感じるかんじる feel; perceiveわけだ。イブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)人物人物じんぶつ character; figureは、現代社会制度現代げんだい社会しゃかい制度せいど modern social systemの陥欠をもっとも明らかにあきらかに clearly; evidently感じたものだ。我々我々われわれ we; usおいおいおいおい little by littleああなってくる」

きみ youはそう思うおもう think; believeか」

「ぼくばかりじゃない。具眼具眼ぐがん discernment; perception men; gentlemenはみんなそう思っている」

「君のうち house; place先生先生せんせい professorもそんな考えかんがえ opinion; ideaか」

「うちの先生? 先生はわからない」

「だって、さっき里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)さんを評してひょうして comment on、おちついていて乱暴乱暴らんぼう wayward; unmanageableだと言ったった saidじゃないか。それを解釈して解釈かいしゃくして explain; interpretみると、周囲周囲しゅうい surroundings調和して調和ちょうわして harmonize; fit in withいけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、そこ base; depthsのほうが乱暴だという意味意味いみ meaningじゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いえらい remarkable; admirableところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)急にきゅうに suddenly広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaをほめだした。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)美禰子美禰子みねこ Mineko (name)性格性格せいかく disposition; natureについてもう少しもうすこし a little more議論議論ぎろん discussion progress進めたかったすすめたかった wanted to advance; wanted to take forwardのだが、与次郎のこの一言一言ひとこと few words; brief commentでまったくはぐらかされてはぐらかされて be evaded; be given the slipしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君によう business; matter of discussionがあると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void読んだんだ readか。あれを読んでおかないとぼくの用事用事ようじ business; affairs頭へはいりにくいあたまへはいりにくい be hard to understand; be hard to follow

「きょうあれから家へ帰ってかえって return (home)読んだ」

「どうだ」

「先生はなんと言った」

「先生は読むものかね。まるで知りゃしないりゃしない doesn't know; is unaware

「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないはらのたしにならない doesn't satisfy one's appetiteビールを飲んだんだ drankようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気景気けいき effect; reactionがつきさえすればいい。だから匿名匿名とくめい assumed nameにしてある。どうせいま now; the present準備時代準備じゅんび時代じだい time of preparationだ。こうしておいて、ちょうどいい時分時分じぶん time; seasonに、本名を名乗って本名ほんみょう名乗なのって use one's real name出るる come out; appear。――それはそれとして、さっきの用事を話してはなして tell (about); explainおこう」

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)用事用事ようじ business; affairsというのはこうである。――今夜今夜こんや this eveningかい gathering; get-together自分たちの自分じぶんたちの one's own (the students' own) (academic) department不振不振ふしん stagnation; lethargyこと state; situationしきりにしきりに often; repeatedly慨嘆する慨嘆がいたんする deplore; lamentから、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振は事実事実じじつ truth; realityであるからほかのもの personsも慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策挽回策ばんかいさく revitalization plan講ずるこうずる take measures; work out (a plan)こととなる。なにしろ適当な適当てきとうな suitable; appropriate日本人日本人にほんじん Japanese national一人一人ひとり one (person)大学大学だいがく university入れるれる bring into; recruitのが急務急務きゅうむ pressing needだと言い出すす bring up; propose。みんなが賛成する賛成さんせいする agree; support当然当然とうぜん right; properだから賛成するのはむろんだ。つぎ nextにだれがよかろうという相談相談そうだん discussion移るうつる shift; transition (to)。そのとき time; occasion広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota name持ち出すす bring forth; offer up (for consideration)。その時三四郎は与次郎に口を添えてくちえて support; second (a proposal)極力極力きょくりょく to the utmost先生を賞賛しろ賞賛しょうさんしろ praise; laudというはなし discussionである。そうしないと、与次郎が広田の食客食客いそうろう house guest; boarding studentだということを知ってって know; be aware ofいる者が疑いうたがい distrust; misgivings起こさないともかぎらないこさないともかぎらない it's possible that (someone) might stir up ...。自分は現にげんに actually; in fact食客なんだから、どう思われておもわれて be regarded; be looked onもかまわないが、万一万一まんいち on the off chance that ...煩いわずらい trouble; disturbanceが広田先生に及ぶおよぶ extend toようではすまんことになる。もっともほかに同志同志どうし comrade三、四人さん四人よにん 3 or 4 peopleはいるから、大丈夫大丈夫だいじょうぶ safe; alrightだが、一人でも味方味方みかた ally; supporter多いおおい many; numerousほうが便利便利べんり expedient; advantageousだから、三四郎もなるべくしゃべるにしくはないにしくはない it would be best to ...との意見意見いけん view; opinionである。さていよいよ衆議一決衆議一決しゅうぎいっけつ unanimous agreementの暁はあかつきは on the occasion of; at the conclusion of総代総代そうだい representative選んでえらんで elect; choose学長学長がくちょう deanところ place; office行くく go (to)、また総長総長そうちょう president of a universityの所へ行く。もっとも今夜中今夜中こんやじゅう (within) this eveningにそこまでは運ばないかもしれないはこばないかもしれない may not progress; may not advance。また運ぶ必要必要ひつよう necessityもない。そのへんは臨機応変臨機りんき応変おうへん adapting to circumstances; playing it by earである。……

与次郎はすこぶる能弁能弁のうべん fluency of speech; eloquenceである。惜しいしい regrettable; unfortunateことにその能弁がつるつるしてつるつるして be slick; be slipperyいるので重みおもみ weight; gravityがない。あるところへゆくと冗談冗談じょうだん gag; jestをまじめに講義して講義こうぎして lecture (on)いるかと疑われる。けれども本来本来ほんらい essentially; in (and of) itself性質のいい性質たちのいい of good intent; worthy運動運動うんどう movement; initiativeだから、三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の feelings; thoughts表したひょうした expressed。ただその方法方法ほうほう method; approach少しくすこしく slightly; to some degree細工に落ちて細工さいくちて lacking in tactおもしろくないと言った。その時与次郎は往来往来おうらい street; roadまん中まんなか middle立ち留まったまった came to a stop二人二人ふたり two (people)はちょうど森川町森川町もりかわちょう Morikawachō (place name)神社神社じんじゃ Shinto shrine鳥居鳥居とりい torii (Shinto shrine gate)まえ front ofにいる。

細工に落ちる細工さいくちる lacking in tactというが、ぼくのやること act; action自然の自然しぜん natural手順手順てじゅん process; course狂わないくるわない not go out of order; remain on trackようにあらかじめ人力人力じんりょく human effort; manpower装置する装置そうちする take care of; interveneだけだ。自然にそむいた没分暁の没分暁ぼつぶんぎょうの foolish; ill-advised事を企てるきわだてる attempt; undertakeのとは質が違うたちちがう is fundamentally different。細工だってかまわん。細工が悪いわるい bad; in poor formのではない。悪い細工が悪いのだ」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)ぐうの音も出なかったぐうのなかった was completely nonplussed。なんだか文句文句もんく objection; counterpointがあるようだけれども、口へ出てこないくちてこない couldn't give voice to; couldn't articulate与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)言いぐさいぐさ words; remarksのうちで、自分自分じぶん oneselfがまだ考えていなかったかんがえていなかった hadn't considered部分部分ぶぶん pieces; parts; pointsだけがはっきりあたま head; mind映ってうつって be reflectedいる。三四郎はむしろそのほうに感服した感服かんぷくした be impressed (by)

「それもそうだ」とすこぶる曖昧な曖昧あいまいな vague; ambiguous返事返事へんじ reply; responseをして、また肩を並べてかたならべて side by side; shoulder to shoulder歩きだしたあるきだした began walking正門正門せいもん main gate (of the university)をはいると、急にきゅうに suddenly目の前まえ before one's eyes広くなるひろくなる widen; broaden大きなおおきな large建物建物たてもの buildings所々所々ところどころ here and there; all about黒くくろく darkly; in silhouette立ってって standいる。その屋根屋根やね rooftopsがはっきり尽きるきる end; terminateところ places; locationsから明らかなあきらかな clearそら skyになる。ほし starsおびただしくおびただしく tremendously多いおおい numerous

美しいうつくしい beautiful空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながらながら looking at一間一間いっけん 1 ken (about 2 meters; about 2 yards)ばかり歩いたあるいた walked on突然突然とつぜん suddenly

「おい、きみ you (used here as form of address)」と三四郎を呼んだんだ called to。三四郎はまたさっきのはなし discussion続きつづき continuationかと思っておもって thought; assumed「なんだ」と答えたこたえた answered; replied

「君、こういう空を見てどんな感じかんじ feeling起こすこす evoke; awaken

与次郎に似合わぬ似合にあわぬ unbecoming of; uncharacteristicことを言った。無限無限むげん infinityとか永久永久えいきゅう eternityとかいう持ち合わせのわせの expected; anticipatedこたえ reply; responseはいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われるわらわれる be mocked; be ridiculedと思って三四郎は黙ってだまって remain silentいた。

「つまらんなあ我々我々われわれ we; usは。あしたから、こんな運動運動うんどう movement; initiativeをするのはもうやめにしようかしら。偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void書いていて write; composeなんの役にも立ちそうにもないなんのやくにもちそうにもない doesn't look to be of any use; serves no purpose

「なぜ急にそんな事そんなこと that kind of thingを言いだしたのか」

「この空を見ると、そういう考えになる。――君、おんな womanほれたほれた fall in loveことがあるか」

三四郎は即答即答そくとう immediate replyができなかった。

おんな women恐ろしいおそろしい terrible; frighteningものだよ」と与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)言ったった said; remarked

「恐ろしいものだ、ぼくも知ってって know; be aware ofいる」と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)も言った。すると与次郎が大きな声おおきなこえ loud voice笑いだしたわらいだした laughed静かなしずかな quiet; stillよる evening; nightなか middle ofでたいへん高く聞こえるたかこえる rang out loudly

「知りもしないくせに。知りもしないくせに」

三四郎は憮然としていた憮然ぶぜんとしていた be dispirited

「あすもよい天気天気てんき weatherだ。運動会運動会うんどうかい athletic competition; field dayはしあわせだ。きれいな女がたくさん来るる come; attend。ぜひ見にくるにくる come and watchがいい」

暗いくらい dark中を二人二人ふたり two (people)学生学生がくせい student集会所集会所しゅうかいじょ meeting place; assembly hallまえ front ofまで来たた came (to)。中には電燈電燈でんとう electric lights輝いてかがやいて shineいる。

木造木造もくぞう wooden廊下廊下ろうか hallway回ってまわって make a round (through)部屋部屋へや roomへはいると、そうそうそうそう early; promptly来たもの personsは、もうかたまっている。そのかたまりが大きいおおきい largeのと小さいちいさい smallのと合わせてわせて in total三つみっつ three (things)ほどある。なかには無言で無言むごんで in silence備え付けのそなけの provided; available (on the premises)雑誌雑誌ざっし magazines新聞新聞しんぶん newspaperを見ながら、わざとれつ formation離れてはなれて remove oneself fromいるのもある。はなし conversation方々方々ほうぼう here and there; all around聞こえるこえる could be heard。話のかず numberはかたまりの数より多いおおい numerousように思われるおもわれる seem。しかしわりあいにおちついて静かである。煙草煙草たばこ tobacco; cigaretteけむり smokeのほうが猛烈に猛烈もうれつに energetically; with spirit立ち上るあがる rise up

そのうちだんだん寄って来るってる gather; assemble黒いくろい black; darkかげ figures; formsやみ darknessの中から吹きさらしのきさらしの drafty; exposed to the wind廊下のうえ surfaceへ、ぽつりとぽつりと little by little; intermittently現われるあらわれる appearと、それが一人一人一人一人ひとりひとり one by one明るくなってあかるくなって be illuminated; step out of the darkness、部屋の中へはいって来る。時にはときには sometimes; on occasion五、六人六人ろくにん five or six (people)続けてつづけて in succession; in a row、明るくなることもある。が、やがて人数人数にんず (the expected) number of peopleはほぼそろった。

与次郎は、さっきから、煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来して往来おうらいして move back and forthいた。行くく go (to)ところ place; location何かなにか something小声小声こごえ low voice; whisperに話している。三四郎は、そろそろ運動運動うんどう movement; initiative始めたはじめた set about (doing); embarked (on)なと思ってながめていた。

しばらくすると幹事幹事かんじ secretary; coordinatorが大きな声で、みんなに席へ着けせきけ be seated; take a seatと言う。食卓食卓しょくたく dining tableはむろん前から用意ができて用意よういができて be preparedいた。みんな、ごたごたにごたごたに in confusion; all in a muddle席へ着いた。順序順序じゅんじょ order; procedureもなにもない。食事食事しょくじ dinner; the mealは始まった。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)熊本熊本くまもと Kumamoto (place name; Sanshirō's home region)赤酒赤酒あかざけ red sakéばかり飲んでんで drinkいた。赤酒というのは、ところ locale; regionでできる下等な下等かとうな inferior; low gradeさけ sakéである。熊本の学生学生がくせい studentsはみんな赤酒を飲む。それが当然当然とうぜん a given; a matter of course心得て心得こころえて regard as; take forいる。たまたまたまたま occasionally; once in a while飲食店飲食店いんしょくてん restaurant上がればがれば enter (up into)牛肉屋牛肉屋ぎゅうにくや beef houseである。その牛肉屋のぎゅう beef馬肉馬肉ばにく horse meatかもしれないという嫌疑嫌疑けんぎ doubt; suspicionがある。学生はさら dish; plate盛ったった be piledにく meat手づかみにしてづかみにして grab (in one's hand)座敷座敷ざしき (dining) room; parlorかべ wallたたきつけるたたきつける slap onto落ちればちれば fall off牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるでまじない magical riteみたようなこと act; actionをしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な紳士的しんしてきな gentlemanly; formal学生親睦会親睦会しんぼくかい social gathering; get-together珍しいめずらしい unusual; novel喜んでよろこんで with pleasureナイフとフォークを動かしてうごかして wield; workいた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。

「学生集会所集会所しゅうかいじょ meeting place; assembly hall料理料理りょうり food; cookingはまずいですね」と三四郎にとなり next to; adjacent (place)にすわったおとこ fellow話しかけたはなしかけた addressed (a person); struck up conversation。この男はあたま head坊主坊主ぼうず crew cut; close-cropped hair (lit: Buddhist priest)刈ってって cut金縁の金縁きんぶちの gold-rimmed眼鏡眼鏡めがね glassesをかけたおとなしい学生であった。

「そうですな」と三四郎は生返事なま返事へんじ vague answer; half-hearted replyをした。相手相手あいて the other party与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)なら、ぼくのようないなか者いなかもの country boy; provincial typeには非常に非常ひじょうに extremely; exceedinglyうまいと正直な正直しょうじきな honestところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉皮肉ひにく sarcasm聞こえるこえる sound like; be taken as悪いわるい no good; unbecoming思っておもって thought; consideredやめにした。するとその男が、

きみ youはどこの高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)ですか」と聞きだした。

「熊本です」

「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟従弟いとこ cousinもいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」

野蛮な野蛮やばんな barbaric; uncultured所です」

二人二人ふたり two (people)が話していると、向こうこう further offほう directionで、急にきゅうに suddenly高い声たかこえ loud voices; shrill voicesがしだした。見るる lookと与次郎が隣席隣席りんせき adjacent seats; surrounding seats二、三人三人さんにん several peopleを相手に、しきりに何かなにか something弁じてべんじて speak of; talk onいる。時々時々ときどき occasionally; from time to timeダーターファブラダーターファブラ Latin phrase 'de te fabula' from Horace's Satires. Broader meaning: don't laugh - change the names and the story applies to you.言うう said。なんの事だかわからない。しかし与次郎の相手は、この言葉言葉ことば words; phraseを聞くたびに笑いだすわらいだす break out laughing。与次郎はますます得意になって得意とくいになって be on a roll; be in high spirits、ダーターファブラ我々我々われわれ we; us新時代新時代しんじだい new age青年青年せいねん young menは……とやっている。三四郎の筋向こう筋向すじむこう diagonally oppositeにすわっていた色の白いいろしろい fair-complexioned; pale品のいいひんのいい refined学生が、しばらくナイフの hand休めてやすめて idle; give a rest、与次郎の連中連中れんちゅう party; groupをながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔悪魔あくま devil乗り移ってうつって possessいる)と冗談半分に冗談じょうだん半分はんぶんに half jokinglyフランス語フランス French (language)使った使つかった used。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、このとき time; momentビールのコップが四つつ four (things)ばかり一度に一度いちどに together; simultaneously高く上がったがった rose up。得意そうに祝盃をあげて祝盃しゅくはいをあげて drink a toastいる。

「あのひと personはたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)となり next to; adjacent (place)金縁眼鏡金縁きんぶち眼鏡めがね gold-rimmed glassesをかけた学生学生がくせい student言ったった said; remarked

「ええ。よくしゃべります」

「ぼくはいつか、あの人に淀見軒淀見軒よどみけん Yodomiken (shop in Hongō with restaurant in rear)ライスカレーライスカレー curry riceをごちそうになった。まるで知らないらない not know; not be acquainted withのに、突然突然とつぜん suddenly来てて approachきみ you (used here as form of address)淀見軒へ行こうこう let's goって、とうとう引っ張っていってっていって took to; dragged along to……」

学生はハハハと笑ったわらった laughed。三四郎は、淀見軒で与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)からライスカレーをごちそうになったものは自分自分じぶん oneselfばかりではないんだなと悟ったさとった learned; became aware of

やがてコーヒーが出るる be served一人一人ひとり one (person)椅子を離れて立った椅子いすはなれてった rose from (his) seat。与次郎が激しくはげしく vigorously手をたたくをたたく clap; applaudと、ほかのもの personsもたちまち調子を合わせた調子ちょうしわせた joined in; followed suit

立った者は、新しいあたらしい new黒のくろの black制服制服せいふく uniform着てて wearはな noseした belowにもうひげ mustacheをはやしている。背がすこぶる高いがすこぶるたかい be exceedingly tall。立つには恰好のよい恰好かっこうのよい of fine form; imposingおとこ fellowである。演説演説えんぜつ speech; addressめいためいた having the air of; seeming to beことを始めたはじめた began

我々我々われわれ we; us今夜今夜こんや this evening; tonightここへ寄ってって gather; come together懇親懇親こんしん friendship; camaraderieのために、一夕一夕いっせき one eveningかん enjoymentつくすつくす use to its utmost; partake fully ofのは、それ自身自身じしん itselfにおいて愉快な愉快ゆかいな joyous; happyこと act; happeningであるが、この懇親が単にたんに simply社交社交しゃこう socializingじょう regarding; with respect to意味意味いみ meaningばかりでなく、それ以外に以外いがいに in addition to一種一種いっしゅ a kind; a type重要な重要じゅうような important; momentous影響影響えいきょう influence; impact生じうるしょうじうる might give rise to偶然ながら偶然ぐうぜんながら by chance; unexpectedly気がついたらがついたら took notice of自分は立ちたくなった。この会合会合かいごう gathering; assemblyはビールに始まってコーヒーに終っておわって end; finishいる。まったく普通の普通ふつうの commonplace; ordinary会合である。しかしこのビールを飲んでんで drinkコーヒーを飲んだ四十人四十人よんじゅうにん forty (people)近くちかく nearly ...人間人間にんげん peopleは普通の人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己の自己じこの one's own運命運命うんめい fate; destiny膨脹膨脹ぼうちょう expansion; growth自覚しえた自覚じかくしえた were able to awaken to

政治政治せいじ politics自由自由じゆう freedom説いたいた urged; argued forのはむかし long agoの事である。言論言論げんろん speech; expressionの自由を説いたのも過去過去かこ pastの事である。自由とは単にこれらの表面表面ひょうめん surfaceにあらわれやすい事実事実じじつ truths; actualitiesのために専有されべき専有せんゆうされべき should be occupied; should be monopolized言葉言葉ことば word; phraseではない。我らわれら we; us新時代新時代しんじだい new age青年青年せいねん young men偉大なる偉大いだいなる great; mightyこころ mind; spiritの自由を説かねばならぬ時運時運じうん critical time; pivotal moment際会した際会さいかいした have met; have come face to face (with)信ずるしんずる believe

我々我々われわれ we; us古きふるき old; antiquated日本日本にほん Japan圧迫圧迫あっぱく pressure; oppression堪ええぬええぬ cannot endure青年青年せいねん young menである。同時に同時どうじに at the same time新しきあたらしき new; modern西洋西洋せいよう the West; the Occidentの圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間世間せけん the world; society発表せねばいられぬ発表はっぴょうせねばいられぬ must announce (to)状況状況じょうきょう situation; state of affairsのもとに生きてきて be livingいる。新しき西洋の圧迫は社会社会しゃかい societyの上においてうえにおいて with respect to; in relation to文芸文芸ぶんげい literatureの上においても、我ら新時代新時代しんじだい new ageの青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛苦痛くつう pain; burdenである。

我々は西洋の文芸を研究する研究けんきゅうする study; researchもの personsである。しかし研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従する屈従くつじゅうする submit; become subservientのとは根本的に根本的こんぽんてきに fundamentally相違相違そうい different; dissimilarがある。我々は西洋の文芸にとらわれんがためにとらわれんがために in order to be slave to; in order to be shackled by (= とらわれるために)、これを研究するのではない。とらわれたるとらわれたる are slave to; are shackled byこころ hearts; minds解脱せしめんがために解脱げだつせしめんがために in order to emancipate、これを研究しているのである。この方便方便ほうべん means; method合せざるあわせざる doesn't fit with; can't conform to文芸はいかなる威圧威圧いあつ coercionのもとにしいらるるしいらるる be forced uponとも学ぶまなぶ study; take lessons inこと act; actionあえてせざるあえてせざる boldly refuse (to do)自信自信じしん confidence決心決心けっしん determinationとを有してゆうして possess; be endowed withいる。

我々はこの自信と決心とを有するのてん pointにおいて普通の普通ふつうの ordinary人間人間にんげん peopleとは異なってことなって be different (from)いる。文芸は技術技術ぎじゅつ craft; techniqueでもない、事務事務じむ business matters; administrative dutiesでもない。より多くよりおおく more (than other things)人生人生じんせい human life; human existence根本義根本義こんぽんぎ fundamental meaning触れたれた touch on; deal with社会の原動力原動力げんどうりょく motive power; driving forceである。我々はこの意味意味いみ meaning; significanceにおいて文芸を研究し、この意味において如上の如上じょじょうの the aforementioned自信と決心とを有し、この意味において今夕今夕こんせき this evening会合会合かいごう gathering; assembly一般一般いっぱん ordinary; average以上以上いじょう more than; above and beyond重大なる重大じゅうだいなる important; momentous影響影響えいきょう effect; impact想見する想見そうけんする imagine; envisionのである。

社会は激しくはげしく violently; intensely動きつつあるうごきつつある is in motion。社会の産物たる産物さんぶつたる is a product (of)文芸もまた動きつつある。動く勢いいきおい vigor; forceに乗じてじょうじて taking advantage of; seizing the opportunity of、我々の理想理想りそう idealsどおりに文芸を導くみちびく guide; leadためには、零細なる零細れいさいなる small; insignificant個人個人こじん individuals団結して団結だんけつして unite; bring together自己の自己じこの one's own運命運命うんめい fate; destiny充実し充実じゅうじつし improve; enhance発展し発展はってんし develop; extend膨脹しなくてはならぬ膨脹ぼうちょうしなくてはならぬ must expand; must grow。今夕のビールとコーヒーは、かかるかかる concern; involve隠れたるかくれたる lie hidden; be dormant目的目的もくてき goal; objectiveを、一歩一歩いっぽ one stepまえ forward進めたすすめた advanced; furthered点において、普通のビールとコーヒーよりも百倍百倍ひゃくばい a hundred times以上のあたい valueある尊きとうとき precious; exaltedビールとコーヒーである。

演説演説えんぜつ speech; address意味意味いみ meaning; gistはざっとこんなものである。演説が済んだんだ finished; endedとき time; momentせき seatにあった学生学生がくせい studentsことごとくことごとく one and all喝采した喝采かっさいした applauded; cheered三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はもっとも熱心なる熱心ねっしんなる enthusiastic; passionate喝采者喝采者かっさいしゃ people applauding (something)一人一人ひとり one (person)であった。すると与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)突然突然とつぜん suddenly立ったった stood up; rose

ダーターファブラダーターファブラ Latin phrase 'de te fabula' from Horace's Satires. Broader meaning: don't laugh - change the names and the story applies to you.シェクスピヤシェクスピヤ Shakespeare使った使つかった used字数字数じかず number of words何万字何万字なんまんじ how many ten thousands (of words)だの、イブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)白髪白髪しらが gray hairsかず number何千本何千本なんぜんぼん how many thousandsだのと言ってたってってたって even if one can sayしかたがない。もっともそんなばかげた講義講義こうぎ lecture聞いたいた listen toってとらわれるとらわれる be caught up in; be taken with気づかいづかい worry; concernはないから大丈夫大丈夫だいじょうぶ don't worry (about that)だが、大学大学だいがく university気の毒どく is unbecoming of; is an affront toでいけない。どうしても新時代新時代しんじだい new age青年青年せいねん young men満足させる満足まんぞくさせる satisfyような人間人間にんげん personage引っ張って来なくっちゃってなくっちゃ must go out and recruit西洋人西洋人せいようじん Westernerじゃだめだ。第一第一だいいち first of all幅がきかないはばがきかない have no influence; have no clout。……」

満堂満堂まんどう the whole audienceはまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑ったわらった laughed。与次郎のとなり next to; neighboring (place)にいたもの personが、

「ダーターファブラのために祝盃をあげよう祝盃しゅくはいをあげよう raise a toast」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した賛成さんせいした seconded (an idea)。あいにくビールがみなから emptyである。よろしいと言って与次郎はすぐ台所台所だいどころ kitchenほう directionかけて行ったかけてった went running給仕給仕きゅうじ serving staffさけ saké持って出るってる brought; came out with。祝盃をあげるやいなや、

「もう一つ。今度今度こんど this time偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; voidのために」と言った者がある。与次郎の周囲周囲しゅうい proximityにいた者は声を合してこえあわして in unison、アハハと笑った。与次郎は頭をかいてあたまをかいて scratch one's head (in thought)いる。

散会散会さんかい adjournment時刻時刻じこく time; hour来てて came; arrived若いわかい youngおとこ menがみな暗いくらい darkよる nightなか middle; midst散ったった scattered; dispersed (into)時に、三四郎が与次郎に聞いた。

「ダーターファブラとはなんの事だなんのことだ what is the meaning of ...

ギリシア語ギリシア Greekだ」

与次郎はそれよりほかに答えなかったこたえなかった didn't answer。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しいうつくしい beautiful空をいただいてうち homes帰ったかえった returned (to)

あくる日あくる the next day予想のごとく予想よそうのごとく as predicted好天気好天気こうてんき fine weatherである。今年今年ことし this year例年例年れいねん usual; typical (year)より気候気候きこう weatherがずっとゆるんでいるゆるんでいる be mild (weather)。ことさらきょうは暖かいあたたかい warm三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)あさ morningのうち bath行ったった went to閑人閑人ひまじん person of leisure; person with time to kill少ないすくない few世の中なか world; society; timesだから、午前午前ごぜん morningはすこぶるすいている。三四郎は板の間いた wooden-floored room; bathhouse changing roomにかけてある三越三越みつこし Mitsukoshi (dry goods store; later department store)呉服店呉服店ごふくてん dry goods store看板看板かんばん signboard; advertisement見たた saw。きれいなおんな womanがかいてある。その女のかお faceがどこか美禰子美禰子みねこ Mineko (name)似てて resembleいる。よく見ると目つきつき expression (of the eyes)違ってちがって differentいる。歯並歯並はならび teethがわからない。美禰子の顔でもっとも三四郎を驚かしたおどろかした impressed upon; struckものは目つきと歯並である。与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)せつ opinionによると、あの女は反っ歯 buck teeth気味気味きみ a touch of; a shade ofだから、ああしじゅう teeth出るる be visibleんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えないそうはおもえない didn't think so。……

三四郎は湯につかってこんな事こんなこと these kinds of things考えてかんがえて think about; contemplateいたので、からだのほうはあまり洗わずにあらわずに without washing出たた came out; emerged。ゆうべから急にきゅうに suddenly新時代新時代しんじだい new age青年青年せいねん young manという自覚自覚じかく consciousness; self awareness強くなったつよくなった had grown strongerけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである。休みやすみ day offになるとほかのもの personsよりずっと楽にしてらくにして take it easyいる。きょうはひる noonから大学大学だいがく university陸上陸上りくじょう track and field (events)運動会運動会うんどうかい athletic meetを見に行く inclinationである。

三四郎は元来元来がんらい essentially; by natureあまり運動好き運動好うんどうずき athletic; physically activeではない。くに one's home countryにいるとき兎狩り兎狩うさぎがり rabbit hunting二、三度三度さんど several timesしたことがある。それから高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)端艇競漕端艇ボート競漕きょうそう rowing competitionとき time; occasion旗振り旗振はたふり flagman; starter (race)やく role; duty勤めたつとめた served asことがある。その時あお greenあか red間違えて間違まちがえて mix up; mistake振ってって waveたいへん苦情苦情くじょう complaint; grievanceが出た。もっとも決勝決勝けっしょう finals (competition)鉄砲鉄砲てっぽう gun打つつ fire (a gun)係りかかり person in charge教授教授きょうじゅ professorが鉄砲を打ちそくなったちそくなった failed to fire。打つには打ったがおと soundがしなかった。これが三四郎のあわてた原因原因げんいん causeである。それより以来それより以来いらい since then; since that time三四郎は運動会へ近づかなかったちかづかなかった stayed away from。しかしきょうは上京上京じょうきょう coming to Tōkyō以来はじめての競技会競技会きょうぎかい (athletic) competitionだから、ぜひ行ってみるつもりである。与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)もぜひ行ってみろと勧めたすすめた advised; encouraged (to do)。与次郎の言ううところによると according to ...競技より女のほうが見にゆく価値価値かち value; meritがあるのだそうだ。女のうちには野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんのいもうと (younger) sisterがいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationをしてみたい。

昼過ぎ昼過ひるすぎ afternoonになったから出かけたかけた departed; set out会場会場かいじょう venue; event site入口入口いりぐち entrance運動場運動場うんどうじょう athletic groundsみなみ south (side)のすみにある。大きなおおきな large日の丸まる Japanese flagとイギリスの国旗国旗こっき national flag交差してある交差こうさしてある were displayed together。日の丸は合点がいく合点がてんがいく made perfect senseが、イギリスの国旗はなんのためだかわからない。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)日英同盟日英同盟にちえいどうめい Anglo-Japanese Alliance (first established in 1902)のせいかとも考えたかんがえた thought; considered。けれども日英同盟と大学大学だいがく university陸上陸上りくじょう track and field (event)運動会運動会うんどうかい athletic meetとは、どういう関係関係かんけい connectionがあるか、とんと見当がつかなかったとんと見当けんとうがつかなかった had not the slightest idea

運動場は長方形長方形ちょうほうけい rectangular芝生芝生しばふ lawnである。あき autumn深いふかい be deep intoのでしば grassいろ colorがだいぶさめている。競技競技きょうぎ competition見るる watch; viewところ place西側西側にしがわ west sideにある。うしろ behind; (in) backに大きな築山築山つきやま artificial hill; bermをいっぱいに控えてひかえて hold; supportまえ frontは運動場のさく fence仕切られた仕切しきられた be partitioned offなか middleへ、みんなを追い込むむ drive into; corralしかけしかけ contrivance; setupになっている。狭いせまい narrow; confinedわりに見物人見物人けんぶつにん spectators; onlookers多いおおい numerousのではなはだ窮屈窮屈きゅうくつ constrained; uncomfortableである。さいわい日和日和ひより weatherがよいので寒くはないさむくはない wasn't cold。しかし外套外套がいとう coat着てて wearいるもの peopleがだいぶある。その代りそのかわり on the other hand; at the same timeかさ parasolをさして来たた came; arrivedおんな women; young ladiesもある。

三四郎が失望した失望しつぼうした was disappointedのは婦人席婦人席ふじんせき ladies' (seating) sectionべつ separateになっていて、普通の普通ふつうの general; common人間人間にんげん peopleには近寄れない近寄ちかよれない can't approachことであった。それからフロックコートや何かなにか something着た偉そうなえらそうな distinguished-lookingおとこ menがたくさん集ってあつまって be gathered自分自分じぶん oneself存外存外ぞんがい to an unexpected degree幅のきかないはばのきかない unimportant; lacking in influenceようにみえたことであった。新時代新時代しんじだい new age青年青年せいねん young manをもってみずからおる三四郎は少しすこし a little; a bit小さくなってちいさくなって feel diminished; be brought down (a level)いた。それでもひと personと人とのあいだ space; gapから婦人席のほう direction見渡す見渡みわたす look over; surveyことは忘れなかったわすれなかった didn't forgetよこ sideからだからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾って着飾きかざって dress up; be finely dressedいる。そのうえ遠距離遠距離えんきょり considerable distanceだからかお facesがみんな美しいうつくしい beautifulその代りそのかわり on the other handだれが目立って目立めだって notably; exceptionally美しいということもない。ただ総体総体そうたい the wholeが総体として美しい。女が男を征服する征服せいふくする overcome; subjugateいろ (pleasant) appearanceである。甲の女こうおんな one woman ...乙の女おつおんな ... another woman打ち勝つつ prevail over; triumph over色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら注意ちゅういしたら pay attention、どこかにいるだろうと思っておもって thought; considered、よく見渡すと、はたして前列前列ぜんれつ front rowのいちばん柵に近い所に二人二人ふたり two (people)並んでならんで be side by side; be togetherいた。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)目のつけ所のつけどころ point of interestがようやくわかったので、まず一段落一段落いちだんらく achievement of the first step; completion of an initial task告げたげた signaled; markedような feelingで、安心して安心あんしんして relax; feel relievedいると、たちまち五、六人六人ろくにん five or six (people)おとこ men目の前にまえに before one's eyes飛んで出たんでた came flying (into view)二百メートル二百にひゃくメートル 200 meter競走競走きょうそう race済んだんだ finishedのである。決勝点決勝点けっしょうてん finish line美禰子美禰子みねこ Mineko (name)よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)がすわっている真正面真正面まっしょうめん right in front ofで、しかも鼻の先はなさき right before one's noseだから、二人二人ふたり two (people)見つめてつめて gaze atいた三四郎の視線視線しせん line of sight; field of viewのうちにはぜひともこれらの壮漢壮漢そうかん valiant contendersがはいってくる。五、六人はやがて一二、三人一二じゅうに三人さんにん twelve or thirteen (people)にふえた。みんな呼吸をはずませて呼吸いきをはずませて be short of breathいるようにみえる。三四郎はこれらの学生学生がくせい students態度態度たいど manner; disposition自分の自分じぶんの one's own態度とを比べてくらべて compareみて、その相違相違そうい dissimilarity驚いたおどろいた was surprised (by)。どうして、ああ無分別に無分別むふんべつに recklessly; with abandonかける inclinationになれたものだろうと思ったおもった wondered。しかし婦人婦人ふじん ladiesれん party; company ofはことごとく熱心に熱心ねっしんに enthusiastically; intently見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎は自分も無分別にかけてみたくなった。一番一番いちばん number one; first到着した到着とうちゃくした finished (the race)もの personが、むらさき purple猿股猿股さるまた shortsをはいて婦人席のほう direction向いていて face; turn (toward)立ってって standいる。よく見ると昨夜昨夜さくや the prior evening親睦会親睦会しんぼくかい social gathering; get-together演説演説えんぜつ speech; addressをした学生に似てて resembleいる。ああ背が高くてはああたかくては being that tall一番になるはずである。計測係り計測けいそくがかり official in charge of measurement黒板黒板こくばん blackboard二十五秒七四二十五にじゅうごびょう七四ななよん 25.74 seconds書いたいた wrote; recorded書き終っておわって after recording余りのあまりの excess; left over白墨白墨はくぼく chalkを向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんであった。野々宮さんはいつになくいつになく unusually; uncharacteristicallyまっ黒なまっくろな solid blackフロックフロック frock coat着てて wearむね chest係り員かかいん official (staff)徽章徽章きしょう badgeをつけて、だいぶ人品がいい人品じんぴんがいい looking sharp。ハンケチを出してして take out洋服洋服ようふく coat (Western clothing)そで sleeve二、三度三度さんど several timesはたいたはたいた dusted offが、やがて黒板を離れてはなれて move away from芝生芝生しばふ lawn; grassうえ top of横切って来た横切よこぎってた cut across; traversed。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前まんまえ directly in front ofところ place出たた appeared低いひくい lowさく fence向こう側こうがわ other side; opposite sideからくび headを婦人席のなか inside延ばしてばして leaned forward (with)何かなにか something言ってって say; commentいる。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆくあるいてゆく walked over to。柵の向こうとこちらではなし conversation始めたはじめた beganように見える。美禰子は急にきゅうに suddenly振り返ったかえった turned around; looked back。うれしそうな笑いわらい smile; grinにみちたかお faceである。三四郎は遠くからとおくから from a distance一生懸命に一生懸命いっしょうけんめいに with utmost effort二人を見守って見守みまもって watch attentively; observeいた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行くってく approached。二人が三人三人さんにん three (people)になった。芝生の中では砲丸投げ砲丸ほうがんげ shot putが始まった。

砲丸投げ砲丸ほうがんげ shot putほどちから powerのいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとないたんとない few; not many (たんと = たくさん)。ただ文字どおり文字もじどおり exactly as stated砲丸砲丸ほうがん shot (cannon ball)投げるげる throwのである。げい skill; techniqueでもなんでもない。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんはさく fenceところ spot; placeで、ちょっとこの様子様子ようす scene; situation見てて look at; watch笑ってわらって laughいた。けれども見物見物けんぶつ watching; viewingのじゃまになると悪いわるい not good; in poor form思ったおもった thought; consideredのであろう。柵を離れてはなれて move away from芝生芝生しばふ grass; lawnなか middle引き取ったった withdrew (to)二人二人ふたり two (people)おんな women; young ladiesも、もとのせき seats復したふくした returned (to)。砲丸は時々時々ときどき from time to time投げられている。第一第一だいいち first off; for one thingどのくらい遠くとおく distantまでゆくんだか、ほとんど三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して我慢がまんして have patience; persevere立ってって standいた。ようやくのことで片がついたかたがついた was finished; was wrapped upとみえて、野々宮さんはまた黒板黒板こくばん blackboard十一メートル三八十一じゅういちメートル三八さんはち 11.38 meters書いたいた wrote; recorded

それからまた競走競走きょうそう raceがあって、長飛び長飛ながとび long jumpがあって、そのつぎ nextには槌投げつちげ hammer throw始まったはじまった started。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱辛抱しんぼう patience; enduranceがしきれなくなった。運動会運動会うんどうかい athletic competition; field dayめいめいめいめい one by one; individuallyかってに開くひらく hold; conductべきものである。ひと people; a person見せべきせべき should be shown (to)ものではない。あんなものを熱心に熱心ねっしんに enthusiastically; intently見物する女はことごとく間違って間違まちがって be unreasonable; be irrationalいるとまで思い込んでおもんで conclude; be convinced会場会場かいじょう venue; event site抜け出してして slip away fromうら back side築山築山つきやま artificial hill; bermの所まで来たた came (to)まく curtain; tarp張ってって stretch; suspendあって通れないとおれない could not pass (through)引き返してかえして turn back; retrace one's steps砂利砂利じゃり gravel敷いていて spreadある所を少しすこし a little; a bit来ると、会場から逃げたげた stole away (from)人がちらほらちらほら here and there; in twos and threes歩いてあるいて walk; strollいる。盛装した盛装せいそうした lavishly dressed婦人婦人ふじん ladiesも見える。三四郎はまたみぎ right折れてれて turned (toward)爪先上り爪先上つまさきのぼり ascending pathおか hill; heightのてっぺんまで来た。みち pathはてっぺんで尽きてきて run out; come to an endいる。大きなおおきな largeいし boulderがある。三四郎はそのうえ top of腰をかけてこしをかけて sit down; seat oneself高いたかい tall; highがけ cliffした below; beneathにあるいけ pondをながめた。下の運動会場でわあというおおぜいのこえ (sound of) voicesがする。

三四郎はおよそ五分五分ごふん five minutesばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動くうごく move; set out inclinationになったので腰を上げてこしげて get up (from sitting)、立ちながらくつ shoesかかと heels向け直すなおす turn; shiftと、丘の上りぎわのぼりぎわ initial rise (start of a slope)の、薄くうすく thinly; faintly色づいたいろづいた colored紅葉紅葉もみじ maple leavesあいだ interval; midstに、さっきの女のかげ shape; formが見えた。並んでならんで side by side; together丘のすそ skirt; foot (of a hill)を通る。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)うえ aboveから、二人二人ふたり two (people)見おろしておろして look down onいた。二人はえだ branchesすき gap; space (between)から明らかなあきらかな clear; bright日向日向ひなた sunlight出て来たた emerged (into)黙ってだまって remain quietいると、まえ ahead通り抜けてとおけて pass through; pass onしまう。三四郎は声をかけようこえをかけよう call out toかと考えたかんがえた considered距離距離きょり distanceがあまり遠すぎるとおすぎる too far急いでいそいで hurriedly二、三歩三歩さんぽ several stepsしば grassの上をすそ skirt; foot (of a hill)ほう direction降りたりた descended降り出すす begin to descendといいぐあいにおんな young ladies一人一人ひとり one (person)がこっちを向いていて turn (toward)くれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくないごきげんをとりたくない was not in the mood to curry favor with運動会運動会うんどうかい athletic competition; field day少しすこし a little; a bit癪にさわってしゃくにさわって chafe at; irritateいる。

「あんなところ place; locationに……」とよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)言いだしたいだした spoke out; spoke up驚いておどろいて in surprise笑ってわらって smile; laughいる。この女はどんな陳腐な陳腐ちんぷな commonplaceものを見ても珍しそうめずらしそう taking great interest; finding fascination目つきつき (facial) expressionをするように思われるおもわれる seemed to ...その代りそのかわり at the same time; on the other hand、いかな珍しいものに出会って出会であって come across; encounterも、やはり待ち受けてけて wait for; expectいたような目つきで迎えるむかえる greetかと想像される想像そうぞうされる (it) could be imagined that ...。だからこの女に会うう meet; encounter重苦しい重苦おもくるしい heavy; oppressiveところが少しもなくって、しかもおちついた感じかんじ feeling起こるこる occur; come about。三四郎は立ったままったまま still standing、これはまったく、この大きなおおきな large常につね always; constantlyぬれている、黒いくろい blackひとみ pupilsのおかげだと考えた。

美禰子美禰子みねこ Mineko (name)留まったまった stopped。三四郎を見た。しかしその目はこのとき time; occasionにかぎって何物をも訴えていなかった何物なにものをもうったえていなかった made no appeal; communicated no discord。まるで高いたかい tall treeをながめるような目であった。三四郎はこころ heart; mindのうちで、 fire; flame消えたえた gone out; extinguishedランプを見る心持ち心持こころもち feelingがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かないうごかない didn't move

「なぜ競技競技きょうぎ competition御覧にならない御覧ごらんにならない not watchingの」とよし子がした belowから聞いたいた asked

いま (just) nowまで見ていたんですが、つまらないからやめて来たのです」

よし子は美禰子を顧みたかえりみた looked back at。美禰子はやはり顔色顔色かおいろ countenance; expressionを動かさない。三四郎は、

「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に熱心ねっしんに intently; ardently見ていたじゃありませんか」と当てたてた pressedような当てないようなことを大きな声おおきなこえ loud voice; strong voiceで言った。美禰子はこの時はじめて、少しすこし a little; a bit笑ったわらった smiled; grinned。三四郎にはその笑いの意味意味いみ meaningがよくわからない。二歩二歩にほ two stepsばかり女の方に近づいたちかづいた approached

「もううち home帰るかえる return (home)んですか」

おんな young ladies二人二人ふたり two (people)とも答えなかったこたえなかった didn't answer三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はまた二歩二歩にほ two stepsばかり女のほう direction近づいたちかづいた approached

「どこかへ行くく go (to)んですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子美禰子みねこ Mineko (name)小さな声ちいさなこえ low voice; soft voice言うう answered; replied。よく聞こえないこえない couldn't hear; couldn't make out。三四郎はとうとう女のまえ front ofまで降りて来たりてた came down (to)。しかしどこへ行くとも追窮もしないで追窮ついきゅうもしないで without inquiring立ってって standいる。会場会場かいじょう venue; event siteの方で喝采喝采かっさい acclamation; cheersの声が聞こえる。

高飛び高飛たかとび high jumpよ」とよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)が言う。「今度今度こんど this time何メートルなんメートル what height (how many meters)になったでしょう」

美禰子は軽くかるく lightly笑ったわらった smiledばかりである。三四郎も黙ってだまって remain silentいる。三四郎は高飛びに口を出すくちす comment onのをいさぎよしとしないいさぎよしとしない disdain (to do)つもりである。すると美禰子が聞いた。

「このうえ topには何かなんか somethingおもしろいものがあって?」

この上にはいし boulderがあって、がけ cliffがあるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いうたがい doubt残したのこした left (room for)ように言った。

「ちょいと上がってがって go up; climbみましょうか」よし子が、快くこころよく cheerfully言う。

「あなた、まだここを御存じない御存ごぞんじない not be familiar withの」と相手相手あいて companionの女はおちついて出たた replied; countered

「いいからいらっしゃいよ」

よし子はさき ahead上るのぼる went up; ascended。二人はまたついて行った。よし子はあし feet; legs芝生芝生しばふ grassのはしまで出してして put out (as far as)振り向きながらきながら turning to look back

絶壁絶壁ぜっぺき precipice; sheer dropね」と大げさなおおげさな grandiose; exaggerated言葉言葉ことば words使った使つかった used。「サッフォーサッフォー Sappho (female Greek lyric poet; ~630-570 BCE; according to one legend, ended her life by jumping off Leucadian cliffs)でも飛び込みそうみそう jump into; dive intoところ place; locationじゃありませんか」

美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

わたし me? 飛び込みましょうか。でもあんまりみず waterがきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来たかえってた came back (toward)

やがて女二人のあいだに用談用談ようだん discussion (of the matter at hand)始まったはじまった began

「あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待ってって waitいらっしゃい」

「そうね」

なかなか片づかないかたづかない not be settled; not be decided三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)聞いていて askみると、よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)病院病院びょういん hospital看護婦看護婦かんごふ nurseのところへ、ついでだから、ちょっとれい greetings; respects行ってくるってくる go and ...んだと言うう explained美禰子美禰子みねこ Mineko (name)はこのなつ summer自分自分じぶん oneself親戚親戚しんせき relative; relation入院して入院にゅういんして be hospitalizedいたとき time; occasion近づきになったちかづきになった became close with看護婦を尋ねればたずねれば visit; call on尋ねるのだが、これは必要必要ひつよう necessityでもなんでもないのだそうだ。

よし子は、すなおすなお frank; candid気の軽いかるい lighthearted; easy goingおんな girlだから、しまいに、すぐ帰って来ますかえってます return; come back言い捨てててて say in parting早足早足はやあし quick steps一人一人ひとり aloneおか hill降りて行ったりてった went down; descended止めるめる stop; call backほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件事件じけん matter; affairでもないので、二人二人ふたり two (people)はしぜん後にのこるあとにのこる remain behindわけになった。二人の消極な消極しょうきょくな passive態度態度たいど disposition; natureからいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

三四郎はまたいし boulder腰をかけたこしをかけた sat down (on)。女は立ってって standいる。あき autumn sunかがみ mirrorのように濁ったにごった muddiedいけ pondうえ surface落ちたちた fell (on)なか middle小さなちいさな smallしま islandがある。島にはただ二本の木二本にほん two treesがはえている。青いあおい greenまつ pine tree薄いうすい pale; faded紅葉紅葉もみじ maple (leaves)がぐあいよくえだ branchesかわし合ってかわしって cross; intersect (with each other)箱庭箱庭はこにわ box gardenおもむき appearance; aspectがある。島を越してして move past; move beyond向こう側こうがわ far side突き当りあたり end; stopこんもりとこんもりと thickly; denselyどす黒くどすぐろく darkly; duskily光ってひかって glisten; reflectいる。女は丘の上からその暗いくらい dark木陰木陰こかげ shade of tree branches指さしたゆびさした pointed to

「あの木を知ってって know of; be familiar withいらしって」と言う。

「あれはしい chinquapin oak

女は笑い出したわらした laughed

「よく覚えておぼえて rememberいらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたがいま now; at present尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うちがう differentんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇団扇うちわ (round) fan持ってって have; hold立っていたのは」

二人二人ふたり two (people)のいるところ place; location高くたかく at a heightいけ pondなか middle突き出してして jut out (into)いる。このおか hillとはまるでえん connectionのない小山小山こやま hill; knoll一段一段いちだん one level; one rank低くひくく low右側右側みぎがわ right side走ってはしって runいる。大きなおおきな largeまつ pine trees御殿御殿ごてん mansion; estate building一角一角ひとかど one cornerと、運動会運動会うんどうかい athletic competition; field dayまく curtain; tarp一部一部いちぶ a part ofと、なだらかななだらかな gently-sloping芝生芝生しばふ lawn見えるえる were visible

熱いあつい hot dayでしたね。病院病院びょういん hospitalがあんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたてきた came outの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんに会ってって meet、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって心細こころぼそくなって feeling lonely; feeling disheartened

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけていかけて start to explain美禰子美禰子みねこ Mineko (name)かお faceを見たが、急にきゅうに suddenly話頭話頭わだい topic (of conversation)転じたてんじた shifted; altered

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いてたいへんはたらいて work hardいますね」

「ええ、珍しくめずらしく uncharacteristicallyフロックコートフロックコート frock coatお着になってになって wear――ずいぶん御迷惑御迷惑ごめいわく encumbered; inconveniencedでしょう。あさ morningからばん evening; nightまでですから」

「だってだいぶ得意得意とくい self-satisfiedのようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

「だって、まさか運動会の計測係り計測係けいそくがかり official in charge of measurementになって得意になるようなかたでもないでしょう」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何かなにか something話してはなして talk; converseいましたね」

会場会場かいじょう venue; event siteで?」

「ええ、運動会のさく fenceの所で」と言ったが、三四郎はこのとい questionを急に撤回撤回てっかい withdrawal; retractionしたくなった。おんな she; the young ladyは「ええ」と言ったまま男のおとこの his顔をじっと見ている。少しすこし a little; a bit下唇下唇したくちびる lower lipそらしてそらして bend; curl笑いかけてわらいかけて show a smileいる。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとしたまぎらそうとした was about to change the subjectとき time; momentに、女は口を開いたくちひらいた spoke

「あなたはまだこのあいだの絵はがきはがき picture postcard返事返事へんじ responseをくださらないのね」

三四郎はまごつきながらまごつきながら flustered; caught off guard「あげます」と答えたこたえた answered。女はくれともなんとも言わない。

「あなた、原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんという画工画工えかき painter; artist御存じ御存ごぞんじ know of; be familiar with?」と聞き直したなおした followed with a further question

知りませんりません don't know

「そう」

「どうかしましたか」

「なに、その原口さんが、きょう見に来てて come to seeいらしってね、みんなを写生して写生しゃせいして sketch; drawいるから、私たちわたしたち we; us用心しないと用心ようじんしないと if (we're) not carefulポンチポンチ caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)にかかれるからって、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんがわざわざ注意して注意ちゅういして caution; warnくだすったんです」

美禰子美禰子みねこ Mineko (name)はそばへ来て腰をかけたこしをかけた sat down三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)自分自分じぶん oneselfがいかにも愚物愚物ぐぶつ foolのような feelingがした。

よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)さんはにいさんといっしょに帰らないかえらない (not) return homeんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私のうち houseにいるんですもの」

三四郎はそのとき time; occasionはじめて美禰子から野々宮のおっかさんがくに country; one's native placeへ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に同時どうじに at the same time大久保大久保おおくぼ Ōkubo (place name)引き払ってはらって clear out of; vacate、野々宮さんは下宿下宿げしゅく lodgingsをする、よし子は当分当分とうぶん for the time being; for a while美禰子の家から学校学校がっこう school通うかよう commute (to)ことに、相談がきまった相談そうだんがきまった was agreed; was settledんだそうである。

三四郎はむしろ野々宮さんの気楽な気楽きらくな easy going; happy-go-luckyのに驚いたおどろいた was surprised at。そうたやすくたやすく simply; easily下宿生活生活せいかつ living; lifestyleにもどるくらいなら、はじめから家を持たないたない not haveほうがよかろう。第一第一だいいち first of all; to begin withなべ potsかま kettle手桶手桶ておけ pail; bucketなどという世帯道具世帯しょたい道具どうぐ household wares始末始末しまつ disposition; dealingsはどうつけたろうと、よけいなことまで考えたかんがえた thought about; consideredが、口に出して言うくちしてう verbalize; make a remarkほどのことでもないから、べつだんの批評批評ひひょう commentary加えなかったくわえなかった didn't add。そのうえ、野々宮さんが一家一家いっか household主人主人あるじ head (of a household)から、あともどりをして、ふたたび純書生じゅん書生しょせい true student同様な同様どうような identical; equal to生活状態状態じょうたい situation; circumstances復するふくする revert toのは、とりもなおさずとりもなおさず in other words家族家族かぞく family制度制度せいど systemから一歩一歩いっぽ one step; one level遠のいたとおのいた moved away from同じおなじ the sameことで、自分にとっては、目前目前もくぜん before one's eyes; close at hand迷惑迷惑めいわく trouble; concern少しすこし a little; a bit長距離長距離ちょうきょり further distance引き移したうつした moved; shifted (to)ような好都合好都合こうつごう expedience; convenienceにもなる。その代りそのかわり at the same time; on the other handよし子が美禰子の家へ同居して同居どうきょして reside with (someone)しまった。この兄妹兄妹きょうだい brother and sister絶えずえず constantly往来して往来おうらいして visit; associateいないと治まらないおさまらない can't be at peace; can't be satisfiedようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係関係かんけい connection次第次第に次第次第しだいしだいに gradually; bit by bit移ってうつって change; evolveくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久に永久えいきゅうに permanently; for goodやめる時機時機じき opportunity; chanceがこないともかぎらない。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)あたま head; mindのなかに、こういう疑いうたがい doubt; uncertaintyある未来未来みらい futureを、描きながらえがきながら draw; depict美禰子美禰子みねこ Mineko (name)応対をして応対おうたいをして deal with; keep companyいる。いっこうに気が乗らないらない not be engaged; not find interest in。それを外部の外部がいぶの external; superficial態度態度たいど manner; behaviorだけでも普通普通ふつう usual; alwaysのごとくつくろおうとすると苦痛苦痛くつう pain; discomfortになってくる。そこへうまいぐあいによし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)帰ってきてかえってきて came back; returnedくれた。女同志のあいだおんな同志どうしのあいだ among the young ladiesには、もう一ぺんもういっぺん one more time競技競技きょうぎ competition見に行こうこう go and watchかという相談相談そうだん discussionがあったが、短くなりかけたみじかくなりかけた had grown shorterあき autumn dayがだいぶ回ったまわった run its course; be pastのと、回るにつれて、広いひろい wide; open戸外戸外こがい outdoors肌寒肌寒はださむ autumn chillがようやく増してくるしてくる increase; intensifyので、帰ることに話がきまるはなしがきまる settled; decided (upon)

三四郎も女連おんなれん the ladies別れてわかれて separate (from); take leave of下宿下宿げしゅく lodgingsへもどろうと思ったおもった thought toが、三人三人さんにん three (people)が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したあるした set off walkingものだから、きわだったきわだった clear-cut挨拶挨拶あいさつ salutationをする機会機会きかい chance; opportunityがない。二人二人ふたり two (people)自分自分じぶん oneself引っ張ってって pull; drag alongゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついていけ pondはた edge図書館図書館としょかん libraryよこ side (of)から、方角違い方角ほうがくちがい wrong direction赤門赤門あかもん Red Gateほう direction向いていて turn; head (toward)きた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

お兄いさんあにいさん (your) older brotherは下宿をなすったそうですね」と聞いたらいたら asked、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんのところ place押しつけてしつけて push; force (on)おいて。ひどいでしょう」と同意同意どうい sympathy求めるもとめる seek; wish forように言ったった replied。三四郎は何かなにか something返事返事へんじ answerをしようとした。そのまえに美禰子が口を開いたくちひらいた spoke

宗八宗八そうはち Sōhachi (Nonomiya's first name)さんのようなかたは、我々我々われわれ we; us考えかんがえ reckoning; way of thinkingじゃわかりませんよ。ずっと高いたかい elevated; lofty所にいて、大きなおおきな great; importantこと affairs; mattersを考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんをほめだした。よし子は黙ってだまって remain silent聞いている。

学問学問がくもん scholarship; researchをするひと personsがうるさい俗用俗用ぞくよう worldly matters避けてけて avoid、なるべく単純な単純たんじゅんな simple; austere生活生活せいかつ lifestyleにがまんするのは、みんな研究研究けんきゅう research; studiesのためやむをえないんだからしかたがない。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)のような外国外国がいこく foreign landsにまで聞こえるこえる be heard; make an impressionほどの仕事仕事しごと workをする人が、普通の普通ふつうの ordinary学生学生がくせい student同様な同様どうような identical; equal to下宿下宿げしゅく lodgingsにはいっているのも必竟必竟ひっきょう in the end; in short野々宮が偉いえらい eminent; distinguishedからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬尊敬そんけい respect; esteemしなくってはならない。――美禰子美禰子みねこ Mineko (name)の野々宮に対するたいする with regard to賛辞賛辞さんじ compliment; praiseのつづきは、ざっとこうである。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)赤門赤門あかもん Red Gateところ place; location二人二人ふたり two (people)別れたわかれた parted (from); took leave (of)追分追分おいわけ Oiwake (place name)ほう direction足を向けながらあしけながら heading toward考えだしたかんがえだした began to think。――なるほど美禰子の言ったった said; expoundedとおりである。自分自分じぶん oneselfと野々宮を比較して比較ひかくして compareみるとだいぶだん grade; rank違うちがう be different。自分は田舎田舎いなか the countryから出てて arrive大学大学だいがく universityへはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識見識けんしき views; insightsという見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないけえない cannot receiveのは当然当然とうぜん natural; reasonableである。そういえばなんだか、あのおんな young ladyからばかにされているようでもある。さっき、運動会運動会うんどうかい athletic meetはつまらないから、ここにいると、おか hillうえ top of答えたこたえた answeredとき time; occasionに、美禰子はまじめなかお face; (facial) expressionをして、この上には何かなにか somethingおもしろいものがありますかと聞いたいた asked。あの時は気がつかなかったがつかなかった took no notice; didn't realize (it)が、いま解釈して解釈かいしゃくして explain; interpretみると、故意に故意こいに purposely; intentionally自分を愚弄した愚弄ぐろうした mocked; ridiculed言葉言葉ことば words; expressionかもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度態度たいど attitude; behavior言語言語げんご language; words一々一々いちいち one by one繰り返してかえして review; go overみると、どれもこれもみんな悪いわるい unfavorable意味意味いみ meaning; nuanceがつけられる。三四郎は往来往来おうらい streetまん中まんなか middle (of)まっ赤まっ bright redになってうつむいた。ふと、顔を上げるげる lift; raiseと向こうから、与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)とゆうべのかい gathering; assembly演説演説えんぜつ speech; addressをした学生が並んでならんで together; side by side来たた came; approached。与次郎は首を縦に振ったくびたてった noddedぎり黙ってだまって remain silentいる。学生は帽子帽子ぼうし hat; capをとってれい greeting; salutationをしながら、

昨夜昨夜さくや last nightは。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑ってわらって grinned; laughed行き過ぎたぎた passed on; went by