もん gateをはいると、このあいだのはぎ Japanese bush cloverが、人のひとの a person'sたけ height; statureより高くたかく high茂ってしげって grow thickly; grow vigorouslyかぶ tree; shrub roots黒いくろい black; darkかげ shadowができている。この黒い影が earth; groundうえ top ofをはって、おく interiorほう directionへゆくと、見えなくなるえなくなる disappear leafと葉の重なるかさなる be piled (on top of each other); overlapうら behind; back sideまで上ってくるあがってくる rise upようにも思われるおもわれる it seemed that ...。それほどおもて front sideには濃いい thick; strong sun; sunshineがあたっている。手洗水手洗水ちょうず hand washing water (usually 手水ちょうず)のそばに南天南天なんてん nanten plant (a type of evergreen shrub)がある。これも普通普通ふつう usual; ordinaryよりは背が高いたかい tall三本三本さんぼん three (strands; branches)寄ってって come togetherひょろひょろしている。葉は便所便所べんじょ toiletまど windowの上にある。

萩と南天のあいだ interval; space between椽側椽側えんがわ veranda少しすこし a little; a bit見える。椽側は南天を基点基点きてん origin; reference pointとしてはすにはすに at an angle向こうこう beyond; away走ってはしって run; spanいる。萩の影になったところ place; areaは、いちばん遠いとおい distantはずれになる。それで萩はいちばん手前手前てまえ foreground; this side (of)にある。よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけてこしをかけて sit; be seated

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は萩とすれすれに立ったった stood; stopped。よし子はえん verandaから腰を上げたこしげた stood up; got up (from)あし feet平たいひらたい flat; smoothいし stoneの上にある。三四郎はいまさらいまさら even now; still nowその背の高いのに驚いたおどろいた was surprised

「おはいりなさい」

依然として依然いぜんとして as usual; as always三四郎を待ち設けたもうけた waited for; was expectingような言葉づかい言葉ことばづかい manner of speakingである。三四郎は病院病院びょういん hospital当時当時とうじ that time思い出したおもした remembered。萩を通り越してとおして pass by椽鼻椽鼻えんばな edge of the verandaまで来たた came (to)

お掛けなさいけなさい sit down; have a seat

三四郎はくつ shoesをはいている。命のごとくめいのごとく as requested腰をかけた。よし子は座蒲団座蒲団ざぶとん sitting cushion取って来たってた went and got

お敷きなさいきなさい use this (lit: set, or spread, this out)

三四郎は蒲団蒲団ふとん cushionを敷いた。門をはいってから、三四郎はまだ一言一言ひとこと a single wordくち mouth開かないひらかない not open。この単純な単純たんじゅんな simple; uncomplicated少女少女しょうじょ girl; young ladyはただ自分自分じぶん oneself思うとおりおもうとおり as (one) thinks; as occurs to oneを三四郎に言うう say; speakが、三四郎からは毫もごうも (not) in the least返事返事へんじ response求めていないもとめていない not demand; not wish forように思われる。三四郎は無邪気なる無邪気むじゃきなる innocent; guileless女王女王じょおう queenまえ front of出たた appeared心持ち心持こころもち feelingがした。命を聞くく listen toだけである。お世辞世辞せじ flattery使う使つかう use; apply必要必要ひつよう necessityがない。一言でも先方先方せんぽう the other party feelings; thoughts迎えるむかえる greet; welcomeようなこと fact; thingをいえば、急にきゅうに suddenly卑しくなるいやしくなる become base; become vulgar唖のおしの mute; speechless奴隷奴隷どれい slave; servantのごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快愉快ゆかい happy; contentである。三四郎は子供子供こども childのようなよし子から子供扱いあつかい treatment; being treated as ...にされながら、少しもわが自尊心自尊心じそんしん self-respect; pride傷つけたきずつけた be injured; be damagedとは感じえなかったかんじえなかった couldn't feel that ...

あに (older) brotherですか」とよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)はそのつぎ next聞いたいた asked

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)尋ねて来たたずねてた came to see; called onわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)にもじつはわからないのである。

「野々宮さんはまだ学校学校がっこう universityですか」

「ええ、いつでもよる eveningおそくでなくっちゃ帰りませんかえりません doesn't come home

これは三四郎も知ってって know; be aware ofこと factである。三四郎は挨拶挨拶あいさつ opening (of a conversation)窮したきゅうした was at a loss (for)見るる look椽側椽側えんがわ veranda絵の具箱具箱ぐばこ paint set; painting supply boxがある。かきかけた水彩水彩すいさい watercolor paintingがある。

 paintingお習いですかならいですか are you learning to ...

「ええ、好きだきだ like to ...; enjoy ...からかきます」

先生先生せんせい teacherはだれですか」

「先生に習うほどじょうずじゃないの」

ちょっと拝見ちょっと拝見はいけん can I see; mind if I look

「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎のほう direction出すす hold out; present。なるほど自分の自分じぶんの one's ownうちのにわ yard; gardenがかきかけてある。そら skyと、まえ in front ofうち houseかき persimmon treeと、はいり口はいりぐち entranceはぎ bush cloverだけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くあかく redできている。

「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言うう said; remarked

「これが?」とよし子は少しすこし a little; a bit驚いたおどろいた be surprised本当に本当ほんとうに really; truly驚いたのである。三四郎のようなわざとらしいわざとらしい affected; forced調子調子ちょうし tone; manner (of speaking)は少しもなかった。

三四郎はいまさら自分の言葉言葉ことば words冗談冗談じょうだん joke; jestにすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑軽蔑けいべつ scorn; contemptされそうである。三四郎は絵をながめながら、腹の中ではらなかで to oneself; secretly赤面した赤面せきめんした turned red; became embarrassed

椽側から座敷座敷ざしき living room見回す見回みまわす look aroundと、しんと静かしずか quiet; stillである。茶の間ちゃ tea room; hearth roomはむろん、台所台所だいどころ kitchenにもひと person; peopleはいないようである。

「おっかさんはもうお国くに the country; one's hometownへお帰りになったんですか」

「まだ帰りません。近いうちにちかいうちに soon立つつ leave; departはずですけれど」

いま now; at present、いらっしゃるんですか」

「今ちょっと買物買物かいもの shopping出ましたました went out

「あなたが里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)さんのところ place; residenceお移りになるうつりになる move; relocate (to)というのは本当ですか」

「どうして」

「どうしてって――このあいだ広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaの所でそんなはなし talkがありましたから」

「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」

三四郎は少しく要領を得た要領ようりょうた got to the point (of his visit)

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんはもとから里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)さんと御懇意御懇意ごこんい friendship; familiarityなんですか」

「ええ。お友だちともだち friendなの」

おとこ maleおんな femaleの友だちという意味意味いみ meaningかしらと思ったおもった wonderedが、なんだかおかしい。けれども三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)それ以上それ以上いじょう beyond that; any further聞きえなかったきえなかった wasn't able to inquire

広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaは野々宮さんのもとの先生だそうですね」

「ええ」

はなし talk; conversationは「ええ」でつかえたつかえた was obstructed; was choked

「あなたは里見さんのところ place; residenceへいらっしゃるほうがいいんですか」

わたし me? そうね。でも美禰子美禰子みねこ Mineko (name)さんのお兄あにいさん older brother (usually おにいさん)にお気の毒ですにおどくです it's too bad for ...; (I) feel bad for ...から」

「美禰子さんのにいさんがあるんですか」

「ええ。うちの兄と同年同年どうねん same year卒業卒業そつぎょう graduationなんです」

「やっぱり理学士理学士りがくし scientistですか」

「いいえ、 department; college違いますちがいます different法学士法学士ほうがくし lawyer; law school graduateです。そのまた上のうえの older兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くはやく early; soonおなくなりになって、いま now; at presentでは恭助恭助きょうすけ Kyōsuke (name)さんだけなんです」

「おとっさんやおっかさんは」

よし子よし Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)少しすこし a little; a bit笑いながらわらいながら smile; laugh

「ないわ」と言ったった said; replied。美禰子の父母父母ふぼ father and mother; parents存在存在そんざい existence想像する想像そうぞうする imagineのは滑稽滑稽こっけい comical; absurdであるといわぬばかりである。よほど早く死んだんだ passed awayものとみえる。よし子の記憶記憶きおく memoryにはまるでないのだろう。

「そういう関係関係かんけい connectionで美禰子さんは広田先生のうち house; residence出入をなさる出入でいりをなさる be a visitor (to); call onんですね」

「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良し仲良なかよし close (friendship)だったそうです。それに美禰子さんは英語英語えいご English好きだきだ be fond of ...; have a liking for ...から、時々時々ときどき sometimes; occasionally英語を習いならい learn; studyにいらっしゃるんでしょう」

「こちらへも来ますます come (to); visitか」

よし子はいつのまにか、水彩画水彩画すいさいが watercolor painting続きつづき continuationかき始めたかきはじめた began to draw; began to paint。三四郎がそばにいるのがまるで tension; anxietyになっていない。それでいて、よく返事返事へんじ answerをする。

「美禰子さん?」と聞きながら、かき persimmon treeした beneathにある藁葺屋根藁葺わらぶき屋根やね thatched roofかげ shadow; shadingをつけたが、

「少し黒すぎますくろすぎます too darkね」と paintingを三四郎のまえ front of出したした held out; presented。三四郎は今度今度こんど this time正直に正直しょうじきに honestly

「ええ、少し黒すぎます」と答えたこたえた answered。すると、よし子は画筆画筆えふで paint brushみず water含ませてふくませて add to; take up (with)、黒い所を洗いながらあらいながら wet; dilute

「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。

「たびたび?」

「ええたびたび」とよし子は依然として依然いぜんとして as before画紙画紙がし drawing paper向かってかって facing; turning (toward)いる。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答問答もんどう questions and answers; dialogがたいへんらく easy; relaxedになった。

しばらく無言のまま無言むごんのまま without speaking paintingのなかをのぞいていると、よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)たんねんにたんねんに carefully; painstakingly藁葺屋根藁葺わらぶき屋根やね thatched roof黒いくろい black; darkかげ shadow洗ってあらって wet; thin; wash (out)いたが、あまりみず water多すぎたおおすぎた too muchのと、ふで brush使い方使つかかた manner of using; techniqueがなかなか不慣れ不慣ふなれ inexperienced; unpracticedなので、黒いものがかってに四方四方しほう all directions浮き出してして appeared; emerged、せっかく赤くあかく redできたかき persimmonsが、陰干の陰干かげぼしの shade-dried渋柿渋柿しぶがき sour persimmon; tart persimmonのようないろ colorになった。よし子は画筆画筆えふで paint brush hand休めてやすめて rest両手両手りょうて both hands伸ばしてばして stretched; extendedくび neck; headをあとへ引いていて pull (back); draw backワットマンワットマン J Whatman (English paper company)をなるべく遠くからとおくから from a distanceながめていたが、しまいに、小さなちいさな small; low (voice)こえ voiceで、

「もう駄目駄目だめ no goodね」と言うう said; stated。じっさいだめなのだから、しかたがない。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)気の毒になったどくになった felt bad (for her)

「もうおよしなさい。そうして、また新しくあたらしく newly; anewおかきなさい」

よし子はかお faceを絵に向けたけた turned (toward)まま、しりめにしりめに corner of one's eye三四郎を見たた looked at大きなおおきな large潤いうるおい moistureのある eyeである。三四郎はますます気の毒になった。するとおんな the girl; she急にきゅうに suddenly笑いだしたわらいだした laughed

「ばかね。二時間時間じかん two hoursばかりそん loss; wasteをして」と言いながら、せっかくかいた水彩水彩すいさい watercolorうえ top ofへ、横縦に横縦よこたてに horizontally and vertically; across and lengthwise二、三本三本さんぼん several (lines)太いふとい thickぼう bar; stripeを引いて、絵の具箱具箱ぐばこ tool setふた lidぱたりとぱたりと firmly; abruptly (= ばったり)伏せたせた lowered; closed

「もうよしましょう。座敷座敷ざしき living roomへおはいりなさい。お茶ちゃ teaをあげますから」と言いながら、自分自分じぶん oneselfは上へ上がったがった entered (up into a room)。三四郎はくつ shoes脱ぐぐ take offのが面倒面倒めんどう troublesome; too much effortなので、やはり椽側椽側えんがわ veranda腰をかけてこしをかけて sit; be seated (on)いた。腹の中でははらなかでは privately; to oneselfいま now; at this pointになって、茶をやるという女を非常に非常ひじょうに extremely; terriblyおもしろいと思っておもって consider; regard asいた。三四郎に度はずれのはずれの extraordinary; eccentric女をおもしろがるつもりは少しもすこしも (not) in the leastないのだが、突然突然とつぜん suddenlyお茶をあげますといわれたとき time; momentには、一種の一種いっしゅの a type of; a certain kind of愉快愉快ゆかい pleasure; exhilaration感ぜぬわけにゆかなかったかんぜぬわけにゆかなかった couldn't help but feelのである。その感じは、どうしても異性異性いせい the opposite sex近づいてちかづいて approach; draw near to得られるられる can get; can obtain感じではなかった。

茶の間ちゃ tea room; hearth room話し声はなごえ voices; the sound of voicesがする。下女下女げじょ maidservantはいたに違いないちがいない there was no doubt that ...。やがてふすま fusuma (sliding door panel)開いてひらいて open茶器茶器ちゃき tea set持ってって bring; carry、よし子があらわれた。その顔を正面正面しょうめん straight on; the frontから見た時に、三四郎はまた、女性中女性中じょせいちゅう among womenのもっとも女性的な女性的じょせいてきな feminine顔であると思った。

よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)ちゃ teaをくんで椽側椽側えんがわ veranda出してして brought out to自分自分じぶん oneself (refers to Yoshiko throughout this section)座敷座敷ざしき living roomたたみ tatami (mat)うえ top ofへすわった。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はもう帰ろうかえろう return home思っておもって thought (to do something)いたが、このおんな young ladyのそばにいると、帰らないでもかまわないような feelingがする。病院病院びょういん hospitalではかつてこの女のかお faceをながめすぎて、少しすこし a little; a bit赤面させた赤面せきめんさせた caused to blushために、さっそく引き取ったった withdrew; took one's leaveが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話談話だんわ conversation始めたはじめた began。いろいろ話してはなして talk; converseいるうちに、よし子は三四郎に妙なみょうな odd; curiousこと thing; matter聞きだしたきだした asked。それは、自分のあに older brother野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)好きかいやかきかいやか like or dislikeという質問質問しつもん questionであった。ちょっと聞くとまるでがんぜないがんぜない naïve; simpleminded子供子供こども child言いそうないそうな be apt to say事であるが、よし子の意味意味いみ meaningはもう少し深いふかい deep; substantiveところにあった。研究心研究心けんきゅうしん researcher mentality強いつよい strong; passionate学問好きの学問がくもんきの intellectualひと personは、万事万事ばんじ all things; everythingを研究する気で見るる look at; seeから、情愛情愛じょうあい affection; feelings薄くなるうすくなる grow weak; lose importanceわけである。人情人情にんじょう human feelings; humanityもの thingsをみると、すべてが好ききらいききらい love or hate二つふたつ two things; one or the otherになる。研究する気なぞが起こるこる arise; come aboutものではない。自分の兄は理学者理学者りがくしゃ scientistだものだから、自分を研究していけない。自分を研究すればするほど、自分を可愛がる可愛かわいがる feel affection toward degree; extent減るる be reduced; diminishのだから、いもうと younger sisterに対してたいして with respect to不親切不親切ふしんせつ unkindness; callousnessになる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅう日本にほんじゅう throughout Japanでいちばんいい人に違いないちがいない there's no doubt that ...という結論結論けつろん conclusionであった。

三四郎はこのせつ explanation; reasoningを聞いて、大いにおおいに greatlyもっともなような、またどこか抜けているけている be flawed; be in errorような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、あたま head; mindがぼんやりして、ちょっとわからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった批評ひひょうくわえなかった didn't critique。ただ腹の中ではらなかで privately; to oneself、これしきの女の言う事を、明瞭に明瞭めいりょうに clearly; plainly批評しえないのは、男児男児だんじ boyとしてふがいないふがいない pluckless; timidことだと、いたく赤面した。同時に同時どうじに at the same time、東京の女学生女学生じょがくせい schoolgirls; female studentsはけっしてばかにできないものだということを悟ったさとった learned; became aware of

三四郎はよし子に対する敬愛敬愛けいあい respect and affectionねん sense; feelingをいだいて下宿下宿げしゅく lodgingsへ帰った。はがきが来てて come; arriveいる。「明日明日あす tomorrow午後午後ごご afternoon一時一時いちじ one (o'clock)ごろから菊人形菊人形きくにんぎょう chrysanthemum dollsを見にまいりますから、広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaうち house; residenceまでいらっしゃい。美禰子美禰子みねこ Mineko (name)

その words; writingが、野々宮さんのポッケットから半分半分はんぶん halfwayはみ出してはみして stick out (from)いた封筒封筒ふうとう envelope上書上書うわがき address (on a letter)似てて resembleいるので、三四郎は何べんもなんべんも any number of times読み直してなおして re-readみた。

翌日翌日よくじつ the next day日曜日曜にちよう Sundayである。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)昼飯昼飯ひるめし lunch済ましてまして finishすぐ西片町西片町にしかたまち Nishikatamachi (place name)来たた came (to); arrived (at)新調の新調しんちょうの brand new制服制服せいふく uniform; outfit着てて wear光ったひかった shinyくつ shoesをはいている。静かなしずかな quiet横町横町よこちょう side street; lane広田先生の広田ひろた先生せんせいの Professor Hirota's (house)まえ front ofまで来るる come (to); arrive (at)と、人声人声ひとごえ sound of voicesがする。

先生のうち houseもん gateをはいると、左手左手ひだりて lefthand (side)がすぐにわ yard; gardenで、木戸木戸きど (wooden) gateをあければ玄関玄関げんかん entrywayへかからずに、座敷座敷ざしき living roomえん veranda出られるられる can approach。三四郎は要目垣要目垣かなめがき hawthorn hedgeのあいだに見えるえる be visibleさん (door) boltをはずそうとして、ふと、庭のなか inside話し声はなごえ voices; conversation耳にしたみみにした heard; picked upはなし conversation野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)美禰子美禰子みねこ Mineko (name)のあいだに起こりつつあるこりつつある was occurring; was taking place

「そんなこと act; thingをすれば、地面地面じめん ground; earthうえ surface落ちてちて fall down死ぬぬ dieばかりだ」これは男のおとこの man's; maleこえ voiceである。

「死んでも、そのほうがいいと思いますおもいます think; believe」これは女のおんなの woman's; femaleこたえ answer; responseである。

「もっともそんな無謀な無謀むぼうな wild; reckless人間人間にんげん personは、高いたかい highところ placeから落ちて死ぬだけの価値価値かち worth; merit十分十分じゅうぶん enough; plentyある」

残酷な残酷ざんこくな heartless; cruel事をおっしゃる」

三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立ってって standいた会話会話かいわ conversationぬし owners; originators二人とも二人ふたりとも both (people)こっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に平凡へいぼんに in the usual manner言ってって said頭をうなずかせたあたまをうなずかせた noddedだけである。頭に新しいあたらしい new茶のちゃの brown中折帽中折帽なかおれぼう felt hat; fedoraをかぶっている。美禰子は、すぐ、

「はがきはいつごろ着きましたきました arrivedか」と聞いたいた asked。二人の今までいままで until nowやっていた会話はこれで中絶した中絶ちゅうぜつした broke off; discontinued

椽側椽側えんがわ verandaには主人主人あるじ master (of the house)洋服洋服ようふく Western dressを着て腰をかけてこしをかけて sit down相変らず相変あいかわらず as always; as usual哲学を吹いて哲学てつがくいて smoking with a philosophical airいる。これは西洋の西洋せいようの Western; foreign雑誌雑誌ざっし magazine; periodical手にしてにして hold (in one's hands)いた。そばによし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)がいる。両手両手りょうて both handsをうしろに突いていて brace; plant (one's hands)、からだを空に持たせながらくうたせながら holding up (away from the structure)伸ばしたばした extendedあし feetにはいた厚いあつい thick草履草履ぞうり straw sandalsをながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられてけられて be awaitedいたとみえる。

主人主人あるじ master (of the house)雑誌雑誌ざっし magazine; periodicalなげ出したなげした tossed aside

「では行くく go; departかな。とうとう引っぱり出されたっぱりされた be dragged out; be lured out

御苦労さま御苦労ごくろうさま your efforts are greatly appreciated」と野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんが言ったった said; answeredおんな young ladies二人二人ふたり two (people)顔を見合わせてかお見合みあわせて look at each other; glance at each otherひとに知れないようなひとにれないような discreet; subtleえみ smileをもらした。にわ yard; garden出るる leave; departとき time; moment、女が二人つづいたつづいた went out in succession

背が高いたかい tallのね」と美禰子美禰子みねこ Mineko (name)があとから言った。

のっぽのっぽ lanky; beanpole」とよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)一言一言ひとこと (with) one word答えたこたえた answeredもん gateわき side of; next to並んだならんだ came side by side時、「だから、なりたけなりたけ as much as possible草履草履ぞうり straw sandalsをはくの」と弁解をした弁解べんかいをした explained; justified三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)もつづいて庭を出ようとすると、二階二階にかい 2nd floor; upstairs障子障子しょうじ shōjiがらりとがらりと suddenly開いたいた opened与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)手欄手欄てすり railing; balustrade (usually 手摺てすり)ところ place; locationまで出てきた。

「行くのか」と聞くく asked

「うん、きみ youは」

「行かない。菊細工菊細工きくざいく chrysanthemum craftsなんぞ見てて look atなんになるものか。ばかだな」

「いっしょに行こう。うち houseにいたってしようがないじゃないか」

いま now; at present論文論文ろんぶん essay; article書いていて write; composeいる。大論文大論文だいろんぶん important work; significant work (writing)を書いている。なかなかそれどころじゃない」

三四郎はあきれ返ったようなあきれかえったような feigning surprise笑い方わらかた way of laughingをして、四人四人よにん four (people)のあとを追いかけたいかけた pursued; hurried (after)。四人は細いほそい narrow横町横町よこちょう side street; lane三分の二三分さんぶん two thirds (of the way)ほど広いひろい wide通りとおり avenue; boulevardほう direction遠ざかったとおざかった progressed (to)ところである。この一団一団いちだん group; partyかげ shape; form高いたかい high空気空気くうき skyした beneath認めたみとめた saw; caught sight of時、三四郎は自分自分じぶん oneselfの今の生活生活せいかつ life; lifestyle熊本熊本くまもと Kumamoto (place name)当時当時とうじ (those) timesのそれよりも、ずっと意味意味いみ meaning深いふかい deep; profoundものになりつつあると感じたかんじた felt。かつて考えたかんがえた considered; thought about三個三個さんこ three (things)世界世界せかい worldsのうちで、第二第二だいに number two第三第三だいさん number threeの世界はまさにこの一団の影で代表されて代表だいひょうされて be represented (by)いる。影の半分半分はんぶん half薄黒い薄黒うすぐろい dark; dusky。半分は花野花野はなの field of flowersのごとく明らかあきらか clear; brightである。そうして三四郎のあたまのなかでは in one's mindこの両方両方りょうほう both; both sides渾然として渾然こんぜんとして wholly調和されて調和ちょうわされて be harmonized; be alignedいる。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯経緯よこたて length and breadth; warp and woof (weaving)のなかに織りこまれてりこまれて be woven intoいる。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安不安ふあん unease; anxietyである。歩きながらあるきながら while walking考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話してはなして talk about; discussいた談柄談柄だんぺい topic (of conversation)近因近因きんいん immediate causeである。三四郎はこの不安のねん thought; idea; sense (of)駆るる drive (out; away)ために、二人の談柄をふたたびほじくり出してほじくりして drag out; pry intoみたい feeling; inclinationがした。

四人四人よにん four (people)はすでに曲がり角がりかど corner来たた came (to); arrived (at)。四人とも足をとめてあしをとめて stop振り返ったかえった looked back美禰子美禰子みねこ Mineko (name)ひたい forehead; brow handかざしてかざして hold upいる。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)一分一分いっぷん one minuteかからぬうちに追いついたいついた caught up。追いついてもだれもなんとも言わないわない didn't say (anything)。ただ歩きだしたあるきだした resumed walkingだけである。しばらくすると、美禰子が、

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんは、理学者理学者りがくしゃ scientistだから、なおそんなこと matter; thingをおっしゃるんでしょう」と言いだした。はなし conversation続きつづき continuationらしい。

「なに理学理学りがく scienceをやらなくっても同じおなじ same事です。高くたかく high飛ぼうぼう flyというには、飛べるだけの装置装置そうち apparatus; device考えたかんがえた invent; deviseうえでなければできないにきまっている。あたま head; mindのほうがさきに要るる be requiredに違いないちがいない there can be no doubt that ...じゃありませんか」

「そんなに高く飛びたくないひと person; peopleは、それで我慢するそれで我慢がまんする be satisfied at thatかもしれません」

「我慢しなければ、死ぬぬ die; perishばかりですもの」

「そうすると安全安全あんぜん safety; security地面地面じめん ground; earthうえ surface立ってって stand; stayいるのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」

野々宮さんは返事返事へんじ answer; responseをやめて、広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaほう direction向いたいた turned (toward)が、

おんな womenには詩人詩人しじん poet多いおおい many; numerousですね」と笑いながらわらいながら grinning; laughing言った。すると広田先生が、

男子男子だんし menへい evil; viceはかえって純粋の純粋じゅんすいの pure; true詩人になりきれないところにあるだろう」と妙なみょうな odd; curious挨拶挨拶あいさつ responseをした。野々宮さんはそれで黙っただまった fell silentよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)と美禰子は何かなにか somethingお互いのたがいの mutual; with each other話を始めるはじめる began。三四郎はようやく質問質問しつもん question機会機会きかい opportunity得たた gained; obtained

いま (just) nowのはなん whatお話はなし talk; discussionなんですか」

「なに空中空中くうちゅう sky飛行機飛行機ひこうき airplane; airshipの事です」と野々宮さんが無造作に無造作むぞうさに simply; off-handedly言った。三四郎は落語落語らくご rakugo; comic storytellingおちおち punch line; point (of a comic story)聞くく hearような feelingがした。

それからはべつだんの会話会話かいわ conversation出なかったなかった did not occur。また長いながい lengthy会話ができかねるほど、ひと peopleがぞろぞろ歩くあるく walk; strollところ place来たた came (to)大観音大観音おおがんのん Ōgannon (temple)まえ front of乞食乞食こじき beggarがいる。ひたい forehead groundにすりつけて、大きなおおきな big; loud (voice)こえ voiceのべつにのべつに continuously; incessantly出してして put forth哀願哀願あいがん supplication; appealたくましゅうしてたくましゅうして exercise without restraintいる。時々時々ときどき occasionallyかお face上げるげる lift; raiseと、額のところだけがすな sand白くしろく whiteなっている。だれも顧みるかえりみる take notice of; pay attention toものがない。五人五人ごにん five (people)平気で平気へいきで without concern行き過ぎたぎた passed by五、六間六間ろっけん 5 or 6 ken (about 10 meters; about 10 yards)も来たとき time; momentに、広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota急にきゅうに suddenly振り向いていて turn around; look around三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)聞いたいた asked

きみ you (used here as form of address)あの乞食にぜに money; a coinをやりましたか」

「いいえ」と三四郎があとを見るる lookと、例のれいの the aforementioned乞食は、白い額のした beneath両手両手りょうて both hands合わせてわせて put together相変らず相変あいかわらず still; as always大きな声を出している。

「やる feeling; inclinationにならないわね」とよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)がすぐに言ったった said; remarked

「なぜ」とよし子のあに older brotherいもうと younger sisterを見た。たしなめるたしなめる rebuke; reproveほどに強いつよい strong; forceful言葉言葉ことば wordsでもなかった。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)顔つきかおつき (facial) expressionはむしろ冷静冷静れいせい calmness; composureである。

「ああしじゅうしじゅう constantly; continuouslyせっついてせっついて urge; needleいちゃ、せっつきばえせっつきばえ effective urging; compelling appeal (= せっつきえ)がしないからだめですよ」と美禰子美禰子みねこ Mineko (name)評したひょうした commented; offered an opinion

「いえ場所場所ばしょ place; location悪いわるい no goodからだ」と今度今度こんど this timeは広田先生が言った。「あまり人通り人通ひとどおり human congestion; foot traffic多すぎるおおすぎる be too much ofからいけない。やま mountainうえ top寂しいさびしい lonely; deserted所で、ああいうおとこ man会ったらったら met; encountered、だれでもやる気になるんだよ」

その代りそのかわり on the other hand一日一日いちにち all day待ってって waitいても、だれも通らないだれもとおらない no one passes byかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出したわらした laughed

三四郎は四人四人よにん four (people)の乞食に対するたいする regarding; in relation to ...批評批評ひひょう commentaryを聞いて、自分自分じぶん oneself今日今日こんにち today; the presentまで養成した養成いくせいした fostered; nurtured徳義上徳義上とくぎじょう relating to morality観念観念かんねん idea; notion幾分か幾分いくぶんか in some part; to some degree傷つけられるきずつけられる be offended; be violatedような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭一銭いっせん 1 sen (1/100 of a yen)投げてげて throw; toss (to)やる了見了見りょうけん intention起こらなかったこらなかった did not ariseのみならず、実をいえばじつをいえば to tell the truth; in all honesty、むしろ不愉快な不愉快ふゆかいな unpleasant; uncomfortable感じかんじ feeling募ったつのった became stronger; intensified事実事実じじつ truth; actuality反省して反省はんせいして reflect on; contemplateみると、自分よりもこれら四人のほうがかえっておのれ one's selfまこと honesty; sincerityであると思いついたおもいついた realized。また彼らかれら theyは己に誠でありうるほどな広いひろい vast; expansive天地天地てんち realm; sphereの下に呼吸する呼吸こきゅうする breathe; live and breathe都会人種都会人種しゃかいじんしゅ city dwellers; urbanitesであるということを悟ったさとった became aware (of)

行くに従ってくにしたがって as (they) went onひと people多くなるおおくなる increased in number。しばらくすると一人一人ひとり one (person)迷子迷子まいご lost child出会った出会であった met; encountered七つななつ seven (years old)ばかりの女の子おんな girlである。泣きながらきながら crying、人のそで sleevesした beneathみぎ right (side)へ行ったり、ひだり left (side)へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言うう call; cry。これには往来往来おうらい coming and goingの人もみんなこころ heart; soul動かしてうごかして move; touch (emotions)いるようにみえる。立ちどまるちどまる come to a stopもの personsもある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけないだれもをつけない no one took any action子供子供こども childはすべての人の注意注意ちゅうい attention同情同情どうじょう sympathyをひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜してさがして search forいる。不可思議の不可思議ふかしぎの curious; peculiar現象現象げんしょう situation; happeningである。

「これも場所場所ばしょ place; location悪いわるい no goodせいじゃないか」と野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)くん (suffix of familiarity for males)が子供のかげ shape; form見送りながら見送みおくりながら looking back at言ったった remarked

「いまに巡査巡査じゅんさ police officer始末をつける始末しまつをつける take care of (a matter)にきまっているから、みんな責任責任せきにん responsibilityをのがれるんだね」と広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota説明した説明せつめいした explained

「わたしのそばまで来ればれば come (to); approach交番交番こうばん police boxまで送ってやるおくってやる see (someone) toわ」とよし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)が言う。

「じゃ、追っかけて行ってっかけてって go after連れて行くれてく take (someone somewhere)がいい」とあに older brother注意した注意ちゅういした advised; suggested

「追っかけるのはいや」

「なぜ」

「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。わたし I; meにかぎったことはないわ」

「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。

「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。おとこ men二人二人ふたり two (people)笑ったわらった laughed団子坂団子坂だんござか Dangozaka (place name)うえ top; high pointまで来ると、交番のまえ front ofへ人が黒山黒山くろやま mountain of black (sea of black heads)のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったわたった was entrusted toのである。

「もう安心安心あんしん relief; peace of mind大丈夫大丈夫だいじょうぶ alright; okayです」と美禰子美禰子みねこ Mineko (name)が、よし子を顧みてかえりみて turn back toward言った。よし子は「まあよかった」という。

さか (Dangozaka) roadうえ top ofから見るる lookと、坂は曲がってがって be bentいる。かたな katana (sword)切っ先さき tip (of a sword)のようである。はば widthはむろん狭いせまい narrow; confined右側右側みぎがわ right side二階建二階建にかいだて two-story buildings左側左側ひだりがわ left side高いたかい tall小屋小屋こや exhibition shedsまえ front半分半分はんぶん halfway; in partさえぎっている。そのうしろにはまた高いのぼり banners (mounted on tall vertical poles)何本となく何本なんぼんとなく in large numbers立てててて erect; put upある。ひと people急にきゅうに suddenly; abruptly谷底谷底たにそこ bottom of the valley落ち込むむ fall down intoように思われるおもわれる seem (to do something)。その落ち込むものが、はい上がるはいがる crawl up; scramble upものと入り乱れてみだれて mix; be jumbled togetherみち roadいっぱいにふさがっているから、たに valleyそこ bottomにあたるところ place; areaは幅をつくして異様に異様いように oddly; eerily動くうごく move。見ていると eyes疲れるつかれる become tiredほど不規則に不規則ふきそくに unsteadily; in a disorderly mannerうごめいている。広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaはこの坂の上に立って、

「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうかえりたそう wanting to leave; wanting to go homeである。四人四人よにん four (people)はあとから先生を押すす push; jostleようにして、谷へはいった。その谷が途中途中とちゅう part way; along the wayからだらだらと向こうこう the other side回り込むまわむ bend (around toward)所に、右にも左にも、大きなおおきな large葭簀掛け葭簀掛よしずがけ fronted with reed screensの小屋を、狭い両側両側りょうがわ both sidesから高く構えたかまえた put up; put in placeので、そら skyさえ存外存外ぞんがい surprisingly; unexpectedly窮屈窮屈きゅうくつ confined; crampedにみえる。往来往来おうらい road暗くなるくらくなる be shaded; be darkenedまで込み合ってって crowd togetherいる。そのなかで木戸番木戸番きどばん gate keepers; ticket takersができるだけ大きなこえ voice出すす put forth。「人間人間にんげん human beingから出るる come (from)声じゃない。菊人形菊人形きくにんぎょう chrysanthemum dollから出る声だ」と広田先生が評したひょうした commented。それほど彼らのかれらの their声は尋常尋常じんじょう normal; usual離れてはなれて be distant from; lose connection withいる。

一行一行いっこう the group; the partyは左の小屋へはいった。曾我曾我そが Soga (name of two brothers who avenged their father's murder in 1193)討入討入うちいり raid; attackがある。五郎五郎ごろう Gorō (name of one of the Soga brothers)十郎十郎じゅうろう Jūrō (name of the other Soga brother)頼朝頼朝よりとも Yoritomo (General Minamoto no Yoritomo)もみな平等に平等びょうどうに in the same manner; without biasきく chrysanthemum着物着物きもの kimono; clothes着てて wearいる。ただしかお face手足手足てあし hands and feetはことごとく木彫り木彫きぼり carved wood; woodcraftである。そのつぎ nextゆき snow降ってって fall (snow or rain)いる。若いわかい youngおんな woman癪を起こしてしゃくこして writhing; convulsingいる。これも人形人形にんぎょう dollしん center; coreに、菊をいちめんにはわせて、はな flowers leaves平にたいらに evenly; smoothly隙間なく隙間すきまなく without a gap衣装衣装いしょう clothing; dress恰好恰好かっこう form; shapeとなるように作ったつくった created; constructedものである。

よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)余念なく余念よねんなく earnestly; intentlyながめている。広田先生と野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)はしきりにはなし talk; discussion始めたはじめた started。菊の培養培養ばいよう cultivationほう method違うちがう be different; be uniqueとかなんとかいうところで、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は、ほかの見物見物けんぶつ sightseers隔てられてへだてられて be cut off (by)一間一間いっけん 1 ken (about 2 yards; about 2 meters)ばかり離れた。美禰子美禰子みねこ Mineko (name)はもう三四郎よりさき aheadにいる。見物は、がいしてがいして generally; for the most part町家町家ちょうか tradesman's house; merchant's houseもの peopleである。教育教育きょういく educationのありそうな者はきわめて少ないすくない few; scarce。美禰子はそのあいだ midstに立って振り返ったかえった looked back首を延ばしてくびばして crane one's neck、野々宮のいるほう directionを見た。野々宮は右の手をたけ bamboo手欄手欄てすり handrailから出して、菊の rootsをさしながら、何かなにか something熱心に熱心ねっしんに passionately; energetically説明して説明せつめいして explainいる。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されてされて be pushed、さっさと出口出口でぐち exitの方へ行くく go; proceed。三四郎は群集群集ぐんしゅう crowd; throng; masses押し分けながらけながら pushing one's way through三人三人さんにん three (people); the other three棄てててて abandon; leave behind、美禰子のあとを追って行ったってった followed; pursued

ようやくのことで、美禰子美禰子みねこ Mineko (name)のそばまで来てて came (to)

里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)さん」と呼んだんだ called; addressedとき time; momentに、美禰子は青竹青竹あおだけ green bamboo手欄手欄てすり handrail hands突いていて brace; prop (against)心持ち心持こころもち slightly; just a little首をもどしてくびをもどして turned one's head三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)見たた looked atなんとも言わないなんともわない didn't speak; said nothing。手欄のなかは養老の滝養老ようろうたき Yōrō Falls (waterfall in Gifu; tied to legend of young man who scooped its water to save his ailing father)である。丸いまるい roundかお faceの、こし waistおの axe; hatchetをさしたおとこ manが、瓢箪瓢箪ひょうたん bottle gourd持ってって have; hold滝壺滝壺たきつぼ plunge basin; basin under a waterfallのそばにかがんでかがんで stoop (over)いる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかになに whatがあるかほとんど気がつかなかったがつかなかった took no notice of

「どうかしましたか」と思わずおもわず reflexively; intuitively言ったった asked; inquired。美禰子はまだなんとも答えないなんともこたえない didn't answer黒いくろい dark eyesをさもものうそうにものうそうに with a weary look三四郎のひたい forehead; browうえ aboveにすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼二重瞼ふたえまぶた contoured eyelids不可思議な不可思議ふかしぎな mysterious; unfathomableある意味意味いみ meaning認めたみとめた recognized。その意味のうちには、たましい soul; spirit疲れつかれ weariness; fatigueがある。にく fleshゆるみゆるみ looseness; slackがある。苦痛苦痛くつう pain; anguishに近きちかき close to; bordering on訴えうったえ appeal; petitionがある。三四郎は、美禰子の答を予期予期よき expectation; anticipation (of)しつつあるいま now; the present場合場合ばあい situation忘れてわすれて forget、このひとみ pupilsとこのまぶた eyelidsあいだ midstにすべてを遺却した遺却いきゃくした abandoned (to)。すると、美禰子は言った。

「もう出ましょうましょう leave; get out (of a place)

眸と瞼の距離距離きょり distance次第に次第しだいに gradually近づくようにみえた。近づくに従ってしたがって in accordance with; in proportion to三四郎のこころ heart; soulには女のためおんなのため for her sakeに出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点頂点ちょうてん peak; height達したたっした reached; achievedころ、女は首を投げるくびげる toss one's headように向こうこう away; in the other directionをむいた。手を青竹の手欄から離してはなして removed; separated (from)出口出口でぐち exitほう direction歩いて行くあるいてく walk (toward)。三四郎はすぐあとからついて出た。

二人二人ふたり two (people)おもて out front並んだならんだ stood together時、美禰子はうつむいてうつむいて look down右の手みぎ right handを額に当てたてた applied; pressed against周囲周囲しゅうい surroundings; all aroundひと peopleうず whirlpool巻いていて wind; coilいる。三四郎は女のみみ earくち mouth寄せたせた brought close to

「どうかしましたか」

女は人込み人込ひとごみ crowd (of people)なか middle谷中谷中やなか Yanaka (place name)の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町半町はんちょう half of a chō (about 55 meter; about 60 yards)ばかり来たた came; progressed時、女は人の中で留まったまった stopped

「ここはどこでしょう」

「こっちへ行くと谷中の天王寺天王寺てんのうじ Tennōji (temple)の方へ出てしまいます。帰り道かえみち way home; way backとはまるで反対反対はんたい oppositeです」

「そう。わたし I心持ち心持こころもち feeling悪くってわるくって not well……」

三四郎は往来往来おうらい roadのまん中で助けなきたすけなき at a loss (as to what to do)苦痛を感じたかんじた felt立ってって standing (still)考えてかんがえて thinking; consideringいた。

「どこか静かなしずかな quietところ placeはないでしょうか」と女が聞いたいた asked

谷中谷中やなか Yanaka (place name)千駄木千駄木せんだぎ Sendagi (place name)たに valley出会う出会であう meet; come togetherと、いちばん低いひくい lowところ place; region小川小川おがわ small river; stream流れてながれて flowいる。この小川を沿うて沿うて follow (alongside)まち townひだり left (side)切れるれる curve; veerとすぐ open fields出るる come out; emerge (into)かわ streamはまっすぐにきた north通ってかよって make its way (to); flow (to)いる。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)東京東京とうきょう Tōkyō来てて come (to)から何べんもなんべんも many timesこの小川の向こう側こうがわ other side; opposite side歩いてあるいて walk (along)、何べんこっち側を歩いたかよく覚えておぼえて remember; be familiar withいる。美禰子美禰子みねこ Mineko (name)立ってって be standingいる所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って横切よこぎって traverse根津根津ねづ Nezu (place name)抜けるける cut through (to)石橋石橋いしばし stone bridgeのそばである。

「もう一町一町いっちょう 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)ばかり歩けますか」と美禰子に聞いていて askみた。

「歩きます」

二人はすぐ石橋を渡ってわたって cross (over)、左へ折れたれた turned (toward)人の家ひとうち someone's house路地路地ろじ alleyway; laneのような所を十間十間じゅっけん 10 ken (about 18 meters; about 20 yards)ほど行き尽してつくして go as far as one can; go to the end (of something)もん gate手前手前てまえ just before; short ofから板橋板橋いたばし wooden-plank bridgeをこちら側へ渡り返してわたかえして crossed back (to)、しばらく川のふち edge上るのぼる move upstreamと、もう人は通らないひととおらない there were no people about広いひろい wide open; spacious野である。

三四郎はこの静かなしずかな quietあき autumnのなかへ出たらたら emerged (into)急にきゅうに suddenlyしゃべり出したしゃべりした became talkative

「どうです、ぐあいは。頭痛頭痛ずつう headacheでもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形人形にんぎょう dolls見てて see; look atいる連中連中れんちゅう crowd; companyのうちにはずいぶん下等下等かとう base; vulgarなのがいたようだから――なにか失礼失礼しつれい slight; improprietyでもしましたか」

おんな she黙ってだまって remain silentいる。やがて川の流れから eyes上げてげて lifted; raised、三四郎を見た。二重瞼二重瞼ふたえまぶた contoured eyelidsにはっきりと張りり resilience; spiritがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した安心あんしんした was reassured; was relieved

「ありがとう。だいぶよくなりました」と言うう said; answered

休みましょうやすみましょう take a restか」

「ええ」

「もう少しすこし a little; a bit歩けますか」

「ええ」

「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くく go (on); proceedと、ちょうど休むにいい場所場所ばしょ placeがあるから」

「ええ」

一丁一丁いっちょう 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)ばかり来たた came; progressed。またはし bridgeがある。一尺一尺いっしゃく 1 shaku (about 30cm; about a foot)に足らないらない not even ...; less than ...古板古板ふるいた old board; old plank造作なく造作ぞうさなく roughly; simply渡したわたした laid acrossうえ over; on top ofを、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)大またにおおまたに with a long stride歩いたあるいた walked; steppedおんな the young lady (Mineko)もつづいて通ったとおった passed (over)待ち合わせたわせた waited for (someone)三四郎の eyes; viewには、女のあし feet常のつねの ordinary; usual大地大地だいち solid ground踏むむ step on; tread on同じようにおなじように in the same manner軽くかるく lightみえた。この女はすなおな足をまっすぐにまえ forward運ぶはこぶ carry; move。わざと女らしく甘えたあまえた dependent on the help of another歩き方あるかた manner of walkingをしない。したがってむやみにこっちから手を貸すす lend a hand; assistわけにはいかない。

向こうこう beyond; (in) the distance藁屋根わら屋根やね thatched roofがある。屋根のした below一面に一面いちめんに over the whole surface赤いあかい red近寄って近寄ちかよって approach; draw near to見るる look; seeと、唐辛子唐辛子とうがらし chili peppers干したした driedのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分け見分みわけ distinction; recognitionのつくところまで来て留まったまった stopped

美しいうつくしい beautifulこと」と言いながらいながら say; remarkくさ grassの上に腰をおろしたこしをおろした sat down; lowered oneself (to sit)。草は小川小川おがわ small river; streamふち edgeにわずかなはば widthをはえているのみである。それすらなつ summer半ばなかば middleのように青くあおく greenはない。美禰子美禰子みねこ Mineko (name)派手な派手はでな bright; colorful着物着物きもの kimonoのよごれるのをまるで苦にしていないにしていない had no concern for

「もう少しすこし a little; a bit歩けませんかあるけませんか can you walk?」と三四郎は立ちながらちながら standing促すうながす press; promptように言ってみた。

「ありがとう。これでたくさん」

「やっぱり心持ち心持こころもち feeling悪いわるい not wellですか」

「あんまり疲れたつかれた be worn outから」

三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎のあいだ interval; space between四尺四尺よんしゃく 4 shaku (about 1.2 meters; about 4 feet)ばかり離れてはなれて be separated (by)いる。二人二人ふたり two (people)の足の下には小さなちいさな smallかわ stream流れてながれて flowいる。あき autumnになってみず water (level)落ちたちた dropped; fallenから浅いあさい shallowかど corner出たた stick out; protrudeいし rockの上に鶺鴒鶺鴒せきれい wagtail (bird)一羽一羽いちわ one (bird)とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に次第しだいに gradually濁ってにごって grow muddy; become cloudyくる。見ると川上川上かわかみ upstream百姓百姓ひゃくしょう farmer大根大根だいこん daikon (white radish)洗ってあらって wash; rinseいた。美禰子の視線視線しせん line of sight; gaze遠くのとおくの distant向こうにある。向こうは広いひろい wideはたけ (farm) fieldで、畑のさき tip; endもり woodsで森の上がそら skyになる。空のいろ colorがだんだん変ってかわって change; be transformedくる。

ただ単調に単調たんちょうに monotonously; in a dull manner澄んでんで be clear; be transparentいたもののうちに、いろ color幾通りも幾通いくとおりも in any number of waysできてきた。透き通るとおる transparent藍のあいの indigo background消えるえる disappear; fade from viewように次第に次第しだいに gradually薄くなるうすくなる be diluted; grow thin。そのうえ top of白いしろい whiteくも clouds鈍くにぶく sluggishly; lazily重なりかかるかさなりかかる accumulate; pile up。重なったものが溶けてけて dissolve; melt流れ出すながす begin to disperse。どこで地が尽きてきて run out; be at its end、どこで雲が始まるはじまる start; beginかわからないほどにものういものうい languid上を、心持ち心持こころもち just a little; a touch of黄なな yellow色がふうと一面一面いちめん the whole surfaceにかかっている。

そら skyの色が濁りましたにごりました become muddied」と美禰子美禰子みねこ Mineko (name)言ったった said; remarked

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)流れながれ flow; streamから eyes放してはなして remove; divert (from)、上を見たた looked。こういう空の模様模様もよう pattern; conditionを見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉言葉ことば word; term聞いたいた heardのはこのとき time; occasionがはじめてである。気がついてがついて take notice of; give some thought to見ると、濁ったと形容する形容けいようする describeよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何かなにか something答えようとするこたえようとする try to answer; be about to answerまえに、おんな the young lady (Mineko)はまた言った。

重いおもい heavy; solidこと。大理石大理石マーブル marble (stone)のように見えます」

美禰子は二重瞼二重ふたえまぶた contoured eyelids細くほそく narrowして高いたかい highところ placesをながめていた。それから、その細くなったままの目を静かにしずかに quietly三四郎のほう direction向けたけた turned toward。そうして、

「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、

「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙っただまった fell silent。しばらくしてから、今度今度こんど this timeは三四郎が言った。

「こういう空のした below; beneathにいると、こころ heart; soulが重くなるが spirit軽くなるかるくなる becomes light

「どういうわけですか」と美禰子が問い返したかえした asked in response

三四郎には、どういうわけもなかった。返事返事へんじ answer; replyはせずに、またこう言った。

安心して安心あんしんして relax; be at easeゆめ dreamを見ているような空模様だ」

動くうごく move; be in motionようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くのとおくの distant雲をながめだした。

菊人形きく人形にんぎょう chrysanthemum dollsきゃく visitors; sightseers呼ぶぶ call out (to)こえ voicesが、おりおり二人二人ふたり two (people)のすわっているところ placeまで聞こえるこえる were audible

「ずいぶん大きなおおきな big; loud (voice)声ね」

あさ morningからばん evening; nightまでああいう声を出してして put forthいるんでしょうか。えらいもんだな」と言ったった remarked; addedが、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)急にきゅうに suddenly置き去りにしたりにした abandoned; left behind三人三人さんにん three (people)のことを思い出したおもした remembered; thought of何かなにか something言おうとしているうちに、美禰子美禰子みねこ Mineko (name)答えたこたえた replied

商売商売しょうばい trade; businessですもの、ちょうど大観音大観音おおがんのん Ōgannon (temple)乞食乞食こじき beggar同じおなじ sameこと situation; circumstancesなんですよ」

場所場所ばしょ place; location悪くわるく no goodはないですか」

三四郎は珍しくめずらしく uncharacteristically冗談冗談じょうだん jokeを言って、そうして一人で一人ひとりで by oneselfおもしろそうに笑ったわらった laughed。乞食について下したくだした handed down; bestowed広田広田ひろた (Professor) Hirota言葉言葉ことば wordsをよほどおかしく受けたけた received; was struck byからである。

広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaは、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くかるく lightly; gentlyひとりごとのように言ったあとで、急に調子調子ちょうし tone (of voice)をかえて、

「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫大丈夫だいじょうぶ fine; alright及第及第きゅうだい making the grade; passing musterよ」と比較的比較的ひかくてき relatively活発活発かっぱつ livelyつけ加えたつけくわえた added。そうして、今度今度こんど this time自分自分じぶん oneselfのほうでおもしろそうに笑った。

「なるほど野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんの言ったとおり、いつまで待ってって waitいてもだれも通りそうとおりそう pass byもありませんね」

「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に早口はやくちに (say) immediately; without hesitation言ったが、あとで「おもらいおもらい almsをしない乞食なんだから」と結んだむすんだ tied up; wrapped up。これは前句前句ぜんく previous statement解釈解釈かいしゃく explanation; clarificationのためにつけたように聞こえた。

ところへ知らんらん unknown; unfamiliarひと person突然突然とつぜん suddenlyあらわれた。唐辛子唐辛子とうがらし chili peppers干してして set out to dryあるうち houseかげ shadows; back sideから出てて come out; appear (from)、いつのまにかかわ stream向こうこう other side渡ったわたった crossedものとみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来るちかづいてる approached; drew near洋服洋服ようふく Western-style dress; a suit着てて wearひげ beardをはやして、年輩年輩ねんぱい age; yearsからいうと広田先生くらいなおとこ manである。この男が二人のまえ front of来たた came (to); arrived (at)とき time; momentかお faceぐるりと向け直してぐるりとなおして turn round toward (someone)正面から正面しょうめんから from the front; from straight on三四郎と美禰子をにらめつけた。その eyes; lookのうちには明らかにあきらかに clearly憎悪憎悪ぞうお hatred; loathingいろ appearance; lookがある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛束縛そくばく restriction; fetters感じたかんじた felt。男はやがて行き過ぎたぎた continued on; passed by。その後影後影うしろかげ retreating form見送りながら見送みおくりながら seeing off; watching (someone) move away、三四郎は、

「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したさがした looked forでしょう」とはじめて気がついたがついた noticedように言った。美禰子はむしろ冷やかひややか indifferent; unconcernedである。

「なに大丈夫大丈夫だいじょうぶ no problem; nothing to worry aboutよ。大きなおおきな big; overgrown迷子迷子まいご lost childrenですもの」

「迷子だから捜したさがした looked forでしょう」と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はやはり前説前説ぜんせつ former opinion主張した主張しゅちょうした emphasized; reiterated。すると美禰子美禰子みねこ Mineko (name)は、なお冷やかなひややかな indifferent; unconcerned調子調子ちょうし tone; vein; mannerで、

責任責任せきにん responsibilityをのがれたがるひと personだから、ちょうどいいでしょう」

「だれが? 広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaがですか」

美禰子は答えなかったこたえなかった didn't reply

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんがですか」

美禰子はやっぱり答えなかった。

「もう気分気分きぶん feeling; moodはよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうかえりましょう return (home)か」

美禰子は三四郎を見たた looked at。三四郎は上げかけたげかけた in the process of raisingこし hipsをまたくさ grassうえ surface; top ofにおろした。そのとき time; moment三四郎はこのおんな young ladyにはとてもかなわないかなわない be no match for; be powerless againstような feelingがどこかでした。同時に同時どうじに at the same time自分の自分じぶんの one's ownはら one's mind; one's inner workings見抜かれた見抜みぬかれた be seen through; be exposedという自覚自覚じかく (self-) awareness; insight伴なうともなう accompany一種の一種いっしゅの a kind of; a type of屈辱屈辱くつじょく indignity; humiliationをかすかに感じたかんじた felt

「迷子」

女は三四郎を見たままでこの一言一言ひとこと one word; single word繰り返したかえした repeated。三四郎は答えなかった。

「迷子の英訳英訳えいやく English translation知ってって knowいらしって」

三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬいえぬ couldn't sayほどに、このとい question予期していなかった予期よきしていなかった was not expecting; was caught off guard by

教えておしえて tell (someone something)あげましょうか」

「ええ」

迷える子迷える子ストレイ・シープ stray sheep――わかって?」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はこういう場合場合ばあい situation; circumstancesになると挨拶挨拶あいさつ (appropriate) response困るこまる struggle (with)おとこ manである。咄嗟咄嗟とっさ instant; moment chance; opportunity過ぎてぎて pass; be overあたま head; mind冷やかにひややかに objectively; with composure働きだしたはたらきだした began to workとき time; occasion過去過去かこ past顧みてかえりみて look back at; reflect on、ああ言えばえば said; respondedよかった、こうすればよかったと後悔する後悔こうかいする regret。といって、この後悔を予期して予期よきして anticipate、むりに応急の応急おうきゅうの stopgap; makeshift返事返事へんじ response; answerを、さもしぜんらしく得意に得意とくいに proudly; with confidence吐き散らすらす spew forthほどに軽薄軽薄けいはく frivolous; superficialではなかった。だからただ黙ってだまって remain silentいる。そうして黙っていることがいかにも半間半間はんま inadequate; lacking (= 中途半端ちゅうとはんぱ)であると自覚自覚じかく (self-) awareness; insightしている。

迷える子迷える子ストレイ・シープ stray sheepという言葉言葉ことば words; expressionはわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉の意味意味いみ meaningよりも、むしろこの言葉を使った使つかった usedおんな young ladyの意味である。三四郎はいたずらにいたずらに for effect女のかお faceをながめて黙っていた。すると女は急にきゅうに suddenlyまじめになった。

わたし Iそんなに生意気生意気なまいき impertinent; affected見えますえます appear; seemか」

その調子調子ちょうし toneには弁解弁解べんかい exculpation; apology心持ち心持こころもち feeling; moodがある。三四郎は意外の意外いがいの unexpectedかん feeling; sense打たれたたれた be struck byいま now; the presentまではきり fog; mistなか inside; midstにいた。霧が晴れればれれば clear up (weather)いいと思っていたおもっていた had thought。この言葉で霧が晴れた。明瞭な明瞭めいりょうな clear; plain; evident女が出て来たた appeared。晴れたのが恨めしいうらめしい regrettable; unfortunate feelingがする。

三四郎は美禰子美禰子みねこ Mineko (name)態度態度たいど manner; behaviorをもとのような、――二人二人ふたり two (people)の頭のうえ above広がってひろがって spread outいる、澄むむ be clearとも濁るにごる be muddiedとも片づかないかたづかない defy descriptionそら skyのような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るきげんをる curry favor with; humor (a person)ための挨拶ぐらいで戻せるもどせる put back; restore (to a previous state)ものではないと思った。女は卒然として卒然そつぜんとして abruptly

「じゃ、もう帰りましょうかえりましょう return; go back」と言った。厭味のある厭味いやみのある disagreeable言い方かた manner of speakingではなかった。ただ三四郎にとって自分自分じぶん oneselfは興味のないものとあきらめるように静かなしずかな quiet口調口調くちょう tone (of voice)であった。

空はまた変ってきたかわってきた changed; transformed itselfかぜ wind遠くからとおくから from far away吹いていて blowくる。広いはたけ (farm) fieldの上には sunlight限ってかぎって be limited、見ていると、寒いさむい cold; frigidほど寂しいさびしい lonely; barrenくさ grassからあがる地息地息じいき dampness from the groundでからだは冷えてえて be chilledいた。気がつけば、こんなところ placeに、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人一人ひとり aloneなら、とうにどこかへ行ってって go; leave (for)しまったに違いないちがいない no doubt ...。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。

少しすこし a little; a bit寒くなったさむくなった become coldようですから、とにかく立ちましょうちましょう stand up; get up冷えるえる get chilledどく poison; harmfulだ。しかし気分気分きぶん feeling; moodはもうすっかり直りましたなおりました gotten better; improvedか」

「ええ、すっかり直りました」と明らかにあきらかに clearly答えたこたえた answeredが、にわかににわかに quickly立ち上がったがった stood up。立ち上がるとき time; moment小さなちいさな small; quiet (voice)こえ voiceで、ひとりごとのように、

迷える子迷える子ストレイ・シープ stray sheep」と長くながく lengthy引っ張ってって stretch; draw out言ったった said; uttered三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はむろん答えなかった。

美禰子美禰子みねこ Mineko (name)は、さっき洋服洋服ようふく Western-style dress; a suit着たた woreおとこ man出て来たた appeared (from)方角方角ほうがく direction; wayをさして、みち road; pathがあるなら、あの唐辛子唐辛子とうがらし chili peppersのそばを通ってとおって pass by行きたいきたい want to goという。二人二人ふたり two (people)は、その見当見当けんとう direction歩いて行ったあるいてった walked toward藁葺藁葺わらぶき thatched roofのうしろにはたして細いほそい narrow三尺三尺さんじゃく 3 shaku (about a meter; about a yard)ほどの道があった。その道を半分半分はんぶん halfwayほど来たた traversedところ placeで三四郎は聞いたいた asked

よし子よし Yoshiko (Nonomiya's younger sister)さんは、あなたの所へ来るる come (to stay)ことにきまったんですか」

おんな the young lady; she片頬片頬かたほお one cheek笑ったわらった smiled。そうして問い返したかえした asked in return

「なぜお聞きになるの」

三四郎が何かなにか something言おうとすると、あし feetまえ front of泥濘泥濘ぬかるみ mud puddle; muddy patchがあった。四尺四尺よんしゃく 4 shaku (about 1.2 meters; about 4 feet)ばかりの所、つち earth; groundがへこんでみず waterがぴたぴたにたまっている。そのまん中まんなか middle; center足掛かり足掛あしがかり stepのためにてごろないし stone置いたいた placedもの personがある。三四郎は石の助けたすけ help; assistanceをからずに、すぐに向こうこう far side飛んだんだ jumped (over to)。そうして美禰子を振り返ってかえって turn back (toward)見たた looked at。美禰子はみぎ right (side)の足を泥濘のまん中にある石のうえ top of乗せたせた place onto。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れてちかられて apply force; flex肩をゆすってかたをゆすって shift one's shoulders; swing one's arms調子を取っている調子ちょうしっている find one's balance。三四郎はこちら側こちらがわ this sideから hand出したした held out; extended

「おつかまりなさい」

「いえ大丈夫大丈夫だいじょうぶ okay; alright」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らないわたらない didn't cross。三四郎は手を引っ込めためた withdrew。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みおもみ weight託してたくして entrust toひだり left (side)の足でひらりとひらりと nimbly; quicklyこちら側へ渡った。あまりに下駄下駄げた (wooden) clogsをよごすまいと念を入れすぎたねんれすぎた took too much careため、力が余ってちからあまって be too forcefulこし waist; hips浮いたいた became unsteadyのめりそうにのめりそうに unsteadily胸 chest; upper body前へ出るまえる move forward。そのいきおい force; momentumで美禰子の両手両手りょうて both handsが三四郎の両腕両腕りょううで both armsの上へ落ちたちた fell (onto)

迷える子迷える子ストレイ・シープ stray sheep」と美禰子が口の内くちうち (say) quietly; to oneselfで言った。三四郎はその呼吸呼吸いき breath感ずるかんずる feelことができた。