二十八二十八にじゅうはち (part) 28

「Kはあまりたび travel; trip; journey出ないない not go out; not set out (on)おとこ man; fellowでした。わたくし I; meにも房州房州ぼうしゅう Bōshū (place name; southern tip of Bōsō peninsula in Chiba Prefecture)始めてはじめて the first timeでした。二人二人ふたり two (people); the two of us何にも知らないなんにもらない not know anythingで、ふね boat一番先一番先いちばんさき before all others; first着いたいた arrivedところ placeから上陸した上陸じょうりくした went ashore; disembarkedのです。たしか保田保田ほた Hota (place name)とかいいました。いま now; the presentではどんなに変ってかわって change; be transformedいるか知りませんが、そのころ timeはひどい漁村漁村ぎょそん fishing villageでした。第一第一だいち first of all (usually 第一だいいち)どこもかしこもどこもかしこも everywhere; throughout腥いなまぐさい smelling of fishのです。それからうみ sea入るはいる enter; go intoと、なみ waves押し倒されてたおされて be knocked over; be pushed down、すぐ handsだのあし feetだのを擦り剥くく skin; scrapeのです。こぶし fistのような大きなおおきな big; largeいし stones打ち寄せるせる break onto (the shore)波に揉まれてまれて be jostled; be pushed and shoved始終始終しじゅう continuouslyごろごろしているのです。

私はすぐいや unpleasant; not to one's likingになりました。しかしKは好いい good; fineとも悪いわるい no good; unacceptableともいいません。少なくともすくなくとも at least; at any rate顔付顔付かおつき countenance; expressionだけは平気平気へいき cool; calm; indifferentなものでした。そのくせかれ he; himは海へ入るたんびにどこかに怪我怪我けが wound; abrasionをしないこと case; instanceはなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せてせて persuade; convince; prevail over、そこから富浦富浦とみうら Tomiura (place name)行きましたきました went to。富浦からまた那古那古なこ Nako (place name; more commonly referred to as Nago)移りましたうつりました moved on (to)。すべてこの沿岸沿岸えんがん coast; shoreその時分その時分じぶん that time; those daysから重におもに mainly; for the most part学生学生がくせい student集まるあつまる gather; congregate所でしたから、どこでも我々我々われわれ we; usにはちょうど手頃の手頃てごろの appropriate; suitable海水浴場海水かいすい浴場よくじょう swimming beach; bathing beachだったのです。Kと私はよく海岸海岸かいがん seashore; seasideいわ rock; boulderうえ top of坐ってすわって sit down; seat oneself遠いとおい far off; distant海のいろ color; hueや、近いちかい near; closeみず waterそこ bottom; depths眺めましたながめました gazed upon。岩の上から見下す見下みおろす look down on; survey from above水は、また特別に特別とくべつに expecially綺麗な綺麗きれいな beautiful; pleasing to the eyeものでした。赤いあかい red色だのあい indigoの色だの、普通普通ふつう ordinarily市場市場しじょう marketplace; market上らないのぼらない not reach; not be brought up toような色をした小魚小魚こうお small fishが、透き通るとおる clear; transparent波のなか middle; midstをあちらこちらと泳いでおよいで swimいるのが鮮やかにあざやかに brilliantly; vividly指さされましたゆびさされました were there to see; caught one's sight

私はそこに坐って、よく書物書物しょもつ bookをひろげました。Kは何もなにも (no)thingせずに黙ってだまって remain silentいるほう alternative; chosen state多かったおおかった was (more) common; was (more) frequentのです。私にはそれが考えに耽っているかんがえにふけっている be lost in thoughtのか、景色景色けしき scenery; surroundings見惚れている見惚みとれている be taken; be captivated (by)のか、もしくは好きなきな pleasant; enjoyable想像想像そうぞう reverie; musing描いてえがいて picture; form (in one's mind)いるのか、全く解らなかったまったわからなかった had no ideaのです。私は時々時々ときどき occasionally; from time to time eyes上げてげて lift; raise、Kに何をしているのだと聞きましたきました asked; inquired。Kは何もしていないと一口一口ひとくち in short答えるこたえる answer; replyだけでした。私は自分の自分じぶんの one's ownそば side; proximityにこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんじょうさん (the) daughter; young ladyだったらさぞ愉快愉快ゆかい pleasant; agreeableだろうと思うおもう think about; consider事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはときには at timesKの方でも私と同じおなじ the sameような希望希望きぼう hope; desire抱いていだいて hold; harbor; embrace岩の上に坐っているのではないかしらと忽然忽然こつぜん suddenly; out of nowhere疑い出すうたがす begin to suspectのです。 {paragraph continues below}

すると落ち付いていて settled; relaxedそこに書物書物しょもつ bookをひろげているのが急にきゅうに suddenlyいや disagreeable; unpleasantになります。わたくし I; me不意に不意ふいに abruptly; without provocation立ち上りますあがります stand up。そうして遠慮のない遠慮えんりょのない unrestrained大きなおおきな big; loud (voice)こえ voice出してして put forth; send out; emit怒鳴ります怒鳴どなります yell; shout纏まったまとまった coherent; intelligible poem; verseだのうた songだのを面白そうに面白おもしろそうに in a studied manner; with feeling吟ずるぎんずる recite; singような手緩い手緩てぬるい controlled; methodicalこと act; actionはできないのです。ただ野蛮人野蛮人やばんじん wild man; savageのごとくにわめくのです。あるとき time; occasion私は突然突然とつぜん suddenlyかれ he; him襟頸襟頸えりくび nape; back of the neck後ろうしろ behind; in backからぐいと攫みましたつかみました grasped; seized。こうしてうみ seaなか middle; midst突き落したらおとしたら thrust down (into)どうするといってKに聞きましたきました asked。Kは動きませんでしたうごきませんでした didn't move; didn't stir後ろ向きうしき facing awayのまま、ちょうど好いちょうどい perfect; just fine、やってくれと答えましたこたえました answered; replied。私はすぐ首筋首筋くびすじ back of the neck; scruff of the neck抑えたおさえた held; grasped hands放しましたはなしました let go; released

Kの神経衰弱神経しんけい衰弱すいじゃく frayed nervesはこの時もう大分大分だいぶ very much; a great dealよくなっていたらしいのです。それと反比例に反比例はんひれいに in inverse proportion、私のほう side; alternative (of two choices)段々段々だんだん gradually; bit by bit過敏過敏かびん oversensitive; high-strungなって来ていたなってていた had becomeのです。私は自分自分じぶん oneselfより落ち付いているいている calm; composed; self-assuredKを見てて see; look at羨ましがりましたうらやましがりました was prone to envy。また憎らしがりましたにくらしがりました was prone to loathing。彼はどうしても私に取り合うう give one's attention to; lend one's ear to気色気色けしき sign; indicationを見せなかったからです。私にはそれが一種の一種いっしゅの a certain kind of自信自信じしん confidenceのごとく映りましたうつりました was reflected; came across (as)。しかしその自信を彼に認めたみとめた recognized; acknowledgedところで、私は決してけっして by (no) means満足できなかった満足まんぞくできなかった was not satisfied; was not contentのです。私の疑いうたがい suspicion; distrustはもう一歩一歩いっぽ one stepまえ forward出てて move (forward); advance、その性質性質せいしつ nature; character明らめたがりましたあきらめたがりました wanted to clarify; wanted to ascertain。彼は学問学問がくもん studiesなり事業事業じぎょう livelihood; professionなりについて、これから自分の進んで行くすすんでく proceed; carry onべき前途前途ぜんと forward path; future prospects; outlook光明光明こうみょう hope; optimism再びふたたび once more; once again取り返したかえした recovered; regained心持心持こころもち feeling; moodになったのだろうか。単にたんに simply; merelyそれだけならば、Kと私との利害利害りがい interests; concerns何のなんの (no) sort of衝突衝突しょうとつ conflict; clash起るおこる arise; come aboutわけ reason; causeはないのです。私はかえって世話世話せわ looking after (someone); assistanceし甲斐甲斐がい satisfaction of doing (something)があったのを嬉しく思ううれしくおもう be pleased (with; about)くらいなものです。けれども彼の安心安心あんしん peace of mind; sense of reliefがもしお嬢さんじょうさん (the) daughter; young ladyに対してたいして concerning; with respect toであるとすれば、私は決して彼を許すゆるす forgive; tolerate事ができなくなるのです。不思議にも不思議ふしぎにも oddly enough彼は私のお嬢さんを愛しているあいしている love; cherish; have fallen for素振素振そぶり behavior; bearing全くまったく utterly; completely気が付いていないいていない unaware of; oblivious toように見えました。無論無論むろん of course私もそれがKの眼に付くく catch one's eye; attract one's noticeようにわざとらしくは振舞いませんでした振舞ふるまいませんでした didn't behave; didn't carry oneselfけれども。Kは元来元来がんらい fundamentally; by natureそういうてん aspect; pointにかけると鈍いにぶい dull; obtuseひと person; manなのです。私には最初から最初さいしょから from the startKなら大丈夫大丈夫だいじょうぶ fine; alright; no problemという安心があったので、彼をわざわざうち house; home連れて来たれてた brought (into)のです。

二十九二十九にじゅうく (part) 29

わたくし I; me思い切っておもって resolutely自分の自分じぶんの one's ownこころ heart; mindをKに打ち明けようけよう open (oneself) up; speak candidlyとしました。もっともこれはそのとき time; occasion始まったはじまった began; startedわけ situation; caseでもなかったのです。たび travel出ない前ないまえ before leavingから、私にはそうしたはら mind; true intentionができていたのですけれども、打ち明ける機会機会きかい chance; opportunityをつらまえること situation; state (of affairs)も、その機会を作り出すつくす produce; bring about事も、私の手際手際てぎわ tact; talentsでは旨くゆかなかったうまくゆかなかった didn't work outのです。いま now; the presentから思うおもう think about; considerと、そのころ time私の周囲周囲しゅうい surroundings; environsにいた人間人間にんげん people; menはみんなみょう strange; curiousでした。おんな womenに関してかんして in connection to; concerning立ち入ったった entering into; broachingはなし talk; conversationなどをするものは一人一人ひとり one person; single personもありませんでした。なか within; amongには話すたね material; matterをもたないのも大分大分だいぶ a great deal; a good manyいたでしょうが、たといもっていても黙っているだまっている remain silent; hold one's tongueのが普通普通ふつう typical; usualのようでした。比較的比較的ひかくてき relatively自由な自由じゆうな free; unrestricted空気空気くうき air; atmosphere呼吸して呼吸こきゅうして breatheいる今のあなたがたから見たらたら view; look at定めしさだめし surely; without doubtへん strange; peculiarに思われるでしょう。それが道学道学どうがく ethics; morals余習余習よしゅう remaining customs; remnantsなのか、または一種の一種いっしゅの a certain kind ofはにかみはにかみ bashfulness; inhibitionなのか、判断判断はんだん judgmentはあなたの理解理解りかい understanding; discernment任せておきますまかせておきます entrust (to)

Kと私は何でもなんでも anything話し合えるはなえる could talk (to each other) about; could discussなか fellows; companyでした。偶にはたまには on occasion; at timesあい loveとかこい romanceとかいう問題問題もんだい subject; topic; problemも、口に上らないではありませんでしたくちのぼらないではありませんでした wasn't absent from (our) conversationが、いつでも抽象的な抽象的ちゅうしょうてきな abstract理論理論りろん theory; theorizing落ちてちて fall into; end up inしまうだけでした。それも滅多には滅多めったには only occasionally; seldom話題話題わだい subject; topic (of discussion)にならなかったのです。大抵は大抵たいていは usually; more often書物書物しょもつ booksの話と学問学問がくもん studiesの話と、未来未来みらい future事業事業じぎょう livelihood; professional lifeと、抱負抱負ほうふ aspirations; ambitionsと、修養修養しゅうよう (mental) training; cultivation of one's mindの話ぐらいで持ち切ってって talk the whole while ofいたのです。いくら親しくってしたしくって intimate; closeもこう堅くなったかたくなった dispassionate; cerebral daysには、突然突然とつぜん suddenly; out of the blue調子調子ちょうし tone; mood崩せるくずせる can disrupt; can break apartものではありません。二人二人ふたり two (people); the two of usはただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんじょうさん (the) daughter; young ladyの事をKに打ち明けようと思い立っておもって think to; resolve toから、何遍何遍なんべん how many times歯がゆいがゆい vexed; chagrinned不快不快ふかい discomfort悩まされたなやまされた was tormented; was afflicted (by)知れませんれません don't know; can't say。私はKのあたま headのどこか一カ所いっしょ one place; one spot突き破ってやぶって break through; breach、そこから柔らかいやわらかい mild; tender空気空気くうき air吹き込んでんで breathe intoやりたい feelingがしました。

あなたがたから見て笑止千万な笑止千万しょうしせんばんな highly ridiculous; most absurd事もその時の私には実際実際じっさい in fact; in truth大困難大困難だいこんなん great difficulty; considerable distressだったのです。私は旅先旅先たびさき (travel) destinationでもうち house; homeにいた時と同じおなじ the sameように卑怯卑怯ひきょう timid; meekでした。私は始終始終しじゅう continually; the whole while機会を捕えるとらえる grasp; seize気でKを観察して観察かんさつして watch; observeいながら、変に高踏的な高踏的こうとうてきな highbrow; bookishかれ he; him態度態度たいど attitude; mannerをどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓心臓しんぞう heartの周囲は黒いくろい blackうるし lacquer; varnish重くあつく heavily; thickly塗り固められたかためられた was hard coatedのも同然同然どうぜん same as; equivalent toでした。私の注ぎ懸けようそそけよう pour onto; pour overとする血潮血潮ちしお warm blood; passionは、一滴一滴いってき one drop; single dropもその心臓の中へは入らないではいらないで without entering; without penetrating悉くことごとく fully; entirely弾き返されてはじかえされて be repelled; be repulsedしまうのです。

或る時とき at (certain) timesはあまりKの様子様子ようす appearance; aspect強くてつよくて rugged; hardened高いたかい elevated; loftyので、わたくし I; meはかえって安心した安心あんしんした felt relieved; was assuredこと cases; instancesもあります。そうして自分の自分じぶんの one's own疑いうたがい distrust; suspicion腹の中ではらなかで deep down; inside; to oneself後悔する後悔こうかいする regret; rueと共にともに along with; together with同じおなじ the same腹の中で、Kに詫びましたびました apologized。詫びながら自分が非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly下等な下等かとうな base; low; vulgar人間人間にんげん person; manのように見えてえて appear; seem急にきゅうに suddenly厭ないやな disagreeable; unpleasant心持心持こころもち feeling; moodになるのです。しかし少時すると少時しばらくすると after a short while; before long以前の以前いぜんの previous; prior疑いがまた逆戻り逆戻ぎゃくもどり reversal; comebackをして、強く打ち返して来ますかえしてます hit back; bounce back。すべてが疑いから割り出されるされる be calculated; be inferred (from)のですから、すべてが私には不利益不利益ふりえき unfavorable; disadvantageousでした。容貌容貌ようぼう physical appearance; looksもKのほう alternative (of two choices)おんな women; ladies好かれるかれる be liked; be preferredように見えました。性質性質せいしつ nature; dispositionも私のようにこせこせこせこせ fussy; fidgety; restlessしていないところが、異性異性いせい the opposite sexには気に入るる suit one's taste; be to one's likingだろうと思われましたおもわれました (it) seemed that。どこか間が抜けていてけていて be deficient、それでどこかに確かりしたしっかりした strong; solid; secure男らしいおとこらしい man-like; masculineところのあるてん point; aspectも、私よりは優勢優勢ゆうせい superiority; ascendancyに見えました。学力学力がくりき scholarship; literary abilityになれば専門専門せんもん specialty; area of expertiseこそ違いますちがいます differが、私は無論無論むろん of courseKのてき match; equal (in competition)でないと自覚して自覚じかくして be aware; acknowledgeいました。――すべて向うむこうう the other party好いい good; fine; favorableところだけがこう一度に一度いちどに at once眼先眼先めさき before one's eyes散らつき出すらつきす began to flicker; began to flitと、ちょっと安心した私はすぐ元のもとの previous; prior; original不安不安ふあん uneasiness; anxiety立ち返るかえる come back to; revert toのです。

Kは落ち付かないかない unsettled; upset私の様子を見て、厭ならひとまず東京東京とうきょう Tōkyō帰ってかえって return (to)もいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はじつは actually; in truthKを東京へ帰したくなかったのかも知れませんかもれません it may be that ...二人二人ふたり two (people); the two of us房州房州ぼうしゅう Bōshū (place name; southern tip of Bōsō peninsula in Chiba Prefecture)はな nose; point; headland廻ってまわって circle; tour向う側むこがわ far side; opposite side出ましたました came out (onto); appeared (at)我々我々われわれ we; us暑いあつい hot sun射られながらられながら being hit with苦しいくるしい difficult; arduous思いをして、上総上総かずさ Kazusa (place name)のそこ一里一里いちり one ri (about 4 km; about 2.5 miles)騙されながらだまされながら deceived (by)うんうんうんうん moaning; groaning歩きましたあるきました walked。私にはそうして歩いている意味意味いみ meaning; purposeがまるで解らなかったわからなかった didn't see; failed to graspくらいです。私は冗談半分冗談じょうだん半分はんぶん half-jokinglyKにそういいました。するとKはあし legs; feetがあるから歩くのだと答えましたこたえました replied; answered。そうして暑くなると、うみ sea入って行こうはいってこう enter; go intoといって、どこでも構わずかまわず without regard forしお (salt) water漬りましたつかりました soaked; immersed (oneself)。そのあと afterをまた強いつよい strong; intense日で照り付けられるけられる have blazing down on; be beaten down withのですから、身体身体からだ body倦怠くて倦怠だるくて languid; listlessぐたぐたぐたぐた exhausted; worn outになりました。

三十三十さんじゅう (part) 30

「こんなふう way; mannerにして歩いてあるいて walkいると、暑さあつさ heat疲労疲労ひろう fatigueとで自然自然しぜん naturally; in due course身体身体からだ body調子調子ちょうし condition; state of health狂って来るくるってる get out of sortsものです。もっとも病気病気びょうき sickness; illnessとは違いますちがいます different; dissimilar急にきゅうに suddenlyひと (other) personの身体のなか inside; withinへ、自分自分じぶん oneself霊魂霊魂れいこん soul; spirit宿替宿替やどがえ change of lodgingsをしたような気分気分きぶん feelingになるのです。わたくし I; me平生の通り平生へいぜいとおり as usual; as alwaysKと口を利きながらくちきながら talk to; engage in conversation、どこかで平生の心持心持こころもち feeling; mood離れるはなれる be distant (from)ようになりました。かれ he; himに対するたいする with respect to; regarding親しみしたしみ intimacy憎しみにくしみ enmity; animosityも、旅中旅中りょちゅう while traveling; on the road限りかぎり limited toという特別な特別とくべつな special性質性質せいしつ nature; constitution帯びるびる take on; be tinged with風になったのです。つまり二人二人ふたり two (people); the two of usは暑さのため、しお (salt) waterのため、また歩行歩行ほこう walking; trekkingのため、在来在来ざいらい heretofore; until now異なったことなった different新しいあたらしい new; fresh関係関係かんけい relationship入るはいる enter (into)事ができたことができた was able to ...のでしょう。そのとき time我々我々われわれ we; usはあたかも道づれみちづれ fellow wayfarersになった行商行商ぎょうしょう traveling salesmen; peddlersのようなものでした。いくらはなし talk; conversationをしてもいつもと違って、あたま head; mind使う使つかう use; apply込み入ったった deep; difficult; complex問題問題もんだい subjects; topicsには触れませんでしたれませんでした didn't touch (on)

我々はこの調子でとうとう銚子銚子ちょうし Chōshi (place name)まで行ったった went (as far as)のですが、道中道中どうちゅう along the way; en routeたった一つひとつ one thing例外例外れいがい exceptionがあったのをいま now; the present忘れるわすれる forget事ができないのです。まだ房州房州ぼうしゅう Bōshū (place name; southern tip of Bōsō peninsula in Chiba Prefecture)離れない前はなれないまえ before taking leave of、二人は小湊小湊こみなと Kominato (place name)というところ place; localeで、鯛の浦たいうら Tai no Ura (small bay famous as spawning ground for tai, or sea bream) 見物しました見物けんぶつしました went to see; visited; toured。もう年数年数ねんすう a number of years; the yearsもよほど経ってって pass; elapseいますし、それに私にはそれほど興味興味きょうみ interestのない事ですから、判然とは判然はんぜんとは clearly; distinctly覚えていませんおぼえていません don't rememberが、何でもなんでも apparently; it seemsそこは日蓮日蓮にちれん Nichiren (Buddhist priest; 1222 - 1282)生れたうまれた was bornむら villageだとかいう話でした。日蓮の生れた dayに、たい tai; sea bream二尾二尾にび two (fish)いそ shore打ち上げられてげられて were tossed up (onto)いたとかいう言伝え言伝いいつたえ legend; loreになっているのです。それ以来以来いらい since; from村の漁師漁師りょうし fishermenが鯛をとる事を遠慮して遠慮えんりょして refrain from今に至ったいまいたった continued to the presentのだから、うら inlet; bayには鯛が沢山沢山たくさん large numbers; manyいるのです。我々は小舟小舟こぶね small boat傭ってやとって employeed; hired、その鯛をわざわざ見に出掛けた出掛でかけた went out to seeのです。

その時私はただ一図に一図いちずに intently; earnestlyなみ wavesを見ていました。そうしてその波の中に動くうごく move少しすこし somewhat; slightly紫がかったむらさきがかった purplish鯛のいろ colorを、面白い面白おもしろい intriguing; enthralling現象現象げんしょう phenomenon; spectacle; sceneの一つとして飽かずかず untiringly眺めましたながめました watched; observed。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかった興味きょうみをもちなかった failed to find interest (in)ものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮のほう alternative (of two things)を頭の中で想像して想像そうぞうして envision; pictureいたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺誕生寺たんじょうじ Tanjōji (temple name)というてら templeがありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも name付けたけた attached; assignedものでしょう、立派な立派りっぱな splendid; prominent伽藍伽藍がらん temple building; temple structureでした。Kはその寺に行って住持住持じゅうじ chief priest会ってみるってみる call on; visit withいい出しましたいいしました suggested; proposed {paragraph continues below}

実をいうとじつをいうと to tell the truth; to be honest我々我々われわれ we; usはずいぶん変なへんな odd; strange服装服装なり dress; attireをしていたのです。ことにKはかぜ wind; gustのために帽子帽子ぼうし hatうみ sea吹き飛ばされたばされた had blown away結果結果けっか result; consequence菅笠菅笠すげがさ woven bamboo hat買ってって purchase; buy被ってかぶって wear (on one's head)いました。着物着物きもの clothing固よりもとより of course双方双方そうほう both (of us)とも垢じみたあかじみた dirty; filthy; grimy上にうえに on top of; in addition toあせ sweat臭くなっていましたくさくなっていました had started to smellわたくし I; me坊さんぼうさん (Buddhist) priestなどに会うう meetのは止そうそう stop; quit; give up (an idea)といいました。Kは強情強情ごうじょう obstinate; headstrongだから聞きませんきません not listenいや disagreeable; not to one's likingなら私だけそと outside待ってって waitいろというのです。私は仕方がない仕方しかたがない have no other recourseからいっしょに玄関玄関げんかん entrywayにかかりましたが、心のうちではこころのうちでは inwardly; to oneselfきっと断られることわられる be turned down; be refusedに違いないちがいない no doubt ...思っていましたおもっていました thought; believed。ところが坊さんというものは案外案外あんがい unexpectedly丁寧な丁寧ていねいな courteous; civilもので、広いひろい wide; spacious立派な立派りっぱな fine; splendid座敷座敷ざしき room; parlorへ私たちを通してとおして have brought to; allow into、すぐ会ってくれました。その時分時分じぶん timeの私はKと大分大分だいぶ very much; a great deal考えかんがえ ideas; notions違っていましたちがっていました were different; were dissimilarから、坊さんとKの談話談話だんわ talk; conversationにそれほど耳を傾けるみみかたむける lend an ear; pay attention (to) inclination起りませんでしたおこりませんでした didn't ariseが、Kはしきりに日蓮日蓮にちれん Nichiren (Buddhist priest; 1222 - 1282)の事こと about; concerningを聞いていたようです。日蓮は草日蓮そう日蓮にちれん "grass Nichiren"といわれるくらいで、草書草書そうしょ grass script (flowing style of calligraphy)大変大変たいへん very much; terribly上手上手じょうず masterful; proficientであったと坊さんがいったとき time; moment characters拙いまずい inept; sub-parKは、何だ下らないなんくだらない what worthlessness; what follyというかお face; (facial) expressionをしたのを私はまだ覚えていますおぼえています remember; recall。Kはそんな事よりも、もっと深いふかい deep; profound意味意味いみ meaning; significanceの日蓮が知りたかったりたかった wanted to knowのでしょう。坊さんがそのてん point; aspectでKを満足させた満足まんぞくさせた satisfiedかどうかは疑問疑問ぎもん question; doubtですが、かれ he; himてら temple境内境内けいだい grounds出るる leave; depart fromと、しきりに私に向ってむかって turn toward日蓮の事を云々し出しました云々うんぬんしました began to go on about。私は暑くてあつくて hot草臥れて草臥くたびれて be tired; be worn out、それどころではありませんでしたから、ただ口の先でくちさきで with lip service好い加減な加減かげんな halfhearted; lukewarm; perfunctory挨拶挨拶あいさつ responseをしていました。それも面倒面倒めんどう trouble; botherになってしまいには全くまったく utterly; completely黙ってしまっただまってしまった fell silent; ceased respondingのです。

たしかその翌るあくる next; followingばん eveningの事だと思いますが、二人二人ふたり two (people); the two of us宿宿やど inn着いていて arriveめし meal食ってって eat、もう寝ようよう go to bed; turn inという少しすこし a little; a bitまえ beforeになってから、急にきゅうに all of a sudden; unexpectedlyむずかしい問題問題もんだい subject論じ合い出しましたろんしました started to argue (about)。Kは昨日昨日きのう the day before自分自分じぶん oneselfほう sideから話しかけたはなしかけた brought up in conversation日蓮の事について、私が取り合わなかったわなかった didn't show interest; didn't devote one's attentionのを、快く思っていなかったこころよおもっていなかった was not pleased; was put outのです。精神的に精神的せおしんてきに mentally; spiritually向上心向上心こうじょうしん desire for improvement; aspirationがないものは馬鹿馬鹿ばか fool; simpletonだといって、何だか私をさも軽薄もの軽薄けいはくもの trifling; superficial; fickle (person)のようにやり込めるやりめる snub; rebukeのです。ところが私のむね bosom; breastにはお嬢さんじょうさん (the) daughter; young ladyの事が蟠ってわだかまって lurk; hover; occupy (one's mind)いますから、彼の侮蔑侮蔑ぶべつ scorn; contempt; disdainに近いちかい close to; bordering on言葉言葉ことば wordsをただ笑ってわらって laugh; smile受け取るる accept; let pass訳にいきませんわけにいきません couldn't ...。私は私で弁解弁解べんかい defense始めたはじめた started on; engaged inのです。

三十一三十一さんじゅういち (part) 31

「そのとき time; occasionわたくし I; meはしきりに人間らしい人間にんげんらしい human; humaneという言葉言葉ことば word; term使いました使つかいました used; employed。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の自分じぶんの one's own弱点弱点じゃくてん weaknesses; shortcomingsのすべてを隠してかくして hide; concealいるというのです。なるほどあと afterから考えればかんがえれば think about; consider、Kのいう通りいうとおり just as (someone) saysでした。しかし人間らしくない意味意味いみ meaning; significanceをKに納得させる納得なっとくさせる persuade; convinceためにその言葉を使い出した使つかした put into use; brought out私には、出立点出立点しゅったつてん starting point; premiseがすでに反抗的反抗的はんこうてき argumentative; defiantでしたから、それを反省する反省はんせいする reconsider; backtrack onような余裕余裕よゆう leeway; marginはありません。私はなおの事なおのこと all the more自説自説じせつ one's own opinion主張しました主張しゅちょうしました asserted。するとKがかれ he; himのどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くく ask; inquireのです。私は彼に告げましたげました told; informed。――きみ youは人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎる人間にんげんらしぎる too humanかも知れないかもれない it may be that ...のだ。けれども口の先くちさき mouth; one's words; one's utterancesだけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おう振舞ふるまおう behave; conduct oneselfとするのだ。

私がこういった時、彼はただ自分の修養修養しゅうよう training; schooling足りないりない be insufficient; be lackingから、ひと (other) peopleにはそう見えるえる appear; seemかも知れないと答えたこたえた answered; respondedだけで、一向一向いっこう (not) in the least私を反駁しよう反駁はんばくしよう push back against; refuteとしませんでした。私は張合いが抜けた張合はりあいがけた lost one's enthusiasm; felt deflatedというよりも、かえって気の毒になりましたどくになりました felt sympathetic toward; felt bad for。私はすぐ議論議論ぎろん argumentをそこで切り上げましたげました broke off; brought to an end。彼の調子調子ちょうし tone; moodもだんだん沈んで来ましたしずんでました grew somber; darkened。もし私が彼の知っているっている know of; be familiar with通りとおり just as; in the same wayむかし former timesひと persons; personagesを知るならば、そんな攻撃攻撃こうげき attack; censureはしないだろうといって悵然としていました悵然ちょうぜんとしていました took on a doleful air; fell into sorrow。Kの口にした昔の人とは、無論無論むろん of course英雄英雄えいゆう heroesでもなければ豪傑豪傑ごうけつ great menでもないのです。れい soul; spiritのためににく (one's) flesh虐げたりしいたげたり tyrannize; tormentみち way; pathのためにたい the body鞭うったりむちうったり whip; scourgeしたいわゆる難行苦行難行苦行なんぎょうくぎょう penance; hardshipの人を指すす indicate; point outのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでくるしんで sufferいるか解らないわからない not understand; fail to graspのが、いかにも残念残念ざんねん disappointing; unfortunateだと明言しました明言めいげんしました declared; stated

Kと私とはそれぎり寝てしまいましたてしまいました went to bed; turned in。そうしてその翌るあくる next; following dayからまた普通の普通ふつうの usual; ordinary行商行商ぎょうしょう traveling salesmen; peddlers態度態度たいど manner; behavior返ってかえって return; revert (to)うんうんうんうん moaning; groaning汗を流しながらあせながしながら sweating; perspiring歩き出したあるした started walkingのです。しかし私は路々路々みちみち along the wayそのばん eveningの事をひょいひょいとひょいひょいと on occasion; often思い出しましたおもしました recalled; recollected。私にはこのうえ above; beyondもない好いい good; fine; excellent機会機会きかい chance; opportunity与えられたあたえられた was givenのに、知らない振りり pretense; guiseをしてなぜそれをやり過ごしたやりごした passed up; let slip awayのだろうという悔恨悔恨かいこん regretねん idea; thought; feeling燃えたえた burnedのです。私は人間らしいという抽象的な抽象的ちゅうしょうてきな abstract言葉を用いるもちいる use; apply代りにかわりに in place of; instead of、もっと直截直截ちょくせつ direct; straighforward簡単な簡単かんたんな simple; plainはなし talk; conversationをKに打ち明けてけて open (oneself) up; speak candidlyしまえば好かったかった should have ...と思い出したのです。 {paragraph continues below}

じつ truthをいうと、わたくし I; meがそんな言葉言葉ことば word; term創造した創造そうぞうした conjured up; called to mindのも、お嬢さんじょうさん (the) daughter; young ladyに対するたいする with respect to; regarding私の感情感情かんじょう feelings; emotions土台土台どだい basis; foundationになっていたのですから、事実事実じじつ reality蒸溜して蒸溜じょうりゅうして distill拵えたこしらえた fabricated; concocted理論理論りろん logical thread; theorizingなどをKのみみ ear吹き込むむ blow into; breathe intoよりも、原のもとの original; fundamentalかたち shape; formそのままをかれ he; him眼の前まえ before one's eyes露出した露出ろしゅつした exposed; disclosed; revealedほう alternative (of two choices)が、私にはたしかに利益利益りえき benefit; advantageだったでしょう。私にそれができなかったのは、学問学問がくもん studies; learning; scholarship交際交際こうさい friendship; society基調基調きちょう undertone構成して構成こうせいして make up; createいる二人二人ふたり two (people); the two of us親しみしたしみ intimacy; closenessに、自からおのずから of its own; as a matter of course一種の一種いっしゅの a certain kind of惰性惰性だせい inertiaがあったため、思い切っておもきって resolutely; daringlyそれを突き破るやぶる break through; breachだけの勇気勇気ゆうき courage; nerveが私に欠けてけて be missing; be defficientいたのだということ situation; state of affairsをここに自白します自白じはくします confess; acknowledge気取り過ぎた気取きどぎた too affected; too pretentiousといっても、虚栄心虚栄心きょえいしん vanity祟ったたたった worked (its) mischiefといっても同じおなじ the same (thing)でしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味意味いみ meaningは、普通普通ふつう usual; ordinaryのとは少しすこし a little; somewhat違いますちがいます different。それがあなたに通じさえすればつうじさえすれば be communicated; get through (to)、私は満足満足まんぞく satisfied; contentなのです。

我々我々われわれ we; us真黒になって真黒まっくろになって tanned almost black東京東京とうきょう Tōkyō帰りましたかえりました returned (to)。帰ったとき timeは私の気分気分きぶん feeling; moodがまた変っていましたかわっていました was changed; was altered人間らしい人間にんげんらしい human; humaneとか、人間らしくないとかいう小理屈小理屈こりくつ trifling argument; quibbleはほとんど頭の中あたまなか (in) one's head; one's mind残ってのこって remainいませんでした。Kにも宗教家らしい宗教家しゅうきょうからしい sage-like様子様子ようす appearance; look全くまったく utterly; completely見えなくなりましたえなくなりました had disappeared; had vanished; was nowhere to be seen。おそらく彼のこころ heart; mindのどこにもれい soul; spiritがどうのにく (one's) fleshがどうのという問題問題もんだい problem; questionは、その時宿って宿やどって dwell; resideいなかったでしょう。二人は異人種異人種いじんしゅ alien race; foreign raceのようなかお facesをして、忙しそういそがしそう busy; hurried; bustlingに見える東京をぐるぐる眺めましたながめました looked at; gazed on。それから両国両国りょうごく Ryōgoku (place name)来てて come (to); arrive (at)暑いあつい hotのに軍鶏軍鶏しゃも game fowl; gamecock食いましたいました ate。Kはその勢いいきおい energy; impetus小石川小石川こいしかわ Koishikawa (place name)まで歩いて帰ろうあるいてかえろう walk homeというのです。体力体力たいりょく physical endurance; staminaからいえばKよりも私の方が強いつよい strong; robustのですから、私はすぐ応じましたおうじました accepted; agreed

うち house; home着いたいた arrive (at)時、奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は二人の姿姿すがた appearance; conditionを見て驚きましたおどろきました was surprised; was taken aback。二人はただ色が黒くなったいろくろくなった tanned almost blackばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変大変たいへん very much; a great deal瘠せてしまったせてしまった lost weightのです。奥さんはそれでも丈夫そう丈夫じょうぶそう healthy-looking; robust in appearanceになったといって賞めてくれるめてくれる praise; express admirationのです。お嬢さんは奥さんの矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyがおかしいといってまた笑い出しましたわらしました broke into laughter旅行旅行りょこう travel; journeyまえ before; prior時々時々ときどき sometimes; on occasion腹の立ったはらった was irritated; grew cross私も、その時だけは愉快な愉快ゆかいな happy; pleasant心持心持こころもち feeling; sensationがしました。場合場合ばあい situation; circumstancesが場合なのと、久しぶりにひさしぶりに first time in a while聞いたいた heardせいでしょう。

三十二三十二さんじゅうに (part) 32

「それのみならずわたくし I; meお嬢さんじょうさん daughter; young lady態度態度たいど manner; behavior少しすこし a little; a bitまえ before; prior変っているかわっている changed; altered; differentのに気が付きましたきました noticed; sensed久しぶりでひさしぶりで for the first time in a whileたび travels; wanderingから帰ったかえった return (home)私たちが平生の通り平生へいぜいとおり as usual落ち付くく get settledまでには、万事万事ばんじ all thingsについておんな female; woman care; effort必要必要ひつよう necessary; needed; requiredだったのですが、その世話世話せわ help; assistanceをしてくれる奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)はとにかく、お嬢さんがすべて私のほう alternative (of two choices)先にしてさきにして do first、Kを後廻しにする後廻あとまわしにする put aside until laterように見えたえた appeared; seemedのです。それを露骨に露骨ろこつに conspicuously; overtlyやられては、私も迷惑した迷惑めいわくした be troubled; be botheredかもしれません。場合場合ばあい situation; circumstancesによってはかえって不快の不快ふかいの unpleasant; objectionableねん sense; feelingさえ起しかねなかったろうおこしかねなかったろう could well have brought about; might easily have evoked思うおもう think; believeのですが、お嬢さんの所作所作しょさ conduct; actionsはそのてん point; aspect甚だはなはだ very much; exceedingly要領を得ていた要領ようりょうていた were done just rightから、私は嬉しかったうれしかった was pleasedのです。つまりお嬢さんは私だけに解るわかる know; realizeように、持前の持前もちまえの characteristic; inherent; natural親切親切しんせつ kindness; consideration余分に余分よぶんに extra; above and beyond私の方へ割り宛てててて assign; allot; apportionくれたのです。だからKは別にべつに particularly厭ないやな unpleasant; disagreeableかお face; (facial) expressionもせずに平気平気へいき unconcerned; indifferentでいました。私は心の中でこころうちで deep down; to oneselfひそかにかれ he; himに対するたいする with respect to; regarding愷歌愷歌がいか victory song (usually 凱歌がいか)奏しましたそうしました played; performed

やがてなつ summer過ぎてぎて go by; pass九月九月くがつ September中頃中頃なかごろ (about the) middleから我々我々われわれ we; usはまた学校学校がっこう school課業課業かぎょう lessons出席しなければならない出席しゅっせきしなければならない have to attendこと situation; state of affairsになりました。Kと私とは各自の各自てんでんの each his own; respective時間時間じかん time都合都合つごう circumstances; conditions出入り出入でいり coming and going刻限刻限こくげん appointed timesにまた遅速遅速ちそく sooner and later; inconsistent timesができてきました。私がKより後れておくれて be late; be delayed帰るとき times; occasions一週一週いっしゅう one week三度三度さんど three timesほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんのかげ shadow; traceをKのへや room認めるみとめる observe; notice事はないようになりました。Kは例のれいの aforementioned; usual eyes; lookを私の方に向けてけて turn toward、「いま now; just now帰ったのか」を規則規則きそく rule; conventionのごとく繰り返しましたかえしました repeated。私の会釈会釈えしゃく nod; salutationもほとんど器械のごとく器械きかいのごとく machine-like; mechanical簡単簡単かんたん simple; abruptでかつ無意味無意味むいみ without meaning; of no significanceでした。

たしか十月十月じゅうがつ Octoberの中頃と思います。私は寝坊をした寝坊ねぼうをした slept late; overslept結果結果けっか result; consequence日本服日本服にほんふく Japanese dress; Japanese attireのまま急いでいそいで in a hurry; in a rush学校へ出たた left; set out (for)事があります。穿物穿物はきもの footwear編上編上あみあげ high-laced shoesなどを結んでむすんで tie; fastenいる時間が惜しいしい regrettable; a shameので、草履草履ぞうり Japanese (woven straw) sandals突っかけたっかけた slipped onなり飛び出したした flew out; dashed offのです。その day時間割時間割じかんわり (class) scheduleからいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来るもどってる come back; return homeと、そのつもりで玄関玄関げんかん entry hall; entryway格子格子こうし latticework (door)がらりとがらりと with a clatter; noisily開けたけた openedのです。するといないと思っていたKのこえ voiceひょいとひょいと suddenly聞こえましたこえました was audible; caught one's ear同時に同時どうじに at the same timeお嬢さんの笑い声わらごえ laughterが私のみみ ears響きましたひびきました reverberated; resounded。私はいつものように手数のかかる手数てかずのかかる be burdensome; be a botherくつ shoes穿いて穿いて wear (on lower body or feet)いないから、すぐ玄関に上がってがって come up (into)仕切仕切しきり partition; divisionふすま fusuma (sliding door)を開けました。私は例の通りつくえ deskの前に坐っているすわっている seated; sittingKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。 {paragraph continues below}

わたくし I; meはあたかもKのへや roomから逃れ出るのがる escape; flee; take flightように去るる leave; departその後姿後姿うしろすがた retreating figureちらりとちらりと fleetingly認めたみとめた observed; recognizedだけでした。私はKにどうして早くはやく early帰ったかえった returnedのかと問いましたいました asked; inquired。Kは心持が悪い心持こころもちわるい not feeling wellから休んだやすんだ stayed home (to rest)のだと答えましたこたえました answered; replied。私が自分自分じぶん one's ownの室にはいってそのまま坐ってすわって sitいると、間もなくもなく before long; shortlyお嬢さんじょうさん daughter; young ladyちゃ tea持って来てってて bringくれました。そのとき time; occasionお嬢さんは始めてはじめて for the first timeお帰りかえり welcome homeといって私に挨拶挨拶あいさつ salutation; greetingをしました。私は笑いながらわらいながら with a smileさっきはなぜ逃げたげた ran away; fledんですと聞けるける can askような捌けたさばけた sociable; world-wise; sensibleおとこ man; fellowではありません。それでいて腹の中でははらなかでは deep down; to oneself何だかなんだか somehow; in some wayそのこと matter; affair気にかかるにかかる weigh on one's mindような人間人間にんげん person; manだったのです。お嬢さんはすぐ座を立ってって get up (to go)縁側伝いに縁側伝えんがわづたいに along the veranda; following the veranda向うむこう other side; opposite direction (usually こう)行ってって go (to)しまいました。しかしKの室のまえ front of立ち留まってまって pause; halt二言三言二言ふたこと三言みこと a few wordsうち insideそと outsideとではなし conversation; exchangeをしていました。それは先刻先刻さっき earlier; a while ago続きつづき continuationらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでしたわかりませんでした didn't understand; couldn't follow

そのうちお嬢さんの態度態度たいど manner; behaviorがだんだん平気平気へいき nonchalant; casualになって来ました。Kと私がいっしょにうち house; homeにいる時でも、よくKの室の縁側へ来てかれ he; him name呼びましたびました called。そうしてそこへ入ってはいって enter; go into、ゆっくりしていました。無論無論むろん of course郵便郵便ゆうびん mail; post持って来るってる bring事もあるし、洗濯物洗濯物せんたくもの laundry置いてゆくいてゆく drop off; take in事もあるのですから、そのくらいの交通交通こうつう interaction; exchange同じおなじ the same宅にいる二人二人ふたり two people関係関係かんけい relationshipじょう with respect to; regarding当然当然とうぜん natural; reasonable見なければならないなければならない have to regard asのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したい専有せんゆうしたい want solely for one's ownという強烈な強烈きょうれつな strong; intent一念一念いちねん wholehearted desire; ardent wish動かされてうごかされて was moved; was motivated (by)いる私には、どうしてもそれが当然以上以上いじょう beyond; more thanに見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して回避かいひして avoid、Kのほう alternative (of two choices)ばかりへ行くく go (to)ように思われるおもわれる seemed事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないてもらわない have leave; put outのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に無理むりに insistingly; with great effort引張って来た引張ひっぱってた brought (to)主意主意しゅい aim; purpose立たなくなるたなくなる be for noughtだけです。私にはそれができないのです。

三十三三十三さんじゅうさん (part) 33

十一月十一月じゅういちがつ November寒いさむい coldあめ rain降るる fall; come down (precipitation) dayこと happening; affairでした。わたくし I; me外套外套がいとう overcoat; mantle濡らしてらして get wet; soak例の通りれいとおり as always; as usual蒟蒻閻魔蒟蒻こんにゃく閻魔えんま Konnyaku Enma (temple name; also known as Genkaku-ji)抜けてけて cut through細いほそい narrow坂路坂路さかみち sloping road; sloping lane上ってあがって go up; ascend; climbうち house; home帰りましたかえりました returned (to)。Kのへや room空虚空虚がらんどう empty; vacantでしたけれども、火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierには継ぎたての火ぎたての rekindled fire暖かそうにあたたかそうに warmly; in a cozy manner燃えていましたえていました was burning。私も冷たいつめたい cold hands早くはやく soon赤いあかい redすみ charcoal; coalsうえ over; above翳そうかざそう hold up (in front of)思っておもって think (to do)急いでいそいで hurriedly自分の自分じぶんの one's own室の仕切り仕切しきり partition開けましたけました opened。すると私の火鉢には冷たいはい ashes白くしろく with a white color残ってのこって remain; be leftいるだけで、火種火種ひだね live coal; glowing emberさえ尽きているきている be consumed; be all goneのです。私は急にきゅうに suddenly; at once不愉快不愉快ふゆかい unhappy; discontentになりました。

そのとき time; occasion私の足音足音あしおと footsteps聞いていて hear出て来たた came out; appearedのは、奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)でした。奥さんは黙ってだまって in silence室の真中真中まんなか middle; center立っているっている be standing私を見てて see気の毒そうにどくそうに sympathetically外套を脱がせてくれたりがせてくれたり help (someone) out of (their clothing)日本服日本服にほんふく Japanese dress; Japanese attire着せてくれたりしましたせてくれたりしました helped into; helped to put on (clothing)。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次のつぎの next; adjacent; adjoining room; spaceからKの火鉢を持って来てってて bringくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えましたこたえました answered; replied。その日もKは私より後れておくれて later; delayed帰る時間割時間割じかんわり (class) scheduleだったのですから、私はどうしたわけ circumstances; situationかと思いました。奥さんは大方大方おおかた probably; likely用事用事ようじ business (to attend to); errandでもできたのだろうといっていました。

私はしばらくそこに坐ったすわった satまま書見書見しょけん readingをしました。宅のなか insideがしんと静まってしずまって be quiet; be stillだれ (no) one話し声はなごえ (talking; speaking) voiceも聞こえないうちに、初冬初冬はつふゆ early winterの寒さと佗びしさびしさ loneliness; drearinessとが、私の身体身体からだ body; being食い込むむ bite into; penetrateような感じかんじ feelingがしました。私はすぐ書物書物しょもつ book伏せてせて turn over; lay face down立ち上りましたあがりました stood up。私はふと賑やかなにぎやかな busy; livelyところ place行きたくなったきたくなった wanted to go (to)のです。雨はやっと歇ったあがった let up; stoppedようですが、そら skyはまだ冷たいなまり lead (metal)のように重く見えたおもえた looked heavyので、私は用心用心ようじん precautionのため、蛇の目じゃ paper umbrella with a bull's-eye design (short for じゃがさ)肩に担いでかたかついで carry over one's shoulder砲兵工廠砲兵ほうへい工廠こうしょう arsenal; armory裏手裏手うらて back side土塀土塀どべい earthen wallについてひがし eastさか slope下りましたりました descended。その時分時分じぶん time; periodはまだ道路道路どうろ road; street改正改正かいせい improvementsができないころ time; daysなので、坂の勾配勾配こうばい gradient; pitch; inclineいま now; the presentよりもずっときゅう precipitous; steepでした。道幅道幅みちはば width of a road狭くてせまくて narrow、ああ真直真直まっすぐ straightではなかったのです。その上あのたに valleyへ下りると、みなみ south高いたかい tall建物建物たてもの buildings; structures塞がっているふさがっている be blocked off; be obstructed; be closedのと、放水放水みずはき drainageがよくないのとで、往来往来おうらい road; streetはどろどろでした。ことに細い石橋石橋いしばし stone bridge渡ってわたって go over; cross柳町柳町やなぎちょう Yanagi-chō (place name)通りとおり avenue; roadへ出るあいだ interval; span非道かった非道ひどかった was terrible; was awfulのです。 {paragraph continues below}

足駄足駄あしだ rain clogs (stilted sandals)でも長靴長靴ながぐつ high bootsでもむやみにむやみに rashly; indiscriminately歩くあるく walk; step訳にはゆきませんわけにはゆきません one couldn't ...; it wouldn't do to ...誰でもだれでも anyoneみち road; lane真中真中まんなか center自然と自然しぜんと naturally細長く細長ほそながく long and narrowどろ mud; muck掻き分けられたけられた be pushed asideところ placeを、後生後生ごしょう by all means大事に大事だいじに with care; taking care辿って行かなければならない辿たどってかなければならない had to follow; was compelled to followのです。そのはば width僅かわずか only; merely; just一、二尺いちしゃく 1 or 2 shaku (30 to 60 cm; 1 or 2 feet)しかないのですから、手もなくもなく just like; as it were往来往来おうらい road; street敷いてあるいてある be spread; be laid out (over)おび belt; band; stripうえ top of踏んでんで step on; tread on向うむこう other side; opposite direction (usually こう)越すす cross over (to)のと同じおなじ the sameこと situationです。行くひと peopleはみんな一列一列いちれつ single fileになってそろそろそろそろ slowly; steadily通り抜けますとおけます pass throughわたくし I; meはこの細帯細帯ほそおび narrow belt; narrow stripの上で、はたりとはたりと suddenly (= はたと)Kに出合いました出合であいました met; encounteredあし feetほう directionにばかり気を取られていたられていた give one's attention (to); be preoccupied (with)私は、かれ he; him向き合うう be face to face (with)まで、彼の存在存在そんざい existence; presenceにまるで気が付かずにかずに without noticing; unawaresいたのです。私は不意に不意ふいに abruptly自分自分じぶん oneselfまえ front of塞がったふさがった was blocked; was obstructedので偶然偶然ぐうぜん as it happened eyes上げたげた lifted; raisedとき time; moment始めてはじめて for the first timeそこに立っているっている be standingKを認めたみとめた noticed; recognizedのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きましたきました asked。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えこたえ answer; replyいつもの通りいつものとおり as alwaysふんという調子ふんという調子ちょうし terse in mannerでした。Kと私は細い帯の上で身体を替せました身体からだかわせました switched places; maneuvered around each other。するとKのすぐ後ろうしろ behind; in back一人一人ひとり one person; single person若いわかい youngおんな woman; ladyが立っているのが見えましたえました became apparent近眼近眼きんがん nearsightednessの私には、いま now; the presentまでそれがよく分らなかったわからなかった didn't know; couldn't tellのですが、Kをやり越したやりした passed; clearedあと afterで、その女のかお faceを見ると、それがうち (our) house; homeお嬢さんじょうさん daughter; young ladyだったので、私は少なからずすくなからず not a little bit; to no small extent驚きましたおどろきました was surprised。お嬢さんは心持心持こころもち slightly; a touch薄赤い薄赤うすあかい lightly blushing顔をして、私に挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationをしました。その時分時分じぶん time; period束髪束髪そくはつ hairstyleは今と違ってちがって different (from); unlikeひさし brim; peak (of the hair when styled)が出ていないのです、そうしてあたま headの真中にへび serpent; snakeのようにぐるぐる巻きつけてぐるぐるきつけて wind in circlesあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次のつぎの next; following瞬間瞬間しゅんかん moment; instantに、どっちか路を譲らなければならないゆずらなければならない have to yieldのだという事に気が付きました。私は思い切っておもって resolutelyどろどろのなか middle片足片足かたあし one foot踏ん込みましたみました stepped into (= みました)。そうして比較的比較的ひかくてき relatively; comparatively通りやすい所を空けてけて open、お嬢さんを渡してやりましたわたしてやりました let by

それから柳町柳町やなぎちょう Yanagi-chō (place name)通りとおり avenue; roadへ出た私はどこへ行って好いい good; well; fineか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くない面白おもしろくない of no interest; wearisome; dullような心持心持こころもち feeling; moodがするのです。私は飛泥飛泥はね splashes (of mud)の上がるのも構わずにかまわずに without consideration; giving no heed to糠る海ぬか mud; mireの中を自暴に自暴やけに desperately; with abandonどしどしどしどし tramping on歩きました。それから直ぐぐ straightaway; directly宅へ帰って来ましたかえってました came back; came home

三十四三十四さんじゅうし (part) 34

わたくし I; meはKに向ってむかって turn toward; faceお嬢さんじょうさん daughter; young ladyといっしょに出たた went outのかと聞きましたきました asked。Kはそうではないと答えましたこたえました answered; replied真砂町真砂町まさごちょう Masago-chō (place name)偶然偶然ぐうぜん by chance出会った出会であった ran into; encounteredから連れ立ってって accompany; escort帰って来たかえってた came back; returned homeのだと説明しました説明せつめいしました explained。私はそれ以上以上いじょう above; beyond; more than立ち入ったった intrusive; prying質問質問しつもん questions; queries控えなければなりませんでしたひかえなければなりませんでした had to refrain from。しかし食事食事しょくじ mealとき time、またお嬢さんに向って、同じおなじ the same問いい question; query掛けたくなりましたけたくなりました wanted to pose (a question)。するとお嬢さんは私の嫌いなきらいな disagreeable; disliked例のれいの aforementioned; characteristic笑い方わらかた manner of laughing; laughterをするのです。そうしてどこへ行ったった went (to)中ててみろててみろ take a guessとしまいにいうのです。そのころ timeの私はまだ癇癪持ち癇癪かんしゃくち (man) of short temper; hotheadでしたから、そう不真面目に不真面目ふまじめに frivolously; triflingly若いわかい youngおんな woman; ladyから取り扱われるあつかわれる be treated; be handled腹が立ちましたはらちました became angry; took offense。ところがそこに気の付くく take notice (of)のは、同じおなじ the same食卓食卓しゃくたく dining table着いているいている be present (at)もののうちで奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)一人一人ひとり one person; single personだったのです。Kはむしろ平気平気へいき cool; indifferentでした。お嬢さんの態度態度たいど attitude; mannerになると、知ってって knowingly; awareわざとやるのか、知らないで無邪気に無邪気むじゃきに innocentlyやるのか、そこの区別区別くべつ distinctionがちょっと判然しない判然はんぜんしない be unclearてん point; placeがありました。若い女としてお嬢さんは思慮思慮しりょ prudence; discretion富んだんだ be rich (in); have in abundanceほう direction; tendencyでしたけれども、その若い女に共通な共通きょうつうな common; shared; universal私の嫌いなところも、あると思えばおもえば think; consider思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kがうち house; homeへ来てから、始めてはじめて for the first time私の eyes着き出したした thrust out; projectedのです。私はそれをKに対するたいする with respect to; regarding私の嫉妬嫉妬しっと jealousy; envy帰してして attribute (to)いいものか、または私に対するお嬢さんの技巧技巧ぎこう technique; finesse見傚して見傚みなして consider; regard (as)しかるべきものか、ちょっと分別分別ふんべつ judgment; discernment迷いましたまよいました was lost; was unsure; waivered。私はいま now; the presentでも決してけっして by (no) meansその時の私の嫉妬心嫉妬心しっとしん jealous heart; feelings of jealousy打ち消すす deny intentionはありません。私はたびたび繰り返したかえした repeated; reiterated通りとおり just asあい love; affection裏面裏面りめん reverse side; backgroundにこの感情感情かんじょう feelings; emotions働きはたらき workings; operation明らかにあきらかに clearly; distinctly意識していた意識いしきしていた was aware of; felt; sensedのですから。しかも傍のものはたのもの outside observers; othersから見るる see; viewと、ほとんど取るに足りないるにりない not worth regard瑣事瑣事さじ trifleに、この感情がきっとくび neck; head持ち上げたがるげたがる be prone to raiseのでしたから。これは余事余事よじ extraneous matter; digression; an asideですが、こういう嫉妬は愛の半面半面はんめん half; one side (of)じゃないでしょうか。私は結婚して結婚けっこんして marry; wedから、この感情がだんだん薄らいで行くうすらいでく attenuate; fade awayのを自覚しました自覚じかくしました was conscious of; perceivedその代りそのかわり in return; at the same time愛情愛情あいじょう (feelings of) love; affectionの方も決して元のようにもとのように as before; as in the beginning猛烈猛烈もうれつ keen; spirited; intenseではないのです。

わたくし I; meはそれまで躊躇していた躊躇ちゅうちょしていた hesitated; was indecisive自分の自分じぶんの one's ownこころ heart; mindを、一思いに一思ひとおもいに resolutely相手相手あいて the other partyむね breast; bosom擲き付けようたたけよう thrust (onto); hurl (against)かと考え出しましたかんがしました thought (to do)。私の相手というのはお嬢さんじょうさん daughter; young ladyではありません、奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)の事こと regarding ...; concerning ...です。奥さんにお嬢さんを呉れろれろ give to me明白な明白めいはくな overt; explicit談判談判だんぱん negotiation; talk開こうひらこう open; engage in; beginかと考えたのです。しかしそう決心しながら決心けっしんしながら decide; make up one's mind一日一日と一日いちにち一日いちにちと day by day; a day at a time私は断行断行だんこう decisive action; execution day延ばして行ったばしてった put off; delayedのです。そういうと私はいかにも優柔な優柔ゆうじゅうな irresolute; hesitant; wishy-washyおとこ man; fellowのように見えますえます appear; come across (as)、また見えても構いませんかまいません is fine; doesn't matterが、実際実際じっさい in fact; in truth私の進みかねたすすみかねた was unable to move forwardのは、意志意志いし intention; volitionちから power; strength不足不足ふそく deficiencyがあったためではありません。Kの来ないうちないうち before coming; before arrivingは、ひと others; other (people) trick; technique乗るる be deceived; be taken in (by)のがいや objectionable; unpleasantだという我慢我慢がまん forebearance; restraintが私を抑え付けておさけて suppressed; held back一歩一歩いっぽ one step動けないうごけない can't moveようにしていました。Kの来たた came; arrivedのち afterは、もしかするとお嬢さんがKのほう alternative (of two choices) feelings; thoughtsがあるのではなかろうかという疑念疑念ぎねん doubt; misgiving絶えずえず continually; steadily; at all times私を制するせいする rein in; restrict; control; commandようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けてかたむけて lean; incline; tip (toward)いるならば、このこい (romantic) love口へいい出すくちへいいす voice; profess価値価値かち value; worthのないものと私は決心して決心けっしんして determine; decideいたのです。恥を掻かせられるはじかせられる be humiliated; have cause to lose faceのが辛いつらい painful; difficult; bitterなどというのとは少しすこし a little; a bitわけ situation; circumstance違いますちがいます different。こっちでいくら思っておもって think; consider; museも、向うむこう other side; opposite direction (usually こう)内心内心ないしん at heart; deep down他のほかの otherひと person; manあい love; affectionまなこ eyes; look; gaze注いでそそいで pour out uponいるならば、私はそんなおんな woman; young ladyといっしょになるのは厭なのです。世の中なか society; the worldでは否応なしに否応いやおうなしに by force; by compulsion自分の好いたいた preferred; favored女をよめ wife; bride貰ってもらって receive (as)嬉しがっているうれしがっている be happy; be pleased人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした世間せけんずれのした tainted by experience; world-worn男か、さもなければ愛の心理心理しんり state of mind; mentality; psychologyがよく呑み込めないめない can't comprehend; can't relate to鈍物鈍物どんぶつ blockhead; dullard; foolのする事と、当時当時とうじ at that timeの私は考えていたのです。一度一度いちど once貰ってしまえばどうかこうか落ち付くく come to rest; settle inものだぐらいの哲理哲理てつり philosophy; line of reasoningでは、承知する承知しょうちする acquiesce to; accept事ができないくらい私は熱していましたねっしていました was agitated; was passionate。つまり私は極めてきわめて exceedingly; extremely高尚な高尚こうしょうな lofty; noble愛の理論家理論家りろんか theoristだったのです。同時に同時どうじに at the same timeもっとも迂遠な迂遠うえんな roundabout; circuitous愛の実際家実際家じっさいか pragmatist; doer of deedsだったのです。

肝心の肝心かんじんの essential; crucial; all-importantお嬢さんに、直接直接ちょくせつ directlyこの私というものを打ち明けるける disclose; lay bare機会機会きかい opportunity; chanceも、長くながく for a long timeいっしょにいるうちには時々時々ときどき on occasion; from time to time出て来たた came about; aroseのですが、私はわざとそれを避けましたけました avoided日本日本にほん Japan習慣習慣しゅうかん custom; conventionとして、そういう事は許されていないゆるされていない not permissibleのだという自覚自覚じかく consciousness; awarenessが、そのころ time; periodの私には強くつよく strongly; firmlyありました。しかし決してけっして by (no) meansそればかりが私を束縛した束縛そくばくした restrained; fetteredとはいえません。日本人日本人にほんじん Japanese (people)、ことに日本の若い女わかおんな young ladiesは、そんな場合場合ばあい situation; circumstancesに、相手に気兼なく気兼きがねなく without hesitation自分の思った通りとおり just as; exactly as遠慮せずに遠慮えんりょせずに without holding back口にするくちにする verbalize; voiceだけの勇気勇気ゆうき nerve; audacity乏しいとぼしい poor; lacking (in)ものと私は見込んでいた見込みこんでいた was convincedのです。

三十五三十五さんじゅうご (part) 35

「こんなわけ reason; rationaleわたくし I; meはどちらの方面方面ほうめん direction向ってむかって turn toward進むすすむ advance; move forward; progress事ができずにことができずに without being able to立ち竦んでいましたすくんでいました stood frozen (in place); was paralyzed身体身体からだ body; physical constitution悪いわるい bad; poor; out of sortsとき time午睡午睡ひるね nap; restなどをすると、 eyesだけ覚めてめて be awake; be alert; be active周囲周囲しゅうい surroundingsのものが判然判然はっきり clearly; distinctly見えるえる be visible; appearのに、どうしても手足手足てあし hands and feet動かせないうごかせない cannot be moved場合場合ばあい case; situationがありましょう。私は時としてああいう苦しみくるしみ suffering; distress人知れず人知ひとしれず unbeknownst to others感じたかんじた felt; experiencedのです。

その内そのうち during that time; by and byとし year暮れてれて end; come to a closeはる spring; springtime; New Yearになりました。ある day奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)がKに歌留多歌留多かるた karuta (from portuguese 'carta'); traditional Japanese playing cardsをやるから誰かだれか someone友達友達ともだち friend連れて来ないかれてないか can you bring; can you invite (over)といった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人も一人ひとりも (not) one personないと答えたこたえた replied; respondedので、奥さんは驚いておどろいて be surprised; be taken abackしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来往来おうらい road; street会ったった meet; run into; come across挨拶挨拶あいさつ greetingをするくらいのものは多少多少たしょう some; a fewありましたが、それらだって決してけっして by (no) means歌留多などを取るる play (cards)がら suitable forではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったった know; be acquainted withものでも呼んで来たらんでたら summon; inviteどうかといい直しましたいいなおしました stated anew; took another tactが、私も生憎生憎あいにく unfortunately; regrettablyそんな陽気な陽気ようきな jovial; lively遊びあそび amusement; playをする心持心持こころもち feeling; moodになれないので、好い加減な加減かげんな vague; noncommittal; perfunctory生返事生返事なまへんじ lukewarm response; halfhearted replyをしたなり、打ちやっておきましたちやっておきました sidestepped; dismissed。ところがばん eveningになってKと私はとうとうお嬢さんじょうさん daughter; young lady引っ張り出されてされて be pressed; be urged; be coerced (to come and do something)しまいました。きゃく visitor; guestも誰も来ないのに、内々内々うちうち household members小人数小人数こにんず small number of peopleだけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなしずかな quiet; subduedものでした。その上そのうえ on top of that; furthermoreこういう遊技遊技ゆうぎ game; amusementやり付けないやりけない be unaccustomed toKは、まるで懐手をしている懐手ふところでをしている stand idly by (lit: have one's hands in one's pockets)ひと person同様同様どうよう equivalent to; the same asでした。私はKに一体一体いったい for heaven's sake; of all things百人一首百人ひゃくにん一首いっしゅ Hyakunin Isshu (100 poems by 100 famous poets)うた classical Japanese poemsを知っているのかと尋ねましたたずねました asked; inquired。Kはよく知らないと答えました。私の言葉言葉ことば words聞いたいた heardお嬢さんは、大方大方おおかた perhaps; in all likelihoodKを軽蔑する軽蔑けいべつする mock; derideとでも取ったのでしょう。それから眼に立つつ catch one's eye; be apparentようにKの加勢加勢かせい assistance; supportし出しましたしました began to provide。しまいには二人二人ふたり two (people); the two of themがほとんどくみ teamになって私に当るあたる face; confront; take onという有様有様ありさま state of affairs; circumstanceになって来ました。私は相手相手あいて other party; opponent次第次第しだい depending onでは喧嘩喧嘩けんか argument; quarrel始めたはじめた started; instigatedかも知れなかったのです。幸いにさいわいに fortunatelyKの態度態度たいど attitude; manner少しもすこしも (not) in the least最初最初さいしょ beginning; outset変りませんでしたかわりませんでした was unchanged (from)かれ he; himのどこにも得意らしい得意とくいらしい triumphant; gloating様子様子ようす appearance; aspect認めなかったみとめなかった didn't observe; didn't notice私は、無事に無事ぶじに without incidentその situation; scene切り上げるげる bring to a close; be done with事ができました。

それから二、三日三日さんにち two or three days経ったった passed; went by; elapsedのち afterこと affair; happeningでしたろう、奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)お嬢さんじょうさん daughter; young ladyあさ morningから市ヶ谷市ヶ谷いちがや Ichigaya (place name)にいる親類親類しんるい relative; relationところ place; residence行くく go (to)といってうち house出ましたました left; departed from。Kもわたくし I; meもまだ学校学校がっこう school; classes始まらないはじまらない not start; not beginころ time; periodでしたから、留守居留守居るすい caretaker; keeper同様同様どうよう same as; equivalent toあとに残ってのこって remain; stay behindいました。私は書物書物しょもつ book読むむ readのも散歩散歩さんぽ walk; strollに出るのもいや not to one's likingだったので、ただ漠然と漠然ばくぜんと vaguely; dreamily; musingly火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierふち edgeひじ elbows載せてせて rest on凝とじっと fixedly; intentlyあご jaw; chin支えたささえた supported; proppedなり考えてかんがえて think; consider; contemplateいました。隣のとなりの adjacent; adjoiningへや roomにいるKも一向一向いっこう (not) in the least音を立てませんでしたおとてませんでした made no sound双方双方そうほう both; both partiesともいるのだかいないのだか分らないわからない can't tellくらい静かしずか quiet; stillでした。もっともこういう事は、二人二人ふたり two (people); the two of us間柄間柄あいだがら relationship; termsとして別にべつに particularly珍しくめずらしく unusual何ともなんとも (no)thingなかったのですから、私は別段別段べつだん especiallyそれを気にも留めませんでしたにもめませんでした pay attention to; give heed to

十時十時じゅうじ ten (o'clock)ごろ around; aboutになって、Kは不意に不意ふいに suddenly; abruptly仕切り仕切しきり partitionふすま fusuma (sliding door)開けてけて open私と顔を見合せましたかお見合みあわせました saw face to faceかれ he; him敷居敷居しきい thresholdうえ over; above立ったった stoodまま、私になに whatを考えていると聞きましたきました asked。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りいつものとおり as alwaysお嬢さんが問題問題もんだい subject; topicだったかも知れませんかもれません it may be that ...。そのお嬢さんには無論無論むろん of course奥さんも食っ付いていて come along with; be close toいますが、近頃では近頃ちかごろでは recently; of late自身自身じしん oneself; himself切り離すべからざるはなすべからざる cannot detach; cannot separateひと person; character; presenceのように、私のあたま head; mindなか insideぐるぐる回ってぐるぐるめぐって circulate in; whirl through、この問題を複雑複雑ふくざつ complicatedにしているのです。Kと顔を見合せた私は、いま nowまで朧気に朧気おぼろげに dimly; indistinctly彼を一種の一種いっしゅの a certain type of邪魔もの邪魔じゃまもの nuissance; hindranceの如くごとく like ...; the same as ...意識して意識いしきして think of asいながら、明らかにあきらかに openly; plainlyそうと答えるこたえる respond; answer訳にいかなかったわけにいかなかった it wouldn't do to ...; couldn't very well ...のです。私は依然として依然いぜんとして still; as (I) had been彼の顔を見て黙っていましただまっていました kept silent。するとKのほう sideからつかつかとつかつかと determinedly私の座敷座敷ざしき room入って来てはいってて come into; enter、私のあたっている火鉢のまえ front of坐りましたすわりました sat down。私はすぐ両肱両肱りょうひじ both elbowsを火鉢の縁から取り除けてけて remove心持心持こころもち slightly; just a littleそれをKの方へ押しやるしやる push over (toward)ようにしました。

Kはいつもに似合わないいつもに似合にあわない unbecomming; out of characterはなし talk; conversation始めましたはじめました started; engaged in。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったった went (to)のだろうというのです。私は大方大方おおかた probably; most likely叔母さん叔母おばさん auntの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人軍人ぐんじん military man; soldier細君細君さいくん wifeだと教えてやりました。するとおんな women年始年始ねんし New Year's greetings大抵大抵たいてい usually; oridinarily十五日十五日じゅうごにち 15th (day of the month)すぎ after; pastだのに、なぜそんなに早くはやく soon出掛けた出掛でかけた went out; set outのだろうと質問する質問しつもんする ask; inquireのです。私はなぜだか知らないと挨拶する挨拶あいさつする reply; respondより外によりほかに other than仕方がありませんでした仕方しかたがありませんでした had no choice but to ...

三十六三十六さんじゅうろく (part) 36

「Kはなかなか奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)お嬢さんじょうさん daughter; young ladyはなし talk; conversation已めませんでしためませんでした didn't stop。しまいにはわたくし I; me答えられないこたえられない be unable to answerような立ち入ったった probing; personalこと mattersまで聞くく askのです。私は面倒面倒めんどう trouble; nuisanceよりも不思議不思議ふしぎ strange; curious; uncannyかん feeling; impression打たれましたたれました was struck (by)以前以前いぜん before; previously私のほう sideから二人二人ふたり two (people)問題問題もんだい subject; topicにして話しかけたとき times; occasionsかれ he; him思い出すおもす recall; rememberと、私はどうしても彼の調子調子ちょうし vein; mood; manner変っているかわっている be changed; be differentところに気が付かずにかずに without noting; without noticingはいられないのです。私はとうとうなぜ今日今日きょう today; this dayに限ってかぎって limited to; onlyそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねましたたずねました asked; inquired。その時彼は突然突然とつぜん suddenly; abruptly黙りましただまりました fell silent。しかし私は彼の結んだむすんだ closed; bound; tied口元口元くちもと mouth; lipsにく flesh顫えるふるえる tremble; quiverように動いてうごいて move; waverいるのを注視しました注視ちゅうししました watched with care; studied。彼は元来元来がんらい inherently; by nature無口な無口むくちな reserved; reticentおとこ man; fellowでした。平生平生へいぜい ordinarily; usuallyから何かなにか somethingいおうとすると、いうまえ beforeによく口のあたりをもぐもぐさせるくせ tendency; idiosyncrasyがありました。彼のくちびる lipsがわざと彼の意志意志いし will; volition反抗する反抗はんこうする resist; oppose; defyように容易く容易たやすく easily開かないかない don't openところに、彼の言葉言葉ことば words重みおもみ weight; gravity籠ってこもって be heavy withいたのでしょう。一旦一旦いったん onceこえ voiceが口を破って出るやぶってる burst out; break forth (from)となると、その声には普通の普通ふつうの usual; typical; ordinaryひと person; manよりもばい twofold強いつよい strong; potentちから power; forceがありました。

彼の口元をちょっと眺めたながめた watched; observed時、私はまた何か出て来るる come forth; emergeなとすぐ疳付いた疳付かんづいた suspected; sensedのですが、それがはたして何のなんの what; what sort of準備準備じゅんび preparationなのか、私の予覚予覚よかく hunch; premonitionはまるでなかったのです。だから驚いたおどろいた was caught off guard; was blindsidedのです。彼の重々しい重々おもおもしい serious; weighty口から、彼のお嬢さんに対するたいする with respect to; concerning切ないせつない distressing; heartrendingこい (romantic) love打ち明けられたけられた was revealed; was disclosed時の私を想像してみて想像そうぞうしてみて try to imagine下さいください please ...。私は彼の魔法棒魔法棒まほうぼう magician's wandのために一度に一度いちどに at once; in an instant化石された化石かせきされた turned to stone; petrified; fossilizedようなものです。口をもぐもぐさせる働きはたらき ability; functionさえ、私にはなくなってしまったのです。

その時の私は恐ろしさおそろしさ fright; dread塊りかたまり embodiment (of a feeling)といいましょうか、または苦しさくるしさ torment; anguishの塊りといいましょうか、何しろなにしろ anyway; at any rate一つひとつ one (thing)の塊りでした。いし stoneてつ iron; steelのようにあたま headから足の先あしさき tip of one's toesまでが急にきゅうに suddenly固くなったかたくなった stiffened; went rigidのです。呼吸呼吸こきゅう breathをする弾力性弾力性だんりょくせい flexibility; resilienceさえ失われたうしなわれた was lost; was goneくらいに堅くなったのです。幸いな事にさいわいなことに fortunatelyその状態状態じょうたい situation; condition長くながく for long続きませんでしたつづきませんでした did not continue; did not last。私は一瞬間一瞬間いっしゅんかん a moment; an instantのち later; afterに、また人間らしい人間にんげんらしい human; human-like気分気分きぶん feeling取り戻しましたもどしました took back; regained; recovered。そうして、すぐ失策った失策しまった damn it; confound it思いましたおもいました thought先を越されたせんされた been beaten (at or to something); lost the initiativeなと思いました。

しかしそのさき ahead; going forwardをどうしようという分別分別ふんべつ judgment; discernmentはまるで起りませんおこりません not arise; not come about恐らくおそらく probably; likely起るだけの余裕余裕よゆう margin; leewayがなかったのでしょう。わたくし I; me腋の下わきした underarm; armpitから出るる come out; emerge気味のわるい気味きみのわるい unpleasant; unsettlingあせ sweat襯衣襯衣シャツ shirt滲み透るとおる soak throughのを凝とじっと patiently; stoically我慢して我慢がまんして endure; suffer動かずにうごかずに without moving; without stirringいました。Kはそのあいだ intervsal; span (of time)いつもの通りいつものとおり as always; as before重いおもい heavy; solemnくち mouth切ってって break (open)は、ぽつりぽつりとぽつりぽつりと intermittantly; bit by bit自分の自分じぶんの one's ownこころ heart; soul打ち明けてゆきますけてゆきます continue to bare。私は苦しくってくるしくって in agony堪りませんでしたたまりませんでした couldn't endure; couldn't bear。おそらくその苦しさは、大きなおおきな big; large広告広告こうこく notice; announcement; handbillのように、私のかお faceうえ surface of判然りした判然はっきりした bold; vivid characters; writing貼り付けられてけられて pasted; affixedあったろうと私は思うおもう think; imagineのです。いくらKでもそこに気の付かないかない not notice; fail to catchはずはないのですが、かれ he; himはまた彼で、自分のこと matter; affair; concern一切一切いっさい all; everything集中して集中しゅうちゅうして focus; concentrateいるから、私の表情表情ひょうじょう facial expression; countenanceなどに注意する注意ちゅういする heed; take note ofひま time; leisureがなかったのでしょう。彼の自白自白じはく confession最初最初さいしょ beginningから最後最後さいご endまで同じおなじ the same調子調子ちょうし vein; mood; manner貫いてつらぬいて carry through; persistいました。重くて鈍いのろい slow; lethargic代りにかわりに in return; in exchange (for)、とても容易な容易よういな easy; simple事では動かせないうごかせない can't move; can't shift; can't budgeという感じかんじ feeling; impressionを私に与えたあたえた gave; impartedのです。私の心は半分半分はんぶん half; in partその自白を聞いていて listen toいながら、半分どうしようどうしようというねん thought絶えずたええず ceaselessly; all the while掻き乱されてみだされて be agitated; be disturbedいましたから、細かいこまかい detailed; fineてん pointsになるとほとんど耳へ入らないみみはいらない fall on deaf ears同様同様どうよう the same asでしたが、それでも彼の口に出すくちす utter; voice言葉言葉ことば wordsの調子だけは強くつよく impactfully; with forceむね breast; bosom響きましたひびきました echoed; reverberated。そのために私はまえ before; priorいった苦痛苦痛くつう anguish; painばかりでなく、ときには一種の一種いっしゅの a certain type of恐ろしさおそろしさ dread感ずるかんずる feel; senseようになったのです。つまり相手相手あいて the other partyは自分より強いのだという恐怖恐怖きょうふ fear; dread; horrorの念が萌し始めたきざはじめた began to materialize; began to show itselfのです。

Kのはなし talk; discourse一通り一通ひととおり once through済んだんだ finished; concludedとき time; moment、私は何ともなんとも (no)thingいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じおなじ the same意味意味いみ meaning; sense; effectの自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいるほう alternative (of two choices)得策得策とくさく the best plan; advantageousだろうか、私はそんな利害利害りがい pro or con; profit or loss考えてかんがえて consider; think over黙っていただまっていた held one's silenceのではありません。ただ何事も何事なにごとも (no)thing whatsoeverいえなかったのです。またいう inclinationにもならなかったのです。

午食午食ひるめし lunchの時、Kと私は向い合せにむかあわせに facing each other席を占めましたせきめました took (our) seats下女下女げじょ maidservant給仕給仕きゅうじ (table) serviceをしてもらって、私はいつにない不味い不味まずい unappetizing; tastelessめし mealを済ませました。二人二人ふたり two (people); the two of us食事中食事中しょくじちゅう while eating; throughout the mealもほとんど口を利きませんでしたくちきませんでした didn't speak奥さんおくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)お嬢さんじょうさん daughter; young ladyはいつ帰るかえる return homeのだか分りませんでしたわかりませんでした didn't know