Kokoro - Sensei's Testament - 10-18

vocabulary bar - use mouse hover or touch to display furigana and definition of underlined terms

十十じゅう (part) 10

「金金かね money; fundsに不自由不自由ふじゆう inconvenience; impairmentのない私私わたくし I; meは、騒々しい騒々そうぞうしい noisy; boisterous下宿下宿げしゅく lodgingsを出て出でて leave; vacate、新しく新あたらしく anew一戸一戸いっこ (single) house; householdを構えて構かまえて set up; establishみようかという気気き inclinationになったのです。しかしそれには世帯道具世帯しょたい道具どうぐ housekeeping waresを買う買かう purchase; procure面倒面倒めんどう trouble; burdenもありますし、世話世話せわ caretakingをしてくれる婆さん婆ばあさん old womanの必要必要ひつよう necessity; needも起ります起おこります come about; ariseし、その婆さんがまた正直正直しょうじき honest; uprightでなければ困る困こまる have a hard time; be in a fixし、宅宅うち house; homeを留守にして留守るすにして leave (a home) emtpyも大丈夫大丈夫だいじょうぶ okay; alrightなものでなければ心配心配しんぱい worry; concernだし、といった訳訳わけ reasons; rationaleで、ちょくらちょいとちょくらちょいと easily; lightly実行する実行じっこうする put into practice; carry out事事こと act; actionは覚束なく見えた覚束おぼつかなく見みえた looked uncertain; seemed doubtfulのです。ある日ある日ひ one day私はまあ宅だけでも探して探さがして look for; seek outみようかというそぞろ心そぞろ心ごころ restlessness of the spirit; whimから、散歩がてらに散歩さんぽがてらに by way of taking a walk本郷台本郷台ほんごうだい Hongōdai (place name)を西西にし westへ下りて下おりて went down; descended小石川小石川こいしかわ Koishikawa (place name)の坂坂さか slope; hillを真直に真直まっすぐに in a straight line; directly伝通院伝通院でんずういん Denzūin (Temple)の方方ほう directionへ上がりました上あがりました climbed; ascended。電車電車でんしゃ (electric) trainの通路通路つうろ pathway; passageになってから、あそこいらの様子様子ようす appearanceがまるで違ってしまいました違ちがってしまいました changed completelyが、その頃頃ころ period (of time)は左手左手ひだりて lefthand (side)が砲兵砲兵ほうへい artillery工廠工廠こうしょう arsenalの土塀土塀どべい earthen wallで、右右みぎ rightは原原はら field; plainとも丘丘おか hill; knollともつかない空地空地くうち vacant landに草草くさ grassesが一面に一面いちめんに all over; throughout生えていた生はえていた grewものです。私はその草の中中なか middle; midstに立って立たって stand、何心なく何心なにごころなく without any special thought向う向むこう the far side; beyondの崖崖がけ cliff; bluffを眺めました眺ながめました viewed; gazed at。今今いま now; the presentでも悪い悪わるい bad; inferior景色景色けいしき landscape; sceneではありませんが、その頃はまたずっとあの西側西側にしがわ west sideの趣趣おもむき appearance; aspectが違っていました。見渡す見渡みわたす look across; look over; survey限り限かぎり to the limits of; to the extent of緑緑みどり green; verdureが一面に深く深ふかく thickly茂って茂しげって grow luxuriantlyいるだけでも、神経神経しんけい nervesが休まります休やすまります be soothed; be eased。私はふとここいらに適当な適当てきとうな suitable; appropriate宅はないだろうかと思いました思おもいました thought; wondered。それで直ぐ直すぐ right away; without delay草原草原くさはら grassland; meadowを横切って横切よこぎって cross; traverse、細い細ほそい narrow通り通とおり avenue; streetを北北きた northの方へ進んで行きました進すすんで行ゆきました went on; went further。いまだに好い好いい fine; nice町町まち town; neighborhoodになり切れないでなり切きれないで without managing to become ...、がたぴししているがたぴししている ramshackle; tumbledownあの辺辺へん area; vicinity; regionの家並家並いえなみ (rows of; lines of) residencesは、その時分時分じぶん timeの事ですからずいぶん汚ならしい汚きたならしい shabby; squalidものでした。私は露次露次ろじ alleywaysを抜けたり抜ぬけたり cut through、横丁横丁よこちょう side streets; lanesを曲ったり曲まがったり turn (down; into)、ぐるぐる歩き廻りましたぐるぐる歩あるき廻まわりました walked in circles。しまいに駄菓子屋駄菓子屋だがしや corner sweets shopの上さん上かみさん proprietressに、ここいらに小ぢんまりした小こぢんまりした cozy; snug; modest貸家貸家かしや rental houseはないかと尋ねてみました尋たずねてみました tried asking; tried inquiring。上さんは「そうですね」といって、少時少時しばらく for a while首をかしげて首くびをかしげて incline one's head (to ponder something)いましたが、「かし家はちょいとちょいと (not) readily……」と全く全まったく utterly; completely思い当らない思おもい当あたらない not come to mind風風ふう mannerでした。私は望望のぞみ hope; prospectのないものと諦らめて諦あきらめて give up on帰り掛けました帰かえり掛かけました made to depart。すると上さんがまた、「素人下宿素人しろうと下宿げしゅく boarding houseじゃいけませんか」と聞く聞きく askのです。私はちょっと気が変りました気きが変かわりました had a change of mind。静かな静しずかな quiet素人屋素人屋しろうとや boarding houseに一人一人ひとり one person; single personで下宿して下宿げしゅくして lodge; stayいるのは、かえって家家うち house; homeを持つ持もつ have; hold面倒がなくって結構結構けっこう splendid; fineだろうと考え出した考かんがえ出だした began to thinkのです。それからその駄菓子屋の店店みせ shopに腰を掛けて腰こしを掛かけて take a seat、上さんに詳しい事詳くわしい事こと details; particularsを教えて教おしえて teach; informもらいました。

それはある軍人軍人ぐんじん military man; soldierの家族家族かぞく family、というよりもむしろ遺族遺族いぞく surviving family members、の住んで住すんで live; resideいる家家いえ house; homeでした。主人主人しゅじん head (of a household); husbandは何でも何なんでも as it was told日清戦争日清にっしん戦争せんそう First Sino-Japanese War (1894-1895) の時時とき time; occasion (of)か何か何なにか somethingに死んだ死しんだ died; perishedのだと上さん上かみさん proprietressがいいました。一年一年いちねん one yearばかり前前まえ before; priorまでは、市ヶ谷市ヶ谷いちがや Ichigaya (place name)の士官学校士官しかん学校がっこう officers' school; military academyの傍傍そば proximityとかに住んでいたのだが、厩厩うまや stable; barnなどがあって、邸邸やしき residence; estateが広過ぎる広過ひろすぎる too expansive; too roomyので、そこを売り払って売うり払はらって sell off、ここへ引っ越して来た引ひっ越こして来きた moved inけれども、無人無人ぶにん empty (of people)で淋しくって淋さむしくって lonesome; solitary困る困こまる be dissatisfiedから相当の相当そうとうの suitable; befitting人人ひと personがあったら世話をしてくれ世話せわをしてくれ find; broker; introduceと頼まれて頼たのまれて was requestedいたのだそうです。私私わたくし I; meは上さんから、その家には未亡人未亡人びぼうじん widowと一人一人ひとり one (person)娘娘むすめ daughterと下女下女げじょ maidservantより外により外ほかに other than; apart fromいないのだという事事こと situation; state of affairsを確かめました確たしかめました ascertained; confirmed。私は閑静閑静かんせい quiet; stillで至極至極しごく exceedingly好かろう好よかろう fine; nice; idealと心の中に心こころの中うちに to oneself思いました思おもいました thought。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然突然とつぜん suddenly行った行いった went (to); called onところで、素性素性すじょう origin; backgroundの知れない知しれない is unknown書生さん書生しょせいさん studentという名称名称めいしょう designationのもとに、すぐ拒絶され拒絶きょぜつされ be turned awayはしまいかという掛念掛念けねん worry; concern (usually 懸念けねん)もありました。私は止そう止よそう quit; give up onかとも考えました考かんがえました thought; considered。しかし私は書生としてそんなに見苦しい見苦みぐるしい unsightly服装服装なり (personal) appearanceはしていませんでした。それから大学大学だいがく universityの制帽制帽せいぼう school capを被って被かぶって wear (on one's head)いました。あなたは笑う笑わらう laugh; find amusingでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃頃ころ period (time)の大学生大学生だいがくせい university studentは今今いま now; the presentと違って違ちがって different from; unlike、大分大分だいぶ very much; a great deal世間世間せけん society; the worldに信用信用しんよう credence; trustのあったものです。私はその場合場合ばあい situationこの四角な四角しかくな square帽子帽子ぼうし hat; capに一種の一種いっしゅの a certain kind of自信自信じしん confidenceを見出した見出みいだした found; discoveredくらいです。そうして駄菓子屋駄菓子屋だがしや corner sweets shopの上さんに教わった教おそわった told; informed; instructed通り通とおり just as; exactly as、紹介紹介しょうかい introductionも何もなしにその軍人の遺族の家を訪ねました訪たずねました visited; called on。

私は未亡人に会って会あって meet (with)来意来意らいい reason for one's visitを告げました告つげました revealed; announced。未亡人は私の身元身元みもと personal history; backgroundやら学校やら専門専門せんもん area of studyやらについて色々色々いろいろ various (things); this and that質問しました質問しつもんしました questioned; asked。そうしてこれなら大丈夫大丈夫だいじょうぶ all right; acceptableだというところをどこかに握った握にぎった grasped; seizedのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えない差支さしつかえない have no objection to; is fineという挨拶挨拶あいさつ responseを即坐に即坐そくざに right away; on the spot与えてくれました与あたえてくれました gave (to me)。未亡人は正しい正ただしい correct; proper人でした、また判然した判然はっきりした candid; frank人でした。私は軍人の妻君妻君さいくん wifeというものはみんなこんなものかと思って感服しました感服かんぷくしました was impressed。感服もしたが、驚きもしました驚おどろきもしました was also surprised。この気性気性きしょう disposition; temperamentでどこが淋しいのだろうと疑いもしました疑うたがいもしました also questioned; also doubted。

十一十一じゅういち (part) 11

「私私わたくし I; meは早速早速さっそく immediatelyその家家いえ house; homeへ引き移りました引ひき移うつりました relocated; moved。私は最初最初さいしょ (at) first来た来きた came; called時時とき time; occasionに未亡人未亡人びぼうじん widowと話をした話はなしをした talked; conversed座敷座敷ざしき roomを借りた借かりた rentedのです。そこは宅中宅中うちじゅう within the houseで一番好い一番いちばん好いい finest; best室室へや roomでした。本郷本郷ほんごう Hongō (place name)辺辺へん vicinity; areaに高等高等こうとう high grade; first rate; upscale下宿下宿げしゅく lodgingsといった風風ふう style; mannerの家がぽつぽつ建てられた建たてられた were built; were constructed時分時分じぶん period (of time)の事事こと happening; occurrenceですから、私は書生書生しょせい studentとして占領し得る占領せんりょうし得える be able to occupy最も好い最もっとも好いい best間間ま roomsの様子様子ようす form; appearanceを心得ていました心得こころえていました knew a thing or two about。私の新しく新あたらしく newly主人主人しゅじん masterとなった室は、それらよりもずっと立派立派りっぱ magnificent; superbでした。移った当座当座とうざ for a time (after)は、学生としての私には過ぎる過すぎる excessive; too muchくらいに思われた思おもわれた thought of (as); took (as)のです。

室の広さ広ひろさ sizeは八畳八畳はちじょう 8 mats (about 13 sq meters; about 140 sq ft)でした。床床とこ alcove (= 床とこの間ま)の横横よこ next toに違い棚違ちがい棚だな staggered shelvesがあって、縁縁えん verandaと反対反対はんたい oppositeの側側がわ sideには一間一間いっけん 1 ken (about 3.6 meters; about 6 feet)の押入れ押入おしいれ closetが付いていました付ついていました was attached; was built in。窓窓まど windowは一つ一ひとつ one (thing)もなかったのですが、その代りその代かわり in return; at the same time南向きの南向みなみむきの south-facing縁に明るい明あかるい bright日日ひ sun; sunlightがよく差しました差さしました shone on; fell on。

私は移った日日ひ dayに、その室の床に活けられた活いけられた arranged (flowers)花花はな flowersと、その横に立て懸けられた立たて懸かけられた set against; propped against琴琴こと koto (musical instrument)を見ました見みました saw。どっちも私の気に入りませんでした気きに入いりませんでした were not to one's liking。私は詩詩し poetryや書書しょ calligraphyや煎茶煎茶せんちゃ green tea (ceremony; ritual)を嗜なむ嗜たしなむ have a taste for父父ちち fatherの傍傍そば proximity; close toで育った育そだった was brought up; was raisedので、唐めいた唐からめいた in the Chinese fashion; of the (classical) Chinese tradition趣味趣味しゅみ tastes; preferencesを小供のうち小供こどものうち childhood; youth (usually 子供こども)からもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶めかしい艶なまめかしい coy; seductive; coquettish装飾装飾そうしょく adornments; embellishmentsをいつの間にかいつの間まにか at some point軽蔑する軽蔑けいべつする feel disdain toward癖癖くせ propensity; practiceが付いていたのです。

私の父が存生中存生中ぞんしょうちゅう while living; during one's lifeにあつめた道具類道具類どうぐるい curiosは、例の例れいの the aforementioned叔父叔父おじ uncleのために滅茶滅茶滅茶滅茶めちゃめちゃ disorder; ruinsにされてしまったのですが、それでも多少多少たしょう a little; some small amountは残っていました残のこっていました remained。私は国国くに country; one's native placeを立つ立たつ leave; depart (from)時それを中学中学ちゅうがく middle schoolの旧友旧友きゅうゆう old friendに預かって預あずかって receive in trust; take custody ofもらいました。それからその中でその中うちで among them面白そうな面白おもしろそうな of interest; striking one's fancyものを四、五四し、五ご four or five幅幅ふく hanging scrolls裸にして裸はだかにして unpackage; unbox行李行李こうり luggage; baggageの底底そこ bottomへ入れて入いれて put into来ました来きました came; arrived。私は移るや否やや否いなや as soon as ...、それを取り出して取とり出だして take out床へ懸けて懸かけて hang up楽しむ楽たのしむ enjoy; appreciateつもりでいたのです。ところが今今いま now; just nowいった琴と活花活花いけばな arranged flowersを見たので、急に急きゅうに suddenly勇気勇気ゆうき courage; nerveがなくなってしまいました。後後あと laterから聞いて聞きいて heard始めて始はじめて for the first timeこの花が私に対するに対たいする regarding; with respect toご馳走ご馳走ちそう indulgence; accommodationに活けられたのだという事を知った知しった learned; became aware of時、私は心のうちで心こころのうちで inwardly; to oneself苦笑しました苦笑くしょうしました smiled wrily; forced a smile。もっとも琴は前から前まえから from beforeそこにあったのですから、これは置き所置おき所どころ place to put (something)がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあった立たて懸かけてあった had been set against; had been leaned againstのでしょう。

こんな話をすると、自然自然しぜん naturally; of courseその裏裏うら background; behind the scenesに若い若わかい young女女おんな womanの影影かげ figure; formがあなたの頭頭あたま mind; thoughtsを掠めて掠かすめて flitting; fluttering; fleeting通る通とおる pass through; traverseでしょう。移った私にも、移らない初めから移うつらない初はじめから even before arrivingそういう好奇心好奇心こうきしん curiosityがすでに動いていたすでに動うごいていた had already been set in motionのです。こうした邪気邪気じゃき ghost; specterが予備的に予備的よびてきに in advance私の自然自然しぜん nature; natural mannerを損なった損そこなった disturbed; disruptedためか、または私がまだ人慣れなかった人ひと慣なれなかった unaccustomed to strangersためか、私は始めてそこのお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyに会った会あった met; encountered時、へどもどしたへどもどした flustered; lacking composure挨拶挨拶あいさつ greetingをしました。その代りお嬢さんの方方ほう sideでも赤い赤あかい reddened; flushed顔顔かお face; complexionをしました。

私私わたくし I; meはそれまで未亡人未亡人びぼうじん widowの風采風采ふうさい appearance; mienや態度態度たいど manner; behaviorから推して推おして infer; surmise、このお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyのすべてを想像していた想像そうぞうしていた imagined; envisionedのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってに取とって with respect toあまり有利な有利ゆうりな advantageous; charitable; flatteringものではありませんでした。軍人軍人ぐんじん military man; soldierの妻君妻君さいくん wifeだからああなのだろう、その妻君の娘娘むすめ daughterだからこうだろうといった順序順序じゅんじょ sequenceで、私の推測推測すいそく conjectureは段々段々だんだん bit by bit; gradually延びて行きました延のびて行ゆきました developed further; built on itself。ところがその推測が、お嬢さんの顔顔かお face; countenanceを見た見みた saw瞬間瞬間しゅんかん moment; instantに、悉く悉ことごとく completely; entirely打ち消されました打うち消けされました was negated; was wiped out。そうして私の頭頭あたま head; mindの中中なか insideへ今まで今いままで until now想像も及ばなかった想像そうぞうも及およばなかった hadn't imagined; couldn't have conceived of異性異性いせい opposite sexの匂い匂におい aura; sense; flavorが新しく新あたらしく newly; anew入って来ました入はいって来きました came into; entered。私はそれから床床とこ alcove (= 床とこの間ま)の正面正面しょうめん front; façadeに活けてある活いけてある were arranged (of flowers)花花はな flowersが厭厭いや objectionable; unpleasantでなくなりました。同じ同おなじ the same床に立て懸けてある立たて懸かけてある was set against; was propped against琴琴こと koto (musical instrument)も邪魔邪魔じゃま nuisanceにならなくなりました。

その花はまた規則正しく規則きそく正ただしく regularly凋れる凋しおれる wither; wilt; fade頃頃ころ timeになると活け更えられる活いけ更かえられる be replaced with a fresh (flower) arrangementのです。琴も度々度々たびたび often; frequently鍵の手鍵かぎの手て right angleに折れ曲がった折おれ曲まがった bent off (at)筋違の筋違すじかいの diagonally opposite室室へや roomに運び去られる運はこび去さられる be carried off toのです。私は自分の自分じぶんの one's own居間居間いま roomで机机つくえ deskの上上うえ topに頬杖を突きながら頬杖ほおづえを突つきながら supporting one's chin with one's hands、その琴の音音ね soundを聞いていました聞きいていました listened to。私にはその琴が上手上手じょうず skilled; masterfulなのか下手下手へた clumsy; bunglingなのかよく解らない解わからない couldn't tellのです。けれども余り余あまり (not) very; (not) much込み入った込こみ入いった complex; intricate手手て techniqueを弾かない弾ひかない not playところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました考かんがえました thought; concluded。まあ活花活花いけばな arranged flowersの程度程度ていど degree; extentぐらいなものだろうと思いました思おもいました thought; concluded。花なら私にも好く分る好よく分わかる am familiar with; have a sense forのですが、お嬢さんは決して決けっして by (no) means旨い旨うまい skilled; expert方方ほう alternative (of two choices)ではなかったのです。

それでも臆面なく臆面おくめんなく unashamedly; unapologetically色々の色々いろいろの various花が私の床を飾って飾かざって decorate; adornくれました。もっとも活方活方いけかた method of arrangement (flowers)はいつ見ても同じ事事こと state of affairsでした。それから花瓶花瓶かへい flower vaseもついぞついぞ (not) at all変った変かわった be varied; be altered例例ためし case; instanceがありませんでした。しかし片方片方かたほう the other (of a pair)の音楽音楽おんがく musicになると花よりももっと変変へん peculiar; eccentricでした。ぽつんぽつん糸糸いと stringを鳴らす鳴ならす let ring; soundだけで、一向一向いっこう (not) at all肉声肉声にくせい natural voiceを聞かせないのです。唄わない唄うたわない not sing; refrain from singingのではありませんが、まるで内所話内所話ないしょばなし whispering of secretsでもするように小さな小ちいさな small; soft; low (voice)声声こえ voiceしか出さないしか出ださない only put forthのです。しかも叱られる叱しかられる be reproached; be reprovedと全く全まったく utterly; completely出なくなる出でなくなる no longer come forthのです。

私は喜んで喜よろこんで with pleasureこの下手な活花を眺めて眺ながめて view; observeは、まずそうな琴の音に耳を傾けました耳みみを傾かたむけました lent an ear to; listened to。

十二十二じゅうに (part) 12

「私私わたくし I; meの気分気分きぶん feeling; senseは国国くに country; one's native placeを立つ立たつ leave; depart (from)時時とき timeすでに厭世的厭世的えんせいてき gloomy; discouraged; despondentになっていました。他他ひと peopleは頼りにならない頼たよりにならない not to be relied on; undependable; untrustworthyものだという観念観念かんねん idea; notionが、その時骨の中まで骨ほねの中なかまで to the marrow; to one's core染み込んで染しみ込こんで penetrate; permeateしまったように思われた思おもわれた seemed (that)のです。私は私の敵視する敵視てきしする see as hostile; view as an adversary叔父叔父おじ uncleだの叔母叔母おば auntだの、その他他た otherの親戚親戚しんせき relative; relationsだのを、あたかも人類人類じんるい mankind; humanityの代表者代表者だいひょうしゃ representatives; proxiesのごとく考え出しました考かんがえ出だしました began to consider; began to regard。汽車汽車きしゃ (steam) trainへ乗って乗のって boardさえ隣隣となり neighboring; nearbyのものの様子様子ようす manner; behaviorを、それとなく注意し始めました注意ちゅういし始はじめました began to be wary of。たまに向う向むこう the other partyから話し掛けられ話はなし掛かけられ be addressed; be engaged in conversationでもすると、なおの事なおの事こと all the more; even more so警戒警戒けいかい vigilance; precautionを加えたくなりました加くわえたくなりました wanted to increase further。私の心心こころ heart; soulは沈鬱沈鬱ちんうつ down and out; in a state of melancholyでした。鉛鉛なまり lead (metal)を呑んだ呑のんだ drank down; swallowedように重苦しくなる重苦おもくるしくなる become heavy; feel oppressed事が時々時々ときどき at timesありました。それでいて私の神経神経しんけい nervesは、今今いま now; just nowいったごとくに鋭く鋭するどく sharply; keenly尖ってしまった尖とがってしまった were sharpened; were on edgeのです。

私が東京東京とうきょう Tōkyōへ来て来きて came (to)下宿下宿げしく lodgingsを出ようとした出でようとした thought to leaveのも、これが大きな大おおきな major; significant源因源因げんいん cause; reason (usually 原因げんいん)になっているように思われます。金金かね money; fundsに不自由不自由ふじゆう inconvenience; impairmentがなければこそ、一戸一戸いっこ (single) house; householdを構えて構かまえて set up; establishみる気気き inclinationにもなったのだといえばそれまでですが、元の通り元もとの通とおり as before; as wasの私ならば、たとい懐中懐中ふところ pocket; purseに余裕余裕よゆう surplus; marginができても、好んで好このんで per one's preferenceそんな面倒な面倒めんどうな troublesome; burdensome真似真似まね behavior; actionはしなかったでしょう。

私は小石川小石川こいしかわ Koishikawa (place name)へ引き移って引ひき移うつって relocate; moveからも、当分当分とうぶん for a while; for a timeこの緊張した緊張きんちょうした tense; strained; wound up気分に寛ぎ寛くつろぎ comfort; easeを与える与あたえる give; impart (to)事ができませんでした。私は自分自分じぶん oneselfで自分が恥ずかしい恥はずかしい disgraceful; shamefulほど、きょときょときょときょと restlessly; nervously周囲周囲しゅうい surroundings; environsを見廻して見廻みまわして look around (at)いました。不思議にも不思議ふしぎにも strangely enough; oddly enoughよく働く働はたらく work; function; operateのは頭頭あたま mindと眼眼め eyesだけで、口口くち mouthの方方ほう alternative (of two choices)はそれと反対反対はんたい oppositeに、段々段々だんだん gradually; over time動かなくなって来ました動うごかなくなって来きました stopped moving; grew inactive。私は家家うち house; householdのものの様子を猫猫ねこ catのようによく観察しながら観察かんさつしながら while observing、黙って黙だまって in silence机机つくえ deskの前前まえ front ofに坐って坐すわって sitいました。時々は彼ら彼かれら they; themに対してに対たいして with respect to; in relation to気の毒気きの毒どく unfortunate; regrettableだと思うほど、私は油断のない油断ゆだんのない ever vigilant; wary注意注意ちゅうい caution; heedを彼らの上上うえ top ofに注いで注そそいで pour out (upon)いたのです。おれは物物もの things; articlesを偸まない偸ぬすまない not steal; not take巾着切巾着切きんちゃくきり pickpocketみたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭厭いや objectionable; unpleasantになる事さえあったのです。

あなたは定めて定さだめて surely; certainly変変へん odd; strangeに思うでしょう。その私がそこのお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyをどうして好く好すく be fond of; be drawn to余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な下手へたな uninspired; mediocre活花活花いけばな arranged flowersを、どうして嬉しがって嬉うれしがって happily眺める眺ながめる view; observe余裕があるか。同じく同おなじく in the same manner下手なその人人ひと personの琴琴こと koto (musical instrument)をどうして喜んで喜よろこんで with pleasure聞く聞きく hear; listen to余裕があるか。そう質問された質問しつもんされた be asked; be questioned時、私はただ両方とも両方りょうほうとも the two; both事実事実じじつ reality; truthであったのだから、事実としてあなたに教えて上げる教おしえて上あげる tell; inform (someone)というより外により外ほかに other than; apart from仕方がない仕方しかたがない have no alternativeのです。解釈解釈かいしゃく explanation; interpretationは頭のあるあなたに任せる任まかせる leave; entrust (to)として、私はただ一言一言いちごん a word; one comment付け足して付つけ足たして addおきましょう。私は金に対して人類を疑った疑うたぐった doubted; distrustedけれども、愛愛あい love; affectionに対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾した矛盾むじゅんした contradictory; conflictingものでも、私の胸胸むね breast; bosomのなかでは平気で平気へいきで thinking nothing of it両立していた両立りょうりつしていた stood together; coexistedのです。

私私わたくし I; meは未亡人未亡人びぼうじん widowの事の事こと regarding ...; concerning ...を常に常つねに always奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)といっていましたから、これから未亡人と呼ばずに呼よばずに without refering to (as)奥さんといいます。奥さんは私を静かな静しずかな quiet; subdued人人ひと person; man、大人しい大人おとなしい gentle; good-tempered男男おとこ man; fellowと評しました評ひょうしました saw; regarded (as)。それから勉強家勉強家べんきょうか diligent studentだとも褒めて褒ほめて praise; complimentくれました。けれども私の不安な不安ふあんな anxious; uneasy眼つき眼めつき look; expression (in one's eyes)や、きょときょとしたきょときょとした restless; unsettled様子様子ようす manner; behaviorについては、何事も口へ出しませんでした何事なにごとも口くちへ出だしませんでした made no mention of; said nothing about。気が付かなかった気きが付つかなかった took no noticeのか、遠慮して遠慮えんりょして refrainいたのか、どっちだかよく解りません解わかりません don't know; can't sayが、何しろそこにはまるで注意を払っていない注意ちゅういを払はらっていない take no interest; be unconcernedらしく見えました見みえました appeared to ...。それのみならず、ある場合場合ばあい instance; situationに私を鷹揚な鷹揚おうような generous; largehearted方方かた person; individualだといって、さも尊敬した尊敬そんけいした admired; respectedらしい口の利き方口くちの利きき方かた manner of speakingをした事事こと case; instanceがあります。その時時とき time; occasion正直な正直しょうじきな honest; candid私は少し少すこし a little; a bit顔顔かお faceを赤らめて赤あからめて blush; redden、向う向むこう the other partyの言葉言葉ことば wordsを否定しました否定ひていしました denied; refuted。すると奥さんは「あなたは自分自分じぶん oneselfで気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目に真面目まじめに in all seriousness; earnestly説明して説明せつめいして elucidate; expound onくれました。奥さんは始め始はじめ at first私のような書生書生しょせい studentを宅宅うち house; homeへ置く置おく take in (a boarder)つもりではなかったらしいのです。どこかの役所役所やくしょ government officeへ勤める勤つとめる be employed (at)人人ひと person; manか何かに坐敷坐敷ざしき roomを貸す貸かす rent out料簡料簡りょうけん thoughts; intentionで、近所のもの近所きんじょのもの neighbors; local folkに周旋周旋しゅうせん recommendation; brokeringを頼んでいた頼たのんでいた requestedらしいのです。俸給俸給ほうきゅう wages; payが豊か豊ゆたか abundant; plentifulでなくって、やむをえず素人屋素人屋しろうとや boarding houseに下宿する下宿げしゅくする lodge; boardくらいの人だからという考え考かんがえ idea; notion; thoughtが、それで前かた前まえかた some time agoから奥さんの頭頭あたま head; mindのどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸胸むね breast; bosomに描いた描えがいた pictured; outlinedその想像想像そうぞう imaginationのお客お客きゃく guestと私とを比較して比較ひかくして compare、こっちの方方ほう alternative (of two things)を鷹揚だといって褒めるのです。なるほどそんな切り詰めた切きり詰つめた economizing; scrimping生活生活せいかつ life; lifestyleをする人に比べたら比くらべたら compare (to)、私は金銭金銭きんせん moneyにかけて、鷹揚だったかも知れませんかも知しれません it may be that ...。しかしそれは気性気性きしょう disposition; temperamentの問題問題もんだい question; problemではありませんから、私の内生活内生活ないせいかつ one's inner lifeに取ってに取とって with respect toほとんど関係関係かんけい connection; relevanceのないのと一般一般いっぱん the same asでした。奥さんはまた女女おんな woman; femaleだけにだけに as might be expected ofそれを私の全体全体ぜんたい entirety; totalityに推し広げて推おし広ひろげて extend; extrapolate (to)、同じ同おなじ the same言葉を応用しよう応用おうようしよう use; applyと力める力つとめる be committed to (doing something)のです。

十三十三じゅうさん (part) 13

「奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)のこの態度態度たいど attitude; mannerが自然自然しぜん naturally; in due course私私わたくし I; meの気分気分きぶん feeling; moodに影響して来ました影響えいきょうして来きました began to affect; began to work on。しばらくするうちに、私の眼眼め eyesはもとほどきょろ付かなくなりましたきょろ付つかなくなりました became less restless; grew less shifty。自分の自分じぶんの one's own心心こころ heart; mind; spiritが自分の坐っている坐すわっている be seated所所ところ location; placeに、ちゃんと落ち付いている落おち付ついている settled; came to restような気気き feeling; senseにもなれました。要するに要ようするに in short奥さん始め始はじめ for starters; to begin with家のもの家うちのもの members of the householdが、僻んだ僻ひがんだ jaundiced; cynical私の眼や疑い深い疑うたがい深ぶかい distrustful; suspicious私の様子様子ようす situation; stateに、てんから取り合わなかったてんから取とり合あわなかった took no notice of; paid no attention toのが、私に大きな大おおきな great; considerable幸福幸福こうふく happiness; well-beingを与えた与あたえた give; grant (to)のでしょう。私の神経神経しんけい nervesは相手相手あいて the other partyから照り返して来る照てり返かえして来くる bounce back (from)反射反射はんしゃ reflectionのないために段々段々だんだん gradually; bit by bit静まりました静しずまりました quieted; eased; calmed。

奥さんは心得心得こころえ knowledge; understandingのある人人ひと personでしたから、わざと私をそんな風風ふう style; mannerに取り扱って取とり扱あつかって handle; manage; treatくれたものとも思われます思おもわれます seems; appearsし、また自分で公言する公言こうげんする state openly; declare; professごとく、実際実際じっさい really; in fact私を鷹揚鷹揚おうよう generous; largeheartedだと観察していた観察かんさつしていた viewed; regarded (as)のかも知れませんかも知しれません it may be that ...。私のこせつき方こせつき方かた form of stress; form of anxietyは頭の中頭あたまの中なか in one's mind; mentalの現象現象げんしょう phenomenonで、それほど外外そと outsideへ出なかった出でなかった did not appearようにも考えられます考かんがえられます can (also) imagine thatから、あるいは奥さんの方方ほう sideで胡魔化されて胡魔化ごまかされて be deceived; be fooledいたのかも解りませんかも解わかりません it could be that ...。

私の心が静まると共にと共ともに along with; together with、私は段々家族のもの家族かぞくのもの members of the familyと接近して来ました接近せっきんして来きました became close to; grew familiar with。奥さんともお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyとも笑談笑談じょうだん pleasant talk; good-humored conversationをいうようになりました。茶茶ちゃ teaを入れた入いれた put on; made (tea)からといって向う向むこう the other sideの室室へや roomへ呼ばれる呼よばれる be called (to)日日ひ daysもありました。また私の方で菓子菓子かし confectioneries; sweetsを買って来て買かって来きて buy (and bring back)、二人二人ふたり two (people)をこっちへ招いたりする招まねいたりする invite; have over晩晩ばん eveningsもありました。私は急に急きゅうに suddenly交際交際こうさい society; association; friendshipの区域区域くいき sphere; realmが殖えた殖ふえた increased; expandedように感じました感かんじました felt。それがために大切な大切たいせつな all-important; precious勉強勉強べんきょう study; studiesの時間時間じかん timeを潰される潰つぶされる be squandered事事こと case; instanceも何度となく何度なんどとなく any number of times; many timesありました。不思議にも不思議ふしぎにも oddly enough、その妨害妨害ぼうがい disturbance; interferenceが私には一向一向いっこう (not) in the least邪魔邪魔じゃま nuisanceにならなかったのです。奥さんはもとより閑人閑人ひまじん person of leisureでした。お嬢さんは学校学校がっこう schoolへ行く行いく go (to); attend上に上うえに on top of; in addition to、花花はな flower (arrangement)だの琴琴こと koto (musical instrument)だのを習って習ならって study; learnいるんだから、定めて定さだめて certainly; surely忙しかろう忙いそがしかろう must be busyと思う思おもう think; imagineと、それがまた案外な案外あんがいな unexpectedもので、いくらでも時間に余裕余裕よゆう flexibility; (spare) timeをもっているように見えました見みえました appeared。それで三人三人さんにん three (people)は顔顔かお faceさえ見るといっしょに集まって集あつまって gather; come together、世間話世間話せけんばなし small talk; general conversationをしながら遊んだ遊あそんだ enjoyed oneself; had a good timeのです。

私私わたくし I; meを呼びに来る呼よびに来くる come to getのは、大抵大抵たいてい usually; for the most partお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyでした。お嬢さんは縁側縁側えんがわ varandaを直角に直角ちょっかくに at a right angle曲って曲まがって make a turn、私の室室へや roomの前前まえ front ofに立つ立たつ stand; come to a stop事事こと cases; instancesもありますし、茶の間茶ちゃの間ま tea room; hearth roomを抜けて抜ぬけて cut through; traverse、次の次つぎの adjoining室の襖襖ふすま fusuma (sliding door)の影影かげ behind; back sideから姿を見せる姿すがたを見みせる appear事もありました。お嬢さんは、そこへ来て来きて come (to)ちょっと留まります留とまります come to a stop; pause。それからきっと私の名名な nameを呼んで、「ご勉強?ご勉強べんきょう? studying?」と聞きます聞ききます ask。私は大抵むずかしい書物書物しょもつ book; textを机机つくえ deskの前に開けて開あけて open、それを見詰めて見詰みつめて fix one's eyes onいましたから、傍で見たら傍はたで見みたら to an observerさぞ勉強家勉強家べんきょうか diligent studentのように見えたのでしょう。しかし実際実際じっさい reality; truthをいうと、それほど熱心に熱心ねっしんに earnestly; ardently書物を研究して研究けんきゅうして studyはいなかったのです。頁頁ページ pageの上上うえ top of; surface ofに眼は着けて眼めは着つけて direct one's gaze (to)いながら、お嬢さんの呼びに来るのを待って待まって wait for; awaitいるくらいなものでした。待っていて来ない来こない not come; not appearと、仕方がない仕方しかたがない have no other recourseから私の方方ほう sideで立ち上がる立たち上あがる get up; take actionのです。そうして向う向むこう the other sideの室の前へ行って行いって go (to)、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。

お嬢さんの部屋部屋へや roomは茶の間と続いた続つづいた contiguous (to); connected (with)六畳六畳ろくじょう 6 mats (about 10 sq meters; about 104 sq ft)でした。奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)はその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つ二ふたつ two (things)の部屋は仕切仕切しきり partition; divisionがあっても、ないと同じ同おなじ the same (as)事で、親子親子おやこ parent and child二人二人ふたり two (people)が往ったり来たりして往いったり来きたりして come and go、どっち付かずにどっち付つかずに not settled on one or the other占領していた占領せんりょうしていた occupiedのです。私が外外そと outsideから声を掛ける声こえを掛かける call to (someone)と、「おはいんなさい」と答える答こたえる answer; replyのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多に滅多めったに rarely; seldomly (when paired with negative verb)返事をした返事へんじをした replied; answered事がありませんでした。

時たま時ときたま occasionally; once in a whileお嬢さん一人一人ひとり alone; by oneselfで、用用よう errand; taskがあって私の室へはいったついでに、そこに坐って坐すわって sit down; seat oneself話し込む話はなし込こむ fall into conversation; talk at lengthような場合場合ばあい case; instanceもその内にその内うちに by and by; in due course出て来ました出でて来きました began to come about。そういう時時とき times; occasionsには、私の心心こころ heart; spiritが妙に妙みょうに oddly; curiously不安不安ふあん uneaseに冒されて来る冒おかされて来くる was afflicted (with)のです。そうして若い若わかい young女女おんな woman; ladyとただ差向い差向さしむかい face to faceで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした思おもえませんでした could not imagine ...。私は何だか何なんだか somehow; for some reasonそわそわし出すそわそわし出だす become fidgety; grow restlessのです。自分自分じぶん oneselfで自分を裏切る裏切うらぎる betray; double-crossような不自然な不自然ふしぜんな unnatural; affected; contrived態度態度たいど manner; behaviorが私を苦しめる苦くるしめる torment; distressのです。しかし相手相手あいて companion; the other partyの方はかえって平気平気へいき at ease; unconcernedでした。これが琴琴こと koto (musical instrument)を浚う浚さらう practice (usually 復習さらう)のに声さえ碌に碌ろくに adequately; sufficiently出せなかったあの女かしらと疑われる疑うたがわれる be doubted; be questionedくらい、恥ずかしがらない恥はずかしがらない be unreserved; be uninhibitedのです。あまり長くなる長ながくなる be a long timeので、茶の間から母母はは motherに呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に容易よういに easily; readily腰を上げない腰こしを上あげない not rise (to go)事さえありました。それでいてお嬢さんは決して決けっして by (no) means子供子供こども childではなかったのです。私の眼にはよくそれが解っていました解わかっていました was evident; was clear。よく解るように振舞って振舞ふるまって behave; conduct oneself見せる痕迹痕迹こんせき signs; indicationsさえ明らか明あきらか clear; apparentでした。

十四十四じゅうし (part) 14

「私私わたくし I; meはお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyの立った立たった left; departedあとで、ほっと一息する一息ひといきする catch one's breath; relaxのです。それと同時にそれと同時どうじに at the same time、物足りない物足ものたりない inadequate; unfulfilledようなまた済まない済すまない incomplete; insufficientような気持気持きもち feeling; senseになるのです。私は女らしかった女おんならしかった feminine; effeminateのかも知れませんかも知しれません it may be that。今今いま now; the presentの青年青年せいねん young menのあなたがたから見たら見みたら look at; viewなおそう見えるでしょう。しかしその頃その頃ころ those times; those daysの私たちは大抵大抵たいてい in general; for the most partそんなものだったのです。

奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は滅多に滅多めったに rarely; seldomly (when paired with negative verb)外出した外出がいしゅつした go out; leave the house事事こと case; instanceがありませんでした。たまに宅宅うち house; homeを留守にする留守るすにする be away (from home)時時とき timeでも、お嬢さんと私を二人ぎり二人ふたりぎり two (people) alone残して残のこして leave (behind)行く行ゆく goような事はなかったのです。それがまた偶然偶然ぐうぜん by chanceなのか、故意故意こい by designなのか、私には解らない解わからない don't know; can't sayのです。私の口口くち mouthからいうのは変変へん funny; strangeですが、奥さんの様子様子ようす manner; behaviorを能く能よく thoroughly; fully観察して観察かんさつして observe; studyいると、何だか何なんだか somehow自分の自分じぶんの one's own娘娘むすめ daughterと私とを接近させたがって接近せっきんさせたがって want to bring togetherいるらしくも見えるのです。それでいて、或る場合には或ある場合ばあには in certain situations; on certain occasions、私に対してに対たいして with respect to; in relation to暗に暗あんに tacitly; implicitly警戒する警戒けいかいする be on one's guardところもあるようなのですから、始めて始はじめて the first timeこんな場合に出会った出会であった met; encountered私は、時々時々ときどき at times心持をわるくしました心持こころもちをわるくしました was put off。

私は奥さんの態度態度たいど attitude; mannerをどっちかに片付けて片付かたづけて settle; decideもらいたかったのです。頭頭あたま head; mindの働き働はたらき workings; operationからいえば、それが明らかな明あきらかな evident; obvious矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyに違いなかったに違ちがいなかった no doubt ...のです。しかし叔父叔父おじ uncleに欺かれた欺あざむかれた was deceived; was cheated記憶記憶きおく memoryのまだ新しい新あたらしい new; fresh私は、もう一歩もう一歩いっぽ one step further踏み込んだ踏ふみ込こんだ entered into; moved deeper with疑い疑うたがい doubt; distrustを挟まずには挟さしはさまずには without harboring; without entertaining (doubts)いられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当本当ほんとう true; genuineで、どっちかが偽り偽いつわり fiction; falsehoodだろうと推定しました推定すいていしました deduced; reasoned。そうして判断に迷いました判断はんだんに迷まよいました failed to reach a conclusion。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な妙みょうな strange; unusual事をするかその意味意味いみ meaning; significanceが私には呑み込めなかった呑のみ込こめなかった could not graspのです。理由理由わけ pretext; motiveを考え出そう考かんがえ出だそう think up; deviseとしても、考え出せない私は、罪罪つみ fault; culpabilityを女という一字一字ひとじ one character; single characterに塗り付けて塗なすり付つけて lay the blame on (lit: rub off onto)我慢した我慢がまんした made do; put up (with something)事もありました。必竟必竟ひっきょう after all; in the end女だからああなのだ、女というものはどうせ愚な愚ぐな silly; foolishものだ。私の考えは行き詰まれば行ゆき詰つまれば reach a limit; hit a wallいつでもここへ落ちて来ました落おちて来きました settled; landed (on)。

それほど女女おんな women; femalesを見縊って見縊みくびって denigrate; disparageいた私私わたくし I; meが、またどうしてもお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyを見縊る事ができなかった事ことができなかった was unable to ...のです。私の理屈理屈りくつ theorizing; reasoningはその人人ひと person; individualの前前まえ front ofに全く全まったく completely; utterly用を為さない用ようを為なさない serve no purpose; fail to functionほど動きませんでした動うごきませんでした didn't operate; didn't work。私はその人に対してに対たいして with respect to; in relation to、ほとんど信仰信仰しんこう faith; creedに近いに近ちかい close to; bordering on愛愛あい love; affectionをもっていたのです。私が宗教宗教しゅうきょう religionだけに用いる用もちいる use; utilizeこの言葉言葉ことば word; termを、若い若わかい young女に応用する応用おうようする apply (to)のを見て見みて see; observe、あなたは変変へん odd; strangeに思う思おもう think of; consider; regard (as)かも知れませんかも知しれません it may be that ...が、私は今今いま now; the presentでも固く固かたく firmly信じて信しんじて believe in; trust inいるのです。本当の本当ほんとうの true; genuine; sincere愛は宗教心宗教心しゅうきょうしん religious devotion; pietyとそう違った違ちがった differentものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔顔かお faceを見るたびに、自分自分じぶん oneselfが美しくなる美うつくしくなる be made fair; be purifiedような心持心持こころもち feeling; sensationがしました。お嬢さんの事を考える考かんがえる think about; considerと、気高い気高けだかい high-minded; noble気分気分きぶん feelingがすぐ自分に乗り移って来る乗のり移うつって来くる take hold (of one)ように思いました。もし愛という不可思議な不可思議ふかしぎな wondrous; miraculousものに両端両端りょうはじ two edges; two sidesがあって、その高い高たかい high; lofty端には神聖な神聖しんせいな sacred; spiritual感じ感かんじ feeling; senseが働いて働はたらいて work; operate、低い低ひくい low; base端には性欲性欲せいよく sexual desire; lustが動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点極点きょくてん tip; extremityを捕まえた捕つらまえた captured; seizedものです。私はもとより人間人間にんげん human being; manとして肉肉にく fleshを離れる離はなれる separate from事のできない身体身体からだ bodyでした。けれどもお嬢さんを見る私の眼眼め eyesや、お嬢さんを考える私の心心こころ heart; soulは、全く肉の臭い臭におい scent; flavorを帯びていませんでした帯おびていませんでした bore no trace of。

私は母母はは motherに対して反感反感はんかん antipathy; animosityを抱く抱いだく embrace; harborと共にと共ともに together with; in concurrence with、子子こ childに対して恋愛恋愛れんあい love; affectionの度度ど degree (of)を増して行った増まして行いった increasedのですから、三人三人さんにん three (people)の関係関係かんけい relationshipは、下宿した下宿げしくした took up lodgings始め始はじめ beginningよりは段々段々だんだん gradually; bit by bit複雑複雑ふくざつ complicatedになって来ましたなって来きました became; grew (over time)。もっともその変化変化へんか change; transitionはほとんど内面的内面的ないめんてき internal; inward-facingで外外そと outside; exteriorへは現れて来なかった現あらわれて来こなかった was not apparent; did not showのです。そのうち私はあるひょっとした機会機会きかい opportunity; occasionから、今まで奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)を誤解して誤解ごかいして misunderstand; misjudgeいたのではなかろうかという気気き feelingになりました。奥さんの私に対する矛盾した矛盾むじゅんした contradictory; inconsistent態度態度たいど manner; behaviorが、どっちも偽り偽いつわり fiction; falsehoodではないのだろうと考え直して来た考かんがえ直なおして来きた reconsideredのです。その上その上うえ on top of that; furthermore、それが互い違いに互たがい違たがいに alternately; in turns奥さんの心を支配する支配しはいする dominate; take overのでなくって、いつでも両方両方りょうほう bothが同時に同時どうじに at the same time奥さんの胸胸むね bosom; breastに存在して存在そんざいして exist; be presentいるのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させよう接近せっきんさせよう bring near (to)としていながら、同時に私に警戒を加えて警戒けいかいを加くわえて keep one's guard up (against)いるのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時時とき times; occasionsに、片方片方かたほう one side; one (of a pair)の態度を忘れる忘わすれる forget; neglectのでも翻す翻ひるがえす reconsider; change course (on)のでも何でも何なんでも (no)thingなく、やはり依然として依然いぜんとして still; as always二人二人ふたり two (people)を接近させたがっていたのだと観察した観察かんさつした regarded; viewed (as)のです。ただ自分が正当正当せいとう right; properと認める認みとめる deem; judge (as)程度程度ていど degree; extent以上以上いじょう above; beyondに、二人が密着する密着みっちゃくする draw close; come togetherのを忌む忌いむ be averse to; be afraid ofのだと解釈した解釈かいしゃくした understood; took (as)のです。お嬢さんに対して、肉の方面方面ほうめん direction; frontから近づく近ちかづく approach; draw near to念念ねん wish; desireの萌さなかった萌きざさなかった showed no signs of; gave no indication of私は、その時入らぬ入いらぬ needless; unwaranted心配心配しんぱい worry; concernだと思いました。しかし奥さんを悪く思う悪わるく思おもう think ill of気はそれからなくなりました。

十五十五じゅうご (part) 15

「私私わたくし I; meは奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)の態度態度たいど manner; behaviorを色々色々いろいろ (in) various (ways)綜合して見て綜合そうごうして見みて look at as a whole; view in entirety、私がここの家家うち house; homeで充分充分じゅうぶん sufficiently信用されている信用しんようされている be trusted事事こと fact; state of affairsを確かめました確たしかめました ascertained; confirmed。しかもその信用は初対面初対面しょたいめん first meetingの時時とき timeからあったのだという証拠証拠しょうこ evidence; proofさえ発見しました発見はっけんしました discovered。他他ひと (other) people; othersを疑り始めた疑うたぐり始はじめた began to doubt; began to distrust私の胸胸むね breast; bosomには、この発見が少し少すこし a little; a bit奇異奇異きい singular; oddなくらいに響いた響おどろいた was surprisedのです。私は男男おとこ menに比べるとに比くらべると in comparison to女女おんな womenの方方ほう alternative (of two choices)がそれだけ直覚直覚ちょっかく intuition; insightに富んでいるに富とんでいる be rich inのだろうと思いました思おもいました thought; considered。同時に同時どうじに at the same time、女が男のために、欺される欺だまされる be deceivedのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する観察かんさつする view; regard私が、お嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyに対してに対たいして with respect to; in relation to同じ同おなじ the sameような直覚を強く強つよく strongly; intensely; keenly働かせていた働はたらかせていた put to work; appliedのだから、今今いま now考える考かんがえる consider; think aboutとおかしいのです。私は他を信じない信しんじない distrustと心心こころ heart; soulに誓いながら誓ちかいながら pledge; swear、絶対に絶対ぜったいに absolutelyお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。

私は郷里郷里きょうり native place; home townの事について余り余あまり (not) much多く多おおく a lotを語らなかった語かたらなかった didn't mention; didn't speak (of)のです。ことに今度の今度こんどの recent; of late事件事件じけん incident; affairについては何も何なにも (no)thingいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べて念頭ねんとうに浮うかべて bring to mindさえすでに一種の一種いっしゅの a certain type of不愉快不愉快ふゆかい displeasure; discomfortを感じました感かんじました felt。私はなるべく奥さんの方の話話はなし talk; conversationだけを聞こう聞きこう listen toと力めました力つとめました endeavored (to)。ところがそれでは向う向むこう the other partyが承知しません承知しょうちしません not agree to; not accept。何かに付けて何なにかに付つけて somehow; one way or another、私の国元国元くにもと hometown; native placeの事情事情じじょう situation; circumstancesを知りたがる知しりたがる want to knowのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と二度にどと (never) again国国くに country; one's native placeへは帰らない帰かえらない not return (to)。帰っても何にもない何なんにもない there's nothing there、あるのはただ父父ちち fatherと母母はは motherの墓墓はか gravesばかりだと告げた告つげた told; revealed時、奥さんは大変大変たいへん very much; greatly感動した感動かんどうした was movedらしい様子様子ようす look; appearanceを見せました。お嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyは泣きました泣なきました cried; wept。私は話して好い好いい good; fine事をしたと思いました。私は嬉しかった嬉うれしかった was gladのです。

私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の自分じぶんの one's own直覚が的中した的中てきちゅうした hit the mark; was spot onといわないばかりといわないばかり all but saying; all but expressingの顔顔かお face; (facial) expressionをし出しましたし出だしました began to make。それからは私を自分の親戚親戚みより relation; kinに当るに当あたる correspond to; be若いもの若わかいもの young person; youthか何かを取り扱う取とり扱あつかう handle; treat; deal withように待遇する待遇たいぐうする receive (as)のです。私は腹も立ちませんでした腹はらも立たちませんでした was not offended; did not resent it。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心猜疑心さいぎしん suspicion; mistrustがまた起って来ました起おこって来きました was stirred; was aroused。

私私わたくし I; meが奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)を疑り始めた疑うたぐり始はじめた began to distrustのは、ごく些細な些細ささいな small; trifling事事こと affairs; mattersからでした。しかしその些細な事を重ねて行く重かさねて行ゆく pile up; accumulateうちに、疑惑疑惑ぎわく doubt; distrustは段々と段々だんだんと gradually; bit by bit根を張って来ます根ねを張はって来きます start to take root。私はどういう拍子拍子ひょうし moment; instant; chanceかふと奥さんが、叔父叔父おじ uncleと同じ同おなじ the sameような意味意味いみ meaning; intentionで、お嬢さんお嬢じょうさん daughterを私に接近させよう接近せっきんさせよう bring near (to)と力める力つとめる work; endeavorのではないかと考え出した考かんがえ出だした began to considerのです。すると今今いま now; the presentまで親切親切しんせつ kindnessに見えた見みえた appeared (as)人人ひと personが、急に急きゅうに suddenly狡猾な狡猾こうかつな cunning; crafty策略家策略家さくりゃくか schemerとして私の眼眼め eyesに映じて来た映えいじて来きた came to be seen (as)のです。私は苦々しい唇を噛みました苦々にがにがしい唇くちびるを噛かみました was filled with contempt (lit: bit down on embittered lips)。

奥さんは最初から最初さいしょから from the start、無人無人ぶにん empty (of people)で淋しい淋さむしい lonesome; solitaryから、客客きゃく guestを置いて置おいて take in (a boarder)世話をする世話せわをする take care of; look afterのだと公言していました公言こうげんしていました stated; declared。私もそれを嘘嘘うそ falsehood; deceptionとは思いませんでしたとは思おもいませんでした did not believe to be ...; did not take as ...。懇意になって懇意こんいになって get to know; become familiar with色々色々いろいろ various打ち明け話打うち明あけ話ばなし confidential talk; intimate detailsを聞いた聞きいた heard後後あと afterでも、そこに間違い間違まちがい mistake; errorはなかったように思われます。しかし一般の一般いっぱんの overall; general経済状態経済けいざい状態じょうたい economic situationは大して大たいして (not) very豊か豊ゆたか plentiful; affluentだというほどではありませんでした。利害利害りがい gain and loss; interest; stake問題問題もんだい problem; questionから考えてみて、私と特殊の特殊とくしゅの special; unique関係関係かんけい relationshipをつけるのは、先方先方せんぽう the other partyに取ってに取とって to; for決して決けっして by (no) means損損そん loss; disadvantageではなかったのです。

私はまた警戒を加えました警戒けいかいを加くわえました became wary; put up one's guard。けれども娘娘むすめ daughterに対してに対たいして with respect to; in relation to前前まえ previously; beforeいったくらいの強い強つよい strong; intense愛愛あい love; affectionをもっている私が、その母母はは motherに対していくら警戒を加えたって何になるでしょう何なんになるでしょう what of it; to what effect。私は一人で一人ひとりで alone; by oneself自分自分じぶん oneselfを嘲笑しました嘲笑ちょうしょうしました scorned; derided; mocked。馬鹿馬鹿ばか idiot; foolだなといって、自分を罵った罵ののしった cursed事もあります。しかしそれだけの矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyならいくら馬鹿でも私は大した苦痛苦痛くつう pain; anguishも感ぜずに感かんぜずに without feeling; without experiencing済んだ済すんだ finished; endedのです。私の煩悶煩悶はんもん agony; tormentは、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問疑問ぎもん doubtに会って会あって meet with; encounter始めて始はじめて for the first time起る起おこる would arise; would come aboutのです。二人二人ふたり two (people); the two of themが私の背後背後はいご back side; behindで打ち合せをした打うち合あわせをした arranged; prepared (in advance)上上うえ on top of、万事万事ばんじ all thingsをやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪らなくなる苦くるしくって堪たまらなくなる found (it) unbearableのです。不愉快不愉快ふゆかい displeasure; discomfortなのではありません。絶体絶命絶体絶命ぜったいぜつめい desperate end; utter despairのような行き詰まった行ゆき詰づまった reached an impasse; hit a wall心持心持こころもち sense; feelingになるのです。それでいて私は、一方に一方いっぽうに on the one hand; in one regardお嬢さんを固く固かたく firmly信じて信しんじて trust; believe in疑わなかった疑うたがわなかった did not doubtのです。だから私は信念信念しんねん faithと迷い迷まよい doubt; uncertaintyの途中途中とちゅう midwayに立って立たって stand; be stopped、少しも少すこしも (not) in the least動く動うごく move; budge事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像想像そうぞう imagination; conjectureであり、またどっちも真実真実しんじつ truth; realityであったのです。

十六十六じゅうろく (part) 16

「私私わたくし I; meは相変らず相変あいかわらず as usual; as always学校学校がっこう schoolへ出席して出席しゅっせきして attend (school)いました。しかし教壇教壇きょうだん (lecture) platform; podium; daisに立つ立たつ stand人人ひと personの講義講義こうぎ lectureが、遠くの遠とおくの far off; distant方方ほう direction; sideで聞こえる聞きこえる be audible; be heardような心持心持こころもち feeling; senseがしました。勉強勉強べんきょう studiesもその通りその通とおり exactly the same; the same thingでした。眼の中眼めの中なか eyes; field of visionへはいる活字活字かつじ printed textは心心こころ heart; mindの底底そこ bottom; depthsまで浸み渡らない浸しみ渡わたらない not penetrate (as far as)うちに烟烟けむ smokeのごとく消えて行く消きえて行ゆく disappear; dissipateのです。私はその上その上うえ on top of that無口無口むくち less talkative; reticentになりました。それを二、三二に、三さん two or three; severalの友達友達ともだち friendsが誤解して誤解ごかいして misunderstand、冥想冥想めいそう contemplation; ruminationに耽って耽ふけって indulge in; be engrossed inでもいるかのように、他の他たの other友達に伝えました伝つたえました told; conveyed; reported。私はこの誤解を解こう解とこう dispel; clear up (a misunderstanding)とはしませんでした。都合の好い都合つごうの好いい convenient; expedient仮面仮面かめん mask; façadeを人が貸して貸かして lendくれたのを、かえって仕合せ仕合しあわせ good fortuneとして喜びました喜よろこびました was pleased。それでも時々時々ときどき sometimes; from time to timeは気が済まなかった気きが済すまなかった was not satisfiedのでしょう、発作的に発作的ほっさてきに fitfully; sporadically焦燥ぎ廻って焦燥はしゃぎ廻まわって romp about; live it up彼ら彼かれら they; themを驚かした驚おどろかした surprised事事こと instance; occasionもあります。

私の宿宿やど lodgingsは人出入り人出入ひとでいり comings and goings; visitor trafficの少ない少すくない few; sparse家家うち house; homeでした。親類親類しんるい relatives; kinfolkも多く多おおく manyはないようでした。お嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyの学校友達がときたま遊びに来る遊あそびに来くる come to visit事はありましたが、極めて極きわめて exceedingly; extremely小さな小ちいさな small; soft (voice)声声こえ voicesで、いるのだかいないのだか分らない分わからない don't know; can't tellような話話はなし conversation; talkをして帰って帰かえって returnしまうのが常常つね usual; the normでした。それが私に対するに対たいする with respect to; in consideration of遠慮遠慮えんりょ restraint; discretionからだとは、いかな私にも気が付きませんでした気きが付つきませんでした didn't notice; was unaware。私の所所ところ place; residenceへ訪ねて来る訪たずねて来くる come to visit; come to callものは、大した大たいした great; considerable乱暴者乱暴者らんぼうもの roughneck; unruly typeでもありませんでしたけれども、宅宅うち house; householdの人に気兼をする気兼きがねをする feel constraint; have scruplesほどな男男おとこ man; fellowは一人一人ひとり one (single) personもなかったのですから。そんなところになると、下宿人下宿人げしゅくにん lodger; boarderの私は主人主人あるじ master; head of the houseのようなもので、肝心の肝心かんじんの pivotal; critical; all-importantお嬢さんがかえって食客食客いそうろう house guestの位地位地いち situation; positionにいたと同じ同おなじ the same (as)事です。

しかしこれはただ思い出した思おもい出だした recollected; recalledついでに書いた書かいた wrote; penned; notedだけで、実は実じつは in truth; in factどうでも構わないどうでも構かまわない irrelevant; inconsequential点点てん pointです。ただそこにどうでもよくないどうでもよくない not inconsequential (i.e. not どうでもいい)事が一つ一ひとつ one (thing)あったのです。茶の間茶ちゃの間ま tea room; hearth roomか、さもなければお嬢さんの室室へや roomで、突然突然とつぜん suddenly; unexpectedly男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違ってと違ちがって different from; unlike、すこぶる低い低ひくい low; quietのです。だから何何なに whatを話して話はなして say; talk ofいるのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経神経しんけい nervesに一種の一種いっしゅの a certain kind of昂奮昂奮こうふん agitationを与える与あたえる impart toのです。私は坐っていて坐すわっていて sit; remain seated変に変へんに oddly; strangelyいらいらし出しますいらいらし出だします begin to fret。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合い知しり合あい acquaintanceなのだろうかとまず考えて見る考かんがえて見みる consider; think aboutのです。 {paragraph continues below}

それから若い若わかい young男男おとこ man; fellowだろうか年輩の年輩ねんぱいの older; elderly人人ひと person; gentlemanだろうかと思案して思案しあんして consider; ponderみるのです。坐っていて坐すわっていて sit; remain seatedそんな事事こと matters; thingsの知れよう知しれよう know; find out; learnはずがありません。そうかといって、起って行って起たって行いって get up and go障子障子しょうじ shōjiを開けて開あけて open見る見みる look; see訳にはなおいきません訳わけにはなおいきません one can't well ...。私私わたくし I; meの神経神経しんけい nervesは震える震ふるえる shake; tremble; quiverというよりも、大きな大おおきな big; large波動波動はどう wave form; undulationを打って打うって beat; throw; cast (waves)私を苦しめます苦くるしめます torment; afflict。私は客客きゃく visitor; guestの帰った帰かえった returned後後あと afterで、きっと忘れずに忘わすれずに without forgettingその人の名名な nameを聞きました聞ききました asked。お嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyや奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)の返事返事へんじ answer; responseは、また極めて極きわめて extremely; exceedingly簡単簡単かんたん simple; briefでした。私は物足りない物足ものたりない unsatisfied顔顔かお face; (facial) expressionを二人二人ふたり two (people); the two of themに見せながら、物足りるまで追窮する追窮ついきゅうする inquire into; pursue an inquiry further勇気勇気ゆうき boldness; audacityをもっていなかったのです。権利権利けんり right; privilegeは無論無論むろん of courseもっていなかったのでしょう。私は自分の自分じぶんの one's own品格品格ひんかく dignityを重んじなければならない重おもんじなければならない feel compelled to esteemという教育教育きょういく education; upbringingから来た来きた came; originated (from)自尊心自尊心じそんしん pride; self-respectと、現に現げんに in fact; actuallyその自尊心を裏切して裏切うらぎりして betrayいる物欲しそうな物欲ものほしそうな wistful; desirous顔付顔付かおつき expression; look (on one's face)とを同時に同時どうじに at the same time; simultaneously彼ら彼かれら they; themの前前まえ front ofに示す示しめす express; showのです。彼らは笑いました笑わらいました smiled; laughed。それが嘲笑嘲笑ちょうしょう scorn; derisionの意味意味いみ meaning; senseでなくって、好意好意こうい good will; kind intentionから来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に即坐そくざに at once; on the spot (usually 即座そくざに)解釈解釈かいしゃく interpretationの余地余地よち leeway; latitudeを見出し得ない見出みいだし得えない can't manage to findほど落付を失って落付おちつきを失うしなって lose one's composureしまうのです。そうして事が済んだ済すんだ finished; concluded後で、いつまでも、馬鹿にされた馬鹿ばかにされた was ridiculed; was teasedのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍も何遍なんべんも any number of times; over and over心のうちで心こころのうちで inwardly; to oneself繰り返す繰くり返かえす repeat; replayのです。

私は自由な自由じゆうな independent; not tied down身体身体からだ personでした。たとい学校学校がっこう schoolを中途で中途ちゅうとで in the middle; part way through已めよう已やめよう quitが、またどこへ行って行いって go (to)どう暮らそう暮くらそう live; bide one's timeが、あるいはどこの何者何者なにもの whatever person; whomeverと結婚しよう結婚けっこんしよう marry; wedが、誰とも誰だれとも (no) one相談する相談そうだんする consult (with)必要必要ひつよう necessity; needのない位地位地いち position; situationに立っていました立たっていました stood in; was situated in。私は思い切って思おもい切きって resolutely; determindly奥さんにお嬢さんを貰い受ける貰もらい受うける receive; take in話話はなし discussionをして見ようかという決心決心けっしん determination; resolveをした事がそれまでに何度となく何度なんどとなく many times; numerous timesありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇して躊躇ちゅうちょして hesitate; refrain、口口くち mouthへはとうとう出さずに出ださずに without putting forth; without uttering (words)しまったのです。断られる断ことわられる be refused; be turned downのが恐ろしい恐おそろしい frighteningからではありません。もし断られたら、私の運命運命うんめい destiny; fateがどう変化する変化へんかする change; be alteredか分りません分わかりません don't know; can't sayけれども、その代りその代かわり on the other hand今今いま now; the presentまでとは方角方角ほうがく course; directionの違った違ちがった different場所場所ばしょ place; positionに立って、新しい新あたらしい new; novel世の中世よの中なか worldを見渡す見渡みわたす look out on便宜便宜べんぎ advantage; expedienceも生じて来る生しょうじて来くる arise; come aboutのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘き寄せられる誘おびき寄よせられる be lured; be coaxed; be ensnaredのが厭厭いや disagreeable; unpalatableでした。他他ひと others; other (people)の手手て trick; techniqueに乗る乗のる be deceived; be taken in (by)のは何よりも何なによりも more than anything業腹業腹ごうはら mortifyingでした。叔父叔父おじ uncleに欺された欺だまされた was deceived; was cheated私は、これから先これから先さき from here onどんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。

十七十七じゅうしち (part) 17

「私私わたくし I; meが書物書物しょもつ booksばかり買う買かう purchase; buyのを見て見みて see; take note of、奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は少し少すこし a little; a bit着物着物きもの clothingを拵えろ拵こしらえろ procureといいました。私は実際実際じっさい actually; in fact田舎田舎いなか countryside; the countryで織った織おった wove木綿もの木綿もめんもの cotton clothesしかもっていなかったのです。その頃その頃ころ those days; those timesの学生学生がくせい studentsは絹絹いと silk (threads)の入った入はいった included; made of着物を肌に着けませんでした肌はだに着つけませんでした didn't wear。私の友達友達ともだち friendに横浜横浜よこはま Yokohamaの商人商人あきんど shopkeeper; merchantか何か何なにか somethingで、宅宅うち house; householdはなかなか派出に派出はでに extravagantly; lavishly (usually 派手はでに)暮して暮くらして liveいるものがありましたが、そこへある時ある時とき one time; on one occasion羽二重羽二重はぶたえ fine Japanese silkの胴着胴着どうぎ vestが配達配達はいたつ deliveryで届いた届とどいた was delivered; arrived事事こと instance; occasionがあります。すると皆な皆みんな everyoneがそれを見て笑いました笑わらいました laughed。その男男おとこ man; fellowは恥ずかしがって恥はずかしがって be bashful; feel self-conscious色々色々いろいろ in varous ways弁解しました弁解べんかいしました excused; defendedが、折角の折角せっかくの having gone to great lengths for胴着を行李行李こうり baggage; trunkの底底そこ bottomへ放り込んで放ほうり込こんで toss into利用しない利用りようしない not make use ofのです。それをまた大勢大勢おおぜい a sizeable group; a large number of folkが寄ってたかって寄よってたかって crowd round、わざと着せました着きせました forced (someone) to wear。すると運悪く運悪うんわるく unfortunatelyその胴着に蝨蝨しらみ liceがたかりました。友達はちょうど幸い幸さいわい luck; fortuneとでも思った思おもった considered; took (as)のでしょう、評判の評判ひょうばんの of repute胴着をぐるぐると丸めてぐるぐると丸まるめて wad up; bundle together、散歩散歩さんぽ walk; strollに出た出でた went out (for)ついでに、根津根津ねづ Nezu (place name)の大きな大おおきな big; large泥溝泥溝どぶ gutter; ditchの中中なか middleへ棄てて棄すてて discardしまいました。その時いっしょに歩いて歩あるいて walk; strollいた私は、橋橋はし bridgeの上上うえ top ofに立って立たって stand笑いながら友達の所作所作しょさ act; performanceを眺めて眺ながめて watch; observeいましたが、私の胸胸むね breast; bosomのどこにも勿体ない勿体もったいない wastefulという気気き feelingは少しも少すこしも (not) in the least起りませんでした起おこりませんでした did not arise; did not occur。

その頃から見ると私も大分大分だいぶ a good deal大人大人おとな adult; matureになっていました。けれどもまだ自分自分じぶん oneselfで余所行余所行よそゆき going outの着物を拵えるというほどの分別分別ふんべつ discernment; tasteは出なかったのです。私は卒業して卒業そつぎょうして graduate髯髯ひげ whiskers; mustacheを生やす生はやす grow; sport (mustache)時代時代じだい time; age; daysが来なければ来こなければ not come; not arrive、服装服装ふくそう clothing; attireの心配心配しんぱい worry; concernなどはするに及ばないするに及およばない not worth doingものだという変な変へんな eccentric考え考かんがえ view; notionをもっていたのです。それで奥さんに書物は要る要いる need; requireが着物は要らないといいました。奥さんは私の買う書物の分量分量ぶんりょう quantity; amountを知っていました知しっていました knew; was aware (of)。買った本本ほん booksをみんな読む読よむ readのかと聞く聞きく askのです。私の買うものの中中うち midstには字引き字引じびき dictionariesもありますが、当然当然とうぜん naturally; of course眼を通す眼めを通とおす look throughべきはずでありながら、頁さえ切ってない頁ページさえ切きってない had not cracked the pages; had not openedのも多少多少たしょう some; a fewあったのですから、私は返事返事へんじ answer; responseに窮しました窮きゅうしました was hard pressed (for); was at a loss (as to)。私はどうせ要らないものを買うなら、書物でも衣服衣服いふく clothesでも同じ同おなじ the sameだという事に気が付きました気きが付つきました realized。その上その上うえ furthermore私は色々世話になる世話せわになる be obliged; owe a debt of gratitude (to)という口実の下にという口実こうじつの下もとに under the pretext of ...、お嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyの気に入る気きに入いる be to one's liking; suit one's tasteような帯帯おび obi; (kimono) sashか反物反物たんもの fabric; cloth; (clothing) materialを買ってやりたかったのです。それで万事万事ばんじ all; everythingを奥さんに依頼しました依頼いらいしました requested。

奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は自分一人で自分じぶん一人ひとりで on one's own; by oneself行く行いく goとはいいません。私私わたくし I; meにもいっしょに来いいっしょに来こい come withと命令する命令めいれいする order; instructのです。お嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyも行かなくてはいけないというのです。今今いま now; the presentと違った違ちがった different; unlike空気空気くうき air; atmosphereの中中なか middle; midstに育てられた育そだてられた was brought up; was raised私どもは、学生学生がくせい studentの身分身分みぶん social position; social statusとして、あまり若い若わかい young女女おんな woman; ladyなどといっしょに歩き廻る歩あるき廻まわる walk about; go out in public習慣習慣しゅうかん custom; practiceをもっていなかったものです。その頃その頃ころ those days; those timesの私は今よりもまだ習慣の奴隷奴隷どれい slave; servantでしたから、多少多少たしょう a little; somewhat躊躇しました躊躇ちゅうちょしました hesitated; waveredが、思い切って思おもい切きって with resolve出掛けました出掛でかけました set out。

お嬢さんは大層大層たいそう very much着飾っていました着飾きかざっていました was dressed up。地体地体じたい by nature; from the startが色色いろ color; hueの白い白しろい white; light; fairくせに、白粉白粉おしろい (face) powderを豊富に豊富ほうふに generally; liberally塗った塗ぬった painted; spread; appliedものだからなお目立ちます目立めだちます stand out; be conspicuous。往来往来おうらい the road; the streetの人人ひと peopleがじろじろ見て見みて observe; look atゆくのです。そうしてお嬢さんを見たものはきっとその視線視線しせん line of sight; gaze; lookをひるがえして、私の顔顔かお faceを見るのだから、変な変へんな strange; oddものでした。

三人三人さんにん three (people); the three of usは日本橋日本橋にほんばし Nihonbashi (place name)へ行って買いたい買かいたい want to buyものを買いました。買う間間あいだ interval (of time)にも色々色々いろいろ in various ways気が変る気きが変かわる change one's mindので、思ったより思おもったより more than expected; more than anticipated暇がかかりました暇ひまがかかりました took time。奥さんはわざわざ私の名名な nameを呼んで呼よんで callどうだろうと相談相談そうだん discussion; consultationをするのです。時々時々ときどき at times反物反物たんもの fabric; cloth; (clothing) materialをお嬢さんの肩肩かた shouldersから胸胸むね chestへ竪竪たて top to bottomに宛てて宛あてて hold up (against)おいて、私に二、三歩二に、三歩さんぽ two or three steps; several steps遠退いて遠退とおのいて back up; back away見てくれろというのです。私はそのたびごとに、それは駄目駄目だめ no goodだとか、それはよく似合う似合にあう match; fit; suitとか、とにかく一人前の口を聞きました一人前いちにんまえの口くちを聞ききました voiced a respectable opinion; managed a decent reply。

こんな事事こと matter; affairで時間が掛って時間じかんが掛かかって take time帰り帰かえり returnは夕飯夕飯ゆうめし evening meal; dinnerの時刻時刻じこく timeになりました。奥さんは私に対するに対たいする with respect to; in consideration ofお礼お礼れい thanks; gratitudeに何か何なにか somethingご馳走するご馳走ちそうする treat someone toといって、木原店木原店きはらだな Kiharadana (name of a theater)という寄席寄席よせ entertainment hall; theaterのある狭い狭せまい narrow横丁横丁よこちょう side street; alleyへ私を連れ込みました連つれ込こみました brought to。横丁も狭いが、飯飯めし a meal; foodを食わせる食くわせる serve up (food)家家うち house; establishmentも狭いものでした。この辺辺へん area; localeの地理地理ちり geographyを一向一向いっこう (not) at all心得ない心得こころえない not know; not be familiar with私は、奥さんの知識知識ちしき knowledgeに驚いた驚おどろいた was surprised (at); was impressed (by)くらいです。

我々我々われわれ we; usは夜夜よ eveningに入って入いって enter (into)家へ帰りました。その翌日翌日あくるひ next day; following dayは日曜日曜にちよう Sundayでしたから、私は終日終日しゅうじつ all day; the whole day through室室へや roomの中中うち insideに閉じ籠っていました閉とじ籠こもっていました was holed up; was secluded。月曜月曜げつよう Mondayになって、学校学校がっこう schoolへ出る出でる go out (to); appear (at)と、私は朝っぱら朝あさっぱら early morningそうそう級友級友きゅうゆう classmateの一人から調戯われました調戯からかわれました was teased; was chided。いつ妻妻さい wifeを迎えた迎むかえた received; welcomedのかといってわざとらしく聞かれるのです。それから私の細君細君さいくん wifeは非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly美人美人びじん beauty; belleだといって賞める賞ほめる compliment; praiseのです。私は三人連三人連さんにんづれ group of three (people)で日本橋へ出掛けたところを、その男男おとこ man; fellowにどこかで見られたものとみえます。

十八十八じゅうはち (part) 18

「私私わたくし I; meは宅宅うち house; homeへ帰って帰かえって return (to)奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)とお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyにその話話はなし story; talkをしました。奥さんは笑いました笑わらいました laughed。しかし定めて定さだめて surely; no doubt迷惑迷惑めいわく trouble; botherだろうといって私の顔顔かお faceを見ました見みました looked at; observed。私はその時時とき time; occasion腹のなかで腹はらのなかで deep down; to oneself、男男おとこ menはこんな風風ふう mannerにして、女女おんな womenから気を引いて見られる気きを引ひいて見みられる be probed; be sounded outのかと思いました思おもいました thought; considered。奥さんの眼眼め eyesは充分充分じゅうぶん sufficiently私にそう思わせるだけの意味意味いみ meaning; senseをもっていたのです。私はその時自分自分じぶん oneselfの考えている考かんがえている be thinking通り通とおり exactly as ...を直截に直截ちょくせつに frankly; directly打ち明けてしまえば打うち明あけてしまえば open up about; come clean with好かった好よかった should have ...かも知れませんかも知しれません it may be that ...。しかし私にはもう狐疑狐疑こぎ doubt; hesitation; indecisionという薩張りしない薩張さっぱりしない not feel right塊り塊かたまり lump; blockageがこびり付いてこびり付ついて cling; stick (to)いました。私は打ち明けようとして、ひょいと留まりました留とまりました stopped oneself; halted。そうして話の角度角度かくど angleを故意に故意こいに intentionally; purposely少し少すこし a little; a bit外らしました外そらしました bent; deflected (away)。

私は肝心の肝心かんじんの critical; all-important自分というものを問題問題もんだい question; topicの中中なか middle; midstから引き抜いて引ひき抜ぬいて extract; removeしまいました。そうしてお嬢さんの結婚結婚けっこん marriageについて、奥さんの意中意中いちゅう mind; heart; intentionsを探った探さぐった probedのです。奥さんは二、三二に、三さん two or three; severalそういう話のないでもないような事事こと fact; matterを、明らかに明あきらかに clearly私に告げました告つげました disclosed; revealed。しかしまだ学校学校がっこう schoolへ出ている出でている go to; attendくらいで年年とし ageが若い若わかい youngから、こちらではさほど急がない急いそがない not hurry; not rushのだと説明しました説明せつめいしました explained。奥さんは口へは出さない口くちへは出ださない not say (it)けれども、お嬢さんの容色容色ようしょく looks; beautyに大分大分だいぶ a great deal重きを置いて重おもきを置おいて attach importance to; recognize value inいるらしく見えました。極めよう極きめよう decide; chooseと思えばいつでも極められるんだからというような事さえ口外しました口外こうがいしました betrayed; divulged。それからお嬢さんより外により外ほかに other than; besides子供子供こども childrenがないのも、容易に容易よういに easily; lightly手離したがらない手離てばなしたがらない not want to let go of源因源因げんいん cause; reason (usually 原因げんいん)になっていました。嫁嫁よめ brideにやるか、聟を取る聟むこを取とる take a son-in-lawか、それにさえ迷っている迷まよっている be undecided (on)のではなかろうかと思われるところもありました。

話して話はなして talk; converseいるうちに、私は色々の色々いろいろの various知識知識ちしき informationを奥さんから得た得えた got; attained; gainedような気気き feelingがしました。しかしそれがために、私は機会機会きかい chance; opportunityを逸した逸いっした lost; missed (a chance)と同様同様どうよう equivalent (to); the same (as)の結果結果けっか result; outcomeに陥って陥おちいって fall into; end up inしまいました。私は自分について、ついに一言も一言いちごんも (not) one word口を開く口くちを開ひらく open one's mouth (to talk)事ができませんでした事ことができませんでした was not able to ...。私は好い加減な好いい加減かげんな appropriate; suitableところで話を切り上げて切きり上あげて finish; wrap up、自分の室室へや roomへ帰ろうとしました。

さっきまで傍傍そば close; nearbyにいて、あんまりだわあんまりだわ that's too much; that's going a little farとか何とかいって笑った笑わらった laughedお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyは、いつの間にかいつの間まにか at some point向うの向むこうの other side; opposite隅隅すみ cornerに行って行いって go (to)、背中背中せなか back; backsideをこっちへ向けて向むけて turn towardいました。私私わたくし I; meは立とう立たとう stand; get upとして振り返った振ふり返かえった turned around; looked back時時とき time; moment、その後姿後姿うしろすがた appearance from behindを見た見みた saw; noticedのです。後姿だけで人間人間にんげん a personの心心こころ heart; mindが読める読よめる can readはずはありません。お嬢さんがこの問題問題もんだい subject; topicについてどう考えて考かんがえて thinkいるか、私には見当が付きませんでした見当けんとうが付つきませんでした had no idea。お嬢さんは戸棚戸棚とだな closetを前にして前まえにして have before (one); have in front坐っていました坐すわっていました was seated。その戸棚の一尺一尺いっしゃく 1 shaku (about 30 cm; about 1 foot)ばかり開いている開あいている be open隙間隙間すきま spacing; gapから、お嬢さんは何か何なにか something引き出して引ひき出だして take out; withdraw膝膝ひざ knees; lapの上上うえ top ofへ置いて置おいて set; place眺めて眺ながめて look at; viewいるらしかったのです。私の眼眼め eyeはその隙間の端端はじ edge; marginに、一昨日一昨日おととい day before yesterday買った買かった bought反物反物たんもの fabric; cloth; (clothing) materialを見付け出しました見付みつけ出だしました spied; recognized。私の着物着物きもの clothingもお嬢さんのも同じ同おなじ the same戸棚の隅に重ねてあった重かさねてあった had been piled one on another; had been stacked togetherのです。

私が何ともいわずに何なんともいわずに without saying anything席を立ち掛ける席せきを立たち掛かける begin to get up (from one's seat)と、奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は急に急きゅうに suddenly改まった改あらたまった changed; altered調子調子ちょうし mood; manner; toneになって、私にどう思う思おもう thinkかと聞く聞きく askのです。その聞き方聞きき方かた way of askingは何をどう思うのかと反問反問はんもん ask in returnしなければ解らない解わからない not know; not be sureほど不意不意ふい out of the blue; unexpectedでした。それがお嬢さんを早く早はやく soon片付けた片付かたづけた marry off方方ほう alternative (of two choices)が得策得策とくさく prudent; advisableだろうかという意味意味いみ meaningだと判然した判然はっきりした made clear時、私はなるべく緩くらな緩ゆっくらな slow; deliberate方がいいだろうと答えました答こたえました answered; replied。奥さんは自分自分じぶん oneselfもそう思うといいました。

奥さんとお嬢さんと私の関係関係かんけい relationshipがこうなっている所所ところ place; pointへ、もう一人一人ひとり one (person)男男おとこ man; young manが入り込まなければならない入いり込こまなければならない had to come into; had to enter事事こと circumstance; situationになりました。その男がこの家庭家庭かてい householdの一員一員いちいん (one) memberとなった結果結果けっか result; consequenceは、私の運命運命うんめい destiny; fateに非常な非常ひじょうな extraordinary; extreme変化変化へんか change; transformationを来して来きたして bring about; produceいます。もしその男が私の生活生活せいかつ lifeの行路行路こうろ one's course; one's pathを横切らなかった横切よこぎらなかった hadn't crossedならば、おそらくこういう長い長ながい long; lengthyものをあなたに書き残す書かき残のこす leave in writing必要必要ひつよう necessity; needも起らなかった起おこらなかった would not have arisenでしょう。私は手もなく手てもなく just like; as it were、魔魔ま devil; demon; evil spiritの通る通とおる pass by前前まえ front ofに立って立たって stand、その瞬間瞬間しゅんかん moment; instantの影影かげ shadowに一生一生いっしょう whole life; existenceを薄暗くされて薄暗うすぐらくされて be dimmed; be darkened気が付かずに気きが付つかずに taking no notice; without realizingいたのと同じ事です。自白する自白じはくする confess; be candidと、私は自分でその男を宅宅うち houseへ引張って来た引張ひっぱって来きた brought (to)のです。無論無論むろん of course奥さんの許諾許諾きょだく permission; consentも必要ですから、私は最初最初さいしょ first of all何もかも隠さず隠かくさず not withholding打ち明けて打うち明あけて disclose; reveal、奥さんに頼んだ頼たのんだ requested; petitionedのです。ところが奥さんは止せ止よせ stop; don't (do it)といいました。私には連れて来なければ済まない連つれて来こなければ済すまない have to bring in; feel compelled to bring in事情事情じじょう reasons; circumstancesが充分充分じゅうぶん sufficiently; fullyあるのに、止せという奥さんの方には、筋の立った筋すじの立たった logical; rational理屈理屈りくつ argumentはまるでなかったのです。だから私は私の善い善いい good; fine; rightと思うところを強いて強しいて by force; insistently断行して断行だんこうして carry out with resolveしまいました。