二十八二十八にじゅうはち (part) 28

きみ youのうちに財産財産ざいさん assets; wealthがあるなら、今のうちにいまのうちに without delay; soonよく始末始末しまつ management; dealings; settlementをつけてもらっておかないといけないと思うおもう thinkがね、余計なお世話余計よけいなお世話せわ meddling in another's businessだけれども。君のお父さんとうさん (your) father達者達者たっしゃ in good health; of sound mindなうちに、貰うもらう receiveものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事万一まんいちこと unlikely event; unforeseen circumstanceがあったあとで、一番一番いちばん foremost; number one面倒面倒めんどう trouble; difficulty起るおこる occur; ariseのは財産の問題問題もんだい problem; issueだから」

「ええ」

わたくし I; me先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)言葉言葉ことば words大したたいした particular; significant注意注意ちゅうい caution; heed払わなかったはらわなかった did not pay (heed)。私の家庭家庭かてい home; familyでそんな心配心配しんぱい worry; concernをしているものは、私に限らずかぎらず not just ...; not limited to ...ちち fatherにしろはは motherにしろ、一人一人ひとり one (single) personもないと私は信じてしんじて believeいた。その上そのうえ on top of that; furthermore先生のいう事の、先生として、あまりに実際的実際的じっさいてき practical; pragmaticなのに私は少しすこし a little; a bit驚かされたおどろかされた was taken by surprise。しかしそこは年長者年長者ねんちょうしゃ older person; elderに対するたいする in relation to; with respect to平生の平生へいぜいの usual; customary敬意敬意けいい respect; deferenceが私を無口無口むくち reticent; reservedにした。

「あなたのお父さんが亡くなられるくなられる pass awayのを、今から予想して予想よそうして anticipateかかるような言葉遣い言葉遣ことばづかい speech; languageをするのが気に触ったらさわったら is unpleasant; is disagreeable許してくれたまえゆるしてくれたまえ please forgive me; please excuse me。しかし人間人間にんげん human beings死ぬぬ dieものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らないわからない can't knowものだからね」

先生の口気口気こうき intimation; tone珍しくめずらしく unusually; uncharacteristically苦々しかった苦々にがにがしかった was bitter; was somber

「そんな事をちっとも気に掛けちゃいませんけちゃいません doesn't trouble one」と私は弁解した弁解べんかいした explained oneself; cleared the air

「君の兄弟兄弟きょうだい brothers and sisters; siblings何人何人なんにん how many (people)でしたかね」と先生が聞いたいた asked

先生はその上に私の家族家族かぞく family人数人数にんず number of peopleを聞いたり、親類親類しんるい relatives; relations有無有無うむ presence or absence尋ねたりたずねたり asked; inquired叔父叔父おじ uncles叔母叔母おば aunts様子様子ようす situation; circumstances問いい askなどした。そうして最後に最後さいごに finallyこういった。

「みんな善いい good; decent; virtuousひと peopleですか」

別にべつに in particular悪いわるい dishonest人間というほどのものもいないようです。大抵大抵たいてい for the most part田舎者田舎者いなかもの country folkですから」

「田舎者はなぜ悪くないんですか」

私はこの追窮追窮ついきゅう inquiry; questioning苦しんだくるしんだ struggled (with)。しかし先生は私に返事返事へんじ answer; response考えさせるかんがえさせる let consider余裕余裕よゆう leeway; time (in which to do something)さえ与えなかったあたえなかった did not give; did not allow

田舎者田舎者いなかもの country folk都会都会とかい cityのものより、かえって悪いわるい dishonestくらいなものです。それから、きみ youいま now; just now、君の親戚親戚しんせき relatives; relationsなぞの中にうちに among ...、これといって、悪い人間人間にんげん personsはいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種一種いっしゅ (one) certain typeの人間が世の中なか society; the worldにあると君は思っておもって think; believeいるんですか。そんな鋳型に入れた鋳型いかたれた cast from a moldような悪人悪人あくにん villains; scoundrelsは世の中にあるはずがありませんよ。平生平生へいぜい usually; ordinarilyはみんな善人善人ぜんにん good people; virtuous peopleなんです。少なくともすくなくとも at the very leastみんな普通の普通ふつうの ordinary; common人間なんです。それが、いざという間際にいざという間際まぎわに at the critical moment; in the moment of truth急にきゅうに suddenly; abruptly悪人に変るかわる change; transform (into)んだから恐ろしいおそろしい dreadful; frighteningのです。だから油断ができない油断ゆだんができない one must watch oneself; one cannot be too carefulんです」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)のいうこと mattersは、ここで切れるれる run out; come to an end様子様子ようす sign; appearanceもなかった。わたくし I; meはまたここで何かなにか somethingいおうとした。すると後ろうしろ behind; in backほう directionいぬ dogが急に吠え出したした began to bark。先生も私も驚いておどろいて in surprise後ろを振り返ったかえった turned around; looked back

縁台縁台えんだい bench; platformよこ side; edgeから後部後部こうぶ rear; back part掛けてけて covering ...; over ...植え付けてあるけてある had been planted杉苗杉苗すぎなえ cedar saplingそば vicinity; proximityに、熊笹熊笹くまざさ bamboo grass三坪三坪みつぼ 3 tsubo (about 10 sq meters; about 12 sq yards)ほど earth; ground隠すかくす hide; concealように茂って生えてしげってえて grow thicklyいた。犬はそのかお face backを熊笹のうえ above現わしてあらわして show; reveal盛んにさかんに energetically; enthusiastically吠え立てたてた barked; howled。そこへとお ten (years of age)ぐらいの小供小供こども child (usually 子供こども)馳けて来てけてて came running犬を叱り付けたしかけた scolded severely。小供は徽章徽章きしょう badge; insignia着いたいた attached; affixed (to)黒いくろい black帽子帽子ぼうし hat; cap被ったかぶった wore (on one's head)まま先生のまえ front of廻ってまわって circle round (to)礼をしたれいをした saluted; greeted

叔父さん叔父おじさん uncle (used here as form of address)はいって来るはいってる enter; come inとき timeうち house誰もだれも (no) oneいなかったかい」と聞いたいた asked

「誰もいなかったよ」

姉さんねえさん older sisterおっかさんおっかさん mother勝手勝手かって kitchenの方にいたのに」

「そうか、いたのかい」

「ああ。叔父さん、今日は今日こんちは good day; helloって、断ってことわって give notice; announce oneselfはいって来ると好かったのにかったのに (you) should have ...

先生は苦笑した苦笑くしょうした forced a smile懐中懐中ふところ pocketから蟇口蟇口がまぐち coin purse出してして take out五銭五銭ごせん 5 sen (0.05 yen)白銅白銅はくどう nickel coinを小供の hand握らせたにぎらせた let grasp; let have

「おっかさんにそういっとくれ。少しすこし a little; a bitここで休まして下さいやすましてください be kind enough to let (us) restって」

小供は怜悧そうな怜悧りこうそうな sharp; keen eyes笑いわらい smile; grin漲らしてみなぎらして (cause to) fill; overflow首肯いて見せた首肯うなずいてせた nodded (his) agreement

「今斥候長斥候長せっこうちょう scout; lookout; spyになってるところなんだよ」

小供はこう断って、躑躅躑躅つつじ azaleaの間あいだ among ...した below; beneathの方へ駈け下りて行ったりてった ran down。犬も尻尾尻尾しっぽ tail高くたかく high; in the air巻いていて wind; coil小供のあと after追い掛けたけた pursued; followed。しばらくすると同じおなじ the sameくらいの年格好年格好としかっこう ageの小供が二、三人三人さんにん two or three (people)、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。

二十九二十九にじゅうく (part) 29

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)談話談話だんわ talk; conversationは、このいぬ dog小供小供こども child (usually 子供こども)のために、結末結末けつまつ end; conclusionまで進行する進行しんこうする advance; progress; move forward事ができなくなったことができなくなった became unable to ...ので、わたくし I; meはついにその要領を得ないで要領ようりょうないで without grasping; without getting the meaning ofしまった。先生の気にするにする worry over; fixate on財産財産ざいさん assets云々云々うんぬん and the like掛念掛念けねん anxieties; concerns (usually 懸念けねん)はそのとき timeの私には全くまったく (not) at allなかった。私の性質性質せいしつ nature; dispositionとして、また私の境遇境遇きょうぐう environment; circumstancesからいって、その時の私には、そんな利害利害りがい gains or losses; interest; stakesねん sense; idea; feeling頭を悩ますあたまなやます worry about; lose sleep over余地余地よち room; margin; scopeがなかったのである。考えるかんがえる consider; think aboutとこれは私がまだ世間世間せけん the world出ないない not be out inためでもあり、また実際実際じっさい in fact; in realityその場に臨まないそののぞまない not have exposure to (something)ためでもあったろうが、とにかく若いわかい young; youthful私にはなぜかかね money問題問題もんだい problems; issues遠くの方とおくのほう distant; far off見えたえた appeared

先生のはなし talkのうちでただ一つひとつ one thingそこ bottom; depthsまで聞きたかったきたかった wanted to askのは、人間人間にんげん people; human beingsいざという間際にいざという間際まぎわに at the critical moment; in the moment of truth誰でもだれでも anyone悪人悪人あくにん villain; scoundrelになるという言葉言葉ことば words意味意味いみ meaningであった。単なるたんなる simple; mere言葉としては、これだけでも私に解らないわからない not understand; fail to grasp事はなかった。しかし私はこの expression; statementについてもっと知りたかったりたかった wanted to know; wanted to learn

犬と小供が去ったった went away; moved onあと、広いひろい open; expansive若葉若葉わかば new leaves; fresh verdureその garden; orchard再びふたたび once again故のもとの former; previous静かさしずかさ silence帰ったかえった returned (to)。そうして我々我々われわれ we; us沈黙沈黙ちんもく quiet; stillness鎖ざされたざされた be locked; be encased (in)ひと people; personsのようにしばらく動かずにうごかずに without moving; motionlessいた。うるわしいうるわしい beautiful; lovelyそら skyいろ colorがその時次第に次第しだいに graduallyひかり light失って来たうしなってた lost; let go of eyesまえ before; in front ofにある trees大概大概たいがい generally; for the most partかえで maplesであったが、そのえだ branches滴るしたたる glisten; drip (with moisture)ように吹いたいた waved軽いかるい light; paleみどり greenの若葉が、段々段々だんだん slowly; bit by bit暗くなって行くくらくなってく grow darker; fadeように思われたおもわれた seemed to ...。遠い往来往来おうらい road; street荷車荷車にぐるま cart; wagon引いて行くいてく pull along響きひびき echo; sound (of)がごろごろと聞こえた。私はそれをむら villageおとこ man; fellow植木植木うえき plants; shrubs何かなにか something載せてせて load; carry縁日縁日えんにち festival; fairへでも出掛ける出掛でかける set out (for)ものと想像した想像そうぞうした imagined。先生はそのおと soundを聞くと、急にきゅうに suddenly瞑想瞑想めいそう contemplation; reverieから呼息を吹き返した呼息いきかえした came to; came back to life人のように立ち上がったがった stood up; rose

「もう、そろそろ帰りましょう。大分大分だいぶ a good deal days永くなったながくなった have grown longerようだが、やっぱりこう安閑としている安閑あんかんとしている take things easy; while away the timeうちには、いつの間にかいつのにか before one knows it暮れて行くれてく (the sun) goes downんだね」

先生の背中背中せなか backsideには、さっき縁台縁台えんだい platformうえ top of仰向き仰向あおむき (lying) face up寝たた restedあと traces; marks (of)がいっぱい着いていて stick; cling (to)いた。私は両手両手りょうて both handsでそれを払い落したはらおとした brushed off

「ありがとう。やに resinこびり着いてこびりいて stick; cling (to)やしませんか」

綺麗に綺麗きれいに cleanly落ちましたちました came off

「この羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)はつい此間此間こないだ recently; the other day拵えたこしらえた procured; had madeばかりなんだよ。だからむやみに汚してよごして stain; soil帰ると、さい wife叱られるしかられる be scoldedからね。有難う有難ありがとう thank you

二人二人ふたり two people; the two of usはまただらだら坂だらだらざか gentle slope中途中途ちゅうと in the middle of; halfwayにあるうち houseまえ front of来たた came (to); arrived (at)。はいるとき time; occasionには誰もだれも (no) oneいる気色気色けしき sign; indication見えなかったえなかった was not visible; was not evidentえん veranda (= 縁側えんがわ)に、お上さんかみさん lady of the houseが、十五、六十五じゅうごろく fifteen or sixteen (years of age)むすめ daughter相手相手あいて companion; partner; helperに、糸巻糸巻いとまき spoolいと thread巻きつけてきつけて wind (onto)いた。二人は大きなおおきな large金魚鉢金魚鉢きんぎょばち gold fish bowl; gold fish basinよこ side ofから、「どうもお邪魔をしましたどうもお邪魔じゃまをしました thank you for accommodating us」と挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationした。お上さんは「いいえお構い申しも致しませんでかまもうしもいたしませんで don't mention it」とれい courtesy返したかえした responded in turn; reciprocatedあと after先刻先刻さっき just prior小供小供こども child (usually 子供こども)にやった白銅白銅はくどう nickel coinの礼を述べたべた mentioned

門口門口かどぐち entrance; gateway出てて depart (from)二、三町三町さんちょう 2 or 3 chō (about 300 meters; about 300 yards)来た時、わたくし I; meはついに先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)向かってかって turned (toward)口を切ったくちった broke the silence

「さきほど先生のいわれた、人間人間にんげん people; human beings誰でもだれでも anyoneいざという間際にいざという間際まぎわに at the critical moment; in the moment of truth悪人悪人あくにん villain; scoundrelになるんだという意味意味いみ meaningですね。あれはどういう意味ですか」

「意味といって、深いふかい deep; profound意味もありません。――つまり事実事実じじつ fact; truthなんですよ。理屈理屈りくつ theory; rationalizationじゃないんだ」

「事実で差支えありません差支さしつかえありません have no objection; am fine withが、私の伺いたいうかがいたい want to ask; want to understandのは、いざという間際という意味なんです。一体一体いったい after all; in factどんな場合場合ばあい situation; circumstances指すす point to; indicateのですか」

先生は笑い出したわらした laughed。あたかも時機時機じき chance; opportunity過ぎたぎた was passedいま now; the present、もう熱心に熱心ねっしんに with vigor説明する説明せつめいする explain張合いがない張合はりあいいがない one's interest has wanedといったふう mannerに。

かね moneyきみ you (used here as form of address)。金を見ると、どんな君子君子くんし man of noble character; gentlemanでもすぐ悪人になるのさ」

私には先生の返事返事へんじ response; replyがあまりに平凡過ぎて平凡過へいぼんすぎて banal; trite; hackneyed詰らなかったつまらなかった was dissatisfying。先生が調子に乗らない調子ちょうしらない fail to engageごとく、私も拍子抜け拍子ひょうしけ let-down; disappointment気味気味きみ feeling; tendencyであった。私は澄ましてまして feigning indifferenceさっさと歩き出したさっさとあるした set off walking; set off at a quick paceいきおいいきおい naturally; in due course先生は少しすこし a little; a bit後れがちおくれがち lagging behindになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けたこえけた called out

そら見たまえそらたまえ take a look (at that)

なに whatをですか」

「君の気分気分きぶん feeling; moodだって、私の返事一つひとつ one (thing)ですぐ変るかわる change; varyじゃないか」

待ち合わせるわせる wait forために振り向いていて turn around立ち留まったまった stood still私のかお faceを見て、先生はこういった。

三十三十さんじゅう (part) 30

そのとき time; momentわたくし I; me腹の中ではらなかで deep down; inwardly先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)憎らしく思ったにくらしくおもった loathed; hated; detestedかた shoulders並べてならべて line up (side by side)歩き出してあるして set off walkingからも、自分自分じぶん oneself聞きたいきたい want to ask (about)こと matters; thingsをわざと聞かずにいた。しかし先生のほう sideでは、それに気が付いていたいていた took notice; was aware ofのか、いないのか、まるで私の態度態度たいど manner; behavior拘泥る拘泥こだわる pay heed to; be particular about様子様子ようす sign; indication見せなかったせなかった didn't showいつもの通りいつものとおり as always沈黙がちに沈黙ちんもくがちに tending toward silence; with reticence落ち付き払ったはらった fully composed歩調歩調ほちょう pace; cadenceすまして運んで行くすましてはこんでく carry forward unperturbedので、私は少しすこし a bit; somewhat業腹になった業腹ごうはらになった became spiteful何とかなんとか somehowいって一つひとつ one; once先生をやっ付けてやっけて upset; bother; unsettleみたくなって来たみたくなってた felt the urge to try ...

「先生」

「何ですか」

「先生はさっき少し昂奮なさいました昂奮こうふんなさいました was worked up; became agitatedね。あの植木屋植木屋うえきや (plant) nurseryにわ gardens休んでやすんで rest; relaxいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多に滅多めったに rarely見た事がないんですが、今日今日きょう today珍しいめずらしい unusualところを拝見した拝見はいけんした saw; witnessedような気がします」

先生はすぐ返事返事へんじ answer; replyをしなかった。私はそれを手応え手応てごたえ reaction; impactのあったようにも思った。またまと mark; target外れたはずれた missedようにも感じたかんじた felt仕方がない仕方しかたがない nothing (more) could be doneからあと afterはいわない事にした。すると先生がいきなりみち road; streetはじ edge寄って行ったってった approached; drew onto。そうして綺麗に綺麗きれいに neatly刈り込んだんだ cut; trimmed生垣生垣いけがき hedgeした beneath; at the base (of)で、すそ hem; shirttailをまくって小便をした小便しょうべんをした took a pee; relieved himself。私は先生が用を足すようす finish one's businessあいだ while ...ぼんやりそこに立ってって stand; lingerいた。

やあ失敬やあ失敬しっけい excuse me; pardon me

先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込めるやりめる box in; corner (in an argument)事を断念した断念だんねんした gave up on。私たちの通るとおる pass over道は段々段々だんだん gradually賑やかにぎやか lively; busy; activeになった。いま now; the presentまでちらほらちらほら here and there; now and thenと見えた広いひろい wide; openはたけ fields斜面斜面しゃめん slopes平地平地ひらち level groundが、全くまったく completely眼に入らないらない not be seenように左右左右さゆう left and right; both sides家並家並いえなみ rows of houses揃ってきたそろってきた gathered; clustered; came together。それでも所々所々ところどころ in places宅地宅地たくち residential lot; yardすみ cornerなどに、豌豆豌豆えんどう green peasつる vines; tendrilsたけ bambooにからませたり、金網金網かなあみ wire screen; wire meshにわとり chickens囲い飼いにしたりかこいにしたり raising in pensするのが閑静閑静かんせい quiet (areas)眺められたながめられた could be seen市中市中しちゅう city centerから帰るかえる return駄馬駄馬だば workhorse; cart horse仕切りなく仕切しきりなく in succession; one after another擦れ違って行ったちがってった passed (us) by。こんなものに始終始終しじゅう continuously; always気を奪られがちられがち tend to have one's attention diverted (by)な私は、さっきまでむね breast; bosomなか inside; withinにあった問題問題もんだい questions; problemsをどこかへ振り落しておとして shake off; discardしまった。先生が突然突然とつぜん suddenly; abruptlyそこへ後戻り後戻あともどり doubling back; backtrackingをした時、私は実際実際じっさい truly; in factそれを忘れていたわすれていた had forgotten

わたくし I; me先刻先刻さっき earlier; beforeそんなに昂奮した昂奮こうふんした was worked up; became agitatedように見えたえた appeared; seemedんですか」

「そんなにというほどでもありませんが、少しすこし a little; a bit……」

いや見えても構わないかまわない doesn't matter; is okay実際実際じっさい actually; in fact昂奮するんだから。私は財産財産ざいさん assets; wealthの事こと concerning ...をいうときっと昂奮するんです。きみ youにはどう見えるか知らないらない don't knowが、私はこれで大変大変たいへん terribly; a great deal執念深い執念しゅうねんぶかい vindictive; spiteful; vengefulおとこ manなんだから。ひと (other) peopleから受けたけた received; sustained; suffered屈辱屈辱くつじょく disgrace; humiliation損害損害そんがい damage; injury; lossは、十年十年じゅうねん ten yearsたっても二十年二十年にじゅうねん twenty yearsたっても忘れやしないわすれやしない don't forgetんだから」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)言葉言葉ことば words元よりももとよりも more than beforeなお昂奮していた。しかし私の驚いたおどろいた was surprisedのは、決してけっして by (no) meansその調子調子ちょうし tone; moodではなかった。むしろ先生の言葉が私のみみ ears訴えるうったえる raise; bring (to one's attention)意味意味いみ meaningそのものであった。先生のくち mouthからこんな自白自白じはく confession聞くく hearのは、いかな私にも全くまったく completely; utterly意外意外いがい unexpectedに相違なかった相違そういなかった without a doubt; surely。私は先生の性質性質せいしつ nature; disposition特色特色とくしょく feature; facet; idiosyncrasyとして、こんな執着力執着力しゅうじゃくりょく tenacityをいまだかつて想像した想像そうぞうした imagined事さえなかった。私は先生をもっと弱いよわい meek; mild; passive人と信じてしんじて believe; thinkいた。そうしてその弱くて高いたかい lofty; nobleところ point; aspectに、私の懐かしみなつかしみ fondness; attachment roots置いていて set; placeいた。一時の一時いちじの one-time; momentary気分気分きぶん feeling; moodで先生にちょっと盾を突いてたていて oppose; defy; set oneself againstみようとした私は、この言葉のまえ before; in front of小さくなったちいさくなった felt small; shrank back。先生はこういった。

「私はひと others欺かれたあざむかれた was deceivedのです。しかも血のつづいた親戚のつづいた親戚しんせき blood relationsのものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私のちち fatherの前には善人善人ぜんにん good people; virtuous peopleであったらしい彼らかれら they; themは、父の死ぬぬ die; pass awayや否やいなや as soon as許しがたいゆるしがたい inexcusable; unpardonable不徳義漢不徳義漢ふとくぎかん rogues; rascals; malefactors変ったかわった changed; transformed (into)のです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供小供こども child (usually 子供こども)とき time; periodから今日今日きょう today; this dayまで背負わされている背負しょわされている be burdened with恐らくおそらく perhaps; most likely死ぬまで背負わされ通し背負しょわされどおし be burdened throughoutでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐復讐ふくしゅう revenge; paybackをしずにいる。考えるかんがえる consider; think aboutと私は個人個人こじん individualsに対するたいする with respect to; in relation to復讐以上以上いじょう above; beyond; more thanの事を現にげんに in actuality; in factやっているんだ。私は彼らを憎むにくむ hate; despiseばかりじゃない、彼らが代表して代表だいひょうして representいる人間人間にんげん human beings; humanityというものを、一般に一般いっぱんに in general; as a whole憎む事を覚えたおぼえた learned (to do)のだ。私はそれで沢山沢山たくさん sufficient; enoughだと思う」

私は慰藉慰藉いしゃ consolation; comfortの言葉さえ口へ出せなかったくちせなかった could not voice

三十一三十一さんじゅういち (part) 31

その day談話談話だんわ talk; conversationもついにこれぎりで発展せずにしまった発展はってんせずにしまった developed no further; went no furtherわたくし I; meはむしろ先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)態度態度たいど manner; demeanor畏縮して畏縮いしゅくして shrink; recoil (from)さき forward進むすすむ advance; progress inclination起らなかったおこらなかった did not ariseのである。

二人二人ふたり two (people) city外れはずれ extremity; outskirtsから電車電車でんしゃ (electric) train乗ったった boarded; rodeが、車内車内しゃない on boardではほとんど口を聞かなかったくちかなかった didn't speak。電車を降りるりる disembark; get off間もなくもなく soon; right away別れなければならなかったわかれなければならなかった had to part; had to go (our) separate ways。別れるとき time; occasionの先生は、また変っていたかわっていた had changed; was differentつね usualよりは晴やかなはれやかな clear; bright調子調子ちょうし toneで、「これから六月六月ろくがつ Juneまでは一番一番いちばん most気楽な気楽きらくな carefree; comfortable; easygoing時ですね。ことによると生涯生涯しょうがい (your) lifetimeで一番気楽かも知れないかもれない it may be that ...精出して精出せいだして do one's utmost遊びたまえあそびたまえ enjoy」といった。私は笑ってわらって smile; grin帽子帽子ぼうし hat; cap脱ったった took off; removed。その時私は先生のかお face見てて look at、先生ははたしてこころ heart; soulのどこで、一般の一般いっぱんの all; general人間人間にんげん human beings; humanity憎んでにくんで hate; despiseいるのだろうかと疑ったうたぐった doubted; questioned。その eyes、その口、どこにも厭世的の厭世的えんせいてきの weary; despondentかげ shadow; trace射してして shine; project; show (through)いなかった。

私は思想思想しそう thoughts; ideasじょう regarding; concerning問題問題もんだい questions; subjectsについて、大いなるおおいなる considerable; significant利益利益りえき benefit; gainを先生から受けたけた receivedこと fact自白する自白じはくする confess; admit。しかし同じおなじ the same問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々間々まま occasionally; sometimesあったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領不得要領ふとくようりょう vagueness; ambiguity終ったおわった ended (in)。その日二人の間あいだ between ...に起った郊外郊外こうがい environs; outskirts (of a town)の談話も、この不得要領の一例一例いちれい one example (of)として私のむね breast; bosomうち inside残ったのこった remained

無遠慮な無遠慮ぶえんりょな forward; presumptuous私は、ある時ついにそれを先生のまえ front of打ち明けたけた divulged。先生は笑っていた。私はこういった。

あたま head; mind鈍くてにぶくて dull; blunt要領を得ない要領ようりょうない fail to graspのは構いませんかまいません don't mind; don't have a problem withが、ちゃんと解ってるわかってる know; be awareくせに、はっきりいってくれないのは困りますわかります be troubled by; take issue with

「私は何にもなんにも (no)thing隠してやしませんかくしてやしません am not hiding; do not conceal

「隠していらっしゃいます」

「あなたは私の思想とか意見意見いけん ideas; opinionsとかいうものと、私の過去過去かこ pastとを、ごちゃごちゃに考えてかんがえて consider; think aboutいるんじゃありませんか。私は貧弱な貧弱びんじゃくな poor; of little worth思想家思想家しそうか thinkerですけれども、自分の自分じぶんの one's own頭で纏め上げたまとげた compiled; pulled together考えをむやみにひと (other) peopleに隠しやしません。隠す必要必要ひつよう need; necessityがないんだから。けれども私の過去を悉くことごとく in full; in its entiretyあなたの前に物語らなくてはならない物語ものがたらなくてはならない have to tell; be compelled to explainとなると、それはまた別問題別問題べつもんだい separate issue; another matterになります」

「別問題とは思われませんおもわれません doesn't seem like; don't see as。先生の過去が生み出したした brought forth; produced; created思想だから、私は重きを置くおもきをく place great importance on; hold in high regardのです。二つのものふたつのもの the two things切り離したらはなしたら cut apart; separate、私にはほとんど価値価値かち worth; valueのないものになります。私はたましい soul吹き込まれていないまれていない has not been breathed into人形人形にんぎょう doll; puppet与えられたあたえられた be givenだけで、満足満足まんぞく satisfactionはできないのです」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)はあきれたといったふう mannerに、わたくし I; meかお face見たた looked at巻烟草まき烟草タバコ cigarette (lit: rolled tobacco)持ってって holdいたその hand少しすこし a little; a bit顫えたふるえた shook; trembled

「あなたは大胆大胆だいたん bold; audaciousだ」

「ただ真面目真面目まじめ earnest; sincere; genuineなんです。真面目に人生人生じんせい lifeから教訓教訓きょうくん lessons受けたいけたい want to receiveのです」

「私の過去過去かこ past訐いてあばいて divulge; exposeもですか」

訐くという言葉言葉ことば wordが、突然突然とつぜん suddenly恐ろしいおそろしい frightening; dreadful; ominous響きひびき echo; sound; reverberationをもって、私のみみ ears打ったった struck; hit; impacted。私はいま now; at present私のまえ front of坐ってすわって sitいるのが、一人一人ひとり one person罪人罪人ざいにん offender; wrongdoer; malefactorであって、不断から不断ふだんから ordinarily; always尊敬して尊敬そんけいして respect; esteemいる先生でないような feelingがした。先生の顔は蒼かったあおかった was pale

「あなたは本当に本当ほんとうに really; truly真面目なんですか」と先生が念を押したねんした checked; confirmed; ascertained。「私は過去過去かこ past因果因果いんが ill fate; misfortuneで、ひと people疑りつけているうたぐりつけている have come to distrust。だから実はじつは the truth isあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎる単純たんじゅんすぎる (too) simple; innocent; child-likeようだ。私は死ぬぬ die; depart前にたった一人で好いい good; fineから、ひと (other) person信用して信用しんようして trust; confide in死にたいと思っておもって think; considerいる。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底からはらのそこから from the depths of one's soul真面目ですか」

「もし私のいのち life; existenceが真面目なものなら、私の今いったこと matters; thingsも真面目です」

私のこえ voice顫えたふるえた trembled; quavered

「よろしい」と先生がいった。「話しましょうはなしましょう tell; relate。私の過去を残らずのこらず without omission、あなたに話して上げましょうげましょう do (something) for someoneその代りそのかわり in return; at the same time……。いやそれは構わないかまわない doesn't matter。しかし私の過去はあなたに取ってあなたにって to you; for your purposesそれほど有益有益ゆうえき beneficial; of valueでないかも知れませんかもれません it may be that ...よ。聞かないかない not hear; not learnほう the alternative of ...まし preferable; betterかも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さいください please ...適当の適当てきとうの appropriate; proper時機時機じき time; opportunity; occasion来なくっちゃなくっちゃ (if) doesn't arise話さないんだから」

私は下宿下宿げしゅく lodgings帰ってかえって return (to)からも一種の一種いっしゅの a certain type of圧迫圧迫あっぱく pressure; stress感じたかんじた felt; experienced

三十二三十二さんじゅうに (part) 32

わたくし I; me論文論文ろんぶん thesis自分自分じぶん oneself評価して評価ひょうかして assess; evaluateいたほどに、教授教授きょうじゅ professors eyesにはよく見えなかったよくえなかった didn't look so goodらしい。それでも私は予定通り予定よていどおり as planned; on schedule及第した及第きゅうだいした passed卒業式卒業式そつぎょうしき graduation ceremony day、私は黴臭くなった黴臭かびくさくなった smelling of mold; must古いふるい old冬服冬服ふゆふく winter outfit行李行李こうり trunk; suitcaseなか insideから出してして take out着たた put on; wore式場式場しきじょう assembly hallにならぶと、どれもこれもみな暑そうなあつそうな looking hotかお face; (facial) expressionばかりであった。私はかぜ wind; breeze通らないとおらない not pass through厚羅紗あつ羅紗ラシャ thick woolした beneath密封された密封みっぷうされた was sealed自分の身体身体からだ body持て余したあました struggled to manage。しばらく立ってって standいるうちに hand持ったった heldハンケチハンケチ handkerchiefぐしょぐしょぐしょぐしょ sopping; soakingになった。

私は式が済むむ be concluded; endとすぐ帰ってかえって return (home)裸体になった裸体はだかになった stripped down; undressed下宿下宿げしゅく lodgings二階二階にかい second floorまど windowをあけて、遠眼鏡遠眼鏡とおめがね scope; spyglassのようにぐるぐる巻いたぐるぐるいた rolled up卒業証書卒業そつぎょう証書しょうしょ graduation certificate; diplomaあな (center) holeから、見えるだけの世の中なか outside world見渡した見渡みわたした looked over; surveyed。それからその卒業証書をつくえ deskうえ top of放り出したほうした tossed down。そうして大の字なりだいなり in the shape of the character '大'になって、へや room真中真中まんなか center寝そべったそべった sprawled。私は寝ながら自分の過去過去かこ past顧みたかえりみた looked back on; reflected on。また自分の未来未来みらい future想像した想像そうぞうした imagined。するとそのあいだ interval; space between立ってって stand一区切りを付けて一区切ひとくぎりをけて mark a break point; mark a junctureいるこの卒業証書なるものが、意味意味いみ significanceのあるような、また意味のないような変なへんな odd; curiousかみ (piece of) paper思われたおもわれた seemed (to be)

私はそのばん evening先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)うち house御馳走御馳走ごちそう (celebratory) meal招かれてまねかれて was invited行ったった went (to)。これはもし卒業したらその日の晩餐晩餐ばんさん dinnerはよそで喰わずにわずに not eat、先生の食卓食卓しょくたく (dining) tableで済ますというまえ before; priorからの約束約束やくそく promiseであった。

食卓は約束通り座敷座敷ざしき sitting room; parlor縁近くえんちかく near the veranda据えられてあったえられてあった had been placed; had been set up模様模様もよう pattern; figure; design織り出されたされた (pattern) had been woven厚いあつい thick; heavy糊の硬いのりこわい stiffly starched卓布卓布テーブルクロース tablecloth美しくうつくしく beautifullyかつ清らかにきよらかに purely電燈電燈でんとう electric lampひかり light射返して射返いかえして reflectいた。先生のうちでめし mealを食うと、きっとこの西洋西洋せいよう Western; Western-style料理店料理店りょうりてん eatery; restaurantに見るような白いしろい whiteリンネルリンネル linen (from french linière)の上に、はし chopsticks茶碗茶碗ちゃわん rice bowls; tea cups; dishes置かれたかれた be laid out; be placed。そうしてそれが必ずかならず invariably; without fail洗濯したての洗濯せんたくしたての freshly-laundered真白な真白まっしろな pure whiteものに限られていたかぎられていた was never other than ...

カラやカフスカラやカフス collars and cuffs同じおなじ the sameこと situation; matterさ。汚れたよごれた dirty; soiledのを用いるもちいる make use ofくらいなら、一層一層いっそ still more; all the more始めからはじめから from the start; in the first place色の着いたいろいた coloredものを使う使つかう useが好いい it's better to ...。白ければ純白純白じゅんぱく pure white; perfect whiteでなくっちゃ」

こういわれてみると、なるほど先生は潔癖潔癖けっぱく fastidious; meticulousであった。書斎書斎しょさい study; reading roomなども実にじつに truly; in fact整然と整然きちりと precisely; neatly (= きっちりと)片付いていた片付かたづいていた was arranged; was organized無頓着な無頓着むとんじゃくな careless; indifferent私には、先生のそういう特色特色とくしょく characteristic; idiosyncrasy折々折々おりおり occasionally; at times著しくいちじるしく remarkably; strikingly眼に留まったまった caught one's eye

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)癇性癇性かんしょう particular; meticulousですね」とかつて奥さんおくさん (Sensei's) wife告げたげた commented; mentionedとき time; occasion、奥さんは「でも着物着物きもの clothes; attireなどは、それほど気にしないにしない pay little mind to; be unconcerned overようですよ」と答えたこたえた replied; answeredこと act; instanceがあった。それをそば nearby聞いていて listen to; hearいた先生は、「本当本当ほんとう truthをいうと、わたくし I; me精神的に精神的せいしんてきに mentally; emotionally; psychologically癇性なんです。それで始終始終しじゅう always; constantly苦しいくるしい uncomfortable; in tormentんです。考えるかんがえる consider; think about実にじつに really; actually馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿ばかばかしい foolish; absurd; asinine性分性分しょうぶん nature; dispositionだ」といって笑ったわらった smiled; laughed。精神的に癇性という意味意味いみ meaningは、俗にいうぞくにいう commonly meant神経質神経質しんけいしつ fussy; sensitiveという意味か、または倫理的に倫理的りんりてきに ethically; morally潔癖潔癖けっぺき demanding; exacting; finickyだという意味か、私には解らなかったわからなかった was not clear。奥さんにも能くく well通じないつうじない (meaning) does not come throughらしかった。

そのばん evening私は先生と向い合せむかあわせ facing each otherに、例のれいの the aforementioned白いしろい white卓布卓布たくふ tableclothまえ front of坐ったすわった sat; was seated。奥さんは二人二人ふたり two (people); the two of us左右左右さゆう left and right; both sides置いていて place; position独りひとり one (person)にわ garden; yardほう direction正面正面しょうめん straight aheadにして席を占めたせきめた took a seat

お目出とう目出めでとう congratulations」といって、先生が私のためにさかずき saké cup上げてげて lift; raiseくれた。私はこのさかずき saké cupに対してたいして towards; regardingそれほど嬉しいうれしい happy; glad feeling起さなかったおこさなかった didn't trigger; didn't unleash無論無論むろん of course; granted自身自身じしん oneselfこころ heart; mindがこの言葉言葉ことば word反響する反響はんきょうする respond; reactように、飛び立つつ leap out嬉しさをもっていなかったのが、一つひとつ one (thing)源因源因げんいん cause; reason (usually 原因げんいん)であった。けれども先生のいい方いいかた manner of speaking決してけっして by (no) means私の嬉しさを唆るそそる stir up; arouse浮々した浮々うきうきした cheerful; lighthearted調子調子ちょうし tone (of voice)帯びてびて have; assume; be tinged withいなかった。先生は笑って杯を上げた。私はその笑いのうちに、些ともちっとも (not) in the least意地の悪い意地いじわるい spiteful; ill-naturedアイロニーアイロニー irony認めなかったみとめなかった did not recognize; did not perceive同時に同時どうじに at the same time目出たい目出めでたい joyous; happyという真情真情しんじょう true feeling; sincere feeling汲み取るる come away with; take away from事ができなかった。先生の笑いは、「世間世間せけん the world; society; peopleはこんな場合場合ばあい situation; occasionによくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語って物語ものがたって relate; conveyいた。

奥さんは私に「結構結構けっこう wonderful; splendidね。さぞお父さんとうさん fatherお母さんかあさん motherお喜びでしょうよろこびでしょう must be delighted」といってくれた。私は突然突然とつぜん suddenly; at once病気病気びょうき ill; unwellちち fatherの事を考えた。早くはやく soon; right awayあの卒業証書卒業そつぎょう証書しょうしょ graduation certificate; diploma持って行ってってって take見せてせて showやろうと思ったおもった thought (to do)

「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。

「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。

「ええ、たしかしまってあるはずですが」

卒業証書の在処在処ありどころ whereaboutsは二人ともよく知らなかったらなかった didn't know

三十三三十三さんじゅうさん (part) 33

めし meal; main courseになったとき time奥さんおくさん (Sensei's) wifeそば nearby; next to坐っているすわっている be seated下女下女げじょ maidservantつぎ next (room)立たせてたせて send off; dispatch (to)自分自分じぶん oneself給仕給仕きゅうじ servingやく roleをつとめた。これが表立たない表立おもてだたない informal; intimateきゃく visitor; guestに対するたいする with respect to; in relation to先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)いえ house; home仕来り仕来しきたり custom; practiceらしかった。始めのはじめの first一、二回いち二回にかい one or two times; couple of timesわたくし I; me窮屈窮屈きゅうくつ discomfort感じたかんじた felt; experiencedが、度数度数どすう number of times重なるかさなる pile up; accumulateにつけ、茶碗茶碗ちゃわん dishesを奥さんのまえ before; in front of出すす hold out; put forward; presentのが、何でもなくなったなんでもなくなった came to be nothing at all; came to be matter of course

お茶ちゃ tea? ご飯はん rice? ずいぶんよく食べるべる eatのね」

奥さんのほう sideでも思い切っておもって resolutely; boldly遠慮のない遠慮えんりょのない unrestrained; without reserveこと matters; thingsをいうことがあった。しかしその dayは、時候時候じこう season; time of yearが時候なので、そんなに調戯われる調戯からかわれる tease; poke fun atほど食欲が進まなかった食欲しょくよくすすまなかった did not have much appetite

「もうおしまい。あなた近頃近頃ちかごろ lately; recently大変大変たいへん very much; terribly小食小食しょうしょく light eaterになったのね」

「小食になったんじゃありません。暑いあつい hot; sticky (weather)んで食われないわれない can't eatんです」

奥さんは下女を呼んでんで call for; summon食卓食卓しょくたく dining table片付けさせた片付かたづけさせた had clear offあと afterへ、改めてあらためて again; anewアイスクリームアイスクリーム ice cream水菓子水菓子みずがし desert fruits運ばせたはこばせた had bring out; had serve

「これはうち house; home拵えたこしらえた made; preparedのよ」

用のないようのない having time on one's hands; idle奥さんには、手製手製てせい handmadeのアイスクリームを客に振舞う振舞ふるまう treat; lavish uponだけの余裕余裕よゆう leisure; spare timeがあると見えたえた seemed to ...。私はそれを二杯二杯にはい two dishes; two helpings更えてもらったえてもらった had change; had replenish

きみ youもいよいよ卒業した卒業そつぎょうした graduatedが、これからなに whatをする intentionですか」と先生が聞いたいた asked。先生は半分半分はんぶん halfway縁側縁側えんがわ verandaの方へせき seatをずらして、敷居敷居しきい threshold; sillぎわ edge背中背中せなか back障子障子しょうじ shōji; sliding screen靠たせてたせて rest on; lean againstいた。

私にはただ卒業したという自覚自覚じかく awareness; realizationがあるだけで、これから何をしようという目的目的あて objective; aimもなかった。返事返事へんじ answer; replyにためらっている私を見た時、奥さんは「教師教師きょうし teacher; instructor?」と聞いた。それにも答えずこたえず without answeringにいると、今度今度こんど this timeは、「じゃお役人役人やくにん government official; civil servant?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出したわらした began to laugh

本当本当ほんとう truthいうと、まだ何をする考えかんがえ idea; thoughtもないんです。実はじつは actually; in fact職業職業しょくぎょう occupationというものについて、全くまったく (not) at all考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善いい desirable; agreeableか、どれが悪いわるい undesirable; disagreeableか、自分がやって見た上でないとやってうえでないと without having tried解らないわからない don't know; can't sayんだから、選択選択せんたく choice; decision困るこまる struggle withわけ circumstance; situationだと思いますおもいます think; reckon

「それもそうね。けれどもあなたは必竟必竟ひっきょう after all財産財産ざいさん wealthがあるからそんな呑気な呑気のんきな easygoing; carefree事をいっていられるのよ。これが困るひと peopleご覧なさいらんなさい take a look (at)。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられないいちゃいられない can't take things easyから」

わたくし I; me友達友達ともだち friendsには卒業しない前から卒業そつぎょうしないまえから even before graduating中学教師中学ちゅうがく教師きょうし middle school teacherくち opening; position探してさがして seek out; findいるひと people; personsがあった。私は腹の中ではらなかで inwardly; to oneself奥さんおくさん (Sensei's) wifeのいう事実事実じじつ reality; truth認めたみとめた recognized; acknowledged。しかしこういった。

少しすこし a little; a bit先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)かぶれたかぶれた (have been) affected; influencedんでしょう」

碌なろくな genuine; legitimateかぶれ方かぶれかた manner in which one is influencedをして下さらないくださらない please don'tのね」

先生は苦笑した苦笑くしょうした forced a smile

「かぶれても構わないかまわない doesn't matter; is fineから、その代りそのかわり in returnこの間このあいだ the other dayいった通りいったとおり as (I) saidお父さんとうさん (your) father生きてるきてる is living; is aliveうちに、相当の相当そうとうの proper; proportional財産財産ざいさん wealth分けてもらってお置きなさいけてもらっておきなさい have divide; have divvy up (in advance)。それでないと決してけっして by (no) means油断はならない油断ゆだんはならない can't rest easy; must always be on edge

私は先生といっしょに、郊外郊外こうがい environs; outskirts (of a town)植木屋植木屋うえきや (plant) nursery広いひろい open; expansiveにわ gardensおく inside; interior話したはなした talked; conversed、あの躑躅躑躅つつじ azalea咲いているいている be in bloom五月五月ごがつ May初めはじめ beginning; start (of)思い出したおもした remembered; recalled。あのとき time帰り途にかえみちに on the way home、先生が昂奮した昂奮こうふんした excited; passionate; agitated語気語気ごき manner of speakingで、私に物語った物語ものがたった spoke; conveyed強いつよい strong; forceful言葉言葉ことば wordsを、再びふたたび once again耳の底でみみそこで in one's mind繰り返したかえした repeated; replayed。それは強いばかりでなく、むしろ凄いすごい dire; intense言葉であった。けれども事実を知らないらない not know; not be aware of私には同時に同時どうじに at the same time徹底しない徹底てっていしない not strike home; not resonate言葉でもあった。

「奥さん、お宅たく (your) householdの財産はよッぽどあるんですか」

何だってなんだって what's the meaning of ...そんな事そんなこと such a thingお聞きになるきになる askの」

「先生に聞いても教えておしえて tell; inform下さらないから」

奥さんは笑いながらわらいながら smiling; laughing先生のかお face見たた looked at

「教えて上げるげる do (something) for someoneほどないからでしょう」

「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、うち homeへ帰って一つひとつ onceちち father談判する談判だんぱんする talk with; discuss (business)時の参考参考さんこう referenceにしますから聞かして下さい」

先生は庭のほう direction向いていて turn toward澄ましてまして indifferently; with detachment烟草を吹かして烟草タバコかして have a smokeいた。相手相手あいて companion; counterpart自然自然しぜん naturally; as a matter of course奥さんでなければならなかった。

「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してくらして live; get alongゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜いとしてどうでもいとして set aside; not worry about、あなたはこれから何かなにか something為さらなくっちゃさらなくっちゃ without doing本当に本当ほんとうに trulyいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」

「ごろごろばかりしていやしないさ」

先生はちょっと顔だけ向け直してなおして turned (around)、奥さんの言葉を否定した否定ひていした contested; challenged

三十四三十四さんじゅうし (part) 34

わたくし I; meはその evening十時十時じゅうじ ten (o'clock)過ぎぎ after; past先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)いえ house; home辞したした quit; took one's leave二、三日三日さんにち two or three days; several daysうちに帰国帰国きこく return home (to one's native place)するはずになっていたので、座を立つつ leave one's seat; get up from the tableまえ beforeに私はちょっと暇乞い暇乞いとまごい leave-taking; farewell言葉言葉ことば words述べたべた spoke; expressed

「また当分当分とうぶん for a whileお目にかかれませんにかかれません won't be able to seeから」

九月九月くがつ Septemberには出ていらっしゃるていらっしゃる appear; be backんでしょうね」

私はもう卒業した卒業そつぎょうした graduatedのだから、必ずかならず necessarily九月に出て来るる come up; return必要必要ひつよう requirement; needもなかった。しかし暑い盛りあつさかり the height of summer八月八月はちがつ August東京東京とうきょう Tōkyōまで来てて come (to)送ろうおくろう spend; pass (time)とも考えてかんがえて consider; think (to do)いなかった。私には位置位置いち position求めるもとめる seek; search forための貴重な貴重きちょうな valuable; precious時間時間じかん timeというものがなかった。

「まあ九月頃九月くがつごろ around Septemberになるでしょう」

「じゃずいぶんご機嫌よう機嫌きげんよう take care。私たちもこのなつ summerはことによるとどこかへ行くく go (to)かも知れないかもれない might ...; may ...のよ。ずいぶん暑そうだから。行ったらったら go (to)また絵端書絵端書えはがき (picture) postcardでも送って上げましょうげましょう do (something) for someone

「どちらの見当見当けんとう directionです。もしいらっしゃるとすれば」

先生はこの問答問答もんどう dialogue; exchangeにやにや笑ってにやにやわらって with a grin聞いていて listen toいた。

なに anyway; at any rateまだ行くとも行かないとも極めてめて decide; determineいやしないんです」

席を立とうせきとう leave one's seat; get up from the tableとしたとき time; moment、先生は急にきゅうに suddenly私をつらまえて、「時にときに by the wayお父さんとうさん (your) father病気病気びょうき illness; maladyはどうなんです」と聞いた。私はちち father健康健康けんこう health; conditionについてほとんど知るところがなかった。何ともなんとも (no)thingいって来ないいってない don't mention; don't report以上以上いじょう as long as ...; given that ...悪くはないわるくはない not bad; all rightのだろうくらいに考えていた。

「そんなに容易く容易たやすく simply; lightly; casually考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症尿毒症にょうどくしょう uremia (urea in the blood)出るる appear; ariseと、もう駄目駄目だめ hopeless; the endなんだから」

尿毒症という言葉も意味意味いみ meaningも私には解らなかったわからなかった were unknown; were unfamiliar。この前の冬休み冬休ふゆやすみ winter breakくに home country; one's native place医者医者いしゃ doctor会見した会見かいけんした met with; consulted時に、私はそんな術語術語じゅつご technical termをまるで聞かなかった。

本当に本当ほんとうに really大事にして大事だいじにして take good care ofお上げなさいよ」と奥さんおくさん Sensei's wifeもいった。「どく poison; toxinのう brain廻るまわる circulateようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃないわらごとじゃない not to be taken lightlyわ」

無経験な無経験むけいけんな lacking in experience私は気味を悪がりながらも気味きみわるがりながらも feeling ill at ease; feeling disquieted、にやにやしていた。

「どうせ助からない病気たすからない病気びょうき incurable diseaseだそうですから、いくら心配した心配しんぱいした worry; fretって仕方がありません仕方しかたがありません nothing can be done

「そう思い切りよくおもりよく resolutely; resignedly考えれば、それまでですけれども」

奥さんおくさん (Sensei's) wifeむかし long ago; in days past同じおなじ the same病気病気びょうき illness; malady死んだんだ diedという自分の自分じぶんの one's ownお母さんかあさん motherの事こと concerning ...; about ...でも憶い出したおもした recollected; recalledのか、沈んだしずんだ sunken; subdued調子調子ちょうし tone; mannerでこういったなりした down; below向いたいた turned towardわたくし I; meちち father運命運命うんめい fate; lot本当に本当ほんとうに really; truly気の毒どく pitiable; unfortunateになった。

すると先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)突然突然とつぜん suddenly奥さんのほう directionを向いた。

しず Shizu (name of Sensei's wife)お前まえ youはおれよりさき before; aheadへ死ぬだろうかね」

「なぜ」

「なぜでもない、ただ聞いてみるただいてみる just asking; just wonderingのさ。それともおれ I; meの方がお前よりまえ before片付く片付かたづく be finished; be done withかな。大抵大抵たいてい usually; for the most part世間世間せけん society; the worldじゃ旦那旦那だんな husbandが先で、細君細君さいくん wifeあと after残るのこる remain; be leftのが当り前あたまえ natural; common; the normのようになってるね」

「そう極ったきまった decided; givenわけ situationでもないわ。けれどもおとこ manの方はどうしても、そら年が上としうえ greater in years; olderでしょう」

「だから先へ死ぬという理屈理屈りくつ reasoningなのかね。すると己もお前より先にあの世あの that other world; the afterlife行かなくっちゃならないかなくっちゃならない have to go事になるね」

「あなたは特別特別とくべつ special; differentよ」

「そうかね」

「だって丈夫丈夫じょうぶ healthy; robustなんですもの。ほとんど煩ったわずらった be ill; suffer fromためし case; instanceがないじゃありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」

「先かな」

「え、きっと先よ」

先生は私のかお face見たた looked at。私は笑ったわらった smiled; grinned

「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」

「どうするって……」

奥さんはそこで口籠った口籠くちごもった faltered (in one's speech)。先生の死に対するたいする with respect to; in relation to想像的な想像的そうぞうてきな imagined; pictured悲哀悲哀ひあい sorrow; sadnessが、ちょっと奥さんのむね breast; bosom襲ったおそった assailed; struckらしかった。けれども再びふたたび again; once more顔をあげたとき time; momentは、もう気分気分きぶん feeling; mood更えていたえていた had changed; had altered; had refreshed

「どうするって、仕方がない仕方しかたがない nothing can be done (about it)わ、ねえあなた。老少不定老少ろうしょう不定ふじょう life holds no guarantees (lit: old and young together uncertain)っていうくらいだから」

奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしく笑談じょうだんらしく tongue in cheekこういった。

三十五三十五さんじゅうご (part) 35

わたくし I; me立て掛けたけた (had) started to raiseこし hips; haunchesをまたおろして、はなし talk; conversation区切りの付く区切くぎりのく come to a pause; come to a break pointまで二人二人ふたり two (people)相手相手あいて companion; companyになっていた。

きみ youはどう思いますおもいます think」と先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)聞いたいた asked

先生がさき before; ahead死ぬぬ die; departか、奥さんおくさん (Sensei's) wife早くはやく earlier; sooner亡くなるくなる pass awayか、固よりもとより from the start; by nature私に判断判断はんだん judgment; opinionのつくべき問題問題もんだい problem; questionではなかった。私はただ笑っていたわらっていた laughed

寿命寿命じゅみょう (one's) life span分りませんわかりません can't knowね。私にも」

「こればかりは本当に本当ほんとうに really; truly寿命ですからね。生れたうまれた be bornとき timeにちゃんと極ったきまった determined; certain年数年数ねんすう number of yearsもらって来るもらってる come with; bring withんだから仕方がない仕方しかたがない is inevitable; is fateわ。先生のお父さんとうさん fatherお母さんかあさん motherなんか、ほとんど同じおんなじ the sameよ、あなた、亡くなったのが」

「亡くなられた dayがですか」

「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いてつづいて in succession; one after another亡くなっちまったんですもの」

この知識知識ちしき knowledge; informationは私にとって新しいあたらしい newものであった。私は不思議不思議ふしぎ strange; curiousに思った。

「どうしてそう一度に一度いちどに at once; at the same time死なれたんですか」

奥さんは私の問いい question; inquiry答えようこたえよう answer; respondとした。先生はそれを遮ったさえぎった interrupted

「そんな話はお止しし stop; dispense withよ。つまらないから」

先生は hand持ったった held団扇団扇うちわ round (fan)をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みたかえりみた turned back to

しず Shizu (name of Sensei's wife)、おれが死んだらこのうち houseお前まえ youにやろう」

奥さんは笑い出したわらした laughed

「ついでに地面地面じめん land; property下さいください please (give me)よ」

「地面はひと other person; another personのものだから仕方がない。その代りそのかわり instead (of); in exchange (for)おれの持ってるものは皆なみんな all; everythingお前にやるよ」

「どうも有難う有難ありがとう (I) appreciate it。けれども横文字横文字よこもじ Western language; Roman lettersほん books; textsなんか貰ってもらって receiveも仕様がないわね」

古本屋古本屋ふるほんや used book store; used book dealer売るる sellさ」

「売ればいくらぐらいになって」

先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に容易よういに easily; readily自分の自分じぶんの one's own死という遠いとおい distant; far off問題を離れなかったはなれなかった did not leave; did not move away from。そうしてその死は必ずかならず invariably奥さんのまえ before起るおこる happen; take placeものと仮定されていた仮定かていされていた was imagined; was presumed (to be)。奥さんも最初の最初さいしょの first; initialうちは、わざとたわいのないたわいのない playful; guileless受け答えごたえ replies; responsesをしているらしく見えたえた appeared to ...。それがいつの間にかいつのにか in time; before one knew it感傷的な感傷的かんしょうてきな sentimental; emotional女のおんなの female; woman'sこころ heart; mind; soul重苦しくした重苦おもぐるしくした weighed down; oppressed

「おれが死んだらんだら die; depart、おれが死んだらって、まあ何遍何遍なんべん how many timesおっしゃるの。後生だから後生ごしょうだから for goodness' sakeもう好い加減にして加減かげんにして enough already; give it a rest、おれが死んだらは止して頂戴して頂戴ちょうだい please stop縁喜縁喜えんぎ auspiciousness; harbinger of good fortune (usually 縁起えんぎ)でもない。あなたが死んだら、何でもなんでも anything and everythingあなたの思い通りおもどおり as one wishesにして上げるげる do (something) for someoneから、それで好いじゃありませんか」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)にわ garden; yardほう direction向いていて face; turn toward笑ったわらった smiled; grinned。しかしそれぎり奥さんおくさん (Sensei's) wife厭がるいやがる dislike; find disagreeableこと matterをいわなくなった。わたくし I; meもあまり長くなるながくなる get to be a long time; get lateので、すぐ席を立ったせきった got up; rose (from one's seat)。先生と奥さんは玄関玄関げんかん entry hallまで送って出たおくってた came to see (someone) off

ご病人病人びょうにん sick person (in your care)お大事に大事だいじに take good care of」と奥さんがいった。

「また九月九月くがつ Septemberに」と先生がいった。

私は挨拶挨拶あいさつ salutations; formalitiesをして格子格子こうし latticework (door)そと outside足を踏み出したあしした stepped out (into)。玄関ともん gateの間あいだ betweenにあるこんもりしたこんもりした thickly grown木犀木犀もくせい fragrant olive; sweet olive (shrub or small tree)一株一株ひとかぶ single tree (or bush)が、私の行手行手ゆくて one's way; one's path塞ぐふさぐ cut off; blockように、夜陰夜陰やいん evening shadows; duskのうちにえだ branches; limbs張ってって spread; stretchいた。私は二、三歩三歩さんぽ two or three steps; several steps動き出しながらうごしながら starting to move; setting out黒ずんだくろずんだ blackened; in darkness leaves被われているおおわれている covered withそのこずえ treetop; branch tips見てて look at来たるべきたるべき is to comeあき fall; autumnはな flowersかおり scents; fragrances想い浮べたおもうかべた imagined; envisioned。私は先生のうち house; homeとこの木犀とを、以前以前いぜん before; previouslyからこころ heart; mindのうちで、離すはなす separate事のできないもののように、いっしょに記憶して記憶きおくして rememberいた。私が偶然偶然ぐうぜん coincidentally; as it happenedその treeまえ front ofに立って、再びふたたび again; once moreこの宅の玄関を跨ぐまたぐ step over; step acrossべき次のつぎの next; coming秋に思いを馳せたおもいをせた thought warmly of; looked ahead toとき time; momentいま now; the presentまで格子の間から射してして shineいた玄関の電燈電燈でんとう (electric) lightがふっと消えたえた went out先生夫婦先生せんせい夫婦ふうふ Sensei and his wifeはそれぎりおく inside; interiorへはいったらしかった。私は一人一人ひとり alone暗いくらい darkおもて out frontへ出た。

私はすぐ下宿下宿げしゅく lodgingsへは戻らなかったもどらなかった did not return (to)くに country; one's native place帰るかえる return (to)前に調える調ととのえる wrap up; put in order買物買物かいもの shopping; errandsもあったし、ご馳走を詰めた馳走ちそうめた ate one's fill胃袋胃袋いぶくろ stomachくつろぎくつろぎ comfort; relief与えるあたえる provide; impart (to)必要必要ひつよう need; necessityもあったので、ただ賑やかなにぎやかな bustling; livelyまち townの方へ歩いて行ったあるいてった walked (toward)。町はまだ宵の口であったまだよいくちであった was just coming into full swing用事用事ようじ objectives; tasksもなさそうな男女男女なんにょ men and womenぞろぞろぞろぞろ in groups; in succession動くうごく move; circulateなか middle; midstに、私は今日今日きょう this (same) day私といっしょに卒業した卒業そつぎょうした graduatedなにがしなにがし certain person; so-and-so会ったった met; ran intoかれ he; himは私を無理やりに無理むりやりに unrelentingly; with much insistenceある酒場酒場バー bar連れ込んだんだ brought; led (someone to some place)。私はそこで麦酒麦酒ビール beerあわ bubbles; foam; frothのような彼の気燄気燄きえん big talk; bluster (usually 気焔きえん)聞かされたかされた had to listen to。私の下宿へ帰ったのは十二時十二時じゅうにじ twelve (o'clock); midnight過ぎぎ after; pastであった。

三十六三十六さんじゅうろく (part) 36

わたくし I; meはその翌日翌日よくじつ next day暑さあつさ hot weather; heat冒しておかして brave; face; take on頼まれものたのまれもの requested items買い集めてあつめて shop for; buy up歩いたあるいた walked; walked around手紙手紙てがみ letter; correspondence注文注文ちゅうもん request受けたけた receivedとき time; occasion何でもないなんでもない is nothing; is no great matterように考えてかんがえて consider; thinkいたのが、いざとなると大変大変たいへん a great deal; terribly臆劫臆劫おっくう troublesome; burdensome (usually 億劫おっくう)感ぜられたかんぜられた felt to be。私は電車電車でんしゃ (electric) trainなか insideあせ sweat; perspiration拭きながらきながら wipeひと (other) people時間時間じかん time手数手数てすう trouble; bother気の毒という観念どくという観念かんねん sympathy for; consideration ofをまるでもっていない田舎者田舎者いなかもの country folk憎らしく思ったにくらしくおもった felt spite toward

私はこの一夏一夏ひとなつ one summer無為無為むい idleness; inactivity過ごすごす spend; pass (time) intentionはなかった。くに country; one's native place帰ってかえって return (to)からの日程日程にってい schedule; program; daily planというようなものをあらかじめ作ってつくって make; form; put togetherおいたので、それを履行する履行りこうする carry out; execute必要な必要ひつような necessary; essential書物書物しょもつ books手に入れなければならなかったれなければならなかった had to get; had to procure。私は半日半日はんにち half a day丸善丸善まるぜん Maruzen (bookshop)二階二階にかい second floor潰すつぶす expend; invest (time)覚悟覚悟かくご resolution; resolveでいた。私は自分自分じぶん oneself関係関係かんけい connection深いふかい deep; strong部門部門ぶもん field; area (of interest)書籍棚書籍棚しょせきだな (book)shelvesまえ front of立ってって standすみ cornerから隅まで一冊一冊いっさつ one volumeずつ点検して点検てんけんして inspect; examine行ったった moved along; proceeded

買物買物かいもの shoppingのうちで一番一番いちばん number one; most (of all)私を困らせたこまらせた bothered; troubled; stressedのは女のおんなの women's半襟半襟はんえり decorative collar for under-kimonoであった。小僧小僧こぞう shop boy; clerkにいうと、いくらでも出してして bring out; presentはくれるが、さてどれを選んでえらんで choose; selectいいのか、買うだん step; stageになっては、ただ迷うまよう waver; vacillateだけであった。その上そのうえ on top of that; furthermoreあたい value極めてきわめて exceedingly; extremely不定不定ふじょう uncertain; unpredictableであった。安かろうやすかろう inexpensive; economicalと思って聞くく ask; inquireと、非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly高かったりたかかったり expensive、高かろうと考えて、聞かずにいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見てくらべてて compareも、どこから価格価格かかく price差違差違さい difference; disparity出るる appear; originate (from)のか見当の付かない見当けんとうかない have no ideaのもあった。私は全くまったく utterly; completely弱らせられたよわらせられた was perplexed; was confounded。そうして心のうちでこころのうちで inwardly; to oneself、なぜ先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)奥さんおくさん wife煩わさなかったわずらわさなかった didn't trouble; didn't impose on (to do something)かを悔いたいた regretted

私はかばん bagを買った。無論無論むろん of course和製和製わせい of Japanese make下等な下等かとうな low grade; inferiorしな product; pieceに過ぎなかったぎなかった was nothing more than ...が、それでも金具金具かなぐ metal fittings; claspsやなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇かす威嚇おどかす impress; awe; astonishには充分充分じゅうぶん adequate; sufficientであった。この鞄を買うということ act; actionは、私のはは motherの注文であった。卒業したら卒業そつぎょうしたら graduate新しいあたらしい new鞄を買って、そのなかに一切一切いっさい all; everything土産もの土産みやげもの presents; requested items入れてれて put into帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあったいてあった had been written。私はその文句文句もんく words読んだんだ read時に笑い出したわらした laughed。私には母の料簡料簡りょうけん thought; idea解らないわからない can't understandというよりも、その言葉言葉ことば words; description一種一種いっしゅ a type; a sort (of)滑稽滑稽こっけい preposterous; farcical (scene or situation)として訴えたうったえた struck one asのである。

わたくし I; me暇乞い暇乞いとまごい leave-taking; farewellをするとき time; occasion先生夫婦先生せんせい夫婦ふうふ Sensei and his wife述べた通りべたとおり as stated; as said、それから三日目三日目みっかめ third day汽車汽車きしゃ (steam) train東京東京とうきょう Tōkyō立ってって depart; leaveくに country; one's native place帰ったかえった returned to。このふゆ winter以来以来いらい sinceちち father病気病気びょうき illnessについて先生から色々の色々いろいろの various注意注意ちゅうい advice; points of caution受けたけた received私は、一番一番いちばん most (of all)心配しなければならない心配しんぱいしなければならない have reason to worry地位地位ちい positionにありながら、どういうものか、それが大してたいして (not so) much苦にならなかったにならなかった did not trouble; did not weigh on。私はむしろ父がいなくなったあとのはは mother想像して想像そうぞうして imagine気の毒どく pitiable; unfortunate思ったおもった thought of (as)。そのくらいだから私はこころ heart; mindのどこかで、父はすでに亡くなるくなる pass awayべきものと覚悟していた覚悟かくごしていた was resolved to; was resigned toに違いなかったちがいなかった no doubt ...九州九州きゅうしゅう Kyūshūにいるあに older brotherへやった手紙手紙てがみ letterのなかにも、私は父の到底到底とても (not) possibly; by (no) means (usually 到底とうてい)故のようなもとのような former; as before健康体健康体けんこうたい physical healthになる見込み見込みこみ outlook; prospectのないこと fact; situationを述べた。一度一度いちど onceなどは職務職務しょくむ work; professional duties都合都合つごう circumstances; conditionsもあろうが、できるなら繰り合せてあわせて arrange; manage (to find time)このなつ summerぐらい一度かお faceだけでも見に帰ったらかえったら come back to seeどうだとまで書いたいた wroteその上そのうえ on top of that; furthermore年寄年寄としより old folks; the aged; the elderly二人ぎり二人ふたりぎり just two (people)田舎田舎いなか country; countrysideにいるのは定めてさだめて surely; certainly心細い心細こころぼそい lonely; forlornだろう、我々我々われわれ we; us childrenとして遺憾遺憾いかん regret至りいたり utmost limit; greatest extentであるというような感傷的な感傷的かんしょうてきな sentimental文句文句もんく words; expressionさえ使った使つかった used; employed。私は実際実際じっさい actually; in fact心に浮ぶこころうかぶ feel in one's heartままを書いた。けれども書いたあとの気分気分きぶん feeling; moodは書いた時とは違っていたちがっていた was different; was changed

私はそうした矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyを汽車のなか inside考えたかんがえた thought about; considered。考えているうちに自分自分じぶん oneselfが自分に気の変りやすいかわりやすい inconstant; fickle; easily swayed軽薄もの軽薄けいはくもの shallow person; superficial personのように思われて来たおもわれてた began to seem。私は不愉快になった不愉快ふゆかいになった felt dissatisfied。私はまた先生夫婦の事を想い浮べたおもうかべた thought back to。ことに二、三日三日さんにち two or three days; several daysまえ before; earlier晩食晩食ばんめし evening meal; dinner呼ばれたばれた was called; was invited (to)時の会話会話かいわ talk; conversation憶い出したおもした recollected; recalled

「どっちがさき first; before; in advance死ぬぬ die; pass awayだろう」

私はその晩先生と奥さんおくさん (Sensei's) wifeの間にあいだに between ...起ったおこった took place; occurred疑問疑問ぎもん questionをひとり口の内でくちうちで to oneself; silently繰り返してかえして repeatみた。そうしてこの疑問には誰もだれも (no) one自信自信じしん confidence; certaintyをもって答えるこたえる answer事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然判然はっきり clearly分っていたならばわかっていたならば if one knew、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、いま now; the presentのような態度態度たいど manner; behaviorでいるより外にほかに other than仕方がない仕方しかたがない is no other way; is nothing else for itだろうと思った。(死に近づきつつあるちかづきつつある is approaching父を国元国元くにもと one's hometown; one's native place控えながらひかえながら have (before one)、この私がどうする事もできないように)。私は人間人間にんげん human beings; people果敢ない果敢はかない fleeting; transitoryものに観じたかんじた regarded; viewed (as)。人間のどうする事もできない持って生れたってうまれた be born with; come into the world with軽薄を、果敢ないものに観じた。