十九十九じゅうく (part) 19

始めはじめ at firstわたくし I; me理解のある理解りかいのある rational; judicious; pragmatic女性女性にょしょう womanとして奥さんおくさん (Sensei's) wife対してたいして approach; engage withいた。私がその intent話してはなして talk; converseいるうちに、奥さんの様子様子ようす manner; demeanor次第に次第しだいに gradually変って来たかわってた changed。奥さんは私の頭脳頭脳ずのう mind; intellect訴えるうったえる appeal (to)代りにかわりに rather than ...、私の心臓心臓ハート heart; emotions動かし始めたうごかしはじめた began to affect自分自分じぶん oneselfおっと husbandの間あいだ between ...には何のなんの (no) sort of; (no) type of蟠まりわだかまり vexation; ill feelingもない、またないはずであるのに、やはり何かなにか somethingある。それだのに eyes開けてけて open見極めよう見極みきわめよう discern; ascertainとすると、やはり何にもないなんにもない nothing is there。奥さんの苦にするにする worry over; be burdened by要点要点ようてん crucial pointはここにあった。

奥さんは最初最初さいしょ in the beginning; at first世の中なか the world見るる view; look at先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の眼が厭世的厭世的えんせいてき wearisome; despondentだから、その結果結果けっか result; consequenceとして自分も嫌われてきらわれて be disliked; be out of favor withいるのだと断言した断言だんげんした declared; asserted。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかったいていられなかった was not settled (on); was not satisfied (with)底を割るそこる dig deeper (lit: break through the bottom)と、かえってそのぎゃく converse考えてかんがえて consider; contemplateいた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中までいや unpleasant; disagreeableになったのだろうと推測して推測すいそくして imagine; supposeいた。けれどもどう骨を折ってほねって make an effort; exert oneselfも、その推測を突き留めてめて verify; ascertain事実事実じじつ truth; realityとする事ができなかったことができなかった it was not possible to ...。先生の態度態度たいど manner; behaviorはどこまでも良人らしかった良人おっとらしかった was that of the good husband親切親切しんせつ kind; gentle優しかったやさしかった was caring; was affectionate疑いうたがい doubt; uncertainty塊りかたまり lump; massその日その日そのその each day; day by day情合情合じょうあい feeling; reflection; consideration包んでつつんで wrap up、そっとむね bosom; breastおく interior; depthsにしまっておいた奥さんは、そのばん eveningその包みのなか inside; withinを私のまえ front of開けて見せたけてせた opened and revealed

「あなたどう思っておもって think?」と聞いたいた asked。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観人世観じんせいかん outlook on life; worldviewとか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずかくさず without concealing; candidly; openlyいって頂戴頂戴ちょうだい please ...

私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないらない not know; be unaware ofあるものがそこに存在している存在そんざいしている exist; be presentとすれば、私の答えこたえ answer; responseが何であろうと、それが奥さんを満足させる満足まんぞくさせる satisfyはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じてしんじて believeいた。

「私には解りませんわかりません don't know; can't say

奥さんは予期予期よき expectation外れたはずれた be off; miss the markとき time; occasionに見る憐れなあわれな pitiable表情表情ひょうじょう (facial) expressionをその咄嗟咄嗟とっさ moment; instant現わしたあらわした showed; revealed。私はすぐ私の言葉言葉ことば words継ぎ足したした added to

「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します保証ほしょうします assure。私は先生自身自身じしん himselfくち mouthから聞いた通りいたとおり exactly as heardを奥さんに伝えるつたえる communicate; conveyだけです。先生は嘘を吐かないうそかない does not lie; speaks honestlyかた person; manでしょう」

奥さんおくさん (Sensei's) wife何ともなんとも (no)thing答えなかったこたえなかった didn't answer。しばらくしてからこういった。

実はじつは actuallyわたくし I; meすこし思いあたるおもいあたる come to mindこと matterがあるんですけれども……」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)がああいうふう manner; wayになった源因源因げんいん cause; reason (usually 原因げんいん)についてですか」

「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任責任せきにん responsibilityだけはなくなるんだから、それだけでも私大変大変たいへん very much; greatlyらく at easeになれるんですが、……」

「どんな事ですか」

奥さんはいい渋っていいしぶって hesitate to say; be reluctant to voiceひざ lap; thighsうえ top of置いたいた set; placed自分の自分じぶんの one's own hands眺めてながめて look at; gaze atいた。

「あなた判断して判断はんだんして judge; determine下すってくだすって please ...。いうから」

「私にできる判断ならやります」

「みんなはいえないのよ。みんないうと叱られるしかられる be scolded; be reprovedから。叱られないところだけよ」

私は緊張して緊張きんちょうして felt tension唾液を呑み込んだ唾液つばきんだ swallowed

「先生がまだ大学大学だいがく universityにいる時分時分じぶん time (period)、大変仲の好いお友達なかいお友達ともだち close friend一人一人ひとり one personあったのよ。そのかた personがちょうど卒業する卒業そつぎょうする graduate少しすこし a littleまえ before死んだんだ died; passed awayんです。急にきゅうに suddenly; abruptly死んだんです」

奥さんは私のみみ ear私語く私語ささやく whisperような小さな声ちいさなこえ small voice; low voice; quiet voiceで、「実は変死した変死へんしした died an unnatural deathんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないかえさずにはいられない can't refrain from asking in returnようないい方いいかた manner of speakingであった。

それっ切りそれっり no more than thatしかいえないのよ。けれどもその事があってからのち afterなんです。先生の性質性質せいしつ nature; disposition段々段々だんだん gradually変って来たかわってた changedのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないわからない don't knowの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」

「そのひと personはか grave; gravesiteですか、雑司ヶ谷雑司ヶ谷ぞうしがや Zōshigaya (place name)にあるのは」

「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間人間にんげん a person親友親友しんゆう close friendを一人亡くしたくした have pass away; have lostだけで、そんなに変化できる変化へんかできる can changeものでしょうか。私はそれが知りたくって堪らないりたくってたまらない need to know; long to understandんです。だからそこを一つひとつ onceあなたに判断して頂きたいと思ういただきたいとおもう would like to have you ...の」

私の判断はむしろ否定否定ひてい denial; repudiationほう choice (of two alternatives)傾いていたかたむいていた was leaning toward

二十二十にじゅう (part) 20

わたくし I; meは私のつらまえた事実事実じじつ truth; facts許すゆるす allow限りかぎり to the extent that ...奥さんおくさん (Sensei's) wife慰めようなぐさめよう comfort; consoleとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えたえた appeared; seemed (to be)。それで二人二人ふたり two people; the two of us同じおなじ the same問題問題もんだい subject; topic; themeをいつまでも話し合ったはなった talked together; discussed。けれども私はもともとこと matters; facts大根大根おおね root; source攫んでいなかったつかんでいなかった had not grasped; was not in possession of。奥さんの不安不安ふあん disquiet; unease実はじつは in fact; in realityそこに漂うただよう float; hang in the air薄いうすい thin; wispyくも cloud似たた resembled疑惑疑惑ぎわく doubt; misgivingsから出て来ていたていた originated from事件事件じけん incident; matter; affair真相真相しんそう truth; true natureになると、奥さん自身自身じしん herselfにも多くおおく much; a lot知れていなかったれていなかった was not known。知れているところでも悉皆は悉皆すっかりは thoroughly; in entirety私に話すはなす tell; relate事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共にともに both; togetherなみ waves浮いていて float; drift、ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出してして reach out one's hand覚束ない覚束おぼつかない uncertain; unsteady私の判断判断はんだん judgment; determination縋り付こうすがこう cling to; grasp on toとした。

十時頃十時頃じゅうじごろ around ten (o'clock)になって先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)くつ shoesおと sound玄関玄関げんかん entry hall聞こえたこえた soundedとき time; moment、奥さんは急にきゅうに suddenlyいま now; the presentまでのすべてを忘れたわすれた forgotように、まえ front of坐っているすわっている be seated私をそっちのけにして立ち上がったがった stood up; rose。そうして格子格子こうし latticed panel開けるける open先生をほとんど出合い頭に出合であがしらに bumping into迎えたむかえた met; greeted。私は取り残されながらのこされながら being left behindあと afterから奥さんに尾いて行ったいてった followed下女下女げじょ maidservantだけは仮寝でもして仮寝うたたねでもして napping; dozingいたとみえて、ついに出て来なかったなかった did not appear

先生はむしろ機嫌機嫌きげん mood; spiritsがよかった。しかし奥さんの調子調子ちょうし mood; mannerはさらによかった。今しがた奥さんの美しいうつくしい beautiful; delicate eyesのうちに溜ったたまった gathered; collectedなみだ teardropsひかり glimmer; gleamと、それから黒いくろい black; dark眉毛眉毛まゆげ eyebrows root; base寄せられた八の字せられたはち knit brow; furrowed brow記憶して記憶きおくして recollect; recallいた私は、その変化変化へんか change; transformation異常な異常いじょうな uncommon; extraordinaryものとして注意深く注意深ちゅういぶかく attentively; with great interest眺めたながめた watched; observed。もしそれが詐りいつわり ruse; charadeでなかったならば、(実際実際じっさい in fact; in realityそれは詐りとは思えなかったとはおもえなかった could not imagine that ...が)、今までの奥さんの訴えうったえ appeal感傷感傷センチメント sentiment玩ぶもてあそぶ toy with; trifle withためにとくに私を相手相手あいて companion; the other party拵えたこしらえた set up (as)徒らないたずらな mischievous; devilish女性女性じょせい woman; female遊戯遊戯ゆうぎ game; sport取れない事もなかったれないこともなかった it was not inconceivable that ...。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に批評的ひひょうてきに critically見る inclination起らなかったおこらなかった did not arise; did not occur。私は奥さんの態度態度たいど attitude; mannerの急に輝いて来たかがやいてた (began to) shine; sparkleのを見て、むしろ安心した安心あんしんした felt relieved。これならばそう心配する心配しんぱいする worry; fret必要必要ひつよう necessityもなかったんだと考え直したかんがなおした rethought; reassessed

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)笑いながらわらいながら smiling; grinning「どうもご苦労さま苦労くろうさま thank you (for your hard work)泥棒泥棒どろぼう burglar来ませんでしたませんでした didn't come; didn't showか」とわたくし I; me聞いたいた asked。それから「来ないんでないんで not appearing; not showing張合が抜けやしませんか張合はりあいけやしませんか hope you weren't disappointed」といった。

帰るかえる leave (for home)とき time; moment奥さんおくさん (Sensei's) wifeは「どうもお気の毒さまどくさま sorry for your trouble; sorry to have troubled you」と会釈した会釈えしゃくした nodded; bowed。その調子調子ちょうし air; manner忙しいいそがしい busyところを暇を潰させてひまつぶさせて taking up someone's time気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談冗談じょうだん joke; jestのように聞こえた。奥さんはそういいながら、先刻先刻さっき earlier出したした served西洋菓子西洋せいよう菓子がし (western-style) sweets残りのこり remainder; leftoverを、かみ paper包んでつつんで wrap私の手に持たせたたせた handed to; placed in one's hand。私はそれをたもと sleeve pocket入れてれて put into人通り人通ひととおり pedestrian traffic少ないすくない little; few; light夜寒夜寒よさむ evening chill小路小路こうじ lanes; side streets曲折して曲折きょくせつして wind one's way through賑やかなにぎやかな bustling; livelyまち townほう direction急いだいそいだ hurried; rushed

私はそのばん eveningこと matters記憶記憶きおく memoriesのうちから抽き抜いていて pull out; extractここへ詳しくくわしく in detail書いたいた wrote; noted。これは書くだけの必要必要ひつよう need; necessityがあるから書いたのだが、じつ truthをいうと、奥さんに菓子菓子かし sweets貰ってもらって receive帰るときの気分気分きぶん feeling; moodでは、それほど当夜当夜とうや that night; the evening in question会話会話かいわ conversation; dialogue重くおもく weighty; of importance見てて view; regardいなかった。私はその翌日翌日よくじつ the next day午飯午飯ひるめし lunch食いにいに to eat学校学校がっこう schoolから帰ってきて、昨夜昨夜ゆうべ the prior eveningつくえ deskうえ top of載せて置いたせていた set; placed菓子の包みを見ると、すぐそのなか insideからチョコレートチョコレート chocolate塗ったった spread鳶色の鳶色とびいろの reddish brownカステラカステラ castella (Portuguese-style sponge cake - Pão de Castela)を出して頬張った頬張ほおばった stuffed one's cheeks with; took a big bite of。そうしてそれを食う時に、必竟必竟ひっきょう after all; in the endこの菓子を私にくれた二人の男女二人ふたり男女なんにょ couple (man and woman)は、幸福な幸福こうふくな happy; content一対一対いっつい pairとして世の中なか the world存在して存在そんざいして exist; live; abideいるのだと自覚しつつ自覚じかくしつつ be conscious of; reflect on味わったあじわった tasted; savored; relished

あき autumn暮れてれて come to an endふゆ winter来るる arriveまで格別の格別かくべつの special; noteworthy事もなかった。私は先生のうち house; home出はいりをするはいりをする visit; call on; frequentついでに、衣服衣服いふく clothes; clothing洗い張りあらり washing; laundering仕立て方仕立したかた tailoringなどを奥さんに頼んだたのんだ requested。それまで繻絆繻絆じゅばん undergarment; under layerというものを着た事のないことのない had never worn私が、シャツシャツ shirtの上に黒いくろい blackえり collarのかかったものを重ねるかさねる layerようになったのはこの時からであった。子供子供こども childrenのない奥さんは、そういう世話を焼く世話せわく help; assist; look afterのがかえって退屈凌ぎ退屈凌たいくつしのぎ means of passing time; way to keep oneself occupiedになって、結句結句けっく finally; in the end身体身体からだ body; physical well-beingくすり medicineだぐらいの事をいっていた。

「こりゃ手織り手織ており hand wovenね。こんな fabric好いい good; fine着物着物きもの kimono; garmentいま this day; the presentまで縫ったった sewn; stitched事がないわ。その代りそのかわり at the same time縫い悪いにくい difficult to sewのよそりゃあ。まるで針が立たないはりたない can't stick a needle through itんですもの。お蔭でかげで thanks to; owing to針を二本二本にほん two (needles)折りましたりました broke; bentわ」

こんな苦情苦情くじょう protest; complaintをいう時ですら、奥さんは別にべつに particularly面倒くさい面倒めんどうくさい bothered; fatigued (by)というかお (facial) expression; lookをしなかった。

二十一二十一にじゅういち (part) 21

ふつ winter来たた came; arrivedとき timeわたくし I; me偶然偶然ぐうぜん unexpectedlyくに home country; one's native place帰らなければならないかえらなければならない have to returnこと situation; circumstancesになった。私のはは motherから受け取ったった received手紙手紙てがみ letter; correspondenceなか inside; withinに、ちち father病気病気びょうき illness; malady経過経過けいか progression面白くない面白おもしろくない adverse; unpropitious様子様子ようす state of affairs書いていて writeいま now; this momentが今という心配心配しんぱい worry; concernもあるまいが、とし age; yearsが年だから、できるなら都合して都合つごうして arrange; manage帰って来てくれと頼むたのむ ask; requestように付け足してして add; appendあった。

父はかねてからかねてから for a while; for some time腎臓腎臓じんぞう kidney病んでんで be afflicted by; suffer fromいた。中年中年ちゅうねん middle age以後以後いご from; afterひと peopleしばしばしばしば often; frequently見るる see; witness; observe通りとおり just as ...、父のこのやまい illness; malady慢性慢性まんせい chronic; persistentであった。その代りそのかわり on the other hand; at the same time要心要心ようじん caution; careさえしていれば急変急変きゅうへん sudden change; sudden turnのないものと当人当人とうにん the person in question家族家族かぞく familyのものも信じてしんじて believed疑わなかったうたがわなかった did not doubt現にげんに in fact父は養生養生ようじょう care; recuperationお蔭かげ due to; thanks to一つひとつ for one thingで、今日今日こんにち this day; the presentまでどうかこうか凌いで来たしのいでた survived; made it throughようにきゃく visitors; guests来るる come; call; visit吹聴して吹聴ふいちょうして announce; proclaimいた。その父が、母の書信書信しょしん letterによると、にわ yard; garden出てて go out (to)何かなにか somethingしている機にはずみに effect of; result of突然突然とつぜん suddenly眩暈眩暈めまい dizziness; vertigoがして引ッ繰り返ったかえった fell down; swooned家内のもの家内かないのもの members of the household軽症の軽症けいしょうの mild (form of an illness)脳溢血脳溢血のういっけつ cerebral apoplexy; stroke思い違えておもちがえて mistook (for)、すぐその手当手当てあて (medical) care; treatmentをした。後であとで afterwards; subsequently医者医者いしゃ doctorからどうもそうではないらしい、やはり持病持病じびょう chronic disease結果結果けっか result; consequenceだろうという判断判断はんだん judgment; opinion得てて get; obtain始めてはじめて for the first time卒倒卒倒そっとう fainting; swooning腎臓病腎臓病じんぞうびょう kidney trouble; kidney diseaseとを結び付けてむすけて tie together; connect考えるかんがえる consider; think ofようになったのである。

冬休み冬休ふゆやすみ winter breakが来るにはまだ少しすこし a little; a bit interval of time; whileがあった。私は学期学期がっき semester; term終りおわり finish; endまで待ってって waitいても差支え差支さしつかえ hindrance; impediment; problemあるまいと思って一日二日一日いちにち二日ふつか several daysそのままにしておいた。するとその一日二日の間にあいだに during、父の寝てて lie in bedいる様子様子ようす situation; circumstancesだの、母の心配しているかお faceだのが時々時々ときどき from time to time眼に浮かんだかんだ appeared before one's eyes。そのたびに一種の一種いっしゅの a certain type of心苦しさ心苦こころぐるしさ regret; remorse嘗めためた tasted; experienced (something unpleasant)私は、とうとう帰る決心決心けっしん resolution; determinationをした。国から旅費旅費りょひ travel allowance; travel funds送らせるおくらせる have (someone) send手数手数てかず trouble; extra work時間時間じかん time省くはぶく save; spareため、私は暇乞い暇乞いとまごい taking one's leaveかたがたかたがた at the same time; in concurrence with先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)ところ place; residence行ってって go (to); visit要るる have need ofだけのかね money一時一時いちじ temporarily立て替えてえて advance; pay (on someone's behalf) as a loanもらう事にした。

先生は少し風邪風邪かぜ cold気味気味きみ a touch of; a trace ofで、座敷座敷ざしき living room; parlorへ出るのが臆劫臆劫おっくう too much; too taxingだといって、私をその書斎書斎しょさい study通したとおした had (someone) shown to。書斎の硝子戸硝子戸ガラスど glass doorsから冬に入ってふゆって since the onset of winter稀にまれに rarely; seldom見るような懐かしいなつかしい longed-for; fondly remembered和らかなやわらかな soft; mild日光日光にっこう sunlight机掛け机掛つくえかけ desktop (covering)うえ top of射してして shineいた。先生はこの日あたりの好いあたりい sunlitへや roomの中へ大きなおおきな large火鉢火鉢ひばち hibachi; brazier置いていて set; place五徳五徳ごとく kettle standの上に懸けたけた placed; positioned金盥金盥かなだらい metal basinから立ち上るあがる rise up (from)湯気湯気ゆげ steam; vaporで、呼吸呼吸いき breathing苦しくなるくるしくなる become difficultのを防いでふせいで prevent; protect againstいた。

大病大病たいびょう serious illness好いい good; fineが、ちょっとした風邪風邪かぜ coldなどはかえって厭ないやな disagreeable; unpleasantものですね」といった先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)は、苦笑苦笑くしょ wry smile; sarcastic laughしながらわたくし I; meかお face見たた looked at

先生は病気病気びょうき sickness; diseaseという病気をした事のないしたことのない had never experiencedひと personであった。先生の言葉言葉ことば words聞いたいた heard私は笑いたくなったわらいたくなった was amused; had to laugh

「私は風邪ぐらいなら我慢します我慢がまんします endure; put up withが、それ以上それ以上いじょう beyond that; anything moreの病気は真平です真平まっぴらです (not) for anything。先生だって同じおなじ the same事でしょう。試みこころみ trial; experimentやってご覧になるやってごらんになる try doing; give (it) a tryとよく解りますわかります understand; see what one means

「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病死病しびょう fatal disease罹りたいかかりたい suffer from; be afflicted with思っておもって think; reckonる」

私は先生のいう事に格別格別かくべつ particular; special注意を払わなかった注意ちゅういはらわなかった paid no mind; paid no heed (to)。すぐはは mother手紙手紙てがみ letterはなし talk; discussionをして、金の無心かね無心むしん request for money申し出たもうた brought forward (as a request)

「そりゃ困るこまる be worried; be troubledでしょう。そのくらいならいま now; at present手元手元てもと at handにあるはずだから持って行きたまえってきたまえ please take (it)

先生は奥さんおくさん wife呼んでんで call; summon必要の必要ひつようの necessary; needed金額金額きんがく amount (of money)を私のまえ front of並べさせてならべさせて set out; laid outくれた。それをおく interior茶箪笥茶箪笥ちゃだんす cupboard何かなにか something抽出抽出ひきだし drawerから出して来たしてた went and took out (from)奥さんは、白いしろい white半紙半紙はんし calligraphy paperうえ top of鄭寧に鄭寧ていねいに politely; carefully重ねてかさねて place (on top of)、「そりゃご心配心配しんぱい worry; concernですね」といった。

何遍も何遍なんべんも many times卒倒した卒倒そっとうした fainted; swoonedんですか」と先生が聞いた。

「手紙には何とも書いてありませんいてありません wasn't written; wasn't mentionedが。――そんなに何度も何度なんども numerous times引ッ繰り返るかえる collapse; swoonものですか」

「ええ」

先生の奥さんの母親母親ははおや motherという人も私の父と同じ病気で亡くなったくなった passed away; diedのだという事が始めてはじめて for the first time私に解った。

「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。

「そうさね。私が代られればかわられれば could take the place of代ってあげても好いが。――嘔気嘔気はきけ nauseaはあるんですか」

「どうですか、何とも書いてないから、大方大方おおかた probably; most likelyないんでしょう」

吐気吐気はきげ nauseaさえ来なければなければ doesn't come; does not occurまだ大丈夫大丈夫だいじょうぶ okay; all rightですよ」と奥さんがいった。

私はそのばん evening汽車汽車きしゃ (steam) train東京東京とうきょう Tōkyō立ったった departed (from)

二十二二十二にじゅうに (part) 22

ちち father病気病気びょうき illness思ったおもった thoughtほど悪くはなかったわるくはなかった was not bad; was not serious。それでも着いたいた arrivedとき timeは、とこ bed; beddingうえ top of胡坐をかいて胡坐あぐらをかいて sit cross-legged、「みんなが心配する心配しんぱいする worry; express concernから、まあ我慢して我慢がまんして endure; tolerate; put up withこう凝としているじっとしている stay still; rest quietly。なにもう起きてきて get up好いい good; fine; no problemのさ」といった。しかしその翌日翌日よくじつ next dayからははは mother止めるめる prevent; dissuade (from doing)のも聞かずにかずに not listen to; pay no heed to、とうとう床を上げさせてとこげさせて have one's bedding put awayしまった。母は不承無性に不承無性ふしょうぶしょうに reluctantly; grudgingly太織り太織ふとおり coarse silk cloth蒲団蒲団ふとん futon畳みながらたたみながら folding upお父さんとうさん (your) fatherお前まえ you帰って来たかえってた returned homeので、急にきゅうに suddenly spirit; heart強くつよく strong; vigorousおなりなんだよ」といった。わたくし I; meには父の挙動挙動けんどう conduct; behaviorさしてさして (not) so much虚勢を張って虚勢きょせいって put on a brave faceいるようにも思えなかった。

私のあに older brother; elder brotherはあるしょく employment; occupation帯びてびて take on (job; assignment)遠いとおい distant九州九州きゅうしゅう Kyūshūにいた。これは万一の事万一まんいちこと extraordinary circumstancesがある場合場合ばあい case; situationでなければ、容易に容易よういに easily父母父母ちちはは mother and father; parentsかお faces見るる see自由の利かない自由じゆうかない not be at liberty to ...; not have the option ofおとこ man; fellowであった。いもうと younger sister他国他国たこく another province; another region嫁いだとついだ was married (off to)。これも急場急場きゅうば emergency間に合うう be in time for; be capable of responding toように、おいそれと呼び寄せられるせられる call; summonおんな womanではなかった。兄妹兄妹きょうだい brothers and sisters; siblings三人三人さんにん three (people); three (of us)のうちで、一番一番いちばん the most便利な便利べんりな handy; ready when neededのはやはり書生書生しょせい studentをしている私だけであった。その私が母のいい付け通りいいどおり as directed; as instructed学校学校がっこう school課業課業かぎょう studies; lessons放り出してほうして put aside休みやすみ vacation; breakまえ beforeに帰って来たという事が、父には大きなおおきな great deal (of)満足満足まんぞく satisfaction; contentmentであった。

これしきのこれしきの minor; trifling病気に学校を休ませては気の毒だどくだ too bad; a shame (for someone)。お母さんがあまり仰山な仰山ぎょうさんな exaggerated; overblown手紙手紙てがみ letter書くく write; composeものだからいけない」

父は口ではくちでは verbally; with one's wordsこういった。こういったばかりでなく、いま now; the presentまで敷いていて spread out; lay outいた床を上げさせて、いつものような元気元気げんき health; energy; vigor示したしめした displayed; demonstrated

「あんまり軽はずみかるはずみ rashnessをしてまた逆回す逆回ぶりかえす suffer a relapseといけませんよ」

私のこの注意注意ちゅうい caution; warningを父は愉快そうに愉快ゆかいそうに happily; with appreciationしかし極めてきわめて clearly; exceedingly軽くかるく lightly; without concern受けたけた took; received

「なに大丈夫大丈夫だいじょうぶ fine; okay、これでいつものように要心要心ようじん caution; careさえしていれば」

実際実際じっさい in fact父は大丈夫らしかった。いえ houseなか insideを自由に往来して往来おうらいして come and go; move about息も切れなければいきれなければ wasn't short of breath眩暈眩暈めまい dizziness; vertigo感じなかったかんじなかった didn't feel; didn't experience。ただ顔色顔色かおいろ (facial) color; complexionだけは普通普通ふつう usual; ordinaryひと personよりも大変大変たいへん a great deal悪かったわるかった was not good; was poorが、これはまた今始まったはじまった started; began症状症状しょうじょう symptoms; conditionでもないので、私たちわたしたち we; us格別格別かくべつ specially; in particularそれを気に留めなかっためなかった didn't attach significance to

わたくし I; me先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)手紙手紙てがみ letter書いていて write; compose恩借恩借おんしゃく loanれい thanks; gratitude述べたべた mentioned; noted正月正月しょうがつ New Year's上京する上京じょうきょうする return to Tōkyōとき time; occasion持参する持参じさんする bring; carryからそれまで待ってって waitくれるようにと断わったことわった state in advance。そうしてちち father病状病状びょうじょう condition (of a patient)思ったおもった thought; fearedほど険悪険悪けんあく serious; dangerousでないこと situation; circumstancesこの分ならこのぶんなら at this rate当分当分とうぶん for the present; for a while安心安心あんしん relief; assurance; peace of mindな事、眩暈眩暈めまい dizziness; vertigo嘔気嘔気はきけ nausea皆無皆無かいむ in no way present; not evidentな事などを書き連ねたつらねた wrote in succession最後に最後さいごに finally; in closing先生の風邪風邪ふうじゃ coldについても一言一言いちごん a few words見舞見舞みまい get-well wishes附け加えたくわえた added。私は先生の風邪を実際実際じっさい in truth; in reality軽くかるく light; mild見てて regard (as)いたので。

私はその手紙を出すす put out; post (a letter)時に決してけっして by (no) means先生の返事返事へんじ answer; reply予期して予期よきして anticipate; expectいなかった。出した後であとで afterwards父やはは motherと先生のうわさ talk of; report ofなどをしながら、遥かにはるかに far off; far away先生の書斎書斎しょさい study想像した想像そうぞうした imagined

「こんど東京へ行くく go (to)ときには椎茸椎茸しいたけ mushroomsでも持って行ってお上げってっておげ take (to someone)

「ええ、しかし先生が干したした dried椎茸なぞを食うう eatかしら」

旨くはないうまくはない not delicious; not a delicacyが、別にべつに in particular嫌いきらい dislike of; aversion toひと personもないだろう」

私には椎茸と先生を結び付けてむすけて tie together; associate考えるかんがえる think; considerのがへん odd; strangeであった。

先生の返事が来たた came; arrived時、私はちょっと驚かされたおどろかされた was caught by surprise。ことにその内容内容ないよう content特別の特別とくべつの special; particular用件用件ようけん business; matter of importance含んでふくんで includeいなかった時、驚かされた。先生はただ親切親切しんせつ kindness; considerationずくずく for the sole purpose of ...で、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な簡単かんたんな simple; brief一本一本いっぽん one (letter)の手紙が私には大層な大層たいそうな considerable喜びよろこび happiness; joyになった。もっともこれは私が先生から受け取ったった received第一の第一だいいちの the very first手紙には相違なかったには相違そういなかった for sure; for certainが。

第一というと私と先生の間にあいだに between ...書信書信しょしん letters; correspondence往復往復おうふく back and forth; exchangeがたびたびあったように思われるが、事実事実じじつ the truthは決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前生前せいぜん during a person's lifetimeにたった二通二通につう two (letters)の手紙しか貰ってもらって receiveいない。その一通一通いっつう one (letter)いま now; just nowいうこの簡単な返書返書へんしょ reply; responseで、あとの一通は先生の死ぬぬ die; pass awayまえ beforeとくに私あて (addressed) toで書いた大変大変たいへん very much; terribly長いながい long; lengthyものである。

父は病気病気びょうき illness性質性質せいしつ natureとして、運動運動うんどう physical activity慎まなければならないつつしまなければならない had to refrain from; had to perform in moderationので、床を上げてとこげて get (up) out of bedからも、ほとんど戸外戸外そと outdoorsへは出なかったなかった did not go out一度一度いちど one time; once天気天気てんき weatherのごく穏やかなおだやかな mild; fair day午後午後ごご afternoonにわ garden下りたりた went down (to)事があるが、その時は万一万一まんいち unlikely event; worst case気遣って気遣きづかって keep in mind; worry over、私が引き添うう stay close toようにそば side; proximity付いていて be with; accompanyいた。私が心配して心配しんぱいして worry; have concern自分の自分じぶんの one's ownかた shoulder手を掛けさせようけさせよう have (someone) place their hand onとしても、父は笑ってわらって smile; grin応じなかったおうじなかった did not accommodate; would not oblige

二十三二十三にじゅうさん (part) 23

わたくし I; me退屈な退屈たいくつな bored; in want of diversionちち father相手相手あいて companionとしてよく将碁盤将碁盤しょうぎばん shōgi board向かったかった turned toward; faced二人とも二人ふたりとも both (people); the two (of us)無精な無精ぶしょうな indolent; inactive性質性質たち nature; dispositionなので、炬燵炬燵こたつ kotatsu (brazier in a foot well, covered with a frame / table and overhanging quilt to retain heat)にあたったまま、盤をやぐら kotatsu frameうえ top of載せてせて set; placeこま (shōgi) piece動かすうごかす moveたびに、わざわざ hand掛蒲団掛蒲団かけぶとん quilt coveringした below; beneathから出すす take outようなこと act; actionをした。時々時々ときどき from time to time持駒持駒もちごま captured piece失くしてくして loseつぎ next勝負勝負しょうぶ game; match来るる come; arriveまで双方とも双方そうほうとも both parties知らずにらずに without knowing; unawaresいたりした。それをはは motherはい ashesなか middle; withinから見付け出して見付みつして find; discover火箸火箸ひばし fire sticks; fire tongs挟み上げるはさげる pick up (with a pinching motion)という滑稽滑稽こっけい comical sceneもあった。

 go (strategy game)だと盤が高過ぎる高過たかすぎる too tall上にうえに on top of; in addition toあし feet; legs着いているいている be attachedから、炬燵の上では打てないてない cannot playが、そこへ来ると将碁盤は好いい fine; niceね、こうして楽にらくに in comfort差せるせる can playから。無精者無精者ぶしょうもの loafers; idlersには持って来いってい just right; perfect (for)だ。もう一番もう一番いちばん one more timeやろう」

父は勝ったった wonとき times; occasions必ずかならず invariably; without failもう一番やろうといった。そのくせ負けたけた lost時にも、もう一番やろうといった。要するにようするに in short、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがるおとこ man; fellowであった。始めのうちはじめのうち initially; at first珍しいめずらしい new; novelので、この隠居じみた隠居いんきょじみた retirement-like娯楽娯楽ごらく amusementが私にも相当の相当そうとうの considerable; substantial興味興味きょうみ enthusiasm; ardor与えたあたえた bestowed (on); granted (to)が、少しすこし a little; to some degree時日時日じじつ days and hours; time経つつ pass; elapseに伴れてれて along with若いわかい young; youthful私の気力気力きりょく energy; vitalityはそのくらいな刺戟刺戟しげき stimulus; excitement満足できなくなった満足まんぞくできなくなった could not find satisfaction (in)。私はきん gold general (name of shōgi piece)香車香車きょうしゃ lance (name of shōgi piece)握ったにぎった gripped; graspedこぶし fistあたま headの上へ伸ばしてばして extend; stretch、時々思い切ったおもった overt; conspicuous; outrightあくびをした。

私は東京東京とうきょう Tōkyōの事を考えたかんがえた considered; thought about。そうして漲るみなぎる swell; overflow心臓心臓しんぞう heart血潮血潮ちしお blood (flowing within one's body)おく depthsに、活動活動と活動活動かつどうかつどうと in endless motion打ちつづけるちつづける beat on鼓動鼓動こどう pulse; rhythm聞いたいた listened to不思議にも不思議ふしぎにも strangely; curiouslyその鼓動のおと soundが、ある微妙な微妙びみょうな delicate; subtle意識状態意識いしき状態じょうたい state of consciousnessから、先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)ちから force; vigor強められてつよめられて be strengthenedいるように感じたかんじた felt; perceived

私は心のうちでこころのうちで within one's heart; inwardly、父と先生とを比較して見た比較ひかくしてた tried comparing両方とも両方りょうほうとも both世間世間せけん society; the worldから見れば、生きているきている be alive死んでいるんでいる be dead分らないわからない don't know; can't discernほど大人しい大人おとなしい quiet; discreet; guarded男であった。ひと others認められるみとめられる be recognized; be noticedというてん pointからいえばどっちもれい zero; nought; nullであった。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なるたんなる simple; mere娯楽の相手としても私には物足りなかった物足ものたりなかった was unsatisfactory; was found wanting。かつて遊興遊興ゆうきょう amusement; diversionのために往来往来ゆきき coming and going; visitingをした覚えおぼえ memory; experienceのない先生は、歓楽歓楽かんらく pleasure; merriment交際交際こうさい company; associationから出るる emerge; arise (from)親しみしたしみ intimacy; affection以上以上いじょう more than ...に、いつか私の頭に影響影響えいきょう influence; impactを与えていた。ただ頭というのはあまりに冷やか過ぎるひややかぎる too cold; too detachedから、私はむね bosom; breastいい直したいいいなおしたい should restate; would like to correct oneselfにく body; fleshのなかに先生の力が喰い込んでんで bite into; dig intoいるといっても、 bloodのなかに先生のいのち life; life force流れてながれて flow; circulateいるといっても、その時の私には少しも誇張誇張こちょう exaggerationでないように思われたようにおもわれた it seems that ...。私は父が私の本当の本当ほんとうの real; true父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人あかの他人たにん complete stranger; total strangerであるという明白な明白めいはくな clear; obvious; evident事実事実じじつ truth; realityを、ことさらにことさらに especially; particularly眼の前まえ before one's eyes並べてならべて line up; lay outみて、始めて大きなおおきな great; significant真理真理しんり truthでも発見した発見はっけんした discoveredかのごとくに驚いたおどろいた was surprised; was shocked

わたくし I; meのつそつし出すのつそつしす begin to feel restlessと前後して前後ぜんごして about the time that ...ちち fatherはは mother eyesにもいま now; at presentまで珍しかっためずらしかった was new; was novel私が段々段々だんだん gradually陳腐陳腐ちんぷ stale; dull; wornなって来たなってた became。これは夏休み夏休なつやすみ summer vacationなどにくに home country; one's native place帰るかえる return (to)誰でもだれでも anyone一様に一様いちように in a like manner経験する経験けいけんする experience心持心持こころもち feelingだろうと思うおもう think; expectが、当座の当座とうざの for a time; for the present一週間一週間いっしゅうかん one weekぐらいは下にも置かないしたにもかない extend every courtesyように、ちやほや歓待されるちやほや歓待もてなされる be pampered; be fussed overのに、そのとうげ peak; crest定規通り定規通ていきどおり a prescribed about; to a certain degree通り越すとおす go past; move beyondと、あとはそろそろそろそろ slowly; steadily家族家族かぞく familyねつ zeal; enthusiasm冷めて来てめてて cool off、しまいには有っても無くってもってもくっても whether present or not; 構わないかまわない doesn't matter; makes no differenceもののように粗末に粗末そまつに with little care; without consideration取り扱われがちあつかわれがち tend to be handled; apt to be treatedになるものである。私も滞在中滞在中たいざいちゅう during a stayにその峠を通り越した。その上そのうえ on top of that; furthermore私は国へ帰るたびに、父にも母にも解らないわからない could not grasp; could not relate to変なへんな odd; eccentric; alienところを東京東京とうきょう Tōkyōから持って帰ったってかえった brought backむかし long ago; former timesでいうと、儒者の儒者じゅしゃの Confucianいえ house; home切支丹の切支丹キリシタンの Christian臭いにおい scent of; sense of持ち込むむ bring into; carry intoように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった調和ちょうわしなかった did not agree with; were not amenable to無論無論むろん of course私はそれを隠してかくして hide; concealいた。けれども元々元々もともと by nature身に着いていて part of oneselfいるものだから、出すまいすまい must not expose; must not revealと思っても、いつかそれが父や母の眼に留まったまった caught one's eye; attracted notice。私はつい面白くなくなった面白おもしろくなくなった grew weary; had had enough (of)早くはやく soon東京へ帰りたくなった。

父の病気病気びょうき illness; malady幸いさいわい fortunately現状維持現状げんじょう維持いじ holding steady (as is); stableのままで、少しもすこしも (not) in the least悪いわるい unfavorableほう direction進むすすむ proceed; advance (toward)模様模様もよう signs; indications見えなかったえなかった were not visible; were not apparent念のためにねんのために to be sure; for good measureわざわざ遠くとおく far awayから相当の相当そうとうの worthy; qualified医者医者いしゃ doctor招いたりしてまねいたりして send for; summon慎重に慎重しんちょうに carefully; thoroughly診察診察しんさつ medical examinationしてもらってもやはり私の知っているっている know of; be aware of以外に以外いがいに outside of; other than; in addition to異状異状いじょう anomaly; irregularity認められなかったみとめられなかった was not observed; was not noticed。私は冬休み冬休ふゆやすみ winter break尽きるきる run out; come to its end少しまえ beforeに国を立つつ depart (from)事にしたことにした decided to ...。立つといい出すと、人情人情にんじょう human nature妙なみょうな odd; curiousもので、父も母も反対した反対はんたいした objected; protested

「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。

「まだ四、五日五日ごにち four or five daysいても間に合うう be in timeんだろう」と父がいった。

私は自分自分じぶん oneself極めためた decided出立出立しゅったつ departure day動かさなかったうごかさなかった didn't change; didn't alter

二十四二十四にじゅうし (part) 24

東京東京とうきょう Tōkyō帰ってかえって return (to)みると、松飾松飾まつかざり New Year's pine decorationsはいつか取り払われてはらわれて removed; cleared awayいた。まち town寒いさむい coldかぜ wind吹くく blow任せてまかせて entrust to; yield to、どこを見てて look; observeもこれというほどの正月正月しょうがつ New Year'sめいためいた showing signs of景気景気けいき condition; stateはなかった。

わたくし I; me早速早速さっそく without delay; right away先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)のうちへかね money返しにかえしに in order to return (something)行ったった went (to); called on; visited例のれいの the aforementioned椎茸椎茸しいたけ mushroomsもついでに持って行ったってった took with。ただ出すす take out; presentのは少しすこし a little; a bitへん odd; strangeだから、はは (my) motherがこれを差し上げてくれげてくれ asked (me) to give (to you)といいましたとわざわざ断ってことわって give notice; state in advance奥さんおくさん (Sensei's) wifeまえ front of置いたいた set; placed。椎茸は新しいあたらしい new菓子折菓子かしおり cake box入れてあったれてあった had been placed in鄭寧に鄭寧ていねいに politely; respectfully礼を述べたれいべた expressed one's thanks奥さんは、つぎ adjacent; adjoining room立つつ take leave (to)とき time、その折を持って見てってて pick up軽いかるい lightのに驚かされたおどろかされた was surprised (by)のか、「こりゃ何のなんの what kind of; what sort of御菓子御菓子おかし cakes」と聞いたいた asked。奥さんは懇意になる懇意こんいになる get to know; become close toと、こんなところに極めてきわめて very much; exceedingly淡泊な淡泊たんぱくな frank; candid小供らしい小供こどもらしい child-likeこころ spiritを見せた。

二人とも二人ふたりとも both (of them)ちち (my) father病気病気びょうき illnessについて、色々色々いろいろ various掛念の掛念けねんの (expressing) worry; concern (usually 懸念けねんの)問いい questions繰り返してかえして repeatくれた中になかに while ...; in the process of ...、先生はこんな事こんなこと the followingをいった。

「なるほど容体容体ようだい state (of one's health)を聞くと、いま immediate; imminentが今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気をつけないといけませんをつけないといけません (one) must take care; must remain vigilant

先生は腎臓腎臓じんぞう kidneyやまい illness; maladyについて私の知らないらない not know; not be aware of事を多くおおく much; a great deal知っていた。

自分自分じぶん oneselfで病気に罹っていながらかかっていながら suffering from; afflicted with、気が付かないで平気でいる平気へいきでいる be unconcerned; pay no heedのがあの病の特色特色とくしょく characteristic; idiosyncrasyです。私の知ったある士官士官しかん (military) officerは、とうとうそれでやられたが、全くまったく utterly; completely嘘のようなうそのような unexpected; out of the blue死に方かた way of dying; deathをしたんですよ。何しろなにしろ anyway; at any rateそば near; close寝てて sleepいた細君細君さいくん wife看病をする看病かんびょうをする care for; tend to (the sick)ひま time (in which to do something)もなんにもないくらいなんですからね。夜中夜中よなか middle of the nightにちょっと苦しいくるしい uncomfortable; in painといって、細君を起したおこした wokeぎり、翌る朝あくあさ the next morningはもう死んでいたんでいた had died; was goneんです。しかも細君はおっと husbandが寝ているとばかり思っておもって thought; believedたんだっていうんだから」

今まで楽天的楽天的らくてんてき optimistic傾いてかたむいて tend towardいた私は急にきゅうに suddenly不安になった不安ふあんになった grew worried; felt anxious

わたくし I; meおやじ fatherもそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」

医者医者いしゃ doctorなん whatというのです」

「医者は到底到底とても (not) at all; by (no) means治らないなおらない will not get better; will not recover fromというんです。けれども当分当分とうぶん for the present; for a whileのところ心配はあるまい心配しんぱいはあるまい no need to worry; little cause for concernともいうんです」

「それじゃ好いい all right; fineでしょう。医者がそういうなら。私のいま now; just now話したはなした spoke ofのは気が付かずにかずに without realizing; unawareいたひと person; manの事こと concerning ...で、しかもそれがずいぶん乱暴な乱暴らんぼうな reckless; heedless軍人軍人ぐんじん military man; soldierなんだから」

私はやや安心した安心あんしんした felt better; felt reassured。私の変化変化へんか change; transition; shift凝とじっと intently; attentively見てて watch; observeいた先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)は、それからこう付け足したした added; followed with

「しかし人間人間にんげん human beings; people健康健康けんこう healthにしろ病気病気びょうき sicknessにしろ、どっちにしても脆いもろい fragileものですね。いつどんな事でどんな死にようによう manner of deathをしないとも限らないともかぎらない is (not) implausible; is (not) to be ruled outから」

「先生もそんな事を考えてお出かんがえておいで consider; think aboutですか」

「いくら丈夫の丈夫じょうぶの healthy; fit私でも、満更満更まんざら (not) altogether; (not) entirely考えない事もありません」

先生の口元口元くちもと mouth; lipsには微笑微笑びしょ smileかげ hint; trace ofが見えた。

「よくころりところりと easily; simply; quickly死ぬ人があるじゃありませんか。自然に自然しぜんに in a natural manner。それからあっと思う間にあっとおもに before one knows it; in an instant死ぬ人もあるでしょう。不自然な不自然ふしぜんな unnatural暴力暴力ぼうりょく (act of) violenceで」

「不自然な暴力って何ですか」

「何だかそれは私にも解らないわからない don't know; am not sure; can't sayが、自殺する自殺じさつする commit suicide人はみんな不自然な暴力を使う使つかう use; apply; employんでしょう」

「すると殺されるころされる be killed; be murderedのも、やはり不自然な暴力のお蔭かげ due toですね」

「殺されるほう alternativeはちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」

その dayはそれで帰ったかえった returned home。帰ってからもちち fatherの病気はそれほど苦にならなかったにならなかった did not bother me; did not weigh on my mind。先生のいった自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉言葉ことば wordsも、その場限りそのかぎり limited to that occasion浅いあさい shallow; slight印象印象いんしょう impression与えたあたえた bestowed on; imparted toだけで、あと after; afterwardsは何らのこだわりこだわり fixation; dwellingを私のあたま head; mind残さなかったのこさなかった did not leave behind。私は今まで幾度か幾度いくたびか how often; how many times手を着けようけよう get a start onとしては手を引っ込めためた withdrew; backed off卒業論文卒業そつぎょう論文ろんぶん graduation thesisを、いよいよ本式に本式ほんしきに in earnest書き始めなければならないはじめなければならない must start writing思い出したおもした called to mind

二十五二十五にじゅうご (part) 25

そのとし year六月六月ろくがつ June卒業する卒業そつぎょうする graduateはずのわたくし I; meは、ぜひともこの論文論文ろんぶん thesis成規通り成規通せいきどおり as stipulated; as prescribed四月いっぱいに四月しがついっぱいに by the end of April書き上げてしまわなければならなかったげてしまわなければならなかった had to finish writing二、三、四さん two, three, four (referring to February, March, April)ゆび fingers折ってって bend余るあまる remain; be left時日時日じじつ time; days勘定して見た勘定かんじょうしてた enumerated; reckoned; talliedとき time; occasion、私は少しすこし a little; a bit自分の自分じぶんの one's own度胸度胸どきょう pluck; grit疑ったうたぐった doubted; questioned (= うたがった)他のほかの otherものはよほどまえ before; earlierから材料材料ざいりょう materials蒐めたりあつめたり gather; collectノートノート notes溜めたりめたり amass; accumulateして、余所目にも余所目よそめにも to an outside observer忙しそういそがしそう (looking) busy; engaged; occupiedに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずになんにもけずに not having done a thing; without having started at allいた。私にはただ年が改まったらあらたまったら be renewed; start afresh大いにおおいに fully; greatlyやろうという決心決心けっしん resolve; determinationだけがあった。私はその決心でやり出したやりした set to it。そうして忽ちたちまち immediately; once動けなくなったはたらけなくなった froze; stopped in one's tracksいま now; the presentまで大きな問題問題もんだい subject; topic; question空に描いてくうえがいて draw in the air; picture in one's mind; envision骨組み骨組ほねぐみ framework; structure; outlineだけはほぼでき上っているできあがっている be finished; be completeくらいに考えてかんがえて consider; think throughいた私は、頭を抑えてあたまおさえて hold one's head (in consternation)悩み始めたなやはじめた began to worry; grew anxious。私はそれから論文の問題を小さくしたちいさくした reduced; narrowed down。そうして練り上げたげた flushed out; refined思想思想しそう thoughts; ideas系統的に系統的とうけいてきに systematically纏めるまとめる pull together; integrate; consolidate手数手数てかず trouble; extra work省くはぶく save; spare; dispense withために、ただ書物書物しょもつ booksなか withinにある材料を並べてならべて line up; arrange、それに相当な相当そうとうな appropriate; suitable結論結論けつろん conclusionをちょっと付け加えるくわえる add to; append事にしたことにした decided to ...

私の選択した選択せんたくした chose; selected問題は先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)専門専門せんもん specialty; area of expertise縁故の近い縁故えんこちかい closely relatedものであった。私がかつてその選択について先生の意見意見いけん opinion尋ねたたずねた asked; solicited時、先生は好いい good; fineでしょうといった。狼狽した狼狽ろうばいした panicked; distressed気味気味きみ feeling; sentimentの私は、早速早速さっそく without delay; right away先生のところ place; residence出掛けて出掛でかけて set out (for)、私の読まなければならないまなければならない need to read参考書参考書さんこうしょ reference books; references聞いたいた asked (about)。先生は自分の知っているっている know; be aware of限りかぎり extent; limits知識知識ちしき informationを、快くこころよく gladly; willingly私に与えてあたえて give; impart (to)くれた上にうえに in addition to ...必要の必要ひつようの necessary; needed書物を、二、三冊三冊さんさつ several volumes貸そうそう lendといった。しかし先生はこのてん matter; aspectについて毫もごうも (not) in the least私を指導する指導しどうする guide; advise任に当ろうにんあたろう take on a dutyとしなかった。

近頃近頃ちかごろ recently; these daysはあんまり書物を読まないから、新しいあたらしい new; latest事は知りませんよ。学校学校がっこう schoolの先生に聞いたほう alternative (course of action)が好いでしょう」

先生は一時一時いちじ at one time非常の非常ひじょうの extraordinary読書家読書家どくしょか readerであったが、その後その after that; from that timeどういう訳かどういうわけか for whatever reason、前ほどこの方面方面ほうめん area; realm興味が働かなくなった興味きょうみはたらかなくなった lost interestようだと、かつて奥さんおくさん (Sensei's) wifeから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出したおもした remembered; recalled。私は論文をよそにして、そぞろにそぞろに in spite of oneself口を開いたくちひらいた spoke; broached (a subject)

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)はなぜ元のようにもとのように as before書物書物しょもつ books興味をもち得ない興味きょうみをもちない can't find interest (in)んですか」

「なぜというわけ reasonもありませんが。……つまりいくらほん books読んでんで readもそれほどえらくならないと思うおもう think; believeせいでしょう。それから……」

「それから、まだあるんですか」

「まだあるというほどの理由理由りゆう reasonでもないが、以前以前いぜん before; previouslyはね、ひと peopleまえ before; in front of出たりたり appear、人に聞かれたりかれたり be asked; be questionedして知らないらない don't know; can't sayはじ shame; embarrassment; disgraceのようにきまりが悪かったきまりがわるかった felt awkward; became self-consciousものだが、近頃近頃ちかごろ recentlyは知らないということ state of affairs; situationが、それほどの恥でないように見え出したした began to seemものだから、つい無理にも無理むりにも through compulsion; excessively本を読んでみようという元気元気げんき energy; vigorが出なくなったのでしょう。まあ早くいえばはやくいえば in short; in brief老い込んだんだ have grown old (and decrepit)のです」

先生の言葉言葉ことば wordsはむしろ平静平静へいせい calm; sereneであった。世間世間せけん the world; society背中を向けた背中せなかけた turned one's back (on)人の苦味苦味くみ bitterness帯びてびて take on; be tinged withいなかっただけに、私にはそれほどの手応え手応てごたえ response; reactionもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りにかわりに at the same time; while ...偉いえらい remarkable; admirableとも感心せずに感心かんしんせずに without being impressed帰ったかえった returned home

それからの私はほとんど論文論文ろんぶん thesis祟られたたたられた cursed; haunted; tormented精神病者精神せいしん病者びょうしゃ maniac; madmanのように eyes赤くしてあかくして make red苦しんだくるしんだ fretted; worried; agonized。私は一年前一年いちねんぜん a year before卒業した卒業そつぎょうした graduated友達友達ともだち friendsについて、色々色々いろいろ various様子様子ようす situation; circumstancesを聞いてみたりした。そのうちの一人一人いちにん one (person)締切締切しめきり deadline; cut-off dayくるま car (rickshaw)事務所事務所じむしょ office馳けつけてけつけて rush; hurry (to)漸くようやく barely; narrowly間に合わせたわせた made it on timeといった。他のほかの another一人は五時五時ごじ five o'clock十五分十五分じゅうごふん fifteen minutesほど後らしておくらして was late持って行ったってった carried in; deliveredため、危くあやうく almost; nearly跳ね付けられようけられよう have rejectedとしたところを、主任教授主任しゅにん教授きょうじゅ head professor; department head好意好意こうい good will; favorでやっと受理受理じゅり acceptanceしてもらったといった。私は不安不安ふあん uneasiness; anxietyを感ずると共にともに along with度胸を据えた度胸どきょうえた took courage; felt emboldened毎日毎日まいにち each day; every dayつくえ deskの前で精根精根せいこん energy; driveのつづく限りかぎり extent; limit働いたはたらいた worked; endeavored。でなければ、薄暗い薄暗うすぐらい dimly-lit書庫書庫しょこ libraryにはいって、高いたかい high; tall本棚本棚ほんだな bookshelvesのあちらこちらを見廻した見廻みまわした surveyed; searched。私の眼は好事家好事家こうずか dilettante; amateur enthusiast骨董骨董こっとう antiques; curiosでも掘り出すほうす dig out; search throughとき time; occasionのように背表紙背表紙せびょうし spine; binding (of a book)金文字金文字きんもじ gold letteringあさったあさった scavenged; rummaged (through)

うめ plum trees咲くく blossom; bloomにつけて寒いさむい coldかぜ wind段々段々だんだん gradually; little by littleむき directionみなみ south更えて行ったえてった shifted; transitioned。それが一仕切一仕切ひとしきり for a time; for a spell経つつ pass; elapseと、さくら cherry treesうわさ rumor; report; talkがちらほら私のみみ earsに聞こえ出した。それでも私は馬車馬馬車ばしゃうま cart horseのように正面正面しょうめん forward; straight aheadばかり見て、論文に鞭うたれたむちうたれた was whipped along (by)。私はついに四月四月しがつ April下旬下旬げじゅん final days (last ten days of a month)来てて come; arrive、やっと予定通り予定よていどおり as planned; as anticipatedのものを書き上げるげる finish writingまで、先生の敷居敷居しきい threshold跨がなかったまたがなかった did not step over; did not cross

二十六二十六にじゅうろく (part) 26

わたくし I; me自由自由じゆう freedom; libertyになったのは、八重桜八重桜やえざくら double-flowered cherry tree散ったった scattered; dispersedえだ branches; limbsにいつしか青いあおい green leaves霞むかすむ be barely perceptibleように伸び始めるはじめる begin to grow; begin to emerge初夏初夏しょか early summer季節季節きせつ seasonであった。私はかご cage抜け出したした escaped小鳥小鳥ことり songbirdこころ heart; spiritをもって、広いひろい wide; spacious; vast天地天地てんち world; surroundings (lit: heaven and earth)一目に一目ひとめに at a glance見渡しながら見渡みわたしながら see; take in; survey、自由に羽搏き羽搏はばたき fluttering of wingsをした。私はすぐ先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)うち house; home行ったった went (to); called (at); visited枳殻枳殻からたち trifoliate orangeかき hedge黒ずんだくろずんだ darkened; blackened枝のうえ top; surface (of)に、萌るもえる burst out (into blossom)ような芽を吹いていて bring forth budsいたり、柘榴柘榴ざくろ pomegranate枯れたれた withered; weatheredみき trunkから、つやつやしい茶褐色茶褐色ちゃかっしょく dark reddish-brownの葉が、柔らかそうにやわららかそうに gently; softly日光日光にっこう sunlight映してうつして reflectいたりするのが、道々道々みちみち along the way私の眼を引き付けたけた caught one's attention。私は生れてうまれて in one's life初めてはじめて for the first timeそんなものを見るような珍しさめずらしさ newness; novelty覚えたおぼえた was conscious of

先生は嬉しそうなうれしそうな happy; joyful私のかお face; facial expressionを見て、「もう論文論文ろんぶん thesis片付いた片付かたづいた put in order; taken care ofんですか、結構結構けっこう splendid; wonderfulですね」といった。私は「お蔭でかげで with your assistanceようやく済みましたみました is done; is finished。もう何にもなんにも (no)thingする事すること things to do; matters to tend toはありません」といった。

実際実際じっさい in fact; in truthそのとき timeの私は、自分自分じぶん oneselfのなすべきすべての仕事仕事しごと work; tasks; responsibilitiesがすでに結了して結了けつりょうして wrap up; completeこれから先これからさき from now; going forward威張って威張いばって put on airs; swagger遊んであそんで enjoy oneselfいても構わないかまわない is fine; is no problemような晴やかなはれやかな clear; bright; sunny心持心持こころもち feeling; moodでいた。私は書き上げたげた finished writing自分の論文に対してたいして regarding ...充分の充分じゅうぶんの adequate; sufficient自信自信じしん confidence満足満足まんぞく satisfactionをもっていた。私は先生のまえ front ofで、しきりにその内容内容ないよう content; details; subject matter喋々した喋々ちょうちょうした went on; talked endlessly (about)。先生はいつもの調子調子ちょうし mood; mannerで、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上それ以上いじょう beyond that批評批評ひひょう comment; critique少しもすこしも (not) in the least加えなかったくわえなかった didn't add; didn't follow with。私は物足りない物足ものたりない dissatisfactionというよりも、聊かいささか a bit; somewhat拍子抜け拍子ひょうしけ let-down; deflated気味気味きみ feelingであった。それでもその day私の気力気力きりょく willpower; energy; vitalityは、因循らしく因循いんじゅんらしく noncommittal; detached; disengaged見える先生の態度態度たいど manner; behavior逆襲逆襲ぎゃくしゅう counterattack試みるこころみる try; attemptほどに生々していた生々いきいきしていた was full of life。私は青くあおく with green蘇生ろう蘇生よみがえろう revive; come back to lifeとする大きなおおきな great; vast自然自然しぜん natural worldなか middleに、先生を誘い出そうとしたさそそうとした decided to invite out

「先生どこかへ散歩散歩さんぽ walk; strollしましょう。そと outside出るる go out (to)大変大変たいへん very much; terribly好いい nice; fine心持です」

「どこへ」

私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴れてれて take (someone) along郊外郊外こうがい environs; outskirts (of a town)へ出たかった。

一時間一時間いちじかん one hourのち later先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)わたくし I; me目的どおり目的もくてきどおり as intended city離れてはなれて leave behindむら villageともまち townshipとも区別の付かない区別くべつかない indistinguishable静かなしずかな quiet; peacefulところ place宛もなくあてもなく at random; without purpose歩いたあるいた walked; strolled。私はかなめかなめ photinia (plant)かき hedgeから若いわかい young; new柔らかいやわらかい tender leaves挘ぎ取ってって pluck; pick芝笛芝笛しばぶえ grass whistle鳴らしたらした played; sounded。ある鹿児島人鹿児島人かごしまじん native of Kagoshima友達友達ともだち friendにもって、そのひと person真似をしつつ真似まねをしつつ imitate; learn from自然に自然しぜんに as a natural outcome; in due corse習い覚えたならおぼえた mastered私は、この芝笛というものを鳴らすこと act; action上手上手じょうず skilled; accomplishedであった。私が得意に得意とくいに with pride; pleased with oneselfそれを吹きつづけるきつづける continue to play; continue to soundと、先生は知らん顔をしてらんかおをして assume an air of indifferenceよそを向いていて turn toward; look toward歩いた。

やがて若葉若葉わかば new leaves鎖ざされたざされた shut in; enclosedように蓊欝した蓊欝こんもりした lush; thickly grown小高い小高こだかい of moderate height一構え一構ひとかまえ clump (of trees)した below; beneath細いほそい narrowみち path; lane開けたひらけた opened upもん gateはしら pillar; column打ち付けたけた nailed onto; posted標札標札ひょうさつ sign; placard何々園何々園なになにえん such-and-such gardensとあるので、その個人の個人こじんの personal; private邸宅邸宅ていたく residenceでない事がすぐ知れた。先生はだらだら上りのぼり climbing; upward-sloping; ascendingになっている入口入口いりぐち entrance眺めてながめて study; examine、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋植木屋うえきや (plant) nurseryですね」と答えたこたえた answered; replied

植込植込うえこみ growth; thicketなか middle; midst一うねりしてひとうねりして topping a single riseおく interior上るのぼる climb up; ascend (into)左側左側ひだりがわ left-hand sideうち house; residenceがあった。明け放ったはなった left open障子障子しょうじ shōji; sliding panelうち insideがらんとしてがらんとして empty; deserted人のかげ shadow; trace; sign of見えなかったえなかった could not be seen。ただ軒先軒先のきさき under the eaves据えたえた set; placed大きなおおきな largeはち bowlの中に飼ってって keep (pet or other animal)ある金魚金魚きんぎょ goldfish動いてうごいて moveいた。

「静かだね。断わらずにことわらずに without giving notice; without permissionはいっても構わないかまわない okay; all rightだろうか」

「構わないでしょう」

二人二人ふたり two people; the two of usはまた奥のほう direction進んだすすんだ proceeded (toward)。しかしそこにも人影人影ひとかげ human presenceは見えなかった。躑躅躑躅つつじ azalea燃えるようにえるように as if on fire咲き乱れてみだれて bloom in profusionいた。先生はそのうちで樺色樺色かばいろ reddish yellow丈の高いたけたかい high; tallのを指してして point out、「これは霧島霧島きりしま Miyama-Kirishima (regional name; type of azalea native to that region)でしょう」といった。

芍薬芍薬しゃくやく Chinese peony十坪あまり十坪とつぼあまり about 10 tsubo (about 30 sq meters; about 40 sq yards)一面一面いちめん entire surface植え付けられていたけられていた had been planted (with)が、まだ季節季節きせつ time; season来ないない not come; not arriveので花を着けてはなけて put forth flowersいるのは一本一本いっぽん one; a single (tree)もなかった。この芍薬畠芍薬しゃくやくばたけ peony fieldそば vicinityにある古びたふるびた old (looking); worn with age縁台縁台えんだい bench; platformのようなもののうえ top ofに先生は大の字なりにだいなりに in the shape of the character 大寝たた lay down。私はその余ったあまった left over; remainingはじ edgeの方に腰をおろしてこしをおろして seat oneself烟草を吹かした烟草タバコかした had a smoke。先生は蒼いあおい blue透き徹るとおる transparentようなそら skyを見ていた。私は私を包むつつむ wrap; enclose; envelope若葉のいろ colors心を奪われていたこころうばわれていた was captivated; was enthralled (by)。その若葉の色をよくよく眺めると、一々一々いちいち each one; every one違っていたちがっていた was different同じおなじ the sameかえで maple treeでも同じ色をえだ branchesに着けているものは一つひとつ one (thing)もなかった。細いほそい thin; slender杉苗杉苗すぎなえ cedar saplingいただき tip投げ被せてあったかぶせてあった had been tossed over先生の帽子帽子ぼうし hatかぜ wind; breeze吹かれてかれて blown (by)落ちたちた fell; dropped

二十七二十七にじゅうしち (part) 27

わたくし I; meはすぐその帽子帽子ぼうし hat取り上げたげた picked up所々所々ところどころ here and there; in places着いていて stick; cling (to)いる赤土赤土あかつち red clayつめ (finger)nails弾きながらはじきながら flick (off)先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)呼んだんだ called to; addressed

「先生帽子が落ちましたちました fell; dropped

「ありがとう」

身体身体からだ body半分半分はんぶん halfway起しておこして raise up; prop upそれを受け取ったった took; received先生は、起きるとも寝るる lie downとも片付かない片付かたづかない be inconclusive; be ambivalentその姿勢姿勢しせい attitude; postureのままで、変なへんな odd; curiousこと matter; thingを私に聞いたいた asked

突然突然とつぜん abrupt; suddenだが、君の家きみうち your home; your familyには財産財産ざいさん assetsがよっぽどあるんですか」

「あるというほどありゃしません」

「まあどのくらいあるのかね。失礼失礼しつれい (too) bold; brazen; directのようだが」

「どのくらいって、やま hills田地田地でんぢ farmland; paddies; fields少しすこし a little; a bitあるぎりで、かね moneyなんかまるでないんでしょう」

先生が私のいえ family経済経済けいざい financesについて、問いい question; queryらしい問いを掛けたけた asked; posed (a question)のはこれが始めてはじめて the first timeであった。私の方はわたくしほうは for my partまだ先生の暮し向きくらき (financial) circumstances; personal meansに関してかんして with respect to; concerning何もなにも (no)thing聞いた事がなかった。先生と知り合いい acquaintanceになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるあそんでいられる afford to be at leisureかを疑ったうたぐった doubted; questioned (= うたがった)その後その thereafterもこの疑いうたがい question; doubt絶えずえず without end; even to this day私のむね breast; bosom去らなかったらなかった did not leave。しかし私はそんな露骨な露骨あらわな blunt; frank問題問題もんだい question; problem; issueを先生のまえ front of持ち出すす bring upのをぶしつけぶしつけ lacking in etiquette; tactlessとばかり思っておもって consider (as)いつでも控えてひかえて hold back; refrainいた。若葉若葉わかば new leavesいろ colors疲れたつかれた tired; wearied eyes休ませてやすませて rest; relaxいた私のこころ spirit; mindは、偶然偶然ぐうぜん suddenlyまたその疑いに触れたれた touched on; came back to

「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」

「私は財産家財産家ざいさんか person of wealth; man of means見えますえます appear (to be)か」

先生は平生平生へいぜい usually; alwaysからむしろ質素な質素しっそな simple; modest; frugal服装服装なり attire; dressをしていた。それに家内家内かない household小人数小人数こにんず a small number of peopleであった。したがって住宅住宅じゅうたく residence決してけっして by (no) means広くはなかったひろくはなかった was not spacious。けれどもその生活生活せいかつ lifestyle物質的に物質的ぶっしつてきに physically; materially豊かゆたか plentiful; abundantな事は、内輪内輪うちわ inner affairs; private mattersはいり込まないはいりまない not be part of私の眼にさえ明らかあきらか clear; evidentであった。要するにようするに in short先生の暮しくらし life circumstances; livelihood贅沢贅沢ぜいたく luxurious; extravagantといえないまでも、あたじけなくあたじけなく stingy; scrimping切り詰めためた cut down on; economized無弾力性無弾力性むだんりょくせい inflexible; no margin for error; hand to mouthのものではなかった。

「そうでしょう」と私がいった。

「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きなおおきな large; grandうち houseでも造るつくる build; constructさ」

このとき time先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)起き上ってあがって sit up縁台縁台えんだい bench; platformうえ top of胡坐をかいて胡坐あぐらをかいて sit with one's legs crossedいたが、こういい終るいいおわる finish sayingと、たけ bambooつえ walking stick; caneさき tip地面地面じめん groundの上へえん circleのようなものを描き始めたはじめた began to draw; began to trace。それが済むむ finish; concludeと、今度今度こんど this time; nextステッキステッキ (walking) stick突き刺すす stab; thrustように真直真直まっすぐ straight; direct立てたてた thrust into

「これでももと origin; roots財産家財産家ざいさんか person of wealth; man of meansなんだがなあ」

先生の言葉言葉ことば words半分半分はんぶん half; in part独り言ひとごと speaking to oneself; words directed at oneselfのようであった。それですぐあと after尾いて行き損なったいてそこなった missed one's chance to follow; missed one's chance to respondわたくし I; me は、つい黙っていただまっていた remained silent

「これでも元は財産家なんですよ、きみ you (used here as form of address)」といい直したいいなおした restated先生は、つぎ nextに私のかお face見てて look at微笑した微笑びしょうした smiled; grinned。私はそれでも何ともなんとも (no)thing答えなかったこたえなかった didn't answer。むしろ不調法不調法ぶちょうほう awkwardness; discomfitureで答えられなかったのである。すると先生がまた問題問題もんだい subject; topicよそ elsewhere移したうつした shifted; changed

「あなたのお父さんとうさん (your) father病気病気びょうき illness; maladyその後その after that; since thenどうなりました」

私はちち fatherの病気について正月正月しょうがつ New Year's以後以後いご since; from何にも知らなかったらなかった didn't know月々月々つきづき each month; every monthくに home country; one's native placeから送っておくって send; remitくれる為替為替かわせ money orderと共にともに along with来るる come; arrive簡単な簡単かんたんな simple; brief手紙手紙てがみ letter; noteは、例の通りれいとおり as usual; as always父の手蹟手蹟しゅせき handwritingであったが、病気の訴えうったえ complaintはそのうちにほとんど見当らなかった見当みあたらなかった was no sign of; was not to be foundその上そのうえ on top of that; furthermore書体書体しょたい calligraphic style; penmanship確かたしか sure; certain; steadyであった。このしゅ type; sort病人病人びょうにん one suffering from an illness; patientに見る顫えふるえ tremble; quiver少しもすこしも (not) in the leastふで brush; pen運びはこび carriage; wielding (of)乱してみだして throw off; disturbいなかった。

「何ともいって来ませんいってません doesn't reportが、もう好いい all right; okayんでしょう」

好ければければ if (he's) all right結構結構けっこう fine; splendidだが、――病症病症びょうしょう nature of a diseaseが病症なんだからね」

「やっぱり駄目駄目だめ not good; a lost battleですかね。でも当分当分とうぶん for the time being持ち合ってって hold one's ownるんでしょう。何ともいって来ませんよ」

「そうですか」

私は先生が私のうちの財産財産ざいさん assets聞いたりいたり ask; inquire (about)、私の父の病気を尋ねたりするたずねたりする ask; inquire (about)のを、普通の普通ふつうの usual; ordinary談話談話だんわ talk; conversation――胸に浮かんだむねかんだ came to mind; struck oneままをその通りそのとおり as is口にするくちにする voice; speak、普通の談話と思っておもって regard as; consider to be聞いていた。ところが先生の言葉のそこ bottom; depthsには両方両方りょうほう both; the two things結び付けるむすける tie together; bind together大きなおおきな weighty; significant意味意味いみ meaningがあった。先生自身自身じしん oneself; himself経験経験けいけん experience持たないたない not have私は無論無論むろん of courseそこに気が付くく take notice; be aware (of)はずがなかった。